2019年

10月

08日

◆イエス・キリストを瞑想する(2)◆

1.《神を信じたければイエスを見よ》

イエスを知るまでは、神はある概念にすぎず、私たちは神を信ずることはできません。

しかし、ひとたびイエスが、「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と言われるのを聞いたら、私たちは直ちに、“これは本物だ”と思えるものに触れ、私たちの信仰は、無限のものとなるのです。

~オズワルド・チェンバーズ~

Until we know Jesus, God is merely a concept, and we can’t have faith in Him. But once we hear Jesus say, “He who has seen Me has seen the Father”(John 14:9) we immediately have something that is real, and our faith is limitless.

-Oswald Chambers-

 

2.《キリストの十字架 ①つまずくほどの力》

もし私の語る”十字架”が、普通の人々につまずきとならないなら、

私の伝え方が誤っているのだ。

~マーティン・ロイドジョーンズ~

【解説】 あなたが語る十字架で、人はつまずくのが当たり前なのです。もしつまずかないとしたら、その人が全く分かっていないか、あなたの伝え方が、相手をつまずかせまいとして手を抜いているか、あるいは聖書の使信を曲げているかのどちらかです。それは、「キリストの十字架は、あなたの“罪”の身代わりだった」という事実を、まっすぐに語らなかったということです。これは日曜の講壇にも言えることです。“十字架はあなたの罪のためです”というメッセージがストレートに語られないところに、救われる魂は起きません。人は、つまずかせなければ、罪の泥沼から引き起こしてあげることはできないのです。

If my preaching of this cross is not an offense to the natural man, I am misrepresenting it. —Martin Lloyd-Jones

 

3.《キリストの十字架 ②心地よき重荷》

キリストの十字架は、私が負ったことのある最も心地よい重荷です。それは、私を我が安息の港に運んでくれる、鳥にとっての羽、船にとっての帆のような、いとも甘美なる重荷なのです。

(マタイ 11:30) 「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

~サミュエル・ラザフォード~

The cross of Christ is the sweetest burden I ever bore: It is such a burden as wings are to a bird, or sails to a ship, to carry me forward to my harbor.

"For My yoke is easy and My burden is light” (Mt. 11:30).

-Samuel Rutherford-

 

4.《イエス、期待と想像を超えた方》

イエスは、いつでも私たちの期待を超えます。

彼は私たちが求めることのできる以上のお方、

あるいは、その時その時に想像する以上のお方なのです。

~ティム(ティモシー)・ケラー~

【解説】 このティム・ケラーの言葉を、あなたは日々の生活の中で、実感していますか? 「ほんとにそう!」と言えますか? もし言えたら、あなたのイエス様はホンモノです。あなたの信仰もホンモノです! そしてそこから生まれてくるのは、「♬ハレルヤ! 主を褒めよ!」の賛美しかありません。

Jesus will always exceed our expectations. He will be more than what we can ask for or even imagine every time.-Tim Keller

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2018年

4月

04日

◆イエスを十字架上で支えたもの◆

…それは“釘”ではなく、“愛”だった!

 

あなたを愛している救い主は、そう言われる。あなたの上から、

十字架につるされたあの小高い丘の上から。

 

あなたを愛している救い主は、そう叫ばれる。あなたの上から、

血潮で描かれた“愛”の絵をあなたに見せて…。

 

イエスは、キャンドルのともるディナーの席で

「あなたを愛している」とささやかれたのではない。

高級アパートのスイートでそう語られたのでもない。

天からカードと花を贈られたのでもないし、

雲の中であなたに詩を書かれたのでもない。

 

イエスは十字架に付けられるために地上に降りられた。

あなたの罪が金づちで彼の両手に釘を打ち付け、十字架に彼をつるした時、

彼は「あなたを愛している」と言われたのだ。

彼は、ただ言葉でそう言われたのではない。

想像しうる最も力強い方法で、あなたを愛していることを示すために、

彼は死なれたのだ――。

 

(ローマ 5:8) 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」

----------------------------------------------------------------------------

 

主イエス様、あなたを愛します。そして私と、私たち人間のための、あなたのお苦しみのゆえに感謝します。

主イエス様、私のために味わわれた、すさまじい痛み、多くの傷、疲弊と苦痛、多くの痛みと愛をもって流された貴い血潮。

あなたの息もできないようなあえぎ、その汗と涙、その慈愛に満ちた忍耐、私の罪のため、全世界の罪のために払われたあなたご自身の命の犠牲(いけにえ)。

――それらを通して、私を救ってくださったことを感謝します。

主よ、あなたがあのカルバリでなしてくださったことに、私が心の中で、どれほど感謝し、愛しまつっているか、とても言葉では言い表すことができません。

 

The Savior who loves you says so from above you,

From high on a hill and hung up on a tree.

The Savior who loves you cries so from above you,

His blood paints a picture of love you can see.

Jesus did not whisper He loves you over a candle-lit dinner. He did not tell you He loves you in a penthouse suite. He did not send a card and flowers from heaven. He did not write you a poem in the clouds.

He came down to be crucified. He says that He loves you as your sin

hammers nails through His hands and hangs Him up on a cross. He did not simply say that He loved you, He died to display that He loved you in the most powerful way imaginable.

 

“God shows his love for us in that while we were still sinners, Christ died for us”

(Romans 5:8).

 

Lord Jesus; I love you and I am so grateful to you for your sufferings for me, and for the rest of humanity.

I thank you Lord Jesus for saving me through your crushing pain,

through your many wounds, through your tiredness and agony and through your precious blood shed with so much pain and love for me;

Through your difficulty to breath, through your sweat and tears,

through your merciful patience, for the very sacrifice of your life that you made for my sins and for the sins of the whole world.

My words here Lord cannot come near to how much appreciated and love I fed in my heart for what you did at calvary.

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2018年

4月

03日

◆キリスト教は”キリスト”なのです◆

(1) 神のみ子が人になられたワケ

 

人間が神の子となることができるように、神のみ子が人間になられたのです。

~C.S. ルイス~

 

【解説】 ここには、“主客転倒”の修辞が用いられていますね。でもこれは真実です。人が努力して、修行を積んで、神(仏)になると説く世のあまたの宗教の中で、ひとり、キリスト教だけが、「神は人間になられた」と宣言します。進化論とも呼応して、“上へ、上へ”とひたすら救いを求めるこの世界で、聖書の神様だけが、「私は下に、人間の世界に我が子を下す」と言われたのです。それは、私たちが、この限りなく低くなられた神を信じて、“神の子”となるためです。この神のみ子、イエス・キリストなしに、当然のことながら、キリスト教は成立しません。神の子とされた私たちも存在しません。この“驚くべき恵み アメイジング・グレイス”を、私たちは、決して当たり前のことと思ってはいけないのです。

 

The Son of God became a man to enable men to become sons of God.

-C.S. Lewis

 

(2) あなたの神はカルバリにおられますか?

 

“カルバリ”(十字架)なしに神を描くことは、

それがどんなものであれ、神への“背信”です。

~ラインハード・ボンク~

 

【解説】 後半生をベッドに伏したままインド宣教に生涯をささげたエイミー・カーマイケルは、その著書「カルバリの愛を知っていますか?」で、十字架の主の自己犠牲に基づかない信仰者に、たとえその言動がどんなに人々の賞賛を受けたとしても、「あなたはカルバリの愛を知らない」と言い放ちました。私たちの語る神は、いつもあのカルバリにおられるでしょうか? 主の日の講壇や私たちの証しで、人に幸福をもたらす神の力と、信じる者の祝福のみが強調されることはないでしょうか? もしそこで、私たちを救ってくださるためのカルバリの主のお苦しみと、この主に従っていくための犠牲と喜びが語られなかったならば、それは“信仰”の衣をかぶった神への背信となるのです。そこにあるのは大いなることをなされる偉大なる神と、その神に在って大いなる業をなす人間の肉の誇りだけで、私たちが神の子と呼ばれるために払われた、神の愛の原点、“カルバリ”が欠落しているからです。“背信”――この言葉の厳しさに、私たちは襟を正さなければなりません。(なお原文では、“描写(描く)portrayalポートレイヤル”と“背信betrayalベトレイヤル”で、韻を踏む修辞がなされています。)

 

“Any portrayal of God without Calvary is betrayal.”

—Reinhard Bonnke

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2018年

3月

30日

◆受難週霊想◆

―十字架にお架けなさい―

 

もしあなたに秘めた悲しみがあるなら、

重荷や失ったものがあるなら、

痛みでうずくほど癒やしを求めているなら…

それを十字架にお架けなさい。

 

もし思い煩いが あなたの眠りを奪い、

幾度となく寝返りを打たせるなら、

あなたの心が重く耐えがたいつらさを感じているなら…

それを十字架にお架けなさい。

 

信仰の妨げになるものや

ふと心をよぎる疑いの全て、

応えられることのなかった祈りの全て…

それを十字架にお架けなさい。

 

なぜならキリストは、私たちの“破れ”を負われ、

私たちの試練を勝利に変えるために、

愛を込めてその貴い代価を払ってくださったからです。

十字架の上で御身をつるされて…。

 

~リサ・エンゲルハート~

 

【解説】 著名なセラピストであり、女流作家でもあるリサ・エンゲルハートの”受容による癒やし”の哲学の根底には、キリストの十字架の愛が息づいています。この受難週にふさわしい一編の詩にも、それはよく表れていますね。原文の文学的な修辞も優れていて、Hang on the Crossの“Hangハング”というキーワードには、「架ける」「つるす」という2つの意味があるのですが、このイラストで分かるように、私たちの重荷を衣類のように十字架に「架けて」解き放たれなさい、という勧めと、最後の1行にあるように、私たちが架けた全ての罪の重荷を、イエス様が十字架の上で「つるされる」ことによって、全て支払ってくださったと結んで、この2つの意味を巧みに掛けていますし、最後の「試練から勝利へ」は、“turn Trials to Triumph トライアルからトライアムフへ”と、韻を踏んでいるのです。

明日はその十字架の金曜日、“主の十字架のお苦しみは我がため”と感謝して、今あなたが抱えておられる重荷のヴェールを、一枚、一枚、十字架にそっと架けてしまいませんか?

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2017年

8月

26日

◆ただ十字架の言葉を◆

もしイエスが、今日の牧師たちが語るのと同じメッセージを語っていたら、彼は決して十字架につけられることはなかったであろう。

 ―レナード・レイヴンヒル

 

この地上には、二つの霊が広まっている。不従順の子らの中に働く霊と、神の霊である。この二つは、今の世でも、永遠にわたっても、決して和解することはない。

 ―A. W. トーザー「神の住みたもう場所」

 

【解説】レイヴンヒルは、20世紀イギリスの信徒伝道者、作家。祈りとリバイバルに関する著書で、現代教会の“悔い改めをもたらさない、生ぬるい”説教の弊害を説いた。トーザーは、20世紀アメリカの牧師、伝道者、作家、編集者、霊的指導者。邦訳著書あり。

キビしい警告ですが、牧師は謙虚に耳を傾けるべきですし、信徒は、愛する自分の教会の牧師が、臆することなく、大胆に主のみ言葉を語れるように、祈って支えなければなりません。

【Ⅰコリント1:22,23】 ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。

 

There are two spirits abroad in the earth: the spirit that works in the children of disobedience and the Spirit of God. These two can never be reconciled in time or in eternity.

 

A.W Tozer Man - The Dwelling Place of God

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2017年

4月

21日

◆目を上げて、とにかく彼を見るのです!◆

私たちは罪に満ちている。

だが救い主は、何としてもご自身を見上げるようにと、

私たちを促しておられるのだ。

 

We are full of sin, but the Savior bids us lift our eyes to Him.

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2016年

4月

10日

◆十字架は神のオリジナル・プラン◆

 

十字架は、人の悲劇を神が良いほうに変えてくださったものではありません。

 

十字架は、神が良いこととして計画してくださった愛を込めた出来事だったのです。

 

~ジョン・パイパー~

 

 

 

(使徒の働き 2:22-24 「イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行われました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。」

 

 

 

The cross was not a tragic event God “turned” for good. It was a loving event God planned for good.

 

-John Piper-

 

Jesus went to the cross by the determined purpose and foreknowledge of God. (Acts 2:22-24)

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2016年

3月

28日

◆この方を見よ◆

 

この方の両手を見よ。

 

その頭(かしら)を、両足を、脇腹を見よ。

 

それらは“怒りのしるし”を帯びている。

 

ご自身の命を投げ出すことによって、

 

その愛を動かぬものするための、全き犠牲である。

 

ああ、この方の麗しさよ――。

 

 

 

~アレン・フッド/デイヴィッド・ブライマー「この方の麗しさ」~

 

 

 

See His hands, His head, His feet, and His side. They bear the marks of wrath- a pure sacrifice to secure His love by giving up His life. Oh, the beauty of this man.

-The Beauty of This Man, Allen Hood & David Brymer-

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2016年

3月

27日

◆カルバリの我を見よ◆

ああ、おののく悔悛者よ、

あなたの解放の“手段”となりし方を見よ。

あなたの涙にかすむ目を

かなたのカルバリの丘に向けよ!

正義の犠牲者、あなたの罪の贖いのいけにえを見よ。

あなたの魂を買い戻せる血潮の流れ、

あなたの罰を耐える苦痛の極みをもて、

苦しみのうちにある救い主を眺めよ。

彼はあなたのために死なれたのだ。

もし今、あなたが己が罪を告白さえすれば…。

 

ああ、罪を宣告されし者、自らを断罪する者よ、

来りてその目をかく向けよ。

一目見上げるだけで救われるのだ。

 

罪びとよ、あなたは敗れた。

見よ! “見る”以外の道はない。ただ見るのだ。

もしあなたがキリストを見るほかなければ、あなたは救われる。

贖い主の声を聞け。

「私を見よ。あなたは救われる。」

ああ、咎ある魂よ、見よ! 見るのだ! 見上げるのだ!

 

Behold, O trembling penitent the means of thy deliverance. Turn thy tearing eye to yonder Mount of Calvary! see the victim of justice-the sacrifice of atonement for your transgression. View the Savior in his agonies, with streams of blood purchasing thy soul, and with intensest agonies enduring thy punishment. He died for thee, if now thou dost confess thy guilt. O come thou condemned one, self-condemned, and turn thine eye this way, for one look will save. Sinner, thou art bitten. Look! it is nought but “Look!” It is simply “Look!” If thou canst but look to Jesus thou art safe. Hear the voice of the Redeemer: “Look unto me, and be ye saved.” Look! Look! Look! O guilty souls.

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2016年

3月

26日

◆受難週霊想(2)◆

―”愛”の化身、墓に眠る―

 

かしこに死して眠れるは、“愛”の化身。

 

“死”を征服する力を秘めて、

 

無から有を呼びいだす力を秘めて――。

 

 

 

~アラン・ルイス 「十字架と復活の間(はざま)で」~

 

 

 

Buried there in death is love incarnate, with the power to conquer death, and summon forth what is out of what was not.

 

-Alan Lewis, Between Cross and Resurrection-

 

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2016年

3月

25日

◆ナザレの人よ◆

 

私はナザレのお方のもの。

 

彼はみ足を砕かれ、

 

み手に傷を負い、

 

永遠の愛をもって私を愛してくださいます。

 

 

 

~ルーク・ウッド “ナザレの人”~

 

 

 

I belong to the man from Nazareth. He’s got wounds in His feet and scars in His hands and He loves me with an everlasting love.

-Luke Wood, “Man from Nazareth”-

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2016年

3月

24日

◆受難週霊想 2詩◆

 

紫の衣、いばらの冠、右手には葦の棒。

 

兵士たちのいたぶりと あざけりの前に、

 

我が救い主の立たるるぞ見ゆ。

 

~ティモシー・ダドリー・スミス~

 

 

 

A purple robe, a crown of thorn, a reed in his right hand; before the soldiers’ spite and scorn I see my Saviour stand.

 

-Timothy Dudley-Smith

 

 

 

十字架に上げられしあの人を見よ。

 

我が罪は彼の肩にあり。

 

恥ずかしや、

 

あざけり人の中より、声高(こわだか)に

 

我が愚弄の声 聞こゆ。

 

~ステュアート・タウンエンド「み父の愛のいかに深きや」~

 

 

 

Behold the man upon a cross,

 

My sin upon his shoulders;

 

Ashamed, I hear my mocking voice

 

Call out among the scoffers.

 

-Stuart Townend “How deep the Father’s love”-

 

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2016年

3月

23日

◆十字架は呼びかける◆

 

“十字架”は、最もはっきりと、そして最も熱い愛をもって、「私はあなたを愛している」と言うやり方です。

 

~ボブ・ソージ~

 

 

 

The cross is the most articulate and passionate way to say “I love you”.

-Bob Sorge-

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2016年

3月

12日

◆スポルジョン流 十字架考◆

 

ある驚くべき“愛のひと飲み”において、主はご自身のものである人々全てのために、“滅び”を永遠に飲み干してしまわれたのである。

 

十字架のみもとで憩うことに達しえない信仰は、なんであれ、天に足を踏み入れることにも達しえない信仰である。

 

 

 

【解説】 前半が、いかにもスポルジョンらしい表現で、あのゲッセマネの園の飲むべき杯(=十字架の受難)のことを言っていますが、まさしくそれは、私たちを永遠の滅びから救い出すために、最後の一滴まで飲み干された主の“愛のひと飲み”でした。

 

そして後半は、その十字架に対する、完全な明け渡しのない信仰の不完全さに警鐘を鳴らしています。それはあたかも、十字架の前でまだ幾つかの荷を負うたまま、安息を得られずにいる人の姿ですが、まことの信仰は、自力に頼ることを100パーセント放棄して、重荷を大きいものから、小さなかけらまで、全て主の十字架のもとに置くことです。100パーセント身軽にならなければ、100パーセント携え上げられて、天の門をくぐることはできないのです。

 

 

 

At one tremendous draught of love the Lord for ever drank destruction dry for all his people.

 

Any faith that rests short of the Cross is a faith that will land you short of heaven.

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2016年

3月

10日

◆十字架の前には全てが無◆

 

栄光のみ子がその上で死なれた

 

あの驚異の十字架をつぶさに見るとき、

 

私の富の極みはただの損失にすぎず、

 

私の全ての誇りも軽蔑の眼(まなこ)を注ぐのみだ。

 

 

 

【解説】 これは、かのアイザック・ウォッツの傑作のひとつ、讃美歌142「栄の主イエスの」の原詩です。受難週を前に、今一度、私のために主が命を捨てられた主の十字架の恵みを味わいましょう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=RrVbNSXZ_zE

 

 

 

When I survey the wonderous cross

 

On which the Prince of glory died

 

My richest gain I count but loss,

 

And pour contempt on all my pride.

 

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2016年

2月

06日

◆十字架まで我がモデルとして◆

 

私の“ロールモデル”(生涯模範)であるお方は、私のために、十字架に向かわれた。

 

 

 

~フランシス・チャン~

 

 

 

(ヘブル 12:2 「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」

 

 

 

【解説】 近頃よく聞かれる言葉の一つが「ロールモデル」です。直訳すれば「役割模範」ということですが、俳優なら、目指すべき理想の先輩俳優のことですし、子どもたちには「お手本」となる大人たち(両親や先生)、私たちにとっては、自分の仕事や生き方、考え方、なすべき仕事などの「鑑(かがみ)」とも言うべき人のことです。しかし、私たちが十字架の極みまで従うべき「終生の師」は、このような者のために命を捨ててくださったイエス様ですから、私はあえて「生涯模範」(「人生師範」とも呼びたいです)と訳してみましたが、いかがでしょうか。それは単に、死ぬまで我が師であるというという関わりの長さだけでなく、イエス様の生き方、考え方、行動、言葉、文字どおり一挙手一投足、全てにおいて倣い、従うべきお方ということです。“この師在りて、我が生あり、これこそ、キリスト者の特権であり無上の恵みですね。

 

 

 

My role model went to the cross for me.

 

"Looking unto Jesus, the author and finisher of our faith..." (Heb. 12:2).

 

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2015年

12月

02日

◆たとえ地上に あなただけでも◆

キリストは、“人類”のために死なれたのではない。“一人一人”のために死なれたのだ。もしその一人一人が、地上で創られたただ一人の人だったとしても、彼はそうしたに違いない。

C. S. ルイス~

 

He died not for men, but for each man. If each man had been the only man made, He would have done no less.

-C. S. Lewis-


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2015年

11月

07日

◆キリストの十字架と、あなた◆

来りて、十字架の勝利を見よ。

キリストのみ傷は、汝(な)が癒やしなり。

彼の死の苦しみは、汝が休息

彼の葛藤は、汝が征服

彼の苦悶のうめきは、汝が歌

彼の痛みは、汝が安らぎ

彼の恥は、汝が誉れ

彼の死は、汝が命

彼の苦しみは、汝が救いなり。

~マシュー・ヘンリー~

 

"Come, and see the victories of the cross. Christ's wounds are thy healings, His agonies thy repose, His conflicts thy conquests, His groans thy songs, His pains thine ease, His shame thy glory, His death thy life, His sufferings thy salvation."

 - Matthew Henry


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2015年

11月

05日

◆全てのあわれみ、十字架の血潮より流る◆

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆

Charles Spurgeon The Prince of Preachers

―全てのあわれみ、十字架の血潮より流る―

 

イエスの十字架は、聖徒たちの栄光の基礎である。カルバリは、“天”の生誕地である。天は、ベツレヘムの家畜小屋で生まれたのである。ゴルゴタの苦難と苦痛がなければ、私たちにはなんの祝福もなかった。ああ、聖徒よ! 全てのあわれみのうちに、救い主の血潮を見よ。この聖なる書(訳注:聖書)を見よ、彼の血潮がまき散らされている。この祈りの家(訳注:教会)を見よ、彼の苦しみで聖められている。あなたの日々の糧を見よ、彼の苦痛のうめきをもって買い取られたものだ。全てのあわれみを、“血潮にて買い取られし宝”としてあなたのもとに来させよ。彼のもとから来たゆえに、それを貴(たっと)べ。そして、なべて言うのだ、「あなたは、我らを、我らたらしめてくださいました」と。

 

The cross of Jesus is the foundation of the glory of the saints; Calvary is the birth-place of heaven; heaven was born in Bethlehem’s manger; had it not been for the sufferings and agonies of Golgotha we should have had no blessing. Oh, saint! in every mercy see the Savior’s blood, look on this Book-it is sprinkled with his blood; look on this house of prayer-it is sanctified by his sufferings; look on your daily food-it is purchased with his groans. Let every mercy come to you as a blood-bought treasure; value it because it comes from him; and evermore say, “Thou hast made us what we are.”


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2015年

10月

24日

◆ああ、十字架!◆

あのお方が、

十字架につかれていた時、

あなたは、

あのお方の心の中にあったのです。

 

これが愛、まことの愛です! あなたのみ子、ナザレのイエス、私の主なる救い主のゆえに、神様に感謝いたします。アーメン!

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2015年

10月

24日

◆主の苦しみの十字かは誰がため?◆

【マタイ26:39それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。

 

「この杯を過ぎ去らせてください」と、園でキリストが言われた言葉を、私は黙想してみただろうか? そして、もしキリストが、この苦しみと犠牲の苦き杯を飲み干す道を選ばなかったら、私自身の人生はどうなっていたかと考えてみただろうか?(マデレイン・ワー)

 

 「イエスは園におられた。―それは、あの最初の人アダムが、神と共なる喜びのうちにそこにいながら、罪のゆえに自らを、そして全人類を破滅させた園ではなく、あのお方が、神に見放されんとする苦しみのうちにそこにいて、勝利のうちにご自身を、そして全人類を救われた、“祈りの園”だった。」(ブレイズ・パスカル)

 

【解説】私たちも今、静まって、マデレインさんと同じような思いで、心を探られなければなりません。自らの救いの確かさと、深い感謝の思いを新たにするために――。パスカルの言葉は、そのままではやや難解ですので、適宜補いました。


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2015年

10月

24日

◆ここに愛がある◆

イエス様は、ご自身の父なる神様に見捨てられるほどに、

 私たちを愛してくださいました。

ですから、このお方を十字架にくぎ付けにしたのは、

私たちの罪であっただけではなく、

このお方の、私たちに対する“愛”であったのです。

 

【マルコ15:34 イエスは息を引き取る時、大声で叫ばれた。「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と。

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2015年

10月

22日

◆かくて神の救いは成就せんとす◆

―受難日に寄せて―

神様は、ご自身の不動の愛と、計り知れない恵みによって、ご自身の独り子を、神のことなど意に介しないこの世に、進んで自らをささげるいけにえとしてお送りになりました。イエス・キリストは、払いきれない負債を負った私たちのために、ご自身のものではない負債を支払うためにお下りになりました。

 

その生によって私たちを愛し、

その死によって私たちを救い、

その葬りによって私たちの罪をかなたに追いやり、

その復活によって私たちの罪を永遠に、完全に赦してくださいました。

いつの日か、このお方は再臨なさいます。

ああ、栄(は)えあるその日よ。


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2015年

10月

22日

◆主の受難の夕べに◆

この聖金曜日の夕べに、

あなたを思い、

主の恵みと栄光が、

いつもあなたと共にあるように祈ります。

 

❤祈り

神様、私たちのために、

み子をお与えくださった尊い犠牲のゆえに、

ありがとうございます。

主は私たちのために、

十字架で死んでくださいました。

心から、感謝いたします。

 

~~PRAYING THE GRACE AND GLORY OF THE LORD BE WITH US ALWAYS ~~~ May You All Have A Blessed Good Friday ~~~ We Thank You God For The Sacrifice You Made By Giving Your Son~~ To Die On The Cross For Us ~~ I Am So Thankful For This. ~~

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2015年

9月

25日

◆十字架に死ぬということ◆

”死ぬ”ということは、決して楽しいことではない。人生をかたちづくってきた愛すべき、かけがえのないことどもをはぎ取るのは、深い悲しみ以外の何ものでもあろうはずがない。しかし、それがまさに十字架がキリストに対してしたことであり、私たちを“自由”にするために、一人一人に対してもすることなのだ。~A. W. トーザー~

 

【解説】 ここの“死”は、もちろん肉体の死ではなく、“霊的な死”を指しています。それまでの神なしの人生に対する決別を表す“死”、また、信仰者になったあとにも、私たちが、気づいたら救い主なる神様以上に愛し、大切にしていたものに対しての、“第二の死”です。その時に私たちは、“はぎ取る”と訳した rip throughのもう一つの訳語で言うなら、”引き裂かれる”思い、古くからの言い方なら、はらわたもちぎれんばかりの“断腸”の思いを味わいます。でもトーザーは言います、それが、まさに2000年前、神のみ子が、十字架の死において味わわれた、父なる神様との“愛すべき、かけがえのない”交わりの断絶の苦しみだったのだと――。この世のものは、人であれ、物であれ、たとえそれがどんなに魅力的で、愛すべきものであったとしても、深いところで”罪“の縄目に縛られています。そしてそれは、やがては過ぎゆき、消えゆくものです。その縄目を解き放ち、”自由“にしてくれるものは、キリストの十字架の他にはないのです。神のみ子が、私たちにに対する愛のゆえに、そのお苦しみに耐えてくださったのだとしたら、あなたもきっと、耐えられるはずです。十字架のもとに、ひとたび愛するものを差し出して、“自由”になりましょう。そして解き放たれた心で、主の十字架のお苦しみゆえに与えられた、新しい命に生きてまいりましょう。

 

It is never fun to die. To rip through the dear and tender stuff of which life is made can never be anything but deeply painful. Yet that is what the cross did to Jesus and it it what the cross would do to every man to set him free.

-A. W. Tozer-

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2015年

9月

04日

◆ああ十字架!◆

の世が何を差し出そうと、

あなたが≪十字架≫のすばらしさに

目を開かれるとき、

それらは光と力を失う。

 

What this world has to offer , pales... when you truly see the beauty of the Cross!


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