2020年

1月

27日

◆後悔なき人生を送るために◆

ほんの瞬き一つする間に、

全てのことが変わりうるのです。

だから、たびたび赦すことです。

心を込めて愛することです。

そのチャンスは、もう来ないかもしれないのですから――。

【解説】 たびたび私事ですみません。三浦綾子さんではありませんが、“病気の問屋”のような妻と結婚し、49年間を共に過ごしました。何度も何度も病む妻に寄り添い看病しましたが、それでも私のスケジュールの中に、“妻の死”という選択肢は、一切ありませんでした。夢の中にさえ出てきませんでした。私の予定表では、その“時”は、どんなに早く訪れたとしても、まだ10年先、それも、十分な看病を尽くし、感謝と別れの言葉を言ったあとでした。それが1年前、妻は突然心肺停止で倒れ、一夜で天に帰ったのです。それからの1年、そしてこれからも、何がつらいかと言ったら、愛する者がもはやいないという事実そのものではありません。赦すべきことを赦し、謝るべきことを謝り、まだまだ足りなかった愛を言葉や行為で伝える機会を、永遠に失ってしまったということです。

どうぞこの格言を軽く、他人事に考えないでください。あなたの人生でも、”瞬き一つ”する間に(これが”瞬間”です!)、全ては変わるかもしれないのです。人を赦すこと、謝ること、愛することに、“明日”や“そのうち”という、決して訪れない時を待たないでください。

In the blink of an eye, everything can change. So forgive often and love with your whole heart. You may not have this chance again.

(by Beary Cute Inspirations by Lissa)

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2020年

1月

15日

◆忘れえぬ あなたへ◆

この目で君を(あなたを)見ることは、もうできない。

この手で触れることも。

けれど、この心で

君を感じているよ/あなたを感じています。

とこしえに――。

【訳者ひと言】 私事ですが、昨年2月17日、妻が突然に天に帰ってから、間もなく1年になります。私の団体の教会でも、2人の奥様が敬愛する牧師であるご主人を亡くされました。FBフレンドのY姉妹も昨年、突然ご主人を主に召され、先日はI兄が、覚悟のことでしたが、最愛の奥様を見送られました。これを読んでいるあなたも、あるいは知っている方の中にも、そのような悲しみを抱えている方がいるでしょうか。でも、そのたびに、天には一人が増し加えられ、愛する人は今、霊となって主に在る眠りの中にいます。もはや体が届くことはない。でもこの心に“感じ”続けている限り、私たちの愛する人は生きています。やがて霊の体によみがえり、喜びの再会の日が訪れる、その日まで――。

I can no longer see you with my eyes, or touch you with my hands but I will feel you in my heart forever.

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2018年

7月

24日

◆私が天に入れられる日◆

“それはどんなだろう”と、ただ想像するだけ。

私が、あなたのみそばを歩く、その時…。

“私はこの目で何を見るだろう”と、ただ想像するだけ。

あなたのみ顔が私の前にある、その時…。

――ただ心に描くだけ。

 

あなたの栄光に包まれて

私の心は何を感じるでしょう?

イエスよ、あなたのために踊る? それとも

あなたへの畏れの中で、静まるでしょうか?

あなたのご臨在の中で立ちすくむ? それとも

ひざまずき、倒れ伏すでしょうか?

「ハレルヤ」と歌うでしょうか?

そもそも話すことができるでしょうか?

――ただ心に描くだけ。

“その日はいつ来るんだろう”と、ただ想像するだけ。

気がつけば私は、み子のうちに立っている。

私はただ想像するだけ

永遠に、永遠に、私がなす唯一のこと、

あなたを礼拝する、その日を…。

――ただ心に描くだけ。

 

「私は、私の魂の愛する人を見つけました。私は、この方をしっかりつかまえたので、もう決して放しはしません。」(参照: 雅歌3:4)

 

(アーティスト) ケロロス・サフワット

 

【解説】 この詩は、I can only imagineというタイトルで、YouTubeのヴォーカルでも聴けますが、私は、旧聖歌630♬「とわの安き来りて」を思い出しました。またこの絵は、Awesome painting called “First Day in Heaven”(「天国での最初の日」と呼ばれるすばらしい絵)として紹介されています。あなたが男性であると女性であるとを問わず、この女性をご自分に置き換えて、お味わいください。主を信じる私たちには、必ず、この“歓喜の日”が来るのですね。

 

I can only imagine what it will be like

When I walk, by your side

I can only imagine what my eyes will see

When your face is before me

I can only imagine...

Surrounded by Your glory

What will my heart feel?

Will I dance for you Jesus

Or in awe of You be still?

Will I stand in your presence

Or to my knees will I fall?

Will I sing hallelujah?

Will I be able to speak at all?

I can only imagine...

I can only imagine when that day comes

And I find myself standing in the Son

I can only imagine when all I would do

Is forever, forever worship You

I can only imagine

"I found Him whom my soul loveth. I held Him and would not let Him go.”

Artist: Kerolos Safwat

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2017年

12月

19日

◆アドベントに主の再臨を思う◆

天の王座の真ん中におられる“小羊”なるお方は、教会のただなかに帰ってこようとしておられる。

~コーリー・ラッセル~

 

【解説】 今週の日曜日に、「アドベント -愛に満たされる時-」というタイトルで、月に1度の講壇のご用を務めさせていただきました。その時の話の中で、「アドベント」は、待降節(降臨節)であると共に、主の再臨を待ち望む思いを新たにする季節でもあると説明しました。この言葉には、そのような意味もあるのです。

今日の記事は、次のことを教えてくれます。

① 原文では、前半にmidst(真ん中)、後半にcenter(ただなか)という意味の似通った言葉を配して、“小羊”なるお方、イエス・キリストが、今、天においても、やがて地においても、“中心”であられることを表しています。やがて再臨なさる主は、全世界の王の王となられますが、まず何よりも、“教会の主”となられるのです。これは、エペソ人への手紙1:20-23の完成です。

② 原文の後半、is coming backはご存じ、現在進行形です。will come back (some day)「(いつか)帰ってこられるだろう」ではなく、「(今、この時に)帰ってこようとしておられる」のです。

アドベントのこの季節に、主の再臨を、今か、今かと待ち望む(待再降臨!)思いを募らせることは、まことにみ心にかなったことであり、忘れてはならないことなのですね。

 

(エペソ 1:20-23) 「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」

 

“The Lamb who is in the midst of

the throne is coming back to the center of the Church.”

—Corey Russell

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2016年

11月

11日

◆ああ、かの日には…◆

ああ! 安息日の鐘が、アフリカの平原に、その音色をまき散らす日が、そしてインドのうっそうとしたジャングルが、神の聖徒たちが聖所に登っていくのを見る日が来ることを私は信じる。そして中国のあふれんばかりの群衆が、祈りのために建てられた聖堂の中に共に集い、あなたや私がそうしたように、永遠の栄光に満ちた神を賛美することを、私は確信しているのだ。

 

Oh! I believe there is a day coming when Sabbath bells shall sprinkle music over the plains of Africa - when the deep thick jungle of India shall see the saints of God going up to the sanctuary, and I am assured that the teeming multitudes of China shall gather together in temples built for prayer, and, as you and I have done, shall sing, to the ever glorious Jehovah.

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2016年

8月

25日

◆天国でも報酬を求めるおつもりか?◆

 

しかしながら兄弟姉妹、私たちは、世の人々のようには天国に行くことはできないのだ。なんとなれば、そこには我々を喜ばせるような心づけも報酬もないからだ。

 

 

 

【解説】 ここにも、スポルジョンの痛烈な皮肉が込められています。神様からの金銭では代えられない誉れを知らないこの世の人々は、人生これひたすら“損得”で生きています。「これをしてやったから、このぐらいはもらえるだろう。」「あれだけのことをやってあげたんだ、向こうも相応のものを考えてくれるはずだ。」……。そして、死んだら何一つ次の世に持っていくことはできないとは分かっているはずなのに、天国に行くときにも(仮に行けるとして)、地上の業績に対する報酬を期待するだろうというのです。もちろんキリスト者は、そんな期待をもってみ国に行くわけではありません。栄光の主のみ前に出たら、こうべを垂れて、(ルカ17:10 「私は役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。」と言うだけです。そのときに、(マタイ252123)「よくやった。よい、忠実なしもべだ」と主に言っていただければ、それでいいのです。私たちは、この地上に在っては、(Ⅰコリント 10:31)「食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すために。」するだけなのですから――。

 

 

 

"But, brethren, we cannot go to heaven as worldly men; for there would be nothing there to gratify us."

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2016年

8月

24日

◆天国にないもの、あるもの◆

 

天国にパニックなんてないわよ!

 

神様に困った問題なんてないもの。

 

あるのはご計画だけ。

 

~コーリー・テン・ブーム~

 

 

 

There is no panic in Heaven! God has no problems, only plans.”

 

—Corrie ten Boom

 

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2016年

8月

14日

◆天国との距離◆

 

私たちは天国を、はるか遠くにあるもののように話す。だが、そこに籍を持つ者にとっては、話せば聞こえるほどの距離なのだ。

 

DL・ ムーディー~

 

 

"We talk about heaven being so far away. It is within speaking distance to those who belong there.” —D. L. Moody

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2016年

7月

28日

◆天国にないもの、あるもの◆

 

天国にはね、恐怖やおびえ(パニック)なんてないのよ!

 

神様には問題(プロブレム)なんてないもの。

 

あるのはご計画(プラン)だけ。

 

 

 

【解説】 おなじみ、コーリーおばさんの説得力ある一言です。括弧の中でお分かりのように、原文は3つのPで韻を踏んでいます。

 

 

 

There is no panic in Heaven! God has no problems, only plans.”

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2016年

4月

15日

◆息絶ゆるとも死せじ◆

 

私たちは最後の“息を引き取る”時が来る。しかし決して“死ぬ”ことはない。

 

~ジョン・サーロー“あなたのみ名を叫ぶ”~

 

 

 

(ヨハネ 11:25,26 「イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

 

 

 

We’ll breathe our last, but we’ll never die.

-John Thurlow “Shout Your Name”-

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2016年

3月

25日

◆天には入国制限あり◆

 

ああ、あなた、もし罪あるまま新生していない人が、天に入れるとするならば、私は今一度、ホィットフィールドの言い古された言葉を申し上げたい。「その人は天ではあまりに居心地が悪くて、神様に頼み込むでしょうな。『どうか俺を、避難のために、地獄に“天下り”させてくれ』とね。」

 

 

 

【解説】よくもこういうジョークを考え付くものですね。“天がどうにも居心地が悪い”というのも笑わせますが(原語はunhappy=不幸、不運、憂鬱、惨め、不満ですから、ひと言にまとめてこう訳してみました。)次の「地獄に避難する」というのがまた笑える。罪あるままでは、天の”聖さ”は、耐えられない拷問なんですね。run down(原意:走り下る)を訳すに当たって、「天から地獄へ急直下、あ、これがほんとの“天下り”だ」とひらめいて、一人悦に入っています! でも、スポルジョンは、盟友ホィットフィールドのそんな皮肉の効いたユーモアを引き合いに出しながら、イエス・キリストの十字架と復活を、我が罪のためと信じ、受け入れることが、天に入る”絶対条件”であることを、改めて強調しているのです。今日のキリスト受難日、この入国資格をすでに得ている恵みを感謝しつつ、まだ得ていない愛する方々のために、十字架のみ前にぬかずいて、祈りを新たになさいませんか?

 

 

 

Oh! sirs, if the unregenerate man could enter heaven, I mention once more the oft- repeated saying of Whitfield, he would be so unhappy in heaven, that he would ask God to let him run down into hell for shelter.

 

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2016年

1月

29日

◆かの日には”金の道”を…◆

 

家路を急ぐ私たちの足は、

 

土を蹴り、砂ぼこりを上げるかもしれませんが、

 

この世の旅路の終わりには、

 

私たちは、金で敷き詰められた

 

“都大路”を歩くのです。

 

 

 

【黙示録21:21 また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。

 

 

 

【解説】“土ぼこり”に象徴されるものは、様々な困難、病、挫折…でしょうか。でも、このみ言葉のとおり、約束された“かの日”を信じて、今日も地上の道を、臆せずに歩みましょう。

 

 

 

Our steps home may touch the earth and stir up dust, but at the end of our journey, we will walk on streets paved with gold.

 

(Rev 21:21) The twelve gates were twelve pearls: each individual gate was of one pearl. And the street of the city was pure gold, like transparent glass.

 

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2015年

12月

14日

◆天は再び取り戻す場所◆

天は、この世で罪によって打ち壊された全てのものの“回復”の場所です。

天は、この世であなたが失った全てのものの“償い”の場所です。

天は、この世であなたが機会を逸した全てのものの“弁済”の場所です。

~トニー・ラインク~

 

Heaven is the restoration of everything broken by sin in this life. Heaven is the reparation of everything you lost in this life. Heaven is the reimbursement of every thing you missed out on in this life.

-Tony Reinke-


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2015年

11月

29日

◆幸いなるかな、神を見る者◆

私たちは、涙もなく、死もなく、恐れもなく、夜もない場所のことについて語るかもしれません。(訳注:黙示録214) でもそれらは、天国の”恩恵”にしかすぎません。天国のすばらしさは、“神を見る”ということなのです。

~マックス・ルケード~

 

"We may speak about a place where there are no tears, no death, no fear, no night; but those are just the benefits of heaven. The beauty of heaven is seeing God."

Max Lucado


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2015年

11月

11日

◆ああ、かの日には(再臨黙想)◆

ああ! 私は信じる。やがて安息日の鐘がアフリカの平原に音楽をまき散らす日がやってくることを。その日、深く厚く覆われたインドのジャングルは、神の聖徒たちが聖壇に昇っていくのを見よう。そして、私は確信している。その日、中国の群れを成した無数の群衆が、祈りのために建てられた会堂に相共に集まり、あなたや私がそうしているように、栄光この上なきヤハウェに賛美の歌をささげることを――。

 

Oh! I believe there is a day coming when Sabbath bells shall sprinkle music over the plains of Africa-when the deep thick jungle of India shall see the saints of God going up to the sanctuary, and I am assured that the teeming multitudes of China shall gather together in temples built for prayer, and, as you and I have done, shall sing, to the ever glorious Jehovah.


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