2019年

5月

20日

◆他者との平和に生きるための3つの知恵◆

1. 《善い人でいるための覚悟》

善い人でい続けるのは、とても難しいことです。

それはゴールキーパーであり続けるのと似ています。

どんなに多くの敵のボールを防いでも、

人はあなたが取り損ねたゴールだけを覚えているからです。

Being a good person is very difficult. It’s like being a goal keeper. No matter how many goals you saved, the people remember only the goals you missed.

 

2. 《全ての人を幸せにするよりは…》

最も難しい仕事は

全ての人を幸せにすることです。

最も簡単な仕事は

全ての人と幸せに暮らすことです。

【解説】 2つの対照をより際立たせるように、原文のhappyに合わせ、どちらにも「幸せ」という同じ訳語を用いました。日本語としては、後者のhappy withは、「満足している。喜んでいる」というのがよりふさわしい訳語です。「全ての人に満足している。全ての人を喜んでいる。」 つまり、私たちがすべきは、全ての他者(ひと)を幸せにしようと努力することではない。それは土台ムリな話です。そうではなく、自分が接する一人一人との関わりを喜び、満ち足りていること、人の問題ではなく、自分の心のありようの問題なのです。

The most difficult task is to make everybody happy, The simplest task is to be happy with everyone.

 

3.《気遣いに多くの言葉は不要》

気遣いで結ばれる人間関係に

たくさんのおしゃべりは要りません。

柔らかな言葉一つで十分なのです。

気遣いに必要なのは、話す“口”ではなく、

感じる“心”だからです。

A caring relation doesn’t require a large talk! A soft message is enough. Because it’s not the “mouth” that speak. It’s the “heart” that feels.

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2018年

6月

02日

◆イエスのようにイスラエルを愛する◆

 ある日、私たちキリスト者の目が開かれ、私たちのシオニズム(イスラエル支持運動)に対する盲目的な愛と支持が、多くの命を奪ってしまったということに気づく日が来るのではないかと、私は本当に恐れています。まさにあのナチスが権力を握る前夜、キリスト者や教会があの時代の社会的、政治的ヒステリー(集団興奮状態)に陥って、その結果、多くのユダヤ人の組織的計画殺人を引き起こした時のように、今日、私たちは”シオニズム”と呼ばれる理論・政治的信念を支持していますが、それは聖書的ではなく、イエスの教えに基づくものでもありません。多くのキリスト者がシオニズムを信奉し、その盲目的な愛は、それを批判する個々の人々の声を封じてしまっています。キリスト者として、私たちは、パレスチナ人とユダヤ人の間に立つ“ピースメイカー”(平和をつくる者)であるべきです。イエスが「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」(マタイ5:9)と言われたからです。このような時にあって、私たちには、イスラエルに向かって「正義に帰れ」と建設的に呼びかけた、エレミヤ、イザヤ、アモス、ミカのような預言者が必要です。

 もし私のメッセージが、シオニストの友に失望や不満を抱かせ、私の言葉があなたを動揺させるなら、ご心配なく、この投稿をブロックしてください。けれど、はっきりさせておきたいのは、私は反イスラエルの立場ではなく、私のイスラエルへの愛と熱い心が、このように公に語らせているのだということです。私はパレスチナ人を愛し、ユダヤ人を愛しており、私の夢は、彼らが平和のうちに共に住む日が来ることですが、この平和は、シオニズムや、ヒズボラ(イスラム教シーア派の過激派組織)や、過激派思想によっては、決してもたらされるものではありません。

~サミュエル・リー~

 

I am really afraid that one day, we as Christians will open our eyes and realize that our blind love and support for Zionism have destroyed many lives. Just like before Nazi’s came to power,

Christians and churches followed the social and political hysteria of their time which resulted to the systematic killing of many Jews., today we are supporting a system, a political belief called Zionism, which is not biblical, not Jesus-driven. Many Christians worship Zionism, and this blind love silences every person who criticizes it. As Christians, we should be “peace-makers” between Palestinians and Jews, for Jesus said: “blessed are the peace-makers, for they will be called children of God.” In times like this, we need prophets

like Jeremiah, Isaiah, Amos, Mica who constructively called Israel to come back to justice.

If my massage frustrates my Zionist friends, or if my words make you agitated, no worries—feel free to block me. But be assured that I am not anti-Israel, but my love and heart for Israel makes me speak openly. I love Palestine and I love Israel and my dream is that they will live together in peace, but this peace will never be achieved either by Zionism nor by Hezbollah

or radicals. (Samuel C. Lee)

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2018年

1月

26日

◆我が望み◆

私は望みます。

ある日

美しい花々が

世界中の銃器と

入れ替わることを。

 

そして――

 

音楽が

全ての戦いの阿鼻叫喚と

入れ替わることを。

 

全ての戦闘は

終息を迎え、

 

私たちが

殺し合う代わりに

互いにダンスに興じる道を学ぶことを。

 

私は望みます。

ある日、どこか

この地平線のかなたで

私たち全てが

愛し、愛されるすべを

学ぶことを――。

 

~サミュエル・リー~

 

I wish

that

one day

beautiful flowers

will replace

all the guns in the world,

 

And

 

music will replace

all the horrible sounds of war,

 

that every battle

will end,

 

that we learn

to dance

instead of killing one another,

 

I wish

that one day

somewhere over the horizon,

we all learn

to love

and be loved,

 

-Samuel Lee

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2017年

8月

24日

◆どこまで言えてます?◆

「すみません」は“言葉”です。

「もうしません」は“約束”です。

「どうやって埋め合わせたらいいでしょうか?」は“責任”です。

 

【解説】 3つの言い方は、過ちを犯した人が、それをどれほど悔いているかの程度を表します。それに比例して、相手の人の“赦し”の程度も深まります。そしてそれは、その後の二人の関係の深まりの程度にも通じるのです。イエス様はこう言われました。「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」(マタイ5:9) “平和”は、黙っていてもそこにあるものではありません。“つくらなければ”ならないのですが、それを実践するのはいかに難しいことか。“平和”というのは、“自分は正しい”と思っている人の間には決して成立しません。国家間においても同様です。それは、へりくだって、自分の非を心から悔いて、進んでそれを償おうとする人の間に、初めて生まれるのです。最後の“責任”という言葉の原文responsibilityは、たとえどんなに負担になっても償おうとする、具体的な強い意志を伴った言葉です。あなたは、どこまで言えてますか? それが、あなたを“平和をつくる人”にするカギです。

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2017年

3月

28日

◆墓地の看板は訴える◆

【解説】 はい、これは読む人によって、ジョークにも、真面目にも取れますね。これにユーモアを感じる人は、「やれやれ、やっと心が平安になれるのは、冷たい土の下(墓の中)かよ。もっと生きてるうちに心のラクをしたかったよ。」という、多くの亡くなった方の思いを代弁しているような口ぶりに、共感の笑いを漏らすのでしょう。
 私は大まじめに訳したのですが、それは、「家族のために、あくせく汗水流して働いて、この世の人間関係のしがらみの中で、さんざ心をかき回され、病気やら、不景気やら、思いがけない災難やらで、いっときも心のゆとりを持てないまま、これから何年も、何十年も生きていく…。一度限りの人生、これじゃあまりにもったいないじゃないか。」という人々の声が、聞こえてきたからでした。その声を聞きつつ、私が訳した2行目の言葉のニュアンスは、「いいえ、生きていっていいはずです!」という反意の応答を伴ったものでした。より正確に訳しますと、これは、「なら安らぎのうちに生きることだってできるでしょう?」⇒「生きているときも、心の平安を持って生きましょうよ!」というポジティブ(積極的・肯定的)なニュアンスを持った、“最高の人生の生き方”の勧めなのです。
そんな生き方は、神への信仰によってのみ可能になります。かくいう私も、神の恵みにより、信仰によって救われ、こうして生きている今からすでに、”心の平安”を与えられました。外はどんな大嵐でも、心の中には、「我なり。恐るな」(マタイ14:27)と言われるお方、神のみ子キリストが、いつも共にいてくださるからです。このお方に在って、私たちは、この世を去る時だけでなく、生きている一日一日を、内なる平安をもって生きることができるのです。
この看板の、ウイットに富んだ問いに、あなたはどうお応えになりますか?

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2017年

3月

21日

◆私たち、同じ”人間”でしょう?◆

◆サミュエルの書斎から◆
―私たち、同じ“人間”でしょう?―

私たちは、みんな同じ“人間”です。
息をし、食べ、飲みます。
みんな、人を愛したいと願っています。
みんな、幸せを求めています。
みんな、意識を持ち、
心を持ち、
善いことをしたがっているのです。
私たちの“人間性”を引き裂くことがないようにしましょう。
憎しみや、差別や、人種主義によって、
心を奪われることのないようにしましょう。
全ての人間は、ほんとうに かよわく、“壊れやすい”ものであることに
気づこうではありませんか。
~~サミュエル・C・リー~

【解説】 下の動画もぜひご覧ください。これは“やらせ”でもフィクションでもありません。科学的事実なのです。今、地上で、無益で残虐な戦いをしている者同士の多くが、たった数世代さかのぼれば、”人類”という大きな血筋でつながっているという厳粛な、驚くべき事実に、私たちは刮目すべきです。遠い親戚同士が憎悪に燃えて殺し合う、このような悲しい愚行をやめる英知を、人間は神様から授かっているのです。神様に立ち返り、その知恵を用いるべきです。全人類が、本当に“壊れて”しまう前に――。

We are all human beings
 We breathe, we eat, drink,
 We all desire for love,
 We all look for happiness,
 We all have consciousness
 We all have hearts
 We all love to do good
 Let us not divide our humanity
 Let us not be carried away by
 hate, discrimination and racism
 Let us realize that all humanity
 Is so fragile.
 Sam Lee

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2015年

11月

12日

◆私の平和主義◆




もしあなたが自分で復讐できるなら、“やめておきなさい”。もしそれを、手を広げるくらいのたやすさでできるなら、その手は閉じたままにしておきなさい! もし辛らつな一語で議論をやめさせることができるなら、その辛らつな言葉を発することのないよう、神の恵みを乞い求めなさい。


 


"If you can revenge yourself, DON’T. If you could do it as easily as open your hand, keep it shut! If one bitter word could end the argument, ask for Divine Grace to spare that bitter word."









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