2019年

10月

03日

◆恵みに生かされる◆

《ああ 恵み!》

人生の意味。

無駄に過ごしてしまった歳月。

貧しくも悪しき人生の選択。

この人生の失態に、神は1つの言葉で答えられます。

――“恵み”と。

~マックス・ルケード~

【解説】 ご自分の人生を振り返って、それが余人の想像もできないような苦しみと悲しみと後悔に満ちたものであればあるほど、このルケードの言葉は心に染みるのではないでしょうか? “恵み”―それは、受けるに値しない者、功(いさお)の一つだにない者への分不相応の主の愛顧です。それはまた、そのような苦難と失敗続きの人生を、神様が丸ごと肯定し、受け止めてくださることです。主に在っては、無駄なことは一つもなかった。主の目には、間違った選択などもなかった。主が全てを相働かせてくださり、あなたは今日まで生かされてきました。そしてこの身が地上を離れ、天がけるその日まで、主の恵みは変わることがないのです。♬ああ恵み。計り知れぬ恵み。ああ恵み。我にさえ及べり。♬(旧聖歌593)―今、私と一緒に心から賛美しませんか?

(Ⅱコリント 12:9) 「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」

The meaning of life. The wasted years of life. The poor choices of life. God answers the mess of life with one word: 'grace.'

—Max Lucado

 

《恵みはチカラ》

”恵み”とは、“受けるに値しない者への愛顧”だけではありません。

恵みはまた“力”です。

恵みは、私たちが神を喜ばせる生き方ができるように与えられた、

“神の力”なのです。

~ヒース・ランバート~

【解説】これは、「恵み」に関する新しい気づきを与えてくれますね。「神の力」、それは、神ご自身の力であるだけでなく、神様から恵みによって私たちに与えられた“天与の力”、そして私たちが神様に“おささげする力”です。恵みは値なき者に、値なしに与えられるものですが、それだけに、受ける一方ではダメなのです。私たちがなすべきことは、その恵みを感謝し、どんな状況の中でも、進んで“神を喜ばせる生き方”をすることです。その力をも、神様は恵みとして与えてくださるのです。

Grace is not merely “unmerited favor”; Grace is also power. Grace is divine strength given to us so we can live in ways that please God.

-Heath Lambert-

 

【FBギャラリー】No.90 「夜のカップル」

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2018年

10月

19日

◆良きものは全て主から◆

―マタイ6:33を証明する3つの言葉―

 

1. 私たちが神様を持つとき、

私たちは全てを持っているのだということを知るようにと、

神様は願っておられます。

~A.W. トーザー~

God wants us to know that when we have Him, we have everything.

-A.W. Tozer

2. 自分は何も持っていないと考えてはいけません。

自分は何でも持っていると考えてもいけません。

けれど、自分は何かを持っており、どんなことでも成し遂げられると

いつでも考えていなさい。

Never think I have nothing. Never think I have everything. But, always think I have something and I can achieve anything.

3. 神のやり方でなされた神の業に、

神が必要を満たされないことは決してありません。

~ハドソン・テイラー~

God’s work done in God’s way will never lack God’s supplies. –

Hudson Taylor

 

(マタイの福音書6:33) 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

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2018年

1月

18日

◆グレイス: 恵み 三様◆

★惨憺たる人生にも…★

人生の意味

人生で無駄に過ごした年月

人生でなした悪しき選択

これら“人生の失策”にも、

神は一つの言葉でお答えになる。

――“恵み”と。

~マックス・ルケード~

 

★弱さの極みにも…★

「わたしの恵みは、あなたに十分である。

というのは、わたしの力は、

弱さのうちに完全に現れるからである。」

(Ⅱコリント 12:9)

 

★どんな局面でも…☆

日々、私に最大の希望を持たせてくれるのは、“神の恵み”です。

神の恵みは、私が直面するあらゆることに対する“力”を与えようとしていることを知っているから、

神様を“想定外”に驚かすことなど、何一つないと知っているからです。

~リック・ウォレン~

 

What

gives me the most hope every day is God's grace;

knowing

that his grace is going to give me the strength for whatever I face,

knowing

that nothing is a surprise to God.

~Rick

Warren~

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2017年

10月

04日

◆恵みを引き寄せる秘けつ◆

人生が与えようとしている祝福を

もっと引き寄せようと思ったら、

あなたがすでに持っているものを、

心から感謝しなければなりません。

 

"In order to attract more of the blessings that life has to offer,

you must truly appreciate what you already have."

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2017年

9月

06日

◆あなたの心の王座に座るのは?◆

“罪”は、絶対的な“恵み”が引きずり降ろすまでは、

心の王座に君臨するのだ。

 

Sin is sovereign until sovereign grace dethrones it.

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2017年

8月

29日

◆マックス・ルケード版「アメイジング・グレイス」◆

私たちの救い主は、ひざをかがめて、

私たちが人生で犯す最も暗い行いをじっくりとご覧になります。

でも、恐ろしさにひるみ、立ち去る代わりに、

彼は優しさにあふれて み手を伸ばし、こう言われます。

「もしあなたが望むなら、それを洗い清めてあげよう。」

そしてご自身の“恵みのたらい”から、

手のひらいっぱいの“あわれみ”をすくい上げ、

私たちの罪を洗い流してくださるのです。

 

【解説】 これは、「たいせつなきみ」「そのままのきみがすき」など、神の愛の福音の真髄を、現代のメルヘンの中に美しく織り込む天才、マックス・ルケードの、一編の福音詩です。あなたがこれまでの人生で、最も主を悲しませたこと、今も心が痛む、あなたの“最も暗い行い”を、み前に差し出してください。そして、この詩に描かれた、その罪を洗い流してくださる主のみ姿を、ありありと思い描いてください。この”恵みのたらい”は、あの十字架で流された、神のみ子の血潮で満たされています。どす黒い私の罪が、主の血潮で洗い流され、雪のように白くしていただけるのです。ただ主のあわれみによって――。このあわれみがなければ、今の私はこの世に存在しませんでした。そう思いをはせつつこの詩を読むときに、この情景の背後に流れるのは、あの「AMAZING GRACE ♬驚くべき恵み」ではないでしょうか。

 

(ヨハネ13:3-5) 「イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が神から出て神に行くことを知られ、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。」

 

(ローマ5:20) 「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」

 

Our Savior kneels down and gazes upon the darkest acts of our lives.

But rather than recoil in horror, He reaches out in kindness and says, "I can clean that if you want. And from the basin of His grace, He scoops a palm full of mercy and washes away our sin.

~ Max Lucado

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2017年

5月

10日

◆♬数えよ 一つずつ◆

◆信仰と希望と愛の庭で◆

―♬数えよ 一つずつ―

 

もしあなたが“自分は豊かだ”と感じたかったら、

あなたが持っている、お金では買えないものを、

一つ一つ全て数え上げてごらんなさい。

 

"If You want to feel rich...

just count all the things you have

that money cannot buy."

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2017年

3月

08日

◆もしや、あなたの王座にいるのは”Sin王”では?

”罪”は、“恵み”なる主権者によって追放されるまでは、あなたの心の王座に君臨するのだ。

【解説】久々のスポルジョンです。上記で、”主権者”、”君臨する”と訳した語は、いずれもsovereignソヴァレインという語です。前者の名詞形、後者の動詞形、いずれにも訳される語ですが、ここにも一流の文筆家でもあった彼の修辞の冴えが見られます。名詞形では、“主権者”の他に”君主、王、支配者”とも訳されますが、スポルジョンがここで言っているポイントは次のことです。
① あなたの心の王座に君臨するのは、Sin(罪)王か、それともGrace(恵み)王か? という問いに、私たちは、静まって答えなければなりません。今だけでなく、日ごとの静思の時の中で――。
② “罪”の反対語は何か? いろいろに考えられますが、事、あなたのクリスチャン生活の祝福のカギという点から考えるなら、それは“義”でもなければ“善行”でもない。“恵み”なのだということです。これなしに、信仰生活は成り立ちません。もしそれを実行しようとするなら、厳しい律法主義の下で、絶えず罪意識におびえながら、命のない生き方を自らに課すしかありません。端的に言うなら、人は、”罪”に生きるか、”恵み”に生きるか、この二者択一しかないのです。
 ③ したがって、私たちは、その正しい選択を、日ごとに求められています。“罪”が君臨する中でその奴隷として惨めな屈従の生き方をするか、圧倒的な“恵み”に満たされて、喜びと感謝の生き方をするか――。その勝利のカギは、自分の力で罪と戦うのではなく(そこには敗北が待つだけです!)、“恵み”の王キリストを、あなたの王座にしっかりと据え直すことです。そして、この“恵み”王のあふれる力で、罪を駆逐していただくのです。王座から引きずり降ろして(原語 dethroneの直訳)いただくのです!
この世の様々な誘惑の中で、サタンをバックにした強力な罪の支配を脱する道は、これ以外にないことを心に刻み込みましょう。

 

Sin is sovereign until sovereign grace dethrones it.

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2017年

1月

18日

◆冒涜とは、神の恵みを無にすること◆

神は、この邪悪な世に対して、救い主を送らねばならない義務などなかった。だが、驚くべき恵み(アメイジング・グレイス)によって、彼はただ一人の愛するみ子をお与えくださったのだ。
この神のたまものを拒むことは、最大の“涜神罪”(神を冒涜する罪)に当たる。

 

God did not owe this wicked world a Saviour. But in amazing grace, He gave His only begotten Son. Rejecting His gift is the highest blasphemy

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2016年

11月

28日

◆私の恵みは十分です◆

もしあなたが、”神様のためにできることはもう何も残ってない”と考えているなら、ここに、イエス様ご自身が直接パウロにお語りになった、励ましの聖書の言葉があります。
「私の愛を込めた優しさは、あなたに対して満ち足りており、いかなる危険にも対しうるほど十分です。というのは、私の強さと力は、あなたの弱さの中に成就し、完成されており、最もその効力を表すからです。」
(Ⅱコリント12:9 詳訳聖書私訳)

 

【Ⅱコリント12:9】主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。

 

If you think there's nothing left in your life for God to work with, here is an encouragement Bible verse spoken to Paul by Jesus, Himself, "My loving-kindness is enough for you, sufficient against any danger, for my strength and power are fulfilled and completed and show themselves most effective in your weakness".
 (2 Corinthians 12: 9 Amplified Bible)

Let this Word of encouragement from the Lord be yours too

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2016年

11月

23日

◆破れの向こうを見るのです◆

どんなときにも、
あなたの破れた心の向こうをご覧なさい。
そして神様の恵みを見いだすのです。

~ジャッキー・ミラゾー~
(アーティスト) エイブラハム・ハンター

 

"Look beyond your brokenness and find the grace of God always."
 ~ Jackie Milazzo

 Artist: Abraham Hunter

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2016年

11月

09日

◆”わざも恵みも”は欲張りです◆

人は、ある程度は己のわざに業に頼り、ある程度は恵みに頼ろうとするかもしれない。だがそれは、いわば片方の足を陸地に置き、もう片方を海に置くようなもので、その人は間違いなく海中に沈むことになろう。

 

【解説】 私たちが頼るべきは、100パーセント神の恵みとあわれみです。わざに頼る人は、いっときは成功の味に酔うかもしれませんが、やがて必ず奈落に沈むことになります。神様に栄光を帰さなかったからです。わざは、神の恵みとあわれみの中から、ひとえに感謝の応答として生まれてくるのです。

 

(エペソ2:8,9) 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
(詩篇 115:1) 「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。」

 

A man may trust partly in works and partly in grace, but he has as it were, one foot on land and one on sea, and he will go down certainly.

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2016年

8月

24日

◆私の日々の望みは…◆

 

私に毎日、最も希望を与えてくれるものは、“神様の恵み”です。

 

このお方の恵みが、私が何に直面しようと、力を与えてくださろうとしていることを知っているからです。

 

神様にとっては、驚き慌てるようなことは何一つないと知っているからです。

 

~リック・ウォレン~

 

 

 

(詩篇23:3)「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。」

 

 

 

What gives me the most hope every day is God's grace; knowing that his grace is going to give me the strength for whatever I face, knowing that nothing is a surprise to God.

 

 ~Rick Warren~

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2016年

8月

03日

◆魂のために泣いたのはいつのこと?◆

 

ああ、そんなに不信仰になりたもうな。それよりは信じてほしい、信じるべきなのだ

 

ああ、私に人を信仰に導く力があったならば!。

 

神は知りたもう。あなたの魂を勝ち取るために、私は自ら涙するのをためらわないことを――。

 

 

 

【解説】 最初の1行は、あのイエス様の「ああ、エルサレム、エルサレム」という悲痛な叫びを思い起こさせます(マタイ2337)。頭の中の神学知識だけではなく、魂のためにいつも熱い思いを持っていたスポルジョンの面目躍如たる一文ですね。翻って、信仰歴こそ長いですが、私が魂の救いのために涙を流して祈ったのは、いつだったろうと、心を探られることです。この熱い思いを失ったとき、私の信仰も命を失うのです。

 

 

 

Oh be not so faithless, but rather believe. Oh! had I the power, God knows I would weep myself away in order to win your souls.

 

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2016年

8月

02日

◆罪が恵みを超えることはない◆

 

神の人々に対する“罪状書き”として記録された罪などというものはない。キリストは、それらのものをきれいに取り払われたので、罪はキリスト者にとって“存在しないもの”となった。それは全て消え去り、イエスの血によって聖められたのである。

 

それでもなお、あなたは、「私の罪は、大きすぎて赦されない」と言われるか? いや、だが、ああそう言うあなた、天が地よりも高いように、神のあわれみはあなたの罪よりも大きく、その点で神の恵みはあなたの思うところを超えているのだ。

 

 

 

There are no such things as sins recorded against Gods people. Christ has so taken them away, that sin becomes a nonentity to Christians- it is all gone, and through Jesus blood they are clean.

 

Still do you say, “My sins are too great to be forgiven.” Nay, but O man, as high as the heaven is above the earth, so great is his mercy above thy sins, and so far does his grace exceed thy thoughts.

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2016年

7月

18日

◆♪ああ、計り知れぬ恵み!◆

 

言葉に表せないほどのあわれみよ! 地獄から抜け出しても、あまりに邪悪で どす黒く、神が白く洗ってくださることのできない罪人はない。穴から抜け出しても、あまりに罪深くて、神が救うことができず、救う気にもなれない人間もいない。なんとなれば、神はこの驚くべき事実を宣言なさっておられるからだ。「私が、この私が、あなたの罪とがを消し去るのだ。」と――。

 

 

 

Inutterable mercy! There is no sinner out of hell so black but that God can wash him white. There is not out of the pit one so guilty that God is not able and willing to forgive him; for he declares the wondrous fact-”I, even I, am he that blotteth out thy transgressions.”

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2016年

6月

29日

◆♪ああ恵み◆

 

“恵み”とは、”聖さ(聖性)”の母、また乳母であり、“罪”の擁護人ではない。

 

 

 

【解説】 神様の一方的な救いの恵みにあずかった者に、神が聖書全体を通して繰り返し命じているのは、「聖くなりなさい」という戒めです。そしてその戒めに心から従うことができるように、救われたあとも、恵みから恵みへと私たちを導いてくださいます。神様の恵みが聖さを産み、それを育ててくださるのです。それを、“神は恵み深いお方だから、どんな罪を犯しても、大目に見てくださる。寛大な心で赦してくださる。”と、あたかも神の恵みを人間の罪の擁護者、弁護者のように考えるのは、大いなる誤解です。そこにあるのは、己の罪に対する“甘え”であり、心からの悔い改めを妨げる人間の“傲慢”です。神のみ子の命と引き換えに与えられた高価な恵みを、己の罪を覆い隠す隠れ蓑のように利用することは、ボンヘッファーが鋭く指摘したように、その恵みを限りなく安価なものにすることです。何よりもそこからは、神様が私たちに求められる“聖さ”への渇望は、生まれるべくもないのです。
あなたは、神様の恵みを、大きなものも小さなことも、一つ一つ数えて感謝していますか?(詩篇103:2) その感謝を、神様がさらなる“聖さ”へ成長させてくださる霊の乳としましょう。

 

 

 

(Ⅰペテ 2:2 「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」

 

(Ⅰペテロ 1:15,16 「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。それは、『わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない』と書いてあるからです。」

 

 

 

Grace is the mother and nurse of holiness, and not the apologist of sin.

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2016年

6月

03日

◆善き業によって救われると思いか?◆

 

もしあなたがたの誰かが、業によって救われることをお望みなら、1つの罪があなたの義を台無しにするであろう。地球の溶けかすの一片のかけらのような罪が、神があなたの両手に求められる完全な義の美しさ損なうであろう。

 

もしあなたが業によって救われんとするなら、きょうだいたちよ、あなたは天使のごとく聖くなければならず、イエスのごとく純潔で完全無欠でなければならない。なんとなれば、律法は”完全”を求め、何一つ、それに欠けるものがあってはならないからだ。そして神は、ご自身に完全な服従をささげることのできない私たち全てを、断固とした復讐心をもって、打ち砕かれるであろう。

 

 

 

【解説】 上記を読めば、業によって救われたい人は、善き業で完璧な義を得ようとして、自ら滅んでいくほかはないでしょう。ただイエスのみ名を信じるだけで救われた私たちは、ああ恵み 我にさえ及べりと、救い主を賛美するだけですね。

 

(エペソ 2:8,9 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」

 

 

 

If any of you desire to be saved by works remember, one sin will spoil your righteousness; one speck of this earths dross will spoil the beauty of that perfect righteousness which God requires at your hands. If ye would be saved by works, men and brethren, ye must be as holy as the angels, ye must be as pure and as immaculate as Jesus; for the law requires perfection, and nothing short of it; and God with unflinching vengeance, will smite every man low who cannot bring him a perfect obedience.

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2016年

4月

24日

◆神の恵みのかたじけなさ◆

 

神様は、ご自身の恵みを、

 

それに値しない人に、

 

それを求めている人に、

 

あるいはそれによって救われて感謝している人に、

 

執拗なまでに、与えようとしておられます。

 

~ティム・ケラー~

 

 

 

【解説】 ”恵み”、グレイスは、私たちにとって最もなじみのある言葉の一つですが、それがどれほどにすばらしく、かたじけないものか、よくは分かっていないというのが本当のところではないでしょうか。この一文の中で、2つの点に目を留めて、その一端に触れたいと思います。まず1つは、その“対象”の広さです。“恵みに値しない人”とは、ズバリ言って、全ての罪ある人間です。またこれを段階的に捉えて、神に背を向けて、無関心な人、敵対している人。神を恐れず悪の道を歩んでいる人と考えると、〝恵みを求めている人“とは、そこから次の段階に進んで、求道の道にある人ということ、そして最後の”救われて感謝している人”とは、既に信仰の世界に入って、恵みと感謝の内に生かされている人です。このどの段階の人に対しても、神様の恵みは、いずれかに偏ることなく、またどこかの段階でやむこともなく、終生、召される瞬間まで、一方的に、神様のほうから差し出されているのです。

 

もう1つのことは、この恵みを申し出る神様のみ心の“強さ”、“激しさ”です。“執拗なまでに”と訳した原語relentlesslyリレントレスリーは、本来あまりいいことには使われない言葉です。なんとなれば、その意味は、”容赦のない、厳しい、冷酷な”、果ては”残忍な“とさえ訳す言葉なのです。したがってそれを、神様の恵みの程度を表すことに用いたら、その強烈さは推して知るべしです。「私はあなたを恵まずにはおかない。この恵みはどうですか? さらにこれはどうですか? もう一つ、これもあげましょう」…と、まさに恵みが追ってくる、迫ってくる。“すばらしすぎて怖くなる“ような経験をなさったことがあるでしょう?

 

これが、神様の“驚くべき恵み”アメイジンググレイス の二面です。神のみ子が、十字架の上で命を捨ててくださったということは、これほどの恵みの内実を伴った出来事だったのです。

 

最後に、このことに思いを馳せましょう。この恵みを神様が私たちにくださることを示す原語は、giveギヴ “与える”ではなく、offerオファー“申し出る、差し出す、提供する”で、こちらの反応を期待する言葉です。「あなたはこの恵みを、ただ感謝して受けますか? それとも拒みますか? あるいはまだ気づいていないのですか?」という、神様の問いかけを伴った言葉なのです。私たちは、あまりにすばらしすぎて、満たされすぎて、この恵みに慣れてしまわないようにしましょう。あるいは、この世の生きる苦しさに押しつぶされて、どんな小さなことの中にも差し出されている、神様の恵みに気づかないほど、“霊の感受性”を鈍らせないようにしましょう。いえ、私たちは、自分の罪深さを知れば知るほど、この恵みの広さ、深さが、”実感”として分かってこなければなりません。私たちにできるとことは、「神様、ありがとうございます。いただきます。」と、ただ感謝して受け取ることだけではありませんか?

 

(ローマ 5:20 「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」

 

 

 

God relentlessly offers His grace to people who do not deserve it, seek it, or appreciate it after they have been saved by it.

 

-Tim Keller-

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2016年

4月

24日

◆恵みと業のよき関わり◆

 

私はこの一事にしかとどまる。私たちは恵みによって救われたのであり、自分自身の功(いさおし)によってではないと。だが私はまた同様に、このように証言せねばならぬ。神の恵みのあるところ、それにふさわしい行いを生み出すのだと。

 

 

 

I will ever maintain-that by grace we are saved, and not by ourselves; but equally must I testify, that where the grace of God is, it will produce fitting deeds.

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2016年

4月

11日

◆グレイス 恵みとは◆

 

”恵み”は、神様が、私たちがどんな者なのかの故ではなく、ご自身がどんなお方かのゆえに、愛してくださるのだということを教えてくれます。

 

(アーティスト) F. ブルックス

 

 

 

...Grace teaches us that God loves because of who God is, not because of who we are...

 

 Artist: F. Brooks

 

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2016年

3月

28日

◆求むべきは恵みか? 神ご自身か?◆

 

あなたが、神ご自身よりも神の“贈り物”のほうを喜ぶなら、実際問題として、あなたは神の上にもう一人、別の神をしつらえていることになる。これは決してあってはならないことだ。

 

 

 

【解説】 これは、日頃あまり考えたことのない、ある意味、信仰の“盲点”だと思いませんか? 私たちが、“これも恵み、あれも恵み、感謝、感謝”と、“受ける”ことに慣れてしまったときに、無意識のうちにこの陥穽(かんせい)に陥っているのかもしれません。恵みに慣れるとき、私たちはさらに安易に、もっと恵みを求めるようになります。そして、その恵みの与え主にであられる“神様ご自身を求める”ことを忘れてしまいます。ご自身の独り子をお与えになるほどの、このお方の”愛”の真髄とは何なのか、このお方の持っている一つ一つのすばらしい属性とはどんなものか、人間の罪の現実と、み子キリストによる人類の救い、神の国の完成に至るまでの驚くべきご計画の全貌とは何かを、私たちは、“知識”としてだけではなく、祈りと瞑想による神様との交わりのうちに、”体験的”に知らなければなりません。それは、日々、一瞬ごとの、心の一新による献身を通してであり(ローマ12:1)、霊であられる神様に対して、“霊と真実(まこと)”をもってなされる霊的な礼拝を通してなされるべきものです(ヨハネ4:24)。そのときに、日々与えられる恵みの一つ一つは、どんなにささやかなものであっても、新たな光を放ち、その背後にあって払われた友の祈りと犠牲に思いを馳せ、あなたもまた喜んで、与えられた恵みを他者に分かち合える人になる、“愛の成熟”として実を結んでいくのです。

 

聖書の勧めと、神様のお約束に、今一度耳を傾けましょう。

 

(ホセア6:3 「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」

 

(エレミヤ 29:12,13 「あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」

 

 

 

If you delight more in God’s gifts than in God Himself, you are practically setting up another God above Him, and this you must never do.

 

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2016年

3月

22日

◆聖書のどのページにも”恵み”が◆

 

聖書は、その始まりから終わりまで、全体を通して語っている。”救い”は律法の働きによるのではなく、恵みの行為によるのだと。

 

 

 

(エペソ2:8,9 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」

 

 

The whole Bible tells us, from beginning to end, that salvation is not by the works of the law, but by the deeds of grace.

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2016年

1月

31日

◆最悪も最善も主の恵みの内です◆

 

あなたの最悪の日々も、あなたが神様の恵みが届かないほど離れてしまう以上に悪くなることは決してありません。

 

あなたの最善の日々も、あなたが神様の恵みの必要を感じないほどいい日であることは決してないのです。

 

 

 

~作者不詳~

 

 

 

"Your worst days are never so bad

 

 that you are beyond the reach of God's grace.

 

 And your best days are never so good

 

 that you are beyond the need of God's grace."

 

 

 

 ~ Anonymous

 

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2016年

1月

28日

◆恵みあふれて◆

 

“あふれる豊かさ”というのは、心の状態を言うのです。

 

 

 

【解説】 原文のabundanceアバンダンスは、おびただしいほどの豊富さを言いますが、この世の人々は、自分の持っている物質的な豊かさを指してこう言います。しかし私たちはそうではありません。この言葉の本来の意味は、“心の豊かさ”です。神様の恵みを知った者だけが、感謝と喜びで“心が満ち満ちて”、自分の中にとどめておくことができなくて、“外にあふれ出てくる”のです。だとすれば、それは目に見える物質の所持の多少には関わりません。どんなにささやかな物でも、それを感謝して受け取れば、心は限りなく豊かになります。その逆もまた真です。有り余るほどの物に恵まれていても、それを感謝し、喜んで他者と分かち合う心がなければ、その人は世界一“心が貧困な人”と言えるでしょう。

 

 

 

(Ⅱコリント8:2 「苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。」

 

(ピリピ4:11,12)「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」

 

 

 

Abundance is a state of mind.

 

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2015年

12月

06日

◆”いやまさる恵みの原則”、知ってますか?

“いやまさる恵みの原則”は、私たちが神様のみ心にそって行うあらゆることに適用されます。それは、神様に祈りをささげるときでも、ささやかなことで人に仕えるときでも、同じなのです。

 

【解説】 はい、難しい原則ではありません。またこの言葉を知らなかった方でも、これまで何度も実際に経験なさったはずです。カギは“み心を行う”という一事です。“み心にそった祈り”をするとき、その祈りは、あなたの思いを超えて豊かにかなえられたでしょう? “この業をするのは、神様のみ心だ。 “私は今、み心を行っています”と内なる確信を持って事を行うとき、たとえどんなに小さな愛の業であっても、そこに恵みが満ちあふれたでしょう? “いやまさる”と訳した原語multiplyマルティプライは、ただ“増加”するのではありません。“繁殖する”のです! イエス様が、たった5つのパンと2匹の魚で養ったあの5,000人のパン、あれが“いやまさりの原則”です。あなたの生活の全領域に、この原則をぜひ適用なさってください。あなたは、小さな、ある時は大きな、神様の奇跡を見ることになりますよ。

 

The principle of multiplied blessings applies to all we do in God’s will, whether we are offering prayer or serving people in small ways.


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2015年

11月

23日

◆”恵み”の見分け方◆


人を他者よりも良くすることのない“恵み”は、無益な“まがいもの”である。

 

 

 

 

【解説】 「他者よりも良く」と言うと、何か他者と競い合っているイメージに捉えがちですが、これは人との比較の問題ではなく、むしろ自分との比較の問題、与えられた恵みによって、自分がどれほど神様のみ心に沿う者に変えられたか、どのくらいイエス様のご性質に近くなったか、と考えるべきですね。逆に、もし“無益な恵み”というものがあるとすれば、それは、神様の恵みに浴しながら、偏った性格も一向に改まらず、愛が増し加えられもせず、神様を知らなかった時と同じように、自分になんの変化ももたらさないどころか、かえって堕落させてしまうような恵みです。そもそも、そのようなものは断じて“恵み”とは呼びません。神様の恵みは、私たちが、たとえわずかでも、それによって自らのうちにキリストのかたちがつくられていくために与えられます。“恵み”はそういう意味で、必ず人をより神様に喜ばれる者に変えていくのです。それは、内なるみ霊の実でもありますが(ガラテヤ52223)、その実を結ばないような恵みは、たとえそう呼んだとしても、それは偽の恵み、犠牲を伴わない恵み、永遠にまで続くことのない、一時的で“安価”な恵みであり、しょせん“まがいもの”に過ぎないのです。サタンは、しばしば、そのようなこの世的、肉的“恵み”で私たちを惑わそうとしますが、ゆめゆめ、そのあとを追いかけてはなりません。


 

 

"The grace which does not make a man better than others is a worthless counterfeit."






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2015年

10月

09日

◆主の恵みなかりせば◆

恵みなしの罪びとは“奴隷”である。彼は、自分自身を罪から解き放つことはできない。

 

A sinner without grace is a slave: he cannot deliver himself from his sins.


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2015年

10月

07日

◆グレイス 恵み…◆

”恵み”とは、あなたがしたこととか、

持っていることなどでは決してありません。

それは、どんなときでも、

神様について言えることなのです。

 

Grace is never about what you do or have; it is always about God.”

~ Madeleine


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2015年

9月

11日

◆恵み:スポルジョンに寄せて◆

◆今日のみ言葉◆

―恵み: スポルジョンに寄せて―

 

アメリカの神学者、ユージーン・ピーターソンの個人訳聖書、「The Message 使信」をサブ聖書日課として読んでいますが、恥ずかしながら同じ翻訳に関わる者として、その訳の斬新さに、しばしば驚きと喜びを禁じ得ません。たまたま今日のスポルジョンを訳している時に、このみ言葉が思い浮かびましたので、その個所のThe Message    訳を私の日本語拙訳でご紹介したいと思います。その下が英文原訳、一番下が新改訳ですので、比較なさると、私の言ったことがウソでないことが、お分かりいただけると思います。

 

(ローマ520 The Message「しかし“罪”は、私たちが恵みと呼ぶ、果敢で積極的な“赦し”と競合する機会を持つことはなかったし、今も持ってはいません。“罪”対“恵み”ということなら、間違いなく“恵み”の楽勝なのです。」

But in didn’t, and doesn’t have a chance in competition with the aggressive forgiveness we call grace. When it’s sin versus grace, grace wins hands down.(Rome 5:20, The Message)

 

(ローマ 5:20 新改訳) 「しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」


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2015年

8月

30日

◆飢え渇きが足りませんね?◆

◆今日の霊想◆

―飢え渇きが足りませんね?―

 

クリスチャン生活のカギは、“神への飢え渇き”です。そして、人々が、”恵み”のこの上ないすばらしさと、最上の“喜び”を呼び覚ますことを通してそれが働くという事実を理解しない、あるいは体験しない主な理由の一つは、彼らの“神への飢え渇き”が少なすぎることにあるのです。

~ジョン・パイパー~

 

The key to Christian living is a thirst and hunger for God. And one of the main reasons people do not understand or experience the sovereignty of grace and the way it works through the awakening of sovereign joy is that their hunger and thirst for God is too small.

-John Piper-

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2015年

8月

30日

◆あなたは子であり、神の相続人です◆

(ガラテヤ4:6,7)「そして、あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。」

 

最近、多分あなたの頭の中に、こんな疑問が湧いてきたことでしょう。「もし私がクリスチャンなら、どうして病気になったんだろう? もし天の父がそんなにすばらしいお方なら、なぜこんなに多くの問題があるのだろう? 神様は、神の子である私を助けないのか?」

 

そして、もしあなたが「神様、私はあなたの子です。なぜ私にこんなことが起こるのですか?」と聞くようにそそのかされたら、このことを知っておきなさい。2000年前に、サタンが、同じ罠、「もしあなたが神の子なら…」(マタイ43)をイエス様に仕掛けたので、主はあなたがどのように感じているかをよくご存じだということを―。いいですか、あの時のサタンの意図は、イエス様にご自身が神のみ子であることを疑わせることでしたが、サタンは今日、同じことをあなたにしようとしているのです。

 

サタンは、あなたのうちに、そして信仰者の体のうちにある“神の子ども”としての霊を亡き者にしようとしています。彼は、もしあなたがひとたび“自分は神の子とされた”と信じれば、何かが起こることを――すなわちあなたが“キリストによる神の相続人”としての人生を歩み始めることを知っているのです。

 

神の子として、また相続人として、あなたは、それを与えるためイエス様が死なれた神の恵みの全てを相続します。それには、救い、癒やし、備え、完全性、神の愛顧、神との親しさ、かなえられた祈りなども含まれます。そしてイエス様は、ご自身があなたに与えるために死なれたものを、あなたが確実に手にするために、死者の中からよみがえられました。主は、今日、あなたの命の中にある、この豊かな、血によって買い取られた相続財産を有効にするために、生きておられるのです!

 

我が友よ、あなたはキリストによって神の相続人です。これは、あなたがキリストと共同の相続人であることを意味します(ローマ817)。ですから、主の相続財産は、あなたの相続財産でもあるのです!

 

あなたが神の相続人であるなら、神様の備えられるものとはなんでしょうか? 神様は森の全ての獣も、千の丘の家畜も所有しておられます(詩篇5010)。全てのダイヤモンドも、金も、このお方から与えられました。あなたが神の相続人であるときの、“癒やし”とはなんでしょうか? 神様があなたの創造者であり、あなたの命の息そのものであられるということです。

 

愛する皆さん、キリストに在るあなたの相続分を漏らすことなく楽しみなさい。あなたがそれに値するからではなく、その値がイエス様の血潮によって払われたからです!

 

You Are A Son And An Heir Of God

Galatians 4:6–7

 6And because you are sons, God has sent forth the Spirit of His Son into your hearts, crying out, “Abba, Father!” 7Therefore you are no longer a slave but a son, and if a son, then an heir of God through Christ.

Perhaps these questions have been popping into your head lately: “If You are a Christian, why are you sick? If your heavenly Father is so wonderful, why do you have so many problems? Doesn’t your God help you, His child?”

And if you have been tempted to ask, “God, I am Your child. Why is this happening to me?” know that Jesus knows exactly how you feel because 2,000 years ago, the devil played the same trick on Him — “If you are the Son of God...” (Matthew 4:3) You see, the devil’s intention was to make Jesus doubt His Sonship, and the devil wants to do the same thing to you today.

He wants to destroy the Spirit of sonship in you and in the body of believers. He knows that once you really believe that you are a son of God, something happens — you begin to live life as “an heir of God through Christ”.

As a son and an heir of God, you inherit all the blessings of God which Jesus died to give you, including salvation, healing, provision, wholeness, favor, intimacy with God and answered prayers. And Jesus rose from the dead to make sure that what He died to give you, you get. He is alive today to enforce this rich, blood-bought inheritance in your life!

My friend, you are an heir of God through Christ. This means that you are joint heirs with Jesus. (Romans 8:17) So His inheritance is your inheritance too!

What is provision when you are an heir of God? He owns every beast in the forest and the cattle on a thousand hills. (Psalm 50:10) All the diamonds and gold came from Him. What is healing when you are an heir of God? He is your Creator and the very breath of your life.

 Beloved, enjoy every bit of your inheritance in Christ, not because you deserve it, but because it was paid for by Jesus’ blood!

 


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2015年

8月

27日

◆試みのときも”恵み”の中です◆

汝の艱苦のさなかにも、主の恵みを疑うなかれ。

幸いなるときと同じく、苦しみの日々にも、

主は汝を愛したもうを信ぜよ。

 

Doubt not his grace, because of thy tribulation, but believe that he loveth thee as much in seasons of trouble as in times of happiness.

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2015年

8月

17日

◆主よ、あなたの良きものを◆

主よ、実に多くの人々が、次の”最高のもの”を求めていますが、私は、あなたが私の前に備えてくださったものを“楽しむ”ことを学びたいのです。私は、自分が住むこの感動的な世界をよく吸収できるように、時にはペースダウンする必要があります。主よ、私が、自分自身が幸せになることを受け入れ、あなたが私の生活の中にもたらしてくださる“良きもの”をどのように楽しむことができるか、教えてください。どうぞ、私がもっとゆったりとし、しゃべることをやめ、良きものが私に流れ込むままにさせてくださいますように。

 

Lord, so many people are in a hurry to the next best thing but i want to learn to enjoy what you have placed before me… Sometimes I need to be slowed down so I can soak up this impressive world I live in… Lord, please teach me how to allow myself to be happy and enjoy the good things you bring my way… Help slow me down and shut my mouth and allow the good to flow to me


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2015年

8月

04日

◆弱さの中で神の力を知る◆

ダビデの生涯は、”弱さは、神の力を体験する資格をなんら奪うものではない“ということの証言のような人生でした。

~マイク・ビッケル~

 

【解説】 この世に、“弱さ”を知らない人などいるでしょうか? 周りの人が知っているかどうかは別にして、ただの一人もいないと断言できますね。その弱さは、自分自身が一番よく知っています。それを覆い隠そうとして、人は思い悩むわけですが、キリスト者は、感謝なことに、”弱さの中にある恵み”を知っています。だからパウロは、「私は弱いときにこそ強い」(Ⅱコリント1210)と言い放ち、それが人間全てに関する真実だからこそ、神様はその言葉を聖書として残されたわけですが、その”強さ”は、もちろん人間的な強さではありません。彼個人の生まれついての強さでもありません。それは、弱い自分のうちに現された”神の力の強さ”です。その意味で、この聖句は、今日の言葉と照らし合わせるとき、「私は、弱いときにこそ、”神の力”を体験することができる」と、心で読み替えなければなりません。

ダビデは異性に対する肉の弱さ、パウロは肉体的な弱さ、ペテロは自己過信(自信過剰)の弱さ、トマスは猜疑心の弱さ、ザアカイは劣等感の弱さ、ヤコブとヨハネは短気の弱さ…。みんな、みんな、弱さを持っていました。そしてその弱さのゆえに、そんな自分をも見捨てずに愛し、赦し、”神の器”として用いてくださった主の恵みにあずかったのです。あなたも、今、心に”宣言”しましょう。「私には○○の弱さがある。でも、私には、この弱さを通して、”神の力”を体験する資格があるんだ!」と――。

 

(詩篇 31:7「あなたの恵みを私は楽しみ、喜びます。あなたは、私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみを知っておられました。」

 

David’s life was a witness that weakness does not disqualify us from experiencing God’s power.

-Mike Bickle-

 

"I will be glad and rejoice in Your mercy, for You have considered my trouble; You have known my soul in adversities" (Ps. 31:7).


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2015年

1月

20日

◆本当の友って?◆

忙しいスケジュールの中で、

 あなたのために時間を割いてくれる人を尊敬しなさい。

 

でも、あなたに その人が必要な時、

 自分のスケジュールなど顧みない人は愛しなさい。

 

(こんな人を、一人でも持っていたら幸せですね。 )

 

RESPECT PEOPLE WHO FIND TIME FOR YOU IN THEIR BUSY SCHEDULE.

BUT LOVE PEOPLE WHO NEVER LOOK AT THEIR SCHEDULE WHEN YOU NEED THEM.


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2015年

1月

16日

◆内なる平安◆

他の人の振る舞いで、

 あなたの“内なる平安”を

 損なわせないようにしなさい。

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 神様が私たちをかたちづくられた。(Form)

 悪魔がそのかたちをゆがめた。(Deform)

 その私たちを、キリストがつくり変えてくださる。(Transform)

 

(訳注: はい、一目瞭然、formの脚韻3つをそろえた言葉遊びです。この韻訳はギブアップですので、意味で味わってください。 )

 

Do not let the behavior of others destroy your inner peace.

GOD FORMED US; SIN DEFORMED US; CHRIST TRANSFORMS US. AMEN


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2015年

1月

03日

◆赦し◆

“赦し”は、他の人のためにではなく、

自分自身のためにするのです。

自らが癒やされ、前に進むためです。

 

Forgiveness is not something we do for others. We do it for ourselves to get well and move forward.


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