2016年
5月
02日
月
日曜以外は極めて不敬虔な牧師で、日曜だけ”敬虔になる”牧師が、どれほどいることか!
【解説】 スポルジョン厳しい! これを取り上げるほうもいささか気が引けるのですが、これは聖職者だけのことではなく、スポルジョンから私たちキリスト者全てに向かっての”喝!“だと受け止めたほうがいいでしょう。このような“日曜クリスチャン”は、中身は全く不潔なままで、外側だけシャレたドレスやスーツを着る人に例えられます。そのように、主の日にだけクリスチャンらしく振る舞っても、それはしょせんその日だけのこと、一歩教会を出ると、元の“肉の人”に戻ってしまいます。心の中が変わっていないからです。古い、自我のままの自分が残っているからです。私たちが着るべき衣は、信仰のゆえに、その自我を十字架につけて殺し、神様のもとに全く新たにされた“義の衣”であり、ズバリ言うなら、私たちは“キリスト”を着なければならないのです。
(ガラテヤ2:20) 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」
(ローマ 13:14) 「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。」」
How many pious preachers are there on the Sabbath-day who are very impious preachers during the rest of the week!