2017年

5月

21日

◆”礼拝”の内と外◆

◆祈りの家◆

―“礼拝の内と外―

 

“礼拝”とは、神のまことの豊かさを映し出す、“内なる感情”と“外なる行動”である。

~ジョン・パイパー~

 

【解説】 “クリスチャンとは?“と聞かれたら、いろんな答え方があるでしょう。でもその中に、絶対に入っていなければならない一つの定義は、“クリスチャンとは、礼拝する者です“であると言えるでしょう。クリスチャンの使命は、神のすばらしさを証しすることです。そしてそれは、まず他のどんな行為よりも先に、“礼拝”においてなされなければなりません。礼拝において、私たちは内なる人を燃え立たせられます。み言葉や、賛美や、祈りによって、神の愛と恵みの深さ、広さに触れて、時には涙するほど感動します。しかしそこで終わってしまったら、それは単なる感情だけの礼拝です。その燃やされた心は、私たちの堅い意志と結びついて、その喜びを、たとえどんなささやかなことであれ、行動によって示そうとします。“神のまことの豊かさ”(原意:神の真価)は、礼拝において、それにあずかる私たち一人一人の、内なる人(感情)と、外なる人(意志的行動)によって、生き生きと映し出されます。そこから私たちは、自分の遣わされた場所に出ていきます。そこにおける私たちの毎日もまた、“礼拝”です。私たちの役割は、太陽のように輝くことではありません。月のように、ただ太陽なる神のすばらしさを、この身を通して映し出し、反射させるだけです。そしてまた新しい週の初めの日、私たちは“礼拝”に帰っていくのです。“神のまことの豊かさ”に浸るために。そしてこの身に映し出すために――。

 

"Worship is an inward feeling and outward action that reflects the worth of God."

—John Piper

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2016年

9月

03日

◆礼拝で喜ばせるのは神か、自分か?◆

自分自身におもねる(うれしがらせる。耳目を喜ばせる)のはおやめなさい。もし礼拝の場所に行って、自分をしげしげ見回したり、音楽に聴き入ったりしていては、あなたは神を礼拝してはいないのだ。

 

Do not flatter yourselves: if you go to places of worship merely to look about you or to hear music, you are not worshipping God.

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2016年

8月

13日

◆”礼拝”と”心配”は犬猿の仲です◆

 

“礼拝”と“心配”は一つ心の中に住むことはできません。それらは互いに相容れないものなのです。

 

~ルース・ベル・グラハム~(ビリー・グラハム博士夫人・故人)

 

 

 

【解説】 この2つ、ちょっと見にはいわゆる“反対語”のようには見えませんが、実はそうだということに、私たちは気づかねばなりません。神様を礼拝しているときに、いろいろな心配事に心を奪われてしまうとき、そこにもはや神様は不在です。その心配事が、神様をあなたの心から締め出しているのです。そのときは、すかさず「心配よ、去れ!」の一喝です。これもサタンの誘惑ですから、み言葉でダメ押しをしましょう。(マタイ4:10)「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」

 

一方、あることが気になって気になって、いろいろと悪いほうに考えて半ば絶望的になっているとき、そこにも神様があなたと共にいるスペースは全く残っていません。こんなときは、神様へのSOSの祈りです。まず主の励ましとおしかりを甘んじて受けましょう。(マタイ14:27,31)「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。…信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」そしてその場で主を仰ぐのです。「主よ、あなたを忘れていました。あなたが全てを最善にコントロールなさっているのに、またやってしまいました。お赦しください。このことは丸ごとお預けして、ただあなたを礼拝します。私の心をあなただけに向けてください。」

 

そう、“礼拝”と“心配”は「水と油」、「犬猿の仲」なのです。明日は主の日、礼拝の日ですから、まずは明日を目標にしますか? いいえ、本当は、毎日、刻一刻が、“主を礼拝しているか”、“主を締め出して思い煩っているか”のどちらかです。その中間も折衷もありません。あなたの信仰は今、「生ぬるいか、熱いか」のどちらかにする決断をしなければなりません。主の口から吐き出されないうちに――。(黙示録31516

 

 

 

Worship and worry cannot live in the same heart: they are mutually exclusive.”

 

—Ruth Bell Graham

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2016年

3月

30日

◆私が創られた二つの理由◆

 

私は、礼拝するために創られた。

 

私は、賛美するために創られた。

 

 

 

~ウォレス&レイチェル・ファアグツ~「礼拝するために創られた」~

 

 

 

I was made to worship.

 

I was made to praise.

 

-Wallace & Rachel Fa’Agutu “Made to Worship”-

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2015年

11月

21日

◆フランシス・チャン、信仰のキモを語る◆


  1. 大切なのは、神様を完全に“理解する”ことではなく、このお方を“礼拝する”ということです。“自分は神様を完全に知ることはできない”という、まさにその事実から、このお方の無限性と威光を褒めたたえる者へと導いていただくのです。

  2. “本当の信仰”とは、ためらい、尻込みすることが何一つないということを意味します.その信仰は、全てのことを永遠という望みに賭けるのです。

 

~フランシス・チャン~

 

  1. The point is not to completely understand God but to worship Him. Let the very fact that you cannot know Him fully lead you to praise Him for His infiniteness and grandeur.

  2. ”True faith means holding nothing back; it bets everything on the hope of eternity."

    —Francis Chan


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2015年

11月

06日

◆ジョン・パイパー、礼拝と愛を語る◆


  1. あなたの生活が“礼拝”となったとき、神様は、人々の目に価値あるものと見え始める。

    【解説】   「生活が礼拝となる」、これは、クリスチャン生活の“究極の定義”です。外の姿かたちは、他の人々と全く変わらないのに、信仰者の生き方の違うところは、”見えざるお方を、あたかも目の前におられるように、畏れて生きている“ということです。その生き方が、まだ神様を知らない人々の目に、「この人を、このように畏れさせ、あがめさせる存在とはいったい何だろう? そして、かつてのこの人を、このように変えてしまう力を持った存在とは、どのように大きなものなのだろう?」と映り始めるのですね。その意味で、「生活が礼拝となる」とは、言わず語らずして、クリスチャンの“究極の証しともなるのです。

    (ヨハネ 4:23 「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」


  2. 神様が創られた全てのものは良きものです。創られた全てのものは、礼拝と愛のためです。それは、宴(うたげ)のごちそうで楽しむときにも、断食をするときにも同じなのです。
    【解説】 原文では、この対をなす両極の例に、feasting フィースティング、fasting ファースティングという韻を踏ませています。一方は喜びの極致、一方は苦しみの極致です。でもそのいずれもが、神様と人々に対する礼拝と愛の動機からなされなければなりません。それがなければ、それらはしょせん富者の虚栄と律法主義者の見栄に終わります。なお聖書では、この「宴と断食」は、イスラエルの祭りの両面を表すものとして、しばしば対になって出てきます。(ゼカリヤ819他)


    (Ⅰコリント 10:31 「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」
     

  3. 神様の“満足感”の最頂点は、神の民の賛美のうちにある、ご自身の卓越したすばらしさのこだまをお聴きになる歓びです。
    【解説】 畏れ多いことですが、神様を”擬人化”するときに、そのご存在は、俄然身近なものになります。神様が、私たちの賛美の余韻の中にさえ、歓びを感じられ、深い幸福感で満ち足りておられる姿…! 救われた民の第一にすべきことは、伝道にも、証しにもまして、“賛美”です! 昨日救われたあなたも、信仰歴50年のあなたも、日々を賛美の中に過ごしましょう。その賛美の中に主はおられ、そのこだまのかすかな響きも、神様を幸せにするには十分なのですから!
    (詩篇 22:3 「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」

 

  1. When your life becomes worship, God begins to look valuable to other people.
    "The hour is coming...when the true worshipers will worship the Father in spirit and truth" (Jn. 4:23).

  2. Everything God made is good. Everything is for the sake of worship and love. And this is true both in the feasting and the fasting.

  3. The climax of God’s happiness is the delight He takes in the echoes of His excellence in the praises of His people.


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2015年

10月

16日

◆今、ブラザー・ローレンスに聴こう◆


  1. 神の臨在のもとにとどまるために、《教会の建物》の中にとどまる必要はありません。私たちは、自らの心を、神様と個人的にお話しするために、いつでも入ることのできる《私のチャペル》にすることができるのです。

  2. 神は霊です。だから私たちは、このお方を霊とまことをもって礼拝しなければなりません(訳注:ヨハネ4:24)。それはつまり、あなたの魂の深い核を成すところで、へりくだった、真実の崇敬の霊をもって礼拝するということです。

    ~ブラザー・ローレンス~

 

  1. It isnt necessary that we stay in [the church building] in order to remain in Gods presence. We can make our hearts [personal chapels] where we can enter anytime to talk to God privately.

  2. God is Spirit, so we must worship Him in spirit and truth, that is, by a humble and true adoration of spirit in the depth and centre of our souls.
    -Brother Lawrence


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2015年

10月

13日

◆ダビデのような心もて◆

ダビデは、礼拝と賛美を絶えることなくご自身にささげる心を、主が待ち望んでおられることをよく知っていました。古(いにしえ)の僧たちのように、心して、礼拝と賛美の中で私たちの心を神にささげ、神の炎が自分のうちに赤々と燃え続けるようにすることは、私たちの責任です。

~ビリー・ハンフリー~

 

David understood that the Lord longed for hearts that would continually offer Him worship and praise. Like the priests of old, it is our responsibility to make sure that we continually offer our hearts to Him in worship and adoration to keep the fire of God burning brightly within us. 

Billy Humphrey


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2015年

9月

07日

◆神をあがめるということ◆

神様をあがめるということは、このお方の何ものも及ばないすばらしさと、計り知れない富への、必要かつふさわしい応答です。全身全霊を挙げて主に心を向けるとき、私たちは、神様を―そのみ力、知恵、祝福を、生活のただなかにもたらすことができるのです。

 

Adoring God is a necessary and fitting response to His matchless beauty and immeasurable worth.

By turning to the Lord with all our hearts, we bring God—His power, wisdom, and blessing—into our life circumstances.


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2015年

7月

07日

◆神様を礼拝するとき◆

もし私たちが、

己の家族、富、成功、名声、地位、その他のものを、

神への“賛美”、また“感謝”としてささげるなら、

それらが私たちの“偶像”となって、

神から離れさせ、迷い出させることは

決してありません。

(クリムズン・ウー)

 

Worshipping God

If we offer our family, wealth, success, fame, position and so on as praise and thanksgiving to God, they will never become our idols and lead us astray or away from God.

-Crimson Woo-


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