2019年

11月

18日

◆神について思うこと◆

ある夕方、私は「パイオニアガールズ」という少女グループに、彼女たちが神様について考えたときに、真っ先に心に浮かぶのはどんなことか尋ねました。一人の少女が答えました。「雲に乗っている長いヒゲの老人」と。それが彼女の理解している神だったのです。

 

私はしばしば、“もっと年上の大人は、神についてどう考えるのかな”と思います。A.W.   トーザーはこう書いています。「私たちが、神について、誰か人の考えるものではなく、聖書的イメージを持つことはとても大切である」と。

 

ウィリアム・ブライト博士は、神について、以下のように書いています。(訳注: これが”聖書的イメージ”です。)

1.      神は霊だから、私はこの方との親密な交わりを求める。

2.      神は全能だから、どんなことでも助けてくださる。

3.      神は遍在されるから、どんなときも私と共におられる。

4.      神は全知だから、私は全ての疑問と関心を、この方のもとに持っていく。

5.      神は主権者だから、私は喜んでこの方のみ心に従う。

6.      神は聖だから、私は聖さと、礼拝と、奉仕をもってこの方に身をささげる。

7.      神は絶対的な真理だから、私はこの方の言われることを信じ、それに従って生きる。

8.      神は義であるから、私は神の規準に従って生きる。

9.      神は正しいから、私を公平に扱ってくださる。

10.   神は愛だから、私の安寧のために無条件に尽くしてくださる。

11.   神はあわれみ深いから、私が心から告白すれば、罪を赦してくださる。

12.   神は忠実だから、お約束をいつも守ってくださることを信じる。

13.   神は不変だから、私の未来は安全に守られ、永遠のものである。

 

あなたが神について考えるとき、あなたの心に浮かぶものはなんですか? それを書き記してごらんなさい。それは聖書的ですか? それとも自分の神イメージを書き直す必要がありそうですか?

 

《祈り》 あなたがいかにすばらしく、愛あるお方であるかをさやかに見るために、私たちの目からうろこを取り除いてくださいますように。ああ、主よ! アーメン。

 

~キャサリン・ケーラー~

 

What You Think about God

One evening I asked a group of Pioneer Girls what was the first thing that came to their mind when they thought about God. One girl answered, “An old man with a long beard, sitting on a cloud.” That was how she perceived God.

I often wonder what older adults think about God. A.W. Tozer wrote, “What comes into our minds when we think about God is the most important thing about us.” It is so important that we have the Biblical image of God and not someone else’s.

Dr. William R. Bright wrote the following about God.

1. Because God is spirit, I will seek intimate fellowship with Him.

2. Because God is all-powerful, He can help me with anything.

3. Because God is ever-present, He is always with me.

4. Because God knows everything, I will go to Him with all my questions and concerns.

5. Because God is sovereign, I will joyfully submit to His will.

6. Because God is holy, I will devote myself to Him in purity, worship and service.

7. Because God is absolute truth, I will believe what He says and live accordingly.

8. Because God is righteous, I will live by His standards.

9. Because God is just, He will treat me fairly.

10. Because God is love, He is unconditionally committed to my well-being.

11. Because God is merciful, He forgives me of my sins when I sincerely confess them.

12. Because God is faithful, I will trust Him to always keep His promises.

13. Because God never changes, my future is secure and eternal.

What comes to your mind when you think about God? Write it down. Is it Biblical? Do you need to rethink your view of God?

May You take the scales off our eyes to see clearly how wonderful and loving You are, Oh Lord! Amen.

By Katherine Kehler

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2019年

10月

10日

◆神を想う(3)◆

1.《抵抗による神への愛の表し方》

私たちは、神のみ心に反する感情に抵抗することによって、

神への愛を表します。

~ミスティー・エドワーズ~

【解説】 タイトルだけを読むと、「え?」と思うでしょう? 「イヤだイヤだも好きのうち」のあれ?と――。さにあらず、これは言うなれば、“悪を制して善を立てる”という、一見間接的でさほど直接的効果はないやり方のように見えますが、実は大切な神様への忠節の証しなのです。神のみ心に反する感情とは、ひと言で言えばガラテヤ5:19-21にある“肉の思い”です。「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、酩酊、遊興。」―これらの思いがよぎった時に、あるいは時として激しく心を揺さぶるときに、きっぱり「ノー!」と言い、「主よ、これはあなたを悲しませる罪です。この思いに打ち勝たせてください。イエス様の十字架に釘づけにしてください。」と祈るとき、神様の耳には、「神様、私はあなたを愛します」と聞こえているのです。

We express our love to God by resisting emotions contrary to His will. - Misty Edwards,

 

2.《神との交わりには代価が伴う》

“関わり”には代価が伴います。

神と共にあることが、どれほどの代価を払わなければならないとしても、

神があなたと共にあるために払われた値の大きさには、比ぶべくもないのです。

~ティム(ティモシー)・ケラー~

【解説】この値は、もちろん金銭だけとは限りません。神を第一にするために負わなければならない時間や労力も含みます。言葉を変えれば、この“代価”は“犠牲”です。そう言いかえたときに、あなたの心に思い浮かぶものは何ですか? 天地万物の創造者であられる神様が、どんなときもあなたと共にいたいと望まれ、それを阻む罪の障壁を取り除くために、十字架の上でお捨てくださったみ子イエス・キリストの命――。これが神様があなたのために支払われた代価―犠牲です。そのかたじけなさの前に、私たちはどんな犠牲を払うことができるのでしょうか? このお方と共にあるためには、この生涯を、この身の全てをささげても、到底足らないのではありませんか?

Relationships are costly. Whatever it will cost you to be with God is nothing compared to what it cost Him to be with you. -Tim Keller-

 

3.《神の愛は、人の痛みよりも強し》

神の愛は、私が感じる痛みよりも深く流れきます。

神の愛は、人の抑うつ(落ち込み)や恐れよりも強いのです。

~ローラ・ハケット・パーク「私は神の愛を感じる」より~

His love goes deeper than the pain that I feel. His love is stronger than depression or fear,

-Laura Hackett Park-“I feel His love”

 

4.《“癒やし主”―それは神の名》

”癒やし”は神のなさること。

そして神は、ご自身を現すために、癒やすことが何よりお好きなのです。

神は、私たちを癒やされる主です。

(出エジプト 15:26)「わたしは主、あなたをいやす者である。」

~ステュアート・グリーヴズ~

【解説】 「神様が癒やされた!」という体験をお持ちの方は、数えきれないと思います。ここにコメントいただいたら、命に関わる大病から小さな傷に至るまで、軽く何百となることでしょう。かく言う私は、昨日の朝、鼻水が止まらなくなり、「しまった! 風邪だ。昨夜まで何の兆候もなかったのに…」と落ち込みました。私事ですが、詐欺被害で生じた借金返済で要らざる出費を防ぐために、私の身には、向こう5年間、一切の病気が起こってほしくないのです! それが、午後になったらウソのように鼻水が止まり、スケジュールどおりのミニストリーができました。ひとえに癒やし主のあわれみのゆえです。

“癒やし”は神様の本来のみ心です。私たちが“全きもの”になるのが主のお望みですから、それは神様にとっては当然のことです。私たちはそのことをまず信じましょう。しかし現実には、癒やされない病もあります。それは、私たちには分からずとも、神様に癒やし以上のご計画があるときです。そのことをも、信じてまいりましょう。癒やされたら感謝、癒やされなくても感謝、全てを、最善をなさる神のみ手に委ねて生きることですね。

Healing is what God does, and what He loves to do, as an expression of Himself.

He is the Lord who heals us. (Ex. 15:26)

-Stuart Greaves-

 

【FBギャラリー】 「秋深し」(2)

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2019年

10月

09日

◆神を想う(2)◆

1.《弱き者が強くなる時》

もし神のみ霊と神のみ言葉に“はい”というなら、

最も弱い人が、霊において強く、力あるものとなるのです。

~マイク・ビックル~

【解説】 「はい」ということは、①肯定し、②受け入れ、③従うということです。聖霊の内住と聖書の権威に対して、あなたは心から「はい」と言えますか? そのときに、あなたの弱さは、霊において不動の強さに変えられるのです。

(Ⅱコリント 4:16) 「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」

The weakest will be strong and mighty in the spirit if they say yes to God's Spirit and His Word.

—Mike Bickle

 

2.《聖霊: あらゆる問題に応える方》

神は、私たち一人一人が今、何と向き合っているか、ご存じです。

私たちのプレッシャー(重圧)もご存じです。

私たちの葛藤と闘いもご存じです。

そして、それら一つ一つ、全てのために、備えてくださいました。

その備えとは、“聖霊”というご人格の神ご自身です。私たちが問題にふさわしく対応できるように、このお方が内に住まわれ、力を与えてくださるのです。

~ケイ・アーサー~

God knows what each one of us is dealing with. He knows our pressures. He knows our conflicts. And He has made a provision for each and every one of them. That provision is Himself in the person of the Holy Spirit, indwelling us & empowering us to respond rightly.

-Kay Arthur-

 

3.《神の軽視は罪の軽視》

神を軽視することは、罪の軽視をもたらします。

私たちの心の視界に、神のみ姿が大きく映し出され、賛美されますように。

~ステュアート・グリーヴズ~

A low view of God produces a low view of sin. May God be ever magnified in our sight.-Stuart Greaves

 

4.《神をより愛するための祈り》

神様。あなたを愛することをとどめる全てのものから、私は自由でいたいのです。

~ミスティー・エドワーズ~

God, I want to be free of everything that keeps me from loving you.-Misty Edwards-

 

【FBギャラリー】No.93 ネイサン・グリーン「聖書を読むリンカーン」

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2019年

10月

08日

◆イエス・キリストを瞑想する(2)◆

1.《神を信じたければイエスを見よ》

イエスを知るまでは、神はある概念にすぎず、私たちは神を信ずることはできません。

しかし、ひとたびイエスが、「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と言われるのを聞いたら、私たちは直ちに、“これは本物だ”と思えるものに触れ、私たちの信仰は、無限のものとなるのです。

~オズワルド・チェンバーズ~

Until we know Jesus, God is merely a concept, and we can’t have faith in Him. But once we hear Jesus say, “He who has seen Me has seen the Father”(John 14:9) we immediately have something that is real, and our faith is limitless.

-Oswald Chambers-

 

2.《キリストの十字架 ①つまずくほどの力》

もし私の語る”十字架”が、普通の人々につまずきとならないなら、

私の伝え方が誤っているのだ。

~マーティン・ロイドジョーンズ~

【解説】 あなたが語る十字架で、人はつまずくのが当たり前なのです。もしつまずかないとしたら、その人が全く分かっていないか、あなたの伝え方が、相手をつまずかせまいとして手を抜いているか、あるいは聖書の使信を曲げているかのどちらかです。それは、「キリストの十字架は、あなたの“罪”の身代わりだった」という事実を、まっすぐに語らなかったということです。これは日曜の講壇にも言えることです。“十字架はあなたの罪のためです”というメッセージがストレートに語られないところに、救われる魂は起きません。人は、つまずかせなければ、罪の泥沼から引き起こしてあげることはできないのです。

If my preaching of this cross is not an offense to the natural man, I am misrepresenting it. —Martin Lloyd-Jones

 

3.《キリストの十字架 ②心地よき重荷》

キリストの十字架は、私が負ったことのある最も心地よい重荷です。それは、私を我が安息の港に運んでくれる、鳥にとっての羽、船にとっての帆のような、いとも甘美なる重荷なのです。

(マタイ 11:30) 「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

~サミュエル・ラザフォード~

The cross of Christ is the sweetest burden I ever bore: It is such a burden as wings are to a bird, or sails to a ship, to carry me forward to my harbor.

"For My yoke is easy and My burden is light” (Mt. 11:30).

-Samuel Rutherford-

 

4.《イエス、期待と想像を超えた方》

イエスは、いつでも私たちの期待を超えます。

彼は私たちが求めることのできる以上のお方、

あるいは、その時その時に想像する以上のお方なのです。

~ティム(ティモシー)・ケラー~

【解説】 このティム・ケラーの言葉を、あなたは日々の生活の中で、実感していますか? 「ほんとにそう!」と言えますか? もし言えたら、あなたのイエス様はホンモノです。あなたの信仰もホンモノです! そしてそこから生まれてくるのは、「♬ハレルヤ! 主を褒めよ!」の賛美しかありません。

Jesus will always exceed our expectations. He will be more than what we can ask for or even imagine every time.-Tim Keller

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2019年

10月

04日

◆イエス・キリストを瞑想する◆

1.《キリストが来られた目的》

イエスは、“悪人”に良いことをさせるために来られたのではない。

彼は、“死人”を生かすために来られたのだ。

~レナード・レイヴンヒル~

Jesus didn’t come to make bad men do good things. He came to make dead men live.

-Leonard Ravenhill-

 

2.《キリストが人となられた目的》

神のみ子は、人間の子らが神の子となるために、人となられたのだ。

~マーティン・ロイドジョーンズ~

The Son of God became man that the children of men might become children of God. 

—Martyn Lloyd-Jones

 

3.《“人の子”の意味するもの》

“人の子”という称号は、イエスが完全に神であり、完全に人間であること、すなわち“神人(しんじん)”であることを際立たせている。イエスはこう言っているのだ。「私は神です。しかも私はあなた方の一人なのです」と――。

The Son of Man title emphasizes that Jesus is fully God and fully human, the God-man. Jesus is saying, “I am a God, yet I am also one of you.”

 

4.《神の国の始まり》

イエスはまず“心”を征服され、ついで“国家”を征服された。

“神の国”は、内側から始まるのだ。

~ミスティー・エドワーズ~

(ルカ 17:21)「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

The first thing Jesus conquers is the heart, then the nations. The kingdom of heaven starts on the inside.—Misty Edwards

 

【FBギャラリー】No.91 モーガン・ウェイストリング「クリスマス—神のみ顔に口づけを」

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2019年

5月

07日

◆私の信じる神◆

《不可能の中に可能を見るお方》

神様のおられるところ、不可能なことが起こります。

(ルカ 18:27) 「人にはできないことが、神にはできるのです。」

神は“ありえない神”です。紅海を二つに分けたこと。シャデラク、メシャク、アベデネゴの燃え盛る炉。ラザロのよみがえり。その他、聖書に記されている他の全ての奇跡――。もし神にこれらの全てがお出来になったのだとすれば、私たちの問題についても、確実に、うまくさばいてくださるはずです。

ですから今日、もしあなたが、自分にはもうお手上げだと思える状況に直面しているなら、それを主に明け渡し、このお方が、あなたを切り抜けさせてくださることを信じなさい。

神様は、不可能の中に可能を見ておられます。なぜなら、神様に不可能はないからです。

~ラインハード・ボンク~

The impossible happens when God is around:

What is impossible with men is possible with God. ~ Luke 18:27

God is the God of the impossible. Look at the parting of Red Sea, the fiery furnace of Shadrach, Meshach, and Abednego, the raising of Lazarus and all the other miracles recorded in the Bible. If He could do all of this, He can certainly handle our problem too.

So today, if you are facing what seems to you an impossible situation, give it over to the Lord, and trust Him to see you through it.

God sees possibilities in our impossibilities – for with God nothing is impossible.

-Reinhard Bonnke

 

《全てを働かせて益となさるお方》

(ローマ 8:28) 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

人には、いつであれ悪いことが起こるものです。そんなとき、神に向かって「主よ、なぜですか? なぜ私にこんなことが起こるのですか?」と聞くのは、自然なことです。

あなたにも、私に何が、そしてなぜ起こっているのか、理解するには全く我を失ってしまうときがあるかもしれません。その時は、これまでにも増して、神様の愛と力は私を切り抜けさせてくださるという経験に堅く立ち、このお方に信頼して前に進む必要があるのです。

祈り: 父なる神様、私は問題を抱え、疲れ果てています。もはや私の手に負えない状況なのです。あなたが、私の益のために全てを働かせておいでになるという事実のうちに、心安らかに憩えるよう助けてください。イエス様のみ名によって祈ります。

【解説】 冒頭の神に向かって問うた祈りは、まさしくあの夜の私の祈りでした。真夜中、冷たい廊下に横たわる妻をひしと抱きかかえて、私は「主よなぜですか? どうして?!」と文字どおり涙と共に絶叫しました。今にして思えば、十字架上で、「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか?」と父なる神に祈られたみ子の最期の祈りは、きっとこれ以上のもの――その身に負われた全人類の罪のゆえに、愛するみ父との交わりを永遠に断たれようとする絶望の叫びだったのだと分かります。そして今、私は、これまでも数え切れぬほどに読み慣れたローマ8:28を、本当に私のために神が備えてくださった真実のみ言葉として受け止め、“神様の愛と力は私を切り抜けさせてくださる”と信じて前に進もうとしています。願わくは、同じような経験をなさっているあなたにも、この神様が共におられて、前に進ませてくださいますように――。

We know that in all things God works for good for those who love Him, for those who are called according to His purpose.

Romans 8:28

Bad things happen to people all the time. At such times it is natural to turn to God and ask, “Why Lord, why is this happening to me?”

There may be times when we are at a complete loss to understand what is happening to us, and why. Then more than ever, we need to move forward trusting in Him, confident in the knowledge that His love and His power will carry us through.

Prayer: Father God, we are troubled and stressed, and the circumstances are beyond our control. Help us to rest secure in the fact that You are working out everything for our good. In Jesus’ name. Amen

 

《まどろみもせず、あなたを守られるお方》

人生の大いなる悲しみには、勇気を、

小さな悲しみには、忍耐をお持ちなさい。

そして今日一日の務めを終えたなら、

平安のうちに眠りに入りなさい。

神は目覚めておられるのですから。

~ヴィクトール・ユゴー(詩人、小説家)

【解説】 数年前、私も、このユゴーの言葉の最後の2行を聖書の中から見いだして、大いなる慰めと平安を与えられました。以来、この2つのみ言葉は、私の就寝前の祈りとなっています。イスラエルを(私たち一人一人を!)守られるお方は、あなたが眠っているときも、寝ずの番をしてあなたを守っていてくださるのです。私たちは、いろいろなことがあった今日一日を終えるとき、あるいはまだ疲れや、悲しみや、恐れを抱えているかもしれません。そのような重荷にともすれば押しつぶされて、眠りに就けないかもしれません。どうぞそんなあなたも、このみ言葉のうちに主の平安を与えられ、このお方に身を委ねて、一夜の安らかな眠りに就かれますように。主と共なる明日を健やかに迎えるために――。

(詩篇 4:8) 「平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。」

(詩篇 121:4) 「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」

Have courage for the great sorrows of life and patience for the small ones. And when you have finished your daily task, go to sleep in peace. God is awake.

–Victor Hugo, poet and novelist

 

【FBギャラリー】No.41 ジェシー・ウィルコックス・スミス「祈りましょ」

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2018年

8月

07日

◆恵みと あわれみと祝福に満ちた神◆

“恵み”とは、神様が、私たちが受けるに値しない良きものを与えてくださったときのことを言います。

“あわれみ”とは、神様が、私たちが受けて当然の悪いことから守ってくださったときのことを言います。

”祝福”とは、神様が、その両方において、惜しみなく豊かになしてくださったときのことを言います。

まことに、私たちが神様に感謝する理由に事欠くことは決してありません。

神様は、どんなときも、良きお方なのです!

 

【解説】 私たちが、一日のうちにも幾度となく口にする、神様のご恩寵を表す三つの言葉、「恵み Grace グレイス」「あわれみ Mercy

マーシー」「祝福 Blessings ブレッシングス」。ともすると、ほぼ同じような意味で使っていますが、今日の定義は、その三つのより明らかな意味を、見事に伝えていますね。私も長年の信仰生活で、初めてこの言葉に出会い、まさに“目からうろこ”でした。また「祝福」は、「恵み」と「あわれみ」両方を含むので、原文では複数になっています。これも、長年の謎が解けました。どうぞこの三つの定義、あなたも心に蓄えてください。そして感謝にあふれた日々をお送りください。

 

Grace is when God gives us good things that we don’t deserve.

Mercy is when He spares us from bad things we deserve.

Blessings are when He is generous with both.

Truly, we can never run out of reasons to thank Him.

God is good all the time!

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2018年

3月

13日

◆ある双子の赤ちゃんの”胎話”◆

母親の子宮の中に、双子がいました。一人がもう一人に聞きました。「生まれたあとも命はあると思う?」彼は答えました。「なんで? もちろんさ。生まれても何かあるはずだよ。たぶん、ここでボクらは、あとで自分が成ることの準備をしてるんだ。」

 

「くだらない」と一番目が言いました。「生まれたら命なんてもうない。そもそもどんな命があるっていうんだ?」

 

二番目が言いました。「分かんない。でもここよりは光があると思う。たぶん僕たちは二本の足で歩けて、口から物を食べるんだよ。それとボクらが今は分からない別の感覚も持つと思う。」

 

一番目が答えました。「バカバカしい。“歩く”なんてできっこない。それに口で食べるだって? ムチャクチャだ! へその緒が栄養やボクらに必要なもの全てを運んでくれるんだ。でもへその緒は短すぎる。生まれたあとの命ななんて、論理的に想定外だよ。」

 

二番目が言い張りました。「いや、何かあるよ。それはたぶんここにあるものとは違うんだ。おそらくこのへその緒はもう必要ないんじゃないかな。」

 

一番目が答えました。「ナンセンス。それにもし命があるんなら、どうして誰もそこから戻ってこないんだよ? 生まれる時は命の終わり。そしてここを出たら、もう暗闇と沈黙と無意識しかないんだよ。どこにも行き場所なんかないんだ。」

 

「さあ、ボクには分かんない。」二番目が言いました。「でもきっと僕らは“お母さん”に会って、その人が僕らの世話をしてくれるんだよ。」

 

一番目が答えました。「“お母さん”だって? お前、本気で“母”なんか信じてんの? 笑わせないでよ。もし“母”がいるんなら、その人は今、どこにいるのさ?」

 

二番目が言いました。「その人はボクらの周りのどこにもいるんだよ。ボクらはその人に囲まれているんだ。ボクらはその人のものなんだ。ボクらが生きているのは、その人の中なんだ。その人がいなければ、この世界はないし、存在することもできないんだよ。」

 

一番目が言いました。「その人、ボクには見えないよ。だから、その人は存在しない。理屈で考えても簡単明瞭じゃないか。」

 

それに対して二番目は言いました。「時々、ボクらがじっと黙って、心を集中して耳をそばだててると、その人がいるってことを全身で“感じる”んだ。そしてその人の優しい声が、どこか高いところからボクらを呼んでるのが聞こえてくるんだよ。」

 

【解説】 読んでいくうちに、「あ、ひょっとしてこれって…」と思われたでしょう? そう、《これが、“神様”がどんなお方かについての、最もいい説明かもしれません。》(英文の最後) 何しろ、訳者も初めて挑戦する生まれる前の胎児の会話(対話=胎話!)です。表現はできるだけ砕いてはみましたが、「胎児がこんな難しいこと、言うかよ!」なんて言わないでくださいね。それを言ったらおしまいです。大切なのは、霊なる神様は、目には見えませんが、確かにおられて、私たちを守っておられること。このお方を信じるときに、信じる前は想像もつかない、全く新しい永遠の命の世界が待っているのだということなのですから――。

 

In a mother’s womb were two babies. One asked the other: “Do you

believe in life after delivery?”The other replied, “Why, of course. There has to be something after delivery. Maybe we are here to prepare ourselves for what we will be later.”

“Nonsense” said the first. “There is no life after delivery. What kind of life would that be?”

The second said, “I don’t know, but there will be more light than here. Maybe we will walk with our legs and eat from our mouths. Maybe we will have other senses that we can’t understand now.”

The first replied, “That is absurd. Walking is impossible. And eating

with our mouths? Ridiculous! The umbilical cord supplies nutrition and everything we need. But the umbilical cord is so short. Life after delivery is to be logically excluded.”

The second insisted, “Well I think there is something and maybe it’s

different than it is here. Maybe we won’t need this physical cord anymore.”

The first replied, “Nonsense. And moreover if there is life, then why

has no one ever come back from there? Delivery is the end of life, and in the after-delivery there is nothing but darkness and silence and oblivion. It takes  us nowhere.”

“Well, I don’t know,” said the second, “but certainly we will meet Mother and she will take care of us.”

The first replied “Mother? You actually believe in Mother? That’s

laughable. If Mother exists then where is She now?”

The second said, “She is all around us. We are surrounded by her. We are of Her. It is in Her that we live. Without Her this world would not and could not exist.”

Said the first: “Well I don’t see Her, so it is only logical that She

doesn’t exist.”

To which the second replied, “Sometimes, when you’re in silence and you focus and listen, you can perceive Her presence, and you can hear Her loving voice, calling down from above.”

 

May be this was one of the best explanations to the concept of GOD.

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2018年

1月

21日

◆時に雨、時に太陽なる恵みの神◆

神は、深い悲しみで燃え尽きた心には

降り注ぐにわか雨であり、

涙であふれ返った顔には、太陽である。

 

~ジョセフ・ルー~(19世紀フランスのカトリック司祭、詩人)

 

 

"God is a shower to the heart burned up with grief;

God is a sun to the face deluged with tears."

 

~

JOSEPH ROUX

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2017年

9月

10日

◆我が牧者のうちに全てあり◆

あなたは、すでに持っています――

あなたの祈りを聴いてくださる神様を。

あなたの背後にある愛の力を。

あなたの内にある聖霊を。

あなたの前に待ち受ける天の全てを。

 

あなたがその“羊飼い”なるお方をお持ちなら、

あなたは、すでに持っています――

全ての罪に対しては恵みを。

全ての転機には進むべき方向を。

全ての曲がり角には、ろうそくの火を。

全ての嵐には錨を。

あなたに必要なものは、彼が全て備えておられるのです。

~マックス・ルケード~

 

"You have a God who hears you, the power of love behind you, the

Holy Spirit within you, and all of heaven ahead of you.

If you have the Shepherd, you have grace for every sin, direction for

every turn, a candle for every corner and an anchor for every storm. You have

everything you need."

Max Lucado

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2017年

8月

26日

◆神様はいずこにも共に◆

神様は、悲しみの中にも、笑いの中にも、

つらさの中にも、心地よさの中にもおられます。

全ての出来事の背後には、“聖なる目的”があります。

ですから、全ての出来事には、“聖なるご臨在”があるのです。

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2017年

8月

26日

◆へりくだりの神◆

【Ⅰコリント1:23】 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょう…。

パウロはここで、神様は、十字架の“愚かさ”を通して人類を救う道を選ばれたと書いています。

【Ⅰコリント1:27,28】 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

 

無限の知恵と力そのものであられる、いと高きところにおられる神が、この世の目から見れば“愚か”と思われる救いの道を備えなければならなかったという事実は、”聖なるへりくだり”ということを考えずしては、理解することができません。「神は“へりくだりの神”です」と言うことは、いかに当を得ているでしょうか。(マデレン・ワー)

 

From the Bible in 1 Cor 1:23), Paul writes that God chose to save humanity through "foolishness" of the Cross. “..but God chose what is foolish in the world to shame the wise, God chose what is weak in the world to shame the strong, God chose what is low and despised in the world, even things that are not, to bring to nothing things that are”

(Vvs 27-28).

 

The fact that the Most High God, who is Infinite Wisdom and Power, should make the way of salvation "foolish" in the eyes of the world is impossible to comprehend apart from the Divine Humility. How correct in saying that GOD IS HUMILITY!

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2017年

7月

25日

◆主の名を三たび呼びて◆

イエス様。イエス様。イエス様。

私の知る最も麗しきみ名が、

私の全ての憧れを満たし、

私が歩むとき、歌い続けさせる。

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2017年

7月

25日

◆神様からの備忘録(”忘れないで”メモ)◆

 1. 私はあなたを愛している。

 2. 私は決してあなたを捨てない。

 3. 私はあなたに必要なものを与える。

 4. 私はあなたに計画を持っている。

 5. 私はあなたに力を与える。

            6. 私は決してあなたを独りにはしない。

            7. 私はいつでもあなたに応える。

            8. 私はあなたを導く。

 

主を信頼しなさい。

 

【解説】これ、全て、聖書の中の、神様のお約束のピックアップです。こんなにたくさん! 感謝ですね!

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2017年

5月

22日

◆もっと光を!◆

暗闇の中では、識別の余地はありません。

私たちに、物ごとの間の違いを見させてくれるのは、“光”です。

そして私たちに光を与えてくれるのは、キリストなのです。

~C.T. ホワイトメル夫人~

(アーティスト) クリスチャン・リース・ラッセン

 

(ヨハネ 8:12) 「イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

(ヨハネ 3:20,21) 「悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。」

 

"In darkness there is no choice.

It is light that enables us to see the differences between things; and it is Christ who gives us light."

— Mrs. C. T. Whitemell

Artist: Christian Riese Lassen

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2017年

3月

18日

◆現代版”イエスを信じる者の誓約”◆

私はキリスト者です。
それは、私がイエス・キリストのみ足の跡に従うために、最善を尽くすということを意味します。
*イエスは他国人を愛しました。
*イエスは“難民”でした。(訳注:マタイ2:13-15)
*イエスは権力や特権を拒否しました。
*イエスは、「互いに愛し合うべきです」と言われました。
*イエスは国家によって激しい苦痛を味わわれました。
*イエスは国家によって処刑されました。
*イエスは、暴力では事は成らないことを示されました。
*イエスは「謙遜でありなさい」と教えられました。
*イエスは「平和をつくる人でありなさい」と教えられました。
*イエスは「正義を愛しなさい」と教えられました。
*イエスは、神は誇り高ぶる者に抗(あらが)われると語られました。
*イエスは、尊大な者、暴力、その時代の権力構造を糾弾されました。

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2016年

12月

27日

◆見えない神をさやかに見る方法◆

あなたは福音書を読むだけ、そして“求める眼(まなこ)”をもって、そこを見るだけでいい。
あなたは、キリストの中に、およそ神のうちに見られる全てのものを見いだすであろう。


(ヨハネ 1:18) 「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」

(ヨハネ 14:9) 「わたしを見た者は、父を見たのです。」

 

You have only to read the Gospels, and to look with willing eyes, and you shall behold in Christ all that can possibly be seen of God.

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2016年

11月

04日

◆♪この人を見よ この人こそ…◆

イエス・キリストは、なんと恵み深き主であられたことか! 弟子たちがご自身と共にいることを、彼はいかに親しく許されたことか! 命と栄光の主であられ、偉大で力ある方であられると同時に、ナザレの人でもあられた方が、貧しい弟子たち、あの漁師たちに、まるでご自身も彼らと同じ階層の者であるかのように、語られた様(さま)をご覧なさい!

 

WHAT a blessed Master Jesus Christ was! How familiar did he allow his disciples to make themselves with him! Though he was the Lord of life and glory, the great and mighty one, as well as the man of Nazareth, yet see how he talks with his poor disciples, the fishermen, just as if he had been one of the same class and order with themselves!

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2016年

11月

04日

◆”意志する”神◆

神は、“私はする”の神である。

~ラインハード・ボンク~

 

【解説】 面白い、ユニークな、でも心に残る神様の定義ですね。原文は、ご覧のよう“I Will”God「アイ・ウィルの神」。この大文字のWillは神様の強い意志を表しますから、心にひとたび思われたことは、必ず成し遂げられるということです。そしてその心に思われること、なされることは、ことごとく最善ですから、これは神様だけがお持ちになる“絶対意志”と言っていいと思います。そしてこの定義を読むと、私たちは、神様ご自身が言われ、聖書に記されたもう一つの定義を思い出します。
(出エジプト記3:14) 「わたしは、『わたしはある』という者である。」
(Exodus 3:14 NIV) “I am who I am.”
この二つの定義は、いわばペア(対)をなすものです。絶対的に存在し(在る)、絶対的に意志なさる(する)神、このお方が、私たちが信じ、この世のどんな状況の中でも、信頼しまつる神様なのです。

 

He is the “I Will” God.
-Reinhard Bonnke-

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2016年

8月

17日

◆神様を”父”と呼ぶワケ◆

“父”は、神様の最も個人的な呼び名です。なぜなら、“家族”が神様の究極のゴールだからです。

 

~アイザック・ベネット~

 

 

 

【解説】 これは、短い一節ながら、「なるほど!」と思わせる一文ですね。クリスチャンにとっては、神様をお呼びするときに「天の父なる神様、天のお父様、父なる神様、お父様…」とお呼びすることが最も多く、一番親しみやすい神のみ名ですが、なぜそう呼ぶのかと問われたら、一瞬考えてから、次のような理解にまとめることになります。

 

  1. 主として新約聖書において、み子キリストが神様を「父」と呼ばれ(マタイ545他)、弟子たちにもそう呼ぶよう教えられたから(同69)。

  2. 私たちもまた、神を信じて子たる身分を授けられたので、「アバ父よ」と呼べる者にされたから(ローマ815)。

  3. 信仰者は“キリストの体”(エペソ123)、“神の家族”(エペソ219)であり、キリストを教会のかしら、神の家族の長子とするゆえに、家長である神様は、当然“父”であられるから。

  4. 聖書中唯一の“頌栄”に「主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わり」(Ⅱコリント1313)とあるところから、“父・子・聖霊“という三位一体の真理が導き出されたから。

 

これらはいずれも、”子で”ある私たちからの理解ですが、この一文は、“神の家族”とは、神様ご自身が、天地の創造の時から、究極のプランとしてお考えになっておられたという驚くべき“奥義”を教えてくれます。これは、神学用語でいうと、“普遍教会”の完成ということですが、キリストがやがて再臨なさり、新天新地が実現するときに、全歴史、全世界の時空を超えて、大いなる一つの神の教会=神を父とし、キリストを長子とし、全キリスト者が兄弟姉妹である“神の家族”が誕生するということです。ハレルヤ! 願わくは、地上のキリスト者一人一人、私が、あなたが、この希望を内に秘めて、不完全ながらも、この地上で神の家族をつくり上げるために、労する者でありますように――。

 

 

 

“‘Father’ is God’s most personal title, because family is His highest goal.”

 

 —Isaac Bennett

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2016年

7月

14日

◆本当に神をあがめていますか?◆

 

「人間の主な目的は神をあがめることです」とは、至言である。この目的のために、神は太陽を、月を、星々を、そして全てのご自身のみ手の業を創られた。被造物の彼らが、神をあがめるためである。だが果たして、今朝ここに集うておられる方々の中でさえ、生まれてこの方、一度も神をあがめたことのない人が、どれほどいるであろうか。

 

【解説】冒頭の一節は、言うまでもなく、「ウェストミンスター小教理問答」の第1試問への答えですね。

 

 

It is well said, the chief end of man is to glorify God. For that purpose God made the sun, moon, and stars, and all his works, that they might honour him. And yet how many are there, even, perhaps among my hearers this morning, who have never honoured God in their lives.

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2016年

7月

04日

◆神様を悪者にできると思う?◆

 

神様は“善”なるお方。

 

それ以外のものにはなれないのです。

 

~ジョイス・メイヤー~

 

(出エジプト記33:19 「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」

 

 

 

【解説】 全能の神様にも絶対にできないこと、それはご自身の本性に反するご性質を持つことです。ここに挙げた神様の善なる本性のことを、その意味で”絶対善”とも言います。(サタンはそれに対し、”絶対悪”です。)

 

人間の善はせいぜい“相対善”ですが(ですから、時と所によって、その基準は変わるのです。)、神様が永遠不変の善であられるゆえに、私たちはどんな場合も決して変わらない善悪の規準に立ち、“善は最後に報われる。悪は必ず裁かれる“という信念を持って、この悪に満ちた人生を歩んでいけるのです。そうでなければ、近くを見ても遠くを見ても、あまりに非道な悪のはびこるこの世界で、“人間”であり続けることはできません。

 

 

 

God is good. He can’t be anything.

 

-Joyce Meyer-

 

Let our eyes see Your goodness today, O God. Reveal to us Your perfect nature. (Ex. 33:19)

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2016年

6月

10日

◆乾いた教義は魂を枯らす◆

 

チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”

 

Charles Spurgeon The Prince of Preachers

 

―“乾いた教義”は魂を枯らす―

 

 

 

神の聖霊の潤いを持たない乾いた教義は、あなたが永遠の滅びに向かうための燃料を作り出すだけである。

 

 

 

【解説】 例によって短い抜粋の一文ですが、キリスト教神学の中で、“聖霊の潤い”の大切さを説くスポルジョンの慧眼には、改めて脱帽せざるを得ません。“dry乾いた”“damping湿った”という言葉遣いも極めて特異で、私たちの関心を引くのに十分ですね。人体で言えば、人の体を湿らせるものは、汗であり、その源になっているのは、体内の血であり、水分です。それがなくなったときに、人は潤いを求めて渇き、やがて身体中が乾いて確実に死に至ります。

 

翻って、キリスト教の教えの中で、他の宗教の追随を許さない完璧な神観を表す三位一体の教義を考えてみると、日々を生きている私たちと最も親しい関わりを持つのは、その第三位格、“内住の聖霊”です。み霊が私たちのうちにご臨在くださることによって、私たちは父なる神、み子イエス・キリストとの生きた交わりができるのです。み霊は、このお二方から遣わされて、私たちのうちに住みたまい、キリスト者である私たちの生き方を、正しくコントロールしてくださいます。このお方がいなければ、父なる神ははるか高みのみ座に超然と座するお方であり、キリストは、2000年に地上を歩まれた、聖書物語の中だけのメシヤになってしまいます。感謝なことに、聖霊のいない三位一体などあり得ないのですが、問題は、その正しい教義が教会で正しく説かれ、教えられているだろうかということです。そうでなければ、キリスト者は、犯した罪をすぐさま示されて悔い改める魂の清廉さも、日々キリストと共なる生活の喜びも、この世との戦いの上よりの力も、神の愛を身をもって人々に示し、魂を救いに導く内よりの力も、一切体験することなく、ただ頭の中だけの不毛の知識の集積に終始し、あなたも、教会も、早晩、“いのち”を失って滅ぶしかありません。そうです、”聖霊の潤い”とは、私たちを、そして教会を、真に生かしめる“いのちの水”なのです。

昨今、「聖霊論」は世界的に新たな脚光を浴びています。この世界が高度に科学化する半面、ますます世俗化の一途をたどるなか、これからのキリスト教の生命線は、一人一人のクリスチャンへの聖霊の“受肉化”にかかっています。日本の教会が、いまひとつ力を失っているのは、このみ霊の働きが、正しく教えられ、この世に出ていくキリスト者一人一人の証しの原動力になっていないからだと私は思います。聖書の中に、”我が内なる聖霊”のお働きを、もう一度探し求めましょう。そして、自らのうちに“聖霊の潤い”を取り戻すために、“主よ、我が内なるペンテコステを与えたまえ”と、ひざまずいて祈る者となりましょう。

 

 

 

(ヨハネ7:37-39 「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。」

 

 

Dry doctrine, without the damping of the Spirit of God, may only make fuel for your eternal destruction.

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2016年

6月

03日

◆守りと備えの神◆

 

私たちの神様は、守りと備えの神様です。

 

神様の私たちへの愛は、焼き尽くすほどに激しいのです。

 

そして神様の私たちへのご計画は、たとえ私たちの計画と一致しなくとも、正しく良いのです。

 

~ライザ・ターカースト~

 

 

 

God is a God of protection and provision. His love for us is consuming. And His plans for us are good even when they don't align with ours.

 

Lysa TerKeurst

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2016年

6月

02日

◆人を神とするか? 神を神とするか?◆

 

現今の神学は、人の神格化をもくろんでいるが、いつの世にあっても、真理は神を賛美する。

 

 

【解説】 これが書かれたのは、150年近くも前の話。でも、この一文、前半も含めて全く現代にも通じるところが、スポルジョンの新しさであり、人間の変わらなさなのですね。原理運動も、オウム真理教も、ものみの塔も、モルモン教も、はたまた最近の全能神教会も、共通するのはまさしく“人の神格化”。しかし私たちは、神様の書かれた永遠の真理、聖書に基づいて、“人となられた神”、イエス・キリストを信じ、父・み子・み霊の三位一体の神をまことの神様として、このお方にのみ賛美をささげています。唯一の神様が、三つの位格を持たれ、それぞれの役割を担われて、人間の救いと聖化を導かれると共に、この世界を創造され、やがて永遠の神の国を完成なさるというキリスト教神学の、深遠にして広大、緻密にして全宇宙を包括する真理体系の見事さは、人間のあらゆる英知も、到底足元にも及びません。私たちは、この神のみを“神”とします。そして唯一の真理は、この神のみを褒めたたえるのです。アーメン。

 

 

 

 

"The theology of the present aims at the deification of man, but the truth of all time magnifies God."

 

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2016年

5月

26日

◆神は理想論者にあらず◆

 

神は、ある理想的な人間を愛されるのではなく、“人間”を愛される。

 

ある理想的な世界を愛されるのではなく、“現実の世界”を愛されるのだ。

 

~ディートリッヒ・ボンヘッファー~

 

 

 

God doe not love some ideal person, but rather human beings just as we are, not some ideal world, but rather the real world.

 

-Dietrich Bonhoeffer-

 

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2016年

5月

22日

◆無限なるお方の愛◆

“無限のご存在”で、比べるものなき栄光のうちにあるお方が、

 

あなたに“無限の興味”をお持ちなのです。

 

~ビリー・ハンフリー~

 

 

 

(詩篇 8:4 「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」

 

 

 

【解説】 日本語訳で、この一文の文学的修辞はお分かりになったと思いますが、掛けている言葉は、“無限”(原文でinfiniteインフィニット)ですね。これを読んで、私は詩篇8:4がパッと頭に浮かんだのですが、オリジナルにも引用されてました! この一文は旧約の詩人ダビデの、この感嘆の叫びであり、新約時代にあっては、大群衆の真っただ中にあったイエス様が、イチヂク桑の木の上のザアカイに目を留められて、「ザアカイよ、降りてきなさい。今夜はお前の家に泊まるから」と言われた出来事です。そして現代、全宇宙の創造者であり、支配者であられるお方が、あなたを「○○よ」と名指しで呼ばれて、「さあ、私のもとに来るがよい。まだ人に言ったことのないこと、またどんな取るに足らないことでもいい、ありのままに話してごらん。私はあなたの全てが知りたいのだ。」と言っておられるのです。ただ一人、このお方にだけ、私たちがおささげできるのは、“無限の信頼”です。

 

 

 

He who is infinite and matchless in glory is infinitely interested in you.

 

-Billy Humphrey-

 

"What is man that You are mindful of him, and the son of man that You visit him?" (Ps. 8:4)

 

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2016年

5月

13日

◆神を知りて、我を知る◆

 

神とはどのようなお方かが分からない限り、

 

あなたは決して自分を理解することはありません。

 

~ビリー・グラハム~

 

 

 

【解説】 人間が、罪を犯して創り主である神との絆を自ら断った時から、分からなくなった真理が3つあります。

 

  1. 私は何者か?

  2. 私は何のために生きているのか?

  3. 私は、死んだらどこへ行くのか?

 

いずれも、ひとたびこの世に生を受けた者にとっては、最も根源的な問いですが、当然ながら、私たちがイエス・キリストによる罪の赦しを信じて、創造者のもとに帰らない限り、決して答えにたどり着かない真理です。

 

“自分”という存在(アイデンティティー)が分からないために、人は苦しみ、悩み、不安に駆られます。つかの間の享楽にいっとき現実を忘れることはあっても、心の底から湧き上がるような、生きる喜びも、感謝も味わうことはできません。時にはキリスト者であっても、この生きる上での信念が揺らぐことがあります。それは、現実の厳しさの中で、神様が見えなくなるからです。そのご存在への確信が揺らぐからです。

 

そのようなとき、この世に、人間的な“特効薬”は一切ありません。唯一の決め手は「聖書」、神のみ言葉です。

 

Back to the Bible! 聖書に帰りましょう。どんなときも、また何度でも――。

 

Back to the Creator! 創造者に帰りましょう。このお方と私たちを結ぶ、唯一の仲保者、イエス・キリストを通して――。

 

(ヨハネ 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

 

 

 

You will never understand who you are until you understand who God is.

 

-Billy Braham-

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2016年

5月

12日

◆イエス様から、あなたへ◆

 

私はあなたの友になりたい。

 

座って、あなたの言葉を聞きたい。

 

この、ただ一本の狭い道を、

 

あなたと一緒に歩いていきたいのだよ。

 

― イエス

 

 

 

~コーリー・アズベリー「近くにとどまって」~

 

 

 

I want to be your friend, one who will sit and hear your words. I want to walk with you down this only, narrow road. (Jesus)

-Cory Asbury “Stay Close”-

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2016年

5月

06日

◆神様の”力”と”あわれみ”の示し方◆

 

私たちの父なる神様は、ご自身の力を、“弱い人の内なる力”として示されることを喜ばれます。

 

ご自身のあわれみを、“それ以外にあわれみを知らない人々”に示されることを、大切になさるのです。

 

~デイヴィッド・マチス~

 

 

 

Our Father loves to show Himself strong by being the strength of the weak, by showing mercy to those who otherwise receive no mercy.

-David Mathis-

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2016年

4月

11日

◆愛することしかできない神◆

 

神は、我々が愛すべき存在だったからではなく、ご自身が“愛”であるゆえに、私たちを愛されたのです。

 

C. S. ルイス~

 

 

 

He loved us not because we were lovable, but because He is love.

 

-C.S. Lewis-

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2016年

3月

29日

◆ご自身のみ子をさえ◆

 

もし神様が、ご自身のみ子を、最も苦しい試練の中を通らせられ、死の穴の中から引き上げてくださったのなら、私たちがこの世で直面するどんな試練の中をも、必ず通り抜けさせてくださいます。たとえその”穴”が、その時はどんなに深く見えたとしても――。

 

(チャールズ・スウィンドル)

 

 

 

【解説】著者は、著名なアメリカの福音的伝道者、作家(邦訳著書あり)、教育者、ラジオ伝道者。

 

 

 

If God brought His Son through the most painful trials and back from the pit of death itself, certainly He can bring us through whatever we face in this world no matter how deep that pit might seem at the time.

 

-Charles Swindoll-

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2016年

3月

29日

◆神様の行動原則◆

 

神様は、何かすばらしいことをなさるときは、

 

“困難”から始められます。

 

神様が、何かとてもすばらしいことをなさるときは、

 

“不可能”から始められます。

 

(チャールズ・インウッド)

 

 

 

【解説】これ、皆さんも、何度も経験なさったでしょう? そこで上記の言葉はこう解釈しましょう。事をなさるのが神様である限り、私たちに”困難”なことは、神様に“容易”なこと、私たちに”不可能”なことは、神様に“可能”なことなのだと。

 

 

 

When God is going to do something wonderful, He begins with a difficulty; when He is going to do somethingvery wonderful, He begins with an impossibility.

 

-Charles Inwood.

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2016年

3月

26日

◆神様は面会自由◆

 

神様は、全ての人の心の中におられて、

 

神を探し求めている人は、

 

このお方を最も必要とするときに、

 

必ず見いだすことができます。

 

 

 

~ルイーザ・メイ・オールコット(19世紀のアメリカ女性作家。「若草物語」の著者)~

 

 

 

"God is in the hearts of all, and they that seek shall surely find Him when they need Him most."

 

 

 

 ~ Louisa May Alcott, "Through the Mist,"

 

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2016年

3月

15日

◆神様は決して間違えない◆

―あなたに贈るすてきな寓話―

 

神様が善であることを信じない王様がいました。彼は一人の奴隷を持っていましたが、彼はどんな場合でも「我が王よ、落ち込まないでください。神様のなさることは全て完全で、誤りがないのですから」と言うのでした。

 

 

 

ある日、彼らは狩りに出かけましたが、途中で一匹の野獣が王様を襲いました。奴隷はなんとかその野獣を仕留めましたが、王様の手の指が1本、噛み切られてしまうのを防ぐことができませんでした。

 

 

 

怒り狂い、救われたことへの感謝を表すこともせずに、王は言いました。「“神は善”じゃと? もし神が良いものなら、わしは襲われも指を失うこともなかったじゃろうが!」

 

 

 

奴隷は答えました。「我が王よ、それらの全てにも関わらず、私は、神様は善であり、これらの全ての訳(わけ)をご存じだと言うだけです。神様のなさること完全です。彼は決して悪をなさいません!」

 

 

 

その答えに激怒した王は、その奴隷の逮捕を命じました。

 

 

 

そののち、王は再び狩りに出かけましたが、人身御供をささげるという野蛮部族に捕らわれの身となりました。

 

 

 

祭壇の上で、王をいけにえにする準備のできた野蛮人の族長は、その犠牲者の指が1本ないことに気づき、彼は釈放されました。彼らによれば、王は神々にささげるには完全ではなかったのです。

 

 

 

宮殿に帰ってきた王は、その奴隷の釈放を許し、とても優しく彼を迎えました。

 

 

 

「お前、神はいかにもわしに良くしてくれたぞ! あの野蛮人どもに危うく殺されかかったが、指が1本なかったお陰で、わしは放免されたのじゃ! だが質問がある。もし神が本当に善なら、なぜ彼はわしにお前を牢に入れさせたのじゃ?」

 

 

 

「我が王よ、もし私ご一緒に狩りに出かけていたら、私は王の代わりにいけにえにされていたでしょう。私には指がそろってますから。ですから覚えておいてください。神様のなさることは完全で、決して間違いはなさらないのですよ。」

 

 

 

私たちはしばしば、人生や、自分の身に起こる否定的な事柄に不平を言います。偶然に起こることは一つもなく、全てのことには目的があるのだということを忘れて――。

 

 

 

来る朝ごとに、あなたの一日を神様にささげなさい。そそくさとではいけません。

 

 

 

神様に、あなたの考えに霊感を吹き込み、あなたの行動を導き、あなたの感情を静めてくださるようにお願いしなさい。そして、恐れないでいなさい。神様は決して悪いことはなさらないのです!

 

 

 

あなたは、このメッセージがなぜあなたのためなのか知っていますか? 私は知りませんが、神様はご存じです。なぜなら、彼は決して誤りを犯されないのですから…。

 

 

 

神様の道とそのみ言葉は完全で、混じり物がありません。神様は、ご自身を信じ寄り頼む全ての人の“道”なのです。

 

 

 

神様は決して…間違うことがありません。

 

 

 

God is never wrong (Nice Story)

 

A king who did not believe in the goodness of God, had a slave who, in all circumstances, said: My king, do not be discouraged, because everything God does is perfect, no mistakes!

 

One day they went hunting and along the way a wild animal attacked the king. His slave managed to kill the animal, but could not prevent his majesty losing a finger.

 

Furious and without showing his gratitude for being saved, the nobleman said "Is God good? If He was good, I would not have been attacked and lost my finger."

 

The slave replied: "My king, despite all these things, I can only tell you that God is good, and he knows "why" of all these things. What God does is perfect. He is never wrong!"

 

Outraged by the response, the king ordered the arrest of his slave.

 

Later, he left for another hunt and was captured by savages who made human sacrifices.

 

In the altar, ready to sacrifice the nobleman, the savages found that the victim had not one of his fingers, so he was released. According to them, it was not so complete to be offered to the gods.

 

Upon his return to the palace, he authorized the release of his slave that he received very affectionately.

 

"My dear, God was really good to me! I was almost killed by the wild men, but for lack of a single finger, I was let go! But I have a question: if God is so good, why did he allow me to put you in jail?"

 

"My King, if I had gone with you in this hunt, I would have been sacrificed for you, because I have no missing finger, therefore, remember everything God does is perfect. He is never wrong."

 

Often we complain about life, and negative things that happen to us, forgetting that nothing is random and that everything has a purpose.

 

Every morning, offer your day to God, don't be in a rush.

 

Ask God to inspire your thoughts, guide your actions, and ease your feelings. And do not be afraid. God is never wrong!

 

You know why this message is for you? I do not know, but God knows, because he never makes mistakes.......

 

The path of God and his word is perfect, without impurities. He is the way of all those who trust in Him.

 

God is never... wrong.

 

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2016年

1月

10日

◆神は、あなた自身よりも近くにおられる◆

 

私たちは、不在なる神の存在を求めて、当てもなき空間に大声で叫ぶ必要など、いささかもない。神は、私たち自身のの魂よりもそば近くにおられ、我らの最もひそやかな思いよりも間近におられるのである。

 

A. W. トーザー「神を求めて」1948年~

 

 

 

We need never shout across the spaces to an absent God. He is nearer than our own soul, closer than our most secret thoughts.

 

-A. W. Tozer, The Pursuit of God, 1948-

 

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2015年

11月

20日

◆心して聴くべき言葉◆

罪びとらよ! ナザレの人に対して罪を犯すのは、些細なこととあなたは考えるかもしれない。だが、そうすることによって、あなたは、義のうちにこの地上を裁かれるお方に罪を犯してしまったのだと、知ることになろう。そしてその反逆のゆえに、永遠の怒りの海の中で、あなたは苦痛の波に耐えねばならないのだ。その審判から、神があなたを助け出されますように!

 

【解説】 はい、「私はクリスチャンだから、そんな大それた罪は犯さない」とお思いですか? でも、クリスチャンにはクリスチャンの罪があり、神様の恵みとあわれみを知っている上で犯す罪に対する神様の裁きの規準は、それだけ高く厳しいことを知らねばなりません。己の正義を通すための愛のない一言、パリサイ的な義の基準で人を裁く思い、なすべき善を知りながらそれを行わない意志の弱さ、聖からぬ思いを内に隠しつつ温存しようとする偽善…。そのような罪の一つ一つ、中にはすっかり忘れ果てていたものまで、全てについて裁かれるのは、もはや貧しいナザレの旅人ではない。み座にいます全世界の王なるお方なのです。今、襟を正して、このお方のみ前に心と魂の全清算をしておかなければなりません。具体的に、そして最後には「この他、私の気づかなかった罪、忘れてしまった罪の全て」を付け加えることを忘れずに、悔い改めるのです。遅すぎないうちに――

(黙示録0:11,12 「また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。」

 

Sinners! ye may think it a trifle to sin against the Man of Nazareth, but ye shall find that in so doing ye have offended the Man who shall judge the earth in righteousness; and for your rebellion ye shall endure waves of torment in the eternal ocean of wrath. From that doom may God deliver you!


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2015年

11月

12日

◆神こそ我が至宝◆


  1. 神様は、一つの家族に、“統治”の権限を委ねられました。アダムとエヴァは、神を敬う子孫を通して、神様のために地を従えるよう命じられたのです。

  2. “神様にある全相続財産”以下のところで、あなたの人生に手を打ってはなりません。
    【解説】 これは、直接的にはローマ書4章、8章にある、アブラハム、およびその霊的子孫である私たちキリスト者への、“信仰による義”の相続を指しています。(41316
    8:16,17 「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」
    私たちは、律法によってではなく、信仰によって、”キリストと共同の相続人”にしていただいたので、この世に在って義に生きるためのあらゆる苦しみも共に受けますが、やがて天に約束されている、キリストと同じ姿に変えられる、栄化の望みも共に相続しているのです。
    しかし、この”神様にある全相続財産”の中には、霊的財産と共に、この世の物質的財産ももちろん含まれます。大切なのは、”神様にある”ことで、その相続財産は、この地上で正しく管理するために与えられたものです。その面では、私たちは神からの相続の”管理人”です。そこに求められているのは、あの放蕩息子のように、それを自分の思いのままに使うことではなく、神様の栄光のために正しく用い、忠実に管理して、主人にきちんと報告することです。
    このように、私たちが物心両面にわたって受けたものは、どんな小さなものであっても、“神様にある”(神様の主権・支配権に属する)ものでなければなりません。それ以下のものは、どんな財産も、早晩消えゆくものにしかすぎません。そのようなもので満足し、妥協してこの世と手を打ってはならないのです。

  3. 神様は、計り知れない”喜び”です。そして、神ご自身に関するテーマで自分との関係を考えるとき、神様はご自身がお与えくださった“至高の栄誉”であり喜びです。神様が与えることのできる、この至高の栄誉と喜びは、私たちが、彼の“栄光あるみ子”のテーマに沿った関係を基礎にできるということです。

    ~アレン・ウッド~

 

  1. God entrusted the dominion mandate to a family. Adam & Eve were to subdue the earth for God through godly offspring.

  2. "Settle for nothing less than your full inheritance in God."

  3. God is pleasure immeasurable; and the highest honor and joy He gave as to relate to us around the subject matter of Himself. The highest honor and joy God could give us is that we would base our relationship around the subject matter of His glorious Son.

    -Allen Hood-


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2015年

11月

08日

◆スポルジョン、”王”なるキリストを論ず◆

キリストを愛する、地上の最も貧しき女性、あるいは男性は、“王家の一族”である。一人の人の心に、神の恵みを注いでみよ。彼の家系は、高貴なるものとなろう。

 

君主は、世の常として、“余を尊敬すべし”と命ずるものだ。ああ、愛する人々よ、この世の王子たちは地上で最も栄誉ある人々であるとは思うが、もしあなたが神に尋ねるならば、彼はこうお答えになるであろう。「私の喜びである、我が聖徒らよ、あなた方こそ栄誉ある人々なのだ」と。

 

我らが主なるイエスは、この地上全ての者の王なるお方であり、全ての国々を、栄光のうちに、霊的にも、個人的にも治めたもうお方である。キリストに在って王である聖徒らも、全世界に対して、その権利を有する者なのだ。

 

【解説】 キリストによって、“王の王なるお方の子”とされた者の、“聖なる矜持(きょうじ)”、ここに極まれりとも言うべき一文ですね。でも、これは聖書から読み解く真実です。どんなこの世の艱難の中にあっても、私たちもまた、この主を誇り、“王家の一族”として生きましょう。

 

The poorest woman or man on earth, loving Christ, is of a royal line. Give a man the grace of God in his heart, and his ancestry is noble.

A monarch generally commands respect. Ah! beloved, we think that wordly princes are the most honourable of the earth, but if you were to ask God, he would reply, “my saints, in whom I delight, these are the honourable ones.”

Jesus, our Lord, is to be King of all the earth, and rule all nations in a glorious spiritual, or personal reign. The saints, as being kings in Christ, have a right to the whole world.


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2015年

10月

26日

◆私は神をこう考える◆


  1. 神は”時”の外に存在する。私たちは、”時”の中にあるので、”時のないところに存在する”という概念がどういうものなのか、完全に把握するすべは、どこにもないということだ。

  2. ただ単に人生を生きているだけでは、神のそば近くに行けるほど成長することは決してできない。それには、積極的な神の追求と、注意深い考察が必要なのだ。

  3. あなたの人生の目的(原文pointポイント)は、“神を指し示す”(原文pointポイント)ことである。あなたが何をしていようと、神はご自身のみ名があがめられることを求めておられる。
    ~フランシス・チャン~

 

  1. "God exists outside of time, and since we are within time, there is no way we will ever totally grasp that concept."

  2. We never grow closer to God when we just live life. It takes deliberate pursuit and attentiveness.

  3. The point of your life is to point to Him. Whatever you are doing, God wants to be glorified.

-Francis Chan-


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2015年

10月

25日

◆苦しみ、最上の神のたまもの◆

主イエスが一人の人を深く愛するとき、このお方は彼に、なすべき多くのことか、あるいは苦しむべき多くのことを与えられるのだ。

 

(ピリピ 1:29「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」

 

"When the Lord Jesus loves a man very much, He gives him much to do or much to suffer."


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2015年

10月

23日

◆私はイエスをこう考える◆

◆今日の霊想◆

―私はイエスをこう考える―

 

宗教は、人間の心を変えることはできないし、私たちを新しく創ることもできない。イエス・キリストを通しての救いだけが、それを成し遂げるのだ。

私たちが、神様とはどのようなお方かについて考える唯一の理由は、このお方が、イエスのうちに、ご自身を余すところなく表してくださったからである。彼は、およそ人間が経験することの全ての側面を知っておられ、私たちを極みまで愛してくださった。

私たちの“変容”は、このイエスのご人格を、心からの憧憬を込めて凝視することによってなされるのだ。

~アレン・フッド~

 

Religion cannot change the human heart or make us a new creation; only salvation through Jesus Christ can do that. The only reason we know what God is like is because He has revealed Himself fully in Jesus. He knows every aspect of the human experience and loved us to the fullest. Transformation comes through the adoring gaze of the heart on the person of Jesus.

-Allen Hood-


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2015年

10月

19日

◆生ける水◆

神様の丘から流れ落ちる、“生ける水”のなんとおいしいことでしょう。

それは、一日中、私を喜ばせ、幸せにします。

私が踏みしめた小道には、今、栄光と、恵みと、祝福が跡を残します。

私は日ごとに、「ハレルヤ」と叫んでいます。

 

ああ、罪ある人よ、今日、カルバリに来ずや?

そこに、深く、広く流るる泉あり。

救い主は、今、なんじを価(あたい)なき水に招きたもう。

渇きたる魂は、そこにて満たさるるを得ん。

  ―ジョン・ピーターソン

 

How sweet the LIVING WATER from the hills of God

 It makes me glad and happy all the way;

 Now glory, grace and blessing mark the path I’ve trod,

 I’m shouting “Hallelujah” every day.

 

O sinner, won’t you come today, to Calvary,

 A fountain there is flowing deep and wide;

 The Savior now invites you to the water free,

 Where thirsting spirits can be satisfied.”

-- John Peterson


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2015年

10月

19日

◆ボンク、聖霊について語る◆

  1. 聖霊が私に言われました。「あなたの口にある私の言葉は、私の口から出る私の言葉と同じように力があるのだ」と。力は、“神のみ言葉”にあるのです。
    【解説】 聖書の言葉=神の言葉は、神父が語るから権威があるのではありません。牧師が話すから人が救われるのではありません。救われたばかりのあなたが話しても、人前で話すのが苦手なあなたが思い切って、たどたどしく語っても、魂の琴線に触れることができます。人を生かし、人を救う力は、「神のみ言葉」そのものにあります。それをご自身の口から語られ、聖書に記されたご聖霊は、それを語るあなたをも用いて、ご自身の救いのみ業をなさるのです。
    (イザヤ 55:11 「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」

  2. 聖書は、ビンに詰めた空気に関しては、何も知りません。語るのは”動く風”についてだけです。聖書は、“行動する聖霊”、“ご自身を顕(あらわ)す聖霊”以外の聖霊については沈黙を守ります。
    【訳注】 (ヨハネ 3:8 「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
    (使徒2:2-4 「すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」

  3. 聖霊は、“癒やす霊”です。聖霊がご臨在くださるとき、どんなことも可能になるのです。

     

    ~ラインハルド・ボンク~

 

  1. Holy Spirit told me, My word in your mouth is just as powerful as My Word in My Mouth. The power is in the Word of God.

  2. The Bible knows nothing about air in a jar, only wind in motion. It knows nothing about the Holy Spirit except in action, in manifestation.

  3. "The Holy Spirit is a healing spirit. When the Holy Spirit is present, anything is possible."
    Reinhard Bonnke-


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2015年

10月

12日

◆あなたが存在するわけ◆

  1. 私たちの想像をはるかに超えて、ご自身の全ての被造物とは全く異なった“超越神”が存在します。

  2. 私たちは、ご自身との親しい交わりのために、この神様によって創られた唯一の被造物です。

  3. 私たちは、神様と出会い、神様のご臨在と、その深さを体験するために創られました。

  4. そうです、神様の深さを体験するために、“神性”という広大な大洋を探索するために、被造物が熱心に尋ね求めている“宝物”を掘り当てるために、私たちは創られました。

  5. そして、宇宙の神である私たちのみ父が、ご自身のみ子に与えることのできる最高の贈り物としてお決めになったのは、“あなた”なのです。

    ~アレン・フッド~

 

  1. Beyond our imagination is this transcendent God who is wholly other than all of His creation."

  2. "We are the one creature made by God for intimacy with Him."

  3. We were made for encounter, for experiencing the presence and depths of God.

  4. Yes, we were made to experience God’s depths, to shearch the vast ocean of the Deity and to mine the treasures that creaton longs to look into.

   5.  And "our Father, the God of the universe, has determined that the             highest gift He could give His Son is you."
             -Allen Hood-

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2015年

10月

08日

◆主、王座に在りて、全てよし◆

キリストが“仲保者の王座”にいましたもう限り、その日その日が良き日であり、どの日も全て“救いの日”なのだ。

A. W. トーザー~

 

As long as Christ sits, on the mediatorial thorone, every day is a good day and all days are days of salvation.

-A. W. Tozer-


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2015年

10月

05日

◆ただ独り子の神だけが◆

私たちが、神はどのようなお方かを知ることができる唯一の理由は、このお方が、イエス様において、ご自身を余すところなく現してくださったからです。

~アレン・フッド~

 

The only reason we know what God is like is because He has revealed Himself fully in Jesus.

-Allen Hood-


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2015年

9月

28日

◆キリストを知るということ◆

キリストのご人格を理解するということは、”心に火がつく”ほどに、私たちを興奮させることなのです。

~ボブ・ソージ~

 

【解説】 原文のsets the heart on fireは、キャンプファイアで小枝に火がついて、炎がめらめらと燃え上がるように、心が激しく躍ること、激することです。エマオへの途上の二人の弟子も、同行者キリストと語り合った時、このような体験をしたのでしたカ2432)。問題は、私たちが、そのような主の理解の仕方をしているかということです。これは、み言葉と祈りによって、内なるキリストのみ霊との親しい交わりをすること、そして日常生活の中で、神様の愛を言葉と行いで証しするときに、生きて働かれる主ご自身を”体験”すること以外にはできません。心の焦点を、ピタリとイエス様に合わせることです。

 

(コロサイ1:27 「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」

 

Understanding the person of Christ is the thing that sets the heart on fire.

-Bob Sorge-

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2015年

9月

28日

◆ザ・ベスト・デザイナー◆

デザイン〈意匠・設計〉の議論が、こと“自然”の話に及ぶと、神の存在を証明することになる。私たちは自然の中に、明らかな”デザインの跡”を見るし、そのデザインは、いやおうなしに”デザイナー”(設計者)は誰だろうという議論になるのだ。

 

The design argument, when brought to bear upon nature, proves the existence of God. We see in nature clear marks of design, and a design argues a designer."


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2015年

9月

26日

◆イエス◆

何度も何度も、彼はご自身の肩に、私たちを負ってくださいます。

誰も、この無限の、変わることのない愛によって私たちに与えてくださった尊厳を、はぎ取ることはできません。決して私たちを失望させることのない、そしていつも私たちの喜びを回復させることのできる慈しみ深さで、このお方は、私たちが頭をもたげ、新たに歩みだすことを可能にしてくださいます。

どんなことが起ころうとも、イエス様の復活から逃げ去らないように、決してあきらめないようにしましょう。このお方の生涯よりも、私たちの魂を奮い起こすものがありませんように。イエス様の生き方だけが、私たちを前に進ませてくださるのです!

 

"Jesus"

Time and time again He bears us on His shoulders.

 No one can strip us of the dignity bestowed upon us by this boundless and unfailing love. With a tenderness which never disappoints, but is always capable of restoring our joy, He makes it possible for us to lift up our heads and to start anew.

 Let us not flee from the resurrection of Jesus, let us never give up, come what will. May nothing inspire more than His life, which impels us onwards!”


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2015年

9月

24日

◆関わりを喜ばれる神◆

神様は、私たちがたとえ弱くあっても、私たちと結びついていることを本当に喜ばれるのです。

~マイク・ビックル~

 

(イザ 62:4)「あなたは『わたしの喜びは、彼女にある』と呼ばれ、あなたの国は夫のある国と呼ばれよう。主の喜びがあなたにあり、あなたの国が夫を得るからである。」

 

God actually enjoys His relationship with us, even in our weakness.

-Mike Bickle-

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2015年

9月

08日

◆この土の器をも◆

神がひとたび人の上にみ手を置かれると、たとえその人が、かつては無益で、役立たずな人間だったとしても、極めて価値ある人に創り変えることがおできになるのだ。

 

When God puts his hand to a man, if he were worthless and useless before, he can make him very valuable.


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2015年

9月

06日

◆神: 絶対に信頼できるお方◆

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆

Charles Spurgeon The Prince of Preachers

―神: 絶対に信頼できるお方―

 

神は、不親切であるにはあまりに良きお方であり、間違いを犯すにはあまりに賢いお方である。彼のみ手の動きを追いきれないときは、彼の“み心”に信頼なさるがいい。

 

God is too good to be unkind, too wise to be mistaken; and when you cannot trace His hand, your can trust His heart.


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2015年

9月

05日

◆国を治めるも道を掃くも神の栄光のため◆

横断歩道を掃除することで、神の栄光を表すこともあるのだということを、あなたはご存じないだろうか? もし二人の天使が地上に遣わされたとして、一人は神の王国を治め、一人は道路清掃に従事した場合、それが彼らに対する神のご命令である以上、彼らは自分の役割に対して選択の余地はない。かくして神は、ご自身の摂理によって、あなたを、日ごとの糧のために一生懸命に働くことに召されたのだ。神の栄光のために、その業をなさい。

 

Do you not know that there is such a thing as glorifying God by sweeping the street crossing? If two angels were sent down to earth, one to rule an empire, and the other to sweep a street, they would have no choice in the matter, so long as God ordered them. So God, in his providence, has called you to work hard for your daily bread; do it to his glory.


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2015年

9月

02日

◆今日も天の父の膝元へ◆

私たちは、子どもが父親のもとに行くように、父なる神のご臨在のもとに行くべきです。もちろん私たちは、崇敬と聖なる畏れをもってそうしますが、幼子のような絶対的信頼と、純真さをもって、行くべきなのです。

~マーティン・ロイドジョーンズ~

 

We should go into His presence as a child goes to his father. We do it with reverence and godly fear, of course, but we should go with a childlike confidence and simplicity.

-Martyn Lloyd-Jones-

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2015年

8月

31日

◆弱き人を招かれる聖霊◆

聖霊は、”計画”とか、”方法”とか、“物”の上には宿られない。聖霊は、弱さの中でこのお方を信頼し、従っていく人々を名指しで呼ばれ、ご自身の油を注がれるのだ。

E. M. バウンズ~


【訳注】 「名指しで呼ぶ」と「油を注ぐ」と訳した原文は、「appoints アポイント」と「anointsアノイント」で、韻を踏む修辞がなされています。


The Holy Spirit does not come on plans, methods and things. He appoints and anoints people who trust Him and follow Him in weakness.

-E.M. Bounds-



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2015年

8月

31日

◆神のあわれみに生かされて我あり◆

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆

―神のあわれみに生かされて我あり―

 

ああ、神はなんと十重二十重にもあわれみに富んでおられることか! はるか高みから人類をご覧になり、強打の一撃をもって滅ぼそうとなさらないとは――。

 

Oh! how ten-thousand-fold merciful is God, that, looking down upon the race of man, he does not smite it out of existence.


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2015年

8月

30日

◆神は”父”の心そのものです◆

◆祈りの家◆

―神は“父”の心そのものです―

 

“父”は、神様の象徴的な名前ではありません。この語は、神様のお心の“本性”を表しています。神様は、まさしく”父”そのものであられ、”父”のように行動され、“父”のような感情を持っておられるのです。

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2015年

8月

30日

◆我がの立つをも座るをも見たもう神◆

私たちが何をしようと、何を身に負おうと、何を苦しもうと、神の目はいつも私たちの上にとどまっている。そして、私たちが彼のものであるゆえに、そのほほえみのもとにあるか、あるいは彼から迷い出たゆえに、その渋面のもとにあるのである。

 

Whatsoever we do, or bear, or suffer, the eye of God still rests upon us, and we are beneath his smile, for we are his people; or beneath his frown, for we have erred from him.


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2015年

8月

28日

◆神様にできること◆

神様があなたの命の中に入って来られる時、

神様はあなたを、“矯正”したり、

“活性化”したりするのではありません。

“新しいあなた”をお創りになるのです。

 

(Ⅱコリント5:17)「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

 

God does not repair or renovate when He enters your life. He makes a NEW you.

(2Co 5:17) Therefore, if anyone is in Christ, he is a new creation; old things have passed away; behold, all things have become new.


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2015年

8月

26日

◆絶望の中でこそ知る神の愛◆

私たちが、全てのことのむなしさを学び知るときほど、創造者のかけがえのなさについて教えられることはない。

~チャールズ・スポルジョン~

 

Nothing teaches us about the preciousness of the Creator as much as when we learn the emptiness of everything else.”

Charles H. Spurgeon


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2015年

8月

24日

◆つまずかせない神◆

固く信じていなさい。もしあなたが神と共に歩み、神をしっかり見つめ、神に期待するなら、このお方は決してあなたをつまずかせることはありません。

~ジョージ・ミュラー~

 

Be assured, if you walk with Him and look to Him, and expect help from Him, He will never fail you.

-Geoage Mueller-

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2015年

8月

24日

◆古きを今へ もたらす聖霊◆

多くの熱狂的な御仁たちが、「聖霊様があれも見せてくれた、これも見せてくれた」とのたもうのを私は聞いた。ここに極めて一般的に申し上げるが、それはナンセンス(バカげたこと)というものである。聖霊は、現代において、何か真新しいものをお見せになることはない。このお方は、私たちが想起できるように、古きことどもへと導いてくださるのだ。

 

I have heard many fanatical persons say the Holy Spirit revealed this and that to them. Now that is very generally revealed nonsense. The Holy Ghost does not reveal anything fresh now. He brings old things to our remembrance.


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2015年

8月

22日

◆♪ああ主は我がため世に下りて♪◆

◆今日の霊想◆

―♪ああ主は我がため世に下りて♫―

 

神様のみ心のどこかで、ある聖なる願いと、最も気高い思いが湧いてきて、その結果、神様は、ご自身の永遠性と、人類の王として君臨できるご身分にもかかわらず、人間の肉の形を取られたのです。

~アレン・フッド~


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2015年

8月

22日

◆数えもかなわぬ み霊の愛◆

ああ聖徒よ、聖霊がいかばかり御身を愛しておられるかをご存じか? 御身は聖霊の愛を計ること、よくなしうるか? その御魂の御身への愛情、いかばかり深きやを知るうるか? 行きて、御身の指極(両腕を左右に伸ばした長さ)もて、天の広さを測りてみよ。行きて、錘(おもり)もて、山々の重さを量りてみよ。行きて、大海(たいかい)の水をすくい、その滴(しずく)の数を数えてみよ。行きて、海辺の大砂原の砂粒の数を数えてみよ。もしこれら全てを成し遂げし暁には、御身は、聖霊の御身を愛すること、いかばかりかを語るを得ん。

 

【解説】 「今日はまたなんと大仰な日本語だこと!」と思われたでしょうね。原文がそうなので、訳としても合わせたほうがいいと思いまして。何しろ、    Do youが文語英語のDost thouドスト・ザウ、Can you Canst thouキャンスト・ザウですからね。でも、スポルジョンの論理的説得力は、十分お分かりいただけたと思います。絶対に人間の力では計測の不可能な例を挙げて、それができるなら、これもできる。⇒到底できない。⇒ならば聖霊の愛の深さを言葉で表すことも無理である、ということですね。この聖霊の愛は、ロマ書8章では、父なる神への“とりなし”の深さという形で描かれています。読み慣れたこの箇所を改めて読み、ここに描かられた「神の愛」は、聖霊のとりなしによって初めて私たちのものになることに気づかなければなりません。その時に、私たちは罪の世に対して”圧倒的な勝利者”であることを改めて確認し、このスポルジョンの言葉が、決してオーバーではないことが分かるはずです。

 

(ローマ人への手紙8:2639抜粋) 「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。…では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。…私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。…しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

 

Dost thou know, O saint, how much the Holy Spirit loves thee; Canst thou measure the love of the Spirit. Dost thou know how great is the affection of his soul towards thee? Go, measure heaven with thy span; go, weigh the mountains in the scales; go, take the oceans water, and tell each drop; go count the sand upon the seas wide shore, and when thou hast accomplished this, thou canst tell how much he loveth thee.


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2015年

8月

21日

◆神様を知る◆

◆祈りの家◆

―神様を“知る”―

 

神様を”知る”ということは、神についての”情報を持つ”ということよりもはるかに大切なことです。神様は、私たちがこのお方と“話す”ことによって、“親しく知る”ようになることを望んでおられるのです。

 

Knowing God is much more than having information about God; He wants us to come to know Him intimately by talking to Him.

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2015年

8月

21日

◆聖霊よ、私ではなく、あなたが◆

◆今日の霊想◆

―聖霊よ、私ではなく、あなたが―

 

聖霊は、ご自身のみ力を、自分に注意を引き付けるために用いない人々を通して表そうと願っておられる。

 

【解説】 これは、今日のスポルジョンの言葉「聖霊が照らすとき」と呼応するものです。そしてまた、あのバプテスマのヨハネをも思い起こさせます。多くの人が、彼のもとを離れて、公の伝道活動を始められたイエス様のもとに行ってしまったと告げた人々に、彼はこう言ったのでした。

(ヨハネ3:29,30「花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」

現代の私たちの心には、このイエスのみ霊が宿っています。その私たちもまた、このように祈らねばなりません。「イエスのみ霊よ、あの人にみ言葉を語るとき、そして今日もあなたのみ業をなすとき、どうぞあなたのみ力を自分に注意を引き付けるために用いることがありませんように。あなたが栄え、私は衰えますように。どうぞこの者を通して、あなたご自身のみ力が表されますように。」

 

The Spirit wants to manifest His power through people who will not use it to draw attention to themselves.


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2015年

8月

21日

◆聖霊が照らすとき◆

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆

Charles Spurgeon The Prince of Preachers

 

ああ、私は、聖霊がその心を照らし出すまでは、教義を拒んでいた人々をあまた知っている。

 

【解説】 今日のスポルジョンは、ルカの福音書24章を思い出させますね。

(ルカ 24:24「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。」

 24:32 「そこでふたりは話し合った。『道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。』」

人は信仰告白をしてキリストを救い主、主と信じますが、その瞬間というのは、実は一人の例外もなしに、聖霊が、あたかも舞台のスポットライトが、主人公をさっと照らし出すように、その人の心を照らし出してくださった瞬間なのです。あなたの周りにも、どんなに口を酸っぱくして福音を解いても、拒み続けている人がいるかもしれません。その人を覚えて、私たちは新たにこう祈るべきではないでしょうか。「主よ、○○さんがあなたの教えに触れるとき、あなたのみ霊が、○○さんの心を照らしてくださいますように」と――。

 

Ah! I have known men reject a doctrine until the Holy Ghost began to illumine them.


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2015年

8月

20日

◆神の栄光が現れるとき◆

私たちが神のうちに最も満ち足りるとき、神の栄光は私たちのうちで最もたたえられる。

~ジョン・パイパー~

 

聖書的に言えば、”幸せ”とは、イエスのうちに満ち足りることであって、必ずしも私たちの状況の中で満足することではありません。

 

"God is most glorified in us when we are most satisfied in Him."

John Piper

Happiness, biblically speakingis being satisfied in Jesus, not necessarily satisfied in our circumstances.


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2015年

8月

20日

◆神を知り、イエスの本性を知る◆

神のことを教わらない限り、何人(なんぴと)もイエス・キリストを知ることはできない。

 

【解説】私たちは、最後の3つの聖句でも分かるように、「本当に神を知りたかったら、人となられた神のみ子、イエス・キリストを知りなさい」というアプローチで、キリストの神性と、神の存在を立証してきました。スポルジョンの今日の言葉は、“逆もまた真なり”であることを知らせてくれます。キリストが本当に神であることを確信し、人々にも告げ知らせるためには、そもそも神様はどんなお方なのか、その属性(愛、義、聖、…)をよく知らなければなりません。その全てが(地上にあられた間、その一部は制限されていたとはいえ)、キリストのうちに現されていることを知るとき、私たちはペテロのように、トマスのように、キリストを仰いで、「あなたは生ける神の子、キリストです。我が主、我が神よ。」(マタイ1616、ヨハネ2028)と告白できるのです。

 

(コロサイ 1:15「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。」

(ヨハネ 1:18「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」

(ヨハネ 14:9)「わたしを見た者は、父を見たのです。」

 

No man can know Jesus Christ unless he is taught of God.


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2015年

8月

18日

◆イエスは こんな方◆

花にとっての露、

ミツバチにとっての花蜜、

虫にとっての大地、

鳥にとっての巣、

羊にとっての野原、

鷲にとっての大空、

飢え渇きにとっての水、

奴隷にとっての自由、

罪びとにとっての赦し、

有罪者にとっての恩赦、

――イエス・キリストは、

私にとってそんな方です!

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2015年

8月

18日

◆”み霊”がカギです◆

何人(なんぴと)も、”聖霊”のことを教わらない限り、何一つ正しく学んではいないのだ。

 

(ヨハネ16:13「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。」

 

No man ever learns anything aright, unless he is taught of the Spirit.


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2015年

8月

16日

◆神: 憶測か? 確信か?◆

他の宗教は、神とはどんな存在かについて、いろいろ“憶測”します。クリスチャンは、こう叫ぶのです。「神様がどんなお方か、知ってます!」と。


【解説】 なぜ私たちは、迷わずこう叫べるのか? そう、”人となられた神”、イエス様を聖書によって知っているからです!
(ヨハネ 1:18) 「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」

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2015年

8月

14日

◆主の臨在に触れるとき◆

あなたの生活の中で、主のご臨在と喜びは、あなたが独りささげる礼拝と、主との静かな交わりの中に顕れ出ます。

 

(詩 145:14「主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。」


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2015年

8月

14日

◆神様は”十分以上”◆

◆信仰と希望と愛の庭で◆

―神様は“十分以上”

 

そこには神様だけしかおられないという場所に来ると、あなたは、自分に本当に必要なのは神様だけだと気づくのです! 神様は、“十分以上”のお方です。

 

When you come to the place where God is all you have, you will find that He is all you need!

 He is more than enough.


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2015年

8月

13日

◆み霊のたまものは◆

主イエス様。私たちの内にある、あなたのみ霊のたまものを感謝します。どうぞ私が、み霊が私に助言を与え、力で満たしくださるままにさせることができますように。私が、あなたのお力によって、私の人生の新たなる高みに進むことができますように。 ❤

 

Lord Jesus, thank You for the gift of Your Spirit in us. May I let the Holy Spirit counsel me and empower me. May I go on to new heights in my life, by Your power.


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2015年

8月

13日

◆天の父を心からあがめていますか?◆

神様の“父性”に対し、あるいはその”尊厳性”について、低く乏しい意識しか持ち合わせていないと、神様との結びつきは浅くなり、祈りの生活を妨げることになります。

 

Having a low view of either God’s fatherhood or His majesty diminishes our relationship with Him and hinders our prayer lives.


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2015年

8月

13日

◆100%人、100%神◆

それまで、いつもそうであられた神のご存在をやめることなく、永遠の神のみ子は人間イエスになられました。そしてイエス様は。完全に人であることをやめることなく、永遠の神のみ子です。

~アレン・フッド~


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2015年

8月

13日

◆陰あるところに光あり◆

”死の影の谷”は、神の子どもである私たちにとっては、なんの暗闇ももたらしません。必ずそこには光があるはずです。でなければ、陰などできないからです。イエス様は“光”です。彼は“死”に打ち勝たれたのです。

~ドワイト・L・ムーディー~


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2015年

8月

11日

◆他者には寛容、己は確信◆

私は他の人々の信じていることに不寛容になろうとしているわけではないのです。そんな気は毛頭ありません。ただ、イエス様はこう言われました。(ヨハネ 14:6「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」 それで私は、このお方を信じているのです。


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2015年

8月

08日

◆我、”神の愛“の通りよき管たらん◆

◆今日の霊想◆

―我、“神の愛”の通りよき管たらん―

 

私たちは、“自我”というものをわきに押しやって、神様の愛が自分を通して流れ出ることを許すときにのみ、自分の人生の本当の意味と目的を見いだすのです。

 

(マタイ 10:39「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」


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2015年

8月

04日

◆♪イエス様が一番!◆

イエスを己が全てとしたときに、人はイエスのうちに全てを見いだす。

 

CS・若者訳】

“イエスさま一番”にするとね、大切なものはみんなイエス様がくださるんだよ!

【裏世界訳】

「イエス、命」で生きると決めたから、主(ボス)が万事、取り仕切ってくれるって。

【歌人訳】

我が人生(いのち) 主こそ全てと決めしとき 

よきもの全て 主に見いださむ

 

【コメント】 今日は原文があまりに短いので、定番のスポルジョン流訳に加え、3つほどバリエーション訳をつけてみましたが、いかがでしょう。

 

Having made Jesus his all, he shall find all in Jesus.


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2015年

7月

27日

◆♪イエス様が一番◆

あたし、神様 大好き。

あたし、神様の“追っかけっ子”なの。


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2015年

7月

16日

◆君をマジで考えてくれるイエス◆

《男の顔バージョン》

みんなは俺のこと、イカれてると思ってる。「お前は、キリストの話になると、超マジになるからな」って。うーん、それはどうかよく知らねえけど、キリストが十字架の上で俺のために死んでくれた時、俺のこと、すっごくマジで考えてくれたと思うんだ。

 

《女の子バージョン》

みんなは私のこと、イカれてると思ってる。「イエス様の話になると、超マジになるんだから」って。うーん、それはどうかよく分からないけど、キリストが十字架の上で私のために死んでくださった時、私のこと、すっごくマジに考えてくれたと思うんだ。」

 

Everybody thinks I’m crazy. They say, “You take the Jesus thing too seriously.” Well I don’t know, but Christ took me pretty seriously when He died for me on the Cros..


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2015年

7月

16日

◆神様、出番です!◆

信仰を持って、こう言いましょう。

「主よ、私の人生をあなたがリードしてください。」

 

お前は、自分でできることは全部やったんだ。

さぁ、行こうぜ。

ここからは、神様に“仕切って”もらうんだよ。

 

Say this with faith… Lord, have our way in my life.

You’ve done all that you can do. Let go and let God handle it from here.


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2015年

7月

05日

◆イエスのみ手を感じたら◆

時々、

私はそっと空を見上げ、

ほほ笑み、そして言うんです、

「イエス様、分かってます、

あなただったんでしょう?

ありがとうございます」って。

 

Sometimes I just look up, smile and say; I know that was you Jesus. Thank you.


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2015年

4月

24日

◆イエスが言われた「私は〇〇です」◆

【ヤコブ3:2】私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。

 

誰があえて「私は完全です」などと言えるでしょうか?

 

2度目、3度目のチャンスというのは、決して“あればいい”というのではなく、必要なものです。誰にとっても必要なのです。なぜでしょうか? 誰もが“傷だらけの”自分史を持っているからです。私たちに共通な全ての物事のうち、“不完全さ”は、確実に万人共通です。“やりたい”と思ったことをやってごらんなさい。遅かれ早かれ(普通は早いうちに)、あなたは失敗を犯し、2度目、3度目、あるいは4度目のチャンスが欲しくなります。

 

あなたは次のチャンスが欲しいですか? それとも誰か、あなたからそのチャンスをもらいたい人がいますか?

 

【解説】このメッセージを読むと、私たちは、イエス様のあのお言葉が、無性に有り難くなります。

 「そのとき、ペテロがみもとに来て言った。『主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』イエスは言われた。『七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。』」(ルカ182122)

 私自身のことですが、先日も言いましたが、車を傷つけるドジの連続で、ほとほと自分に愛想が尽きていますので、とりわけ身に染みます。2度目、3度目のチャンスの有り難さが分かるあなたも、ぜひそのチャンスを、あなたから欲しい人に、進んで与えてあげてください。

 そんな思いでもう一度このシロクマ親子を見ると、お母さん熊の優しい言葉が聞こえてくるでしょう? 「またやったのかい? よしよし、泣くんじゃない。今度こそ気をつけるんだよ。」

 

We all stumble in many ways. If anyone is never at fault in what he says, he is a perfect man.” James 3:2 NIV. Who would dare claim to be perfect?

 

Second or more chances are not optional; they are necessities. Everyone needs them. Why? Because everyone has a flawed history. Of all the things common to us, imperfection is a certainty. Try as you will, sooner or later and usually sooner, you will make mistakes and when you do you will need a second chance, or a third or fourth.

Do you need another chance, or is there someone who needs that from you?


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2015年

4月

24日

◆神様はあなたにとって…?◆

“勝利”においては、

 神様は私の“王冠”。

 “祝福”においては、

 神様は私の“富”です!

 

In victory God’s my crown. In blessings He’s my wealth.


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2015年

4月

21日

◆神様があなたに覚えていてほしい10の約束◆

◆神様があなたに覚えていてほしい10の約束◆

 

 私はあなたに休息を与える。

 私はあなたを強くする。

 私はあなたに応える。

 私はあなたを信じている。

 私はあなたを祝福する。

 私はあなたの味方である。

 私はあなたを失望させない。

 私はあなたの必要を満たす。

 私はあなたと共にいる。

 私はあなたを愛している。

 -------------------------------------------

 愛する主よ。明日は、新たなことを生み出す新たな日となるでしょう。

 新たなチャンス、

 人生に対する新たな態度、

 神様に対する新たな愛。

 ドアは幾つも閉じられましたが、私のあなたに対する信頼は、また新たなドアを開くでしょう。

 み父よ、私は祈ります、不景気、死別、ストレス、病気、そして侮辱や精神的・肉体的虐待に苦しんでいる人々のために。それらは、あなたが私たちに望まれた人生ではありません。打ちひしがれた心が、イエスのみ名によって速やかに癒やされますように。アーメン。

 

【解説】後者の切なる祈りは、前者の神様の確かな約束を信じることによって、かなえられます。まず祈るあなた自身が、主への信頼を新たにされ、このお約束を分かち合うことによって、試練の中にある人々も、“脱出の道”を見いだすことができるのです。(Ⅰコリント1013

 

10 Things God wants you to remember

I will give you rest.

I will strengthen you.

I will answer you.

I believe in you.

I will bless you.

I am for you.

I will not fail you.

I will provide for you.

I will be with you.

I love you.

 

DEAR LORD, tomorrow will be a NEW day that will produce new things. NEW OPPORTUNITIES, a NEW ATTITUDE about life, a NEW LOVE for you. The doors that have been closed, my trust in you will make new doors open. FATHER, I pray against DEPRESSION, DEPT, STRESS, SICKNESS and those victims of verbal, mental, and physical abuse. That's not the life you intended for us. Broken hearts are healed instantly in Jesus name AMEN.


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2015年

4月

14日

◆陶器師と粘土◆

神様は陶器師(すえつくり)、私は粘土(土くれ)≫


 【聖書の黙想】


 それから、私に次のような主のことばがあった。「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。──主の御告げ──見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。(エレミヤ1856


 【霊想】


 陶器師なる神様は、その<ろくろ>の上に粘土を持っておられます。でも、何かが起こりました。それは台無しになりました。全く役に立たなくなったのです。神様が何かミスをしたのでしょうか? 問題は、陶器師の手にあったのではありません。それは粘土の中にあったのです。


 


さて、粘土のどこが問題だったのでしょうか? まず、幾つか石粒が混じっていたかもしれません。その隠れた不純物が、器を思い描いていた形にするのを妨げたのです。あなたの人生には、神様がしようとしておられることを妨げている“不純物”が隠されているかもしれません。あるいはまた、その粘土が十分に砕かれていないせいかもしれません。粘土が硬すぎます。その粘土は、陶器師の手に自分を明け渡していないのです。粘土が、陶器師の手の中でするべきことはなんでしょうか? “明け渡す”ことです。


 


【実践へのポイント】


 あなたは明け渡していますか? 神様は、あなたを、お望みどおりの姿に形づくることがおできになるでしょうか? 私たちは、進んでこう言わなければなりません。「主よ、あなたは陶器師で、私は粘土です。み心のままに、私を練り鍛えてください。」 あなたはこう申し上げたことがありますか? 「主よ、ここに私がおります。お望みどおりに私をお作りください。私の上に、あなたのみ心がなりますように。」 神様が、私たちの人生に、ご自身のみ心のままに働かれるのを許したら、自分はどのような者になれるのか、私たちの多くは、夢見たことさえないのです。




HE IS THE POTTER, I AM THE CLAY

 

BIBLE MEDITATION:

Then the word of the Lord came unto me, saying, O house of Israel, cannot I do with you as this potter? saith the Lord. Behold, as the clay is in the potter’s hand, so are ye in Mine hand, O house of Israel.” Jeremiah 18:5-6

 

DEVOTIONAL THOUGHT:

 God the Potter has the clay upon His wheel—but something happens. It’s marred. It’s ruined. Did God make a mistake? The problem is not in the hands of the Potter. The problem is in the clay.

 

Now what could be the problem in the clay? First there might be some rock, some hidden impurity keeping the vessel from becoming what it ought to be. There may be some hidden impurity in your life, marring what God wants to do. Or it may just be that the clay is not broken enough. The clay is too stiff. The clay does not yield to the hand of the Potter. What is clay to do in the hand of the potter? We are to yield.

 

ACTION POINT:

 Are you yielded? Can God form and shape you and make out of you what He wants? We must be willing to say, “Lord You are the Potter, I’m the clay; mold me, make me after Thy will.” Have you said, “Lord, here I am, make of me what you wish, do with me what you will”? Most of us dare not dream what we could be if we would allow God to have His way in our lives.

An Extract from LWF Daily Devotional


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2015年

4月

14日

◆心を創られた方◆

人間の心を本当に満たすことのできる

 ただ一人のお方は、

 その心を創られた方、イエスです。

 

The only one who can truly satisfy the human heart is the one who made it. Jesus.


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2015年

4月

14日

◆最大の武器は神の約束◆

神様は、「全ての悪からあなたを守る」と約束されたのです。

 敵を叱りつけ、「神の約束」を主張なさい。

 

【詩篇121:7、8】主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

 

God has promised to preserve you from all evil; rebuke the enemy and claim God’s promises.

(Psalm 121:7,8) The LORD shall preserve thee from all evil: he shall preserve thy soul. The LORD shall preserve thy going out and thy coming in from this time forth, and even for evermore.

 

Beloved Brethren, Please visit our page, “I am the God that heals you”, 'LIKE and SHARE, post your prayer request---God is listening and God answers; Let's join hands to pray and encourage our brethren and those hurting souls out there. God richly bless you! God has promised……(Exodus 15:26) “I am the God that heals you.”


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2015年

4月

13日

◆神様は、谷間を共に歩まれる◆

人生は、“祝福の山頂”にいる時はいいものです。けれども、私たちがどんなに山頂で過ごすことを望んでも、“挑戦の谷間”をも通らなければなりません。谷間での生活は厳しいです。それでもなお、谷間には、私たちが山頂にとどまっていては決して学ぶことのできない、価値ある“学課”があるのです。私たちが谷間を歩むときには、神様が連れ立って歩まれることを心に留めなさい。神様は、私たちが委ねさえすれば、“人生の谷間”を乗り越える道を、教えてくださいます。(マデレイン)

 

(訳注: 訳しながら、私の大好きな旧聖歌723番「暗き谷間を歩む時も」を思い出していました。そして、このみ言葉も…。「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」(詩篇234)

 

God walks with us through the Valleys.

 

Life is good on the mountaintops of celebration. But no matter how much we'd like to spend our lives up there, we need to walk through the valleys of challenges, too. Life is tough in the valleys. Still, there are valuable lessons we can learn in the valleys that we could never learn if we stayed on the mountaintops. Take heart that God will walk alongside with us when we walk through the valleys. He will teach us to overcome the valleys in life if we allow him to.

~ Madeleine

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2015年

4月

10日

◆神に聴く◆

『神様に聞く』というのは――

 “神様が私たちにどのような者になるのを望んでおられるか”、

 そして、

 “神様は私たちに何をせよと言っておられるか”

 について聞くということである。

 (ダラス・ウィラード)

 

(訳注: 作者は、LAの南カリフォルニア大学の哲学教授、作家。) 

 

Hearing God is about who God wants us to be as well as what God wants us to do.

-Dallas Willard-


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2015年

4月

10日

◆静まりて、我の神たるを知れ◆

【詩篇46:10】やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。

 ----------------------------------------------------

 神様は、このように“絶対的”に言明なさる時があります。

 「私は国々の間であがめられる。」

 「私は地の上であがめられる。」

 だからこそ私たちは、「静まって(口語訳)/力を捨てて(新共同訳)、このお方こそ神であることを知る」べきなのです。

 

(訳注: これは聖句そのものなので、聖書をご覧になれば訳す必要はなかったのですが、聖書を開こうにも英語の聖書名も分からない方もいますし、この解説を訳しておいたほうがいいかと思いました。つまり、この聖句は、前半が後半の根拠になっているということで、私たちは瞑想のうちに、またいたずらに己の力に頼ることをやめて、神様ご自身(そのご性質、み業)に深く思いを致すとき、ただただ畏れてみ名をあがめざるを得ない、ということですね。)

 

Be still, and know that I am God: I will be exalted among the heathen, I will be exalted in the earth.

Psalms 46:10

 

When God makes absolute statements like:

 "I WILL BE EXALTED AMONG THE NATIONS" &

 "I WILL BE EXALTED IN THE EARTH"

That gives us good reason to "Be STILL & KNOW that HE is GOD"


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2015年

4月

09日

◆神はあなたの道を照らされる◆

神様は、今日、

 あなたを祝福しようとしておられます。

 あなたの祈りは、

 聞き届けられます。

 --------------------------------------------

 あなたが今、

 「暗闇の中を歩んでいる」と思われるのは、

 どんなところですか?

 神様は、あなたの道を

 光で照らしたいと思っておられるのです!

 

(訳注: さあ、神様に、暗くて、先が見えなくて、不安を覚えている道を包み隠さず知らせましょう。きっとみ言葉によって、神様はあなたの道を照らしてくださいます。ある人には「パー!」と輝くまばゆい光で、ある人には行く手に見えるかすかなひとすじの光で…。(詩篇119105))

 

God is going to bless you today. Your prayers will be answered.

 

WHAT AREA DO YOU FEEL YOU'RE

 WALKING AROUND IN DARKNESS?

 GOD WANTS TO GIVE YOU A LIGHT

 TO YOUR PATH!


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2015年

4月

09日

◆完全な神、不完全な人間◆

私は、“完全な神様”に愛されている

“不完全な人間”です。

---------------------------------------------

私たちは、主の目にはかけがえのない存在で、主は本当にすばらしいお方です。主は、私たちのつまずきの向こうにある必要を見ておられます。主は私たちを“責める”ことなく、私たちを“心にかけて”おられるのです。

 

 (訳注: ここにも言葉の修辞があり、「責める」と「心にかける」の対照語に、condemnconcernというよく似た言葉が用いられています。)

 

I am an imperfect person loved by a perfect God.


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2015年

4月

03日

◆私は”完全な神様”に愛されている不完全な人間です◆

 私たちは、主の目には かけがえのない存在で、主は本当にすばらしいお方です。主は、私たちのつまずきの向こうにある必要を見ておられます。主は私たちを“責める”ことなく、私たちを“心にかけて”おられるのです。

 

(訳注: ここにも言葉の修辞があり、「責める」と「心にかける」の対照語に、condemnconcernというよく似た言葉が用いられています。)

 

People are so very precious and the Lord is so very good. He looks beyond our faults to see our needs. He doesn't condemn us, but He is concerned about us.


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2015年

3月

25日

◆イエス、命の木◆

◆イエス、“命の木”◆

 

あなたの根が、私を見つけてくれました。

 私は、命にはちきれんばかりです。

 私は、あなたに向かって感謝の歌を歌う

 芽生えたばかりの蕾のように感じます。

 私の存在が奏でる“沈黙の歌”で

 私は世界を呼び覚まします。

 私の声は要りません。

 私は喜びにあふれて、

 “沈黙の福音”を宣べ伝えます。

 私はこの新たな日に、

 聖なる場所に向かって、

 希望にあふれて勇み進みます。

 これは、やがて満ち満ちた命にあずかる

 ほんのかすかな光に過ぎないことを、

 十分に予感しながら――。

 (マクリーナ・ウィーデカーク)

 

著書「新しい存在」の中で、神学者であり著者であるポール・ティーリッヒはこう書いています。

 「”新しい存在”というのは、単に“古い存在”に取って代わるものではありません。それは、堕落し、ゆがめられ、分裂し、ほとんど損なわれてしまった古い存在を“一新”させることです。しかし、完全に損なわれてしまったのではありません。“救い”は、“創造”を損なうものではなく、古い創造を新しいものに“変容”させるのです。物事の新しい状態はすでに現れ、今も現れ続けています。それを受け入れ、その中に入り込み、それがあなたをつかむようにしなさい。」

 

この新しい年、あなたも私も、神様が、私たちをあがなうために、独り子イエス様を送られたことへの確信を新たにします。私たちを新しい命で若返らせ、日々リフレッシュ(回復)し、神様が与えてくださった最初の目的に復原し、私たちの霊を再生させるために――。

 

私たちはもはや、分裂した心、石のような冷たい心を持つことなく、“イエス様の心”を持つのです。一新され、私たちの愛する“あのお方”に全面的に明け渡した心を――。

 

(訳注: はい、本日締めくくりは、ちょっぴり高尚かもしれませんが、あなたなりの理解でいいのです。“自分が目的を持って創られ、やがて完全にキリストの栄光の姿に変えられるという約束を頂いて、日々み霊によって変えられていく、神様に特別愛された存在なのだ“ということを、少しでも実感していただけたら十分です。昨日の午後、この翻訳シェア投稿を再開してから、訳しに訳し続けて、丸一日半、この記事で全19編です。短いもの、長いもの、軽いもの、重いもの。どうぞ”消化不良”を起こさないように、幾つかは“反芻”なさりながら、皆さんの霊の糧にしていただければ幸いです。山本シェア部長さん始め、レギュラーのシェア部員(!)の皆様、お疲れ様でした。)

 

Seasons of Your Heart

 

"Jesus Tree of Life

 Your roots have found me

 I am bursting with life

 I feel like a brand new bud

 singing gratefully to you

 I will awaken the world

 with the silent song of my being

 My voice is not needed

 I will preach the gospel of silence

 joyfully as I burst forth

 hopefully into the sacred space

 of this new day knowing full well

 this is only a pale glimmer

 of the Life I am becoming

 SO FULL OF LIFE AM I!"

 ~ Macrina Wiedekekr

 

 

In The New Being, theologian and author Paul Tillich writes:

 

"The New Being is not something that simply takes the place of the Old Being. But it is a renewal of the Old which has been corrupted, distorted, split, and almost destroyed. But not wholly destroyed. Salvation does not destroy creation; but it transforms the Old Creation into a New One; A New state of things has appeared, it still appears, accept it, enter into it, let it grasp you."

 

This New Year you and I may have the assurance God sent His Son Jesus to redeem us; to rejuvenate us with New Life; to refresh us every day, to restore us to our original God-given purpose; and to renew our spirits.

 

No longer do we have divided hearts or stony hearts, we now have Jesus' heart - a heart that's renewed and wholly committed to the "One" we love.

 

Extract from: Devotional "Living a Transformed Life" by: Transformation Garden.


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2015年

3月

20日

◆神に信頼する◆

“神を信頼する”ということは、

 神様が、あなたの人生の“最善”を知っておられる

 ということへの“信仰”を持つことと、

 完璧にイコールです。

 

Trusting God completely means having Faith that he know what is best for your life.


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