2019年
9月
23日
月
1.《宣教はキリストの心で》
キリストの魂は、“宣教魂”です。
彼に近づけば近づくほど、
私たちはより激しく宣教熱心になります。
~ヘンリー・マーティン~
(マルコ16:15) 「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」
【解説】 彼の言葉は、私たちに託された宣教・証しの“原点”を教えてくれます。宣教・証しは、自分の思い、自分の力でやるのではありません。それがどれほど“気分的”なもので、状況に支配されやすく、長続きしないものであるかは、自分自身が一番よく分かっていますよね? そうではない。私たちは、魂のことを考えるときは、いつも“キリストの魂”に帰らなければならないのです。失われゆく魂を深くあわれみ、そのために涙された主のみ心に――。その意味で、私たちが一人の魂に寄り添っていく近さは、キリストの魂に近づいていく深さに比例していかなければならないのですね。
(マルコ 6:34) 「イエスは、…彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。」
(マタイ23:37) 「ああ、エルサレム、エルサレム。…わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。」
The spirit of Christ is the spirit of missions. The nearer we get to Him, the more itensely missional We become.
-Henry Martyn-
2.《置かれた場所は魂の勝ち取りの場》
この世界は収穫の畑であり、畑は世界である。
そして今からのち、あの国は、
私がキリストのために魂を勝ち取るのに
最もよく用いられる我が家となるのだ。
~ニコラウス・ルードヴィヒ・フォン・ツィンツェンドルフ伯爵~(写真左)
(マタイ 28:19) 「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」
(ヨハネ 4:35) 「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」
【解説】 このように言い放ったのは、18世紀ドイツの、宣教団体「モラヴィア兄弟団」の創設者です。裕福な貴族だった彼は、イエス・キリストの磔刑画に書いてあった「我これを全て汝のためになせり。汝我がために何をなせしや」の言葉に文字どおり釘づけにされて献身し、私財を全て投げ打って兄弟団を創設し、ドイツのリバイバル(信仰復興)に導きました(旧讃美歌332「主は命を」2節「♪かくも我がために栄えを捨つ 我は主のために何を捨てし」のモチーフ)。“宣教魂、ここに極まれり”とも言うべき熱い気概がひしひしと伝わってきますが、私たちの誰もが宣教師になれるわけではありません。ツィンツェンドルフやマザー・テレサのように、大きな救済の働きができるわけでもありません。でも忘れてならないのは、私たちの“収穫の畑”は、今、主に置かれた場だということです。そこを私の“世界”、神の家族を生み出す“我が家”として、一人の魂の救いのために労すること――そうです、私が、あなたが、小さな小さなツィンツェンドルフやマザー・テレサになることを、主は望んでおられるのです。
The world is the field and the field is the world; and henceforth that country shall be my home where I can be most used in winning souls for Christ.
-Count Nicolaus Ludwig Von Zinzendorf-
"Go therefore and make disciples of all the nations" (Mt. 28:19).
3.《宣教・証しはただ神と共に》
私が中国に着いたら、必要な人材や環境などにつぃて一切要求はしない。私の要求は、“ただ一人、神にある”ことだけだ。
~ハドソン・テイラー~(写真左)
【解説】 こちらは、あのチャイナ・インランド・ミッション(現OMFインターナショナル)の創設者の言葉です。これもまた心を探られる言葉ですね。彼は広大な中国内地に宣教師として踏み入れることになった時、どれほど心細かったことでしょう。仲間や資金、建物など、物的支援がどんなに必要だったことでしょう。でも彼は、ただ神だけを頼りに、自力で宣教地を開拓することを求めたのです。心に刻まれたイエスの山上の教えを、今まさに実践しようという彼の決意が伝わってくる思いです。どんな困難な状況でも、ただ神を見上げ、神を第一にするとき、必要は全て備えられます。これは、実践して初めて分かる神の真理なのです。
(マタイ 6:33,34) 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」
When I get to China, I will have no claim on anyone for anything. My claim will be alone in God.
-Hudson Taylor-stolen
2018年
10月
19日
金
―マタイ6:33を証明する3つの言葉―
1. 私たちが神様を持つとき、
私たちは全てを持っているのだということを知るようにと、
神様は願っておられます。
~A.W. トーザー~
God wants us to know that when we have Him, we have everything.
-A.W. Tozer
2. 自分は何も持っていないと考えてはいけません。
自分は何でも持っていると考えてもいけません。
けれど、自分は何かを持っており、どんなことでも成し遂げられると
いつでも考えていなさい。
Never think I have nothing. Never think I have everything. But, always think I have something and I can achieve anything.
3. 神のやり方でなされた神の業に、
神が必要を満たされないことは決してありません。
~ハドソン・テイラー~
God’s work done in God’s way will never lack God’s supplies. –
Hudson Taylor
(マタイの福音書6:33) 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
2016年
2月
08日
月
ぶどうの枝は、何も思い煩うことなく、労することもなく、こちらで陽光を得ようと求め、あちらで雨を渇き求める。いや、実のところは、ぶどうの枝は、その木とのつながりと交わりのうちに、安らいでいるのだ。そして私たちは、ふさわしい時に、ふさわしい方法で、ふさわしい実を豊かに結んでいる枝を見いだすのである。そのように、私たちも、主イエスのもとにとどまろうではないか。
~ハドソン・テイラー~
"The branch of the vine does not worry, and toil, and rush here to seek for sunshine, and there to find rain. No; it rests in union and communion with the vine; and at the right time, and in the right way, is the right fruit found on it. Let us so abide in the Lord Jesus."
✒ Hudson Taylor
2015年
11月
23日
月
私たちの全ての困難は、神様の恵みの力と愛がさやかに表れる場に導く、階段の”踊り場”(プラットフォーム)に過ぎない。
私は、主がご自身のみ心を成し遂げられ、そのみ心は私のものだということが分かったので、もはやいかなることにも心を煩わせない。たとえこのお方が、私をどこへ、またどのように遣わされようと、その思いが変わることはない。
~ハドソン・テイラー~
All our difficulties are only platforms for the manifestations of His grace power and love.
I am no longer anxious about anything as I realize the Lord is able to carry out His will & His will is mine. It makes no matter where He places me, or how.
-Hudson Taylor-
2015年
9月
08日
火
私たちの天の父は、誰もいない砂漠にも、人に知られず多くの花を咲かせてくださるのだから、たとえ誰の目に気づかれなくとも、その神様がご覧になるところで、私たちにできることは何でもしようではないか。
As our Father makes many a flower to bloom unseen in the lonely desert, let us do all that we can do, as under God’s eye, though no other eye ever take note of it.
-Hudson Taylor-
2015年
8月
28日
金
私は、神の大いなる働きには、いつでも3つの段階があることが分かった。
最初は “それは不可能だ”、
次は “それは困難だ”、
最後は “それは成し終えた”である。
~ハドソン・テイラー~
(ピリピ 4:13) 「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
【オマケ 現代口語訳】
俺、分かったよ、神様のデカい仕事には、必ず3つの”工期”があるんだって。
第1期:「それ、ムリムリ、絶対できっこないって!」
第2期:「それ、チョー面倒くせぇ!」
第3期:「それ、できちゃったよ!」
I have found three stages in every great work of God:
First it is impossible
Then it is difficult
Then it is done.
~Hudson Taylor-
【NKJV】Phi 4:13 I can do all things through Christ who strengthens me.
2015年
8月
23日
日
神様の方法でなされた神の業に、神様からの必要の満たしが絶えることはない。
~ハドソン・テイラー~
God’s work done in God’s way will never lack God’s supplies.
-Hudson Taylor-
2015年
8月
14日
金
一日のうちで、いつであれ、あなたの一番いい時間(ベストタイム)を、神様との交わりのためにささげなさい。
~ハドソン・テイラー~
Whatever is your best time in the day, give that to communion with God.
-Hudson Taylor-
2015年
8月
13日
木
“大宣教命令”は、考慮すべき選択肢の一つなどではない。
それは服従すべきご命令なのだ。
~ハドソン・テイラー~
(マタイ28:19,20)「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
(マルコ16:15)「それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」
The great commission is not an option to be considered; it is a command to be obeyed.
-Hudson Taylor-
2015年
8月
10日
月
◆今日の霊想◆
―安かれ、ぶどうの枝よ―
ぶどうの枝は、日光や雨を探し求めて、それらが得られるか心配したり、労したり、あちこち突き進んだりはしない。一切しないのだ。それは、ぶどうの木と一つに結ばれ、親しき交わりのうちに憩う。この結合の中で、ぶどうの枝には、定められた時に、正しい栽培方法のもと、よき実が実るのである。私たちも、そのように、主イエスのもとにとどまろうではないか。
~ハドソン・テイラー~
The branch of the vine does not worry, and toil, and rush here to seek for sunshine, and there to find rain. No; it rests in union and communion with the vine; in union and at the right time, and in the right way, is the right fruit found on it. Let us so abide in the Lord Jesus.
-Hundson Taylor-
2015年
7月
24日
金
私は、主が私の信仰を増すというただ一つの目的をもって、そして全てを愛のうちに、私を試みられることを知っている。だとすれば、もしそれによって、このお方があがめられるなら、私はそれで十分である。
~ハドソン・テイラー~
I know He tries me only to increase my faith and that is all in love. Well, if He is glorified, I am content.
-Hudson Taylor-