2019年

1月

15日

◆ある祈り: あなたの証しのために◆

あなたの生活が、

あなたの口の言葉よりも

より声高く福音を説くものでありますように。

 

【解説】 訳者にとっても、とても新鮮で、自らの生き方を探られる祈りでした。「生活」と訳した原語lifeは、ご存じのように、「人生」「命」の意味も持っています。その意味も込めてこの祈りを味わいましょう。

私たちが救われた神の“福音”―救いの良き知らせ―は、今度は私たちが宣べ伝えなければなりません。それが私たちの“証し”ですが、それは、言葉だけではなく、日々の生き方によってもなされるものです。あなたのご家族、ご近所、学校、職場など、私たちの周りにいる100人のうち99人の人々は、まだこのすばらしい福音を知りません。そして、あなたがクリスチャンであると知ると、“クリスチャンとはどういう人なのか”と、あなたの一挙手一投足を見ています。そのとき、あなたの語る証しが行いを伴っていないと、「言ってることとやってることが違うね」と思われ、その人々の信仰への道は、遠ざかってしまいます。逆に、語る言葉はつたなくても、いいえ、何も言わなくても、その行いが、本当に“喜びと感謝と愛”に満ちていると、それは千の言葉よりも雄弁な、“福音の宣教”になるのです。

なぜこの祈りのオリジナルの画像が、2羽の小鳥なのかと考えながらイラストを見ているうち、イエス様の山上の教えを思い出しました。

(マタイ 6:26) 「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」 

私たちの“生活”は、この小鳥たちのように、労せずして、日々の必要を備えられ、天のみ父に養われ、“生かされている”日々の積み重ねの“人生”です。かく言う私は、3年間の国際詐欺の被害で、今もその日その日を妻と共にかろうじて生きているのですが、不思議に守られています。そこから、口をついて出るのは、ただ「感謝、感謝」です。明日どうなるか分からなくても、今日を生かされている“命”の喜びがあふれてくるのです。これが“福音”でなくて何でしょうか?

この短い祈り、愛する同労者のために祈ると共に、まず自分自身のために、「あなた」を「私」に代えて、日々祈る者でありたいですね。

 

May your life preach more loudly than your lips.

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2017年

9月

18日

◆♬私は小さい灯 光りましょう◆

あなたは、自分の明かりは小さいと思うかもしれない。

だがそれは、他の人々の人生の中で、

実に大きな違いをもたらすことができるのだ。

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2017年

8月

25日

◆チビ伝道◆

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2017年

7月

18日

◆あなたのキリスト、人に見えてますか?◆

もし人々に、あなたの内なるキリストが見えないとしたら、彼らは、あなたが「持っている」と言うものも欲しがりはしないでしょう。

ひとたびあなたが、“自分は主が愛される者の一人として受け入れられた”と実感するなら、あなたは“人に拒まれる”ことは意に介しなくなります。なぜでしょう? なぜなら、自分が与えなかったものを、あなたから取り上げることのできる人は、この地上にただの一人もいないからです。

~トッド・ホワイト~

 

【解説】 これ、一読して、「なんか深そうだけど、イマイチ深すぎて分かんない」と思いません? 私は思いました!(笑) そこでご一緒に、著者が言わんとしているポイントを考えましょう。

① まず、あなたは自分がクリスチャンであることを人々に伝えていますか? それは言葉を変えて言うと、「私はキリストを救い主、主として、持っています。私の内には、キリストがおられます」と証しすることです。それがこの文章の大前提になっています。およそあなたの“持っている”ものの中で、それが一番大事なものです。その大切なキリストを、いくら「持っている」と人々に口で言っても、あなたの日々の行い、言葉を通して、人々にそのお方が“見えない”、感じられないとしたら、他のいかなるものを我がものとして誇ったとしても、誰も欲しいとは思わないということです。それはしょせんうわべだけの、実体のないものだということがバレバレだからです。

② 次に、今度は、ご自分の人生で、“誰に受け入れられることが、あなたにとって最も大切なのか”、という問題です。端的に言えば、人か、神か、ということです。答えは言うまでもなく、後者、”神様”ですね。この全宇宙の中で、あなたを十字架の極みまで愛し、命を捨ててくださったお方が、あなたを”我が愛する者、我が子”として受け入れてくださっている、この真実の前に、地上のあらゆる人間関係の複雑さ、煩わしさは、霧散します。人を支配し、支配される泥沼のようなしがらみからも解放されるのです。世の人は、あなたに様々なものを与えてくれたかもしれない。それは時として、あなたを自分のそばに引き寄せておくための“アメ玉”だったかもしれない。でも彼らは、あなたに命よりも大切なもの、あなたの主、”キリスト”を与えてはくれなかった。そして、彼らは、どんな手練手管をもってしても、自分が与えることのできなかったものを、あなたから奪うことはできないのです。

“この世の全ての人に見捨てられてもかまわない。このお方が、私と共におられるなら――。” この確信を、あなたは、しかとお持ちですか?

 

If people don’t see Christ in you, they won’t want what you say you have. Once you realize you are accepted in the Beloved, you’ll never feel rejection by people. Why? Because nobody on this planet can ever take away what they didn’t give you.

-Todd White-

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2017年

1月

07日

◆時がよくても悪くても…◆

もし収穫のない季節が訪れたら、種蒔きはやめにせずばなるまい、などということを想像してはならない。
私たちの仕事は、“行動”することであって、“結果”を見ることではないのだ。

 

We are not to imagine that if unfruitful seasons come, we are therefore to cease from sowing our seed. Our business is with act, not result.

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2017年

1月

03日

◆”神の選びの民”を探せ!◆

私たちは、異邦人(異教徒、未信者)を回心させなければならない。神は彼らの中に、あまたのご自身の“選びの民”をお持ちなのだから、私たちは出ていって、どうあっても彼らを見いださなければならないのだ。

 

(使徒 18:9,10) 「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」。

 

【解説】 今日のスポルジョンの言葉に、2つのことを教えられます。
① 引用した聖句を皆さんはどう解釈していましたか? 私は、この「わたしの民」とは、既にイエス様を信じているが、諸事情で教会を離れている人、母教会の圏外に引っ越して、教会を探している人のことと思っていました。でもこれは違うのです。本人はまだ信じていないけれど、神様にはすでに“選ばれて”いる潜在的クリスチャンのことなのですね。
② したがって、これは、「神の選びと召し」という大いなる信仰の奥義を秘めた言葉だと言えます。すなわち、私たちの宣教論は、どんな場合でも、証しし、伝道する私たち人間の目線でではなく、永遠の昔から、既にご自身の民を選んでおられる神様の視点で語られ、理解されなければならないということです。スポルジョンは、must(…ねばならない)という最上級の強い義務感を表す言葉を2度も用いていますが、これは決してクリスチャンの伝道の義務を人間的観点から強いているのではなく、“神様にすでに選ばれている人を、私たちの怠惰によって失ってはならない。どんなことをしても、その人々を探し出さなければ!”という、神様の促しへの“応答”の決意の表れなのです。
この新しい年も、2000年前の弟子たちのように、“神の選びの民の探索者”として、恐れずに語り続けねばと思わされることです。

 

We must have the heathen converted; God has myriads of His elect among them, we must go and search for them somehow or other.

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2016年

11月

05日

◆小さな炎でいいのです◆

あなたががどこにいても、灯(ともしび)になって、全ての傷ついた心を通して輝き、その光を、暗闇を突き抜けるように広げなさい。あなたの輝きがどんなに小さくても、ほんの小さな炎であったとしても、それは暗闇を追い払い、希望の翼が再び飛ぶのを助けることができるのです。
(マタイ 5:14) 「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。」
~サミュエル・C・リー~

 

Wherever you are, be the light and shine through every broken heart, spread out your light and pierce through darkness. No matter how little you shine, even one small flame of yours can chase away darkness and help the wings of hope to fly again. (Remember Matthew 5:14)
Samuel C. Lee

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2016年

9月

02日

◆来りて飲め◆

我らの主のみ名によって、私たちは大声で叫びながら、この言葉で人々を招かなければならない。
「誰であれ、いのちの水が欲しい者は、それをただで受けなさい。」(参考「ヨハネの黙示録」22:17)

 

In our Master's name we must give the invitation, crying, "Whosoever will, let him take the water of life freely."

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2016年

8月

04日

◆尊敬と寛容の心で◆

 

クリスチャンとして、私たちは、自分と違う考え方をする人に対して心を開き、また尊敬しなければならないと私は信じています。時として、私たちは、自分と同じ信仰、同じ教派の人々だけを愛しているような印象を世の人々に与えています。

 

私はこのFB(フェイスブック)を、“尊敬”と“包含性”は、私たちの人間性の一部を成すもので、自らの宗教、信仰、性などを超えるものだということを、私の友たちに語るための場として用いています。

 

私はこの機会を用いて、ユダヤ教、イスラム教、バハイ教、ヒンドゥー教、仏教、無神論者、ヒューマニスト(人間主義者)である私の友たちに、「私はあなたを尊敬しています」と申し上げたい。

 

私のクリスチャンの友に対しては、「心配しないで。また裁かないで。私はそれでもクリスチャン、イエス・キリストの追従者、全身全霊をもってこのお方に仕える者ですから」と言っておきます。

 

~サミュエル・C・リー~

 

 

 

【解説】昨日に続いて、オランダのサミュエル・リー牧師のコメントですが、このFBを、自らの信仰告白の場として用いると共に、キリスト者以外の方々にも、人間としての愛と共生を呼びかけるその姿勢には、深く共鳴するところがありましたので、ご紹介しました。

 

 

 

As a Christian I believe we have to be open and respect those who think different than us. Sometimes we give the world the impression that we only love them when they believe in the same faith and denomination as us. I use this platform of FB to tell my friends that respect and inclusivity are parts of our humanity and it surpasses our religions, faith gender etc .... I use this opportunity to tell to my friends who are Jews, Muslims, Baha'i, Hindu or Buddhists, and atheist or humanist, I respect you. To my Christian friends I would say, don't worry, and don't judge me, I am still a Christian a follower of Jesus Christ and with whole my heart I serve Him.

 

-Samuel C. Lee-

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2016年

7月

05日

◆魂のすなどりは誰の仕事?◆

 

魂のすなどりは、キリスト教の聖職者の第一の仕事であるが、実のところは、まことの信仰者なら誰でも遂行すべき主要な仕事なのである。

 

 

 

Soul winning is the chief business of the Christian minister; indeed it should be the main pursuit of every true believer.

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2016年

6月

27日

◆主の大宣教命令のうちに生きる◆

 

主は弟子たちから離れる時、今もなお、主に従う全ての者の務めたらしめている、あの大宣教命令をお与えになった。「全世界に出ていって、全ての創られた者に福音を宣べ伝えよ。」(マルコ16:15

 

 

 

Before he left them, he gave them that great commission which is still binding upon all his followers, “Go ye into all the world, and preach the gospel to every creature.”

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2016年

6月

24日

◆福音を語らざる者は災いなり◆

 

私は、神はご自身が選ばれた者を救われると信じるが、同時に、もし私が福音を宣べ伝えなければ、人々の血が私の戸口に置かれることもまた信じる。

 

 

 

(レビ記 17:11 「なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。」

 

(Ⅰコリント9:16 「というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ。」

 

 

 

【解説】 これは、スポルジョンが固く信じる、“救い”における神の主権と、人間の責任の両面からの信条の告白です。人の救いを決定づけるものは、神の“選び”です。しかし、それは、“どうせ神が選ばれた者しか救われないし、選ばれた者は黙っていても救われる。我々には、神が誰を選ばれたかは分からない。だったら何も伝道する必要はない。”という“あまのじゃく論理”を肯定するものでは断じてありません。一方では、“救われなかった者は、永遠の滅びに入れられる”という厳粛な事実があるのです。私たちは、神様が誰を救いに選ばれたか分からないからこそ、一人でも滅びないように、時があるうちに、一生懸命に証しし、伝道しなければなりません。もしそれを怠ったら、私たちの前には、私たちの怠惰のゆえに救われなかった人々の血が無駄に注がれるために置かれるというのです。血は命の象徴です。実に人が救われるかどうかということは、永遠の命に関わる厳粛な事柄なのだということを、改めて心に銘記したいものです。

 

 

 

I believe that God will save his own elect, and I also believe that, if I do not preach the gospel, the blood of men will be laid at my door.

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2016年

6月

15日

◆神の家族は”恵みの管(くだ)◆

 

共にイエス様を愛する健康で敬虔な家族は、この地上どこででも、周りの人々への力強い“恵みの水道管”です。

 

 

 

~デイヴィッド・シルカ―~

 

 

 

A healthy, Godly family that loves Jesus together is a powerful conduit of grace to the neighbourhoods of the earth.

-David Sliker-

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2016年

6月

09日

◆主の証人の基本的スタンス◆

 

この事を心に留めなさい。神の福音を聞き、神の祝福を携えて出ていくのです。

 

”主イエス・キリストのみ名を信じる者は、誰であれ救われる“。

 

 

 

(詩篇 126:5,6 「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」

 

(マルコ16:15,20 「それから、イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』…そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」

 

 

 

Take heed. Hear the word of Gods gospel, and depart with Gods blessing. “Whosoever believeth on the name of the Lord Jesus Christ shall be saved.”

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2016年

6月

05日

◆最大のインパクトはどこから?◆

 

あなたが与えうる最も大いなる感銘(衝撃)は、

 

あなたの語る言葉によるのではなく、

 

あなたがいかに生きるかによるのである。

 

~アイザック・ベネット~

 

 

 

The greatest impression (impact) you will ever make is not by what you say but how you live.

 

-Issac Bennett-

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2016年

5月

23日

◆あなたの証しは主がお買い上げ◆

 

時として、神様はあなたの証しを“お買い上げ”になります。

 

将来自分がそうならないように、あなたの過去の物語を聴く必要のある人々で、あなたの周りを囲んでくださることによって――。

 

~ジョン・エイカフ(作家)

 

 

 

【解説】 私たちの信仰の体験談=証しの解説として、このように新鮮な言葉を初めて聞きました。このようなお話、訳者は個人的に大好きです! あえて分かりやすく“買い取る”と訳した原語のredeemリディームは、聖書・キリスト教の世界では“贖う”と訳します。値を払って買い取ることで、イエス様の十字架のみ業(ご自分の命の値を払って、私たちを罪と滅びの中から買い戻してくださったこと)を指します。この一文の著者エイカフは、さすが文学者、この優れて神学的な言葉を、私たちの証しの業の大切さ、貴重さを表すことに用いました。あなたの証しは、それによって他者を絶望と悲嘆、時には自殺をさえ考えているかもしれない崖っぷちから救い出す力を持ち、神様が嘉(よみ)して買い取ってくださるほどすばらしいことなのだと言っているのです。 いかがですか? あなたはそんな証しをお持ちですか? 言葉の巧拙は問題ではない。主があなたになしてくださったことを、臆せずに、あの方に語ってください。そして、神様に、にっこり笑って買い取っていただいてください。(そのときの神様の支払いは、もちろん、表が“恵み”、裏が”祝福”と刻印された、天国銀行発行のコインです!)

 

 

 

"Sometimes God redeems your story by surrounding you with people who need to hear your past so it doesn't become their future."

Jon Acuff, author

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2016年

5月

04日

◆人々の前でもキリストを生きよ◆

 

私の同朋たちよ、言わせてほしい。どんなときでも、キリストのようであれ。公の場でも彼に倣え。私たちのほとんどは、ある種の”公共性”の中で生きている。私たちの多くは、毎日、同輩たちの前で働くよう召されている。私たちは注目され、話す言葉は記憶され、その生きざまは、細部に至るまで吟味されている。私たちのなす全ては、“鵜の目鷹の目”のこの世がしかと観察しており、鋭い批判が私たちを待っているのだ。公の場でも、“キリストの命”を生きようではないか。

 

 

My brethren, let me say, be ye like Christ at all times, imitate him in public. Most of us live in some sort of publicity; many of us are called to work before our fellow men every day. We are watched; our words are caught; our lives are examined-taken to pieces. The eagle-eyed, argue-eyed world observes everything we do; and sharp critics are upon us. Let us live the life of Christ in public.

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2016年

5月

03日

◆いつイエスのようであるべきか?◆

 

それでは、いつキリスト者はイエス・キリストのようであるべきなのか? キリスト者がキリストの兵士の軍服を脱ぎ、鎧や武具を身から取り外すべき時はあるのか? まさか! いかなるときも、どこにあっても、キリスト者は自らをして、そう告白しているとおりの者であらしめよ。

 

 

 

When should a Christian, then be like Jesus Christ? Is there a time when he may strip off his regimentals-when the warrior may unbuckle his armor, and become like other men? Oh! no; at all times, and in every place let the Christian be what he professes to be.

 

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2016年

1月

24日

◆あるソールウィナー(救霊者)の告白◆

 

ああ、もし私が今日、1人でも魂を勝ち取るなら、満足して家に帰るであろう。20人でも勝ち取りさえするなら、私は大いに喜ぶであろう。魂を多く勝ち取れば勝ち取るほど、私は多くの冠をかぶることになるのだ。“かぶる”! いや、私は直ちにそれら全てを頭から取り外し、イエスの足元に投げ出し、こう言うであろう。「私にではなく、あなたのみ名に、全ての栄光がとこしえにありますように。」と――。

 

 

 

Oh! if I may but win one soul to-day, I will go home contented. If I may but gain twenty, then I will rejoice. The more I have, the more crowns I shall wear. Wear! No, I will take them all at once, and cast them at Jesus feet, and say, “Not unto me, but unto thy name be all the glory, for ever.”

 

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2015年

12月

31日

◆キリスト者の基本的スタンス◆

 

ああ、キリスト者よ! この世はあなた方の友ではない。もしそうなら、あなたは神の友ではないということだ。なんとなれば、世の友である者は、神の敵だからである。そして人にさげすまれている者は、しばしばヤハウェの神に愛されているのである。

 

 

 

(ヨハネ15:17-19 「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。」

 

 

 

O Christian! the world is not thy friend. If it is, then thou art not Gods friend; for he who is the friend of the world is the enemy of God; and he who is despised of men, is often loved of Jehovah.

 

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2015年

11月

30日

◆背後の祈りなくして宣教なし◆

家にとどまるクリスチャンは、外国宣教のために、実際に現地に赴く人々と同じくらいの働きをすることができる。家庭にある信仰者の熱い祈りによって、宣教の働きがどれほど多く成し遂げられたかは、終わりの日にのみ知られることになろう。

J. O. フレイザー~

                                                     

Christians at home can do as much for foreign missions as those actually on the field. It will only be known on the Last Day how much has been accomplished in missionary work by the prayers of earnest believers at home.

-J. O. Fraser-


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2015年

11月

24日

◆このお方と共に、いずこへも◆

  1. 神のみ心を知ろうと思ったら、私たちには開かれた聖書と開かれた地図が必要である。
    To know the will of God, we need an open bible and an open map.

    (イザヤ 6:8 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

  2. 私の友の全ては、一人のお方だけである。だがこのお方は、全ての必要を満たしてくださる。

 

~ウィリアム・ケアリー(インド宣教師)

 

  1. To know the will of God, we need an open bible and an open map.
    "I heard the voice of the Lord, saying: 'Whom shall I send, and who will go for Us?' Then I said, 'Here am I! Send me'" (Isa. 6:8)

  2. All my friends are but One, but He is all sufficient.

    -William Carey-

     


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2015年

11月

22日

◆アレン・フッドの”警告”◆


  1. キリスト者は、聖書の中にある教えに従って、イエスの真理を“宣言”することに身をささげなければならない。西欧文化の中の“偽の”キリストをではない。

  2. 神にある全相続財産よりも少ないもので妥協してはならない。

【解説】 言葉を変えれば、この世の“神なき財産”全てということです。

 

~アレン・フッド~

 

  1. Christians must be committed to proclaiming the truth of Jesus Christ as taught in the Scriptures and not the counterfeit Jesus of Western culture.

  2. Settle for nothing less than your full inheritande in God.

-Allen Hood-


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2015年

11月

06日

◆時が良くとも悪くとも◆

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆

Charles Spurgeon The Prince of Preachers

 

私たちが、若いキリスト者に真理を教えようが教えまいが、サタンは自信をもって、彼らに誤りを教えるであろう。

【解説】 私たちのは、自分のやるべきことが分かっているのです! 「自分はどうか?」と、今朝、自問してみましょう。あなたは、若い信仰者を前にして、自分のやるべきことが分かっていますか? 敵は、こちらが真理を教えるか教えないかなど頓着せずに、闇の主権者の命じるところを忠実に、間違いなく遂行するのです。だとしたら、私たちも、死に物狂いで聖書の真理を教えたとしても、まだ十分とは言えないかもしれません。若い人々のナイーブな心が、悪しき教えに占領されることのないように、み言葉の真理で満たしてあげるのは、私たちの責任です。(マタイ124345

 

Whether we teach young Christians truth or not, the devil will be sure to teach them error."


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2015年

11月

05日

◆なんのために輝くの?◆

他の人が“あなた”を見るために、

輝いてはいけません。

他の人が、あなたを通して、

“あのお方”を見るために、

輝きなさい。

 

Don’t shine so that others can see you. Shine so that through you, others cansee Him.


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2015年

10月

20日

◆神が選んだ”救われ人”を探せ!◆

私たちは異教徒や無教徒の回心者を得なければならない。神は彼らの中から、無数の人々をすでに選んでおられるが、私たちは、出ていって、なんとしても彼らを探し出さねばならないのだ。

 

【解説】 スポルジョンが最期まで持ち続けた救霊のスピリットを見ることのできる一節です。そして、神秘なる神の”選び”の業と、私たちに委ねられた“救霊”の責務の密接な関わりをも改めて考えさせられる一節でもあります。すなわち、神様は、永遠の昔から、すでにご自身の民を選んでおられる(エペソ146)。しかしその人々は”隠されて”いて、そのままでは分からない。それを、出ていって、探し出して、人々と神様のみ前に明らかにするのが、先に救われた私たちのなすべき証しと救霊の使命だというのです。そこには、神によって救いに選ばれたかけがえのない人々を、私たちの肉の怠惰によって、見いだされることのないままにすることがないように、という厳粛な”警告”も秘められていることを、見落としてはなりません。スポルジョンの言う”無数の人々”の中には、あなたのご家族も、あなたの親しい友人も含まれているのですから――。

 

We must have the heathen converted; God has myriads of His elect among them, we must go and search for them somehow or other.


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2015年

10月

16日

◆イエスの旗印◆

私たちは、イエスのみ名を旗に書く。なぜなら、それは地獄の恐怖、天の喜び、そして地上の希望であるからだ。

 

We write Jesus’ name upon our banner, for it is hell’s terror, heaven’s delight and earth’s hope."


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2015年

9月

23日

◆釣り◆

少年だった私は、手に釣り竿を持って、川のそばの大きな岩に座っていました。父は私の隣で、”釣りの美学”なるものを教え込もうと必死でした。せっかちだった私は、決して優秀な生徒ではありませんでした。そこにじっと座っているのが嫌いで、野球や自転車乗りがしたくてたまらなかったのです。何度かやってみたあと、父もとうとう諦めて、私が野球に行くのを許したので、父も平和に釣りを楽しむことができました。

 

 私がやっと釣りを楽しむことができるようになったのは、年を取ってからでした。釣りは、日々の生活のストレスや過労から逃れる方法でした。静かに、平安でいられる方法でした。それは、独りで座り、私たちの周りの至る所にある自然の美しさや、神の愛を楽しむ方法でした。自分にも子供ができると、私は彼らを何度か釣りに連れていきましたが、息子たちの“自閉症”は、いっときも静かに座っていることを許しませんでした。じきに私たちは釣りを諦め、代わりに、他の人たちが釣りをしている田舎の湖を散歩することに平安を見いだしました。

 

 少年だった私は、聖書の中でイエス様が、弟子たちに「お前たちを人間を取る漁師にしてあげよう」と話された箇所が、しばしば不思議でなりませんでした。「どうやって人間が人間を釣れるんだろう?」、そう思ったのです。でも大人になるにつれて、分かってきました。叫んだり、大声でどなっては、魚や人を取ることはできません。彼らを怖がって逃げさせるだけです。そうではなく、あなたは網を用意して、静かに舟を出さなければならないのです。釣り糸をそっと垂れて、忍耐深く待たなければなりません。深みにいる全ての飢え渇いた魂に、“神様の無条件の愛”というエサをぶら下げなければなりません。”愛と真実”という網を、喜びをもって投げ広げ、彼らがそこに寄ってくるのを待たなければならないのです。

 

 たぶん、私たち“漁師”全てが、マーク・トウェインの忠告に従うことが、最善の方法でしょう。「自分が死んだときに、葬儀屋さえ悲しむような生き方をしたまえ」。なぜなら、人々の心を捉えるのは、愛の人生を生きることによってだからです。イエス様が召された“人間を取る漁師”になるのは、私たちの平安、喜び、親切を、人々にも分かち合うことによってだからなのです。

~ジョセフ・J. マゼラ~

 

【訳者の一言】マーク・トウェインの言葉、いいですね! 葬儀屋さんにとっては、召天者が一人でも多いほうが商売繁盛というものですが、その葬儀屋さんさえ、「あの人には死んでほしくなかった。もっと長生きしてほしかった」と嘆かせるような人生。これこそ神様に救われ、生かされた者の“人間冥利”に尽きるというものです。よし、このような人生を生きよう!

 

"Fishing"

 

I was a young boy sitting on a big rock by a river with a pole in my hands. My Dad was next to me trying to show me the fine art of fishing. Being an impatient boy I wasn't a very good student. I hated just sitting there and longed to be playing ball or riding my bike. After a few more attempts my Dad finally gave up and let me go play so he could fish in peace.

 

It wasn't until I was older that I finally began to appreciate fishing. It was a way to escape the stress and strain of daily life. It was a way to be quiet and peaceful. It was a way to sit in solitude and enjoy the beauty of nature and the love of God that was all around us. When I had my own children I took them fishing a few times, but my sons' Autism made it too hard for them to be quiet and sit still. We soon gave up fishing and instead found our peace walking around the local lake while others fished it.

 

As a boy I was often puzzled by the part of the Bible where Jesus told his disciples that he would make them "fishers of men." I thought, "How can anyone fish men?" As I got older, however, I began to understand. You can't catch fish or men by screaming and shouting. That only scares the fish and men away. Instead you have to ready your nets and cast off your boat quietly. You have to set your line peacefully and patiently. You have to dangle the bait of God's unconditional love to all the hungry souls out there. You have to joyfully cast your net of love and truth and let them come to it.

 

Perhaps it is best if all of us fishermen follow the advice of Mark Twain and "so live that when we come to die even the undertaker will be sorry." For it is by living a life of love that we catch the hearts of others. And it is by sharing our peace, joy, and kindness that we become the "fishers of men" that Jesus called us to be.

 

By Joseph J. Mazzella


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2015年

9月

15日

◆こんな小さな灯でも◆

あなたは、「私の灯は小さい」と思うかもしれませんが、他の人々の人生に、大きな違いをもたらすことができるのです。

 

ひと言の優しい言葉、ひとつの祈り、ひとつのほほ笑み、お小遣いからのささやかな献金でも、心の中で、そうしようと思うなら――。(フロイド・ハリス)(ネパールがんセンターのルーベンさんより)

 

A kind word, a prayer, a smile and even going in your pocket giving as you purpose in your heart.

Floyd Harris-


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2015年

8月

29日

◆あなたのビジネスは”救霊業”!◆

あなたは、この地上で、一つの”職務”(ビジネス)を持っている。―それは“魂を救う”ということである。

~ジョン・ウェスレー~

 

You have one business on earth – To save soul.

-John Wesley-


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2015年

8月

28日

◆宣教史は”祈りの歴史”◆

宣教の歴史の多くの部分は、うまずたゆまぬ祈りに応えて動かされた神の視点でつづられている。

 

Much of the history of missions could be written in terms of God moving in response to persistent prayer.


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2015年

8月

23日

◆主の山に備えあり◆

神様の方法でなされた神の業に、神様からの必要の満たしが絶えることはない。

~ハドソン・テイラー~

 

God’s work done in God’s way will never lack God’s supplies.

-Hudson Taylor-


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2015年

8月

20日

◆祈りも証しです◆

◆祈りの家◆

 

”祈る”という行為そのものが、神様がおられることと、このお方は私より大きな存在で、全てをご支配なさっていることを表しているのです。

~ミスティー・エドワーズ~

 

Just the act of prayer is saying that there is a God, He’s bigger than me & He’s in control.

-Misty Edwards-


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2015年

8月

19日

◆四重の”全て”◆

全世界に、福音を全て伝えるのは、全ての教会の、やるべきことの全てである。

 

【訳注】 「全員」「全て」と訳した語の原文は、4つとも全て、wholeホールです。この福音によって、人の全人格whole personalityは、キリストに似たものとされていくのです。

 

It is the whole business of the whole local church to preach the whole gospel to the whole world.


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2015年

8月

16日

◆今は からし種でも…◆

◆今日の霊想◆(2)

―今はからし種でも…―

 

神様のなさる全てのみ業は、一粒の種から始まり、“収穫”をもって終わります。

 

(マタイ13:31,32「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」

(ピリピ 1:6 「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」

 

Everything that God does begins with a seed and ends with a harvest.


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2015年

8月

13日

◆選んでる場合にあらず◆

“大宣教命令”は、考慮すべき選択肢の一つなどではない。

それは服従すべきご命令なのだ。

~ハドソン・テイラー~

 

(マタイ28:19,20「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

(マルコ16:15「それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」

 

The great commission is not an option to be considered; it is a command to be obeyed.

-Hudson Taylor-


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2015年

8月

08日

◆我、”神の愛“の通りよき管たらん◆

◆今日の霊想◆

―我、“神の愛”の通りよき管たらん―

 

私たちは、“自我”というものをわきに押しやって、神様の愛が自分を通して流れ出ることを許すときにのみ、自分の人生の本当の意味と目的を見いだすのです。

 

(マタイ 10:39「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」


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2015年

8月

08日

◆最も近きところから始めよ◆

家庭での日曜学校で主に仕えることをしない人が、中国で、子どもたちをキリストに導くことはできない。キリスト者の奉仕にとって、“距離”は現実的な魅力にはなりえないのだ。

 

【解説】 彼の言わんとするところは、宣教師として、母国から遠くへ行けば行くほど、より犠牲を払って主に仕えているように思えるので、”遠くの地”というのは大いに魅力的だが、それは“錯覚”であって、遠ければいいというものではない。現実には、最も身近なところ(=家庭!)でまず忠実に仕えられるかが重要なのだ、ということですね。これは宣教だけの話ではありません。どんな奉仕をするにしても、まず家庭ではどうか、から始まるのです。

 

"He that will not serve the Lord in the Sunday-school at home, will not win children to Christ in China. Distance lends no real enchantment to Christian service."


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2015年

8月

06日

◆光の刈り入れ◆

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆

Charles Spurgeon The Prince of Preachers

―光の刈り入れ―

 

主は、”光を蒔く人”への収穫を備えておられ、彼らは、自分自身の蒔いた分を刈り取るということを、私たちは十分に確信している。

(詩篇 97:11「光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。」

神の“義”は、あらゆる危険の中で押してそれを守ろうとする人には、しばしば払う値の大きいものだが、終わりの日には、それは十分に償われ、計り知れない利益をもたらすのだ。

 

"Full sure are we that the Lord has set a harvest for the sower of light, and they shall reap it, each man for himself.." Light is sown for the righteous, and gladness for the upright in heart. (Psalm 97:11) Righteousness is often costly to the man who keeps to it at all hazards, but in the end it will bear its own expenses and return an infinite profit.


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2015年

8月

03日

◆あの喜びを忘れじな◆

たとえ私が全くわがままで、自分自身の幸せしか眼中にないような人間だとしても、もしできるなら、私は神のもとで、”魂を勝ち取る人”になりたい。なんとなれば、私を通して救い主を探し求め、見いだした人のことを初めて聞くまで、私は、最も純粋で気高い魂の状態にある人の、かくも完璧で、あふれ流れるような、言葉に尽くせぬ幸せというものを、絶えて知らなかったからだ。

 

【解説】 このスポルジョンの、偽らざる”告白”は、私たちに、あの初めて人をキリストのもとに導き、手を取り合って、あるいは涙しながら喜びを分かち合った日の感動を思い出させてくれないでしょうか? かくいう私も、今は天に帰られた、救われて1年目で初めて主のもとに導いた愛するK兄のお嬢様方3姉妹に、このFBを通してお会いでき、神様がならせてくださった”魂を勝ち取る人”の特権と、そこから何代にもわたって流れ広がる恵みの大きさに、改めて畏れつつ感謝をささげたことでした。Soul Winner ソウルウィナー、”魂を勝ち取る人”―生涯、この召しに忠実でありたいですね。そのために、イエス様は命を捨てられたのですから――。

 

Even if I were utterly selfish, and had no care for anything but my own happiness, I would choose, if I might, under God, to be a soul winner, for never did I know perfect, overflowing, unutterable happiness of the purest and most ennobling order, till I first heard of one who had sought and found a Saviour through my means.


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2015年

7月

27日

◆主よ、重荷を負わせてごめんなさい◆

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ1128

 

私たちを休ませてくださるために、神様は喜んで私たちの日々の重荷を負い、軽くしてくださいます。だから、神様のみ名のゆえに重荷を負うことに、不平を言ってはいけません。神様もまた、私たちの重荷を負ってくださるのですから。実際のところ、私たちの中には、その人生において、神様をお助けするどころか、いつも神様の“重荷”になっている人がいるのです。

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神様のために負う重荷のゆえに、不平を言う前に、この長い年月、神様が私たちのために負い続けてくださった数えきれない重荷のことをよく考えてみましょう。そうすれば、私たちは、自分のつぶやきにも、自分自身にも、恥じ入ることでしょう。

 

Mat 11:28 "Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest.

To give us rest, God is willing to bear and lighten our daily burdens. So, do not complain about bearing burdens for His name’s sake since He is also bearing ours. In fact, some of us is a continuous burden rather than a help to Him in our lives.

Before we think of complaining about the burdens we bear for God's sake, take a good look at the countless burdens He has been bearing for us all these years! Then, we may be ashamed of our complaints and of ourselves.

 


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2015年

5月

05日

◆神の絶対命令: 舌を制御せよ◆

舌には骨がありませんが、心臓(心)を打ち砕くほど強力です。あなたの言葉に気をつけなさい。

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 あなたに噂話をする人は、あなたのことも噂します。

 あなたの舌を撃て!

 もしあなたが、(その人について)言えるいいことが何もなかったら、一切何も言わないことです。アーメン。

 

【解説】私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。(ヤコブ32

 

A tongue has no bones but it is strong enough to break a heart. Be careful with your words.

 

Whoever gossips to you will gossip about you.

SHOT YOUR TONGUE

"If you don't have anything good to say don't say anything at all".. Amen!


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2015年

4月

27日

◆この世で主に仕えるあなたに◆

「神様は生活の中心です。この方は私が存在することの根拠です。私はこの方に仕えます。」

 私は誰のために働くのですか?

 私の働きは、仕事なのでしょうか、奉仕なのでしょうか?

 もし私の働きが神に仕えることなら、私のしていること全てに、どのように“天上の奉仕”を組み込ませることができるのでしょうか?

 「あなたはフルタイムの伝道活動には関わっていないかもしれません。でも、もしあなたがキリスト者なら、あなたの「業務一覧」は私のと同じです。それは、聖霊に満たされて、愛のうちに、あなた自身を他者の中に注ぎ出すことです。それを可能にしてくださるみ霊の力に信頼して――。」(ジル・ゲアリー・ビスコー)

 

【解説】作者は、メッセージの内容から、フルタイムの聖職者でしょう。あるレイマン(平信徒)の問いに、作者が「」内の言葉で答えています。キリスト者のこの世での使命を説く彼女の定義に、私も「アーメン」です。この定義の前に、もはや牧師も神父も社会人も主婦も学生もありませんね。

 (マルコ16:15)「それから、イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』」

 

"God is the center of life. He's why we exist. He's whom we serve."

Who do I work for?

Is my work a job or is it service?

If my "work" is to be serving God, how can I incorporate heavenly service into all that I do?

"You may not be involved in full-time ministry. And yet if you are a believer, your basic job description is the same as mine. It is to be full of the Holy Spirit and to pour yourself out to others in love...trusting in the spirit to make that possible."

 ~ Jill Gary Briscoe


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2015年

4月

25日

◆人間をとる漁師に◆

人間をとる漁師になりなさい。――

  あなたは人を“つかまえ”なさい。

  イエスが彼らを“清め”ます。

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 【マタイ4:19】イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。

 

イエス様は偉大なリーダーですから、もし私たちが“人間をとる”ことをしなかったら、私たちはとても良い“イエスの追従者”とは言えません。

 

Matthew 4:19 Then He said to them, “Follow Me, and I will make you fishers of men.”

 

Jesus is a great leader so If we're not fishing for men, then we must not be very good followers.


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2015年

4月

24日

◆真理を宣べ伝えよ◆

 ≪聖書のイラスト≫(下から上へ)

 神のみ言葉

 ヨハネの福音書11

 (左ページ)初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。(12)

 (右ページ)イエス・キリストは「ことば」です! アルファであり、オメガです。

 ≪聖書の霊想≫

 【エペソ1:13】この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。

 

イエス様が真理であられるので、福音もまた真理です。イエス様が真理なのは、単にクリスチャンがイエス様を信じているからではありません。このお方の「復活」は、ご自身の主張が真実であったことを証明すると共に、私たちの信仰の具体的な根拠を成すものとなりました。(ローマ14、Ⅰペテロ13)

 

真理は、私たちの防具であり、強さです(エペソ614)。失われた魂は、死に物狂いで真理の言葉を聞きたがっています。それを適切に提示し、大胆に宣べ伝えなさい。

 

"In Him you also, after listening to the message of truth, the gospel of your salvation - having also believed..."(Eph. 1:13)

 

The gospel is true because Jesus is true, not simply because Christians believe in Him. His resurrection proved the truth of His claims and constitutes the objective basis of our faith. (Rom. 1:4; 1 Peter 1:3)

 

Truth is our protection and strength (Eph. 6:14). Lost souls desperately need to hear that truth. Represent it well, and proclaim it with boldness.


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2015年

1月

23日

◆私の小さい灯◆

これは、私の小さな ともしび

 さあ、光よ、

 輝け

 輝け

 輝け。

 

【マタイ5:16】このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

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 【ローマ書13:12 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。

 

(訳注: 昔歌った子供賛美歌を思い出します。「私は小さい灯(ひ)、光りましょう、 私は小さい灯、光りましょう。光れ、光れ、光れ」 )

 

This little light of mine,

I’m gonna let it shine, shine shine.

 

Let your light shine before men, that they may see your good deeds and praise your Father in heave. (Matthew 5:16)


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2015年

1月

16日

◆人を救う前に◆

人が救われるためには、

 まず自分が“失われた者”であることを知らなければならない。

 

【ルカの福音書19:10】人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。

 

神に信頼しなさい。

 

Before a person can be saved they have to know they are lost.

 

(Luke 19:10) for the Son of Man has come to seek and save that which was lost.

Trust in the Lord.


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