2020年

1月

31日

◆踏み砕きも”成長プラン”です◆

ぶどうがワインになるには、踏み砕かれなければなりません。

ダイアモンドは、岩盤圧迫の中で形づくられます。

オリーブは、オリーブ油を搾り出すために圧搾されます。

種は暗い土壌の中で成長します。

あなたが、“自分は踏み砕かれ、重圧の中に置かれ、押しつぶされ、

暗闇の中にいる“と感じるときは、

全人的な“変形”と“変容”の大いなる力のただ中にいるのです。

このプロセス(過程)を信じなさい。

神を信頼するのです。

Grapes must be crushed to make wine. Diamonds form under pressure. Olives are pressed to release oil. Seeds grow in darkness. Whenever you feel crushed, under pressure, pressed, or in darkness, you're in a powerful place of transformation and transmutation. Trust the process. Trust God.

(by Godly Woman Daily)

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2020年

1月

22日

◆”忍耐”のもう一つの定義◆

“忍耐”とは、

物事が、自分が心に思っていたのとは

違った順序で起こりうるということを

穏やかに受け入れることだ。

~デイヴィッド・G・アレン~

 

【解説】 う~ん、味わい深い言葉です。この忍耐は、人生に起こる様々な出来事の中でもまれ、「なんでこうなる?」と、もがき苦しんだ末に、身に着けるものですね。“時”が必要なようです。でも、この力が備わったとき、人生は、はるかなみ国を望み見る、移りゆくものの変化に左右されない、本当に穏やかな円熟の時を迎えるのではないでしょうか。

 

(ローマ 5:3-5) 「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

 

Patience is the calm acceptance that things can happen in a different order than the one I have in mind. – David G. Allen

(by Bohemian Dreaming)

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2019年

8月

17日

◆忍耐と、感謝と、闘いと◆

1.《忍耐とは》

忍耐とは、物事は、あなたが思っていたのとは異なった在り方で起こりうるのだということを、平静な心で受け入れることです。

~デイヴィッド・アレン~

【解説】あなたにとって、“忍耐”とは何ですか? 文字どおり歯を食いしばって”耐え忍ぶ”ことですか? それはつらいです。多くの痛みと苦しみが伴います。疲れて、時には忍耐することに耐えられなくなりますね。でもそれは、「これは想定外だ。こんなはずじゃなかった。だから、私の望んだようになるまで、ここは何としても我慢しなきゃいけないんだ」という、あくまでも自分を中心にした人生プランの上に立っています。そこには、「全ては神様の最善プランに従って起こっている」という神中心の信仰が抜けているのです。この視点に立ち返ったとき、”忍耐”はまず起こったことへの静かな”受容”から始まります。そして「あなたのみ心が成りますように」という全面的な明け渡しの中で、与えられた新たな課題に取り組んでいくのです。そこから、思いもしなかった新たな局面が展開していきます。神様は、しばしば、あなたの”神中心の忍耐”を通して、ご自身の奇跡をお見せになるのです。

Patience is the calm acceptance that things can happen in a different order than the one you have in mind, - David Allen

 

2.《聞かれた祈りを忘るるなかれ》

今あなたが得ていることどものために、

あなたが祈ったそれぞれの“あの時”を忘れないでください。

【解説】 これは、私たちに”感謝”を忘れさせないための、修辞に富んだ勧めですね。今あなたが、当たり前のように手にしているもの、できるようになったこと、それは、あなたの祈りに対する神様からの応答のたまものなのです。私たちの人生に、“当たり前”のことなど何一つない。改めて今ある自分を振り返り、「ああ、これは、あの時の祈りの応えだったんだ」「思い出したわ。このことがかなえられるように、あの時何度も神様にお願いしたんだった…」と、恵みの原点の祈りに立ち返るとき、“当たり前”は、ただただ“感謝”に変わるのではありませんか?

(詩篇 103:2) 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

Remember the times you prayed for the things you now have.

 

3. 《今への感謝、明日への闘い》

今あるあなたに感謝しなさい。

明日ありたいあなたのために闘いなさい。

【解説】 これも味わいある言葉ですね。1行目の「今」は、ありのままの自分の受容です。“受容”と“感謝”は表裏一体なのです。けれどもそれは、現状維持の自己満足とは似て非なるものです。私たちは、内なるみ霊の力によって、さらに上を目指して霊的に成長していかなければなりません。私自身は、一身上に起こった大試練への対応の中で、己がいかに自己中心で、独りよがりな者だったかを知らされ、限りない“低さ”を味わわされました。でもそれは、あのイエス様が、この私のために味わわれた”謙卑”の姿で、それが、明日かくありたい、いえ、あらねばならない私だったのです。そのために、私はなお肉と自我の己と闘い続けます。この低さをもって、弱く病める人の心に、本当に寄り添える者となるために――。

(ピリピ2:6-8) 「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」

Be thankful for what you are now, and keep fighting for what you want to be tomorrow.

 

【FBギャラリー】No.73 エイブラハム・ハンター「黄金ヒワたちの花園」

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2018年

11月

14日

◆主よ、忍耐を与えてください◆

愛する主よ、

あなたのご計画を、私の人生の中で

ことごとく成し遂げてくださるまで、

私に忍耐することを教えてください。

それは、あなたなしにはできないことです。

 

【解説】 全知全能の神様は、私たち一人一人に対するご計画を、私たちが形づくられる前から、“永遠の今”において、全て立て終えておられます。それを、目の前のスクリーンに、一目で分かるようにプレゼンしてくださったら、どんなにいいでしょう! でもそれは神様の方法ではありません。そもそもそんな人生は、恐ろしく退屈で、つまらないものに違いありません。私たちは、明日が分からないからこそ、不安がある半面、“きっといいことがある”と期待して毎日を歩めるのです。でも時として私たちは、それまでにない新しい局面を迎えることがあります。あなたの人生への神様の設計図には、山もあれば谷もあるのです。とりわけ“暗い谷間”に下っていくとき、私たちは不安と恐れに駆られます。「どこまで続くんだろう?」「これは本当に神様のご計画なんだろうか?」「もっと別の道があるんじゃないのかしら?」 そして、待ちきれずに、自分で良しと決めた別の道に突き進んでしまうこともあります。私自身が、その体験をしました。「これは主のご計画だ」と早合点して、み言葉からの確信や、信仰の友や師の助けを仰ぐことなく、いえ、その助言を無視さえして、暗闇の中を模索し続け、とうとう“これは神様のご計画ではなかった”とはっきり分かるまで、3年もかかりました! でも神様は、あわれみ深いお方です。”脱出の道”を備えていてくださったのです。

私たちに最善の道を歩ませるための神様のご計画は、神様のお助けと導きなしには、絶対に実現することはできません。このことを通して私が教えられたのは、次のことでした。

① 人生の新しい局面に立たされたときは、まず静まって祈ること。み言葉をよく読み、信頼できる師や友に相談し、祈っていただくこと。

② そして内なる確信が与えられるまで、静かに待つこと。決して焦ってはいけません。それは時には長くかかるかもしれません。でも忍耐して待ちましょう。ここで「さぁ、これこそ神のみ心だ。今すぐやってみなさい」とささやくのは、これでイエス様をさえ陥れようとしたサタンの、“とっておきテクニック”です。

③ やがて神様のみ心が、はっきりと示される時が来ます。それは、しばしば、あなたの思い描いたものとは違う場合があるかもしれません。でも、そこに平安と、内よりの揺るがない静かな“促し”があるとき、あなたは全てを委ねて一歩を踏み出すことができます。次の一歩は主ご自身が導かれます。あなたの前に、“主のご計画の道”は、間違いなく開かれるのです。

 

(ヘブル 10:36)

「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」

 

Dear Lord, help me to be patient as you bring your plan in my life

to its fullness. I can’t do this without you.

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2018年

10月

26日

◆試みの中で心すべきこと 3か条◆

1. 《心を乱すものは避けよ》 あなたが、煩わしいことに重きを置けば置くほど、あなたはそれに煩わされることになります。ですから、有害で益するもののない事柄を避けるすべを学びなさい。

More you give importance to disturbing things, more you get disturbed. So, learn to avoid negative things.

2. 《苦しみをバネにせよ》 あなたが今、通らされている苦しい闘いに感謝なさい。それらは、あなたを強くし、賢くします。それらに、あなたを“打ちのめさせ”てはなりません(breakブレイク)。あなたを“つくり上げ”させるのです(makeメイク)。

Be thankful for the struggles you go through. They make you stronger and wiser. Don’t let them break you. Le them make you.

3.《苦闘のさなかで“神の愛顧宣言”を》 あなたは苦闘するかもしれません。でも宣言し続けるのです。「私は祝福されている。私は”ひいき”されている。私は愛されている」と――。

You may be struggling, but keep declaring “I am blessed. I am favored. I am loved."

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2018年

10月

25日

◆”待つ”ことの祝福 3か条◆

1. 《“待つ”に価値あり》 たとえどんなに長くかかっても、ひとたび神様が働かれる時、それはどんな場合でも、“待つ”に値するのです。神様は、あなたと共におられます。

No matter how long it takes, when God works, it’s always worth the wait. God be with you…

2. 《“神の時”を信じる》 たとえ状況にまだ何の変化がないときでも、神様を信頼なさい。どんなときでも、“神様のタイミング”を信じるのです。
Trust God even when the circumstances haven’t changed yet. Trust His timing at all times.

3. 《“心配”を“礼拝”に》 あなたが、“心配事”(ウォーリー)を“礼拝”(ウォーシップ)に変えるとき、神様は、あなたの“闘い”(バトル)を“祝福”(ブレッシング)に変えてくださいます。
When you turn your worry into worship, God will turn your battle into blessings.
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2018年

4月

22日

◆植えたら収穫を待つのです◆

信仰をもって植えたものを、疑いの中で掘り返してはいけません。 ~エリザベス・エリオット~...(アーティスト) スーザン・リオー

【解説】 これ、ついやってしまいますよね? この悪しき“掘り返し”は、収穫の時期のことではありません。それならまだいい。不信仰のゆえに「どうせ小さいだろう」と思いながら掘り返しても、それまでにきちんとお世話をしていれば、思いもよらないほど大きなものを掘り起こして、不信仰を恥じつつ感謝することができますから。ここで言っているのは、収穫の前に、不安や恐れや疑いに取りつかれて、途中で掘り返してしまうことです。そこに待っているのは、小さな収穫どころか、早晩根を失って枯れてしまった作物の残骸。聞こえてくるのは、弟子たちもしばしば叱られた、あのイエス様の一声です。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」 私たちに必要なのは、“忍耐”と、“希望”と、“信頼”です。

 

(ヘブル 10:36) 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」

 

Don’t dig up in doubt what you planted in faith.” -Elisabeth Elliot

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2017年

11月

06日

◆霧の中にある友へ◆

私の目は、霧の濃さに留められてはいない。

私の目は、私の人生の全ての局面をみ手に収めておられる

生ける神に注がれているのだ。

~ジョージ・ミュラー~

 

【解説】 深い霧の中を歩いたり、車で走ったことのある人はいますか? ほんとに怖いですよね? 今、“人生の道”に立ち込めた、深い霧の中にある人はいますか? 前方が全く見えない、手探り状態。歩いても歩いても、いつ晴れるともしれない五里霧中…。私は、この間も書きましたが、まさにその濃い霧の中で、“神の時”を待っています。闇のように深い霧に目を留めたら、心を襲うのは恐れ、不安、心細さ、さらには疑い、絶望感です。ちょうど、あの逆巻く波を見て水中に沈みかけたペテロのように。そのような時こそ、生ける主から目を離してはいけないのです! あの信仰の鉄人、ジョージ・ミュラーも、ある意味、“霧の中の人生”をたどりました。朝、目が覚めるたびに、深い霧の中にある自分に気づく人生を――。彼の助けを待っている何百人という孤児たちを養う糧が、何一つ残っていない朝が、毎日のように訪れたのですから。それでも彼は、そんな霧には目もくれませんでした。「主よ、あなたは今日も生きておられます。あなたは今日も、私の主、私の牧者です。今日の一日を、この子供たちの命ともども、あなたのみ手に委ねます。」と、ただ主のみ顔を仰いで祈ったのです。あなたも、この人生の、あらゆる状況を最善にコントロールしておられる、主にのみ霊の眼(まなこ)を据えて、一歩、一歩、進んでいくことです。「私だ。恐れないで」(マルコ6:50)と言われる主のみ手の中で、晴れない霧はないのだと信じて――。

 

"My eye is not on the density of the fog, but on the living God, who

controls every circumstance of my life.”

—George Mueller

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2017年

10月

30日

◆待つを知る人の幸い◆

祈りつつ、決して忍耐を失わず、

“待つ”ことを学ぶ人は幸いです。

神様の“時”は、“完璧な時”だからです。

 

【解説】 今、神様のお答えをじっと忍耐して待っている人がいますか? 私は、あることをみ心と信じて、2年間待ち続けています。今日の言葉は、現代の「山上の垂訓」のようですね。現代は、”待てない時代”です。誰もが、すぐに結果を出したがる。そのために、それがダメならこれ、これもダメならあれ、とばかりに、すぐに方法を変え、あたかも神の定められた時を、自分の力で早めようとしているかのよう。そうすればするだけ、“神の時”は遠ざかっていることも知らずに――。

待つのです。でも、待つ期間が長ければいいというものでもありません。一つは“祈りつつ待つ”。その間を、いかに執拗にサタンが試みることでしょう。「いや、そんなに待ってもかなえられないのは、それが神のみ心ではないという何よりの証拠だ。待っても無駄。いい加減に諦めよ。せいせいするから」と。私も、何度となくこの誘惑のささやきを聴きました。そのたびに主を仰いて祈りました。そうです、このサタンの声に打ち勝つには、理屈ではなく、祈るしかありません。“祈りつつ待つ”ことは、深いところで“信じて待つ”ということと同義語なのです。

もう一つは“忍耐を失わずに待つ”。私はもう半世紀を超えた自らの信仰生活の中で、今ほど忍耐を試されている時はありません。そして今ほど、自分に忍耐力がないということを知らされた時も――。(「私はけっこう忍耐強い」と思っている方がいたら、よほどの自信過剰か、まだそのような本当に忍耐を試される事態に出会っていないかです。サタンに足元をすくわれないよう、せいぜい用心なさることです。)そのようなときは、神様の前に丸裸になって、「神様、もうダメです。限界です。あなたの忍耐を、あと少しの忍耐を、どうぞ私に与えてください」と神様のあわれみにすがりつつ、なおも待つよりほかにありません。

 私はそうやって、今も神様の、“完璧な時”を待っています。それは決して早すぎることもなく、決して遅すぎることもありません。永遠の昔から、あなたのために定めておられる神様の“最善の時”は、まさに、正確無比、寸分もたがわずに訪れます。その時が来たら、私は静かに、神のなさることの“時にかなった美しさ”に感嘆し、感謝し、み名をあがめることでしょう(伝道者の書3:11)。終わりに、私がこの数か月、日夜唱えているみ言葉を掲げておきます。

 

(ヘブル 10:36) 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」

 

Happy is the person who learns to wait as he prays and never loses his patience, for God’s time is the perfect time.

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2017年

10月

25日

◆”試練学校”で学ぶもの◆

強い信仰を学ぶということは、大いなる試練に耐えるということです。 私は数々の厳しい試みのただなかに、しっかりと立つことによって、私の信仰を学んだのです。...~ジョージ・ミュラー~ (訳 小川政弘) (コロサイ2:6,7) 「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」To learn strong faith is to endure great trials. I have learned my faith by standing firm amid severe testings. -George Mueller- Lord Jesus, help us to remain in You—rooted and grounded—built up and strengthened in the faith. (Col. 2:6-7)

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2017年

9月

23日

◆雨雲の上を見るのです◆

陰鬱な雨の日は、

陽光が無性に欲しいです。

でも雨は日がな降り続け、

やむ気配はありません。

 

けれど、あの雨雲の上には、

日差しがあることを私は知っています。

そこは光り輝く太陽で、いつも晴れ渡っています。

いかなるときも、それは変わりません。

 

だから私は、ゼッタイの確信を持っています。

全ては、ちゃんと、うまくいくのだと――。

だって、雨はいずれやむんだし、

そのとき太陽は、再び輝くのですから…。

 

~サンシャイン・スウィートパイ~

(アーティスト) ドニー・フィンリー

 

LOOKING for some sunshine

On a dark and rainy day.

But it just keeps on raining,

And will not go away.

 

But I know that there is sunshine,

Above the clouds of rain.

It's always bright and sunny

there,

It's always just the same.

 

And I am sure as sure can be

That all will be just fine.

Cause it won't be long at all, and

then,

I know the sun will shine...

Love By, Linda...

Sunshine & Sweetie Pies

 

Artist, Donny Finley

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2017年

8月

26日

◆信仰の試み◆

こういうわけで(注・著書の抜粋で、前文からの続き)、”信仰の試み(テスト)”とは、自分に信仰があるかないかとか、自分の信仰は十分か、ということではなく、“信仰の精錬”、己に頼ることからの全き浄化ということです。

 

【マルコ14:29】 すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」

このペテロの言葉は、自己信頼にあふれています。この時の彼の失敗は、“自己”に関するもので、神様への信仰の問題ではありませんでした。この失敗を通して、ペテロは、自らの弱さと、自分自身で物事を解決する力のないことを学んだのです。これが、“神により頼む”ということの、最も核となる教訓です。

~J.F.ストロンベック

 

【解説】ストロンベックは、20世紀アメリカの実業家。独学で神学を学び、広く全米を講演、また神学校設立のために寄付をした。

 

His words: "Although all shall be offended, yet will not I'

(Mark 14:29) are full of self confidence. Peter's failure then was of self, not of his faith in God. Through this failure Peter learned his own weakness and inability to carry out his own resolve. This is the first essential for dependence on God.

~ J. F. Strombeck.

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2017年

7月

22日

◆”暗闇”も、愛でした◆

私が愛したある人が、

かつて、中が“真っ暗闇”の箱をくれました。

気づくのに何年もかかったのです

それもまた“贈り物”だったということに――。

 

【解説】 たとえ何年かかっても、これに気づいた人は幸いです。「あの人のせいで、私の人生、めちゃめちゃだった」と、恨みつらみを墓場まで持っていく人が、この世には大勢いるのですから。でも、このことに気づくには、大きなパラダイムシフト(視野の転換)が必要です。その人を突き抜けて、背後におられる、はるかに大いなる存在に心の目を見上げる必要があるのです。その時に初めて、私たちは全てを受け入れ、相手の人を赦し、感謝さえすることができるようになります。この詩篇の記者のように。この信仰の偉大なる先達のように――。

(詩篇 119:71) 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」

(ローマ 8:28) 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

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2017年

6月

11日

◆”忍耐”の意味するもの◆

◆敬宗庵 恵信(だより)◆

―忍耐の意味するもの―

 

“忍耐”とは、

状況が何も変わらなくても、

“神に信頼する”ことを

選び取ることです。

 

【解説】 私自身、今まさにその渦中にいます。成すべきことを全てやって、膨大な費用をかけて、1年半待ち続けて、まだ解決の見通しが立ちません。“本当にこれが神のみ心だったのか?”という思いが、何度もよぎります。それでも、私は最善以下のことをなさらない神に信頼します。たとえそれが私の計画とは違っていても――。

ある意味、私たちの人生、あなたの一生は、神様からの“忍耐の訓練”の場ではないでしょうか?

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2017年

6月

01日

◆きれいな虹を見たいでしょう?◆

誰でも幸せを望み、

苦しみに遭いたくはありません。

でもこの人生で、

少しは雨も降らなくては、

虹を見ることはできないのです!

 

Everybody wants happiness and nobody wants pain, but in this life you can’t have a rainbow without a little rain!

 

https://www.facebook.com/AdvancedLifeSkills/videos/10154772547218299/

 

 

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2017年

4月

28日

◆み翼の陰は暗いのです◆

―み翼の陰は暗いのです―

 

主のみ翼に覆われているときは、深く大きな暗闇の中に入ったと感じるものです。

 

~コーリー・テン・ブーム~

 

【解説】 あるいはコーリーおばさんは、あのナチスの暗黒の収容所にいた間、このように信じて日々を耐えたのかもしれません。「これは、主が守っていてくださるからよ。主がしっかり覆っていてくださるから、こんなに暗いのよ」と――。

 そうなのです。神様がなさることは、しばしば、私たちの思いとは異なります。私たちは、人生の暗い谷間に降り立ったとき、一刻も早くこの暗闇を抜け出したい、光の中に出たい、と願いますが、なかなかそのようにはなりません。時として、あまりのつらさに、何もかも―自らの命さえ投げ出したいと思い、あの十字架の主イエスのように、「神様、なぜ助けてくださらないのですか? どうして私をお見捨てになったのですか?」と叫ぶのですが、いいえ、その時こそ、神様は、あなたの最もそば近くにいて、愛するヒナをあらゆる敵からかばう親鳥のように、しっかりと覆っている時なのだ。神様の守りのみ手が確かであるほど、あなたには暗く感じられるのだと、身をもってそれを体験したコーリーは言うのです。

 あなたは今、暗闇の中にいますか? 忘れないでください。あなたをすっぽりと覆って、暗闇の中に閉じ込めているのは、あなたのために命を捨てるほど、あなたを愛しておられる主の翼であることを――。「もう大丈夫」、主がそう思われて、大きな翼を広げるとき、そこには、遥かなみ国まで続く、光り輝く大空が広がっているのだということを――。

 

(詩篇 57:1)

「神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。」

 

“When you are covered by His wings,

it can get pretty dark.” —Corrie ten Boom

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2017年

1月

19日

◆悲しみよりも力ある主をたたえて◆

私たち、召し出され、信ずる者とされ、選ばれた者たちは、自らの深い悲しみは遠くに追いやり、神のみ名によって、“信頼の旗”を打ち立てよう。余人には、彼らの問題を悲しませるがよい。私たちは、喜びをもって、主の大いなるみ力を褒めたたえるのだ。

 

We, the called and faithful and chosen, will drive away our griefs and set up our banners of confidence in the name of God. Let others lament over their troubles; we with joy will magnify the Lord.

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2017年

1月

03日

◆雨降って、地 固まる◆

「雨降って、地固まる」。日本のことわざで、”雨が降ったあとは、土壌は堅固になる“という意味です。言葉を変えれば、”全ての困難のあとには、回復の時と、平穏の期間が訪れる。苦しみは、あなたをより打たれ強く、不屈な者にしてくれるのだ“ということです。もしあなたが、このところ、厳しい状況の中を通っておられるなら、勇気をお持ちなさい。しっかり踏ん張るのです。神様がきっと助け出してくださいます。私の友よ、勇気を出して!
~サミュエル・C・リー~

 

あめふってじかたまる "ame futte ji katamaru" a Japanese saying which means: "after rain, the soil will become solid." In other words "after every difficulty, there will be a time of restoration and a period of calmness. Hardship will make you even stronger and tougher." If you go through hard times these days, be encouraged, hang on, God will help you through. Be encouraged my friends!
 --Samuel C. Lee

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2016年

12月

19日

◆冬ありてこそ◆

 

もし冬がなければ、
春はこんなに楽しくはないでしょう。
もし時々逆境を味わわなければ、
幸福な生活もそれほどうれしくありません。
(アン・ブラッドストリート)

 

春はもうすぐ、そこです。
”天の庭師”が、今、最後の仕上げ中。
あなたは花開く備えができていますか?

神様を愛する心には、
いつでもが“春”です。
(ジャン・バプティスト・マリー・ヴァイアニー)

 

In the inspiring words of Anne Bradstreet, "If we had no winter, the spring would not be so pleasant; if we did not sometimes taste of adversity, prosperity would not be so welcome." Spring is in the air. The Gardener's at work. Are you ready to bloom?

 "It is always springtime in the heart that loves God."
 ~ Jean-Baptiste Marie Vianney.

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2016年

12月

17日

◆神は時として波浪のごとく◆

神様は、うねり、押し寄せる波浪の神様です。
でも私たちの頭上を越えようとする大波も、
しかと神様のみ手の中にあるのです。
~エイミー・カーマイケル~

 

“God is the God of the waves and the billows, and they are still His when they come over us.”
—Amy Carmichael

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2016年

12月

15日

◆雲や暗闇を恐れないで◆

 

私たちのの信仰を鍛えるには、“雲”や“暗闇”も必要なのだ。それによって自己依存を切り捨て、キリストへの信仰により重きを置き、目に見えるものや、経験や、身体と感情などに、より頼らないようにするためである。

 

We need clouds and darkness to exercise our faith, to cut off self dependence, and make us put more faith in Christ, and less in evidence, less in experience, less in frames and feelings.

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2016年

12月

14日

◆樫の木はなぜがっしりしてるの?◆

私たちが、困難のない人生にあこがれるときには、
思い出させてください。
樫の木は、向かい風の中で強く生長し、
ダイヤモンドは地圧の中で形づくられることを――。
 ~❤ピーター・マーシャル❤~

 

When we long for life without difficulties,
 remind us that oaks grow strong in contrary winds
 and diamonds are made under pressure.
 ~ Peter Marshall

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2016年

12月

13日

◆艱難、汝を玉にす◆

ダイヤモンドをほんの少し磨いてみなさい。それはキラキラ輝きだすだろう。クリスチャンに、トラブルをほんの一つ与えてみなさい。それに対するその人の忍耐は、彼がまことの“イスラエルの種”であることを証明するであろう。

 

(イザヤ 45:25) 「イスラエルの子孫(英語seed 種)はみな、主によって義とされ、誇る。」
(ヘブル 10:36) 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」

 

【解説】 上記のみ言葉で分かるように、「種」とは「子孫」、そして「イスラエルの種」とは、クリスチャンである私たちにとっては、霊のイスラエルの子孫、信仰によって生まれた神の子であるということです。私たちの人生は、トラブルの連続であるとも言うことができますが、その一つ一つを乗り越えるごとに、私たちは、自分の霊的出自と、自分のゆくべきところを世の人々に証ししているのです。しかり、幾多の試練と苦難ののちに、私たちを待っているのは、まことの“イスラエルの種”にのみ与えられる、主のお約束の”義の冠”なのです!

 

Grind the diamond a little and you shall see it glisten. Do but put a trouble on the Christian, and his endurance of it will prove him to be of the true seed of Israel.

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2016年

11月

23日

◆そのトラブル、”信仰強化食品”です◆

神は、ご自身の子どもたちの信仰が増し加えられることをお喜びになります。
試練、障害、困難…、これらは、“信仰強化に必須の食べ物”なのです。
~ジョージ・ミュラー~

 

"God delights to increase the faith of His children…Trials, obstacles, difficulties...are the very food of faith." —George Müller

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2016年

8月

26日

◆スポルジョン版”艱難 汝を玉にす”◆

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆
Charles Spurgeon - The Prince of Preachers
―スポルジョン版 “艱難汝を玉にす”―

 

多くの人々は、その人生の壮麗なまでの恵みを、途方もない艱難に負っている。

 

(ローマ5:3-5) 「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

 

“Many men owe the grandeur of their lives to tremendous difficulties.”

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2016年

8月

18日

◆”忍耐”は祈りのキモ◆

 

イエスは、“忍耐”が祈りの本質的な要素であることを教えられた。

 

EH・ バウンズ~

 

 

 

(ルカ 18:1 「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。」

 

 

 

Jesus taught that perseverane is the essential element in prayer.

 

-E.H. Bounds-

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2016年

8月

04日

◆忍耐とは◆

 

”忍耐力”とは、待つ能力だけではなく、

 

待っている間、よい態度を保ち続ける力をいうのです。

 

 

 

"Patience is not only the ability to wait but to keep a good

 

 attitude while waiting."

 

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2016年

7月

15日

◆真珠は傷から生まれます◆

 

苦痛と問題の中から、最も甘美な賛美の歌と、最も人の心をつかむ物語が生まれるのです。

 

 

 

~ビリー・グラハム~

 

(アーティスト) ヴィッキー・ウェイド

 

 

 

"Out of pain and problems have come the sweetest songs, and the most gripping stories. "

 

 

 

 - Billy Graham

 

 Artist: Vicki Wade

 

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2016年

7月

09日

◆恵みの荒野(あらの)◆

 

そして主は、私を“荒野”に導かれた。

 

私が“歌う”ことを学ぶために。

 

主はそこで、私の“心の不毛さ”を教えてくださる。

 

だから私は、“寄りすがる”ことを学ぶのです。

 

~ローラ・ハケット・パーク「麗しきあわれみ」~

 

 

 

And He’s brought me to the wilderness where I would learn to sing and He lets me know my barrenness. So I will learn to lean.

 

-Laura Hackett Park “Beautiful Mercy”-

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2016年

6月

09日

◆もう少しだけ待ちなさい◆

 

神様があなたに約束を与えられ、あなたがそれを信仰によって受け取るなら、それがすぐには実現しないとしても、み言葉はこう言っています。

 

(ハバクク 2:3 「もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。」

 

忘れないでいなさい。(2:4 「正しい人はその信仰によって生きる」のです。

 

だから、もしあなたが待っており、あなたへの祝福が遅れていると感じたなら、あとほんの少しだけお待ちなさい。

 

(詩篇 27:14)「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」

 

~ジョン・ハギー牧師~

 

 

 

When God has given you a promise, and in faith you receive that promise, even though it may not immediately happen, the Word tells us, "Though it tarries, wait for it; because it will surely come." Remember: "The just shall live by His faith" (Habakkuk 2:3-4). So if you are waiting and you feel like your blessings tarry, just wait a bit longer. "Wait on the Lord; be of good courage, and He shall strengthen your heart; wait, I say, on the Lord!" (Psalm 27:14).

 - Pastor John Hagee

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2016年

5月

20日

◆日の試練もまた恵み◆

 

それゆえ私たちは、この苦しみのゆえに神を賛美する。この魂のふさぎ込みのゆえに神に感謝する。この財産の損失のゆえにみ名を褒めたたえる。そのようなことが起こらなかったならば、すなわち神が来る朝ごとに私たちを懲らしめ、来るゆうべごとに私たちを悩まさなかったならば、我々はあまりに安寧をむさぼることになるからだ。この世的な繁栄の中にあり続けることは、火のような試練である。諸君の中のいずれかがそうであるなら、あなた自身の状況に対して、この箴言を適用してみるとよかろう。

 

(箴言 27:21 「るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛によって人はためされる。」

 

 

 

We bless God, then, for our afflictions; we thank him for our depressions of spirit; we extol his name for the losses of our property; for we feel that had it not so happened to us, had he not chastened us every morning and vexed us every evening, we might have become too secure. Continued worldly prosperity is a fiery trial. If it be so with any of you, apply this proverb to your own state, “As the fining pot for silver, and the furnace for gold: so is a man to his praise.”

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2016年

5月

19日

◆トラブル君、そこからは立ち入り禁止!◆

 

神様がそれよりも前には近づけないほど、あなたに近づけるトラブルはないのです。

 

 

 

【解説】 二重否定を伴う英語らしい構文なので、日本語にするとちょっと回りくどいですが、言いたいことは、このタイトルのようになるでしょう。どんなに大変なトラブルに巻き込まれても、必ずその一歩こちら側には、神様がいらっしゃって、あなたを守っていてくださる。その神様を押しのけて、あなたに迫ってこられるトラブルは、ただの一つもないということは、なんと大きな励ましと慰めでしょうか。この一文は、とりわけ今、その渦中にある方にお贈りしたいと思います。

 

 

 

"No trouble can come so near that God is not nearer."

 

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2016年

4月

19日

◆主が歩まれた道だから◆

 

 

「苦しみの道」は、

 

神様がキリスト者のために“踏み固められる”だけでなく、

 

ご自身が“切り開かれた道”なのです。

 

 

 

~ティム・キーシー~

 

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2016年

4月

04日

◆唾を吐かれるのが怖いですか?◆

 

イエスが唾を吐かれた場所で、称賛を受ける我々は、いったい何者なのか? 

 

【解説】 イエス様が唾を吐かれた場所、それは大祭司カヤパの庭、総督ピラトの官邸の敷石、そしてヘロデ・アンティパスの宮殿です。この世の権力者たちの前で、栄光のみ国の王は、あざけりとむき出しの敵意の前に、“ののしられても、ののしり返さず”(Ⅰペテロ2:23)、一切の自己弁護をせず、裁かず、ただ自らが「ユダヤ人の王」であることをはっきりと認めただけでした。そのお方に、彼らは、唾を吐き、平手で打ち、いばらの冠をかぶせ、むち打ち、ゴルゴタの刑場へと引いていったのです。そのような敵意と無理解と嘲笑の場に立たされたとき、私たちも同じように、自分はキリスト者であることをのみはっきりと言い、あとはイエス様のように、甘んじて辱めを受け、正しい裁きをする方に、一切を委ねることができるだろうか? いや、ペテロのように、はっきりと否定はしないまでも、自らの信仰に触れるのを避け、うやむやにし、はたまた自己を正当化し、己の功績をアピールし、人からの誉れと栄光を我がものにするのだろうか? ああ、そのとき、私たちは、主イエス様の道とは正反対の方向に背を向けて下り、あの丘に立つ十字架から、最も遠いところにいるのではないのか? スポルジョンはそう問うているようです。 

 

Who are we, that we should receive praise where Jesus received spittle?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年

4月

01日

◆剪定されるということ◆

 

“刈り込み”をされるということは、あなたの周りの人々全てが、あなたを“成功者”と判断する基盤を失うということです。

 

~アレン・フッド~

 

 

 

(ヨハネ15:1,2 「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」

 

(ピリピ 3:4,7-9 「ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。…しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。」

 

 

 

【解説】 私の団体の教会の先生が、地域の人々との密着型伝道の一環として“便利屋さん”をなさっていて、うちでも庭木の剪定をお願いしています。昨年暮れに、2年分のかなり伸びた枝を下ろしていただいたのですが、ほぼ一日かけて終了した庭を見た時、思わず「おお!」と叫びました。あれほど上に横に伸び放題だった枝々が、見事に刈り込まれていて、広々としています(庭そのものは典型的“猫の額”なのですが)。その庭に、今年も椿が満開になり、きんもくせいの若枝が伸び始め、時が来ればアジサイもツツジもきれいな花をつけてくれることでしょう。

 

私たちも、長年の間には、この世的な“箔”が付いてきます。“成功者”と呼ばれるに足る社会的地位や、身分、業績、財、恵まれた家族…。でも時として、農夫であられる天の父が、それらのものをヨブのように容赦なく刈り込んでしまわれることがあります。上の2つのみ言葉が教えてくれるのは、次の2つです。

 

①刈り込みの理由:  「もっと多くの実を結ぶ」ためです。きれいに“刈り込んで”しまうことが神様の本来の目的ではありません。どんなにこの世で成功しても、神様がそれは「人間的」なものであり、「実を結ばない」と判断なさったときは、「もっと多くの実を結ぶ」ために刈り込まれるのです。

 

②刈り込みのもたらす実: 私たちの主である「イエス・キリストを知る」ということです。もはや己の業に頼まず、ひたすら信仰によって、み言葉と祈りのうちに、キリストをさらに深く、さらに親しく知るのです。それはまた、かの日には、み前に義なる者として立たせていただくという希望に生きる喜びを知ることでもあります。しかしこの実は、決して“自己完成”に終わるものではありません。主は「行って実を結べ」と言われました(ヨハネ15:16)。神様によって義とされ、この世の罪の縄目から解き放たれて、キリストの愛のうちにとどまり、自由に生きるすばらしさを、“出ていって”言葉と行いによって証しするのです。そのときに、私たちは、朽ちることのない、永遠に残る“魂の実”を結ぶことができるのです。

 

 

 

To be pruned is to lose the basis upon which everyone around you measures you as successful.

 

-Allen Hood-

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2016年

3月

22日

◆物事がうまくいかない本当のワケ◆

 

物事が悪いほうに行ってしまうときというのは、神様が“善”であられることをやめてしまわれたということではありません。それは、私たちが神様を愛し続ける限り、私たちをもっといい場所にお置きになろうとして、神様がいろいろ動かしておられるということなのです。

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

【解説】 家具などを並べ替えること、あるでしょう? 「ここがいいか。いや、ちょっと狭いな」「ここはどうだ? ここはもろに日が当たるからよくない」…。いろいろやってみて、最後にその家具を最高に映えるベストな場所にピタリと収めた時の喜び! 私たちの色々な不都合や試練も、背後で目に見えない神様が、そうやって私たちの“人生”という大きな家の中で、ベストな場所に据えるためにいろいろ考えておられるからなのだというのです。パイパーのこういう“聖なるユーモア”、私は好きです! 物事がうまくいかないときは、腕組みをして考えておられる神様を想像なさってください。「ふむふむ、神様、今お考え中だな。もうすぐ、一番いいとこに収めてくれるさ」と。大抵のことは、笑ってやり過ごせますよ。

 

 

 

When things are going bad, that does not mean God has stopped being good. It means He is shifting things around to ger them in place for more good, if you will go on loving Him.

 

-John Piper-

 

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2016年

1月

29日

◆中傷 何するものぞ◆

 

キリスト者よ、恐るるなかれ。“中傷”をして飛び交わさせよ。“羨望”をしてその鋭い舌先の赴くままにさせよ。それの発するあなたに向けた怒りのつぶやきを聞き流すがいい。あなたの弓が強さを失うことはない。ああ、武装した戦士よ、静まっていなさい。苦難を恐れるな。ただ、高き巣にある鷲のように、平原にいる鳥撃ちどもを見下しなさい。あなたの豪胆なる目を彼らに向けて言うのだ。「撃つがいい。だが私の立つこの高嶺の半分ほどにも届くまい。もしそうするなら、私のせいで火薬の無駄遣いになるぞ。私はお前の手に届かぬところにいるのだ」と。それからあなたの翼をバタバタはためかせ、天に駆け上り、そこで嘲笑の高笑いをするがいい。なぜならあなたは、今や神を隠れ家とし、最も安全なる住みかを見いだしたからだ。

 

 

 

(詩篇91:1,9 「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。…それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。」

 

 

 

【解説】 いわれのない中傷やねたみの攻撃に遭ったことのある人は、そのときの心の痛みがよく分かりますね。でも、全ては神様の許しとご計画の中で起こることです。このスポルジョンの言葉は、極めてビジュアルに、そのときのキリスト者のとるべき態度を描写していますが、言わんとしている唯一の解決策は、しばしば不毛の言い争いになる言い訳などはせず、全てを主に委ねて、そのみ翼の陰に宿るということです。

 

 

Fear not, Christian. Let slander fly, let envy send forth its forked tongue, let it hiss at you, your bow shall abide in strength Oh! shielded warrior, remain quiet, fear no ill; but, like the eagle in its lofty eyrie, look thou down upon the fowlers in the plain; turn thy bold eye upon them and say, “Shoot ye may, but your shots will not reach-half way to the pinnacle where I stand. Waste your powder upon me if ye will; I am beyond your reach.” Then clap your wings, mount to heaven and there laugh them to scorn, for you have made your refuge God, and shall find a most secure abode.

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2016年

1月

27日

◆試練を驚き怪しむなかれ◆

 

それを予期しなさい。何か場違いなことと思ってはならない。全ての神の人々は、それを経験しなければならない。天への“王道”などないのだ。それらは試みと困難の道だ。川のこちら側にとどまる限り、敵の射手たちは、あなためがけて矢を放ち続けるであろう。

 

 

 

(Ⅰペテロ4:12,13 「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。」

 

 

 

Expect it; do not think it a strange thing; all Gods people must have it. There are no royal roads to heaven-they are paths of trial and trouble: the archers will shoot at you as long as you are on this side of the flood.

 

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2016年

1月

10日

◆待つのです◆

 

もし私が、愛する人のために、ただ1つのメッセージを、

 

1つの単純な言葉を残すとしたら、それはこうです。

 

「ああ、兄弟よ、姉妹よ、友よ、

 

人生に何があっても、神様がそこに何を送られようとも、

 

雲が上空を飛ぶように、あるいはゆっくりと覆いかぶさろうとも、

 

心して、待つのです!

 

 

 

絶望が、あなたの足元で暗く絡み合っているかもしれない。

 

あなたの信仰は弱くかすれ、

 

かつてはすばらしく、快かった希望は失われてしまっても、

 

――突然、丘の上に、

 

天の窓枠の上に置かれた天のランプが、

 

あなたのために光り輝き、行くべき道を示してくれます。

 

それはなんと鮮やかなことでしょう。

 

 

 

私は暗闇の中を待ち続け、

 

漆黒の空に、一つの星が昇るのを見たのです。

 

度重なる闇は、いまだ私をつまずかせることはできません。

 

私は学んだのです―神様は、ご自身のランプに灯をともすことを、

 

決してお忘れになることはないのだと。

 

私たちがそれを“待ち続けて”いる限り――

 

灯はともされるのです!

 

~グレイス・ナル・クローウェル~

 

(アーティスト) ジョン・スローン

 

 

 

(詩篇 27:14 「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」

 

 

 

"Wait"

 

If but one message I may leave behind,

 

 One single word of courage for my kind,

 

 It would be this, oh brother, sister, friend.

 

 Whatever life may bring, what God may send—

 

No matter whether clouds lift soon or late—

 

Take heart and wait!

 

Despair may tangle darkly at your feet,

 

 Your faith be dimmed, and hope, once cool and sweet

 

 be lost,—but suddenly, above a hill,

 

 a heavenly lamp, set on a heavenly sill,

 

 Will shine for you and point the way to go—

 

How well I know!

 

For I have waited through the dark and I

 

 Have seen a star rise in the blackest sky,

 

 Repeatedly… it has not failed me yet.

 

 And I have learned... God never will forget

 

 To light His lamp. If we but wait for it—

 

It will be lit!

 

By: Grace Null Crowell

 

 Artist: John Sloane

 

 

 

Wait on the LORD: be of good courage,

 

 and he shall strengthen thine heart:

 

 wait, I say, on the LORD. Ps. 27:14

 

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2015年

12月

27日

◆この世との戦い(2)◆

ああ、あなた方のうちの何人かは、反対者から何かを言われると、途端に自分の持っている信仰を諦めてしまう。だが、真に新生した神の子は、人の意見などはいささかも気にしない。「ああ」、その人は言うだろう。「これで飢えることになってももいい。これで一文無しになって、路上をさまような運命に見舞われても構わない。しかり、我をして死なしめよ。この血管に流れる血の一滴一滴は、キリストのものだ。そして私は、この血を彼のみ名のゆえに流す覚悟は、もうできているのだ。 

 

Ah! some of you, if you had a word spoken against you, would at once give up what religion you have, but the true-born child of God cares little for mans opinion. “Ah,” says he, “let my bread fail me, let me be doomed to wander penniless the wide world over; yea, let me die: each drop of blood within these veins belongs to Christ, and I am ready to shed it for his names sake.”

 

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2015年

12月

26日

◆この世との戦い◆

 

それでは、この世が武器を取り、あなたに向かってきたなら、はたまたこの世が束になって、まるで“軍隊”のように、あなたを全く滅ぼさんと追いかけてきたなら、主の戦士であるあなたの取るべき態度はどのようであろうか? 屈服するや? あなたは屈服なさるのか? 膝をかがめるか? 卑しくへつらうおつもりか? いや、断じて! ルターがその旗に書いたように、「私はなんぴとにも降伏しない」。そして世があなたに向かって戦いに赴くなら、あなたもまたこの世に向かって、戦いにいでゆくのだ。

 

 

 

What is then the behaviour of the Lords warrior when he sees the world take up arms against him, and when he sees all earth, like an army, coming to chase him, and utterly destroy him? Does he yield? Does he yield? Does he bend? Does he cringe? Oh, no! Like Luther, he writes “Cedo nulli” on his banner “I yield to none;” and he goes to war against the world, if the world goes to war against him.

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2015年

12月

22日

◆”待つ”ことこそ信仰の要諦なり◆

 

とりわけ、神がみ顔を隠されたときには、彼はあなたをお忘れになったと言ってはならない。彼は、よりよく彼を愛するようにさせるために、ほんのしばらく”とどまって”おられるだけなのだ。だから彼が再び戻られたとき、あなたは主に在って喜ぼう。言葉に尽くせぬ喜びをもって、歓喜することになろう。”待つ”ことは、我らの思慮分別を訓練する。”待つ”ことは、我らの信仰を試みる。それゆえに、”希望”を持って待ち望むのだ。“み約束”は、遅れることはあるにしても、決して遅すぎることはないからだ。

 

(ローマ 5:4,5) 「忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

 

 

Above all, when thy God hides his face, say not, that he has forgotten thee. He is but tarrying a little while to make thee love him better; and when he cometh, thou shalt have joy in the Lord, and shalt rejoice with joy unspeakable. Waiting, exercises our grace; waiting, tries our faith; therefore, wait on in hope; for though the promise tarry, it can never come too late.

 

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2015年

12月

15日

◆苦しみは誰のもの?(2)◆

 

もしあなたが、真理のために困難に遭うよう召されているなら、それはキリストのお苦しみなのである。

 

もしあなたが、自分自身のせいで苦しんでいるなら、それはあなた自身の罪に対する罰なのだ。

 

 

 

If you are called to endure hardness for the sake of the truth, then those are the sufferings of Christ. If you suffer for your own sake, it may be a punishment for your own sins.

 

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2015年

12月

14日

◆苦しみは誰のもの?◆

愛する諸君、気をつけられよ。あなたの苦しみは、キリストの苦しみであって、ゆめゆめあなた自身の苦しみではないように。もしそうなら、あなたに助けの手は伸ばされない。私たちが慰めを受けるのは、ひとえに、それらがイエスの苦しみであるときだけである。

 

Take heed, beloved, that your sufferings are the sufferings of Christ, be sure they are not your own sufferings; for if they are, you will get no relief: It is only when they are the sufferings of Jesus that we may take comfort.


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2015年

12月

14日

◆神の兵士に鉄壁の守りあり◆

私たちの何人かは、神の連隊の将校であり、敵のライフル銃兵の標的である。直立不動で前進しながら、私たちは敵の全ての銃弾を身に負わねばならない。神の将校たちが、戦闘において、いまだかつてただの一人も倒れたことがないとは、なんと言うあわれみであろうか! 神が、どんなときも、彼らを守られるのである。

(訳 小川政弘)

Some of us are the officers in Gods regiments, and we are the mark of all the riflemen of the enemy. Standing forward, we have to bear all the shots. What a mercy it is that not one of Gods officers ever fall in battle!  God always keeps them.

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2015年

12月

11日

◆キリストの兵士よ、かくあれ◆

キリストの兵士たちよ、もしあなたが兵役登録をしているなら、あなたは激しい戦いをしなければならない。あなたにダウン(綿毛)のベッドはないし、戦車を駆って天に上ることもない。デコボコ道を走り、山々に登り、浅瀬を渡り、龍どもと闘い、巨人たちを剣で打ち倒し、困難を乗り越え、大いなる試みも身に負わねばならない。それは天への滑らかな道ではないのだ。本当ですぞ。

 

(Ⅱテモテ2:3,4「キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。」

 

Soldier of Christ, if thou enlisteth, thou wilt have to do hard battle. There is no bed of down for thee, there is no riding to heaven in a chariot; the rough way must be trodden, mountains must be climbed, rivers must be forded, dragons must be fought, giants must be slain, difficulties must be overcome, and great trials must be borne. It is not a smooth road to heaven, believe me.


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2015年

12月

10日

◆神の子らよ、かくあれ◆

もし私になんのトラブルもなければ、自分が神の家族の一員であるとは信じない。もし私に試みがただ一つだにないとするなら、自分を“天の相続者”であるとはみなさない。神の子どもらは、”むち”を逃れてはならないし、逃れることもあり得ないのだ。

 

(詩篇23:4 「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」

 

If I had no trouble I would not believe myself one of the family. If I never had a trial, I would not think myself a heir of heaven. Children of God must not, shall not, escape the rod.


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2015年

12月

09日

◆疲れたる者よ◆

(マタイ 11:28「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」。

あなたが傷ついたとき、孤独を感じるときは、イエス様に、ゆりかごを揺らすように優しく支えていただき、慰めていただき、このお方の満ちて余りある力と愛を確信させていただきなさい。

~ケイ・アーサー~

 

Come to Me, all who are weary and heavy-laden, and I will give you rest" (Mt. 11:28).

When you are hurting, when you feel lonely let Him cradle comfort reassure you of His all-sufficient power & love.

-Kay Arthur-


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2015年

12月

05日

◆神の忠実さ◆



神の忠実さこそは、私たちの最後の忍耐(訳注:大患難時代の聖徒の忍耐)の望み基礎であり、かしら石となるものだ。聖徒たちは、神が恵みのうちに忍耐されるので、聖さのうちに耐えるのである。神は、祝福するために耐えられ、そこにおいて、信仰者らは、祝福されつつ、耐えるのである。神はご自身の民を守り続けられ、そこにおいて、彼らは神のご命令を守り続けるのだ。



"This faithfulness of God is the foundation and cornerstone of our hope of final perseverance. The saints shall persevere in holiness because God perseveres in grace. He perseveres to bless, and there believers persevere in being blessed. He continues to keep His people, and there they continue to keep His commandments."


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2015年

11月

26日

◆苦しみも、たまもの◆

大いなる艱難の中にあっても、私たちは神を証しすべきである。それらの苦しみを彼のみ手から受け取るときに、すなわち私たちを愛し、私たちが愛するお方によって苦しめられるときに、痛みのただなかにあっても喜びを感じるということを――。

~ジョン・ウェスレー~

 

(ホセア 6:1 「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。」

(ピリピ 1:29) 「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」

Even in the greatest afflictions, we ought to testify to God, that, in receiving them from His hand, we feel pleasure in the midst of the pain, from being afflicted by Him who loves us, and whom we love.

-John Wesley-

"Let us return to the Lord; for He has torn, but He will heal us; He has stricken, but He will bind us up" (Hos. 6:1)

 


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