2020年

4月

20日

◆豊かな霊性を培うために(2)◆

1.《あわれみとは》
“あわれみ”とは、
最高の姿の自分自身の
究極の表現です。
【解説】 何やら哲学的で聞き慣れない“あわれみ”の定義ですが、地上のイエス様のお姿を思い起こすと、よく分かります。神のみ子が、天の栄光を捨てて人となられたのは、ご自身を通して神様がどんなにあわれみ深いお方かを示すためだったと言っても過言ではありません。まさに地上のイエス様は、あの弱き者、病める者、虐げられた者へのあわれみを通して、“最高の姿の自分自身”を現されたのです。人間は、そこに“罪”が介在するので、それはともすれば独りよがりの自己顕示、おごり高ぶりとなってしまいますが、本当にこのイエス様の姿を着るとき、私たちもまた、自らの最も高められた愛の心を、“あわれみ”として他者に示すことができるのです。
Compassion is the ultimate expression of your highest self.

2.《どんな小さな光でも》
暗闇を照らすのには、
ほんの1つの明かりだけで十分です。
あなたがこの世で輝かす光を、
決して過小評価しないでください。
【解説】これも、皆さんがよく経験して分かる例えですね。暗闇がどんなに深く、また広範囲にわたっても、小さなキャンドル1本に火がつけば、暗闇は消え去るのです。そのすごさに、キャンドルは気づいていません。世の中が、精神的にも実際的にも、文字どおり灯(ひ)が消えたような今のこの時、あなたの語る励ましや慰めの言葉が、どれほど多くの人を勇気づけ、生きる希望を与えることか――。どうぞ、小さな光になってください。
It only takes one light to illuminate the darkness. Never underestimate the light you shine into this world.

3.《優しさ三態》
“言葉”における優しさは、“信頼と自信”を生み出します。
“考え方”における優しさは、影響力に“深み”を生み出します。
”与えること”における優しさは、“愛”を生み出します。
~老子~
【解説】現代にこそ求められるこの言葉が、紀元前6世紀の中国の賢人の口から語られたことに、心底驚かされますね。優しいひと言は、「この人に信頼していこう」「私でも生きていていいんだ」という確信を与えます。優しさのない思考は、どんなに論理的であろうと、冷たい、人を攻撃・批判するだけのもので、つかの間に消え去ります。優しい思考だけが、人の心に染み通り、根付き、自らの人生を深く考えさせ、与えられた生をとことん生き抜く勇気を与えます。与えるという行為を伴う優しさは、真の意味で、”愛”の具現化です。その優しさは、受ける人にも、それをまた他者に与えようとする新たな愛を生み出すのです。
Kindness in words creates confidence. Kindness in thinking creates profoundness. Kindness in giving creates love. – Lao-Tzu

4.《知識よりも、瞑想よりも、大切なもの》
考えなしの機械的な実践よりもいいのは、むしろ“知識”です。
知識よりもいいのは“瞑想”です。
けれど、それよりさらにいいのは、愛着心の“明け渡し”です。
なぜならそのあとには、速やかな“平安”が訪れるからです。
【解説】人間の生き方の、だんだん良くなる四段階。機械的実践⇒知識⇒瞑想⇒愛着心の明け渡し。最初の段階は、労多くして疲れるだけです。自分のやっていることの意味が分からないのですから。それをより有効に生かすために、いろいろと勉強して知識を増す。でも、ひととおり物事が軌道に乗ると、一生このままでいいのか、もっとやるべきことがあるのではないかという疑問がわき、瞑想にふける。瞑想は、より充実した人生のためには必須のものですが、そこで気づくのは、より高みに飛躍するのにブレーキをかけているものの存在です。それは、“これだけは”としがみついている、あなた自身の見えざる”偶像”です。それを神様に丸ごと明け渡すときに、私たちにとって何よりも必要で、どんなことがあっても奪われてはならない魂の平安に満たされるのです。この最後のステップもまた、これまで度々学んできた、let go“手放す”こと(神様のみ手の中に!)ですね。
Better indeed is knowledge than mechanical practice. Better than knowledge is meditation. But better still is surrender of attachment because there follows immediate peace.
(All 1-4 by Andrea's Celestial Vision Botanica & Candle Shop)

【FBギャラリー】No.133 エミリー・ヴァ―ノン「ミルクの時間よ」

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2020年

4月

17日

◆豊かな霊性を培うために◆

1.《最短の人生哲学》

あなたが“考える”ものに、あなたはなる。

あなたが“感じる”ものを、あなたは引き寄せる。

あなたが“想像する”ものを、あなたは創造する。

~仏陀~

【解説】仏陀は、仏教の教祖であると共に、偉大な哲学者でした。私たちの人生を振り返ってみると、本当にこのように生きてきたことに驚かされます。あるものはその途上かもしれませんが、私たちは、心に思い描くことを、行動で実現するように、神様に創られているのです。それを正しく用いて、主の栄光を現すのが、私たちの使命です。

What you think, you become. What you feel, you attract. What you imagine, you create. – Buddha

2.《最短の人生指標》

私たちは、傷つけるためではなく、人を癒やすために存在します。

私たちは、憎むためではなく、人を愛するために存在します。

私たちは、破壊するためではなく、創造するために存在します。

【解説】この3つ、ずばり「あなたは何のために生きるか」という神様の問いに対する答えです。ですからクリスチャン的に言えば、この「存在します」は、「生かされています」と言い換えたほうがより明確になります。どうでしょうか、あなたご自身の”生き方モットー”として、この3つ、一度声に出して言ってみませんか? そしてもう1つ、クリスチャン的には、この3つを統合する大目標があります。次のみ言葉がそれです。これも最後に、声に出して言ってみてください。聴き手は神様です!

(Ⅰコリント 10:31) 「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」

We are here to heal, not to harm. We are here to love, not to hate. We are here to create, not to destroy.

3.《失敗こそベストティーチャー》

あなたの最高の教師は、最近の失敗である。

【解説】ハハハ、言えてますね。失敗で時には大損しますが、この教師への授業料はタダです。だから、ここから学べない人は…サイテーの生徒です!

Your best teacher is your last mistake.

4.《ストレスはどこから?》

ストレスとは何でしょう?

それは私たちの“期待”と“現実”のギャップです。

ギャップが大きければ大きいほど、ストレスも大きくなります。

だから何も期待せず、全てを受け容れることです。

【解説】あまり簡単明瞭すぎて、少々拍子抜けしましたか? あるいは重いストレスを抱えている人は、「人をバカにしてる」と少しばかり頭に来ましたか? でもこれは、あらゆる角度から“ストレス”の正体を医学的、心理学的に研究した結論なのです! ですから、最後の1行を、どうぞじっくりかみしめて、実行なさってください。

What is stress? It’s the gap between our expectation and reality. More the gap more the stress. So expect nothing and accept everything.

5.《「我が道を往く」ことの大切さ》

大衆(大多数の人々)のあとに従う人は、普通、その大衆よりも先まで行くことはない。

一人“我が道を往く”人は、往々にして、自分がいまだかつて誰も行ったことのないところに来ていることに気づくものだ。

~アルバート・アインシュタイン~

【解説】相対性理論という、人類史上誰もなしえなかった宇宙万物の理(ことわり)の基となる理論を打ち建て、ノーベル物理学賞に輝いたアインシュタインのこの言葉は、言うまでもなく自分のことを言っているのですね。人と和して、共に生きることは世界平和のために大切です。でも、そうしながらも一方で、一人黙々と一つの道を究めていくことは、人類のより良い未来のために必要なのです。私たちは、彼をはじめそのような歩みをした人々の計り知れない恩恵に負うています。

The one who follows the crowd will usually go no further than the crowd. Those who walk alone are likely to find themselves in places no one has ever been before. – Albert Einstein

6.《霊的注意深さとは?》

“霊的注意深さ”とは;

・自分の人生を、起こるままに観察すること。

・現在の状況を、批判したり、もがき苦しんだりしないで受け入れること。

・いろいろな感情の存在を、行動に駆り立てさせることなしに許すこと。

・いろいろな考えを、それらに巻き込まれることなしに、起こるがままに認めること。

・古い習慣からとか、目先の便利さのゆえにでなく、心に感じることに基づいて行動すること。

【解説】“霊的注意深さ”と訳したmindfulnessマインドフルネスは、高い意識を持って物事を心に留め、忘れずにいること(意識集中)です。そこには、2つのことが求められます。1つは、どんなことが起こっても心を騒がせずに事実を受け止める“客観性”、もう1つは、起こったことの“意味”を深く思い巡らすことです。私たちの場合は、それは祈りとみ言葉を通して、神様に聴くことですね。「神様、なぜこのようなことが起こったのでしょうか?」「神様、私は何をしたらいいのでしょうか?」 これらの問いに、神様は、内なるみ霊の強い確信と促しによって、答えてくださいます。それに従うとき、私たちの注意深さは、優れて“霊的”になるのです。

What is mindfulness?

Mindfulness is... Observing your life as it is happening. Accepting your current situation without judgement or struggle. Allowing feelings to exist without letting them drive your actions. Noticing thoughts as they arise without the need to buy into them. Taking action based on what you feel in your heart rather than old habits or short term convenience.

7.《“脱離”の祝福》

“脱離”とは、自分の感情を、それに支配されることなしに、体験して知ることです。

私たちは、一歩下がって物事を客観的に見ます。

私たちは、自分では変えることのできないものを、手放し、あるいは受け入れます。

私たちは、他者の霊的働きは、自分のすべきことではないと知り、その働きを選ぶことから離れ(脱離)ます。

私たちは、ただ反応するよりむしろ、自分が行動すべきことを選びます。

私たちは、どんなに渇望するものでも、有害なものからは離れます。

”脱離”とは、思いもしなかった他者の怒りに対する、“平安と忍耐の深呼吸”です。

私たちは、我を忘れて夢中になることなく、聴くことができます。

“脱離”があれば、私たちは自分の過ちをあるがままに見つめ、それを改め、新しくスタートすることができます。

”脱離”は、”この世に在って”、“この世のものではない”生き方を可能にします。

それは、私たちを、“恵み”のうちに生きる道へと解き放つのです。

【解説】“脱離”という聞きなれない言葉の原語は、detachmentデタッチメントで、他に「分離、超然、無関心」とも訳されます。あるものから抜け出し、離れることです。これは、直前の6.「霊的注意深さ(意識集中) mindfulness」や、昨日の5.「心の締め切り(閉包) closure」と姉妹編で、いずれも心理学の用語です。今日の“脱離”も、一見難しそうですが、ここに書かれたことを”深呼吸”して読めば、なんとなくでも(!)言わんとしていることが分かるでしょう。それだけでなく、これが実は私たちの霊性を深め、豊かにするために、極めて大切なことも分かってきます。なんとなれば、私たちがこの世に在って、この世にない者のごとく生き、この世の律法から解き放たれて、恵みの中で自由にはばたくことは、イエス様の教えられた、キリスト者の生き方の“奥義”だからです。

(ヨハネ15:19) 「もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。」

Detachment

Detachment is experiencing our feelings without allowing them to control us. We step back and look at things objectively. We let go and accept what we cannot change. We detach from others' choices, knowing that their spiritual work is not ours to do. We choose how we will act rather than just reacting. We step away from harmful cravings. Detachment is a deep breath of peace and patience in response to unexpected anger. We can listen without losing ourselves. With detachment, we see our mistakes honestly, make amends and start afresh. Detachment allows us be in the world but not of it. It frees us to lead our lives with grace.

(All 1-7 by Universal Awakening)

 

【FBギャラリー】No.132 アレグザンダー・ズダノフ「窓辺の花」

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2018年

8月

31日

◆ブラザー・ローレンスの信仰◆

① 鍋釜や全ての台所用品の主よ、私を、食事を作り、皿を洗うことを通して聖徒にしてください。

Lord of all pots and pans and things… Make me a saint by getting meals and washing up the plates.

 

② 昼も夜も、仕事のときも余暇のときも、絶え間なく神のことを思いなさい。神は、どんなときも、あなたのそばにあり、あなたと共におられます。このお方を独りにしてはいけません。

Think often on God, by day, by night, in your business and even in your diversions. He is always near you and with you; leave Him not alone.

-Brother Lawrence-

 

【解説】 “台所の聖徒”と言われた、17世紀フランスの修道士、ブラザー・ローレンス。この2つの言葉から思い浮かぶ彼の生き方は、生活と信仰が、離れがたく一体となっていたということ。言葉を変えるなら、“聖と俗”の区別が一切なかったということです。“俗”のただなかに“聖”があったのです。そして、限りなくへりくだって、修道院の料理人として他の修道士たちの食の必要に仕えながら、彼の心はいつも主と共にある喜びに満たされていました。彼は、一日24時間、目には見えないだけで、彼のすぐそばにおられる神の“臨在”の中に、このお方と親しく語り合いながら生きたのです。彼の存在は、私たちが求めてやまない真の“霊性(Spirituality)”とは何かを、今も静かに語りかけてきます。

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2017年

1月

05日

◆新年に気をつけたい2つの徴候◆

聖霊なる神が人に自分自身を見せてくださるときは、ひそかに高く評価していた自分自身にほとほと嫌気がさすものだ。

 

私たちの“祈りの膝”が弱くなるときは、あなたが“全人的”に弱くなっているしるしである。

 

【解説】 “警告者”スポルジョンの毒舌…ならぬ鋭舌はなおも続きます。この徴候、前者は「潜在性自己過大評価症」、後者は「霊的膝関節症」と申しまして、そのままにしておきますと、私たちの信仰生活に重大な支障を来します。両者に共通しているのは、内なるみ霊のご支配の不十分さ、あるいはさらに進行すると欠如です。それに代わって、この世の様々な思い煩いや、外面的な成功による自己過信が、いつしか私たちの心の領域を大きく占めるようになっていくのです。最も効果的な治療法は、ズバリ“祈る”ことしかありません。示された罪は悔い改め、生活全般の中に、そしてあなたの心の王座に、聖霊なる神様のご支配領域をしかと定め直すことです。

 

(詩篇139:23,24) 「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」

 

When God the Holy Ghost gives a man a view of himself, he is utterly loathsome in his own esteem.
When we grow weak on our knees it is a sign of weakness throughout the entire man.

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2017年

1月

02日

◆去年学んだ2つのこと◆

私は、2016年に2つの大きなことを学びましたので、皆さんにもお分かちしたいと思います。

 

1. “誇張”したがる人にお気をつけなさい。とりわけ、自分の霊性、信仰、信条などについて大げさに言う人。しゃべりすぎる人。現実に対しては、しばしばゆがんだ見方をしながら、自分の信仰に関しては、いつも心地よく甘美な話をする人々からは遠ざかることです。彼らの言葉は、耳にはすばらしく聞こえるかもしれませんが、彼らの現実の生活ぶりは、逆のことを語っているのです。

 

2. 他の人々について、いつも悪く、否定的なことばかり言う人にお気をつけなさい! 彼らはいつでも、自分を“被害者”として演ずることによって、周りの全ての人を悪者にするのです。ですから、あなたは誰かと二度以上会って、彼らが同じように他人を悪く言っているようなら、私のご忠告はこれです。「彼らをお避けなさい。」

 

この一年、あなたが学ばれたのは、どんなことですか? よければどうぞご自由にご投稿なさって、皆さんでその恵みにあずかりたいと思います。

~サミュエル・C・リー~

 

Two big lessons I have learned in 2016, and I would like to share them with you.
 1 Be careful with people who exaggerate; especially run away from those who exaggerate with their spirituality, faith or religion. Those who talk too much. Those who always give you a sweet and sugary talk about their faith, have often a distorted view of reality. Their words may sound great to the ears, but the reality of their lives tells the contrary.
 2 Be careful of those who constantly talk bad and negative about other people! They often portray themselves as victims, whereby everyone else is wrong. Therefore, when you see someone more than twice, and they still talk negative about others, my advice would be: avoid them.
 -- Samuel C. Lee
 What lessons did you learn? Feel free (if possible) to share them with us so that we will all benefit.

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2016年

1月

03日

◆霊性の”驚くべき”尺度◆

 

私たちの“霊性”を計る究極的なテストは、神の恵みに対しての私たちの“驚き”の尺度が、どれほどかということである。 

~マーティン・ロイドジョーンズ~ 

 

【解説】 さすがはロイドジョーンズ、目の付け所が違いますね。私も一読して、「なるほど!」とうなりました。“スピリチュアリティー 霊性”という言葉は、昨今のキリスト教界の“流行語”の観を呈しています。そして私たちのイメージはと言えば、ともすると、一日に数時間の霊想書の読書と祈りと黙想の結果培われた、えも言えぬオーラに包まれた高潔なる人物像を想像し、「私など、とてもとても…」と引いてしまいがちですが、この“驚くほど”シンプルにして簡明な霊性の尺度はどうでしょう! 公式ふうに言い直せば、「霊性は、神の恵みに対する驚きの大きさに比例する」ということです。真の霊性は、限りなく深い半面、一日に何回となく、どんなにささやかな取るに足らないことの中にも、神のみ業の周到さ、完全さに驚きと感動の目を瞠(みは)るので、絶えず、一瞬一瞬更新されるほど新しいのです! もう一つ、自分自身に対する”警告”として付け加えますと、ここにおける“驚き”の反対語は“無反応”であり“慣れ”です。これが、私たちの霊性の深化を妨げている、最大の問題であると知りましょう。ついでながら、そこから脱却するために、この霊的不感症に対して大きな効果をもたらす”驚き”の類似語、親類語をも挙げておきます。それは“感謝”です。神のみ業への”驚き”は、どんなときでも“感謝”と直結しているのです。 

 

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。 

主のあわれみは尽きないからだ。 

それは朝ごとに新しい。 (哀歌32224節) 

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇 103:2 

 

The ultimate test of our spirituality is the measure of our amazement at the grace of God.

 

-Martyn Lloyd-Jones

 

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2015年

12月

21日

◆深みに漕ぎ出せ◆

神様は、救いを必要としている人には、それをお与えになりますが、そのみ心の深いところにあるものについては、それがなければ生きることを拒むほど、飢え渇いている人々にお与えになるのです。

 

~マイク・ビックル~

 

 

 

【解説】 救いは、それを求める全ての人に平等に与えられますが、神様の隠されたみ心、”奥義”については、ちょうどペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人が特別にイエス様の救いのご経綸を変貌の山で見せていただいたように、

 

どんなときにも神様のみ心を飢え渇くほどに第一に求め、その確信が与えられない限り、決して前には進むまい、キリスト者とし生きることすらすまいと固い決意を秘めた人に、お与えになるというのです。ひとたび救われた私たちは、この霊の深みを目指して、漕ぎ出さねばなりません。

 

 

 

God gives salvation to the needy, but gives the deep things of His heart to the hungry who refuse to live without them.

 

-Mike Bickle-

 

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2015年

9月

30日

◆最上の感情コントロール◆

私たちの感情は、一生懸命に努力して変えられるものではなく、よりはっきり見ることによって変えられるのです。

~マイク・ビックル~

 

【解説】 なかなか意味深長な言葉ですね。ここで言っている“感情”は、変えるべきものですから、“悪しき感情”です。例えば(マルコ7:21-23「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(ガラテヤ5:19-21「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。」の中にある、「ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさ、敵意、争い、そねみ、憤り」といった感情のことです。まだ信仰を持っていない人の場合は、ある意味、このような悪感情が支配する中で生きているとっても過言ではありませんが(そのおかげで?、映画もドラマも成り立っています!)、イエス様に救われたクリスチャンも、しばしばこの思いに捉われて苦しむことがあります。他人ごとではないのです。原因は私たちのうちに住む”肉”、聖霊によって完全に支配されていない生まれつきの性質のなせる業です。そこでビックルは、「よりはっきり見なさい」と勧めます。何を? イエス様のみ姿です! パウロは、上記の”肉”の感情に続いて、“み霊の実”を挙げていますね? 

(ガラテヤ5:22-26 「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。」

これは、イエス様のみ霊の実であり、福音書に描かれたイエス様のご生涯の、一つ一つのエピソードの中にありありと描かれた、慕わしい、“良き感情”です。祈りの中で、日々み言葉に親しみ、よりはっきりと「この方を見る」(ヨハネ195)のです。そして、このお方のかたちが、少しずつ、少しずつ、生涯をかけて我がうちに成るまで、パウロと共に私たちも“生みの苦しみ”をしなければなりません(ガラテヤ418)。

愛する友よ、肉の努力はもはやおやめなさい。そして、イエスのみ霊に、全てをお委ねなさい。キリストの麗しいみ姿を自分の中に思い描き、そのみ姿に少しずつ変えられていく自分をイメージなさい。そのときに、本当に不思議なことですが、あなたの語る一言一言、さりげない行為の一つ一つが、変わっていくのがお分かりになるはずです。あなたがみ霊によって導かれ始めた証拠です。そのときに、私たちに約束されているこのみ言葉は、あなたのうちに、私のうちに成就します。神様の祝福がありますように――。

(Ⅱコリント 3:17,18 「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

 

Our emotions are not transformed by trying harder, but by seeig more clearly.

-Mike Bickle-


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