2016年

7月

25日

◆あなたのたまもの、なんですか?◆

 

あなたのたまものを発見する方法は、

 

それを“探し求める”ことではありません。

 

実のところは、

 

“奉仕する”ことによって見いだすのです。

 

~ローレン・カニンガム~

 

 

 

The way you discover your gifts is really by serving, not by searching.”

—Loren Cunningham

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2016年

6月

29日

◆何が”不和”を生み出すの?◆

 

“不一致”が“不和”を生み出すのではありません。

 

“赦しの欠如”が、“不和”を生み出すのです。

 

~ローレン・カニンガム~

 

 

 

【解説】 「不和」、イヤな言葉です。イヤなのに、私たちの周りに蔓延していませんか? 夫婦の間に、家庭に、隣近所に、会社の中に、国家間に、そして残念ながら、クリスチャン同士、教会の中にも――。

 

「不一致」と訳した原文disagreementディスアグリーメントには、他にも「不調和、食い違い、意見の相違」という意味があります。一方、「不和」と訳したdisunityディスユニティーには、「統一の欠如、分裂」という意味も。訳語を変えれば、「食い違いや意見の相違が分裂を生むのではない」となります。でも、ほとんどの人が不和や分裂の原因は、不一致や意見の相違だと考えているのです。もしそうだとすれば、私たちが住みやすい、喜びと調和に満ちたコミュニティーをつくるのは永遠に不可能です。本来、多様な考え方や意見は、一つの群れが、より広い、グローバルな目的に向かって、違いを抱えたまま進んでいくダイナミックな力を内包しているものです。それは、“多様性”の持つ価値を評価し、相手の意見の中にも一理あることを素直に認めて、お互いに受容できる心の備えが、一人一人の中にできているときに初めて可能になります。それを妨げているのは、私たちのうちに潜んでいる、“自分だけが正しい”という独善性であり、聖書の言葉で言うなら自己中心の“罪”です。この罪が、相手のどんな小さな意見の相違をも受け入れることができず、弱さゆえに冒してしまう過ちを我慢できずにとがめてしまうのです。そこからは、”不和・分裂”という泥沼の争い以外に、何も生まれては来ません。

 

“不和”を生み出す本当の原因、それは、私の中にある“赦せない心”であることを、私たちは神様のみ前に素直に打ち明ける必要がありますね。そして、「主よ、私にはない、あなたの“赦しの心”をお与えください。」と祈らねばなりません。

 

 

 

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3:1314

 

 

 

Disagreements don’t cause disunity; a lack of forgiveness does.”

 

—Loren Cunningham

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