2017年

9月

09日

◆祈り: 究極の保霊剤◆

鳥にとっては翼が、

船にとっては帆が欠かせないように、

魂にとってなくてならないのは、“祈り”なのよ。

~コーリー・テン・ブーム~

 

【解説】 あの冷たく最悪のナチス収容所の数年間を、ただ“祈り”によって、上よりの力を頂き、耐え抜いた彼女の言葉は、単にクリスチャンには聞き慣れた“信仰生活の基本”以上の重みがありますね。人は、全く他に頼るべきものがない窮状に陥ったら、もう祈ることしかできないのです。朝起きて祈り、目覚めている時も絶えず神と語り、夜も祈りの中で床に就く。コーリーは、あの地上の地獄の中で、本当に生きて彼女のそばにいてくださる主イエスの臨在を、彼女のそれまでの人生のどの時よりも、まさに肌で感じていたのでした。そして、その時以来、“祈り”は”呼吸”のように、自分と切り離すことのできない彼女の“存在の一部“となったのです。

 “呼吸のような祈り”。――これは、何も彼女の味わった最悪の状況でなければできないことではありません。呼吸はいつ、どんな時でも私たちが生きるのに欠かせないように、祈りもまた、私たちの魂が死なないためには、絶対不可欠のものです。私たちの外なる人はやがて衰えますが、“祈り”によって、内なる霊をいつも活性化させて、イエス様との交わりの中に置くことを習慣化するとき、いつしか、どんな地上の試練の中でも、平安と確信をもって耐え抜いていける力が養われます。“祈り”は、必ずしも場所を定め、言葉に出して言う必要はありません。大切なのは、どんなときも、あなたの魂が、イエス様に開かれていることです。“心の声”で主と会話し、その静かな細いみ声を聴き取れる状態にしておくことです。そのときに神様が注いでくださる豊かな霊の祝福を、ぜひ、あなたのものとなさいますように――。

 

What wings are to a bird and sails to a ship, so is prayer to the soul.

-Corrie Ten Boom-

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2017年

4月

28日

◆み翼の陰は暗いのです◆

―み翼の陰は暗いのです―

 

主のみ翼に覆われているときは、深く大きな暗闇の中に入ったと感じるものです。

 

~コーリー・テン・ブーム~

 

【解説】 あるいはコーリーおばさんは、あのナチスの暗黒の収容所にいた間、このように信じて日々を耐えたのかもしれません。「これは、主が守っていてくださるからよ。主がしっかり覆っていてくださるから、こんなに暗いのよ」と――。

 そうなのです。神様がなさることは、しばしば、私たちの思いとは異なります。私たちは、人生の暗い谷間に降り立ったとき、一刻も早くこの暗闇を抜け出したい、光の中に出たい、と願いますが、なかなかそのようにはなりません。時として、あまりのつらさに、何もかも―自らの命さえ投げ出したいと思い、あの十字架の主イエスのように、「神様、なぜ助けてくださらないのですか? どうして私をお見捨てになったのですか?」と叫ぶのですが、いいえ、その時こそ、神様は、あなたの最もそば近くにいて、愛するヒナをあらゆる敵からかばう親鳥のように、しっかりと覆っている時なのだ。神様の守りのみ手が確かであるほど、あなたには暗く感じられるのだと、身をもってそれを体験したコーリーは言うのです。

 あなたは今、暗闇の中にいますか? 忘れないでください。あなたをすっぽりと覆って、暗闇の中に閉じ込めているのは、あなたのために命を捨てるほど、あなたを愛しておられる主の翼であることを――。「もう大丈夫」、主がそう思われて、大きな翼を広げるとき、そこには、遥かなみ国まで続く、光り輝く大空が広がっているのだということを――。

 

(詩篇 57:1)

「神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。」

 

“When you are covered by His wings,

it can get pretty dark.” —Corrie ten Boom

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2016年

10月

19日

◆重すぎるものは持っちゃダメ◆

(コーリー・テン・ブーム)

「これは手放さなきゃ」ってことが、あなたにも分かるわよ。だって、それは重すぎるんだもの。
~コーリーおばさん訳~

 

あなたは、それを手放す必要性に気づくようになります。それが重すぎるという単純な理由によってです。
~標準訳~

 

(Ⅰペテロ 5:7) 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

 

You will find it is necessary to let things go, simply for the reason that they are too heavy.
-Corrie Ten Boom-
Cast all your care upon Him, for He cares for you! (1 Pet. 5:7)

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2016年

8月

24日

◆天国にないもの、あるもの◆

 

天国にパニックなんてないわよ!

 

神様に困った問題なんてないもの。

 

あるのはご計画だけ。

 

~コーリー・テン・ブーム~

 

 

 

There is no panic in Heaven! God has no problems, only plans.”

 

—Corrie ten Boom

 

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2016年

6月

19日

◆祈る必要ないものなんてあると思う?◆

 

祈りの課題にするには、あまりに小さな関心事ってことは、

 

小さすぎて“重荷”にも感じられないってことよ。

 

 

 

~コーリー・テン・ブーム~

 

 

 

【解説】 はい、今日のコーリーおばさんは、皮肉たっぷりに、私たちの愛の足りなさ、冷ややかさに気づかせようとしています。私たちをとりなしの祈りへと駆り立てる原動力は、魂への“重荷”です。重荷とは、その人の抱えている荷を、“自分の荷”として負うことです。そしてその原点は、言うまでもなくイエス様の十字架の愛にあります。

 

(Ⅰヨハネ 3:16 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」

 

これが、私たちが兄弟姉妹のために負うべき”重荷”の究極の姿です。その意味で、“祈り”とは“愛”と同義語なのです。もし私たちが、信仰者、未信者を問わず、あなたに関わりのある人の様々な出来事を、あなたの“祈り”から締め出しているとすれば、その人への愛の重荷をも放り投げてしまっていることになります。

 

キリスト者の人との関わりは、全てが“祈り”の中で、“祈り”を通して成り立っているという真実に、もう一度目を留めなければなりません。私たちのとりなしの祈りの世界に、“小さすぎる関心事”はただの一つもないのです。なぜなら、イエス様がその全てに目を留めておられるのですから――。

 

 

 

Any concern too small to be turned into a prayer is too small to be made into a burden.”

 

—Corrie Ten Boom

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2016年

6月

02日

◆”多忙”はサタンの罠ですよ◆

 

サタンはね、私たちを”悪者”にできないと分かると、“多忙”にしちゃうのよ。

 

 

 

~コーリー・テン・ブーム~

 

 

 

【解説】 生き残るための辛酸をなめたコーリーおばさんは、何が人をダメにするかも知り抜いた、“人生の師”でもありますね。よく言われるように、“忙”という字は、“人を亡(ほろ)ぼす”と書きます。人は多忙に陥ると、心身ともに疲労し、思考力をなくし、あるいは身体の異常を来したり、精神的に鬱を患ったりして、最悪の場合は過労死に追いやられます。ほんとに命を滅ぼしてしまうのです。私たちキリスト者の場合は、それに加えて“霊的な死”の危険性を伴います。忙しすぎて、神様との交わりから遠ざかり、生きる喜びも目的もいつしか失われて、信仰の破船に遭った人を、私はこれまで何人も見てきました。私たちは自分自身の霊的状態をいつもチェックして、たとえこの世的にどんなに成功したとしても、神様との親しい交わりが犠牲になっているとしたら、その回復のために、“第一のものを第一にする”ための決断をしなければなりません。今一度、”多忙”こそはあなたを滅ぼそうとするサタンの策略であることを、心に銘記しましょう。そして、”神の国と神の義”を第一に求めるために、主に在る勇気をもって全生活のパターンを組み立て直しましょう。たとえそのために犠牲にすべきものがあったとしても、あなたに本当に必要なものは、何一つ欠けることなく、神様がお与えくださるのですから――。

 

(マタイ6:33,34 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

 

 

 

If the devil cannot make us bad, he will make us busy.

-Corrie Ten Boom-

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2016年

4月

23日

◆予約もせずに王に会う人がいますか?!◆

 “自分が祈る気になったら祈る”なんてのはダメよ。

 王なるお方に会うにはきちんとアポを取り、それを守ること。

  

~コーリー・テン・ブーム~

  

【解説】 彼女、コーリーは、そうやって、つらく厳しい、明日をも知れぬ強制収容所の中で、毎日、毎時間、毎分、襟を正して王なるお方に“謁見”を求め、親しくお会いして窮状をつぶさに訴えたのです。

 祈りにおいて、神様との親密さは確かに大切な要素です。このお方は、私たちを“友”と呼んでくださる(ヨハネ15:15)、慈しみ深き友なるイエス(讃美歌312)なのですから。けれども、それは、あなたが自分の都合を中心にして、祈る気分になった時に、あるいは祈る必要があるからと、一方的に祈りを発信していいということではありません。人との関わりでも、「親しき中にも礼儀あり」と言うではありませんか。ましてや私たちの相手は、本当は、近づくこともかなわぬ聖なる高みにおられる方です。ただみ子のとりなしによって、大胆に近づくことを許されているご存在なのです。心の奥では、その事を夢忘れることなく、きちんと時間を取り、畏れを持ってみ前に出るのです。そして、忘れずに、このお方の言われることにも耳をそばだてつつ、願いでも、感謝でも、とりなしでも、心のたけを打ち明けることです。大丈夫、あなたがその敬けんさを持って祈るとき、このお方は「ダメ、今超多忙だから、あとで!」などとは決しておっしゃいませんから――。

  

Don’t pray when you feel like it. Have an appointment with the King and keep it.

-CorrieTen Boom-

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2016年

4月

17日

◆神の力と愛に限界を決めないで◆

 

神様の力を頂くのに大きすぎるということはなく、

 

神様の愛を示すのに小さすぎるということもないのよ。

 

 

 

~コーリー・テン・ブーム~

 

 

 

There is nothing too great for God’s power and nothing too small for His love.

-Corrie Ten Boom-

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2016年

3月

07日

◆”経験”を主にささげよ◆

 

私たちの人生の“経験”は、もし神様にそれらを用いていただくなら、神様が私たちにさせようとお与えになる仕事のために、なんとも不可思議で、完全な備えになるってことを、私は知ってるの。

 

~コーリー・テン・ブーム~

 

 

 

I know that experiences of our lives, when we let God use them, become the mysterious and perfect preparation for the work He will give us to do.

 

-Corrie ten Boom-

 

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2015年

10月

24日

◆三位一体の神様の愛だから◆

神様が、キリスト・イエスに在ってあなたに抱いている愛は、神様が、ご自身のみ霊を通して、あなたの心に注ぎ込もうとしている愛と同じなのです。

~コーリー・テン・ブーム~

 

"The love which God has for you in Christ Jesus is the same love that He will pour out into your heart through His spirit."

Corrie Ten Boom


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2015年

8月

18日

◆落とし穴に落ちても…◆

あまりに深すぎて、

神様の愛が届かないような“穴”は、

人生にはないのよ。

 

-コーリー・テン・ブーム

 

There is no pit so deep, that God’s love is not deeper still.

-Crrie Ten Boom

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2015年

4月

27日

◆死の収容所の証し人◆

"You know, eternal life does not start when you go to heaven. It starts the moment you reach out to Jesus. That is where it all begins!"

 ~ Corrie ten Boom

 

「ねえ、“永遠の命”って、私たちが天国に行ってから始まるんじゃないのよ。それは、あなたがイエス様を信じた瞬間に始まるの。全てはそこから始まるのよ。」(コリー・テン・ブーム)

 

【解説】作者は、第二次世界大戦中に多くのユダヤ人をナチスから助けたオランダ人クリスチャンで、ホロコースト生残者。彼女はその体験を、同名の映画にもなった自伝『わたしの隠れ場』の共著で著しました。死の収容所でも、ユダヤ人を愛し、福音を語り続けたキリストの証人の上記の言葉に、復活のイエスの言葉を重ねます。「ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」(使徒189)私たちもまた、あとに続く者として召されているのです、この日本に、愛する同胞の中に――。


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