2018年

1月

30日

◆知識か? 聖書の言葉か?◆

もし“知識”が祝福なら、悪魔は天にいるであろう。

私は、クリスチャンの大いなる誤りは、彼らが聖書を十分に探究しないことであると信じる。

 

【解説】 今回もまた、彼の2つの文章の抜粋ですが、人間の知識は、決して祝福ではないのですね。いにしえ、天使の一人は、神様のように賢くなろうとして、天を追われ、悪魔に堕落したのです。天では、己の知識を誇るものは一人も入る余地がありません。ところが、私たちは、ともすれば、信仰の道を究めようとして、いろいろな神学書を読みあさります。私の書棚にも、この半世紀で買いためた2000冊を下らない神学書が並べてありますが、それで神に関する知識は増えても、肝心かなめの聖書を、それに勝る情熱と飢え渇きを持って読んでいるかというと、忸怩(じくじ)たるものがあります。私たちは、絶えず聖書から、神様への信仰と、魂への愛を呼び覚ましていただかなければならないのです。私に、日々新たに神を見いだす喜びと、滅びゆく愛する魂への燃えるような救霊の熱情が失われているとすれば、「聖書第一」の姿勢が失われた当然の結果と言わなければなりません。このスポルジョンの言葉は、その意味で、まず私に向けられています。

 

(Ⅰコリント8:1) 「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」

 

If knowledge were bliss the devil would

be in heaven.

I believe the great fault of Christians

is that they do not search the Scriptures enough.

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2017年

11月

23日

◆本に宿れ、されど聖書に住め◆

【解説】

今日は、珍しくもイラストでお送りします。(スポルジョンがこの漫画を描いた…わけではありません。)

本(神学書も含みます)と聖書の決定的な違いを、ホテルなどに短期間「滞在する

visit」のと、生涯「住む live」ことの違いに例えたところに、彼のイギリス流ウィットが感じられますが、それを巧みに生かしたこのイラストも秀逸ですね。拡大して見てみてください。住んでいるのはまさに「聖書の館(やかた)」で、温かい暖炉のあるリビングの壁は「イザヤ書45章」、その部屋にしっかり収まって目を通して(visitの別訳)いるのは普通の本、その人物は、もちろんこの館の主(あるじ)スポルジョンです。ちなみに、この45章の22節は、彼が劇的な回心に導かれたみ言葉です。

 

(イザヤ 45:22) 「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」

 

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2017年

11月

17日

◆聖書の中には◆

何十年にもわたって、私は聖書と向き合い、私に必要なもの全てをその中に見いだしてきました。 ~ルース・グラハム(正しくはグレイアム)~

 

(Ⅱテモテ 3:16,17)「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」

 

Down through the years, I turned to the Bible and found in it all thatI needed.-Ruth Bell Graham

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2017年

10月

27日

◆聖書が嫌われるワケ◆

しかと覚えておきなさい。

人々は、聖書が分からないから、それを拒むのでは決してありません。

彼らは、あまりにもよく分かってしまうのです。

―聖書が、彼ら自身のふるまいをとがめていることを。

―聖書が、彼ら自身の罪について、明らかに証言し、

裁きの座に彼らを呼び出していることを。

彼らは、それが真実であると認めたくないので、

聖書は間違いで、役に立たないと信じようとしているのです。

~J.C. ライル~

 

(ヘブル 4:12) 「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」

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2017年

3月

12日

◆言えてる真実◆

この世界の問題は――
知性ある人々は疑いに満ちていて、
愚かな人々は確信に満ちているということである。

~チャールズ・ブコウスキー~
(ドイツ生まれのアメリカ人作家、詩人)

 

【解説】 う~ん、言えてるでしょう? 世界の著名人物から、あなたの身近のあの人まで、このそれぞれの人、何人かはすぐ思い浮かびますよね? この問題を解くには、自らが、“知性があって、確信に満ちている“人を目指すことです。カギは一つ、聖書を繰り返し読んで真の知性を磨くとともに、その真理に固く立って揺るがないこと。これ以外に道はありません。

 

The problem with the world is that the intelligent people are full of doubts, while the stupid ones are full of confidence.
-Charles Bukowski-

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2017年

1月

21日

◆聖書: ”祈り”の最大の宝庫―

聖書のいかに多くの部分が、”祈り”というテーマで占められているか。――与えられた、私たちに必要な祈りの例、守るべき祈りの教訓や指針、そして明らかに宣べられた祝福の約束などについて考えてみるのは、興味深いことである。

 

It is interesting to consider how large a portion of the Bible is occupied with the subject of prayer, either in furnishing examples, enforcing precepts, or pronouncing promises.

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2016年

12月

19日

◆天のパンに飢えていますか?◆

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆
Charles Spurgeon - The Prince of Preachers
―天のパンに飢えていますか?―

もし人が天のパンを飢え求めるなら、地上の派手やかな装飾への好みは、その人の“心を支配する力”としては、第二の地位に引き下げられるであろう。

(アモス 8:11) 「見よ。その日が来る。──神である主の御告げ──その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。」

 

If a man hungers after the bread of heaven, his taste for finery will be reduced to a secondary position as a governing power of his mind.

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2016年

12月

16日

◆み言葉は織物になる◆

神様のみ言葉を、絶えずあなたの口に蓄えなさい。あなたが人にみ言葉を語れば語るほど、それはあなたの魂と霊に、美しい“織物”となって織り込まれます。
(エイドリアン・ロジャーズ博士)

【詩篇119:27】私が、あなたの奇しいわざに思いを潜めることができるようにしてください。(英語訳では、「くすしい業について語る」。)
【〃46】 私はまた、あなたのさとしを王たちの前で述べ、しかも私は恥を見ることはないでしょう。
【〃172】私の舌はあなたのみことばを歌うようにしてください。あなたの仰せはことごとく正しいから。

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2016年

12月

14日

◆聖書、このすばらしきもの◆

聖書は、尽きない源泉であり、またとない資産です。
それは、あなたが最も必要としているものの全てです。

神様への信仰を持ちなさい。
神のみ言葉への信仰を持ちなさい。
  ―マシュー・ハギー牧師

 

The Bible is th source and the resource; it is all you will ever need. Have Faith in God, have Faith in his Word.
-Pastor Matthew Hagee

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2016年

11月

08日

◆神の言葉の”声”を聴いてますか?◆

聖書は、まさしく“神の声色(こわいろ)”で、あなたに話しかけるのだ。

 

The Bible speaks to you in the very tone of God’s voice.

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2016年

8月

03日

◆聖書、”本命”の読み方◆

 

聖書の読み方に関して、私たちクリスチャンの多くは、一つの問題を持っています。私たちは、聖書のある部分が自分にぴったりだとそこを取り上げ、他の部分が自分の聞きたいことにそっていないと、無視してしまうことです。

 

私たちは、聖書の一節一節、全てに従うか、全く従わないかのどちらかでなければならないのです。

 

けれども、ここに“第三の道”があります。“恵みの道”に立って、その真ん中にイエス・キリストを置いて、聖書の全てを選ぶことです。そのときにのみ、聖書は“生きたもの”になるのです。

 

~サミュエル・C・リー~

 

 

 

(著者は、先頃FBフレンドになった、内村鑑三を生んだ日本と、奥様の出身地韓国をこよなく愛する、オランダの牧師さんです。写真はお嬢さんと。)

 

 

 

There is a problem with lot of us Christians: we take one part of the Bible when it suits us and ignore other parts when they are not aligned with what we want to hear. We either have to follow the entire bible verse by verse, or not to follow it at all. However, there is a third way; choosing for scriptures in the path of grace, with Jesus Christ in its very center. Only then, the scriptures will become alive. --Samuel C. Lee

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2016年

7月

09日

◆救いと導きのために創られた星◆

 

多くの星々が天でとても明るく輝いているが、ほんの幾つかの星だけが、水夫たちの目を引き寄せ、その行く手を導くのだ。その理由というのは、ある特別な群れを成すそれらの少数の星が、他の星より容易に見分けがつき、いつもそれらにたやすく目を合わせていられるからだ。そこで私が思うに、神の言葉なる聖書の中の幾つかのみ言葉もまた、特別に人の心を引くものがあり、罪びとたちをキリストの十字架に導くのである。

 

 

 

【解説】 この星々は、言うまでもなく北斗七星と、そのうちの2星の連結線を5倍延長した先に見いだされる北極星を指していますね。そしてみ言葉、例えばヨハネ3:16、マタイ11:28、あるいはイザヤ43:4…。スポルジョンの的確な例えにアーメンですが、大切なのは、神様が、そのような特別な目的を持って書かれたみ言葉を、私たちが魂のすなどりのためにいかに有効に、また頻繁に用いているかということですね。これらの特別な星も、見上げて追わない限り見えないように、これらのみ言葉も、紐解かない限り、人の魂には届かないのです。

 

 

 

All the stars in the heavens shine very brightly, but only a few attract the eye of the mariner, and direct his course; the reason is this, that those few stars from their peculiar grouping are more readily distinguished, and the eye easily fixes upon them. So I suppose it is with those passages of Gods Word which especially attract attention, and direct the sinner to the cross of Christ.

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2016年

5月

10日

◆聖書の積ん読にご注意あれ◆

 

聖書は、哀れ、一部のクリスチャンにとってさえ、時代遅れの本になってしまった。世の中には、あまりに多くの雑誌、週間・季刊誌、つかの間に消え去る本類にあふれているので、私たちは、聖書を探求することを忘れてしまう危険性を持っているのだ。

 

 

 

【解説】 この一節、1世紀以上も前に書かれたとは思えませんね。彼の時代でさえこうだったとしたら、現代の本の数と種類は、飛躍的に増えていますから、この危険性はいよいよ増大して言えるでしょう。私の場合も、週刊誌こそ読みませんが、手元にあればいつかは読めるとばかり買いそろえたキリスト教書籍が、かなり処分しても千冊は下りません。でも、聖書の積ん読だけはしてはいけないと、毎日心に言い聞かせています。願わくは、召された時に、「小川の書籍はみんな売れるほど新品同様だったが、聖書だけは書き込みと手垢でよれよれだった」と言われますように…。

 

 

 

This poor Bible is become an almost obsolete book, even with some Christians. There are so many magazines, periodicals, and such like ephemeral productions, that we are in danger of neglecting to search the Scriptures.

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2016年

5月

07日

◆み言葉を曲げるか、み言葉に折れるか◆

 

私たちは、自分の状況に合わせようとして、み言葉を曲げることはやめなければなりません。

 

み言葉の前に己を屈しなければならないのは私たちであり、そのくびきの下にうなだれなければならないのは、私たちの首なのです。

 

~エリザベス・エリオット~

 

 

 

We must quit bending the Word to suit our situation. It is we who must be bent to that Word, our necks that must bow under the yoke.

-Elizabeth Elliot-

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2016年

5月

01日

◆み言葉から得る恵み◆

 

神のみ言葉の恩恵は、この世の他のいかなる利得よりも大いなるものです。

 

 

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

The benefits of the word of God are greater than the benefits of anything else in the world.

 

-John Piper-

 

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2016年

4月

27日

◆み言葉は命のパン◆

 

あなたの魂に対する聖書は、あなたの体に対するパンのようなものです。

 

1回のおいしい食事で、一生を十分に満たすことはできません。

 

 ~ビリー・グラハム~

 

 

 

The bible is to your soul what bread is to your body. You need it daily. One good meal does not suffice for a lifetime.

-Billy Graham-

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2016年

4月

21日

◆キリスト伝なら聖書です!◆

 

チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”

 

Charles Spurgeon The Prince of Preachers

 

―キリスト伝なら聖書です!―

 

 

 

キリスト者は、イエス・キリストに著しく似た者となるべきである。あなたは、美しくまた雄弁に書かれたキリストの生涯を読んだことであろう。そしてかくも見事に書くことのできた著者のたまものに感嘆したことであろう。だが、キリストの生涯を記した最高傑作は、彼の弟子たちの言葉と行動によって描き出された、キリストの“生ける一代記”なのである。

 

 

 

【解説】 はい、この”一代記”とは、言わずもがな、四福音書を中核とした「聖書」ですね。スポルジョンの言っていることは、全く正しい。でも、訳者があえて一言 言うなら、「聖書は小説ではない」ということです。名作と言われる小説の中に、ふんだんにちりばめられた文学的技巧を、聖書の中に求めてはなりません。例えば、私が今朝呼んでいた聖書日課の箇所は、創世記22章でした。

 

22:2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

 

 22:3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

 

小説なら、絶対にこんな書き方をしない。この22節から23節のようなつなぎ方をしたら、その人は小説家失格です。”美しく雄弁に”小説を書く人なら、このアブラハムの味わった想像を絶する父親の苦悩の一夜を、まるで読者が味わっているかのような筆致で、この父の心の深淵に迫ることでしょう。映画も同じです。「天地創造」のこの場面では、父アブラハムは、岩を両手で打ちたたき、「主よ、なぜです?!」と絶叫しながら、悲しみの一夜を明かしていました。そこで、私たちが、このキリストの”生ける一代記”を本当に自分のものにするために必要なのは、“想像力”です。登場人物に感情移入をして、自分自身に置き換えて、いとも叙事的に書かれた聖書の一行一行の行間を“読み解く”作業がマストなのです。この作業を一年365日、5年、10年…召されるまで続けていく中で、あなたは、内なる聖霊のお働きで、“著しくキリストに似た者”(原文直訳: 人目を引くほどすばらしく印象的に、キリストに酷似した人!)に変えられていくことでしょう。(Ⅱコリント3:18

 

 

A Christian should be a striking likeness of Jesus Christ. You have read lives of Christ, beautifully and eloquently written, and you have admired the talent of the persons who could write so well, but the best life of Christ is his living biography, written out in the words and actions of his people.

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2016年

3月

15日

◆聖書は”神の声”◆

 

聖書は“神の声”として接しよう。聖書が神について語っていることを、神が神について語っていることに変えようではないか。それが、聖書の本当の実体なのだから。神が、ご自身について語っておられるのである。

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

Let‘s treat the Bible as the voice of God. Lets turn what the Bible says about God into what God says about God which is what the Bible really is- God speaking about God.

 

 

 

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2016年

1月

23日

◆アモス4:13◆

 

(アモス 4:13 「見よ。山々を造り、風を造り出し、人にその思いが何であるかを告げ、暁と暗やみを造り、地の高い所を歩まれる方、その名は万軍の神、主。」

 

 

 

He who forms the mountains,

 

 who creates the wind,

 

 and who reveals His thoughts to

 

 mankind,

 

 who turns dawn to darkness,

 

 and treads on the heights of the

 

 earth -

 

 the Lord God Almighty is His name.

 

 ~ Amos 4:13

 

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2016年

1月

21日

◆天からの良き便り◆

 

「聖書」は、天のふるさとからの手紙である。

 

 

 

~アウグスティヌス~

 

 

 

The Holy Scriptures are our letters from home.

 

~Augustine~

 

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2015年

12月

25日

◆朝にあなたを仰いで◆

 

(詩篇 143:8 「朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。私に行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから。」

 

 

 

(アーティスト) キャサリーン・ホールマン

 

 

 

"In the morning let me hear of Your gracious love,

 

for in You I trust. Cause me to know the way I should take, because I have set my hope on You."

 

 ~ Psalm 143:8

 

 Artist: Catherine Holman

 

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2015年

12月

09日

◆スポルジョンの”箴言”(4)◆

世的な人々でさえ、神聖なる聖書のうちに、そして私たちの聖なる信仰のうちには、何かすこぶる心を励まし、楽にし、慰めるものがあることを認めている。

 

【解説】 原文のcomfortingは、普通は”慰め”と訳しますが、それだけではなく、もっと広い、強い意味がありますので、代表的な3つの意味を並べて出してみました。さて、これがなぜ“箴言”(戒め、教訓を意図した格言)なのか、お分かりですね? そう、スポルジョンが私たちに言外に問いかけているのは、「キリスト者であるあなたはどうか? 聖書と信仰は、本当に、あなたの日々の生活で、励ましと、平安と、慰めになっているか?」ということなのです。

 

Even worldly men admit that there is something extremely comforting in the sacred Scriptures, and in our holy religion.


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2015年

11月

13日

◆たとえ何も信じられなくなったときでも◆

時として、あなたは神様がすでに言われたことに、しっかりとしがみついていなければなりません。情緒的に、すっかり心がふさいでしまって、もはや自分の善悪の感情に頼ることができないからです。

~ベス・ムーア~

 

(アーティスト) カイル・ウッド

 

【解説】 「神様がすでに言われたこと」とは? そう、み言葉、聖書です! 自分の感情や判断力、他者の言葉さえ信じられなくなってしまったときに、たとえ天地が滅びても、一点一画もすたれることなく残る、唯一、永遠に真理なるみ言葉を与えられていることが、どれほどすばらしく、ありがたいことか――。ただ感謝あるのみです。

 

"Sometimes you have to hold tight to what God has already said because you can get so clouded over emotionally that you can no longer rely on what feels right or wrong."

 ~ Beth Moore

 Artist: Kyle Wood


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2015年

10月

24日

◆同じ○○フォームでも◆

多くの本が、人に情報を与える(インフォーム)。

 聖書だけが、人を変える(トランスフォーム)。

 

Many books can inform you. Only the Bible can transform you.


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2015年

10月

02日

◆聖書は”神の大憲章”◆

この聖書は、古代英国のマグナ・カルタ〈訳注: 大憲章。1215年制定、1225年改正の英国憲法の礎〉である。その真理、その教理は、私たちの足かせを取り外し、もはや二度と鋲打ちでつながれることはない。されば諸君、心は神の霊に満たされて、その真理を語るために前進せよ。この地上で、聖書に対する“かせ”の留め金が外されたところ以外のどこにも、また福音が宣べ伝えられているところ以外ののどの領域にも、自由を見いだすことはできないからだ。

 

This Bible is the Magna Carta of old Britain; its truths, its doctrines have snapped our fetters, and they never can be rivetted on again, whilst men, with Gods Spirit in their hearts, go forth to speak its truths. In no other land, save where the Bible is unclasped-in no other realm, save where the gospel is preached, can you find liberty.


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2015年

9月

29日

◆聖書:人生の”規範”◆

「聖書」を、あなたの権威ある規範としなさい。論争の争点となったときには、あなたの訴えの最終の根拠とするのだ。「聖書の光」を、あなたを照らす灯となさい。そうすれば、あなたはプラトンよりも賢くなり、古代ギリシャの七賢人よりも、より本当に学ぶことになるのだ。

 

Let the Bible be thy standard classic thy last appeal in matters of contention. Let its light be thine illumination, and thou shalt become more wise than Plato; more truly learned than the seven sages of antiquity.


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2015年

9月

25日

◆主の言葉に力あり◆

キリストは、無駄な死に方はなさらない。聖霊は、無益な努力はなさらない。神はこう言われたのだ。「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(訳注:イザヤ 55:11

 

Christ shall not die for nothing. The Holy Ghost shall not strive in vain. God hath said, “My word shall not return unto me void, but it shall accomplish that which I please, and it shall prosper in the thing whereto I sent it.”


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2015年

9月

16日

◆詩篇に新しい言葉の光を当てて◆

イスラエルの神を、自分の”助け人”として抱いている人、

その望みが、彼らの神、主にある人は、

喜びに満ちています。

~詩篇1465(私訳)~

 

【解説】 この英語訳と、若い女性の笑顔に惹かれて、普段はやらない聖句訳をしてみました。読み慣れた下記公同訳(新改訳)に対し、たまにはこういう私訳も新鮮ですよね?

 

(詩篇 146:5「幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。」


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2015年

9月

15日

◆聖書を学ぶわけ◆

聖書研究は、心の中で、神様との生きた会話を生み出すためになされるのです。

 

【解説】 キリスト者は、一生涯、聖書を”座右の銘”としますが、聖書にはふさわしい読み方があるのです。積ん読や斜読(しゃどく:斜め読み)が正しい読み方ではないことは誰でも知っていますが、もしみ言葉を読んで、知識を増やすだけだとしたら、少なくともそれは、“生きた学び”ではありません。聖書は、神様からの私たち一人一人への”救いの使信”であり、“愛のメッセージ”です。したがって、それを受け取った私たちは、このお方に対して“応答”をしなければなりません。その応答が、自然に、素直に、“祈り”となって神様になされていく、これが神様から聖書を贈られた私たちに、最もふさわしい読み方です。

 

Bible study is meant to create an active dialogue in our hearts with God.


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2015年

9月

11日

◆キリストに倣いて◆

キリストについての主要な事柄は、私たちの心に神を愛する思いを起こさせ、試みのときに私たちをしっかり耐えさせてくれます。

~アレン・フッド~

 

【解説】 はい、あなたなら、この”主要な事柄・出来事”、どのようなエピソードを挙げることができますか? 荒野の誘惑、よきさマリヤ人の例え、ゲツセマネの祈り、そして裁判、悲しみの道、ゴルゴタに至る十字架の道行き…。まだまだあるでしょう? これらの一つ一つが、確かに私たちに、イエス様をお贈りくださった天の父への愛と賛美の思いを起こさせ、私たちが地上の旅人として、試練を乗り越えて天を目指して人生を生きてゆく力になっているのですね。逆に言うなら、もし私たちが、この二つのことを覚えずに聖書を読んでいるなら、それは、読み方が間違っているのです。いつの間にか字面だけの、初めの愛を失った、実生活に何の力にもならない読み方に陥っていないか、神様に探っていただかねばなりません。そして、示されたら悔い改め、あのエマオへの二人の弟子のように、ご聖霊に再び“心を内に燃やして”いただくことが必要かもしれませんよ(ルカ2432)。

 

The subject matter of Christ is what causes our hearts to love God and holds us in the hour of trial.

-Allen Hood-


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2015年

9月

03日

◆難攻不落の”聖書城”◆

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆

Charles Spurgeon The Prince of Preachers

 

“聖書を擁護する”ですと? なら私はすぐにでもライオンを守ってやろう! 聖書の鎖を解き放ちなさい。そうすれば聖書は自ずと自分自身を守るだろう。

 

【解説】 これは、守ったり、かばい立てする必要も全くないほど強く、力あるものを守ろうとする愚かさを戒めた一節です。世の中に、“百獣の王”ライオンが危なっかしいから守ってやろうとする愚かな人は一人もいませんが、もし例えば、「聖書は神の書と言えども、どうも科学に弱いから、矛盾のないよう科学的事実に適合させて、その無誤性・無謬性を擁護しよう」などと言う人がいたら、「私はいっそ、ライオンを身をもって守ってやる」とスポルジョンは言い放つのです。“聖書に真理なし”として、それを排斥、抹殺しようとした愚かな人間の2000年の歴史の中で、聖書は揺るぎなく生き抜いてきたのみか、多くの人に自ら福音を語り、天への門を開いてきました。神の書を外敵から守ろうと、人の鎖で縛りあげるような愚行は一切無用。昔も、今も、これからも、私たちのなすべきは、聖書の真理に固く立ち、これを万人の心に届けることです。聖書は、神の権威において、一点一画も欠けることなく、永遠に自らを守り続けます!

 

Defend the Bible? I would as soon defend a lion! Unchain it and it will defend itself.


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2015年

8月

26日

◆永遠に十分なる書、聖書◆

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆

Charles Spurgeon The Prince of Preachers

―永遠に十分なる書、聖書―

 

信仰者よ! 聖書には、あなたが永遠にそれによって立つ十分なものが備わっている。もしあなたが、かのメトセラの969歳を超えて生きるとしても、真新しい啓示などはもはや必要あるまい。もしあなたが、キリストがこの地上に来られるまで生きるとしても、ただの一語も付け足すことは必要あるまい。もしあなたが、ヨナのように深く、はたまたダビデが自分はそうしたと言っているように、地獄のただなかまで下るとしても、なお聖書は、一つの文章も補足することなく、あなたを慰めるのに十分なのだ。

 

Believer! there is enough in the Bible for thee to live upon for ever. If thou shouldst outnumber the years of Methusaleh, there would be no need for a fresh revelation; if thou shouldst live till Christ should come upon the earth, there would be no necessity for the addition of a single word; if thou shouldst go down as deep as Jonah, or even descend as David said he did, into the belly of hell, still there would be enough in the Bible to comfort thee without a supplementary sentence.


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2015年

8月

25日

◆古きを今へもたらす聖霊◆(続)

啓示された聖書の正典は完結していて、もう付け加える余地はない。神は、新たな啓示はお与えにならないが、古き啓示に、私たちの目を釘付けになさる。それが忘れられてしまい、私たちのほこりまみれの記憶の小部屋に埋もれているときには、神はそれを引き出して、描かれた絵をきれいになさる。しかし、新しい絵を描かれることはない。新しい教義はないが、古き教義は、しばしば“よみがえらされる”のだ。

 

The canon of revelation is closed; there is no more to be added. God does not give a fresh revelation, but he rivets the old one. When it has been forgotten, and laid in the dusty chamber of our memory, he fetches it out and cleans the picture, but does not paint a new one. There are no new doctrines, but the old ones are often revived."


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2015年

8月

17日

◆神の言葉は5語で十分◆

(バックはスポルジョンの説教の手書き原稿です。)

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2015年

7月

27日

◆み言葉に力あり◆

聖霊は私に語られました。「あなたの口にある私の言葉は、私の口にある私の言葉と同じように力がある。」力は、“神の言葉”そのものにあるのです。

~ラインハード・ボンク~

 

(ヘブル 4:12「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」

 

"For the word of God is living and powerful, and sharper than any two-edged sword" (Heb. 4:12).


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2015年

6月

05日

◆“負けるが勝ち”は聖書の真理◆

“柔”よく“剛”を制す(ソフトな者は、ハードな者に打ち勝ちます)。

”遅”よく”速”を制す(遅い者は、速い者に打ち勝ちます)。

あなたの業を、“謎”のままにしておきなさい。

人には、ただ“結果”だけを見せればいいのです。

(老子)

 

【解説】老子は、ご存じ、B.C.6世紀の中国が生んだ偉大な思想家・哲学者ですが、その説くところは、驚くほど聖書の教えに通じますね。

「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」(マタイ6:3)

「あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。」(マタイ7:16)

 

The soft overcomes the hard.

 The slow overcomes the fast.

 Let your workings remain a mystery.

 Just show people the results.

 ~ Lao Tzu ~


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2015年

4月

13日

◆聖書◆

 「聖書」は、

 あなたがそれを読むときに、

 その著者がいつでもご臨在なさる、

 唯一の本です。

 

(訳注: 「聖書」の定義、いろいろ読みましたが、これって、“アーメン!”ですよね? 全くもって、不思議な本です! 【ルカ24:32】そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」) 

 

The Bible is the only book whose author is always present when one reads it.


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2015年

3月

23日

◆聴くこと、従うこと◆

まず最初に「神の言葉」に“聴かなければ”、

 「神」に“従う”ことはできない。

 <ローマ書10章>

 

(訳注: 5分間お時間を取って、ローマ書の10817を読んでみませんか? み言葉を聴くことの大切さと共に、「聴かせる」ことの大切さについても改めて知らされます。)

 

We can’t obey God until we first listen to His word.


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2015年

3月

18日

◆聖書と共に◆

み言葉をただ“引用”するだけではダメ。

 み言葉に“生きる”のです!

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 あなたがみ言葉を実践しないで、どうして神様はあなたに繁栄と成功を与えることができるでしょうか?

 

How can God's Word PROSPER you if you don't PRACTICE it?


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