2016年

6月

25日

◆キリスト者の”成功”規準◆

 

“私は神に愛されており、私も神を愛している。それゆえに、私は“成功者”なのだ。”

 

――これが、私たちの個人的価値を決めるものである。

 

~マイク・ビックル~

 

 

【解説】 この世に、いわゆる“功なり名とげた”成功者はあまたありますが、その基準となる要因は、富、名声、地位、学歴、業績、さらには優れた人格などです。このキリスト者の規準は違います。それは、ただ一つ、”神様に愛されている。神様を愛している“ということ。これが唯一、全てです。あとのものは、第一のものを求めたときに、黙っていても、ついてくるのです。

 

 

 

 

I am loved by God and I love God therefore I am successful; This is what determines our personal worth.

 

-Mike Bickle-

 

0 コメント

2016年

3月

19日

◆神様はベストデザイナー◆

 

神様は、人類の全てを、彼らから”喜び”と”魅力”を得ることを切に期待しつつ、創造されました。人類の創造は、神様のデザインなのです。

 

~マイク・ビックル~

 

 

 

【解説】 はい、「デザイン」は半日本語化していますので、あえて片仮名のままにしましたが、この一節を読んで、この「デザイン」にふさわしい訳語はなんだと思いますか? 色々ある訳語の中から、ここにふさわしい幾つかを挙げてみますね。「設計図」「ひな型」「芸術作品」「構想」「腹案」「着想」「筋書き」「計画」「目的」「意図」…。どうですか? 「デザイン」とあえて片仮名のままにしたわけがお分かりでしょう? そう、この全てが当てはまるので、一つに絞ることが難しいのです。いずれにしても、ここで大切なのは、神様が私たちを創られた本来の“意図・目的”です。それは、芸術家が、自分の作品から喜びを得、それに魅了されるように、私たちから喜びと、思わずうっとりとするような魅惑を感じることを待ち望みつつ、創ってくださったのでした。しかし現実の私たちは、そしてその人類て成り立っているこの世界は、”罪”のゆえに、どれほど神様を悲しませ、痛みを与えているでしょうか? そのことに気づかせていただたいた私たちは、まず自分自身の生き方を通して、神様に少しでも喜びを与え、“被造物の魅力”を感じていただかなければなりません。その生き方は、神様だけではなく、やがて周りの人たちにも、“あんな生き方がしてみたい”、”どうしたらあんた輝いた顔ができるんだろう?”と、喜びと魅力を分かち合っていけるのです。私たちの証しは、言葉の前に、まずは雰囲気・態度・行いから始まります。なんたって神様はベストデザイナー、そして私たちは、神様の“最高傑作”なのですから――(創世記1:31)。

 

 

 

God created every human being with a longing for pleasure and fascination. It is His design.

 

-Mike Bickle-

 

0 コメント

2015年

12月

21日

◆深みに漕ぎ出せ◆

神様は、救いを必要としている人には、それをお与えになりますが、そのみ心の深いところにあるものについては、それがなければ生きることを拒むほど、飢え渇いている人々にお与えになるのです。

 

~マイク・ビックル~

 

 

 

【解説】 救いは、それを求める全ての人に平等に与えられますが、神様の隠されたみ心、”奥義”については、ちょうどペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人が特別にイエス様の救いのご経綸を変貌の山で見せていただいたように、

 

どんなときにも神様のみ心を飢え渇くほどに第一に求め、その確信が与えられない限り、決して前には進むまい、キリスト者とし生きることすらすまいと固い決意を秘めた人に、お与えになるというのです。ひとたび救われた私たちは、この霊の深みを目指して、漕ぎ出さねばなりません。

 

 

 

God gives salvation to the needy, but gives the deep things of His heart to the hungry who refuse to live without them.

 

-Mike Bickle-

 

0 コメント

2015年

12月

11日

◆”祈り”とは、ただ神を愛すること◆

“祈りにおいて成長する”ということは、第一の戒めを心に抱きしめ、神様の心をもってその意味を理解することと深くつながっています。

~マイク・ビックル~

 

(マタイ 22:37,38「そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。」

 

Growing in prayer is deeply connected with embracing the first commandment and understanding its implications in God’s heart.

-Mike Bickle-


0 コメント

2015年

11月

16日

◆マイク・ビックル、信仰の要諦を語る◆


  1. 孤独と絶望について: 多くの人が経験する“孤独”と“絶望”に対する神様の答えの一つは、彼らが居場所を見いだせる“霊の家族”を育て上げるためです。

  2. 神の命令について: 神様の命令は、“束縛”ではなく“自由”です。神様のみ言葉は、私たちを“縛り付ける”ものではなく、“解き放つ”ものなのです。

  3. 大いなる愛について: 私たちのような、それに値しない者たちに対する神様の大いなる愛を理解することは、神の大いなる主権に対する洞察力を与えます。瞠目する人の目には自ずと美しさが宿るように、大いなる愛は、深く愛するこのお方のご性質を表すのです。

 

~マイク・ビックル~

 

  1. Part of God’s answer for the loneliness & despair that so many live in, is to raise up spiritual families for them to belong to.

  2. God’s commands are not bondage, they are liberty. The Word of God is what liberates us, not what puts us in bondage.

  3. Understanding God’s great love for undeserving people such as us, gives us insight into His great majesty. As beauty is in the eyes of the beholder, so great love reveals the nature of the One who loves deeply.

-Mike Bickle-

0 コメント

2015年

11月

10日

◆こんなキリスト者に、私はなりたい◆


  1. 私は神様に愛されており、私も神様を愛しているゆえに、私は“成功者”である。―これが、私たちの個人的な“真価”を決めるものだ。

  2. 私たちは、主と共なる歩みを汚す、いかなる“苦々しい思い”の根が張るのを許してはならない。
    【解説】 “苦々しい思い”と訳した原語bitternessビターネスの中身は、「辛らつさ、嫌み、皮肉」などです。
    (ヘブル12:14-16 「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。」

  3. 神は、私がかつて、いかに冷淡な人間だったかとか、ビデオゲーム三昧の日々はどうだったかなどとはお尋ねにならない。神は、私が力の限りを尽くしてこのお方を愛したかどうかを問われる。それゆえ私は、”大物”のトップになろうとも、“最高”の人間になろうとも思わない。私はただ、“忠実なキリスト者”になりたい。
    【解説】 これは、やがて私たち一人一人が、王なる主のみ前に立って、この地上のクリスチャン人生の申し開きをするときのことを指しています。(黙示録20:12)
    (Ⅰコリント 13:2 「また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。」
    ~マイク・ビックル~

 

  1. I am loved by God & I love God therefore I am successful; this is what determines our personal worth.

  2. We must not allow any root of bitterness to defile our walk with the Lord. (Heb. 12:14–16)

  3. God isnt going to ask me how chill I was or how the video games were. Hes going to ask if I loved Him with all of my strength. Therefore, I dont want to be the biggest or the best; I want to be faithful.
    "And though I have all faith, so that I could remove mountains, but have not love, I am nothing" (1 Cor. 13:2).
    -Mike Bickle-


0 コメント

2015年

11月

03日

◆神様は弱くかすかなものを好まれる◆


  1. 弱く、打ちひしがれた人々の小さな祈りが、神様の心を動かすのです。
    ~マイク・ビックル~

  2. 神様は、かすかで、捉えがたい印象を与えることによって、私たちに話されますが、それが私たちの思いと心を解き放つのです。

 

【解説】 イエス様は、どんなときでも、弱く、気落ちした人々のそばにおられ、その人々の心の中の願いさえ、聞き届けられました。言い出しがたい願いは、「何をしてほしいのか、直りたいのか、言いなさい」と優しく促されました。また一方、神様はしばしば、細い、かすかなみ声の中で、ご自身のみ思いを語られます。だから私たちは、静まって、心の耳をそばだてて聴かなければ、そのみ声が聞こえません。でもひとたびそのみ声が聞こえ、“これが道だ!”と確信できたとき、もはや私たちに恐れるものはありません。その時、私たちの胸にあるのは、何とも言えない平安と、勇気と、み旨を行うことのできる、天にも昇る喜びだけです。

 

  1. The small prayers of weak and broken people move the heart of God.
    -Mike Bickle-

  2. God speaks to us by giving us subtle impressions that release power in our minds and hearts.


0 コメント

2015年

10月

22日

◆私たちへの神のご計画とあなたの責任◆

神様は、あなたへのご計画を持っておられ、それはあなたの益のためです。そう、それはご自身の栄光のためですが、あなたの益のためでもあるのです。神様は言われます。「私は、あなたのためによく働く、あることを計画している。あなたの役に立つ“特別仕立ての”計画を持っているのだ」と。

それは“恵み”です。けれども恵みは、あなたがするようにと神様がお与えくださったことに対する責務や実施義務を、ナシにするものではありません。

~マイク・ビックル~

 

God has a plan for you thats for your good-yes, its for His glory, but its for your good. God says, Im planning something that works for you. I have a taylor-made plan that works for you.

That is Grace. Grace, however, does not cancel out our responsibility or accountability for the things God has given us to do.

-Mike Bickle-


0 コメント

2015年

10月

07日

◆”救い”とは、イエスとの交わりに入れられること◆

”救い”とは、地獄を逃れることよりもはるかに大きな意味を持っています。私たちは、燃えるような心を持った神様との交わりに招かれているのです。私たちの文化は、”美しく”あることに取りつかれていますが、神様は、ご自身のみ子、“イエスの麗しさ”をもって、永遠に私たちを装ってくださいます。そして、み父がイエス様を愛されるのと同じ激しさをもって、彼はあなたを愛しておられます。イエス様は、あなたと関わりを持つことに、決して“退屈”なさるようなお方ではありません。実際のところ、神様は、あなたが弱いときにさえ、あなたとの絆を楽しんでいてくださるのです。それゆえ、神様は私たちの存在を喜ばれるという事実を私たちが確信しているなら、もし私たちがつまずいたとしても、私たちは“彼から”逃げるのではなく、“彼のもとに”駆け込みます。

~マイク・ビックル~

 

Sulvation is much more than escaping hell. We are called into fellowship with the God of the burning heart. Our culture is obsessed with being beautiful, but God will adorn us forever with the beauty of His Son. And with the same intensity that the Father loves Jesus, He loves you. Jesus is never bored in His relationship with you. God actually enjoys His relations with us, even in our weakness.Thus, when we are confident in the fact that God delights in us, then when we stumble, we will run to Him instead of from Him.

-Mike Bickle-


0 コメント

2015年

10月

06日

◆弱くとも聞かれる祈りの恵み 4か条◆

①私たちの祈りは、疲れていたり、落胆していたり、あるいは上機嫌ではないときにも、効果があります。

②祈っているとき、私たちがどう感じるかに関係なく、私たちの祈りは、神様にとって大切なのです。

③私たちの祈りは、たとえ短く、弱く、つたない言葉であっても、役立ちます。

④私たちの弱々しい祈りの時は、私たちを動かさないかもしれませんが、神様の心を動かすのです。

~マイク・ビックル~

 

Our prayers are effective even when we are tired, discouraged, or not in a good mood.

Our prayers matter to God, regardless of how we feel when we pray.

Our prayers work even when they are short, when they are weak, and when they are poorly worded.

Our weak prayer times may not move us, but they move the heart of God.

-Mike Bickle-


0 コメント

2015年

9月

01日

◆神様は和解の”立役者◆

私たちの争いごとの中に神様が介入なさることを信じ、仕返しすることを拒み、敵に良くしてあげることによって、私たちは、神様をその状況に招き入れるのです。

~マイク・ビックル~


【解説】 全ての敵意をご自身の十字架で滅ぼしてくださったイエス様が、敵意のある人との間に立って、仲保者となり、和解への道に導いてくださるということです(エペソ2:14-17)。人間同士が解決するのではなく、タイトルにあるように、イエスのみ霊が全てをコントロールして最善の解決へと導いてくださるのです。そのために私たちがなすべきことは;
①どのような人間関係にあっても、その人と自分との間に、主イエス様にお立ちいただくこと。(詩篇 16:8 )「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」
②けれども、肝心の私たち自身が、悪意・敵意を持ったままでいる限り、主は間に立つことはなさいません。まず自分自身の“赦しと和解”への決意をしかと思い定めて、「主よ、あとはお委ねいたします。どうぞあなたご自身がお働きください。」と、神様を招き入れるのです。
 

By trusting God to intervene in our conflict, refusing to retaliate, and doing good to our enemies, we bring God into the situation.

-Mike Bickle-

0 コメント

2015年

8月

04日

◆弱さの中で神の力を知る◆

ダビデの生涯は、”弱さは、神の力を体験する資格をなんら奪うものではない“ということの証言のような人生でした。

~マイク・ビッケル~

 

【解説】 この世に、“弱さ”を知らない人などいるでしょうか? 周りの人が知っているかどうかは別にして、ただの一人もいないと断言できますね。その弱さは、自分自身が一番よく知っています。それを覆い隠そうとして、人は思い悩むわけですが、キリスト者は、感謝なことに、”弱さの中にある恵み”を知っています。だからパウロは、「私は弱いときにこそ強い」(Ⅱコリント1210)と言い放ち、それが人間全てに関する真実だからこそ、神様はその言葉を聖書として残されたわけですが、その”強さ”は、もちろん人間的な強さではありません。彼個人の生まれついての強さでもありません。それは、弱い自分のうちに現された”神の力の強さ”です。その意味で、この聖句は、今日の言葉と照らし合わせるとき、「私は、弱いときにこそ、”神の力”を体験することができる」と、心で読み替えなければなりません。

ダビデは異性に対する肉の弱さ、パウロは肉体的な弱さ、ペテロは自己過信(自信過剰)の弱さ、トマスは猜疑心の弱さ、ザアカイは劣等感の弱さ、ヤコブとヨハネは短気の弱さ…。みんな、みんな、弱さを持っていました。そしてその弱さのゆえに、そんな自分をも見捨てずに愛し、赦し、”神の器”として用いてくださった主の恵みにあずかったのです。あなたも、今、心に”宣言”しましょう。「私には○○の弱さがある。でも、私には、この弱さを通して、”神の力”を体験する資格があるんだ!」と――。

 

(詩篇 31:7「あなたの恵みを私は楽しみ、喜びます。あなたは、私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみを知っておられました。」

 

David’s life was a witness that weakness does not disqualify us from experiencing God’s power.

-Mike Bickle-

 

"I will be glad and rejoice in Your mercy, for You have considered my trouble; You have known my soul in adversities" (Ps. 31:7).


0 コメント