2020年

1月

22日

◆高いところはアブないですよ◆

人を裁くのは、一切やめましょうね。

私たち、そんなに高いところに座ってるわけじゃないんです。

~キャロル・シュック・タータミラ~

 

(マタイ7:1,2) 「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」

 

【解説】 イエス様のおっしゃるとおりです。時々、自分は、“学歴、知識、業績、地位、財産、知名度…”などという岩の上に上って、人より高いところにいるという錯覚に襲われます。大いなる誤解です。静まって考えれば、誰かを裁いていると同じことを、自分もやっているのです。私たちは、みんな“罪びと”という同じ土壌の上。高みにおられるお方から、「お前は何様のつもりだ?」と言われる前に、へりくだりましょう。裁く代わりに、あわれみと赦しの心でいましょう。裁けば裁かれる。でも赦せば赦されるのです。

 

Don’t judge anyone at all. We don’t sit that high up – Carol Shook Tartamilla

(by Tenderly Theresa)

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2018年

12月

12日

◆謙遜は祈りの中に◆

耐えがたいつらさの中で、

信じさせてください。

暗闇の中で、

信じさせてください。

~トマス・チャルマーズ~

Let me believe in the midst of heaviness. Let me believe in the dark. – Thomas Chalmers

 

へりくだって、祈りに満ちた魂は、

聖書の中に、

誇り高ぶり、うぬぼれた学徒には

全く見分けることもあたわない

あまたの宝を見いだします。

~J.C. ライル~

A humble and prayerful spirit will find a thousand things in the Bible which the proud, self-conceited student will utterly fail to discern.

- J. C. Ryle

 

【解説】 キリスト者の徳の中で、最も優れているものは“謙遜”だと明言し、そのテーマで一書を残したのはアンドリュー・マーレイです。“謙遜”は、一朝一夕で身に着けられるものではありません。付け焼き刃のように、その場で取り繕っても、一目で内なる“傲慢”はばれてしまいます。“謙遜”とは、本当に自分の罪と弱さを知り、キリストの愛と赦しに涙し、“このお方なしには何事もなしえない。生きてさえいられない”と知りえた人のうちに、神様が与えてくださる“砕かれた魂”のことです。

1つ目の格言は、謙遜は、その人の“祈り”にも表れることを教えます “信じる”ことは、状況によってとても苦しいことであり、大きな勇気が要ることです。そんな中で、私たちは「信じなければ!」ともがくのです。でも砕かれた魂は、その信じる力さえ、主に委ねます。そして、ただ謙遜に、「信じられる者にしてください。信じさせてください」と祈るのです。それはあの、神のみ子の母になることを受け入れたマリヤにも、十字架を前に苦い杯を飲み干したイエスにも見られるものです。二人とも、限りないへりくだりの中で、恐れおののきつつ、「私の思いではなく、み心が成りますように」と祈り、自分自身を神の主権のみ手に委ねたのです(ルカ1:38、マタイ26:39)。

そして2つ目の格言は、そのような“砕かれた心”を持って祈りのうちに聖書を読むときに、神様は、あなたにも、多くのみ霊の真理を明らかにしてくださることを教えます。あなたは改めて、上よりの確信を与えられるのです。“謙遜”とは、キリストのみ足の跡に最後まで従いゆくこと。そして“謙遜”を生きられた主の似姿に変えられていくことなのだと――。

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2018年

8月

15日

◆真に謙遜であるということ◆

“謙遜をもって”人に応答することは、ただ“謙遜について”説教することよりも良い。

~アレン・フッド~

 

もしあなたが、「私はどんなときも、神のみ手とそのなさり方を理解することができる」と言い張るなら、あなたは神を求めているのではなく、召し使いを求めているのだ。

~ボブ・ソージ~

 

【解説】 最初の文章を読んだ時、あのルカの福音書の“よきサマリア人の例え”(ルカ10:25-37)についての、ウィリアム・バークレーの聖書講解の一節を思い出しました。いわく、「強盗に襲われた人のそばをそそくさと通り抜けた律法学者は、その夜、人々に講演するため道を急いでいた。テーマは『愛について』」。

2つ目の文章は、“霊的傲慢”についての戒めです。私たちは、神のなさることを期待し、祈ることはできても、予知することはできません。それは人間の領分ではないからです。神のなさることは、どんなときでも、人の思いをはるかに超えています。私たちは、そのみ業を見たときに、初めて、「神様のみ業は、折にかなって美しい(伝道者の書3:11)。主は最善以下のことは決してなさらない」と、ただみ名を褒めたたえることが許されているだけです。

 

Responding in humility is much better than simply preaching on

humility.—Allen Hood

“If you insist on understanding God’s hand and ways in your life at

all times, you don’t want a God, you want a servant.”-Bob Sorge

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2017年

8月

26日

◆へりくだりの神◆

【Ⅰコリント1:23】 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょう…。

パウロはここで、神様は、十字架の“愚かさ”を通して人類を救う道を選ばれたと書いています。

【Ⅰコリント1:27,28】 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

 

無限の知恵と力そのものであられる、いと高きところにおられる神が、この世の目から見れば“愚か”と思われる救いの道を備えなければならなかったという事実は、”聖なるへりくだり”ということを考えずしては、理解することができません。「神は“へりくだりの神”です」と言うことは、いかに当を得ているでしょうか。(マデレン・ワー)

 

From the Bible in 1 Cor 1:23), Paul writes that God chose to save humanity through "foolishness" of the Cross. “..but God chose what is foolish in the world to shame the wise, God chose what is weak in the world to shame the strong, God chose what is low and despised in the world, even things that are not, to bring to nothing things that are”

(Vvs 27-28).

 

The fact that the Most High God, who is Infinite Wisdom and Power, should make the way of salvation "foolish" in the eyes of the world is impossible to comprehend apart from the Divine Humility. How correct in saying that GOD IS HUMILITY!

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2017年

8月

21日

◆我、弱くとも◆

認めます。

私、弱いんです。

でも私には、

強い神様がいるんです。

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2017年

8月

21日

◆真説:黙っていれば賢く見える◆

最も味のある、賢い人とは、

“知っていることは全て人に話さねば”とは

さらさら感じていない人のことです。

 

【解説】 ”黙っていれば賢く見える”とは、なまじ言葉を発したばかりに、教養のなさを暴露してしまうことの例えですが、こちらは“真説”、「賢く見える」のではなくて、ほんとうに「賢い」のです。でも現実は、…真逆の人がなんと多いことよ! 私などは、ちょっとおだてられると、木には登りませんが、すぐにとうとうと御託を並べたくなって、抑えるのにえらい苦労をします。牧師のメッセージも、これをやられたら、聴衆は疲れるだけ、頭の中には期待とは裏腹にほとんど残りません。興味度断トツは人のうわさ話。たまたま知りえた人の秘密は誰かに話したくてたまらない、話し出したら止まらない…。神に喜ばれる真の知恵を頂くには、静まって、み言葉に聴かなければなりませんね。

 

(ヤコブ1:19) 「愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。」

 

The smartest people are those who don’t feel the need to tell you all they know.

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2017年

1月

17日

◆現代のYukichi Fukuzawaに聴く◆

自分は誰かより上だとか、下だとか、
ゆめゆめ信じてはならない。
謙遜の精神を保ち続けなさい。

 

(女子訳)
「あたしって、あの人よりかマシ」とか、
「あの人には かなわヘン」とかいうの、
頭ン中からキレイに消しちゃいなさい!
いつも“へりくだりの心”を大切にするのよ。
~ブレンダン・バーチャード~

 

(ピリピ2:3) 「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」

 

天は、人の上に人を造らず。
人の下に人を造らず。
~福沢諭吉「学問のすすめ」~

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2016年

8月

29日

◆目指せ、神様からの”最下謙卑賞”!◆

真に偉大な者になる道は、小さき者になる道である。そして、全ての人の中で最も偉大なる人は、全ての人の中で、最も小さき者になることを学んだ人である。

 

(マタイ23:11,12) 「あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」

 

The way to be really great is to be little, and he who is greatest of all is the one who has learned to be least of all.

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2016年

6月

01日

◆誇る者は主を誇れ◆

 

“神の偉大なる人々”に焦点を当てる代わりに、

 

私は“人々の偉大なる神”に焦点を当てたいのです。

 

~ジョン・ウィンバー~

 

 

 

【解説】 人類の幸福と、安全で平和な暮らしのために偉大な貢献をした人に注がれるまばゆいばかりのスポットライト。そのライトが、ゆっくりと上に向けて位置を変えてゆく。その人の姿はじき暗黒の中に消えて、ライトははるか高みの満天の星空を映し出す――。そんなイメージを抱かせる一文です。翻って、受ける側に立って考えると、私たち(と言ってはいけませんね)、いえ私の中には、人々の称賛のスポットライトを浴びたいという潜在的な欲求があります。そのたびに、私の心に去来するのは次のようなみ言葉です。

 

(ヤコブ1:17) 「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。」

 

(Ⅰコリント1:31 「まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。」

 

(ルカ 17:10 「私は役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。」

 

(ヨハネ3:30,)「彼(キリスト)は盛んになり私は衰えなければなりません。」

 

なすべきことを黙々となして、偉大な信仰の先達が言い残した「恥は我がもの、栄光は主のもの」を心に唱えつつ、主に召されるその時まで、“しもべの道”をひたむきに走り抜けたいと思います。

 

 

 

Instead of focusing on great men of God, I prefer to focus on the great God of men.

 

-John Wimber-

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2016年

5月

26日

◆謙遜◆

 

神は謙遜を愛される。誤った道にそれないように、恐れおののきつつ歩む者、かかる人を聖霊は愛されるのである。

 

 

 

God loves humility. He who walks with fear and trembling, fearing lest he should go astray, that man the Spirit loves.

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2016年

5月

10日

◆キリスト者の謙遜◆

 

キリスト者の謙遜、すなわち悪に対して善をもって報いる能力は、人の心の中に、神様がお働きくださった“奇跡”である。

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

Christian humility – the ability to return good for evil – is a miracle worked by God in the human heart.

 

-John Piper-

 

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2016年

4月

29日

◆どこまで身をかがめられますか?◆

 

あなた方は、哀れで、見下げ果てた人々だ! 神の目に、あなた方はなんと小さく見えることだろう! キリストは謙遜だった。それが他者に仕えることなら、彼はどんなことでもするために身をかがめられた。彼には誇り高ぶりなどはなかった。取税人や罪人の友であり、彼らと共に生活し、歩まれた。それゆえ信仰者よ、喜んで身をかがめることのできた、あなた方の主なるお方のようになりなさい。しかり、それを屈従とは思わず、むしろ他者を自分よりも尊ぶ人でありなさい。キリストに在る最も貧しき人と共に座すことを己が誉れとし、かく言える人になるのです。「もし私の名が、”いのちの書”のほんの片隅に、かろうじて書かれるなら、それだけで私は満足です。あの方の目に留まるには、それほどに値なき者ですから!」と。 その謙遜において、キリストのようになりなさい。

 

 

 

Pitiful, despicable souls ye are! How small ye look in Gods sight! Christ was humble; he stooped to do anything which might serve others. He had no pride, he was a humble man, a friend of publicans and sinners, living and walking with them. So, Christian, be thou like thy Master-one who can stoop; yea, be thou one who thinks it no stooping, but rather esteems others better than himself, counts it his honor to sit with the poorest of Christs people and says, “If my name may be but written in the obscurest part of the book of life it is enough for me, so unworthy am I of his notice!” Be like Christ in his humility.

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2015年

12月

21日

◆低きにおるは心地よきかな◆

 

身を低くすればするほど、人はいつでも、より安らかにいることができる。

 

 

 

The humbler a man lies, the more comfort he will always have.

 

 

 

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2015年

12月

21日

◆低きにおるは心地よきかな(2)◆

 

 

これは本当である。なんとなれば、身を低くすればするほど、私たちは地面に近づいていく。困難が私たちを謙遜にすればするほど、私たちは慰めを受けるのによりふさわしい者になる。そして、私たちがそれに最もふさわしい者であるときに、神はいつでも慰めを与えてくださるのである。

 

 

 

I believe it is true; for the lower we lie, the nearer to the ground we are the more our troubles humble us the more fit we are to receive comfort; and God always gives us comfort when we are most fit for it.

 

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2015年

10月

24日

◆ヨハネ3:1-11◆

ご自身の十字架の時を前にして、

 限りなくへりくだり、

 弟子たちの足を洗われたイエス…。

主よ、この土まみれのタオルを、

 私は決して忘れません。

 

【解説】この小詩は私の創作ですが、最後の2行には思い出があり、もう40年近く前のケズィック・コンベンションで、ポーロ・リース博士がこの箇所から聖書講解され、最後をRemember the towel, remember the towel...という言葉で結ばれたのです。もちろん通訳つきでしたが、この言葉だけははっきり原語で分かり、ジーンと心に染み込んで、今も、そして一生忘れないと思います。


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2015年

10月

11日

◆神の圧倒的な偉大さの前にへりくだれ◆

私たちは、神の広漠たる宇宙の中で、何か大いなる意義を持った存在であるには、あまりに取るに足らない者だ。神は、私たちがいようがいまいが、事をなさるし、私たちの存在の有無によって、彼のもろもろの計画がかき乱されることもないのだ。

 

"We are too insignificant to be of any great importance in God’s vast universe; He can do either with us or without us, and our presence or absence will not disarrange His plans."


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2015年

9月

23日

◆救いの証明◆

心の中で、キリストに服従していなければ、誰も本当に救われているとは言えない。

 

"No man is really saved unless he is in his heart obedient to Christ."


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2015年

8月

28日

◆主よ、私の業など…◆

私たちが神様に対してなしたことに、

あまり大きな価値を置いてはいけません。

己のわずかな施しのゆえに、

私たちは、この地上でも、来るべき世でも、

多くのものを頂くのですから。

――アヴィーラの聖テリーサ

 

【解説】原文「私が神様に与えたもの」は、直接的には貧しい人々への施しですが、広くは、神様のためにささげた財、時間、たまものなどの全てが入りますね。聖テリーサは16世紀スペインのカトリック修道女、作家。

 

We should not attach too much value to what we have given God, since we shall receive for the little we have bestowed much more in this life and in the next.

-Theresa of Avila


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