2020年

3月

03日

◆赦しは あなたを自由にする◆

恨みを抱くことは、

あなたを強い人にはしません。

それはあなたを憎悪の“虜”にするだけです。

赦すことは、

あなたを弱い人にはしません。

それはあなたを“解放”するのです。

Holding a grudge doesn’t make you strong. It makes you bitter. Forgiving doesn’t make you weak, it sets you free. (by The Moment of Calm)

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2020年

1月

27日

◆後悔なき人生を送るために◆

ほんの瞬き一つする間に、

全てのことが変わりうるのです。

だから、たびたび赦すことです。

心を込めて愛することです。

そのチャンスは、もう来ないかもしれないのですから――。

【解説】 たびたび私事ですみません。三浦綾子さんではありませんが、“病気の問屋”のような妻と結婚し、49年間を共に過ごしました。何度も何度も病む妻に寄り添い看病しましたが、それでも私のスケジュールの中に、“妻の死”という選択肢は、一切ありませんでした。夢の中にさえ出てきませんでした。私の予定表では、その“時”は、どんなに早く訪れたとしても、まだ10年先、それも、十分な看病を尽くし、感謝と別れの言葉を言ったあとでした。それが1年前、妻は突然心肺停止で倒れ、一夜で天に帰ったのです。それからの1年、そしてこれからも、何がつらいかと言ったら、愛する者がもはやいないという事実そのものではありません。赦すべきことを赦し、謝るべきことを謝り、まだまだ足りなかった愛を言葉や行為で伝える機会を、永遠に失ってしまったということです。

どうぞこの格言を軽く、他人事に考えないでください。あなたの人生でも、”瞬き一つ”する間に(これが”瞬間”です!)、全ては変わるかもしれないのです。人を赦すこと、謝ること、愛することに、“明日”や“そのうち”という、決して訪れない時を待たないでください。

In the blink of an eye, everything can change. So forgive often and love with your whole heart. You may not have this chance again.

(by Beary Cute Inspirations by Lissa)

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2019年

11月

28日

◆”神から目線”の信仰◆

1.《私は神に愛されている》

私たちは、み父の愛を体験するために創られました。私たち一人一人は、この世で追い求める一時的なもの(たとえそれが、最も情熱的な恋愛や、スリルに満ちた冒険であっても)によっては決して満たされることのない、ただ一つの切なる願いを内に持って創造されたのです。

神様、私たちの心を、あなたの愛の深さをもってつくり変えてください!

【解説】 「神の愛を知る」――これが、私という存在が、この世に生まれた唯一の目的であり、意味です。この格言は、「私に対する創造者としての神の愛を知りたい」という私たちの切なる願いを、神様は、あらかじめ私たちの情緒細胞の中に組み込んで、命を与えてくださったという、驚くべき真実を告げてくれます。アウグスティヌスは、著書「告白」の中で、「神よ、あなたが私を創られました。ですから、あなたのもとに憩うまでは、私の心は安きを得ません」と祈りました。また彼は、「「愛に満たされる者は神ご自身に満たされる」とも言っています。私たちは、「神は私をこれほどに愛しておられる」ということを、あのみ子イエス・キリストの十字架のうちに知ったとき、始めて神のみ懐に憩い、魂に深い安らぎを得るのです。

We were made to experience the Father's love. We are each created with a unique longing that can never be filled by the temporal things we chase after in this life—even the most passionate romance or thrilling adventure. God, transform our hearts with the depth of Your love!

 

2.《私は神に喜ばれている》

全ての人間にとって、最も大きな情緒的必要は、たとえ弱さの中にあっても、“自分が神に喜ばれている”という確信です。私たち全ては、“神は私たちの存在に大きな満足を覚え、喜んでおられる”ことを知りたいという願望を内に持って、創られたのです。

【解説】 これは、1.と不可分の格言です。信仰の世界は、“私が神をどう愛し、喜ぶか”について思索する世界です。けれど本当に信仰が深められ、昇華されるのは、“神は私をどう愛し、この存在をどう喜んでおられるか”を知ることなのです。私たちは、理性的欲求を満足させるために知識を蓄えますが、それよりもはるかに大きな欲求は、「私は神に愛され、喜ばれている」ということを、頭ではなく、心で確かめたいという欲求です。信仰の世界は、その真実を、み言葉と祈りの中で、教えられ、感謝し、新たな明日に向かっていく一日一日で成り立っています。

The greatest emotional need for all humans is the assurance that they are enjoyed by God, even in their weakness. We were all created with a longing to know that God delights in us and enjoys us.

 

3.《私は神に赦されている》

神は、あわれみを大いに喜ばれます。神は、“あなたを赦す”という一事に対する喜びに、圧倒されておられます。しばし、この真実に思いを深めてみましょう。あなたが、正直に、心からの悔い改めをもって、神のみ前に出るとき、神様は直ちにこう決められるのです。「私は、我が子を赦す。私は、我が子をこの胸に抱く。私は、この愛をもって我が子を洗い清めよう。」

~スティーヴン・ビューチャンプ~

【解説】 神様が、悔い改めた罪びとの私たちを、これほどの大きな喜びをもって赦されるとは、正直、考えたこともありませんでした。お読みになった皆さんも、きっと砂のでは、と思います。私の目には、あのルカ19章の、大きな手を広げて放蕩息子を抱き抱える父の姿が彷彿してきました。これを知った私たちは、善き業だけではなく、悔い改めることにおいても、神様を大いに喜ばせなければなりませんね。

(Ⅰヨハネ 1:9) 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

God delights in mercy. He gets overwhelmed with delight at the very thought of forgiving you. Let that sink in for a while. When you come to Him in honest, sincere repentance, His reaction is, 'I get to forgive My child. I get to hold him. I get to wash him in My love.'

—Stephen Beauchamp

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2019年

9月

16日

◆愛なしに赦しなし◆

(ヨハネ 8:11) 「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」

 

私たちが罪に陥るとき、

神様は無条件の赦しを与えてくださいます。

それはただ、神がどれほど私たちを愛しておられるかを

証明しているにすぎないのです。

"And Jesus said, 'Neither do I condemn you; go your way. From now on sin no more.' "

📖 John 8:11

When we fall and then receive God's unconditional forgiveness, it only proves how much He loves us.

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2019年

2月

14日

◆忘れずにいたい”赦し”についての3か条◆

1.《“赦し”は たまもの》

あなたが、

あなた自身に与えることのできる

大いなるたまもの、

それは“赦し”です。

誰であれ、赦しなさい。

~マヤ・アンジェロウ~

It's one of the greatest gifts you can give yourself, to forgive. Forgive everybody. ~Maya Angelou~

 

2.《“赦し”は未来を変える》

あなたが赦すとき、

それで“過去”を変えることはありませんが、

間違いなく“未来”を変えるのです。

~バーナード・メルツァー~

When you forgive, you in no way change the past - but you sure do change the future. ~Bernard Meltzer~

 

3.《三つの内なる力》

あなたが、どんなときでも持つことのできる

力強い三つの“内なる資産”を決して忘れないでください。

それは、“愛”と“祈り”と“赦し”です。

~H・ジャクソン・ブラウン Jr.~

Never forget the three powerful resources you always have available to you: love, prayer, and forgiveness. ~H. Jackson Brown, Jr.~

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2017年

11月

16日

◆”赦し”に関する大事な2章◆

💓第1章 ~愛と赦し~

赦しのない愛などというものはないし、

愛のないところに赦しもまたないのです。

~ブライアント・H・マッギル~

 

【解説】 “赦しのない愛”があるとすれば、それは見せかけの愛、寛大さを装った愛、上から目線の愛です。そのほほえみの背後には、氷のように冷たい“赦さない心”があるのです。

また愛がなければ、決して心から人を赦すことはできません。ある人が言いました。「あなたを赦すわ。でもあなたのしたことは一生忘れないから」。これは、立場上強いられた赦し、相手をひそかに憎んだままの赦し、時には赦したことを後悔さえする偽りの赦しです。

”赦す”とは、“愛する”ということのコア(核心)を成す行為で、強い意志による決断を伴います。言葉や口先の世界では軽々に使えない言葉なのです。

“赦す”ことは、己の自我が打ち砕かれたときに、初めて可能になります。キリストのようにへりくだることが喜びになり、そこではもはや、相手を赦す言葉は、自分の非を進んで告白し、相手の赦しを請う言葉になります。そのとき初めて、あのイエス様の十字架の愛は、あなたのうちに確かに“受肉”したのです。

 

There is no love without forgiveness, and there is no forgiveness without love.

~Bryant H. McGill~...

 

💓第2章 ~赦しと平安~

“赦す”ことは、必ずしもたやすいことではありません。時として、自分に傷を与えた人を赦すことは、自分が苦しんだ傷そのものよりも、より痛みを感じるものです。それでもなお、“赦し”のないところに“平安”はないのです。

~マリアン・ウィリアムソン~

 

【解説】 ”赦す”ことは、相手から受けた傷を忘れることです。その傷は、時に相手の言葉によって、態度によって、あるいは行為によって負いますが、この順番で深くなるとは限りません。場合によっては、相手の何気なく語ったひと言が、立ち上がれないほどの痛みとなって心に突き刺さることもあります。そんなとき、心の中は煮えくり返るようで、とても赦す気にはなれません。ある意味、”赦す”ことの大変さに比べたら、相手から受けた傷の痛みに耐えているほうが楽であり、むしろ快さを感じることさえあります。それは、そんな自分が、けなげで、いとおしいからです。「あの人のせいで、私はこんなに苦しんでいるのだ」という自己愛で固められた自我を、そっと撫でてあげていればいいのですから。この“赦す苦しみ”とは、“自我を砕かなければならない苦しみ”です。信仰の世界で、これほど苦しいことはありません。これほどエネルギーを要する神の訓練はありません。これを、自分の肉の力でやろうと思ったら、地獄です。このときこそ、キリストのみ霊のご介入が必要なのです。あなたのすることは、このお方の前に、ありのままの醜い姿を全てさらけ出して、「主よ、私のかたくなな心を砕いてください。愛のない私を赦してください。十字架の上で、「父よ、彼らを赦してください」と祈られた、あなたの愛を注いでください」と祈る他ありません。あとのことは、神の領域です。人をつくり変えるのは、神様の主権のみ業なのです。そして、そのお力によって、相手の人を赦せたときの“心の平安”こそ、他の何ものにも代えがたい“スピリチュアルギフト”(霊のたまもの)と言えるでしょう。

 

 最後に、当たり前のことですが、第1章があって、この第2章があります。赦しは己に死んで初めて可能になります。そして己に死ぬ苦しみのあとに、全き平安が訪れます。この平安を、どんなことがあっても失ってはなりません。なぜなら、あらゆる信仰生活の祝福は、そこに始まり、そこに終わるからです。

 

Forgiveness is not always easy. At times, it feels more painful than the wound we suffered, to forgive the one that inflicted it. And yet, there is no peace without forgiveness.

~Marianne Williamson~

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2017年

6月

10日

◆赦すということ◆

誰であれ、

あなたを苦しめ、傷つけた人を

赦しなさい。

 

“赦し”は他者のためではないということを、心に留めておきなさい。

それは、あなたのためです。

“赦し”は、“忘れる”ことではありません。

“怒りを抱かずに覚えている”ことです。

”赦し”は、あなたの力を解き放ち、

あなたの体と心と魂を癒やします。

”赦し”は、あなたに何が起こったとしても、

変わらずとどまり続けることのできる、

新たな“平安の場所”への

道を開いてくれるのです。

~レス・ブラウン~

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2017年

4月

26日

◆赦すときに…◆

“赦し”のあるところ、あなたはもはや“犠牲者”ではありません。

 

"With forgiveness you are no longer a victim.'

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2016年

11月

26日

◆赦すということ◆

“赦し”とは――
古い出来事に自ら終わりを告げることです。
それによって、現在のことに身を入れ、
過去の“汚染”から自由になることを可能にするのです。
~ジュアン・ボリセンコ~

 

"Forgiveness is the finishing of old business that allows
 us to experience the present,free of contamination from
 the past." ~Juan Borysenko

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2016年

8月

03日

◆魂のために泣いたのはいつのこと?◆

 

ああ、そんなに不信仰になりたもうな。それよりは信じてほしい、信じるべきなのだ

 

ああ、私に人を信仰に導く力があったならば!。

 

神は知りたもう。あなたの魂を勝ち取るために、私は自ら涙するのをためらわないことを――。

 

 

 

【解説】 最初の1行は、あのイエス様の「ああ、エルサレム、エルサレム」という悲痛な叫びを思い起こさせます(マタイ2337)。頭の中の神学知識だけではなく、魂のためにいつも熱い思いを持っていたスポルジョンの面目躍如たる一文ですね。翻って、信仰歴こそ長いですが、私が魂の救いのために涙を流して祈ったのは、いつだったろうと、心を探られることです。この熱い思いを失ったとき、私の信仰も命を失うのです。

 

 

 

Oh be not so faithless, but rather believe. Oh! had I the power, God knows I would weep myself away in order to win your souls.

 

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2016年

8月

01日

◆あなたの罪は覚えていない◆

 

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆

 

Charles Spurgeon The Prince of Preachers

 

―あなたの罪は覚えていない―

 

 

 

キリスト者は、多くの告発者を持っている。サタンはやってきて、こう言う。「あの男は大変な罪人です。」「私は覚えていない」と神は言われる。「あの人はあなたに反抗しました。そして呪ってますよ」と告発者。「私の記憶にはない」と神が言われる。「その人の罪は忘れようと言ったから。」 良心がこう言う。「なんと! だが主よ、これは本当です。私は確かにあなたに対して罪を犯しました。それも最もひどいやり方で。」「それも覚えてはいないね」と神は言われる。「その人の罪は忘れようと言ったから。」 奈落の穴の中の全ての悪魔どもをして、神の耳にわめき立てさせよ。そして彼らをして、我らの罪のリストを猛烈な勢いで叫び立てさせてみよ。我らはその大いなる日に、大胆にみ前に進み出るのだ。そして歌う。“神の選ばれし者に、何らの罪を帰せんとする者は誰ぞ?”と。なぜなら、神は彼らの罪をもまた覚えてはおられないからだ。この裁き主が覚えておられない罪を、一体誰が罰しようというのか?

 

 

 

The Christian will have many accusers. The devil will come and say “that man is a great sinner” “I dont remember it,” says God. “That man rebelled against thee, and cursed thee,” says the accuser. “I do not remember it,” says God, “for I have said I will not remember his sins.” Conscience says, “Ah! but Lord, it is true, I did sin against thee, and that most grievously.” “I do not remember it,” says God- ”I said, I will not remember his sins.” Let all the demons of the pit clamor in Gods ear, and let them vehemently shout out a list of our sins, we may stand boldly forth at that great day, and sing, “Who shall lay anything to the charge of Gods elect?” for God does not even remember their sin. The Judge does not remember it, and who then shall punish?

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2016年

7月

27日

◆あなたの罪を赦すお方はオンリーワン◆

 

もし神が「私はあなたを赦す」と言われたら、それで十分なのだ。神ご自身が満足なさるほど十分にお赦しになれるのは、神だけなのである。なぜなら、人間のいかなる赦しも、苦悩する良心の痛みを和らげることはできないからだ。

 

 

 

If God says, I forgive thee, that is enough. It is only God that can forgive satisfactorily; because no human pardon can ease the troubled conscience.

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2016年

7月

19日

◆無罪放免のありがたさ◆

 

イエス・キリストは私たちの罰を負ってくださった。それゆえ神は、私の代わりにキリストが貴んだ律法の要求を、私の手から求められることは決してない。さもなければ天において不法が行われることになる。それは到底神の認めるところではない。罪赦された者が失われることが不可能なのは、キリストが失われることがありえないのと同じだ。なぜならキリストは、罪びとたちの保証人であられるからである。

 

 

 

Jesus Christ bore our punishment, and God will never require at my hands the fulfillment of that law which Christ has honoured in my stead; for then would there be injustice in heaven: and that be far from God. It is no more possible for a pardoned man to be lost than for Christ to be lost, because Christ is the sinners surety.

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2016年

6月

29日

◆何が”不和”を生み出すの?◆

 

“不一致”が“不和”を生み出すのではありません。

 

“赦しの欠如”が、“不和”を生み出すのです。

 

~ローレン・カニンガム~

 

 

 

【解説】 「不和」、イヤな言葉です。イヤなのに、私たちの周りに蔓延していませんか? 夫婦の間に、家庭に、隣近所に、会社の中に、国家間に、そして残念ながら、クリスチャン同士、教会の中にも――。

 

「不一致」と訳した原文disagreementディスアグリーメントには、他にも「不調和、食い違い、意見の相違」という意味があります。一方、「不和」と訳したdisunityディスユニティーには、「統一の欠如、分裂」という意味も。訳語を変えれば、「食い違いや意見の相違が分裂を生むのではない」となります。でも、ほとんどの人が不和や分裂の原因は、不一致や意見の相違だと考えているのです。もしそうだとすれば、私たちが住みやすい、喜びと調和に満ちたコミュニティーをつくるのは永遠に不可能です。本来、多様な考え方や意見は、一つの群れが、より広い、グローバルな目的に向かって、違いを抱えたまま進んでいくダイナミックな力を内包しているものです。それは、“多様性”の持つ価値を評価し、相手の意見の中にも一理あることを素直に認めて、お互いに受容できる心の備えが、一人一人の中にできているときに初めて可能になります。それを妨げているのは、私たちのうちに潜んでいる、“自分だけが正しい”という独善性であり、聖書の言葉で言うなら自己中心の“罪”です。この罪が、相手のどんな小さな意見の相違をも受け入れることができず、弱さゆえに冒してしまう過ちを我慢できずにとがめてしまうのです。そこからは、”不和・分裂”という泥沼の争い以外に、何も生まれては来ません。

 

“不和”を生み出す本当の原因、それは、私の中にある“赦せない心”であることを、私たちは神様のみ前に素直に打ち明ける必要がありますね。そして、「主よ、私にはない、あなたの“赦しの心”をお与えください。」と祈らねばなりません。

 

 

 

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3:1314

 

 

 

Disagreements don’t cause disunity; a lack of forgiveness does.”

 

—Loren Cunningham

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2016年

3月

29日

◆私の罪を洗い流してくれるのは?◆

ただイエスの血潮のみ

 

ある晩の教会の夕拝で、ある若い女性が、彼女の心を引き付ける神様のご臨在を感じました。彼女は神様の招きを受け入れ、イエス様を主また救い主として受け入れました。

 

 

 

その若い女性は、アルコールと麻薬と売春のとても荒れた過去を持っていました。でも、彼女の変化は明らかなものでした。時がたつにつれて、彼女は忠実な教会の会員になりました。彼女は次第に若い子どもたちに教える働きにも関わるようになりました。

 

 

 

ほどなく、この誠実な若い女性は、牧師の息子の目と心を捉えました。二人の関係は深まり、結婚式の計画を相談し合うほどになりました。その時に問題が起こりました。そう、教会員の半数ほどの人々が、そんな過去を持つ女性は、牧師の息子にはふさわしくないと考えたのです。

 

 

 

教会は、その問題について議論し争うようになりました。それで彼らは、会合を持つことにしました。議論しているうちに緊張は高まり、会合はもう完全に手が付けられないほどになってしまいました。その若い女性は、彼女の過去が洗いざらい明るみに出されるやり方に、とてもいきり立ちました。彼女が泣き始めた時、牧師の息子が立ち上がって口を開きました。彼は、妻となる人の心にのしかかっている痛みに耐えられませんでした。彼は話し始め、その内容はこうでした。

 

 

 

「ここで裁かれているのは、私の婚約者の過去ではありません。皆さんが問題にしてるのは、罪を洗い流すためのイエス様の血潮の効力です。今日、あなた方は、”イエス様の血潮”について審議しているのです。そこで、主の血潮は、罪を洗い流せるのですか、それともできないのですか?」

 

 

 

全ての会衆は、主イエス・キリストの血潮を辱めていたことに気づいて、泣き出しました。あまりにしばしば、クリスチャンとしてでさえ、私たちは、”過去”を持ち出し、それを私たちの兄弟姉妹に対する“武器”として利用するのです。”赦し”は、私たちの主イエス・キリストの福音の、とても基本的な部分を成しています。もしイエス様の血潮が他の人を完全に聖めることがないとすれば、それは私たちをも完全に聖めることはできないのです。もしそうだとすれば、私たち全ては、大きな災いに巻き込まれるでしょう。

 

 

 

何が私の罪を洗い流してくれるのですか? イエス様の血潮のの他にはありません!

 

 

 

"What can wash away my sins? Nothing but the blood of Jesus!"

 

One night in a church service a young woman felt the tug of God at her heart. She responded to God's call and accepted Jesus as her Lord and Savior.

 

The young woman had a very rough past, involving alcohol, drugs, and prostitution. But, the change in her was evident. As time went on she became a faithful member of the church. She eventually became involved in the ministry, teaching young children.

 

Before long this faithful young woman had caught the eye and heart of the pastor's son. The relationship grew and they began to make wedding plans. This is when the problems began. You see, about one half of the church did not think that a woman with a past such as hers was suitable for a pastor's son.

 

The church began to argue and fight about the matter. So they decided to have a meeting. As the people made their arguments and tensions increased, the meeting was getting completely out of hand. The young woman became very upset about all the things being brought up about her past. As she began to cry the pastor's son stood to speak. He could not bear the pain it was causing his wife-to-be. He began to speak and his statement was this:

 

"My fiancée's past is not what is on trial here. What you are questioning is the ability of the blood of Jesus to wash away sin. Today you have put the blood of Jesus on trial. So, does it wash away sin or not?"

 

The whole church began to weep as they realized that they had been slandering the blood of the Lord Jesus Christ. Too often, even as Christians, we bring up the past and use it as a weapon against our brothers and sisters. Forgiveness is a very foundational part of the Gospel of our Lord Jesus Christ. If the blood of Jesus does not cleanse the other person completely then it cannot cleanse us completely. If that is the case, then we are all in a lot of trouble.

 

What can wash away my sins? Nothing but the blood of Jesus!

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2016年

1月

27日

◆赦せないときに◆

 

あなたが誰かを赦せないときは、

 

その人のために祈りなさい。

 

その祈りは、

 

“その人”を変えるかもしれないし、

 

変えないかもしれません。

 

でもそれは、

 

いつも“あなたを”変えるのです。

 

-アンドルー・ピノ

 

 

 

When you can’t forgive someone, pray for them. It may or may not change them, but it will always change you.

 

-Andrew Pino-

 

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2015年

10月

21日

◆赦し◆

“赦し”は、

あなたを癒やしと回復の場所に導いてくれる

架け橋です。

 

Forgiveness is the bridge that brings you to a place of healing and restoration.

 

~ Madeleine

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2015年

9月

11日

◆恵み:スポルジョンに寄せて◆

◆今日のみ言葉◆

―恵み: スポルジョンに寄せて―

 

アメリカの神学者、ユージーン・ピーターソンの個人訳聖書、「The Message 使信」をサブ聖書日課として読んでいますが、恥ずかしながら同じ翻訳に関わる者として、その訳の斬新さに、しばしば驚きと喜びを禁じ得ません。たまたま今日のスポルジョンを訳している時に、このみ言葉が思い浮かびましたので、その個所のThe Message    訳を私の日本語拙訳でご紹介したいと思います。その下が英文原訳、一番下が新改訳ですので、比較なさると、私の言ったことがウソでないことが、お分かりいただけると思います。

 

(ローマ520 The Message「しかし“罪”は、私たちが恵みと呼ぶ、果敢で積極的な“赦し”と競合する機会を持つことはなかったし、今も持ってはいません。“罪”対“恵み”ということなら、間違いなく“恵み”の楽勝なのです。」

But in didn’t, and doesn’t have a chance in competition with the aggressive forgiveness we call grace. When it’s sin versus grace, grace wins hands down.(Rome 5:20, The Message)

 

(ローマ 5:20 新改訳) 「しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」


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2015年

9月

11日

◆こんな私のためにも◆

弱い聖徒らも、強い人々と同じ罪の値をキリストに負わせる。取るに足らぬほどの神の子どもも、イエスの貴い血潮以下の値で買い取られることはできなかったし、偉大なる神の子どもも、キリストにそれ以上の値を払わせることはなかった。

 

【解説】 この一文は、キリストの十字架の救いについて、二つの真理を言い表しています。一つは、十字架の救いは、私たち人間の側の条件に一切よらずに、全ての人に平等に及ぼされること、そしてもう一つは、自分自身のことを考えたとき、たとえどんなに小さな者であっても、私が救われるためには、神の御独り子の命の値が必要だったのだという厳粛な事実です。まことに、まことに、♪驚くばかりの恵みなりき♪ですね。

 

The feeble saints cost Christ as much suffering as the strong ones, the tiniest child of God could not have been purchased with less than Jesus precious blood, and the greatest child of God did not cost him more.


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2015年

9月

09日

◆フィルター越しに見てはダメ◆




自分の身に起こったことについて

誰もが“偏向フィルター”を持っている。

しばしば、それを使って他者を裁く。

それには“傷”があって、正しくはないのに。


自分の知らない別の判断材料があることを

私たちは考えもしない。

それを見さえすれば、

自分の心の中で、違った考えができるのに。


でも、神の創造の中には、

私たちに隠されたものがいっぱいある。

ヨブはかつて、神にある質問をした。

そしてその答えは、厳しいものだった。


だから、あわれみの心で聴いてあげて。

応えてあげるべきことを応えて。

その言葉には優しさを込めて。

あなたも、じきに分かるのだから――。

~愛を込めて、リンダ~


【訳注】 ヨブ記4216参照。


WE EACH have a filter

 Of what's happened to us.

 That we often use to judge others,

 Though it's flawed and unjust.


We don't even consider,

 That there's stuff we don't know.

 That if we could just see it,

 We'd think differently in our soul.


But there is much to creation

 That's been hidden from us.

 Job once asked some questions,

 And the answers were tough.


So listen with mercy.

 Respond if you must.

 Be kind in your answer,

 You'll know soon enough.

 Love, By Linda...

Sunshine & Sweetie Pies



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2015年

9月

05日

◆心の”一片の雲”に気をつけて◆

◆今日の霊想◆

― 心の“一片の雲”に気をつけて―

 

私たちの心の中の、たとえどんなに小さな“苦々しい思い”でも、生活の中の多くのことを妨げるものです。

~マイク・ビックル~

 

【解説】 “苦々しい思い”は、そのままにしておくと、晴天に現れた一片の暗雲のように、次第に心の中に増え広がり、やがて言葉にも顔にも、とげとげしい言葉と渋面になって表れ、人間関係を壊していきます。これをイエス様のお言葉で言うと次のようになります。

(マルコ 7:20-23「また言われた。『人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。』」

これらの中で、特に私たちの心をかき乱すのは、「ねたみ」「怒り」「赦せない思い」「屈辱心」などです。その“元凶”は、言うまでもなく私たちの自己中心の“罪”であり、この反対の言葉は、“すがすがしさ”です。英語で言えばserenityセレニティー、一点の曇りもない魂の静謐(せいひつ)、平静さ、漢語で言えば「明鏡止水」ですね。心にたとえわずかでも苦々しさを持っていると、私たちの思いはこの平静さを失い、生活の中の多くの“よきこと”を妨げ、傷つけます。今、ご自分の心の中をのぞいてみてください。何か、“苦い”ものがありますか? それを気づかせてくださるのは、あなたの心に住みたもう聖霊のみ業です。その細く静かなみ声に、決して逆らってはなりません。その思いを素直に主の十字架の前に携えるとき、神様は、私たちを悔い改めと、必要な行動に導いてくださいます。イエス様の血潮で洗い流せない“苦々しさ”は、この世に存在しません。あなたを苦しめてきた心の胆汁が、きれいに洗い清められ、“すがすがしい心”を取り戻すことができますように――。

 

Even a low level of bitterness in our hearts can hinder many things in our lives.

-Mike Bickle-


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2015年

9月

04日

◆赦しは愛に先行する◆

◆今日の霊想◆

―赦しは愛に先行する―

 

もし私たちが、本当に“愛したい”と思うなら、“赦す”ことを学ばなければなりません。

~マザー・テレサ~

 

If we really want to love we must learn how to forgive.

-Mother Teresa-


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2015年

7月

25日

◆赦すことはできても…◆

誰かを赦すことは簡単です。

でも、彼らを再び信頼することができるかどうかは、

全く別の話です。

 

Forgiving someone is easy but being ableto trust them again is a totally different story.


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2015年

5月

07日

◆本当の”囚人”は誰?◆

“赦す”とは、囚人を自由にすることです。

そして、“囚人とは、自分のことだった”と

発見することです。

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今日、私は心にとどめます。

―私は完全ではないことを。

―私は間違いを犯すことを。

―私が学ぶのは、この間違いをとおしてであることを!

 

 

Today I will Remember:

 

That I am not perfect!

 That I make mistakes!

 That its thru my mistakes that I learn!


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2015年

4月

22日

◆愛する人に、「ごめんなさい」と言えますか?◆

もしあなたが何か悪いことをしたら、

 それを認め、謝りなさい。

 人類の歴史上、

 “自尊心”をのみ込んで窒息死した人は、

 一人もいないのです。

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 本当に「ごめんなさい」を言えるのは、それが心から出てきた時です。しばしばそれは易しいことではありませんが、それは真に勇気のあることです。

 

【解説】本文の後半が笑えますね。笑いながら「確かに。アーメン!」です。正直に言いますと、私はこのFBに参加して半年余りの間に、「あなたは決して自分から謝らない」と42年間(!)言われ続けてきた妻に、やっと素直に「ごめん」と言えるようになりました。いろいろな名言を訳していて、一番恵まれたのは私でした!

 

When you’ve done something wrong, admit it and be sorry. No one in history has ever choked to death from swallowing his pride.


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2015年

4月

22日

◆怒りはすぐ捨てること!◆

いつまでも“怒り”にしがみつくのは、

 毒酒を飲みながら、

 他の人が死ぬのを待ち望むようなものだ。

 (フェリス・デュナス)

 

≪すぐにそれを手放しなさい!≫

 

【解説】これ、現代版「箴言」。おおこわ! ほら、あなたの心にくすぶっているその“怒り”、一思いに捨てた捨てた! さもないと、“死ぬ”のはあなたが先ですよ!

 【エペソ 4:26】怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。

 

Holding onto anger is like drinking poison and expecting the other person to die.

Jus let it go.


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2015年

4月

14日

◆赦しとは◆

赦しとは――

 *それを思い出さないこと。

 *それについて話さないこと。

 *それを非難しないこと。

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 難しいことですが、これが≪神様の≫赦される方法です。私たちは、私たちに罪を犯した兄弟を、“770倍するまで”赦しなさいと命じられています。(マタイ1822)(クリムズン・ウー)

 

(訳注: タイトルを見て「どきっ」とした人は、要注意ですよ! 信仰生活の間もない方は、「え、490回? あの人のこと、これだけ赦してもまだ100回だ…」などと数えないように。聖書で「7」は完全数ですから、それにさらに完全数の10倍を掛けたこの数字は、“超完全数”。もう、限りなく、ひたすらに赦し続けなさいということです。「あの人だけはダメ、できない。赦せない!」と思うときは、十字架の主を仰いで、このお方の血潮によって赦された、自分の罪の一つ一つを数えましょう。真に赦された己を知る者だけが、人を赦せるのです。いえ、赦す者としていただけるのです。)

 

Forgiveness is to remember no more, speak no more, condemn no more.

Difficult as it is, it is God's way of forgiveness.

 We are commanded to forgive a brother who sins against us up to seventy times seven times!

 ~ Matthew 18:22


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2015年

1月

28日

◆“赦しの窓”を開きなさい◆

≪赦し≫ ≪恕≫

 

あなたの“心の戸口”から入るものに

 傷つきたくなかったら、

 まず最初に“窓”を開けなければなりません。

           ― アノン

 

(訳注: 何やら、考えさせられますね。私たちの心の戸口から入り、傷つかせるものは、他の人の愛のない言葉、冷たい仕打ち、無視、…。何度それらのものに傷ついたことでしょうか。その痛みを避けたいばかりに、いつの間にか、それらを中に入れまいと、いつも無意識のうちに構えて、“心の戸”を閉じてしまう私たち。でも、「770倍するほど赦しなさい」と言われたイエス様は、「そんな無駄な努力をする前に、いつでも“赦しの窓”を開いておきなさい」とおっしゃっておられるようです。 「恕」-日頃見慣れない漢字ですが、「じょ」と読みます。もちろん意味は「赦し」。日本では、使うときは「寛恕」(かんじょ)という言葉で使いますね。「ご寛恕を乞います/なにとぞ、ご寛恕のほどを」のように。)

 

To stop the doorway of pain in your heart, you mus first open a window.

~Anon~


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2015年

1月

20日

◆本当の友って?◆

忙しいスケジュールの中で、

 あなたのために時間を割いてくれる人を尊敬しなさい。

 

でも、あなたに その人が必要な時、

 自分のスケジュールなど顧みない人は愛しなさい。

 

(こんな人を、一人でも持っていたら幸せですね。 )

 

RESPECT PEOPLE WHO FIND TIME FOR YOU IN THEIR BUSY SCHEDULE.

BUT LOVE PEOPLE WHO NEVER LOOK AT THEIR SCHEDULE WHEN YOU NEED THEM.


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2015年

1月

16日

◆内なる平安◆

他の人の振る舞いで、

 あなたの“内なる平安”を

 損なわせないようにしなさい。

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 神様が私たちをかたちづくられた。(Form)

 悪魔がそのかたちをゆがめた。(Deform)

 その私たちを、キリストがつくり変えてくださる。(Transform)

 

(訳注: はい、一目瞭然、formの脚韻3つをそろえた言葉遊びです。この韻訳はギブアップですので、意味で味わってください。 )

 

Do not let the behavior of others destroy your inner peace.

GOD FORMED US; SIN DEFORMED US; CHRIST TRANSFORMS US. AMEN


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2015年

1月

03日

◆赦し◆

“赦し”は、他の人のためにではなく、

自分自身のためにするのです。

自らが癒やされ、前に進むためです。

 

Forgiveness is not something we do for others. We do it for ourselves to get well and move forward.


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