2019年

10月

10日

◆神を想う(3)◆

1.《抵抗による神への愛の表し方》

私たちは、神のみ心に反する感情に抵抗することによって、

神への愛を表します。

~ミスティー・エドワーズ~

【解説】 タイトルだけを読むと、「え?」と思うでしょう? 「イヤだイヤだも好きのうち」のあれ?と――。さにあらず、これは言うなれば、“悪を制して善を立てる”という、一見間接的でさほど直接的効果はないやり方のように見えますが、実は大切な神様への忠節の証しなのです。神のみ心に反する感情とは、ひと言で言えばガラテヤ5:19-21にある“肉の思い”です。「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、酩酊、遊興。」―これらの思いがよぎった時に、あるいは時として激しく心を揺さぶるときに、きっぱり「ノー!」と言い、「主よ、これはあなたを悲しませる罪です。この思いに打ち勝たせてください。イエス様の十字架に釘づけにしてください。」と祈るとき、神様の耳には、「神様、私はあなたを愛します」と聞こえているのです。

We express our love to God by resisting emotions contrary to His will. - Misty Edwards,

 

2.《神との交わりには代価が伴う》

“関わり”には代価が伴います。

神と共にあることが、どれほどの代価を払わなければならないとしても、

神があなたと共にあるために払われた値の大きさには、比ぶべくもないのです。

~ティム(ティモシー)・ケラー~

【解説】この値は、もちろん金銭だけとは限りません。神を第一にするために負わなければならない時間や労力も含みます。言葉を変えれば、この“代価”は“犠牲”です。そう言いかえたときに、あなたの心に思い浮かぶものは何ですか? 天地万物の創造者であられる神様が、どんなときもあなたと共にいたいと望まれ、それを阻む罪の障壁を取り除くために、十字架の上でお捨てくださったみ子イエス・キリストの命――。これが神様があなたのために支払われた代価―犠牲です。そのかたじけなさの前に、私たちはどんな犠牲を払うことができるのでしょうか? このお方と共にあるためには、この生涯を、この身の全てをささげても、到底足らないのではありませんか?

Relationships are costly. Whatever it will cost you to be with God is nothing compared to what it cost Him to be with you. -Tim Keller-

 

3.《神の愛は、人の痛みよりも強し》

神の愛は、私が感じる痛みよりも深く流れきます。

神の愛は、人の抑うつ(落ち込み)や恐れよりも強いのです。

~ローラ・ハケット・パーク「私は神の愛を感じる」より~

His love goes deeper than the pain that I feel. His love is stronger than depression or fear,

-Laura Hackett Park-“I feel His love”

 

4.《“癒やし主”―それは神の名》

”癒やし”は神のなさること。

そして神は、ご自身を現すために、癒やすことが何よりお好きなのです。

神は、私たちを癒やされる主です。

(出エジプト 15:26)「わたしは主、あなたをいやす者である。」

~ステュアート・グリーヴズ~

【解説】 「神様が癒やされた!」という体験をお持ちの方は、数えきれないと思います。ここにコメントいただいたら、命に関わる大病から小さな傷に至るまで、軽く何百となることでしょう。かく言う私は、昨日の朝、鼻水が止まらなくなり、「しまった! 風邪だ。昨夜まで何の兆候もなかったのに…」と落ち込みました。私事ですが、詐欺被害で生じた借金返済で要らざる出費を防ぐために、私の身には、向こう5年間、一切の病気が起こってほしくないのです! それが、午後になったらウソのように鼻水が止まり、スケジュールどおりのミニストリーができました。ひとえに癒やし主のあわれみのゆえです。

“癒やし”は神様の本来のみ心です。私たちが“全きもの”になるのが主のお望みですから、それは神様にとっては当然のことです。私たちはそのことをまず信じましょう。しかし現実には、癒やされない病もあります。それは、私たちには分からずとも、神様に癒やし以上のご計画があるときです。そのことをも、信じてまいりましょう。癒やされたら感謝、癒やされなくても感謝、全てを、最善をなさる神のみ手に委ねて生きることですね。

Healing is what God does, and what He loves to do, as an expression of Himself.

He is the Lord who heals us. (Ex. 15:26)

-Stuart Greaves-

 

【FBギャラリー】 「秋深し」(2)

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2019年

10月

07日

◆祈ることを教えてください(ルカ11:1)◆

1.《祈り: 魂の最大の仕事》

祈りは、いかなる疑いをも差し挟む余地なく、

人間の魂の最高最大の行動である。

【解説】 人間の魂(心)は、もちろん目には見えませんが、ありとあらゆる精神的な働きをしています。その中で、神様と関わる働きが“祈り”です。祈りは、私たち人間と神様を結ぶ、唯一の絆なのです。その意味で、祈りは人間の精神活動の中で最高最大の行動と言えるのですが、現実に、この私の魂の中で、最高最大のものになっているか、深く探られるところです。祈りが本当に最高最大の行動になっていないとき、私たちは“霊的貧困”に陥ります。そして神様の約束された、あらゆるみ霊の実を結ぶ祝福を逃しているのです(ガラテヤ5:22、23)。

Prayer is beyond any question the highest activity of the human soul.

 

2.《安寧は祈りの最大の敵》

人生がスムーズにいき、

私たちの心の中で本当に大切なものが安全なとき、

私たちに“祈り”は生まれない。

【解説】 この世的に言えば、まさしく“苦しい時の神頼み”、聖書的に言えば“旧約の民”状態です。安寧なときに感謝を忘れると、私たちは“霊的傲慢”に陥ります。”安寧は祈りの最大の敵”と覚えて、聖書の“祈り”の教えを心に刻み、実践しましょう。それは、“〇〇のときは”ではなく、“絶えず”です!

(Ⅰテサロニケ 5:16-18) 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」

When life is going smoothly, and our truest heart treasures seem safe, it does not occur to us to pray.

3.《祈り: 主よ、恵みを数えさせてください》

人生のどんな良き時にも、

主よ、あなたを想い起こせるよう、

そしてあなたが何をしてくださったかを忘れぬようお助けください。

どんなときも祈れるよう、お力をください。

~ティモシー・ケラー~

(詩篇 103:2) 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

In every season of the soul, help us to remember You, Lord, and remember what You have done. Help us to always pray. -Timothy Keller

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2016年

6月

06日

◆偶像は捨てるだけではダメです◆

 

偶像は、単に“取り除け”ばいいものではない。

 

それは“取り替え”なければならないのだ。

 

~ティム・ケラー~

 

 

 

主よ、私の生活の中で、あなたより上を占めているものを識別できるよう、助けてください。

 

あなたのみ前に、他の神々を据えたくないのです。

 

 

 

【解説】 なぜ取り除くだけではダメなのでしょう? 言うまでもありませんが、空っぽになったあなたの心には、ヘタをするともっとたちが悪くて強力な“偶像”が入り込んでくるからです(マタイ12:4345)。それは取り替えなければなりません。ここで、原文では、日本語の訳を引用符でくくったように、remove リムーヴ(取り除く)とreplaceリプレイス(取り替える)に、類似語の修辞が施されています。それを生かすために、日本語でもあえて似た言葉を用いましたが、一つの偶像を他の偶像に“取り替え”ても何の解決にもなりません。あなたの心の王座に、ただ一人の、まことの神、イエス・キリストをしかと“お迎え”しなければならないのです。あるいは、この祈りにあるように、知らず知らずのうちに、偶像がイエス様より上の座を占めていたことを示されたら、その偶像をきっぱり追い出すと共に、イエス様に、本来おられるべき“主権のみ座”にお移りいただかなければなりません。

 

最後に、この我が内なる偶像の識別は、思いのほかに難しいものであることを、心してください。あなたの好きなもの、愛するもの全てにその可能性があります。時には、あなたの専攻する学問、敬愛してやまない人物さえ、気づかないうちにあなたの“偶像”になっています。あなたの中で、神なるイエス様よりも大切になっているものは、どのように光り輝く善意の存在であっても、それは、まことの神様に代わる“偶像”なのです。そして、全ての偶像の“大元締め”はサタンです。あなたが神ならざるものを神とするとき、究極的に自分を拝させることに成功したサタンが「してやったり」とほくそ笑んでいることを決して忘れてはいけません。このサタンの謀略に立ち向かって、内なる偶像を正しく識別するには、祈って神様のみ力を仰ぐしかありません。偶像であることをカムフラージュすることもサタンの闇の力だからです。ティム・ケラーの的を射たひと言と共に、ここに掲げたひと言の祈りも、ぜひ、あなたの座右の祈りとなさいますように――。

 

 

 

Idols cannot simply be removed. They must be replaced.

 

-Tim Keller-

 

Lord, help us to recognize the areas in our lives where something else takes precedence over You. We want no other gods before You.

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2016年

4月

24日

◆神の恵みのかたじけなさ◆

 

神様は、ご自身の恵みを、

 

それに値しない人に、

 

それを求めている人に、

 

あるいはそれによって救われて感謝している人に、

 

執拗なまでに、与えようとしておられます。

 

~ティム・ケラー~

 

 

 

【解説】 ”恵み”、グレイスは、私たちにとって最もなじみのある言葉の一つですが、それがどれほどにすばらしく、かたじけないものか、よくは分かっていないというのが本当のところではないでしょうか。この一文の中で、2つの点に目を留めて、その一端に触れたいと思います。まず1つは、その“対象”の広さです。“恵みに値しない人”とは、ズバリ言って、全ての罪ある人間です。またこれを段階的に捉えて、神に背を向けて、無関心な人、敵対している人。神を恐れず悪の道を歩んでいる人と考えると、〝恵みを求めている人“とは、そこから次の段階に進んで、求道の道にある人ということ、そして最後の”救われて感謝している人”とは、既に信仰の世界に入って、恵みと感謝の内に生かされている人です。このどの段階の人に対しても、神様の恵みは、いずれかに偏ることなく、またどこかの段階でやむこともなく、終生、召される瞬間まで、一方的に、神様のほうから差し出されているのです。

 

もう1つのことは、この恵みを申し出る神様のみ心の“強さ”、“激しさ”です。“執拗なまでに”と訳した原語relentlesslyリレントレスリーは、本来あまりいいことには使われない言葉です。なんとなれば、その意味は、”容赦のない、厳しい、冷酷な”、果ては”残忍な“とさえ訳す言葉なのです。したがってそれを、神様の恵みの程度を表すことに用いたら、その強烈さは推して知るべしです。「私はあなたを恵まずにはおかない。この恵みはどうですか? さらにこれはどうですか? もう一つ、これもあげましょう」…と、まさに恵みが追ってくる、迫ってくる。“すばらしすぎて怖くなる“ような経験をなさったことがあるでしょう?

 

これが、神様の“驚くべき恵み”アメイジンググレイス の二面です。神のみ子が、十字架の上で命を捨ててくださったということは、これほどの恵みの内実を伴った出来事だったのです。

 

最後に、このことに思いを馳せましょう。この恵みを神様が私たちにくださることを示す原語は、giveギヴ “与える”ではなく、offerオファー“申し出る、差し出す、提供する”で、こちらの反応を期待する言葉です。「あなたはこの恵みを、ただ感謝して受けますか? それとも拒みますか? あるいはまだ気づいていないのですか?」という、神様の問いかけを伴った言葉なのです。私たちは、あまりにすばらしすぎて、満たされすぎて、この恵みに慣れてしまわないようにしましょう。あるいは、この世の生きる苦しさに押しつぶされて、どんな小さなことの中にも差し出されている、神様の恵みに気づかないほど、“霊の感受性”を鈍らせないようにしましょう。いえ、私たちは、自分の罪深さを知れば知るほど、この恵みの広さ、深さが、”実感”として分かってこなければなりません。私たちにできるとことは、「神様、ありがとうございます。いただきます。」と、ただ感謝して受け取ることだけではありませんか?

 

(ローマ 5:20 「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」

 

 

 

God relentlessly offers His grace to people who do not deserve it, seek it, or appreciate it after they have been saved by it.

 

-Tim Keller-

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2016年

3月

01日

◆人を愛するとは◆

 

誰かを愛する最善の方法は、その人の最も関心のあることのために、最善を尽くすことです。たとえ自分の懐を痛めてでも――。

 

~ティム(ティモシー)・ケラー~

 

 

 

The best way to love someone is to serve their best interest, even at your own expense.

-Tim Keller-

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2015年

12月

27日

◆主に属する者のしるし◆

 

もしあなたが主に在る者なら、あなたに起こる全てのことは、究極的に、“あなたのために”起こるのです。 

~ティム(ティモシー)・ケラー~ 

 

【解説】 聖書は言います。(使徒5:41 「そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。」 私たちの人生にも、いろいろなこと、よいことだけでなく、悪いことも、時には”どうしてこんなことが?”と思うようなことも起こりますが、それは全て、究極的に、私たちの益になるように、全能者の最善のご計画の中でなされたことです。そしてそれこそが、私たちが「主に在る者とされたこと」の動かしがたいしるしだというのです。うれしいではありませんか。 

 

If you belong to Jesus, then everything that happens, ultimately happens for you. 

-Tim Keller

 

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2015年

11月

28日

◆あなたはなぜ神のもとに行きますか?◆

あなたは、神が有益だからという理由で、このお方のもとに行くようなことを決してしてはなりません。このお方がすばらしいゆえに、行きなさい。それでもなお、“神はすばらしい”ということを見いだす以上に有益なことは、他にないのです。

~ティモシー・ケラー~

 

"You should never go to God because he's useful. Go because he's beautiful. And yet there's nothing more useful than finding God beautiful."

--Timothy Keller


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2015年

9月

03日

◆祈りは時を選ばない◆

ヨブが富み栄えていた時、彼は祈りました。彼が苦難に遭ったていた時は? その時も彼は祈ったのです。

~ティモシー・ケラー~

 

"When Job was prospering, he prayed. When he was suffering? He still prayed."

--Timothy Keller


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2016年

8月

12日

◆頭の信仰は信仰にあらず◆

 

本当に神様を体験していないキリスト教信仰というのは、結局のところ、信仰でもなんでもありはしないのだ。

 

~ティム・ケラー~

 

 

 

Christianity without real experience of God will eventually be no Christianity at all.

 

-Tim Keller-

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2015年

8月

05日

◆死も奪えざる愛◆

 私たちの最愛なるものが“神”であるときにのみ、この愛は死によっても失うことのないものであり、私たちは全てのことに平安をもって向き合えるのです。

~ティモシー・ケラー~

 

(ローマ8:38,39「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

 

Only when our greatest love is God, a love that we cannot lose even in death, can we face all things with peace.

-Timothy Keller-

"For I am persuaded that neither death nor life...nor any other created thing, shall be able to separate us from the love of God which is in Christ Jesus our Lord" (Rom. 8:38–39).


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