2020年

5月

06日

◆信仰の先達の声に聴く(2)◆

◆信仰の先達の声に聴く(2)◆

―ニーバー: 静謐(せいひつ)の祈り―

【文語訳】

神よ、

変ええざるものを受け入れる静謐さを、

変えうるものを変える勇気を、

その違いを知りうる知恵を与えたまえ。

【口語訳】

神よ、お与えください――

変えることのできないものを受け入れる静穏さを。

変えることのできるものを変える勇気を。

その違いを知るだけの知恵を。

お許しください――

一度に1日を生きることを。

一度に1つの時を楽しむことを。

困難を平安への通り道として受け入れることを。

この罪に満ちた世を、望ましいものとしてではなく

主がなさったように、ありのままに受け入れることを。

私を主のご意志に明け渡すとき

主が全てを善きにしてくださると信じることを。

私がこの世においては、ほどほどに幸せであり、

来るべき永遠の世においては

主と共に、至上の幸いを味わうためです。

アーメン。

~ラインホールド・ニーバー(1892-1971)~

【解説】 かのニーバーの「静謐の祈り」、最初の段落が広く知られていますが、今回はその全てをご紹介します。ぜひ声に出して、ご自分の祈りとして祈ってみてください。アッシジのフランチェスコの祈りや、マザー・テレサの祈りと共に、やはりいつまでも祈り継がれる“人類の祈りの遺産”ですね。

-

Serenity Prayer

God grant me the Serenity to accept the things I cannot change, Courage to change the things I can, and the wisdom to know the difference. Living one day at a time; Enjoying one moment at a time; Accepting hardship as the pathway to peace. Taking, as He did, this sinful world as it is, not as I would have it; Trusting that He will make all things right if I surrender to His will; That I may be reasonably happy in this life, And supremely happy with Him forever in the next. Amen - Reinhold Niebuhr (1892-1971)

 

【FBギャラリー】No.139 モーガン・ウェイストリング 「祈り」

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2020年

4月

22日

◆新型コロナウイルスの中で◆(8)

―祈り―

《これは現代の“過ぎ越しの祭り”です》

私たちは、家の中にとどまって、ただ祈るのです。

なぜなら、これはまさに“過ぎ越しの祭り”だからです。

“死の霊”が外をうごめいています。

神様は、ご自身の民が、祈りと断食の中で内にとどまることを

望んでおられるのです。

~サミュエル・アーサン~

【解説】これは私たちに、この全世界に及ぶ災害への霊的気づきを与える勧めですね。あのイスラエルの民のように、このあとに約束された神様の“出エジプト”の奇跡を信じて、神の“祈りへの召し”に従いましょう。

We can just pray by staying inside our houses because it is just like the Pass-over. Death of Spirit is moving outside. God wants to stay His people inside in prayer and fasting.- Samuel Ahsan

【お祈りの勧め】 数日前、少女アリャに導かれて、新型コロナウイルスの犠牲者と家族のため、そして収束を願いつつ働く全ての人のために祈った私たち。さあ今度は自分自身のために祈りましょう。下記の2つの祈り、一度お読みになったら、心を主に向け、手を組んで、声に出してお祈りになったらいかがでしょう。また、これからも何度か、示されるままにお祈りください。

《祈り1》(下記写真)

神様、

あなたの愛と光を感謝します。

私たちが、この困難なときに、

(あなたから-訳注)”力”を見いだし続けることができますように。アーメン。

Thank you, God for your love and light. May we continue to find strength in this hard time. Amen. (Yours Mine and Ours Memory Box)

《祈り2》

み父よ、あなたのみ手の中に安らげるようお助けください。

自分の人生がもはやコントロールできないと感じるたびに、

何が起こっているのか混乱し、分からなくなるたびに、

あなたに信頼することを学ばせてください。

あなたのみ手は力強く、あなたの心遣いは現実のものですから――。

主よ、あなたに感謝します。

たとえどんなことが起こっても、

あなたはいつもそばにいて私を支え、

両のみ手で私を抱え、

忠実に私を見守っておられることを知っていますから――。

み父よ、私の心を鎮め、全ての心配を取り去ってください。

どうぞ、あなたのみ霊の静かな励ましの言葉をお聞かせください。

それは私の魂に安らぎをもたらしますから――。

主の力あるみ名によって祈ります。アーメン。

Father, help me to rest in your hands.

Whenever I feel like my life is out of control, whenever I’m confused and unsure of what is happening, let me learn to trust in you. For your hands are sturdy and your care is real. Thank you Lord, for I know that no matter what happens, you’ll always be there to support me, hold me in your hands and watch over me faithfully. Father, calm my heart and rid it of all anxiety. Let me hear the quiet reassuring words of your Spirit as they bring comfort to my soul. In His Mighty Name we pray ! Amen!

(詩篇 46:10) 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。(口語訳)

(イザヤ 41:10) 「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

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2020年

3月

25日

◆祈りについての4つの霊想◆

1.《祈りは神様との親交です》

祈りはあなたにとってたやすいことではないかもしれません。私も祈りと格闘しています。祈り以外のあらゆることに心を向けている日々があるのです。

でも私は、神様が私に、ご自身との本当の交わりを求めておられることに、いつも気づかされています。真に親しい交わりには、なんにも身構えないで、互いに言葉を交わし合うことが必要なのです。

Prayer may not be easy for you. I struggle with it too. There are days where I'm focused on everything, but praying. But I'm always reminded that God wants us to long for an authentic friendship with Himself. A friendship requires vulnerability and conversation.

2.《祈りは会話です》

祈りは“会話”だとお考えください。あなたは祈りにおいて、まず神様に話します。それからあなたは、聖書を読むときに神様がお語りになるのを、心を集中して聴きます。私はイエス様が言われたこの言葉が好きです。

(ヨハネ 15:7) 「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」

Think of prayer as conversation. You speak to God in prayer; then you listen attentively as He speaks to you as you read your Bible. I love what Jesus said,

Jesus said, “If you abide in Me, and My words abide in you, you will ask what you desire, and it shall be done for you” (John 15:7).

3.《祈りは何でもかなう魔法ではありません》

祈りは、瓶の中に、すごい力のある精霊を持っていて、それを念じながらこすると聖霊がぴょんと飛び出してきて、あなたの入念に考えた願い事をかなえるのを望むようなことではありません。

祈りは、神様にあなたの望むことをやってもらうことでもありません。祈りは、神様が望まれることに、あなたの心と、意志と、思いを合わせることです。祈りは、神様のみ心(ご意志)に合わせることなのです。

Prayer is not like having a cosmic genie in a bottle and then rubbing the bottle by faith, hoping the genie will pop out and grant your elaborate wishes.

Prayer is not getting God to do what you want. However, prayer is lining up your heart, will, and thoughts with what God wants. Prayer is lining up with God’s will.

4.《神様のみ心を知るには?》

神様のみ心は何かを、あなたはどうやって知りますか? 神様にとどまり、神様を信頼し、神様に従うことによってです。

信仰をもって一歩踏み出し、神様に話し、どれほどの変化がもたらされたかをよく見守ってください。あなたの周りが変わらなければ、あなた自身の中で――。

~ラズホーン・コープランド~

And how do you know what His will is? By abiding in and trusting and obeying God. Take a step in faith, speak to God, and watch how much things will change - if not around you, inside of you.

-Rashawn Copeland

(All 1-4 by I’m so blessed daily)

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2020年

3月

19日

◆静かなる魂のささやき③了 祈り◆

-A quiet soul whispers 3. Prayer-

 

時として、祈りは、

あなたが自分は祈っていたとさえ気づかないのに、

応えられます。

 

【解説】これは、ひとえに神様のあわれみと恵みですね。私たちは、時には、願いや望みを祈りの声に出さず、心の中だけで思っていることがあります。そして時には、祈ったという意識さえないことも。そんな祈りをも、神様は全てお聴きになり、受け止め、ご自身のみ心の時にかなえてくださるのです。なんという神様のスゴさ! まさに神ワザです。だから私たちは、思いがけない恵みを頂いたときは、それによって、心の中を探り、それが実は自分が望んでいたことだったと気づいたら、忘れずに声に出して(!)感謝の祈りをささげることです。

(マタイ 6:8) 「なたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」

Sometimes a prayer gets answered that you didn’t even know you were praying.

 

(写真)ガーデンシリーズ3

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2020年

3月

09日

◆激動の中にある友への祈り◆

あなたが、

人生の“乱気流”をくぐり抜けて成長し、

平安の“虹”を見いだすことができますように。

【解説】人生には、時として思いもしない激動の乱気流が待ち受けています。私も40回近い海外旅行で、ジャンボジェットが木の葉のごとく揺れ、ジェットコースターのように急降下する恐怖を何度か経験しました。そしてあろうことか、この人生の晩年に、もう墜落かと思うような“大荒れ”に突入したのです。今もその真っただ中をくぐっています。でも最善以下を決してなさらない神様を見上げ、この暗雲の向こうに、輝く七色の虹を見る時が来ることを、私は固く信じています。どうぞ、今そのような困難の中にあるあなたも、それに耐えて、一回りも二回りも成長し、ノアが見たあの神様の約束の虹を見ることができますように――。

(創世記9:13-15) 「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。」

May you grow through the turbulence of life and find your rain

bow of peace (by A Peaceful Place)

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2020年

2月

13日

◆恵みは信仰に比例する◆

良きものは、“待つ”人に訪れます。

さらに良きものは、“諦めない”人に訪れます。

そして最善のものは、“信じる”人に訪れるのです。

【解説】 はい、これも中学英語の三段活用、good<better<bestを用いた格言です。”良きものは必ず与えられる”という思いが強まるほど、神様のお与えくださるものもすばらしくなるのです。時には、人が求めたものを超えるほどに――。ふと思い出しましたが、初めてのトーキー映画は、ご存じ、アル・ジョルスンの「ジャズ・シンガー」で、この映画で初めて人々がスクリーンで耳にした英語のセリフは、「Wait a minute! Wait a minute! You ain't heard nothin' yet!(待ってくれ!待ってくれ!お楽しみはこれからだ!)」でした。信仰の世界でこれを言うなら、さしずめこうなるでしょう。「Wait a minute! Wait a minute! You ain't obtained nothin' BEST yet!(待ってくれ!待ってくれ!最善のものはこれからだ!)」 GoodやBetterで満足しないでください。The Best は、これから。それはあなたの“信仰”にかかっているのです。

Good things come to those who wait… Better things come to those who don’t give up… and the best things come to those who believe. (by Still Moments)

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2020年

2月

12日

◆祈りを諦めないで!◆

ネヴァー・ギヴアップ・オン・プレアー

祈りを決して諦めないで。

神様は、時として、思いがけない方法で応えてくださるのです。

いつの日か、あなたは、決して諦めなかったことで、

自分自身に感謝するでしょう。

【解説】 何やら預言めいていますが、これは聖書が語る真実です。ただ祈り続けることです。そして、神様の“思いがけない応え”を見逃すことのないよう、いつも霊の眼(まなこ)を開いておくことです。そのタイミングも、“思いがけない時”かもしれません。その応えを確信できたら、ただ心から感謝しましょう。

Never give up on prayer. God sometimes answer in unexpected ways. Amen(by Inspire Positive Soul Sensations)

One day you will thank yourself for never giving up. (by Love Wide Open)

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2020年

1月

31日

◆祈り:ひざまずいて…立つ!◆

あなたが神の前にひざまずくと、

神があなたのために立ち上がります。

そしてひとたび神が立ち上がると、

誰もあなたの前に立てる者はありません。

また、神の前にひざまずく者は、

誰の前にも立てるのです!

【解説】 これは英語のkneel (down)「膝をかがめて座る」と、stands (up) 「立ち上がる」の対比を用いた、“祈り”の極意/奥義です。どんな場合でも、私たちがすべきことは、自分の力で立ち向かっていくことではありません。私たちがすべきことは、いつであれどこであれ、まず“ひざまずく”ことです! そのときに、すかさず神が立ち上がられ(イニシアディブを取られ)、そのお力で、私たちも恐れず障害や敵に立ち向かうことができるのです。

When you kneel down to God, He stands up for you. And when He stands up for you, no one can stand against you. Also, a person who kneels before God can stand before anyone!

(by Godly Woman Daily)

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2020年

1月

27日

◆祈り:この不可思議な世界◆

私の膝が地を打つとき、

私は天に触れているのです。

【解説】これは、私たちの“特権”である祈りの世界の、時空を超えた不可思議さを見事に言い得ていますね。私の肉の身体(からだ)は、大いなるお方の前にひざまずいて、床に着きます。でもそのとき、私の魂は天翔(あまが)けて、祈りを聴かれるお方のいます天のみ座に触れているのです。これを書いている時、もう45年も前、ロンドンのジョン・ウェスリーの家を訪問した時のことを思い出しました。彼は祈るとき、椅子を降りて文字どおりひざまずき、その椅子上で手を組み、こうべを垂れて祈ったのです。その床にくぼみができているのを見た時の感動を、今も思い出します。祈るほどに膝に込めた力で、堅い木の床がくぼむほどの長い年月、彼の魂は天のみ座におられる方と一つになっていたのですね。

I touch the sky when my knees hit the ground.

(by Christian Life of Peace)

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2020年

1月

24日

◆”祈り”が習慣になると…◆

“祈り”が習慣になるとき、

“奇跡”があなたのライフスタイル(生活様式)になります。

【解説】 これ、スゴい言葉です。私が国際詐欺師たちの術中にはまって、泥沼の中をもがいていた時、どんなに祈っても願いはかないませんでした。でも過ちに気づき、悔い改め、自分自身と兄弟姉妹のために、ミニストリーのために、そして経済的回復のために祈り始めた時、大きなこと、小さなこと、本当に奇跡の日々が始まりました。どうぞあなたも、何よりも“祈り”を最優先させて、一日の何分かを祈る時間に充てるだけではなく、呼吸のような当たり前の習慣になさってください。声に出すだけでなく、心でも、いつも神様と語るのです。それは、霊の世界と目に見える世界、神様とあなたの“直結”作業です。祈りによって霊の世界が現実になるとき、今まで見えなかった、気づかなかった奇跡が、あなたの生活を彩るようになります。「神様、あなたの奇跡が、私のライフスタイルになりました!」――そう感謝できる日が、あなたにも訪れますように。

When prayer becomes a habit, miracles become your lifestyle.

(by Lilac & Lavender)

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2020年

1月

17日

◆祈りと黙想のちから◆

“祈り”とは、神の答えと、人生の進む方向を見つけることです。

“黙想”とは、“高みにある力”である方からの答えに耳を澄ませ、自分のうちに、答えを受け入れる力を養うことです。

Prayer is seeing answers and direction in life. Meditation is listening for answers from a Higher Power and developing the ability within ourselves to accept the answers.

 

(Princess Rothschild Crowned) 

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2019年

11月

28日

◆”神から目線”の信仰◆

1.《私は神に愛されている》

私たちは、み父の愛を体験するために創られました。私たち一人一人は、この世で追い求める一時的なもの(たとえそれが、最も情熱的な恋愛や、スリルに満ちた冒険であっても)によっては決して満たされることのない、ただ一つの切なる願いを内に持って創造されたのです。

神様、私たちの心を、あなたの愛の深さをもってつくり変えてください!

【解説】 「神の愛を知る」――これが、私という存在が、この世に生まれた唯一の目的であり、意味です。この格言は、「私に対する創造者としての神の愛を知りたい」という私たちの切なる願いを、神様は、あらかじめ私たちの情緒細胞の中に組み込んで、命を与えてくださったという、驚くべき真実を告げてくれます。アウグスティヌスは、著書「告白」の中で、「神よ、あなたが私を創られました。ですから、あなたのもとに憩うまでは、私の心は安きを得ません」と祈りました。また彼は、「「愛に満たされる者は神ご自身に満たされる」とも言っています。私たちは、「神は私をこれほどに愛しておられる」ということを、あのみ子イエス・キリストの十字架のうちに知ったとき、始めて神のみ懐に憩い、魂に深い安らぎを得るのです。

We were made to experience the Father's love. We are each created with a unique longing that can never be filled by the temporal things we chase after in this life—even the most passionate romance or thrilling adventure. God, transform our hearts with the depth of Your love!

 

2.《私は神に喜ばれている》

全ての人間にとって、最も大きな情緒的必要は、たとえ弱さの中にあっても、“自分が神に喜ばれている”という確信です。私たち全ては、“神は私たちの存在に大きな満足を覚え、喜んでおられる”ことを知りたいという願望を内に持って、創られたのです。

【解説】 これは、1.と不可分の格言です。信仰の世界は、“私が神をどう愛し、喜ぶか”について思索する世界です。けれど本当に信仰が深められ、昇華されるのは、“神は私をどう愛し、この存在をどう喜んでおられるか”を知ることなのです。私たちは、理性的欲求を満足させるために知識を蓄えますが、それよりもはるかに大きな欲求は、「私は神に愛され、喜ばれている」ということを、頭ではなく、心で確かめたいという欲求です。信仰の世界は、その真実を、み言葉と祈りの中で、教えられ、感謝し、新たな明日に向かっていく一日一日で成り立っています。

The greatest emotional need for all humans is the assurance that they are enjoyed by God, even in their weakness. We were all created with a longing to know that God delights in us and enjoys us.

 

3.《私は神に赦されている》

神は、あわれみを大いに喜ばれます。神は、“あなたを赦す”という一事に対する喜びに、圧倒されておられます。しばし、この真実に思いを深めてみましょう。あなたが、正直に、心からの悔い改めをもって、神のみ前に出るとき、神様は直ちにこう決められるのです。「私は、我が子を赦す。私は、我が子をこの胸に抱く。私は、この愛をもって我が子を洗い清めよう。」

~スティーヴン・ビューチャンプ~

【解説】 神様が、悔い改めた罪びとの私たちを、これほどの大きな喜びをもって赦されるとは、正直、考えたこともありませんでした。お読みになった皆さんも、きっと砂のでは、と思います。私の目には、あのルカ19章の、大きな手を広げて放蕩息子を抱き抱える父の姿が彷彿してきました。これを知った私たちは、善き業だけではなく、悔い改めることにおいても、神様を大いに喜ばせなければなりませんね。

(Ⅰヨハネ 1:9) 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

God delights in mercy. He gets overwhelmed with delight at the very thought of forgiving you. Let that sink in for a while. When you come to Him in honest, sincere repentance, His reaction is, 'I get to forgive My child. I get to hold him. I get to wash him in My love.'

—Stephen Beauchamp

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2019年

11月

27日

◆今日も神と共に◆

1.《一番感謝なこと》

私の人生のあらゆる状況の中で、

神様はいつも善くしてくださり、

決して私のそばを離れることがないことを感謝します!

I’m grateful because in every situation of my life, God is still so good and He has never left my side!

 

2.《神に全てをお任せする》

神は今日、「静まれ」と言われます。

今起こっていることで、ストレスに陥ることをやめなさい。

自分自身の力で分かろうとするのも、やめなさい。

それはもうあなたのものなのですから、得ようと もがくのもやめなさい。

神は言われます。「それをどうするかは、私に任せなさい」と――。

God is telling you today to be still.

Stop stressing yourself of what is going on.

Stop figuring it out with your own understanding.

Stop fighting for it because it's yours' already.

God is saying, "Leave that to me to handle.

【詩篇46:10】

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(口語訳)

「力を捨てよ、知れ。わたしは神。」(新共同訳)

「やめよ。私が神であることを知れ。」(新改訳)

 

3.《祈りを最前線に》

私たちは、ともすると、「祈り」を“最後の手段”として用いる。

しかし神は、「祈り」を“守りの最前線”にすることを望まれるのだ。

~オズワルド・チェンバーズ~

【解説】 最後の最後まで自分の力に頼ろうとする過ちは、洋の東西を問いません。それは日本のことわざも証明していますね。いわく「苦しい時の神頼み」。一方、戦場では、防衛の最前線には、最強の兵士を置いて、損害を最小に食い止めます。霊の世界も同じです。それは、“闇の主権者”サタンとの闘いですから、熾烈を極めます。しかもこの敵は、武力ではなく、この世の肉の力と悪しき知恵を用いて、“善”を装いながら、狡猾に、しつこく、攻めてきます。私たちは、ただ祈りに祈って、神のみ力を頂かなければなりません。祈りを怠り、己の力に頼って破れたら、再び立ち上がれないほどの傷を負うことになるのです。

We tend to use prayer as a last resort. But God wants it to be our first line of defense. – Oswald Chambers

 

【FBギャラリー】No.105 「秋の屋根橋」

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2019年

11月

12日

◆祈りの小箱◆

《今日を愛することができますように》

愛する主よ、

”将来、もしも…“にピントを合わせることをやめて、

“今日の日を極みまで愛する”ことに

ピントを合わせることを始められるよう、どうぞお助け下さい。

イエスのみ名によって。アーメン。

【解説】”将来、もしも…”は、”思い煩い”指向です。「今は良くても、もし明日こうなったどうしよう…。」そこからは、何の解決も生まれません。今日、生かされていることに感謝しましょう。そして、二度と繰り返しのきかない今日という日に与えられる恵みの一つ一つを、十分に味わってフルに生きましょう。そのことを、一日の初めに祈るのです。この主の言葉を、心に反芻しながら――。

(マタイ 6:34) 「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

(マタイ 6:34) 「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

Dear Lord, help me to stop focusing on the what if’s of the future and to start focusing on loving to the fullest today. In Jesus’ name, Amen

 

《あなたなしに、私は無です》

愛するイエス様。

あなたのご栄光と、あなたの希望で私を満たしてください。

あなたなしでは私は何もできず、

あなたがいれば、私はあなたのご計画の一部となれることを

覚えていられるようお助けください。

アーメン!

【訳者ひと言】 私が教えられたことは2つです。1つは、この汚れた心が、祈りによって、自分の何かではなく、“主の栄光と希望”で満たしていただくことができること。畏れ多いことですが、これは、信じる者には内住のキリストのみ霊がおられるゆえにできることです。2つ目は、「あなたなしでは何もできず」の対句は、普通は「あなたがいれば何でもできる」となるところを、「あなたの計画の一部となれる」と言っていることです。主は、私たち一人一人を通して、ご自身の栄光のために、大いなる救いのご計画を進められます。私たちは、主がどんなときも共にいてくださるので、そのご計画のほんの一部として、貴く用いていただけるのです。そして、私たちはあまりのも早く忘れてしまいますので(とりわけ加齢と共に!)、それを“覚えていられるよう”にもお助けを求める必要があるのですね。

Dear Jesus, please fill me with your glory and your hope. Help me to remember that without you I can do nothing, but with you I can be a part of your plan. Amen!

 

《恵みのみ座に近づかせてください》

愛する主よ、

今日 私は、恐れおののく心をもって、

あなたは聖く、私は汚れていることをしかと知りつつ、

畏敬と謙虚さのうちに、

あなたの恵みのみ座に近づきます。

あなたの栄光のすばらしさのゆえに、

私の打ちひしがれた心を回復させてください。

私の今日も、これからの日々も、

あなたに委ねることができるよう、どうかお助けください。

アーメン。

【解説】 祈りにおいて求められるのは、「神の聖さ」と「己の汚れ(罪)」の深い認識です。そのままでは、到底み前に出ることのできない者が、み子イエス・キリストのとりなしのゆえに、栄光のみ座に近づくことができるのです。

その時に、栄光の主のみ前に徹底してへりくだる者の破れた心を、神様はご自身の栄光のゆえに、癒やしてくださいます。そんな神様だからこそ、私たちは全幅の信頼をもって、私の今日も、明日もお任せできるのですね。

(ルカ 18:13,14) 「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

Dear Lord, with a trembling heart, I approach your throne of grace today in reverence and humility, fully aware that you are holy and I am not. May my brokenness be restored for the beauty of your glory. Please help me to trust you with my today and my tomorrows.

Amen.

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2019年

11月

05日

◆祈り 2題◆

《やすむ前にささげたい祈り》

主よ、私が眠っている間、息を吹きかけてください。

私が癒やされ、祝され、力を与えられて目覚めるように――。

【解説】 就寝前の祈りというのは、今日一日の感謝と、安らかな眠りをお願いするのがオーソドックスですが、いかがですか、このユニークな祈りは? 聖書のモチーフを思い出しましたか? そうです、これは最初の人間、アダムが創られた時をイメージしているのです。

(創世記2:7) 「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」

人間のかたちにはつくられたものの、まだ死んだように眠っていたアダムは、神から“命の息”を吹き込まれて、生きた者となりました。私たちは、夜眠っている間、聖霊(言語のヘブル語では“息”と同じ)のお力を頂いて、翌朝、新しい霊の命に目覚めるのです! 現実には、よく眠れない方も、悪夢にうなされる方もいると思います。だからこそ、単なる安眠ではなくて、眠っている間に聖霊の癒やしと祝福とパワーの充てんを求めるこの祈り、ささげる価値があるとは思いませんか?

Breathe on me while I sleep tonight Lord! That I may wake up healed, blessed, and empowered.

 

《子のために祈る母の有り難さ》

“母”とは、

子どものために祈るのに忙しすぎて、

自分のための祈りを忘れてしまうただ一人の人です。

【解説】クリスチャンのお母様を持つ人は、そのことを考えたことがありましたか? この母のゆえに今の自分があるのだと思われましたか? 今、クリスチャンのお母様である方はどうですか? “確かにそうかも”と思われましたか? うちの教会で、「母の日」によく賛美する讃美歌の一節を思い出します。

♬汝がために祈る母の いつまで世にあらん

永遠(とわ)に悔ゆる日の来ぬまに 疾(と)く神に帰れ

   春は軒の雨 秋は庭の露

   母は涙乾く間もなく 祈ると知らずや

A mother is the only person that forgets to pray for herself because she’s too busy praying for her children.

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2019年

10月

14日

◆神から目線で人生を考える(4了)◆

1.《知識でなく知恵を求めよ》

もしあなたに知識が不足しているなら、学校に行きなさい。

知恵が欠けているなら、ひざまずきなさい!

知識は、知恵とは違います。

知恵とは、知識を適切に用いることなのです。

~ヴァンス・ハヴナー~

【解説】 はい、この金言で一番大切なのは、2行目です。「知恵が欠けているなら、良書をできるだけ多く読みなさい」でもなければ、「その道の良き師に私淑しなさい」でもない。「ひざまずきなさい」! 知恵は、知識の多さを誇る己のおごりを悔い改め、知恵のないことを素直に認め、へりくだって乞い求める者に、上から、神様から与えられるのですね。

(ヤコブ 1:5) 「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」

If you lack knowledge, go to school. If you lack wisdom, get on your knees! Knowledge is not wisdom. Wisdom is the proper use of knowledge.

-Vance Havner-

 

2.《欲しいものをゲットする3つの方法》

ものと付き合って生きる3つのレベル(水準)があります。

(1) それを得るために盗むことができます。

(2) それを得るために働くことができます。

(3) 与えるためにそれを得ようと働くことができます。

~ジョン・パイパー~

【解説】 これはある意味、その人の人間性そのもの(品格)のレベルとも言えますね。一番低いのはもちろん(1)、これは論外。ほとんどの人は(2)で、これが平均レベルと言えますが、パイパーは、キリスト者たるもの、ここにとどまっていてはいけないと言うのです。そこに(3)“他者のために”という高次の目的が加わったとき、私たちの“ものとの付き合い方”は、優れて“神から目線”になります。

There are three levels of how to live with things: (1) you can steal to get; (2) or you can work to get; (3) or you can work to get in order to give.

-John Piper-

 

3.《満ちあふれることの祝福》

なぜ神は、“満ちあふれること”を祝福なさるのでしょうか? そうなれば、私たちが生きていくには十分であり、残りのものは、あらゆる良き働きのために用いることができ、霊的・身体的な苦痛や惨めさを解消できるからです。

”十分”は己(おの)がため、“盈満(えいまん)”は他者のためです。

~ジョン・パイパー~

【解説】再びパイパーですが、これは2.の結論とも言うべきものです。私たちから満ちあふれるものは、物や財だけではありません。私たちの内なる善きもの―み霊の実―(ガラテヤ5:22,23)もまた、満ちあふれて他者を潤すのです。最後の1行、ぜひ心にインプットして、座右の銘になさってください。(満ちあふれるという意味の“盈満”という言葉、大好きで、何十年もの間(!)、使う機会を狙っていました。でも読む方には難しいだろうと思って遠慮していたのですが、パイパーのこの言葉に出会って、”時は今!“と決心しました。そらんじるには、簡潔をもって多とすべしですから。)                                                                                                                                                                                                                               

Why does God bless us with abundance? So we can have enough to live on, and then use the rest for all manner of good works that alleviate spiritual and physical misery. Enough for us; abundance for others.

-John Piper-

 

【FBフォトギャラリー】「秋深し」(6)

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2019年

10月

13日

◆神から目線で人生を考える(3)◆

1.《不平不満はサタンの武器》

不平不満は、“敵”からの告発を表しています。

~マイク・ビックル~

【解説】 原文で定冠詞theの付いた“敵”は、言うまでもなくサタン、闇の世界の主権者である悪魔です。私たちが不平不満を漏らすとき、それはサタンに人間の過ちを告発させていることになるというのです。私たちは、つい赦す代わりに文句を言いそうになりますが、そのたびに、あなたの背後で歯をむき出して責め立てるサタン(!)を思い出して、自分の口に「待った!」をかけましょう。そして「この一言の不平不満で、サタンの手先になるものか」と、心に言い聞かせましょう。そこにサタンに打ち勝つ聖霊が働かれて、あなたの心に冷静(霊性!)と相手の立場に立って考え直す優しさを取り戻させてくれるはずです。

Complaining expresses the accusations of the enemy.-Mike Bickle

 

2.《あらゆる計画から罪を締め出す》

罪が入り込んでくるドアを開くような計画は、

どんなものであれ立ててはいけません。

~ジョン・パイパー~

【解説】 見栄えの良い計画ほど、罪が入り込む可能性も高くなります。その罪とは、自分だけが利益を享受すること、それを実行することによって、誰かに不利益をもたらし、困難な立場に追いやることです。私たちが立てる計画は、そのスケールの大小にかかわらず、ただ神のみ名があがめられ、関わる全ての人が恵みにあずかるものであるべきです。少しでもそうならない可能性のある“罪のドア”を見つけたら、直ちに閉め、計画を練り直さなければなりません。

Don’t make any plans that open the door for sin’s entry.-John Piper

 

3.《聖書が最もあなたを促すもの》

あなたの耳を聖書に当てなさい。

そして、「出ていって、罪ある人々を罪の炎から引き出せ」という神のみ声を聞くのです。

~ウィリアム・ブース~

【解説】 この面白い勧めをしたのは、救世軍の創始者、ブース大将です。聖書はいろいろなスタイルで読むことができます。人生の糧として、あるいは学的興味や研究のために。けれども、どんなスタイルで聖書を読んでも、そこに、罪を持ったまま失われていく魂に対する神の悲しみの叫びを聴かない読み方は、聖書の本当の読み方ではありません。なんとなれば、聖書の本質は、創造者にして愛なる神が、罪によって隔てられた人間を、もう一度ご自身のもとに引き寄せるために書かれた“救いの書”だからです。今日、今から、あなたの霊の耳を、聖書にぴたりと当てながら、耳を澄まして聖書を読み直しましょう。そして神の細い静かなみ声を聴きましょう。かつてあなたを神の愛の深さに涙させたみ声、そしてまだ救われていないあの人にどうしても聴かせたいキリストの十字架のみ声を――。

(イザヤ 43:4) 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

(ルカ23:34)「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

Put your ear down to the bible, and hear Him bid you go & pull sinners out of the fire of sin.

-William Booth-

【FBギャラリー】「秋深し」(5)

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2019年

10月

12日

◆神から目線で人生を考える(2)◆

1.《カイザルのものはカイザルに返すべき理由》

お金には、カイザル(ローマ皇帝)か大統領(首相・有名人)の顔が書かれています。

私たちに、その価値は、せいぜい地上の支配者か、国家の盛衰ほどの、一時的なものでしかないということを思い出させるためです。

だから、カイザルのものはカイザルにお返しなさい。

~トニー・ラインク~

【解説】 なるほど、こういう視点から考えてみたことがありませんでした。この地上にある間は、この地上だけしか続かない為政者の権威に従う証しとして、税を納めるのだと、イエス様はおっしゃり、自ら見本を示されたのですね。これは、地上の権威と、天上の権威の両方に仕えるキリスト者にとって、大切な原則です。そして大切なのは、このあとの言葉、「神のものは神に返しなさい」です。私たちは、小さく、貧しい人々の必要のために用い、あるいは様々なご用にお用いいただくために神様にささげることによって、永遠の天国に宝を積むのです。

(マタイ 22:21)「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」

(マタイ6:20,21) 「自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」

Money carries the face of a Caesar or a president to remind us its value is as temporary as world rulers and the rise and fall of nations. So give back to Caesar what is Caesar’s.

-Tony Reinke-

 

2.《リバイバルが起こらないワケ》

私はリバイバル(信仰復興)が遅れている理由を知っています。

「なぜリバイバルが遅れているのか」について、多くの本や説教で語られているからです。

~ラインハード・ボンク~

【解説】 これは痛烈な皮肉を込めたユーモアですね。物事がうまくいかないとき、原因分析をいろいろやってはみるものの、忍耐と勇気をもって何度でもトライしない限り、事態は改善しません。霊の世界でも同じことです。どんなに正確に霊的沈滞の理由を挙げ連ねても、そこに涙して祈る小さな群れがいなかったら、決してリバイバルは起こらない。あのペンテコステ―最初のリバイバルの出来事を、私たちはいつも心に刻んで、祈り続けなければならないのですね。キーワードは、「祈っていた時に、聖霊が下った」というリバイバルの大原則です。

(使徒 1:14,2:1-4) 「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。…五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、…みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」

I know why revival tarries: because there's so many books and sermons that tell us why!

-Reinhard Bonnke-

 

3.《神から目線のビジョンとは?》

“ビジョン”とは、神のご臨在、ご計画、障害を乗り越えるみ力を見ることのできる能力です。

【解説】 いかがですか、この「ビジョン」の定義は? 私はこれほどすばらしい定義を聞いたことがありません。“究極のビジョン”と言っていい。ビジョンvisionには、身体的な「視覚、視力、視野」という意味の他に、精神的に「透視力、想像力、洞察力、未来像、展望」などの意味にも使いますね。ここに紹介した“ビジョン”は、見えない霊である神様を見ることのできるたまもののことです。たまものですから、自分本来のものではなく、上から与えられたものです。そのたまものをもって、神のご存在を生き生きと目の当たりに感じ、示された神のご計画に自分自身を投入し、当然予想されるさまざまな困難を克服する神様の超自然的なみ力を、すでに得たりと信じて一歩を踏み出すのです。これ、まさしく、“神の国”を先取りして生きる私たちの、“神から目線のビジョン”ではないでしょうか?

Vision is the ability to see God’s presence, plan, & power over obstacles.

【FBギャラリー】 「秋深し」(4)

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2019年

10月

11日

◆神から目線で人生を考える(1)◆

1.《人の賞賛は要注意》

人からの賞賛は受けないようになさい。

そうすれば、彼らの批判によってつぶされずに済みます。

~ラインハード・ボンク~

【解説】 はい、賞賛の裏には批判がある。賞賛を受けようと思ったら、批判も覚悟せよということですね。ただし、人の評価に一喜一憂する生き方は、かなり非生産的で、精神衛生上も健康的とは言えません。「人を相手にせず、天を相手にせよ」と言ったのは西郷隆盛ですが、彼の言う“天”は、全世界を、そして人の心をもご支配なさる神様です。ただ神様に喜ばれる生き方をしたいと心から思います。

Don’t accept the applause of men, and you won’t be destroyed by their criticism. -Reinhard Bonnke-

 

2.《置かれたところは神の指定席》

あなたを今いるところに置かれた神の理由が何であれ、それを軽蔑したり嫌悪したりしてはなりません。

それを神様からの“贈り物”として、喜んで受け、そこでなすべきことに取り組みなさい。

~スティーヴン・ミラー~

【解説】 現代人は忍耐力が減退していると言われます。それは職業や仕事にしろ、結婚相手にしろ、教会にしろ、選択肢が増えたことの裏返しでもあるわけですが、一度アプローチして、自分の意に添わなければ、すぐに諦め、やめてしまうのです。もっとも欧米流は、自分の能力を最大の武器に、自分を強力に売り込んで職場を変え、上に登っていくのが成功者とされるのですが、そこから生み出されるのは、他を蹴落としても生き延び、出世しようとする能力・実績至上主義と、一方では、激しい競争社会のもたらす闘いに疲れ、心を病んでいく人々の増大です。その中で、人は自分自身を見失い、むなしさと孤独の中で、愛も喜びも生きる意味も知らないまま生きていくのです。

 私たちは、イエス・キリストの招きによって、そんな明日のない人生から救い出された者です。そして、そのような人々に寄り添って、信仰と希望と愛のある人生に導く務めを授かった者です。だとすれば、今あなたがいるところには、またそこでの人との出会いには、神様のご計画があるのです。あなたの意に沿うかどうかではなく、“ここは神からの特別指定席だ”と捉え直して、ここでなければできないことをやってみてはいかがですか?

Whatever the reason God has you where you are right now, do not despise it. Embrace it as a gift from Him.--Stephen Miller-

 

3.《人生の損失は永遠の尺度で計る》

キリストに在る者にとっては、この世のつかの間の人生で遭遇した一つ一つの危機や損失は、“永遠”が全て埋め合わせてくれます。天国に関する聖書の教理が、それを証明しているのです。

~トニー・ラインク~

【解説】 あなたの人生にも、ここまで生きてきた中で、つらかったこと、悲しかったこと、失ったものがきっとあるはずです。思い返すだけで、涙が出る出来事も…。私にも、人生の晩年に、大きな損失を続けて体験しました。でも、このやがて矢のように過ぎ去る人生のかなたには、愛する者と再会し、主と共にある永遠の世界が待っている。“永遠”は、地上の損失を全て埋め合わせて余りある世界です。キリストに在る者には、この宝が約束されているのです。ああ主よ、感謝します。

(Ⅰペテロ5:10) 「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」

For those in Christ, eternity will make up for every other pinch and loss that you ever suffered in this momentary life. The biblical doctrine of heaven proves it. -Tony Reinke-

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2019年

10月

10日

◆神を想う(3)◆

1.《抵抗による神への愛の表し方》

私たちは、神のみ心に反する感情に抵抗することによって、

神への愛を表します。

~ミスティー・エドワーズ~

【解説】 タイトルだけを読むと、「え?」と思うでしょう? 「イヤだイヤだも好きのうち」のあれ?と――。さにあらず、これは言うなれば、“悪を制して善を立てる”という、一見間接的でさほど直接的効果はないやり方のように見えますが、実は大切な神様への忠節の証しなのです。神のみ心に反する感情とは、ひと言で言えばガラテヤ5:19-21にある“肉の思い”です。「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、酩酊、遊興。」―これらの思いがよぎった時に、あるいは時として激しく心を揺さぶるときに、きっぱり「ノー!」と言い、「主よ、これはあなたを悲しませる罪です。この思いに打ち勝たせてください。イエス様の十字架に釘づけにしてください。」と祈るとき、神様の耳には、「神様、私はあなたを愛します」と聞こえているのです。

We express our love to God by resisting emotions contrary to His will. - Misty Edwards,

 

2.《神との交わりには代価が伴う》

“関わり”には代価が伴います。

神と共にあることが、どれほどの代価を払わなければならないとしても、

神があなたと共にあるために払われた値の大きさには、比ぶべくもないのです。

~ティム(ティモシー)・ケラー~

【解説】この値は、もちろん金銭だけとは限りません。神を第一にするために負わなければならない時間や労力も含みます。言葉を変えれば、この“代価”は“犠牲”です。そう言いかえたときに、あなたの心に思い浮かぶものは何ですか? 天地万物の創造者であられる神様が、どんなときもあなたと共にいたいと望まれ、それを阻む罪の障壁を取り除くために、十字架の上でお捨てくださったみ子イエス・キリストの命――。これが神様があなたのために支払われた代価―犠牲です。そのかたじけなさの前に、私たちはどんな犠牲を払うことができるのでしょうか? このお方と共にあるためには、この生涯を、この身の全てをささげても、到底足らないのではありませんか?

Relationships are costly. Whatever it will cost you to be with God is nothing compared to what it cost Him to be with you. -Tim Keller-

 

3.《神の愛は、人の痛みよりも強し》

神の愛は、私が感じる痛みよりも深く流れきます。

神の愛は、人の抑うつ(落ち込み)や恐れよりも強いのです。

~ローラ・ハケット・パーク「私は神の愛を感じる」より~

His love goes deeper than the pain that I feel. His love is stronger than depression or fear,

-Laura Hackett Park-“I feel His love”

 

4.《“癒やし主”―それは神の名》

”癒やし”は神のなさること。

そして神は、ご自身を現すために、癒やすことが何よりお好きなのです。

神は、私たちを癒やされる主です。

(出エジプト 15:26)「わたしは主、あなたをいやす者である。」

~ステュアート・グリーヴズ~

【解説】 「神様が癒やされた!」という体験をお持ちの方は、数えきれないと思います。ここにコメントいただいたら、命に関わる大病から小さな傷に至るまで、軽く何百となることでしょう。かく言う私は、昨日の朝、鼻水が止まらなくなり、「しまった! 風邪だ。昨夜まで何の兆候もなかったのに…」と落ち込みました。私事ですが、詐欺被害で生じた借金返済で要らざる出費を防ぐために、私の身には、向こう5年間、一切の病気が起こってほしくないのです! それが、午後になったらウソのように鼻水が止まり、スケジュールどおりのミニストリーができました。ひとえに癒やし主のあわれみのゆえです。

“癒やし”は神様の本来のみ心です。私たちが“全きもの”になるのが主のお望みですから、それは神様にとっては当然のことです。私たちはそのことをまず信じましょう。しかし現実には、癒やされない病もあります。それは、私たちには分からずとも、神様に癒やし以上のご計画があるときです。そのことをも、信じてまいりましょう。癒やされたら感謝、癒やされなくても感謝、全てを、最善をなさる神のみ手に委ねて生きることですね。

Healing is what God does, and what He loves to do, as an expression of Himself.

He is the Lord who heals us. (Ex. 15:26)

-Stuart Greaves-

 

【FBギャラリー】 「秋深し」(2)

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2019年

10月

09日

◆神のみわざへの感謝の祈り◆

父よ、あなたのみ言葉により、私はキリスト・イエスを通して、神の義とされました。

聖霊をお送りくださり、このお方によって私が、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制というみ霊の実(ガラテヤ5:22,23)を結ぶのを助けてくださり、感謝します。アーメン。

 

(Ⅱコリント 5:21) 「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」

Father, according to your Word I have been made the righteousness of God through Christ Jesus. Thank you for sending the Holy Spirit who helps me bring forth good fruit: love, joy, peace, patience, kindness, goodness, faithfulness, gentleness and self-control. Amen.

📖 2 Corinthians 5:21;

📖 Galatians 5:22

(シェア マデレン・ワー)

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2019年

10月

09日

◆神を想う(2)◆

1.《弱き者が強くなる時》

もし神のみ霊と神のみ言葉に“はい”というなら、

最も弱い人が、霊において強く、力あるものとなるのです。

~マイク・ビックル~

【解説】 「はい」ということは、①肯定し、②受け入れ、③従うということです。聖霊の内住と聖書の権威に対して、あなたは心から「はい」と言えますか? そのときに、あなたの弱さは、霊において不動の強さに変えられるのです。

(Ⅱコリント 4:16) 「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」

The weakest will be strong and mighty in the spirit if they say yes to God's Spirit and His Word.

—Mike Bickle

 

2.《聖霊: あらゆる問題に応える方》

神は、私たち一人一人が今、何と向き合っているか、ご存じです。

私たちのプレッシャー(重圧)もご存じです。

私たちの葛藤と闘いもご存じです。

そして、それら一つ一つ、全てのために、備えてくださいました。

その備えとは、“聖霊”というご人格の神ご自身です。私たちが問題にふさわしく対応できるように、このお方が内に住まわれ、力を与えてくださるのです。

~ケイ・アーサー~

God knows what each one of us is dealing with. He knows our pressures. He knows our conflicts. And He has made a provision for each and every one of them. That provision is Himself in the person of the Holy Spirit, indwelling us & empowering us to respond rightly.

-Kay Arthur-

 

3.《神の軽視は罪の軽視》

神を軽視することは、罪の軽視をもたらします。

私たちの心の視界に、神のみ姿が大きく映し出され、賛美されますように。

~ステュアート・グリーヴズ~

A low view of God produces a low view of sin. May God be ever magnified in our sight.-Stuart Greaves

 

4.《神をより愛するための祈り》

神様。あなたを愛することをとどめる全てのものから、私は自由でいたいのです。

~ミスティー・エドワーズ~

God, I want to be free of everything that keeps me from loving you.-Misty Edwards-

 

【FBギャラリー】No.93 ネイサン・グリーン「聖書を読むリンカーン」

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2019年

10月

08日

◆イエス・キリストを瞑想する(2)◆

1.《神を信じたければイエスを見よ》

イエスを知るまでは、神はある概念にすぎず、私たちは神を信ずることはできません。

しかし、ひとたびイエスが、「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と言われるのを聞いたら、私たちは直ちに、“これは本物だ”と思えるものに触れ、私たちの信仰は、無限のものとなるのです。

~オズワルド・チェンバーズ~

Until we know Jesus, God is merely a concept, and we can’t have faith in Him. But once we hear Jesus say, “He who has seen Me has seen the Father”(John 14:9) we immediately have something that is real, and our faith is limitless.

-Oswald Chambers-

 

2.《キリストの十字架 ①つまずくほどの力》

もし私の語る”十字架”が、普通の人々につまずきとならないなら、

私の伝え方が誤っているのだ。

~マーティン・ロイドジョーンズ~

【解説】 あなたが語る十字架で、人はつまずくのが当たり前なのです。もしつまずかないとしたら、その人が全く分かっていないか、あなたの伝え方が、相手をつまずかせまいとして手を抜いているか、あるいは聖書の使信を曲げているかのどちらかです。それは、「キリストの十字架は、あなたの“罪”の身代わりだった」という事実を、まっすぐに語らなかったということです。これは日曜の講壇にも言えることです。“十字架はあなたの罪のためです”というメッセージがストレートに語られないところに、救われる魂は起きません。人は、つまずかせなければ、罪の泥沼から引き起こしてあげることはできないのです。

If my preaching of this cross is not an offense to the natural man, I am misrepresenting it. —Martin Lloyd-Jones

 

3.《キリストの十字架 ②心地よき重荷》

キリストの十字架は、私が負ったことのある最も心地よい重荷です。それは、私を我が安息の港に運んでくれる、鳥にとっての羽、船にとっての帆のような、いとも甘美なる重荷なのです。

(マタイ 11:30) 「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

~サミュエル・ラザフォード~

The cross of Christ is the sweetest burden I ever bore: It is such a burden as wings are to a bird, or sails to a ship, to carry me forward to my harbor.

"For My yoke is easy and My burden is light” (Mt. 11:30).

-Samuel Rutherford-

 

4.《イエス、期待と想像を超えた方》

イエスは、いつでも私たちの期待を超えます。

彼は私たちが求めることのできる以上のお方、

あるいは、その時その時に想像する以上のお方なのです。

~ティム(ティモシー)・ケラー~

【解説】 このティム・ケラーの言葉を、あなたは日々の生活の中で、実感していますか? 「ほんとにそう!」と言えますか? もし言えたら、あなたのイエス様はホンモノです。あなたの信仰もホンモノです! そしてそこから生まれてくるのは、「♬ハレルヤ! 主を褒めよ!」の賛美しかありません。

Jesus will always exceed our expectations. He will be more than what we can ask for or even imagine every time.-Tim Keller

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2019年

10月

07日

◆祈ることを教えてください(ルカ11:1)◆

1.《祈り: 魂の最大の仕事》

祈りは、いかなる疑いをも差し挟む余地なく、

人間の魂の最高最大の行動である。

【解説】 人間の魂(心)は、もちろん目には見えませんが、ありとあらゆる精神的な働きをしています。その中で、神様と関わる働きが“祈り”です。祈りは、私たち人間と神様を結ぶ、唯一の絆なのです。その意味で、祈りは人間の精神活動の中で最高最大の行動と言えるのですが、現実に、この私の魂の中で、最高最大のものになっているか、深く探られるところです。祈りが本当に最高最大の行動になっていないとき、私たちは“霊的貧困”に陥ります。そして神様の約束された、あらゆるみ霊の実を結ぶ祝福を逃しているのです(ガラテヤ5:22、23)。

Prayer is beyond any question the highest activity of the human soul.

 

2.《安寧は祈りの最大の敵》

人生がスムーズにいき、

私たちの心の中で本当に大切なものが安全なとき、

私たちに“祈り”は生まれない。

【解説】 この世的に言えば、まさしく“苦しい時の神頼み”、聖書的に言えば“旧約の民”状態です。安寧なときに感謝を忘れると、私たちは“霊的傲慢”に陥ります。”安寧は祈りの最大の敵”と覚えて、聖書の“祈り”の教えを心に刻み、実践しましょう。それは、“〇〇のときは”ではなく、“絶えず”です!

(Ⅰテサロニケ 5:16-18) 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」

When life is going smoothly, and our truest heart treasures seem safe, it does not occur to us to pray.

3.《祈り: 主よ、恵みを数えさせてください》

人生のどんな良き時にも、

主よ、あなたを想い起こせるよう、

そしてあなたが何をしてくださったかを忘れぬようお助けください。

どんなときも祈れるよう、お力をください。

~ティモシー・ケラー~

(詩篇 103:2) 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

In every season of the soul, help us to remember You, Lord, and remember what You have done. Help us to always pray. -Timothy Keller

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2019年

10月

06日

◆喜び◆

1.《“喜び”は選択》

喜びは、なにげなく私たちに起こるものではありません。

私たちは喜びを“選び取り”、毎日、選び続けなければならないのです。

~ヘンリ・ナウエン~

Joy does not simply happen to us. We have to choose joy and keep choosing it every day.

—Henry Nouwen

 

2.《喜びは罪の対極にある》

福音を通して与えられるまことの喜びは、罪が生む毒の果実から、あなたを守ってくれます。

~マーシャル・シーガル~

Real joy in Jesus, through the gospel, will free you from the poisonous fruit of sin.

-Marshall Segal-

 

3.《喜びは愛に燃える心から》

喜びにあふれた心は、

愛に燃える心が生み出さずにはおかないものです。

~マザー・テレサ~

A joyful heart is the inevitable result of a heart burning with love.

-Mother Teresa-

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2019年

10月

04日

◆イエス・キリストを瞑想する◆

1.《キリストが来られた目的》

イエスは、“悪人”に良いことをさせるために来られたのではない。

彼は、“死人”を生かすために来られたのだ。

~レナード・レイヴンヒル~

Jesus didn’t come to make bad men do good things. He came to make dead men live.

-Leonard Ravenhill-

 

2.《キリストが人となられた目的》

神のみ子は、人間の子らが神の子となるために、人となられたのだ。

~マーティン・ロイドジョーンズ~

The Son of God became man that the children of men might become children of God. 

—Martyn Lloyd-Jones

 

3.《“人の子”の意味するもの》

“人の子”という称号は、イエスが完全に神であり、完全に人間であること、すなわち“神人(しんじん)”であることを際立たせている。イエスはこう言っているのだ。「私は神です。しかも私はあなた方の一人なのです」と――。

The Son of Man title emphasizes that Jesus is fully God and fully human, the God-man. Jesus is saying, “I am a God, yet I am also one of you.”

 

4.《神の国の始まり》

イエスはまず“心”を征服され、ついで“国家”を征服された。

“神の国”は、内側から始まるのだ。

~ミスティー・エドワーズ~

(ルカ 17:21)「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

The first thing Jesus conquers is the heart, then the nations. The kingdom of heaven starts on the inside.—Misty Edwards

 

【FBギャラリー】No.91 モーガン・ウェイストリング「クリスマス—神のみ顔に口づけを」

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2019年

10月

03日

◆恵みに生かされる◆

《ああ 恵み!》

人生の意味。

無駄に過ごしてしまった歳月。

貧しくも悪しき人生の選択。

この人生の失態に、神は1つの言葉で答えられます。

――“恵み”と。

~マックス・ルケード~

【解説】 ご自分の人生を振り返って、それが余人の想像もできないような苦しみと悲しみと後悔に満ちたものであればあるほど、このルケードの言葉は心に染みるのではないでしょうか? “恵み”―それは、受けるに値しない者、功(いさお)の一つだにない者への分不相応の主の愛顧です。それはまた、そのような苦難と失敗続きの人生を、神様が丸ごと肯定し、受け止めてくださることです。主に在っては、無駄なことは一つもなかった。主の目には、間違った選択などもなかった。主が全てを相働かせてくださり、あなたは今日まで生かされてきました。そしてこの身が地上を離れ、天がけるその日まで、主の恵みは変わることがないのです。♬ああ恵み。計り知れぬ恵み。ああ恵み。我にさえ及べり。♬(旧聖歌593)―今、私と一緒に心から賛美しませんか?

(Ⅱコリント 12:9) 「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」

The meaning of life. The wasted years of life. The poor choices of life. God answers the mess of life with one word: 'grace.'

—Max Lucado

 

《恵みはチカラ》

”恵み”とは、“受けるに値しない者への愛顧”だけではありません。

恵みはまた“力”です。

恵みは、私たちが神を喜ばせる生き方ができるように与えられた、

“神の力”なのです。

~ヒース・ランバート~

【解説】これは、「恵み」に関する新しい気づきを与えてくれますね。「神の力」、それは、神ご自身の力であるだけでなく、神様から恵みによって私たちに与えられた“天与の力”、そして私たちが神様に“おささげする力”です。恵みは値なき者に、値なしに与えられるものですが、それだけに、受ける一方ではダメなのです。私たちがなすべきことは、その恵みを感謝し、どんな状況の中でも、進んで“神を喜ばせる生き方”をすることです。その力をも、神様は恵みとして与えてくださるのです。

Grace is not merely “unmerited favor”; Grace is also power. Grace is divine strength given to us so we can live in ways that please God.

-Heath Lambert-

 

【FBギャラリー】No.90 「夜のカップル」

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2019年

10月

02日

◆結婚についての先達の教え◆

1.《良き結婚は つくるもの》

良き結婚は、あなたが“見つける”ものではありません。

それは、あなたが“つくる”ものです。

【解説】 たまたま見つけた結婚は、見飽きたら簡単に捨てますね。でももしつくらねばならないとしたら、それは死が二人を分かつまで、生涯をかけての作業になります。完成はしないかもしれない。でもその過程の悲喜こもごもの共通の思い出が、二人の美しい財産になるのですね。

A good marriage isn't something you find; it's something you make.

 

2.《神様の結婚の意図は?》

もし神様が、結婚を、私たちが“幸せ”になるためでなく、

”聖い”ものとなるために定められたとしたら、どうでしょうか?

~ゲアリー・トマス~

【解説】 この仮定形は、既定形の裏返し、つまり、「この事実をあなたはどう考えますか?」ということです。その事実とは、次のみ言葉です。

(エペソ 5:22-32) 「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。 私たちはキリストのからだの部分だからです。 『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。』この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」

 結婚は、花婿なるキリストと、花嫁なる教会の“型”です。キリストは、教会を“聖なるもの”とするために、愛しておられるのです。私たちは、この“結婚の制定”の聖書個所を、ともすると結婚式の時に聞いて、あとは日々の忙しさに紛れてそれきり…となりがちですが、少なくとも結婚記念日などには、この結婚に召してくださった主のみ前に、二人で読み返したらいかがでしょう。そして静かに結婚生活を振り返り、感謝と聖なる誓いを新たにすべきではないでしょうか?

What if God designed marriage to make us holy instead of happy?

-Gary Thomas-

 

3.《まずイエスの良き花嫁たれ》

男たちよ、あなたは、まず始めにイエスの良き花嫁でなければ、

決して妻に対する良き花婿にはなれません。

(エペソ5:25) 「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」

~ティム・ケラー~

【解説】 これは、2.の聖書個所の、特に25節を取り上げて、結婚生活の良きイニシアティヴをとるべき夫の心構えを教えたものですが、これは言わずもがな、結婚する女性も、「妻たちよ、~決して夫に対する良き花嫁にはなれません」と読まなければいけませんね。

Men, you’ll never be a good groom to your wife unless you’re first a good bride to Jesus.

"Husbands, love your wives, just as Christ also loved the church and gave Himself for her" (Eph. 5:25).-Tim Keller

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2019年

10月

01日

◆家族: 聖書の教会観◆

キリストは、まるで本当の“家族”のように、調和の内に愛し合う教会を創ることができるし、お創りになると私は信じます。

~フランシス・チャン~

I believe Jesus can and will create a church that looks like true family, loving in unity.

-Francis Chan-

 

クリスチャンがどこにいようと、彼らは自分の“家族”だという態度を、私はとっているだろうか?

~ジョン・パイパー~

Do we have an attitude that wherever Christians are they are family to us? – John Piper

 

“父”は、神の最も個人的な呼び名です。なぜなら、“家族”が、神の究極のゴールだからです。

~アイザック・ベネット~

‘Father’ is God’s most personal title, because family is His highest goal. —Isaac Bennett

 

(エペソ 1:23) 「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」

(エペソ 2:19-22) 「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」

【解説】 これが聖書の掲げる教会観であり、それに基づいて、「神の家族」という名前を冠している教会もあります。そしてジョン・パイパーが言っているように、この家族は地上のある場所に建てられた教会に限定されません。私もまた、このFB上で“神の家族”を打ち立てるというビジョンを示され、時と労力をささげて誠にささやかな試みを続けています。この教会観は、ある意味“理想”像ですが、現実には、様々な問題があります。人間関係の破れもあります。しかしそれは、人間の罪がなせることであって、私たちはその痛みをも共に負いながら、この聖書の理想のもとにいつも立ち返り、やがて神様が完成してくださる日まで、その実現を目指して努力しなければなりません。それが、ご自身のみ体なる教会の主、イエス・キリストのみ心だからです。

 

【FBギャラリー】No.89 アンドルー・ルーミス「戦時下の教会」

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2019年

9月

26日

◆ある祈り: 主よ、教えてください◆

神様、忍耐することを教えてください。

ゆっくり進むことを教えてください。

自分の道が分からないとき、どのようにあなたを待つかを教えてください。

物事が正しく運ばないとき、おおらかに堪え忍ぶことを教えてください。

そうすれば、人々が怒り出すとき、冷静でいることができます。

私の はやり高ぶる心を鎮める道を教えてください。

そうすれば、あなたが与えようとしておられる答えを聞くことができます。

愛する神様、握ったものを手放し、

私の心が内なる平安で満たされ、私があなたのみ心を学ぶまで、

妨げられることなく祈ることを教えてください。

~ヘレン・スタイナー・ライス~

(シェア マデレン・ワー)

【解説】 美しい、心に残る祈りですね。私たちも、一日に一度は、み前に静まり、全てを明け渡して、この祈りをささげる必要があるのではありませんか?

God, teach me to be patient, teach me to go slow, Teach me how to wait on You when my way I do not know. Teach me sweet forbearance when things do not go right. So I remain unruffled when others grow uptight. Teach me how to quiet my racing, rising heart. So I might hear the answer You are trying to impart. Teach me to let go, dear God, and pray undisturbed until My heart is filled with inner peace and I learn to know your will.

🌸Helen Steiner Rice🌸

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2019年

9月

23日

◆3人の先達から学ぶ宣教(証し)の真髄◆

1.《宣教はキリストの心で》

キリストの魂は、“宣教魂”です。

彼に近づけば近づくほど、

私たちはより激しく宣教熱心になります。

~ヘンリー・マーティン~

(マルコ16:15) 「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」

【解説】 彼の言葉は、私たちに託された宣教・証しの“原点”を教えてくれます。宣教・証しは、自分の思い、自分の力でやるのではありません。それがどれほど“気分的”なもので、状況に支配されやすく、長続きしないものであるかは、自分自身が一番よく分かっていますよね? そうではない。私たちは、魂のことを考えるときは、いつも“キリストの魂”に帰らなければならないのです。失われゆく魂を深くあわれみ、そのために涙された主のみ心に――。その意味で、私たちが一人の魂に寄り添っていく近さは、キリストの魂に近づいていく深さに比例していかなければならないのですね。

(マルコ 6:34) 「イエスは、…彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。」

(マタイ23:37) 「ああ、エルサレム、エルサレム。…わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。」

The spirit of Christ is the spirit of missions. The nearer we get to Him, the more itensely missional We become.

-Henry Martyn-

 

2.《置かれた場所は魂の勝ち取りの場》

この世界は収穫の畑であり、畑は世界である。

そして今からのち、あの国は、

私がキリストのために魂を勝ち取るのに

最もよく用いられる我が家となるのだ。

~ニコラウス・ルードヴィヒ・フォン・ツィンツェンドルフ伯爵~(写真左)

(マタイ 28:19) 「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」

(ヨハネ 4:35) 「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」

【解説】 このように言い放ったのは、18世紀ドイツの、宣教団体「モラヴィア兄弟団」の創設者です。裕福な貴族だった彼は、イエス・キリストの磔刑画に書いてあった「我これを全て汝のためになせり。汝我がために何をなせしや」の言葉に文字どおり釘づけにされて献身し、私財を全て投げ打って兄弟団を創設し、ドイツのリバイバル(信仰復興)に導きました(旧讃美歌332「主は命を」2節「♪かくも我がために栄えを捨つ 我は主のために何を捨てし」のモチーフ)。“宣教魂、ここに極まれり”とも言うべき熱い気概がひしひしと伝わってきますが、私たちの誰もが宣教師になれるわけではありません。ツィンツェンドルフやマザー・テレサのように、大きな救済の働きができるわけでもありません。でも忘れてならないのは、私たちの“収穫の畑”は、今、主に置かれた場だということです。そこを私の“世界”、神の家族を生み出す“我が家”として、一人の魂の救いのために労すること――そうです、私が、あなたが、小さな小さなツィンツェンドルフやマザー・テレサになることを、主は望んでおられるのです。

The world is the field and the field is the world; and henceforth that country shall be my home where I can be most used in winning souls for Christ.

-Count Nicolaus Ludwig Von Zinzendorf-

"Go therefore and make disciples of all the nations" (Mt. 28:19).

 

3.《宣教・証しはただ神と共に》

私が中国に着いたら、必要な人材や環境などにつぃて一切要求はしない。私の要求は、“ただ一人、神にある”ことだけだ。

~ハドソン・テイラー~(写真左)

【解説】 こちらは、あのチャイナ・インランド・ミッション(現OMFインターナショナル)の創設者の言葉です。これもまた心を探られる言葉ですね。彼は広大な中国内地に宣教師として踏み入れることになった時、どれほど心細かったことでしょう。仲間や資金、建物など、物的支援がどんなに必要だったことでしょう。でも彼は、ただ神だけを頼りに、自力で宣教地を開拓することを求めたのです。心に刻まれたイエスの山上の教えを、今まさに実践しようという彼の決意が伝わってくる思いです。どんな困難な状況でも、ただ神を見上げ、神を第一にするとき、必要は全て備えられます。これは、実践して初めて分かる神の真理なのです。

(マタイ 6:33,34) 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

When I get to China, I will have no claim on anyone for anything. My claim will be alone in God. 

-Hudson Taylor-stolen

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2019年

8月

28日

◆この世に召されて生きるとき◆

《世とキリストの要求を峻別する》

この世は言います。「自分自身を愛し、欲しいものが何であれ、手に入れられるだけ自分のものにし、自分の欲求に従え」と。

キリストは言います。「自分自身を捨て、十字架を負い、私に従いなさい」と。

~フランシス・チャン~

(マタイ 16:24) 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」

The world says, 'love yourself, grab all you can and follow your desires–whatever you want.

Jesus says, 'deny yourself, grab a cross, and follow me. –Francis Chan

 

《“多忙症”に陥るなかれ》

私たちは、あまりに多忙なので、しばしば精神的に、霊的に、“不毛”になる。

~フランクリン・グラハム~

【解説】 “不毛”と訳したbarrenバレンは、子を産む力を失った“不妊”、実を結ぶ力を失った“心の荒れ地”をも意味します。現代に生きる私たち一人一人に対する神様からの警鐘ですね。

We often become mentally and spiritually barren because we’re so busy.

-Franklin Graham-

 

《召しの背後には磐石の備えが》

神様がある働きに召されるとき、

その召しの背後には、

創造者なる神の全ての力と権威が備わっている。

~ジーン・ガーガナス~

【解説】だから、自分の弱さや力のなさを恐れ、成すべき責任の重さに震える必要はないのです。「我に創造者の備えあり。」 召されたお方の“アドナイ・イルエ“を信じましょう。

(創世記 22:14,15) 「そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、『主の山の上には備えがある』と言い伝えられている。」

(Ⅰテサロニケ 5:24) 「あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。」

When God calls to a ministry, all of the power and authority of God the Creator stands behind that call.-Gene Gurganus

 

【FBギャラリー】No.76 ボクの釣り仲間

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2019年

8月

03日

◆心に銘じて今日を生きる3か条◆

①《永遠の愛、永遠のみ腕》

永遠の愛で、私は愛されています。

私の下には、永遠のみ腕があります。

~エリザベス・エリオット~

【解説】 これが、明日からのあなたの朝一番のアイデンティティーチェック、自己宣言です。

(申命記33:27)「昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。。

“You are loved with an everlasting love. And underneath are the everlasting arms.”—Elisabeth Elliot

 

②《初めを間違えたら、その日はアウト!》

朝にまず考えることが「神」、力を注ぐことが「神のため」でなかったら、

その日は最後まで、「神」は“しんがり”のままだろう。

~E.M.バウンズ~

【解説】そのためには、やはり、どんなに忙しくても、朝のデヴォーション(静思の時)を確保する子tでしょうね。「ノーバイブル、ノーブレックファースト(聖書なくして朝食なし」です。

If God is not first in our thoughts and efforts in the morning, He will be in the last place the remainder of the day.-E.M. Bounds

 

③《謙遜こそ恵みのもと》

神様は、謙遜な人のために戦われます。

神様は、心のへりくだった人の上に、

ご自身の恵みを降り注がれるのです。

God fights for the humble. He pours out His grace upon the humble.

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2019年

6月

30日

◆自分の信仰をチェックする3つの言葉◆

1. 《罪<赦し》
罪を糾弾する声は大きい。
だが赦しを宣言する声はもっと大きい。
(Ⅰヨハネ 1:9) 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」
(ローマ5:20) 「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」
The voice of sin is loud, but the voice of forgiveness is louder.
"If we confess our sins, He is faithful and just to forgive us our sins and to cleanse us from all unrighteousness" (1 Jn. 1:9).

2. 《善き業に大小ナシ》
主のために大いなることをしようと意気込む者は多いが、
小さなことを進んでしようとする者は、ほとんどいない。
~D.L. ムーディー~
There are many of us that are willing to do great things for the Lord, but few of us are willing to do little things.” —D. L. Moody

3. 《信仰と疑問》
信仰は、疑問を取り除くことはない。
けれど信仰は、それをどこに携えればいいかを知っている。
~エリザベス・エリオット~
(エレミヤ 33:3) 「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」
Faith does not eliminate questions. But faith knows where to take them. —Elisabeth Elliot

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2019年

6月

28日

◆祈りと感謝で一日を終えるための3つのカギ◆

1.《祈り: 武器、薬、贈り物》

祈り、それは――

試練に対する最も力ある武器。

病に対する最も効力ある薬。

あなたの愛する人への最も価値ある贈り物です。

【解説】 “祈り”は目に見えないものです。でも確かにすごい力を持っています。ここで、3つのうち最初の2つは、あなた自身がその「祈りのチカラ」を実感できます。けれども最後3つ目は、愛する人への贈り物なのに、残念ながら、あなたはもちろん、相手の人にも見えません。でもやはり、それは見えるもの以上に力のある愛の贈り物なのです。ひと言、心を込めて、「祈っています」と伝え、それを実行なさってください。その人が、健やかなときも試みのときも、いつも神様と共に歩んでいる姿を見られたら、それはあなたの祈りの贈り物が、神様を通して確かに届けられた印、そしてその人が、その贈り物を心から喜び、感謝している何よりの証しなのですから――。

PRAYER The most powerful weapon against trials.

The most effective medicine against sickness.

and the most valuable gift to someone you love.

 

2.《共なる神の足あとを振り返る》

私は自分が旅した人生路を振り返る。

そして知るのだ――

私がここまで来られた唯一の理由(わけ)

私が今ここに立つことのできる唯一の理由(わけ)は、

ここまでの道の一歩一歩を

神が私と共に歩んでくれたからなのだと――。

【解説】 これ、まさにもう一つの「あしあと」(マーガレット・パワーズの詩)ですね。そして私は、♬旧聖歌590「救い主イエスと」のメロディーが思わず口をついて出ました。①救い主イエスと共にゆく身は~ ②坂道に強きみ手を差し伸べ~ そして3節 いかに満ち満てる 恵みなるかや 約束しませる 家に帰らば わが魂(たま)は歌わん 力の限り 「君に守られて今日まで来(き)ぬ」と 「君に守られて今日まで来(き)ぬ」と。これは亡き妻や妻の母と三人、毎週の家庭集会で歌い、母の覚えた愛唱歌でした。私の主、あなたの主イエスは、み国に帰りゆくまで、日々、一歩一歩、共に歩んでくださるのですね。

I look back on the road I have traveled and I know that the only reason I was able to make it this far, the only reason I am still here today, is the fact that God was walking the road with me every step of the way.

 

3.《今宵の祈り-この日の終わりに》

天の父なる神様、今日の日も終わりに近づき、休む備えもできました。

でもその前に、今日のあなたの誠実さに、感謝しなければなりません。

私が計画したとおりに事が運ばなくても、

世の中が混とんとしているように見えても、

今日という日は“善き日”なのです。

あなたがコントロールなさっているのですから。

今日、あなたのみ助けに気づいていた、その時々のゆえに、

あなたの目に見えないご臨在がとても近くに感じられた、

その時々のゆえに、神様、感謝します。

でもまた、私の気づかない背後で、

あなたがお働きくださった事どものゆえに、

天より送られたみ使いが、私の全く知らない方法で、

私の代わりに動いてくれたその瞬間瞬間のゆえにも、主よ、感謝します。

今日、私の側でやってしまった愚かな行動や、

まずあなたの祝福や知恵を求めずにやってしまった事どものゆえに、

どうぞお赦しください。

神様、今宵、一夜の良き眠りをお与えください。

それにより、私は身も心も新たに目覚め、

あなたへの愛ある一日を始める備えができます。

全く受けるに値しない者に、数えきれないほどの恵みをお与えくださり、改めて感謝いたします。

あなたの見守りとご臨在が、

この場所を平安と敵からの守りの中に沈め浸してくださいますように。

主よ、おやすみなさい。 イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

【解説】 どうぞ、お休みの前に、あなたの祈りとして、声に出して祈ってみてください。一日を、感謝と悔い改めの祈りで終えることのできる恵み――。これが、主にあがなわれた者だけに与えられた、祝福の特権なのですね。

Tonight's prayer

Heavenly father, my day is drawing to an end, and I'm ready to turn in. But before I do, I have to thank you for your faithfulness today. It's always a good day, even when things may not go the way I plan, or when the world seems in chaos, because you are in control. For all the times when I was aware of your help today, all the times when your unseen presence seemed so near, thank you, God. But for all the ways you worked behind the scenes, unknown to me, moments when heaven-sent angels moved on my behalf in ways I'll never know, thank you for those also, Lord. Forgive me for any foolish actions on my part today or things I did without first asking your blessing or wisdom. Grant me a good night's sleep tonight, God, so that I can awake refreshed and ready to begin another

day loving you. Thank you again for blessings so undeserved and too numerous to count. May your protection and your presence bathe this place with peace and safety against the enemy. Good night, Lord. In Jesus's name, Amen.

 

【FBギャラリー】No.59 「祈りの園生を」

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2019年

5月

31日

◆行いと真実をもって◆

1.《一日は小さな善行の積み重ね》

言葉や思いは十分ではない。

善きことをするのには、日々の生活の全てのことが関わるのだ。

~ディートリッヒ・ボンヘッファー~

(Ⅰヨハネ 3:18) 「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」

【解説】 “善き行い”には、まず“そうしてあげたい”という思いと、”よし、しよう“という小さな決断が伴います。そして実行するには、私たちの時間と、労力と、時にはお金がかかります。善きことをするには、あなたの“命“そのものを使わなければなりません。その日々の積み重ねが、生きること、人生です。“人生”とは、“人を生かす”ことによって、自らも生きることなのです。

Words and thoughts are not enough. Doing good involves all the things of daily life. —Dietrich Bonhoeffer

 

2.《100の教訓より1つの手本で》

1つの良き手本は、

1つの良き教えよりはるかに勝ります。

~D.L. ムーディー~

(マタイ 5:16) 「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」

A good example is far better than a good precept.

"Let your light shine before men in such a way that they may see your good works" (Matt. 5:16, NASB). -D. L. Moody-

 

3.《善き業に不可能なし》

モーセと葦の海(紅海)のように、

主は幾度も示されました。

神の前に、

“不可能”は膝をかがめて屈服することを――。

~バニング・リーブシャー~

Like with Moses and the Red Sea, the Lord has shown many times that, with Him, impossibilities will bow their knee.

—Banning Liebscher

 

【FBギャラリー】No.47 ロバート・ダンカン「木陰に涼む女(ひと)」

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2019年

5月

06日

◆良きクリスチャン魂を育てる5つの栄養素◆

1. 《神の約束を信頼する》

神は、私たちが求める全てを与えてはくださらないが、

最善でまっすぐな道に沿ってご自身に導かれながら、

お約束を確かに果たされるのだ。

~ディートリッヒ・ボンヘッファー~

【解説】 彼は獄中で、幾たび我が身の解放を祈ったことでしょう。だが神は、その願いには応えられませんでした。パウロが肉体のとげを取り去ってくださるよう、三度(=数え切れぬほど)祈ってもかなえられなかったように。でも彼は、あの獄中での深い思索を通して、この地上の誰よりもまっすぐに、最善を成したもう神のみ懐に導かれたのです。「恐れるな。私は最期まであなたと共にいる。そして時が来たら、直ちに天に迎えよう」とのお約束を信じながら――。

God does not give us everything we want, but he does fulfil his promises, leading us along the best and straightest paths to himself. —Dietrich Bonhoeffer

 

2. 《聖書を愛する》

聖書を愛すれば愛するほど、あなたの信仰は強められる。

聖書を愛する者に、“落伍者”はいない。

~D.L. ムーディー~

The more you love the Scriptures, the firmer will be your faith. There is little backsliding when people love the Scriptures.”

-D. L. Moody-

 

3.《自分自身を慈しむ》

私たちのただ一つの喜びは、

主に在って

自分自身を愛し、喜ぶことです。

~ブラザー・ローレンス~

【解説】 “勝ち組”志向の今の時代に生きていたら、“無学のただ人”であった彼は、到底自分を愛し、喜ぶことなどできなかったはずです。しかし彼にとっては、台所が全世界でした。彼は、台所でいつも主と交わり、神に仕える人々に台所から仕えることを無上の喜びとしたのです。

私たち一人一人は、主の永遠の目的により、主によってこの世に生を受けた者です。世界でただ一人の、かけがえのない存在なのです。そして今日も生かされている。その“主に在って”こそ、私たちは自分自身をいとおしみ、己の命を喜ぶことができるのです。

Our only delight is to love and delight ourselves in God.

-Brother Lawrence

 

4. 《主に在る友が命を救う》

しばしば忘れがちですが、

親しき友との“交わり”は、

あなたの魂の暗い夜に

あなたの命*を救うかもしれない霊的な訓練なのです。(*life 命、人生)

~デイヴィッド・マシス~

【解説】 あなたには主に在る親しい友がいますか?(いることを願っています!) その友との交わりをはぐくむことは、実は神様の霊的な訓練の場なのだと考えたことがありますか? 私はありませんでしたが、この言葉は大きな気づきでした。私はそれを、先日の妻の召天の時に、多くの皆様からの温かい慰めと励ましのお言葉、祈りの中で、ひしひしと感じたのです。妻の突然の死は、あの時の私には、まさに悪夢でした。私は紛れもなく、この77年の人生の中で、最も恐ろしい“魂の暗い夜”を通らされたのです。でも私は、皆様が惜しみなく差し出してくださった愛の手のぬくもりの中で、本当に“命”を救われました。“人生”を投げ出さずに済んだのです。

どうぞ、あなたの友を大事になさってください。そして誰かの大切な友になってください。友との交わりによる主の霊的な訓練は、あなたの、そして誰かの人生を、命をも救うのです。

Fellowship is the often forgotten spiritual discipline that may save your life in the dark night of your soul.-David Mathis-

 

5. 《体を他者(ひと)のために使う》

クリスチャンにとって、訓練は、“体”から始まります。

体は、誰かのために犠牲を払うように与えられた第一の“道具”です。

私たちは、体は自分のために取っておきながら、

心を神にささげることなどできないのです。

~エリザべス・エリオット~

【解説】 彼女の夫は、南米エクアドルのアウカに住む未開人に福音を伝えるため、文字どおり体を差し出すようにして恐れず彼らに近づき、命を落としました。この言葉を書いた彼女の脳裏には、その夫の姿が焼き付いていたに違いありません。この世の人々は、自らを鍛え、その健康美を保つために、“体の訓練”に余念がありませんが、神様は、「その体は他者のためにあるのだ」と言われます。ここで彼女が言いたいのは、二つのことです。一つは、“頭の中の理屈や言葉だけで人に愛を語るな”ということです。体を使い、行いをもってそれを示さなければ、人を変えることはできません。夫の遺志を継いだ彼女自身がそれを実行して彼らに伝道を続け、やがて彼らはクリスチャンに変えられました。人はそれを“アウカの奇跡”と呼びました。もう一つは、この“体”には、文字どおりの身体だけではなく、あなたが神様から与えられた“時”、“才能”、“財”など全ての“たまもの”が含まれるということです。神様は、それを端的に“命”と呼ばれます。“命”は、優れて“愛”のために使わなければならないのです。あの十字架のイエス・キリストのように――。

(Ⅰヨハネ 3:16) 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」

Discipline, for the Christian, begins with the body. It is this body that is the primary material given to us for sacrifice. We cannot give our hearts to God and keep our bodies for ourselves.

—Elisabeth Elliot

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2019年

5月

04日

◆祈り: よりみそばに近づくために◆

《♬世には良き友も数あれど…》

あなたの心が“友”を求めているときは

主と共に歩きなさい。

全くの独りぼっちと感じるときは

主に手を取ってもらいなさい。

誰か寄りかかる人が必要なときは

主のほうを向きなさい。

主イエスだけが

あなたがどんなときにも寄りすがれる

ただ一人のお方なのです。

Walk with the Lord when your heart needs company. Take His hand when you feel all alone. Turn to Him when you need someone to lean on. He’s the only one you can always rely on.

【解説】 1行目、引用符付きで「友」と訳した原文のcompanyカンパニーは、「親しい友達、仲間、話し相手」です。私にとっては、誰をおいても49年間を共に生きた「妻」でした。この言葉に出会ったのは、妻が召天する前でしたが、妻を失って独りで過ごしたこの2か月余り、これは私のための言葉になりました。心の底からの「アーメン」と共に、お分かちします。

 

《主の自由を与えてください》

愛する主よ、

どんな恨みも、苦々しさも、ふさぎ込みも、拒む思いも、赦さない心も、怒りも、

忘れ去ることができるように助けてください。

私は全き心、自由が欲しいのです。

私が、み子のお姿に少しずつでも似た者になるまで

悪しきものを取り除き、洗い続けてください。

み子が自由にしてくださった者だけが、本当に自由なのです。

―イエスのみ名によって祈ります。アーメン。

Dear Lord, Help us to let go of any resentment, bitterness, depression, rejection, unforgiveness and anger. We desire to be whole and free. Continue to purge and wash us until we look more and more like your Son. For whom the Son sets free is free indeed. In the name of Jesus we pray. Amen

 

《あなたの働きのために祈ります》

あなたが、ご自分のプロジェクトを成し終え

あなたのアイデアに命を吹き込み

あなたのゴールを達成するために、

上からの力と強さを受けられますように。

あなたの進む道が整えられ

全ての障害が取り除かれますように。

良き変化をもたらすために

あなたの創造性が増し加えられ、

あなたの想像力が天よりのひらめきで満たされますように――。

【解説】 私はこの祈りを、「あなた」を「私」に代えて、自らの祈りとして主にささげています。私には、主のために、愛する主に在る皆様のために、まだなすべきことが残されています。折節に、この弱き者のために、この祈りでお支えいただけたら、まことにありがたいことです。

May you receive the energy and strength to finish your projects, bring your idea to life, and accomplish your goals. May your path be cleared and all blocks be removed. May your creativity be multiplied and your imagination be filled with inspiration to make a difference.

 

《永遠に残るものを》

私たちの人生は一度だけ。

それは、つかの間に過ぎ去ります。

あなたが神様のためにしたことだけが

永続するのです。

~チャールズ・スタッド~

【解説】 また妻の話で恐縮ですが、全く予想だにしなかった妻の召天で、人の命は、神のみ心ひとつで、一瞬のうちに終わるのだということを、身をもって知りました。まだまだ丈夫で頑張れると思っていた私にも、明日は来ないのかもしれない―そう思ったときに、私が世を去ったのちも残るものは何かと、いやおうなしに考えさせられました。その時に得た答えがこれだったのです。「神様のためにしたこと」。ほんのささやかな親切も、大きな弱者救済のプロジェクトも、神の前にはいささかの違いもありません。主はひと言、こう問われるのです、「それは、私のためにしたのか?」と。願わくは、私も、あなたも、イエス様からのどの問いに対しても、「はい、主よ、私がこれをあなたのためにしたことは、あなたがご存じです」と答えられますように――。

We have one life; it soon will be past; what we do for God is all that will last. – Charles Studd

 

【FBギャラリー】No.40 チャールズ・ワイソッキー「教会の見える風景」

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2019年

3月

25日

◆ある祈り キリストの心を求めて◆

ああ神様、お与えください――

純粋で、泉のように澄み切った幼子の心を。

決して悲しみをとどめたままにしない単純な心を。

自らを与えることを主の誉れとし、あわれみあふれる柔らかな心を。

決して受けた良きことを忘れず、

悪しきことに恨みを抱かない誠実で寛大な心を。

いかなる見返りも求めずに人を愛し、

いかなる恩知らずにも心を損なわれず、

いかなる無関心にも疲れを覚えない

おおらかで不屈の心を。

イエスの愛に貫かれた心を。

この願いは、天においてのみ満たされることを信じつつ…

ああ主なる神よ、あなたの愛するみ子の思いと心をお与えください。

―フランスのある祈り—

 

【解説】 世に何十、何百という優れた祈りがありますが、高きに過ぎず、深きに過ぎず、“自らの祈り”として繰り返し口に唱えたい祈りは、それほど多くはありません。私にとっては、この祈りはその一つですが、あなたにはいかがですか? これは、あのアッシジのフランチェスコの平和の祈りにも、マザー・テレサの祈りにも通じることですが、そこに相通ずるのは、“イエス様の心を私の心とさせてください”という切なる願いでしょう。この一つ一つの求めは、主イエス・キリストが、その地上の生涯において、そして今も天で、言葉と行いにおいてお現しになっておられることだからです。

 

Grant me, O God,

The heart of a child, pure and transparent as a spring;

A simple heart, which never harbors sorrows;

a heart glorious in self-giving, Tender in compassion;

A heart faithful and generous, which will never forget any good, or bear a grudge for any evil.

Make me a heart gentle and humble, Loving without asking any returns, Large-hearted and undauntable, which no ingratitude

can sour; and no indifference can weary.

A heart penetrated by the love of Jesus.

Whose desire will only be satisfied in Heaven.

Grant me, O Lord, the mind and heart of thy dear Son.

A French Prayer

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2019年

2月

10日

◆”祈り”について心に留めたい3か条◆

1.《心配も祈りも“会話”なのです》

“心配事”は、あなたが変えることのできないことについて、自分自身と語る会話です。

“祈り”は、神様が変えることのできることについて、神様と交わす会話です。

【解説】 心配事が“会話”だなんて、ちょっと意外でしたね。でも同じ会話でも、これはかなり違います。“心配事”の会話の相手は自分自身。その実態は“堂々巡りの繰り言”で、何の解決ももたらしません。いつまでたっても、前には進めないのです。でも“祈り”は、全能なる神様との会話です。祈りを通してのみ、私たちは神様に自分を変えていただき、上よりの力を授かって、前に進んでいけるのです。

Worry is a conversation you have with yourself about things you cannot change.

Prayer is a conversation you have with God about things He can change.

 

2.《祈りは、パンクしたときの予備タイヤですか?》

“祈り”は、あなたが困ったときに引っ張り出す“予備タイヤ”(spare wheelスペアホイール)ではありません。“祈り”は、あなたの人生の旅路で、正しい道にまっすぐ連れていってくれる“ハンドル”(steerring wheelスティアリングホイール)なのです。

【解説】 これは、英文ならではの、似た言葉を用いた言葉遊びによる、うまい例えです。“祈り”を、“苦しい時の神頼み”よろしく、心のトランクにしまい込んでいてはいけません。車輪があっても、燃料満タンでも、ハンドルなしに車は動けないように、私たちも、“祈り”なしには人生道路を目的地目指して走ることは不可能なのです。”祈り”こそ、我がライフカー(人生車!)を動かすハンドルであることを、しかと心に刻みましょう。

Prayer is not a spare wheel that you pull out when in trouble. It’s a steering wheel that directs you down the right path through your journey.

 

3.《誰かが祈ってくれてるのを忘れないで》

あなたが誰かのために祈るとき、神様はそれをお聴きになり、その人を祝福されます。だからあなたが“無事で幸せだ”と感じたときは、誰かがあなたのために祈ってくれたのだということを、忘れないようになさい。

【解説】 これが“とりなし”の祈りの真髄です。ある人が、「私たちが、とりなしに身が入らないのは、自分がとりなしの祈りをした人が祝されても、それを自分の“功績”にできないからだ」と言いました。まさしくそれは、人間の自己中心性を如実に示す鋭い分析ですが、そんな私たちは、一つ大きな思い違いをしています。それは、誰に知られなくても、私たちのとりなしの祈りは、“神様に聴かれている”ということを忘れていることです。あるいは、頭で分かっていても、それを心から信じられないことです。今、それをもう一度心から信じて、愛する人のために、とりなす者に変えていただきましょう。そして一方、様々な危機から免れたとき、心に平安と喜びが沸き上がったとき、思いがかなって幸せに満ちあふれたときには、「祈られてる!」と思い出して、感謝をささげましょう。あなたの人生に、“当たり前に起こること”は、何一つありません。全ては、大きなことも小さなことも、誰かのとりなしを聴きあげてくださる神様の愛のみ手の中で起こるのですから――。

When you pray for others, God listens to you and blesses them. Sometimes, when you are safe and happy, remember that someone has prayed for you.

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2019年

1月

25日

◆よりよく神を知るための5か条◆

1.《神がしてくださったこと: 贖い》

神様は、私たちをみもとに引き寄せるために、驚くべきわざ、そして高い代価を伴うわざをしてくださいました。

そのことを説明するのには、この、幾たびも繰り返された言葉を用いる以上の良きすべを私は知りません。「それは、あたかも、イエスの杯に、“地獄”が注がれたようであった。彼はその杯を取り、すさまじいほどの“愛のひと飲み”をもって、”地獄の責め苦”を飲み干したのである。」

(それゆえ)“どのように敵を愛せるか”という命題に応えるカギとなる道は、私たちが、“神の敵”の身で愛された”ということを体験するところにあります。

God has done astonishing and costly things to draw us near.

I can never express that thought better than by using those oft-repeated words: it seemed as if Hell were put into His cup; He seized it, and, 'At one tremendous draught of love, He drank damnation dry.'"

(Therefore,) The route origin of how to love our enemies is to experience being

loved as an enemy of God.

 

2.《神が求められること: 忠節》

神様は、ご自身のみ名の誉れのために、永遠に“ねたむ神”であられるので、何ものも、また何人(なんぴと)も、ご自身の忠節な“花嫁”(直訳:“妻”)の善良さを脅かすものは、全能なる神に逆らうものとなります。“神のねたみ”は、遊女と戯れ、この世に心を売り、神を締め出す者にとっては、大いなる脅威です。けれども神のねたみは、忠節の誓いを守り、この世に対して進んで“異邦人”また“追放者”となる人にとっては、大いなる慰めと力になるのです。

(出エジプト 34:14) 「あなたはほかの神を拝んではならないからである。その名がねたみである主は、ねたむ神であるから。」

Since God is infinitely jealous for the honor of His name, anything and anybody who threatens the good of His faithful wife will be opposed with divine omnipotence. God’s jealousy is a great threat to those who play the harlot and sell their heart to the world and make a cuckold out of God. But His jealousy is a great comfort to those who keep their covenant vows and become strangers and exiles

in the world.

"You shall worship no other god, for the Lord, whose name is Jealous, is a jealous God" (Ex. 34:14).

 

3. 《神の驚くべき恵み》

神様は、“そこそこの恵みの神”ではありません―例えば“過去限定の恵み”のような。神様は、“全ての恵みの神”です。―そこには、無限で、無尽蔵な、“未来の恵み”も含まれているのです。

全能の神様は、あなたの人生を通して、一日一日、普段のときも、異例なことが起こったときも、あなたの“避けどころ”であられるという真実ほど、私たちの心を解放させ、わくわくさせ、強めてくれるものがあるでしょうか?

時として、私たちは、神の“自己感情のコントロール“には一切の制限がないということを、神様ご自身から思い出させていただく必要があります。神様は、決して絶望的になることも、フラストレーションを抱えることも、途方に暮れることもないのだということを、私たちは直々(じきじき)に教えていただかなければなりません。

God is not the God of some grace—like bygone grace. He is the God of “all grace”—including the infinite, inexhaustible store of future grace.

Is there anything more freeing, more thrilling, or more strengthening than the truth that God Almighty is your refuge-all day, every day, in all the ordinary and extraordinary experiences of life?

Sometimes we need to be reminded by God Himself that there are no limits to His rule. We need His own reminder that He is never helpless, never frustrated, never at a loss.

 

4.《神の驚くべき力》

もし私が牢獄にいて、イエス様がそこに近づいてきて、「今夜、ここから出なさい」と言われたら、私は「え?!」と驚きますが、もし私がこのお方の善意と力に信頼しているなら、次の瞬間には「私はきっと自由になる」という希望に圧倒されるでしょう。

神様は、あなたの人生の中で、どんなときでも、10,000ものことをしてくださいますが、あなたが気づくのは、その中でせいぜい3つぐらいのものです。

もし“祈り”が、あなたにとっては何か“生産性”からの逸脱のように感じられるなら、忘れないでください。神様は、あなたが5時間かけてやることを、ものの5秒でやってくださるのだということを――。

If I were in prison and Jesus walked into my cell and said, ‘Leave this place tonight’, I might be stunned, but if I trusted His goodness and power, I would feel a rush of hope that freedom is possible.

God is always doing 10,000 things in your life, and you may be aware of three of them.

If prayer seems to you a diversion from productivity, remember God does me in five seconds than we can five hours.

 

5.《神の“究極の”栄光》

神様の栄光の”絶頂”は、“キリストの再臨”です。そこには、“太陽が永遠に輝く”ことでしょう。

The high noon of God’s glory will be the second coming of Christ. And that is where the sun will stay forever.

 

~ジョン・パイパー John Piper~

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2019年

1月

15日

◆ある祈り: あなたの証しのために◆

あなたの生活が、

あなたの口の言葉よりも

より声高く福音を説くものでありますように。

 

【解説】 訳者にとっても、とても新鮮で、自らの生き方を探られる祈りでした。「生活」と訳した原語lifeは、ご存じのように、「人生」「命」の意味も持っています。その意味も込めてこの祈りを味わいましょう。

私たちが救われた神の“福音”―救いの良き知らせ―は、今度は私たちが宣べ伝えなければなりません。それが私たちの“証し”ですが、それは、言葉だけではなく、日々の生き方によってもなされるものです。あなたのご家族、ご近所、学校、職場など、私たちの周りにいる100人のうち99人の人々は、まだこのすばらしい福音を知りません。そして、あなたがクリスチャンであると知ると、“クリスチャンとはどういう人なのか”と、あなたの一挙手一投足を見ています。そのとき、あなたの語る証しが行いを伴っていないと、「言ってることとやってることが違うね」と思われ、その人々の信仰への道は、遠ざかってしまいます。逆に、語る言葉はつたなくても、いいえ、何も言わなくても、その行いが、本当に“喜びと感謝と愛”に満ちていると、それは千の言葉よりも雄弁な、“福音の宣教”になるのです。

なぜこの祈りのオリジナルの画像が、2羽の小鳥なのかと考えながらイラストを見ているうち、イエス様の山上の教えを思い出しました。

(マタイ 6:26) 「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」 

私たちの“生活”は、この小鳥たちのように、労せずして、日々の必要を備えられ、天のみ父に養われ、“生かされている”日々の積み重ねの“人生”です。かく言う私は、3年間の国際詐欺の被害で、今もその日その日を妻と共にかろうじて生きているのですが、不思議に守られています。そこから、口をついて出るのは、ただ「感謝、感謝」です。明日どうなるか分からなくても、今日を生かされている“命”の喜びがあふれてくるのです。これが“福音”でなくて何でしょうか?

この短い祈り、愛する同労者のために祈ると共に、まず自分自身のために、「あなた」を「私」に代えて、日々祈る者でありたいですね。

 

May your life preach more loudly than your lips.

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2019年

1月

08日

◆オンリーワンを求める生き方4か条◆

1.《主ひとりを求める》 初めにコンサートを開いて、それから楽器のチューニングを始めるようなことをしてはいけない。一日をみ言葉と祈りで始め、何を差し置いても、まずあのお方との“魂の音合わせ”をなさい。

~ハドソン・テイラー~

【解説】 このコンサートとチューニングの例えは、言い得て妙ですね。(これに触発されて、後半の原語harmony“調和”は、“魂の音合わせ”と訳してみました。) 昔読んだハドソン・テイラーの伝記の一節、「彼が祈る前に、中国に太陽が昇ることはなかった」を、今でも思い出します。一日の始まり、まず求めるべきものは、ただ一人、“主”ご自身です。

Do not have your concert first, and then tune your instrument afterwards. Begin the day with the Word of God and prayer, and get first of all into harmony with Him. - Hudson Taylor

 

2.《霊的リーダーを求める》 私たちの最大の危機は、堅実な“政治的リーダーシップ”の欠如ではない。“霊的な師父たち”への飢餓なのだ。~デイヴィッド・シルカー~

【解説】 もちろん清廉な政治家の存在は誰しも求めています。でもそれは最も必要なことではありません。私たちが、この混とんとした社会と、煩わしい人間関係の中で、“自分”をしっかり保って、ブレずに生きていくために最も必要なのは、上記1に続いて、“人”、霊的な指導者の存在なのです。今、多くのキリスト者は、霊的に飢え渇いています。あなたの教会の牧師先生からの直接の牧会指導だけでなく、世界・国内で広く知られた方々の著書、あるいはSNSの発達した現代では、このフェイスブックを通してでも、「この人の言うことには何かがある」と思える人に出会ったら、しっかり焦点を据えて、その薫陶を求めることです。

“Our greatest crisis is not our lack of sound political leadership; it is our famine of spiritual fathers.” —David Silker

 

3.《一人の魂を求める》 神様は、どんなことでも、“数”や“広さ”で計ることはなさいません。神は、そのものの価値を測る、別の物差しを持っておられます。それによれば、イエス様ご自身が語られたように(訳注: マタイ16:26)、“一人の魂”には、全宇宙よりも大切な価値があるのです。~デレク・プリンス~

【解説】 あなたには、“この人”の救いのために、祈り続けた人が、あるいは今も祈っている人がいるでしょうか? 私がワーナー時代の46年半、祈って主に導いた人は、ただ一人でした。その人は、中国への宣教師になって、天に凱旋しました。私の妻は、祈ってはいたものの「誰が救われても、理論武装をしているこの人だけは無理」と信じていた(!)弟に、クリスチャンの親友を伴侶として紹介し、彼女の祈りの助けを得て信仰に導きました。、さらに、風邪で新年礼拝を休んだ時、み霊に促されて、同居していた彼女の母に証ししました。死の床の中からクリスチャンになることができ、今まで生かされてきた恵みを涙ながらに語る彼女の言葉に、母はその場でイエス様を受け入れました。妻が救われて以来30年間の祈りが聞かれた瞬間でした。

クリスチャンの価値観の根底は、“一人の魂の重さ”です。その価値観はどこから来るのでしょう? それは、神様が、ご自身のかけがえのない独り子を十字架につけられるほど、この世を愛されたこと。そして、あなたが、私が、その愛する“一人の魂”にしていただいたことです。

God does not measure everything by numbers or dimensions. He has another scale of values, according to which-as Jesus Himself told us -one human soul is worth more than the entire universe.-Derek Prince-

 

4.《一つの善き業を求める》 

この世が求める必要に

圧倒されてしまいましたか?

なら、数えきれないほど多くの人々にしてあげたいことを

一人の人のためになさい。

~ボブ・ソージ~

【解説】 これは、マザー・テレサが「私たちの誰もが大いなることができるわけではない。でも小さなことを、大いなる愛を込めてすることはできるのです。」と言った言葉に通じますね。“善き業”は、救われた私たちに求められていることですが、その必要の多さを考えると、思わず「私には無理!」と引いてしまいます。その時には、この4の言葉を思い出してください。“数えきれないほど多くの人”と訳した原語の直訳は、「数百万の人々」です。そこでまず、心にこう念じましょう。「思いは数百万の人に。業は一人に。」 神様は、「それでいいのだよ」とおっしゃいます。あのイエスの足に香油を塗った女に、こう言われたように――。

(マルコ14:6,8)「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。…この女は、自分にできることをしたのです。」

“Overwhelmed by the needs in the world? Do for one what you want to do for millions.” -Bob Sorge-

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2018年

12月

25日

◆キリスト者が、ともかく祈る3つの理由(わけ)◆

1.《諦めないで祈るワケ》 根気強く(しつこく!)祈ることが大切なのは、そうすれば神様が聴いてくださるからではなく、あなたが、ついには神様のみ声を聴けるからです。

The value of persistent prayer is not that He will hear us, but that we finally hear Him.

 

2.《過ちを犯しても祈るワケ》 あなたが犯してしまったどんな“過ち”よりも、神様の“あわれみ”は常に大きいのです。God’s mercy is bigger than any mistake that you’ve made.

 

3.《欲しいものがなくても祈るワケ》 祈りなさい。あなたが何かが“必要”だからだけではなく、あなたには、“感謝”すべきことが山ほどあるからです。

Pray, not only because you need something, but because you have a lot to be thankful for.

 

(Ⅰテサロニケ 5:16-18) 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

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2018年

12月

17日

◆クリスマスに想い見ること3つ◆

1. 《神の払いし犠牲を想い見よ》 もしイエス・キリストが神であり、私のために死んでくださったとすれば、私がこのお方のために払う犠牲で、“大きすぎる”ものなど断じてないのだ。~C.S. スタッド

【解説】 クリスマスは、神のみ子が、あなたのため、私のために命を捨てるという大いなる犠牲の目的を持って、人となられた日です。だとすれば、私たちもまた、ただ感謝し、喜ぶだけではなく、自分の払うべき犠牲(それは、犠牲と呼ぶほどのものではないのです!)について、考えてみるべきです。クリスマス――この日は、「主よ、私はあなたのために、何を捨てればいいのでしょうか?」と、ひざまずいて問う日でもなければならないのではないでしょうか?

(ルカ 9:23) 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」

If Jesus Christ be God and died for me, then no sacrifice can be too great for me to make for Him. -C.T. Studd- “If anyone desires to come after Me, let him deny himself, and take up his cross daily, and follow Me" (Lk. 9:23).

 

2. 《神の我が選びの日を想い見よ》 まだ神を憎んでいたあなたを、あの日、救いに選んでくださったほどの神の“寵愛”を、あなたが新生した日から死ぬ日までの間に受けることは、二度とありはしない。~デイヴィッド・シルカー~【

解説】 ”あの日”とは、私たちが地上で知りうる日ではありません。永遠の天で、誰も知らないところで、しかし確かに神様があなたの救いを定められた“特別の日”なのです。クリスマス――それは、神様が、こんな無きに等しい者を選ばれたご自身の愛を、時満ちて、この地上であなたにお示しになるために独り子を遣わされた日として、想いを馳せるべき日なのです。

(エペソ 1:4) 「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」

"From the day you're born again to the day you die, you will never receive more favor than the day He chose you even though you hated Him."—David Sliker

 

3. 《日々、神の臨在を想い見よ》 “神への飢え渇き”は、“神の不在”のしるしではない。それは“神の臨在”の証明なのだ。~ダナ・キャンドラー~【解説】 クリスマスは、天使の声も高らかに、「インマヌエル 神我らと共にいます!」と宣言します。その声を聞きながら、私たちは、この一年を振り返って、この世との闘いの中で、いかにしばしば神様を見失いかけたかを、痛みと共に思い出します。そんな中でも、神=主イエス様は、いっときも離れることなく、あなたと共におられたのです。そんな徹頭徹尾自己中心な私たちに、神様は、鹿が谷川を慕いあえぐように(詩篇42:1)、ご自身を渇き求める思いを与えてくださいました。私たちは、姿を消した神、いなくなった神を求めるのではない。目には見えずとも、確かにそこにおられるからこそ、叫び求めるのです。クリスマス――それは、私たちが「インマヌエル」の主をしかと心の王座に迎え直し、”私の主、私の神”の臨在を人々に示すために、“神への飢え渇き”の思いを新たにする日なのです。

(マタイ1:23) 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

"Hunger for God is not a sign of His absence, but proof of His presence."—Dana Candler

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2018年

12月

03日

◆単純で大胆な祈りこそ◆

“神への信仰”が、全てを変えるのです。

Faith in God changes everything.

 

私には、“大きな奇跡”を起こす

“大きな神様”がいます。

I have a big God that can do big miracles.

 

あなたの祈りが

たとえどんなに小さく囁くようなものでも、

神様は確かに聴き、お分かりになり、

あなたが心にしまっている望みや恐れを

知ってくださいます。

そしてあなたが“このお方に信頼する”とき、

奇跡は起こるのです。

No matter how softly you whisper a prayer, God surely listens, understands and knows the hopes and fears you keep in your hearts… And when you trust Him, miracles happen.

 

【解説】はいこれ、奇跡を目の当たりにできる、単純で大胆な信仰の祈りの三段論法ですね。

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2018年

11月

27日

◆共に待ちたもう神◆

私たちが神を待ち望むとき、

私たちは神と共に待っているのです。

~ルーイ・ギグリオ~

 

このことを知ってください――

時として、神様は、

“解決”や“新しい状況”というかたちでは、

祈りにお応えにはなりません。

でも、“ご自身をお与えになる”ことによって…

“そこにおられる”ことによって、

お応えになるのです。

 

【解説】 “神の沈黙”というテーマは、小説にも映画にもなるほど、大きな信仰のテーマです。とりわけキリスト者にとっては、祈っても応えがないという状況は、苦しいものです。でも、それは、神様の応え方が、私たちの期待とは違っているということであって、神様が応えることなしに沈黙なさるということではありません。神様の最大、最善の答えは、祈るあなたに寄り添っておられる、どんな状況の中でも、あなたから離れず、あなたと共におられるということです。あのヘブル書13:5のみ言葉は、祈りにおいても真実です。時として四面楚歌のような状況に置かれる私たちにとって、これ以上の慰めと励ましがあるでしょうか? それを信じられるかどうかに、あなたの信仰の全てがかかっているのです。

 

(ヘブル人への手紙 13:5) 「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」

 

"While we are waiting on God, we are waiting with God"

~ Louie Giglio

Know that sometimes God answers prayers not with solutions, or new situations, but by giving Himself—by being there.

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2018年

11月

26日

◆”信仰” ただ1つなるもの◆

1.

《あなたを変えるものは、1つだけ》 あなたを最も変える言葉は、この講壇から語られる説教者の語る言葉ではありません。それは、あなた自身の口から出る言葉です。

~コーリー・ラッセル~

"The words that will change you the most are not from speakers on this stage, but the words of your own mouth." —Corey Russell

【解説】 これは、語られた神の言葉をあなたがよく受け入れ、理解し、あなた自身の信仰告白、証し、宣教のメッセージとして、また人を生かし、建て上げる愛と赦しのメッセージとして、あなたの口から語られるとき、初めてホンモノになるいうことです。それは、あなたの内に起こる“み言葉の受肉”です。それゆえにこそ、あなたは自ら語るその言葉によって、整えられ、新たな気づきを与えられ、変えられていくのです。あのエゼキエルのように――(エゼキエル書3:1-3)。

2.

《あなたに必要なお方は、1人だけ》 

あなたは、

“私はキリストしか持っていない”と気づくまで、

自分にとっては“キリストが全て”だということに

決して気づくことはありません。

~コーリー・テン・ブーム~

You can never learn that Christ is all you need, until Christ is all you have.—Corrie Ten Boom

【解説】 原文には、巧みな言葉の修辞があります。それを生かして直訳すると、「人は、キリストが”自分の持っている全て”となるまでは、キリストが”必要の全て”とは決して悟りません。」となります。彼女は、この真実を、あのアウシュビッツの牢獄の中で体験しました。死を待つばかりの極限の状況の中で、彼女が持っていたのは、自分自身のやせ衰えた体と、キリストというお方だけだったのです。「キリストが全て」とは、美しい言葉ですが、軽々には言えない言葉です。生存をかけたギリギリのところで、本当に”このお方なしには死んでしまう”という魂の飢餓を体験して、初めて語れる言葉なのです。

《私の居場所も、1つだけ》 

私は、遂に、

自分の“居場所”を見つけました。

それは、主よ、“あなたと居る場所”です。

~コーリー・アズベリー~

I’ve finally found where I belong, it’s to be with You. -Cory Asbury

【解説】 “居場所”と訳した原語は、where I belong、“私がそこに属し、いるべき、ふさわしい場所”という意味です。そこは、あなたが行きたいところ、いたい場所ではありません。あなたが神様を信じたときに、神様によって定められ、そこの“住人”とされ、そこにいるのが最もあなたらしい、あなたにぴったりの場所ということです。その場所は、固定されていません。a place to be with you、“主イエスと共にいるところ”、あなたがどこに行こうと、主と共にある限り、そこがあなたの“居場所”です。そしてその場所は、この地上だけでなく、天にも確保されています。イエス様が、一足先にそこに行かれて、ちゃんとあなたのために備えておられるからです(ヨハネ14:1-3)。

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2018年

11月

14日

◆主よ、忍耐を与えてください◆

愛する主よ、

あなたのご計画を、私の人生の中で

ことごとく成し遂げてくださるまで、

私に忍耐することを教えてください。

それは、あなたなしにはできないことです。

 

【解説】 全知全能の神様は、私たち一人一人に対するご計画を、私たちが形づくられる前から、“永遠の今”において、全て立て終えておられます。それを、目の前のスクリーンに、一目で分かるようにプレゼンしてくださったら、どんなにいいでしょう! でもそれは神様の方法ではありません。そもそもそんな人生は、恐ろしく退屈で、つまらないものに違いありません。私たちは、明日が分からないからこそ、不安がある半面、“きっといいことがある”と期待して毎日を歩めるのです。でも時として私たちは、それまでにない新しい局面を迎えることがあります。あなたの人生への神様の設計図には、山もあれば谷もあるのです。とりわけ“暗い谷間”に下っていくとき、私たちは不安と恐れに駆られます。「どこまで続くんだろう?」「これは本当に神様のご計画なんだろうか?」「もっと別の道があるんじゃないのかしら?」 そして、待ちきれずに、自分で良しと決めた別の道に突き進んでしまうこともあります。私自身が、その体験をしました。「これは主のご計画だ」と早合点して、み言葉からの確信や、信仰の友や師の助けを仰ぐことなく、いえ、その助言を無視さえして、暗闇の中を模索し続け、とうとう“これは神様のご計画ではなかった”とはっきり分かるまで、3年もかかりました! でも神様は、あわれみ深いお方です。”脱出の道”を備えていてくださったのです。

私たちに最善の道を歩ませるための神様のご計画は、神様のお助けと導きなしには、絶対に実現することはできません。このことを通して私が教えられたのは、次のことでした。

① 人生の新しい局面に立たされたときは、まず静まって祈ること。み言葉をよく読み、信頼できる師や友に相談し、祈っていただくこと。

② そして内なる確信が与えられるまで、静かに待つこと。決して焦ってはいけません。それは時には長くかかるかもしれません。でも忍耐して待ちましょう。ここで「さぁ、これこそ神のみ心だ。今すぐやってみなさい」とささやくのは、これでイエス様をさえ陥れようとしたサタンの、“とっておきテクニック”です。

③ やがて神様のみ心が、はっきりと示される時が来ます。それは、しばしば、あなたの思い描いたものとは違う場合があるかもしれません。でも、そこに平安と、内よりの揺るがない静かな“促し”があるとき、あなたは全てを委ねて一歩を踏み出すことができます。次の一歩は主ご自身が導かれます。あなたの前に、“主のご計画の道”は、間違いなく開かれるのです。

 

(ヘブル 10:36)

「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」

 

Dear Lord, help me to be patient as you bring your plan in my life

to its fullness. I can’t do this without you.

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2018年

11月

08日

◆涙と ため息だけの祈りでも◆

 「見よ、彼は祈っている」(使徒9:11)―

 “祈り”は、直ちに天に知られます。サウロ(パウロ)が祈り始めた瞬間、主はそれを聴かれました。ここに、打ちひしがれながらも祈る魂への慰めがあります。しばしば、哀れな、傷心の心を携えて、人は祈るために膝をかがめますが、その口から出るのは、“ため息”と“涙”という言葉でつづられた悲嘆の叫びだけです。それでもその“うめき”は、全ての“天のハープ”を用いた音楽を奏でるのです。その涙は、神様によって受け止められ、“天の涙壺”の中に大切に入れられます。「あなたは、私の涙をあなたの壺の中に入れてくださいます。」 (訳者注: 参照詩篇56:8) これは、その涙が、流れ落ちるままに、しかと受け止められていることを意味します。恐れで言葉も出ないこの嘆願者を、いと高きところに住まわれるお方は、よく理解しておられるのです。その人は、涙にかすむ目で上を見上げるだけかもしれない。けれども、“祈りは流れ落ちる涙”なのです。“涙”は“天のダイヤモンド”、”ため息”は、“天の神の宮の音楽”の一節であり、この至高なるお方のもとに届く最も崇高なメロディーの一部と見なされるのです。

 

 あなたの祈りがどんなに弱々しく、震え声のようなものだとしても、無視され、顧みられないなどと考えてはなりません。ヤコブの梯子はそびえるほど高いですが、私たちの祈りは、“契約の天使”の身に委ねられ、星に届くように伸びた梯子を上っていくのです。私たちの神様は、祈りを聴いてくださるだけでなく、聴くことを愛しておられます。「神は、へりくだった者の叫びをお忘れにならない。」 (訳注: 詩篇9:12) そうです、神様は、聞こえが立派で高尚な言葉を良しとはされません。王たちのきらびやかな虚飾も意に介されません。軍歌の高まりにも耳をお貸しになりません。人の大成功やうぬぼれを気にも留めません。けれど、悲しみにくずおれた心や、もだえ苦しみ、うめき、悔悟のため息で震える唇があるところ、神様の心は開かれます。神はそれを、ご自身の“記憶簿”にしかと書き留められます。神は私たちの“祈り”を、あたかもバラの花びらのように、その記憶簿の間に挟まれるのです。そして最後にそれが開かれる時、そこからいとも貴い香りが広がりゆくことでしょう。

 

“信仰”は、

祈りが受け入れられたことを知らせる天からのしるしを

求めたりはしない。

我らの“大祭司”は高きところにおられ、

“恵のみ座”から応えられるのだ。

 

【解説】 私たちの祈りも、時として、このような言葉にならないうめきと涙と溜め息だけの時があります。私もつい最近それを体験しました。でもそんな”祈り”の名に値しないような涙と

ため息が、天でどのように受け止められているか、神様はどれほどそんな祈りを愛し、喜ばれるか、この美しい文章によって知った今、私の心は感謝であふれました。あまりに美しく、すばらしすぎて、“本当だろうか?”と思ってしまいます。聖書にも、このような祈りの描写は出てきません。でも私たちは、これが見えない霊の世界の真実なのだと、“信仰”によって受け入れることができます。そして、涙と

ため息のままで、主の前に魂を注ぎだしたいと思います。そこから、気っと再び立ち上がる力を、主がお与えくださることを信じて――。

 

"Behold, he prayeth." — Acts 9:11

Prayers are instantly noticed in heaven. The moment Saul began to pray the Lord heard him. Here is comfort for the distressed but praying soul. Oftentimes a poor broken-hearted one bends his knee, but can only utter his wailing in the language of sighs and tears; yet that groan has made all the harps of heaven thrill with music; that tear has been caught by God and treasured in the lachrymatory of heaven. "Thou puttest my tears into thy bottle," implies that they are caught as they flow. The suppliant, whose fears prevent his

words, will be well understood by the Most High. He may only look up with misty eye; but "prayer is the falling of a tear." Tears are the diamonds of

heaven; sighs are a part of the music of Jehovah's court, and are numbered with "the sublimest strains that reach the majesty on high." Think not that your prayer, however weak or trembling, will be unregarded. Jacob's ladder is lofty, but our prayers shall lean upon the Angel of the covenant and so climb its starry rounds. Our God not only hears prayer but also loves to hear it. "He forgetteth not the cry of the humble." True, he regards not high looks and lofty words; he cares not for the pomp and pageantry of kings; he listens not to the swell of martial music; he regards not the triumph and pride of man; but wherever there is a heart big with sorrow, or a lip quivering with agony, or a deep groan, or a penitential sigh, the heart of Jehovah is open; he marks it down in the registry of his memory; he puts our prayers, like rose leaves, between the pages of his book of remembrance, and when the volume is opened at last, there shall be a precious fragrance springing up therefrom.

"Faith asks no signal from the skies,

To show that prayers accepted rise,

Our Priest is in his holy place,

And answers from the throne of grace."

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2018年

11月

07日

◆神様の業は、いつも小さなものから◆

信仰によってまかれた種は、

たとえ小さな1粒でも、

神様がそのためにあなたを召された業を成し遂げる

始まりになるのです。

 

神様は、ご自身のみ子に栄光を与えるために、

最もあり得ないもの、ありえない人々をお用いになります。

~ダニエル・コレンダ~

 

【解説】 私が、そしてあなたが、その“小さなからしだねの1粒”、“最もあり得ない(ふさわしくない)人々“の一人かもしれません。でもひとたび神様が召されたとき、それはあなたの能力や才能の問題ではなくなります。あなたを用いて事をなされるのは、神様の主権的な意志であり、そのために必要なものは、全て神様が備えられるのです。“恥は我がもの、栄光は主のもの”。私たちに必要なのは、ひとすじの”信仰“だけ。信仰をもって、神様に全てを委ね、イザヤのようにこう言うだけです――。

(イザヤ6:8)「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

 

Even a small seed planted in faith can become the inception of

fulfilling what God has called you to do. God uses the most unlikely thing and people to give glory to His Son.

-Daniel Kolenda-

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2018年

10月

29日

◆”祈り”のキモ 3か条◆

1. 《何をおいてもまず感謝》 祈りなさい。何かが必要だからだけでなく、多くの感謝すべきことがあるからです。

Pray not only because you need something but because you have a lot to be thankful for.

(詩篇 103:2) 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

2.《何事も祈りで始めよ》 私たちは、祈りなしには、何もすることができません。~E. M. バウンズ~

We can do nothing without prayer. – E.M. Bounds

(Ⅰテサロニケ5:16-18) 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

3. 《真に人を生かす力》 あなたが得ることのできる、4つの力強い“内なる力”を決して忘れないように。それは、”愛”、”祈り”、”希望”、そして“前向きな態度”です。

Never forget the four powerful resources available to you. Love, Prayer, Hope and Positive attitude.

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2018年

10月

20日

◆祈るときに起こる3つのこと◆

1. 《祈りを習慣にするとき》 「祈り」があなたの“習慣”になるとき、「奇跡」があなたの“ライフスタイル(生活様式)”になります。あなたの行く手に何が待ち受けようとも、決して祈ることを諦めてはなりません。

When prayer becomes your habit, miracles become your lifestyle. Never give up on prayer no matter what comes your way.

 

2. 《問題を神のみ手に委ねるとき》 私たちが、自分の“問題”を神様のみ手にお委ねするとき、神様は、私たちの心に“平安”をお委ねになります。

(ヨハネ 16:33)

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

When we put our problems in God’s hands, He puts His peace in our hearts. (John 16:33)

 

3. 《感謝を第一にするとき》 私たちの生活の中で、“感謝”が最も大切な土台になるとき、“奇跡”が至るところで起こり始めます。

When gratitude becomes an essential foundation in our lives, miracles start to appear everywhere.

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2018年

10月

06日

◆魂の成長のバロメーター◆

全てのものの中に“神”を見る心の状態は、

恵みと感謝の心のうちに成長している しるしである。

~チャールズ・フィニー~

 

【解説】 なぜそう言えるのでしょうか? それは、その人が、全ての良きものは神様から与えられる事を知っているからであり、その恵みを一つ一つ数えて、日々感謝しているからです。クリスチャンの成長は、全てのことに恵みを感じ、感謝する心の成長です。そんなとき、その人は見えない神様を“心の目”でさやかに見ており、その心は、神様と一つになっているのです。

 

(ヤコブ 1:17) 「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。」

 

"A state of mind that sees God in everything is evidence of growth in grace and a thankful heart."

—Charles Finney

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2018年

9月

22日

◆信仰の高嶺を目指すために◆

教育や、芸術や、金融や、スポーツの分野で、身を粉にした努力と忍耐なしに、成功の頂点を極めることを期待する者は、誰一人としていない。私たちは、よく“君は心底それを求めなきゃダメだ”と言う。私たちの信仰を成長させるためにも、同じことが求められるのだ。

~ウィリアム・ウィルバーフォース~(映画「アメイジング・グレイス」の主人公。18世紀イギリスの政治家)

 

No one expects to reach the heights of success in education, the

arts, finance or athletics without a great deal of hard work and perseverance. We often use the expression, “You have to really want it!” Growing in our faith requires the same.

-William Wilberforce-

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2018年

8月

15日

◆真に謙遜であるということ◆

“謙遜をもって”人に応答することは、ただ“謙遜について”説教することよりも良い。

~アレン・フッド~

 

もしあなたが、「私はどんなときも、神のみ手とそのなさり方を理解することができる」と言い張るなら、あなたは神を求めているのではなく、召し使いを求めているのだ。

~ボブ・ソージ~

 

【解説】 最初の文章を読んだ時、あのルカの福音書の“よきサマリア人の例え”(ルカ10:25-37)についての、ウィリアム・バークレーの聖書講解の一節を思い出しました。いわく、「強盗に襲われた人のそばをそそくさと通り抜けた律法学者は、その夜、人々に講演するため道を急いでいた。テーマは『愛について』」。

2つ目の文章は、“霊的傲慢”についての戒めです。私たちは、神のなさることを期待し、祈ることはできても、予知することはできません。それは人間の領分ではないからです。神のなさることは、どんなときでも、人の思いをはるかに超えています。私たちは、そのみ業を見たときに、初めて、「神様のみ業は、折にかなって美しい(伝道者の書3:11)。主は最善以下のことは決してなさらない」と、ただみ名を褒めたたえることが許されているだけです。

 

Responding in humility is much better than simply preaching on

humility.—Allen Hood

“If you insist on understanding God’s hand and ways in your life at

all times, you don’t want a God, you want a servant.”-Bob Sorge

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2018年

8月

01日

◆祈りについて知っておきたいこと2つ◆

誰かが、あなたの知らないところで、あなたのために祈るということは、本当に美しい、すばらしいことです。それは、その人に対する最も気高い“尊敬と心遣い”のかたちなのです。

 

It is really beautiful when someone prays for you without your

knowing. It’s the highest form of respect and care.

 

(2) 神様は決して祈りに疲れない

 

神様は、私たちの願いに“聞き疲れ”することはありません。私たちのほうが、“祈り疲れ”してしまうのです。祈り続けなさい。神様が、聴くのをやめたことは一度もないのですから――。

 

God doesn’t grow tired of hearing our petitions. We are the ones

that grow tired of petitioning. Keep praying. God hasn’t stopped listening.

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2018年

7月

31日

◆私の決断と神の計画◆

★私の決断のキモ: “神第一”

“神様”を第一にすれば、決断するのは容易になります。

 

(マタイ 6:33) 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

 

When you put God first, decisions become easier.

 

★神様の計画のキモ: “失わせ、もっと良きもので満たす”

神様は、決してあなたを”空っぽ”のままにはしておきません。

あなたが失ったものには、全て“代わり”をご用意くださいます。

時に神様が、あなたに何かを「捨てなさい」とお命じになるのは、あなたに、もっともっと良いものを拾わせたいと願っておられるからなのです。

 

(エレミヤ29:11) 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

 

God will never leave you empty. He will replace everything you lost.

If He asks you to put something down, it’s because He wants you to pick up something greater.

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2018年

7月

25日

◆キリストの魂への祈り◆

キリストの魂よ、私を聖(きよ)めてください。

キリストのみ体よ、私の救いになってください。

キリストの血潮よ、あなたの盃を飲ませてください。

キリストの脇腹から流れる水よ、私を洗い清めてください。

キリストの受難よ、私を強めてください。

優しきイエスよ、

私の祈りを聴いてください。

あなたのみ傷のうちに私を隠し、

いつも あなたのみそばに

おらせてください。

悪(あ)しき敵から私を守り、

私のみまかる時には

あなたの聖徒たちの交わりに招いてください。

とこしえからとこしえにわたり、

私が彼らと共に、あなたを賛美することができるために――。

アーメン。

 

【解説】 Anima Christi アニマ・クリスティ(キリストの魂よ)は、中世に生まれたと言われるカトリックの祈祷文の一つです。新旧両教派の違いを超えて、キリスト者が心からささげるべき祈りではないでしょうか。

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2018年

7月

23日

◆祈りのキモ2つ◆

《祈りの栄光》

祈りの生活における栄光とは、あなたがこれまでにご自身と交わした全ての会話を永遠に心にとどめ、誉れと思ってくださるお方とお話しできるという、途方もない恵みである。

~ベンジー・ヌニェス~

 

《祈りの忍耐》

忍耐をもって祈り続ける唯一の道は、他の橋を全て焼き払うことである。

~コーリー・ラッセル~

 

【解説】 1つ目の言葉には、意表を突かれた思いでした。“祈りの栄光”ということについて、考えたことがなかったからです。3度読み返し、心を静めて訳しているうちに、心を揺さぶるものがありました。神様は、祈りの会話の中で、ご自身が語られたことは言うまでもなく、私たちの言葉も決してお忘れにならない。私の場合で言えば、半世紀以上も前に、独り、「主よ、信じます」と思わず祈ったひと言の祈り、信仰を持ったばかりの頃のたどたどしい祈りから今日まで、そしてやがては、もう言葉も出ずに、ただ天を仰ぐ地上最後の祈りまで、一つ一つ、つぶさに覚えておられるだけでなく(こちらは祈った先から忘れていくのに!)、それを受けることを栄誉と思ってくださるとは、なんというかたじけなさ、なんという恩寵! ”祈りとは、何にもまして、途方もない恵みなのだ“と心に銘じたことでした。

2つ目の言葉は、”祈り”が、私たちに必ず訪れる人生の危機の、究極のよりどころであることを改めて教えてくれます。「橋を焼く」とは、後ろの橋を焼き払って自らの退路を断ち、決死の覚悟で敵に立ち向かうことです。私たちは困難に出会ったときに、できるだけ“橋”を残しておこうとします。何とかしてそこを渡って危機を脱したいのです。家族、親戚、友人という“ヒトの橋”、お金、貴金属、不動産という“モノの橋”、しかしその橋が多い分、私たちの祈りは“必死さ”を欠きます。祈りながら“まだあの橋がある”と考えるからです。そのような中途半端な祈りに、神様はなかなか答えてはくださいません。あなたは、全ての人間的退路を断たれて、うめきながら、泣きながら神に祈ったことがありますか? そして、「もう祈りしかない!」と心に思い定めて、一日24時間、何をしていても、ひたすら祈り続けたことが――。このような”祈りの忍耐”こそ、あなたの信仰生活の、最大の財産です。それは、「我に求めよ」と、あなたが祈りを通してただご自身に向き合うことを求めておられる神様からの、大いなる恵みだからです。

 

"The glory of a prayer life is the tremendous grace of talking to a Man who remembers and honors every conversation you've ever had with Him forever."

—Benji Nuñez

"The only way to persevere in prayer is to burn every other

bridge."

—Corey Russell

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2018年

6月

29日

◆C.S.ルイスが語る 神様と私の密接な関係◆

(1) 信じる前も

神様は、あなたには望みがないとはお考えにならない。もしそう考えられたなら、神はご自身を求めるように、あなたを動かすことはなさらなかった。

 

(2) 信じてからも

私たちが、自らを神様のご支配に任せれば任せるほど、私たちは、より本当の自分自身になっていく。なぜなら、神が私たちを創られたからである。

 

God does not consider you hopeless. If He did, He would not be moving you to seek Him.

The more we let God take us over, the more truly ourselves we become,because he made us.

-C. S. Lewis-

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2018年

6月

12日

◆とりなしの祈りが大切なワケ◆

1. 私は、ステージに立って説教をすることよりも、舞台裏でひそかにとりなしをする奉仕に進んで関わりたいと願う世代を、この目で見たいと切に願っている。 ~コーリー・ラッセル~

【解説】 原文は、直訳すると「舞台の上で説教するより、舞台の下でとりなしをする」と対照を際立たせています。(欧米の舞台は、いわゆる“奈落”で、文字どおり舞台の下で裏方さんが働くのです。)この表舞台と裏舞台の働きは、どちらも大切です。(現に、牧師の説教のために、同時進行で信徒が祈祷室でとりなしの祈りをする教会もあり、その教会は祝されています。)問題は、裏舞台のミニストリーに進んで当たる人が少ないことです。著者は、ステージで大いに用いられている説教者ですが、その彼が最も願っているのは、自分の背後で、祈りによって支えてくれる同労者なのです。これは、日本でも、今最も求められていることではないでしょうか?

2. ”とりなしの霊”とは、神のみ心に全面降伏した人生のことです。その人の祈りは天上と地獄をも揺るがし、厳しい現状の打破をもたらすのです。~コーリー・ラッセル~

 

【解説】 人のためにとりなすには、まず自分自身が、100パーセント神の意思を自分の意思として受け入れなければなりません。なぜなら、”とりなす”とは、その人のために、神の最善のみ心が成るようにと祈ることだからです。それには、自分の思いではなく、神様の思いに全く従ったときに、初めて、心からその人の最善を願うことが可能になるのです。

3. “神の人”であるかどうかが分かるのは、その人が “とりなしの祈り”に召されているかどうかであって、決して、他人(ひと)の“あら探し”にではありません。~コーリー・テン・ブーム~

 

【解説】 コーリーは、“あら探し”と“とりなし”を、私たちの霊的成熟度を測る何よりの物差しとしています。“あら探しに召される”なんて、コーリーのユーモア精神躍如ですが、ついその誘惑に負けてしまう私たちに、実は彼女は「神様は、そんなことは決してなさらない」と警告を発しているのです。“とりなし”は、相手の人の“あら”(落ち度、欠点、過ち)も、全て受け入れて、そこにスポットを当てることを一切しないで、その人の良きところを神様に訴え、その人に代わって赦しを請い、その人への神様の祝福を心から願うこと――。はっきり言って、難しい! とても無理です! でも、召されたお方は真実ですから、内住のみ霊の力によって、そのような人に、少しずつ変えてくださるのです。

 

いかがでしょうか? “とりなしの祈り”に、私のクリスチャン人生の全てがかかっていると言っても過言ではないほどの、「とりなしの祈りが大切なワケ」、お分かりになったでしょうか?

 

 

1. I’m longing to see a generation that wants to get “under the

stage” in the hidden ministry of intercession instead of “on the

stage” and preach. —Corey Russell

2. The “Spirit of intercession” is a life surrendered to the will

of God, whose prayers shake heaven and hell, bringing forth breakthrough. —Corey Russell

3. "Discernment is God’s call to intercession, never to faultfinding.”

—Corrie Ten Boom

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2018年

5月

26日

◆先達の語る「罪」の深淵と「贖い」の恵み◆

① “罪”の持つ一つの大いなる力は、人の目をくらまして、その真の性質が分からないようにすることである。

~アンドルー・マーレイ~

 

One great power of sin is that it blinds men so that they do not

recognize its true character.

-Andrew Murray-

 

【解説】 なぜなら、”罪”は、闇の世の主権者、サタンの最高の産物だからです。(ビジネスで言うなら“目玉商品”です!)「これは罪だ」と分かるには、日頃から聖書と祈りによって、「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知る」(ローマ12:2)ことと、自らの言動について、それが信仰から出ているか、周りのどんな声の中でも、確信と平安があるかを確かめることです。そこに一点でも“曇り”があれば、それは“罪”です。(ローマ14:23)

 

② 罪は、それがどんなに小さいかなどは問題ではない。それが積もり積もった力というのは、あなたの道をじわじわと“光”から遠のかせ、神なき“無”の世界へ落とし込むのだ。

~C.S. ルイス~

 

It does not matter how small the sins are provided that their

cumulative effect is to edge one away from the Light and out into the Nothing.

-C.S. Lewis

 

【解説】 さすが文学者ルイスの語る罪は、マジで恐ろしいですね。サタンが人間を破滅に追い込む手練手管の最たるものは、上記①で仮に私たちが「これは罪だ」と気づいたとしても、「大丈夫、これぐらい誰だってやってるよ。こんなの小さい小さい。誰にも分からないし、まずいと思ったらすぐやめりゃいいんだよ。どうってことないって!」と、その“小ささ”と“普遍性”に注意を向けさせ、良心を少しずつ麻痺させる緩和剤を投入して、次第に積み重ねさせて大きなものにしていくことです。“はっ”と気づいたら、もう私たちは取り返しのつかない罪の深みにはまっているのです。原文でルイスは、Light「光」、 Nothing「無」と大文字にして、その大切さを読者に喚起させています。この「光」は言わずもがな、神様、神のみ子イエス・キリストを指します。(ヨハネ1:4,5)一方の「無」は、聖書で「光」と対峙されている「闇」と考えてもいいと思いますが、この「無」の本当の恐ろしさは、この英語Nothingの意味にもあるように、そこに“神”がおられないということです。それが究極の“闇・無”の恐怖の深淵なのです。

 

③ イエス・キリストの血潮による贖いは、完全なものである。そこに加えられうるものは何もない。キリストの贖いは、一点のしみもなく、非の打ちどころもなく、傷もない。それは、神が完全であられるように、“完全”なのだ。

~A.W. トーザー~

 

The atonement in Jesus Christ’s blood is perfect; there isn’t anything that can be added to it. It is spotless, impeccable, flawless. It is perfect as God is perfect.

-A. W. Tozer

 

【解説】 ①②で終わっては、私たちは一人の例外もなく、滅びの道を行くしかありませんが、私たちには、あわれみ深い神様の、「贖いの道」が備えられています。神のみ子が、自ら全世界の人々の罪を十字架に負って歩まれた、「ゴルゴタの道」です。この贖いの恵みのゆえに、私たちは生かされているのです。この恵みに、決して慣れてしまってはなりません。

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2018年

5月

08日

◆ビリー・グラハム 今も語る◆

●説教について:

私は、自分のメッセージ(使信)を変えたことは決してありません。私は“聖書を”語り、権威を持って“聖書を”説教するのです。

 

【解説】 在りし日、日本の伝道集会でも、聖書を手にかざして、「The Bible says.. 聖書は言っています!」と力強く語られた姿が、まざまざとよみがえってきます。彼が神に用いられ、多くの迷える人々を神様のもとに立ち返らせることのできた秘けつは、神のみ言葉に対する、100パーセントの揺るぎない絶対的な信頼でした。彼が唯一畏れたのは、神の言葉の権威だったのです。

 

(Ⅱテモテ 3:16) 「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」

 

I have never changed my message. I preach the bible and I preach it

with authority.

 

●祈りについて:

最も雄弁で神を動かす力のある祈りは、他者への癒やしと祝福の手をもってなされる祈りです。

 

【解説】 「雄弁で、神を動かす力のある」とやや詳しく訳したeloquentエロクァントという言葉は、まさにビリー・グラハムのためにあるような言葉です。でも彼は知っていました。たとえどんなに言葉巧みに神に訴えても、それが「言葉や口先だけ」で、人々に対する愛の「行いと真実」が伴っていなければ、神様は決してお聴きにならないということを――。

 

(Ⅰヨハネ3:18) 「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」

 

The most eloquent prayer is the prayer through hands that heal and

bless.

 

●助けの必要な人への態度について:

私たちは、周りにいる人々の必要を、その人の心になって、あわれみを持って見るようにしたいです。

主よ、この人々を、あなたがご覧になるように見ることができるよう、助けてください。アーメン

 

【解説】 「その人の心になって」と訳した原語empathyエンパシーという言葉は、心理学用語で、その方面では「感情移入」と訳します。本当に相手の人を理解するには、sympathyシンパシー「同情」だけではダメで、その人になったつもりで、想像力を働かせ、その人の心の中の痛み、苦しみ、怒り、飢えを敏感に感じ取らなければなりません。そのときに大切なのは、助けが必要な人々の心に“感情移入”する前に、「主イエス・キリストの心になって」、主のあわれみの心に“感情移入”しなければいけないということです。

 

(マタイ 9:36) 「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」

 

We want to see the needs of those around us with empathy and

compassion. Lord, help us see them as You do. Amen.

-Billy Graham-

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2018年

4月

19日

◆”愛”に思いを馳せて◆

(1) 失楽園の教えるもの

 

全ての男と女の心には、真実の愛を取り戻すことへのあこがれがあるのです。それは、はるか昔に、あの”園”で失われてしまった、深く親しい交わりの場所に帰ることへの切なる望みです。

~アレン・フッド~

 

【解説】 これは、今世紀に最も用いられている伝道者の一人であるアレンの深い洞察から生まれた、人間の全ての愛の原点と、人類のDNAにインプットされたそこへの回帰願望の提示です。その原点とは、アダムとエヴァが毎日、いえ、刻々に味わっていた、創り主、父なる神との“深く親しい、霊的な交わり”です。この回帰願望を、かのアウグスティヌスは『告白』の中で、「父よ、私たちは、あなたのみもとに帰るまでは、魂に安きを得ません」と文字どおり赤裸々に告白しました。堕罪によって生まれた失楽園は、まことの愛を失った“失愛園”です。そしてこの園への道は、あの“十字架”の下から始まっているのです。ああ、帰りなん、いざ。

 

In the heart of every man and woman is a yearning for the return of

true love…the place of intimacy lost in a garden long ago.

-Allen Hood

 

(2) 愛があふれたとき

 

あなたが神様の愛にあふれてしまうまで、あなたの人生に愛を満たしてくださるよう、神様にお求めなさい。

―あまりにあふれて、あなたの嫌いな人をも覆うほどに!

~アン・グレイアム・ロッツ~

 

【解説】 著者は故ビリー・グラハム博士の次女です。これは、ある意味、(1)で“愛の原点”に回帰した人の全てが体験する、当然の結果です。なぜなら、イエス様の十字架の血潮によって、神様との愛の交わり意を回復し、日々神の愛に満たされて生きるということは、泉の水のふき出口をふさいでいた“罪”という自我の硬い塊が取り除かれて、あなたの内から“愛”の泉がこんこんとあふれ出るようなものだからです。―これは現実には不可能でしょうか? 私には無理とお思いでしょうか? はい、そうです。私たちが“自分の力で”と思っているうちは、絶対に無理です! だからイエス様は、進んで命を捨ててくださったのです。私たちが、このお方の愛の力で、憎しみと、恐れに打ち勝つために。そして本当に神の愛のすばらしさを、この身に味わうために――。

 

Ask Him to fill your life until you overflow with His love – even for

those you don’t like!

-Anne Graham Lotz

 

(3) 礼拝も聖餐も、これなくば…

 

あなた方は、宗教的な礼式を守るとか、信仰上の義務を果たすために創られたのではありません。

この宇宙の創り主との、愛ある交わりのために創られたのです。

~アレン・フッド~

 

【解説】 再びアレンですが、彼の目は、今度は私たちの教会生活、信仰生活に注がれます。毎日曜日には礼拝やミサがなされ、月に少なくとも1度は聖餐式が持たれます。また私たちは、キリスト者として、静思の時を持ち、家庭礼拝を守り、教会の様々な奉仕をします。全て私たちのなすべき必要なことであり、全て、私たちの目に見える二次元の世界でのことです。でもそこで、私たちが次元を超えた“上”を見上げることを忘れ、見えない高みから見ておられるお方との深い霊の交わりをおろそかにしたら、私たちが“信仰”の名のもとになす全てのことは、外面的・形式的になり、みずみずしい命の息吹と、深い愛の喜びを失ってしまします。それは、私たちがこの世に生を受けた、神の創造の意図に背くことになるというのです。この厳粛さに、私たちは襟を正さなければなりません。私たちが、どこで何をしていても、いつも“私の主、私の神”(ヨハネ20:28)に心を開いて、このお方との“愛ある交わり“を第一にすべきことを、アレンを通して神様ご自身が、あなたに求めておられます。

 

“You weren’t created for religious forms and duty but for loving

communion with the Maker of the universe.”

-Allen Hood

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2018年

4月

03日

◆キリスト教は”キリスト”なのです◆

(1) 神のみ子が人になられたワケ

 

人間が神の子となることができるように、神のみ子が人間になられたのです。

~C.S. ルイス~

 

【解説】 ここには、“主客転倒”の修辞が用いられていますね。でもこれは真実です。人が努力して、修行を積んで、神(仏)になると説く世のあまたの宗教の中で、ひとり、キリスト教だけが、「神は人間になられた」と宣言します。進化論とも呼応して、“上へ、上へ”とひたすら救いを求めるこの世界で、聖書の神様だけが、「私は下に、人間の世界に我が子を下す」と言われたのです。それは、私たちが、この限りなく低くなられた神を信じて、“神の子”となるためです。この神のみ子、イエス・キリストなしに、当然のことながら、キリスト教は成立しません。神の子とされた私たちも存在しません。この“驚くべき恵み アメイジング・グレイス”を、私たちは、決して当たり前のことと思ってはいけないのです。

 

The Son of God became a man to enable men to become sons of God.

-C.S. Lewis

 

(2) あなたの神はカルバリにおられますか?

 

“カルバリ”(十字架)なしに神を描くことは、

それがどんなものであれ、神への“背信”です。

~ラインハード・ボンク~

 

【解説】 後半生をベッドに伏したままインド宣教に生涯をささげたエイミー・カーマイケルは、その著書「カルバリの愛を知っていますか?」で、十字架の主の自己犠牲に基づかない信仰者に、たとえその言動がどんなに人々の賞賛を受けたとしても、「あなたはカルバリの愛を知らない」と言い放ちました。私たちの語る神は、いつもあのカルバリにおられるでしょうか? 主の日の講壇や私たちの証しで、人に幸福をもたらす神の力と、信じる者の祝福のみが強調されることはないでしょうか? もしそこで、私たちを救ってくださるためのカルバリの主のお苦しみと、この主に従っていくための犠牲と喜びが語られなかったならば、それは“信仰”の衣をかぶった神への背信となるのです。そこにあるのは大いなることをなされる偉大なる神と、その神に在って大いなる業をなす人間の肉の誇りだけで、私たちが神の子と呼ばれるために払われた、神の愛の原点、“カルバリ”が欠落しているからです。“背信”――この言葉の厳しさに、私たちは襟を正さなければなりません。(なお原文では、“描写(描く)portrayalポートレイヤル”と“背信betrayalベトレイヤル”で、韻を踏む修辞がなされています。)

 

“Any portrayal of God without Calvary is betrayal.”

—Reinhard Bonnke

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2018年

2月

23日

◆未来のあなたを見られる主◆

神様は、今のあなた自身より、

あなたの将来と、

あなたの人とのつながりに

興味を持っておられます。

 

【解説】 一昨日99歳の長寿を全うして、奥様の待つ天に帰られた、ビリー・グラハム師をしのんでのご紹介です。

神様は、失敗と不信仰と欠けだらけの私たちを、いつでもそのままで受け入れてくださいますが(だから私たちは生きていけるのです!)、“永遠の今”の中にある神様の目は、その私たちを超えて、いつでも私たちの未来を見つめ、私たちのより良き人間関係に興味をお持ちだというのです。すなわち、神様は、私たちの人としての霊的成熟を、何よりも望んでおられるということです。そこに決して私たちを諦めない神様の途方もない忍耐があります。(だから私たちは、自分自身を諦めてはいけないのです!)

 

“God is more

interested in your future and your relationships than you are.”

—Billy Graham

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2018年

2月

07日

◆神の祝福と聖霊の満たし◆

(1) 神の祝福

神が、ひとたびあなたを祝福すると決められたとき、

神は状況の全てを働かせて、あなたの益となるようにされる。

――たとえ他人が何をしようとしても。

~クリスティー・ジョイナー~

 

(ローマ 8:28)

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

 

When God decides to bless you, He will cause situations to come

together in your favor…no matter what others try to do.

-Christie Joyner-

 

(2) 聖霊の満たし

神は人に、ご自身の聖霊を満たすことがお出来になる。

それによって人は、山積みの困難に直面しても、

笑い、信じることができるのだ。

~スミス・ウィグルズウァース~

 

God can so fill a man with His spirit that he can laugh and believe in

the face of a thousand difficulties.

-Smith Wigglesworth-

 

【解説】 この二つの言葉から、二つのことを学ぶことができます。

一つは、神様の祝福と聖霊の満たしは、コインの両面のように表裏一体だということです。神様が私たちを聖霊で満たしたいと切に願っておられる理由は、私たちを祝福で満たしたいからなのです。それが神様の愛の本質です。

もう一つは、神様の祝福も聖霊の満たしも、この世の妨害や困難には関わりなく実現するということです。それらの背後には、見えざるサタンの手が絶えずうごめいています(Ⅰペテロ5:8)。けれども私たちが信じる神様のみ力は、サタンをも足元に踏み砕く絶対的なものです。ひとたび神様がお決めになったことは、人間のあらゆる事情を自由にコントロールされて、いいえ、宇宙の理(ことわり)をさえみ心のままに用いられて、実現なさるのです。それはひとえに、ご自身が“神”であり、ただ一人、一切の栄光をお受けになる存在であることを、私たちにお示しになるためです。

この二つの真理をしっかりと心に刻むとき、私たちのなすべきことも二つであることが、明らかになります。それは、この神様を、どんな状況の中でも“信じ抜く”こと、そして、いつもこの世の雑念から心を空っぽにして、“聖霊に明け渡す”ことです。この祝福を、ぜひあなたのものとなさいますように――。

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2018年

1月

20日

◆祈りについて心すべきこと二つ◆

(1) 祈りは ひそやかに

 

祈りの秘けつは、ひそかに祈ることです。

~レナード・レイヴンヒル~

 

【解説】 この短い原文は、一種の“言葉遊び”で、「秘けつ」「ひそかに」と訳した語はいずれもsecret。そのまま訳せば、「祈りのシークレットは、シークレットの祈り」となります。これを実行するには、もちろん現実に、静かな祈りの場所を確保して、そこで独りで祈ることも大切な要素ですが、ここではもう一つの霊的な真理は、祈っているときも、祈り終えたときも、その祈りの内容を“ひそかに”(秘密に=人に知られないように)しなければならないということです。これは、とりわけ“とりなしの祈り”において大切です。祈っている相手の人を慰め、励ますために、「祈ってますよ」と声をかけたり手紙に書いたりすることは、愛と思いやりの行為ですが、心しなければならないことは、自らの祈りを、“善行”として誇らないように気をつけること。この誘惑に負けたら、あのイエス様が厳しく戒められた、“偽善者の祈り”と同じになってしまいます。ある本に「人がとりなしの祈りに身が入らないのは、祈っていたことがかなっても、自分を誇ることができないからである。」とありました。私の内には、潜在的に、「私の祈りが聞かれたんだ」と誇りたくなる“偽善者”が潜んでいます。“ひそかな祈り”とは、この強力な己の自我と闘いつつ、主のみ前に魂を注ぎだして愛する人のために祈り、かなえられたら、ただその人のために心から喜び、主のみ名のみをあがめる者に変えられるための、大いなる主の訓練なのです。

 

(マタイ6:5,6)

「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」

 

“The secret of praying is praying

in secret.”

—Leonard Ravenhill

 

(2) 言葉よりも、心で

私は、祈りのない言葉よりも、むしろ言葉のない祈りのほうを選ぶ。

~E.M. バウンズ~

 

【解説】 19世紀アメリカで、終生“祈り”と格闘したバウンズの、最終選択の言葉です。この”祈りのない言葉”というのは、まず第一に、イエス様が言われた“異邦人”の祈りです。これは、神様よりも“人に聞かせる”祈りで、人の心に印象づけるために、きれいな言葉を並べ立て、繰り返します。でもそこには、“言葉”はあっても真の“祈り”はありません。神様が聴かれるのは、独りのときも、共に祈るときも、ただご自身に向けて心を開き、魂を注ぎだして祈る祈りです。言葉はたどたどしくてもいい、いいえ、言葉にならなくてもいいのです。神様は、あなたの口に出した言葉は聞かなくとも、あなたの心の中の全ての思いをご存じなのですから。

このバウンズの深い洞察は、さらに霊の視野を広げて、私たちの人間関係にも適用することができます。私たちはしばしば、“言葉”によって相手の誤りを正し、自分の正しさを主張しようとします。その言っている言葉は、あるいは100パーセント正しいかもしれない。でもそこに真の相手への思いやりがなかったら、“祈り心”がなかったら、それは正しくはあっても、神様の“愛”の標準には、遠く達しません。人間関係における“祈り”とは、相手の人への“愛”と同義語です。そのことに思いを致したら、私たちには、時には一言も相手を責めることなく、まさに“ひそかに”その人のために祈ることも大切ではないでしょうか。その祈りをも、神様は確かに聴いておられるのですから――。

 

(マタイ6:7,8)

「また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」

 

“I would rather have prayer without

words than words without prayer.”

—E. M. Bounds

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2017年

12月

19日

◆アドベントに主の再臨を思う◆

天の王座の真ん中におられる“小羊”なるお方は、教会のただなかに帰ってこようとしておられる。

~コーリー・ラッセル~

 

【解説】 今週の日曜日に、「アドベント -愛に満たされる時-」というタイトルで、月に1度の講壇のご用を務めさせていただきました。その時の話の中で、「アドベント」は、待降節(降臨節)であると共に、主の再臨を待ち望む思いを新たにする季節でもあると説明しました。この言葉には、そのような意味もあるのです。

今日の記事は、次のことを教えてくれます。

① 原文では、前半にmidst(真ん中)、後半にcenter(ただなか)という意味の似通った言葉を配して、“小羊”なるお方、イエス・キリストが、今、天においても、やがて地においても、“中心”であられることを表しています。やがて再臨なさる主は、全世界の王の王となられますが、まず何よりも、“教会の主”となられるのです。これは、エペソ人への手紙1:20-23の完成です。

② 原文の後半、is coming backはご存じ、現在進行形です。will come back (some day)「(いつか)帰ってこられるだろう」ではなく、「(今、この時に)帰ってこようとしておられる」のです。

アドベントのこの季節に、主の再臨を、今か、今かと待ち望む(待再降臨!)思いを募らせることは、まことにみ心にかなったことであり、忘れてはならないことなのですね。

 

(エペソ 1:20-23) 「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」

 

“The Lamb who is in the midst of

the throne is coming back to the center of the Church.”

—Corey Russell

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2017年

12月

07日

◆主よ、私をあなたの”声”にしてください◆

私は一人の王が欲しい。

私は一人の師が欲しい。

私は一人の指導者が欲しい。

そして私は、このお方の“声”になりたい。

~アレン・フッド~

 

【解説】 私たちには、心から仰ぎ従うべき王も、師も、指導者も、ただ一人で十分です。そして私たちの主は、この全ての資格を満たしたお方です。したがって、この短い詩は、人間の根源的な欲求の強さを吐露したものですが、誰でもキリストを信じ、この方のうちに生きている者は、この詩をこのように読み替えることができます。

私には一人の王がいる。

私には一人の師がいる。

私には一人の指導者がいる。

 そして、最後の1行に続くのです。この詩の優れているのは、この1行があるからです。これがなければ、単なる願望です。「我、太平洋の橋とならん」と言ったのは新渡戸稲造です。「我、荒野で叫ぶ者の声たらん」としたのはバプテスマのヨハネです。今、この世の真っただ中に生きる私たちはどうでしょう。キリストの福音を伝える“声”となっているでしょうか? 「私だ。恐れることはない。」「私のもとに来なさい。あなたを休ませてあげる。」「私は、世の終わりまであなたと共にいる。」「あなたは高価で貴い。」――今も生きて、こう言っておられる主の、臨在と、約束と、慰めと、励ましと、受容の言葉を、最もそれを必要としている人に伝える“声”になっているでしょうか?

 この最後の1行は、著者アレン・フッドだけではない。私の、あなたのコミットメント(主への献身を伴う約束)でなければならないのです。静かに、声に出して言ってみてください。「私は、このお方の“声”になりたい」と――。きっとそのあとには、「主よ、私はふさわしくない者です。か細い声しか出せない者です。どうぞ私のうちに生きておられるあなたのお力によって、こんな私でも、あなたの”声”にしてください」という祈りが、湧き出てくるはずです。

 

I want one King.

I want one master.

I want one leader,

And I want to be His voice.

-Allen Hood-

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2017年

11月

20日

◆あなたの祈り 二つ◆

《感謝》

私の悪しき日々には、あなたを探し求めます。

私のよき日々には、あなたに感謝します。

私の最良の日々には、あなたを賛美します。

私には、一日一日、あなたが必要なのです。

神様、私のために、いつもそばにいてくださって、ありがとうございます。

 

On my bad

day, I seek You. On my good days, I thank You. On my great days, I praise You.

I need

You every day. Thank You God for always being here for me.

 

《献身》

愛する神様、

私が呼吸する息の一つ一つと、

あなたのみ心をあがめるためにお与えくださった

一日一日を感謝します。

どうぞ私が“時”を賢く用い、

私の人生に対するあなたのご計画を生き抜くことができますように。

アーメン。

 

Dear God,

I thank you for every breath that I take and every day You give me to honor

Your will. I pray that I use my time wisely and live out Your plan for my life.

Amen

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2017年

11月

07日

◆私の祈りの中のあなたへ◆

あなたが涙の霧の中を通り抜けているとき、

心の痛みの地滑りと、入り混じる恐れの中にあるとき、

私は祈りの中であなたを覚えています。

 

神様があなたをご自身の手のひらに安全に支えておられるとき、

そして天使を送り、あなたが立つのを助けられるとき、

私は祈りの中であなたを覚えています。

 

あなたが悪意ある試みと勇敢に闘いながら

平安と休息を切に願うたびごとに、

私は祈りの中であなたを覚えています。

 

希望の光が夜の闇を引き裂き、

天をかいま見たあなたの信仰が新たにされるとき、

私はひざまずき、

この祈りのたまものと、あなたの回復された魂のゆえに、

主に感謝します。

 

"In My Prayers"

As you make your way through a fog of tears,

a landslide of heartache and multiple fears,

I'll remember you in my prayers.

While God holds you safe in the palm of His hand

and sends His angels to help you stand,

I'll remember you in my prayers.

Each minute you long for peace and rest,

courageously fighting this willful test,

I'll remember you in my prayers.

When a ray of hope pierces the night

and your faith is renewed by the heavenly sight,

I'll drop to my knees and thank the Lord

for

the gift of prayer and your spirit restored.

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2017年

10月

28日

◆奇跡:祈りが生み出すもの◆

“祈り”があなたの習慣になるとき、

“奇跡”があなたのライフスタイル(普通の生き方)になる。

 

【解説】 ”祈り”と”奇跡”は、私たちの信仰生活の表裏一体です。これは、次々に不思議なことが起こるということでは必ずしもありません。超自然的なことだけを祈りに期待するなら、私たちは早晩失望することになります。この言葉の真の意味は、祈りによって私たちの心がより神様に近くなり、神のみ心が分かるようになると、それまで気づかなかった、神様の驚くべきご配慮が、ほんの小さなことに至るまで、よく見えてくるということです。その恵みを一つ一つ数えて感謝し、神に栄光を帰するときに、神様は、より大きなことを現実に、“あなたを通して”成してくださいます。その時に、私たちは、神様の大小の“奇跡”の中で、「あ、神様、今日はこんなすばらしいことをしてくださいましたね」と、主を褒めたたえながら毎日を送るようになります。これが、神が期待されるキリスト者のライフスタイル、信仰生活の醍醐味です。

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2017年

10月

20日

◆祈りが必要なワケ◆

神様は、あなたにいてほしいところに導いてくださいます。

でも神様が自分をどこへ行かせたいのかを知るために、

あなたは神様と毎日お話ししなければなりません。

そのカギが“祈り”なのです。

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2017年

9月

09日

◆祈り: 究極の保霊剤◆

鳥にとっては翼が、

船にとっては帆が欠かせないように、

魂にとってなくてならないのは、“祈り”なのよ。

~コーリー・テン・ブーム~

 

【解説】 あの冷たく最悪のナチス収容所の数年間を、ただ“祈り”によって、上よりの力を頂き、耐え抜いた彼女の言葉は、単にクリスチャンには聞き慣れた“信仰生活の基本”以上の重みがありますね。人は、全く他に頼るべきものがない窮状に陥ったら、もう祈ることしかできないのです。朝起きて祈り、目覚めている時も絶えず神と語り、夜も祈りの中で床に就く。コーリーは、あの地上の地獄の中で、本当に生きて彼女のそばにいてくださる主イエスの臨在を、彼女のそれまでの人生のどの時よりも、まさに肌で感じていたのでした。そして、その時以来、“祈り”は”呼吸”のように、自分と切り離すことのできない彼女の“存在の一部“となったのです。

 “呼吸のような祈り”。――これは、何も彼女の味わった最悪の状況でなければできないことではありません。呼吸はいつ、どんな時でも私たちが生きるのに欠かせないように、祈りもまた、私たちの魂が死なないためには、絶対不可欠のものです。私たちの外なる人はやがて衰えますが、“祈り”によって、内なる霊をいつも活性化させて、イエス様との交わりの中に置くことを習慣化するとき、いつしか、どんな地上の試練の中でも、平安と確信をもって耐え抜いていける力が養われます。“祈り”は、必ずしも場所を定め、言葉に出して言う必要はありません。大切なのは、どんなときも、あなたの魂が、イエス様に開かれていることです。“心の声”で主と会話し、その静かな細いみ声を聴き取れる状態にしておくことです。そのときに神様が注いでくださる豊かな霊の祝福を、ぜひ、あなたのものとなさいますように――。

 

What wings are to a bird and sails to a ship, so is prayer to the soul.

-Corrie Ten Boom-

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2017年

8月

30日

◆とても安らかになれる祈り◆

神様。

もしこれがあなたのみ心でないなら、

握りしめた手から滑り落としてください。

そして、それを思い煩うことのない平安を与えてください。

アーメン。

 

God, if it’s not Your will, let it

slip through my grasp and give me the peace not to worry about it. Amen

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2017年

8月

25日

◆ひざまずいて…立つ!◆

神の前にひざまずく者は、

いかなる者の前にも立つことができる。

 

全ての闘いを、あなたの“膝”で闘いなさい。そうすれば、いつも勝利が訪れます。

トラブルとその解決との”最短距離”は、あなたの膝と床の距離と同じです。

 

【解説】昔、イギリスの大伝道者、ジョン・ウェスレーの家を訪れたことがあります。彼がいつもひざまずいて祈っていた床は、擦り減ってくぼみができていました。自分の力に頼る道を一切放棄し、全能者の前に、己を限りなく低く、床に額を付けんばかりにひざまずくとき、あれほど遠くに見えた解決への道は、すぐ目の前に開かれるのです。

 

WHEN WE BOW BEFORE GOD WE CAN STAND BEFORE ANY MAN OR WOMAN.

FIGHT all your BATTLES on your knees and YOU WIN every time.

The shortest distance between a PROBLEM and a SOLUTION, is the same distance between YOUR KNEES and the FLOOR. 

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2017年

8月

25日

◆我を呼べ◆

雨空でも、厚い雲がある朝でも、

私の名を声高く呼ぶがよい。

私は、雲の上から聞いているよ。

 

皆さん。新しい朝、おはようございます!

 

Whether it may rainy sky or a morning in

thick cloud,

call my name right out loud. I can hear above

the clouds. Very Good – morning.

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2017年

8月

25日

◆祈りは、こんな心で◆

いつでも、こんな願いを込めて祈りましょう。

―出会う人の、最善のものを見る目を持てますように。

―正直さを十分に理解する心を持てますように。

―真実を言い表す理性を持てますように。

―価値あるものと結びついた魂を持てますように。

 

Always pray to have eyes that see

the Best in people,

A heart that realizes the honesty,

A mind that expresses the truth,

A soul that belongs to worth

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2017年

8月

25日

◆祈りに対する神の3つの応え方◆

神様は3つのやり方で、あなたに応えられます。

「分かった」と言われるとき、神様はあなたの望みのものをお与えになります。

「ダメだ」と言われるとき、神様は何かもっと良いものを与えられます。

「待て」と言われるとき、神様は最良のものを与えられます。

 

【解説】 祈りにおける神の応えの3段階を単純化して表した原文には、中学英語の3変化、good-better-bestが使われています。もちろんこれら3つは、いずれも“神のみ心にかなった祈り”という大前提が付きます。(もし出来心でとか、“ダメもとで”などといういいかげんな思いで祈るなら、たちどころに“却下”です! 余談ですが、字幕翻訳学校でアメリカの裁判制度について教えていますが、法廷での原告・被告側からのクレームに対する裁判長の答えは2つ、Sustainedサステインドか Overruledオーヴァールールドかです。前者は「認める」、後者は「却下する」で、その却下ですね。神様は、”天の法廷”の裁判長でもありますから!) ) “この祈りは、神のみ心にかなっている“という内なる確信があるなら、安心して、大胆に、主の最良最善のお応えを待ちながら、祈り続けることです。

 

(ヘブル 10:36) 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」

 

私自身は、この第3段階の神様のお応えを待って、もう2年になる大いなる忍耐のただなかにいます。正直、本当に苦しい試みの中を通らされていますが、“これが約束のもの”と信じて、なおも祈り続けます。

あなたは、いかがですか?

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2017年

8月

19日

◆祈りは、こうやって自分のものに◆

≪キッチン・メモ≫

【ピリピ4:6】 何も(⇒請求書。⇒食べ物。⇒仕事。⇒着るもの。)思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

 

【解説】ハハハ、こうやって、祈りを自分で書いて、具体的に、個人的に注釈を入れて、キッチンに貼り、…自分のものしていくのです!

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2017年

8月

19日

◆幼子の祈り◆

愛する神様、

どうぞ、あたしの家族と、

あたしの友達を

祝福してください。

アーメン

 

イエス様、あたしの魂のミュージック…❤

 

【解説】はい、なぜこの訳す必要もない素直な祈りをご紹介したかというと、目的は写真。この、どこかで見たかわいい子、オールド・ムービーファンなら“一目で”でしょう? そう、往年の天才子役、シャーリー・テンプルです。

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2017年

8月

19日

◆ノックは、まずあなたから◆

もしあなたが神様に、

あなたのドアをノックしてもらいたいと思ったら、

あなたが行って、神様のドアをノックしなさい。

あなた自身をまず神様に“与える”のです。

そうすれば、あなたは“受ける”でしょう。

 

<神様の祝福がありますように。

恵みのうちにとどまりなさい。>

 

"When you want God to knock on your door, you go and knock on God's door. Give of yourself and you shall receiv." God bless you. Stay blessed.

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2017年

8月

19日

◆せっかちな祈りは禁物です!◆

時として、私たちの祈りはあまりにせっかちなので、

神様がドアを開いてくださる前に、

最後の「アーメン」を言ってしまいます。

そして、私たちの服従は、あまりに不徹底なので、

神様がお命じになる前に、逃げ去ってしまうのです。

(クリムズン・ウー)

 

(上記へのコメント)

その点で、私たちは罪を犯してますね。神様の愛すべき優しさと忍耐に感謝します。私たちの父なる神様は、私たちに必要なものを、求める先にご存じだということを、思い出すことができますように。でも神様は、神の子どもたちである私たちの祈りを聞くことと、私たちと交わりを持つことを望んでいらっしゃいます。ですから、私たちが祈りの中で神様のもとに行くときには、私たちは急(せ)いてはなりません。このお方に聴くための時間を取り、そのお声を待たなくてはなりません。(マデレン・ワー)

 

【解説】はい、ウーさんの言葉のユーモアと痛烈な皮肉、分かりましたか? 苦笑しながらも、自らの祈りを真面目にチェックしましょうね。

 

Sometimes, our prayer is so hurried that we say amen even before God opens the door, and our obedience is so incomplete that we rn away even before God commands.

-Crimson Woo-

 

We are guilty of that sometimes. Thank God for His loving kindness and patience. May we be reminded that our Father knows our needs even before we ask. But he longs to hear and have fellowship with His children. Therefore, when we come to Him in prayer, we must not rush, but take time to hear from Him and wait upon Him.

-Madeleine Wah-

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2017年

8月

19日

◆この絵を見れば、こんな祈りが…◆

私がこの手で働ける仕事が、いつもありますように。

私の財布に、いつも100円玉の1,2枚がありますように。

私の窓辺に、いつも太陽が輝きますように。

雨が降ったあとには、必ず虹が現れますように。

いつも友の助けの手が、私の近くにありますように。

神様が、いつも私を喜ばすうれしさで、私の心を満たしてくださいますように。

 

May there always be work for your hands to do.

 May your purse always hold a coin or two.

 May the sun always shine on your windowpane.

 May a rainbow be certain to follow each rain.

 May the hand of a friend always be near you.

 May God fill your heart with gladness to cheer you

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2017年

8月

19日

◆み国が来ますように…◆

「王国」(“み国”の原意)という言葉を聞くと、私たちは中世のお城、王たち、騎士たち…などを想像します。しかし、マタイ6:10で「王国」(み国)と訳された元のギリシャ語の意味は、「支配」や「統治」を意味します。ですから、ここは「あなたの統治が来ますように」とも訳せるのです。そのほうが、キリストが言おうとされた意味をよりはっきりさせます。主は、「神様の支配が、天上でと同じように、地上でも明らかになりますように」と祈られたのです。

 

あなたが「み国が来ますように」と祈るとき、あなたは、“キリストが今すでに天においてなさっておられるように、この地上でも統べ治めてくださいますように”と祈っているわけです。

 

 

"Thy kingdom come" (Matt. 6:10)

When we hear the word kingdom, we tend to think of medieval castles, kings, knights, and the like. But "kingdom" in Matthew 6:10 translates a Greek word that means "rule or "reign." We could translate the phrase, "Thy reign come." That gives a clearer sense of what Christ meant. He prayed that God's rule would be as apparent on earth as it is in Heaven.

When you pray, "Thy kingdom come," you are praying for Christ to reign on earth as He already does in Heaven.

 

 

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2017年

8月

19日

◆今日の祈り◆

主イエス様、私たちの内に働かれるあなたが、この私個人の主であり、救い主でいてくださることを感謝します。あなたの愛と忍耐のゆえに、感謝します。どうぞこれからも、私たちを導き、守り、祝福してくださいますように。❤

 

神様は、毎日、私を愛してくださいます!

 

Lord Jesus, thank You for being my personal Lord and Saviour who works in our lives. Thank You for Your love and patience. Please continue to guide us, protect us and bless us.

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2017年

8月

16日

◆誇る者は主を誇れ◆

私は、“自分の弱さ”を高らかに触れ回るために、召されたのではありません。

私が召されたのは、“主の強さ(力)”を宣言するためです。

 

~ボブ・ソージ~

 

【解説】 これこそは、キリスト者が持つべき、まことの矜持です。現実には、しばしば、「自分は弱い者です。何もできません」と、さも謙遜に、そして内心“誇らしげ”に、語る人がいます。そして、この身を愛し、ご自身の命をさえ捨ててくださったお方のために、何ひとつ犠牲を払おうとしません。ある人はそれを、クリスチャンの“謙遜傲慢”と呼びました。そのような福音理解は、明らかに“ゆがんで”います。私たちは、「私は弱いゆえに強い。主が強いゆえに、この私も強くしていただけるのです。」と、機会あるごとに証ししなければなりません。そのために私たちは主に召されたのです。主を誇るために、主のみ名のみがあがめられるために――。そして、この生き方を可能にする唯一の道が“祈り”であることを、どうぞ忘れないでください。

 

(Ⅱコリント 12:9,10)

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

 

“I’m not called to go around

declaring my weakness, but His strength.”

—Bob Sorge

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2017年

8月

08日

◆祈れば神が分かります◆

人に神を知ってほしいと望みながら、彼らに祈ることを教えないというのは、ありえないことです。

~アイザック・ベネット~

(訳 小川政弘)

“It is impossible to want people to know God and not teach them how to pray.” 

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2017年

8月

02日

◆FBフレンドの祈り◆

(祈りも時代と共に変わりゆく…)

 

神様が、私の人生から、全ての病を【デリート(消去)】してくださいますように。

神様が、私を成功に【タグ付け】してくださいますように。

神様は、私の人生に、よきことを【ポスト(投稿)】してくださいます。

神様が、私を攻撃してくる敵を【ブロック】してくださいますように。

神様が、性根の悪い人たちによって、私に対して仕組まれた全ての不具合を、【キャンセル】してくださいますように。

私を嫌いだった人たちも、私に【いいね!】をする他はなくなるでしょう。

 

●祈りなさい。祈りは、奇跡をもたらします。

 

(まさか、この女の子が、こんなススんだお祈りをしているわけじゃないでしょうが…)

 

May God DELETE all sickness from your life..

May God TAG you to success.. God will POST

good things to your life..

May God BLOCK your enemies from attacking

you..

May God CANCEL all accident kept for you by

the wicked ones.. Your haters will have no other

option than to LIKE you..

 

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2017年

8月

02日

◆今日の祈り◆

主イエス様、私の愛する人々に、彼らが必要としている“喜び”を与えてください。あなたがお与えくださる喜びは、あなたのみ言葉が言っているように、とても言葉で言い表すことができない、そして栄光に富んだ喜びです。あなたが私たちのためにしてくださる全てのことのゆえに、感謝します。❤

 

私たちが、“自分の問題”を神様のみ手に乗せる(put)と、

神様は、“ご自身の平安”を、私たちの心に入れて(put)くださる。

 

Lord Jesus, please give my loved ones the joy

that they need. I know that the joy You give is indescribable and full of

glory, as Your Word says. Thank You for all that You do for us.

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2017年

7月

25日

◆絶えず、このことを祈りなさい◆

神様、私にお与えください――

その人の中の、“最良”のものを見る目を。

“最悪”のことを赦す心を。

悪しきことを忘れる理性を。

そして…

決して神への信仰を失わない魂を。

 

(マザー・テレサの祈りを思い出させますね。)

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2017年

7月

25日

◆今日の祈り◆

主イエス様、信仰をもってあなたに従う私たちに、あなたが与えてくださる恵みと、私たちをきよめてくださるみ力に感謝します。私の人生で、私を変えてくださった全てのことにも感謝いたします。今日も、どうぞ私のうちに働き続けてください。❤

 

Lord Jesus, thank You for Your wonderful grace and Your power to cleanse us, as we follow You by faith. Thank You for making all of the difference in my life. Please continue to work in me today.

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2017年

7月

24日

◆今日の祈り◆

主イエス様、私がやってしまった悪いことのゆえに、どうぞ私をお赦しください。私が変われるように、私の心にお働きください。よりあなたに似た者にしてください。へりくだった心で、あなたにこの身を差し出します。み心のとおりに、私をつくり変えてください。あなたのあわれみと恵みのゆえに、感謝します。❤

 

今日、

あなたの過去を忘れ、

あなた自身を赦し、

再びスタートしましょう。

 

Lord

Jesus, please forgive me for the things that I have done that are wrong. Work

on my heart to change me. Make me more like You. I submit to You today, in

humility. Make of me what You will. Thank You for Your mercy and Your grace.

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2017年

6月

26日

◆ある真実な祈り◆

主よ、心の乱れや迷いのないデボーション(静思の時)、

ひたむきな礼拝の思いが、

私の心から湧き出るようにと願い求めます。

 

まるであなたがこの部屋におられないかのように、

“あなたについて”語りたくはないのです。

 

~ミスティー・エドワーズ 「鳩の目」より~

 

Lord, we ask for undistracted devotion and undistracted worship to come from our hearts.

I don’t want to talk about You like You’re not in the room.

-Misty Edwards- Dove’s Eyes

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2017年

6月

25日

◆イエスのみ手の中で祈る◆

私たちの祈りや努力は、

私たちの心を正しく変えてくださるイエスのみ手を離れては、

天国に入るにふさわしい者とはしてくれない。

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2017年

6月

18日

◆ある朝の祈り◆

◆信仰と希望と愛の庭で◆

―ある朝の祈り―

 

主よ、私の人生を、

あなたの光が隅々まで入り込むための

窓にしてください。

そして、出会う全ての人への

あなたの愛を映し出す鏡にしてください。

 

(アーティスト) ティム・コックス

 

“Lord, make my life a window for your light

to shine through and a mirror to reflect

Your love to all I meet. Amen”

- Unknown

Artist: Tim Cox

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2017年

6月

17日

◆こんな祈りも、神はきっと喜ばれます◆

お父様、

私が、何度も何度もあなたのみ助けを感じ、

あなたが私の地上の人生を

天のもので満すことがおできになると知って、

感謝いたします。

 

Father, we thank you that again and again we feel Your help and know

that You can fill our earthly life with what is of heaven.

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2017年

6月

08日

◆黙想: 祈りの真髄◆

内省と黙想的な祈りは、

それによって私たちが、心の内に神を見始めるための

古代(いにしえ)からの訓練です。

~ヘンリ・ナウエン~

 

"Introspection and contemplative prayer is the ancient discipline

by which we begin to see God in our heart." —Henri Nouwen

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2020年

5月

06日

◆信仰の先達の声に聴く(2)◆

◆信仰の先達の声に聴く(2)◆

―ニーバー: 静謐(せいひつ)の祈り―

【文語訳】

神よ、

変ええざるものを受け入れる静謐さを、

変えうるものを変える勇気を、

その違いを知りうる知恵を与えたまえ。

【口語訳】

神よ、お与えください――

変えることのできないものを受け入れる静穏さを。

変えることのできるものを変える勇気を。

その違いを知るだけの知恵を。

お許しください――

一度に1日を生きることを。

一度に1つの時を楽しむことを。

困難を平安への通り道として受け入れることを。

この罪に満ちた世を、望ましいものとしてではなく

主がなさったように、ありのままに受け入れることを。

私を主のご意志に明け渡すとき

主が全てを善きにしてくださると信じることを。

私がこの世においては、ほどほどに幸せであり、

来るべき永遠の世においては

主と共に、至上の幸いを味わうためです。

アーメン。

~ラインホールド・ニーバー(1892-1971)~

【解説】 かのニーバーの「静謐の祈り」、最初の段落が広く知られていますが、今回はその全てをご紹介します。ぜひ声に出して、ご自分の祈りとして祈ってみてください。アッシジのフランチェスコの祈りや、マザー・テレサの祈りと共に、やはりいつまでも祈り継がれる“人類の祈りの遺産”ですね。

-

Serenity Prayer

God grant me the Serenity to accept the things I cannot change, Courage to change the things I can, and the wisdom to know the difference. Living one day at a time; Enjoying one moment at a time; Accepting hardship as the pathway to peace. Taking, as He did, this sinful world as it is, not as I would have it; Trusting that He will make all things right if I surrender to His will; That I may be reasonably happy in this life, And supremely happy with Him forever in the next. Amen - Reinhold Niebuhr (1892-1971)

 

【FBギャラリー】No.139 モーガン・ウェイストリング 「祈り」

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2020年

4月

22日

◆新型コロナウイルスの中で◆(8)

―祈り―

《これは現代の“過ぎ越しの祭り”です》

私たちは、家の中にとどまって、ただ祈るのです。

なぜなら、これはまさに“過ぎ越しの祭り”だからです。

“死の霊”が外をうごめいています。

神様は、ご自身の民が、祈りと断食の中で内にとどまることを

望んでおられるのです。

~サミュエル・アーサン~

【解説】これは私たちに、この全世界に及ぶ災害への霊的気づきを与える勧めですね。あのイスラエルの民のように、このあとに約束された神様の“出エジプト”の奇跡を信じて、神の“祈りへの召し”に従いましょう。

We can just pray by staying inside our houses because it is just like the Pass-over. Death of Spirit is moving outside. God wants to stay His people inside in prayer and fasting.- Samuel Ahsan

【お祈りの勧め】 数日前、少女アリャに導かれて、新型コロナウイルスの犠牲者と家族のため、そして収束を願いつつ働く全ての人のために祈った私たち。さあ今度は自分自身のために祈りましょう。下記の2つの祈り、一度お読みになったら、心を主に向け、手を組んで、声に出してお祈りになったらいかがでしょう。また、これからも何度か、示されるままにお祈りください。

《祈り1》(下記写真)

神様、

あなたの愛と光を感謝します。

私たちが、この困難なときに、

(あなたから-訳注)”力”を見いだし続けることができますように。アーメン。

Thank you, God for your love and light. May we continue to find strength in this hard time. Amen. (Yours Mine and Ours Memory Box)

《祈り2》

み父よ、あなたのみ手の中に安らげるようお助けください。

自分の人生がもはやコントロールできないと感じるたびに、

何が起こっているのか混乱し、分からなくなるたびに、

あなたに信頼することを学ばせてください。

あなたのみ手は力強く、あなたの心遣いは現実のものですから――。

主よ、あなたに感謝します。

たとえどんなことが起こっても、

あなたはいつもそばにいて私を支え、

両のみ手で私を抱え、

忠実に私を見守っておられることを知っていますから――。

み父よ、私の心を鎮め、全ての心配を取り去ってください。

どうぞ、あなたのみ霊の静かな励ましの言葉をお聞かせください。

それは私の魂に安らぎをもたらしますから――。

主の力あるみ名によって祈ります。アーメン。

Father, help me to rest in your hands.

Whenever I feel like my life is out of control, whenever I’m confused and unsure of what is happening, let me learn to trust in you. For your hands are sturdy and your care is real. Thank you Lord, for I know that no matter what happens, you’ll always be there to support me, hold me in your hands and watch over me faithfully. Father, calm my heart and rid it of all anxiety. Let me hear the quiet reassuring words of your Spirit as they bring comfort to my soul. In His Mighty Name we pray ! Amen!

(詩篇 46:10) 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。(口語訳)

(イザヤ 41:10) 「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

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2020年

3月

25日

◆祈りについての4つの霊想◆

1.《祈りは神様との親交です》

祈りはあなたにとってたやすいことではないかもしれません。私も祈りと格闘しています。祈り以外のあらゆることに心を向けている日々があるのです。

でも私は、神様が私に、ご自身との本当の交わりを求めておられることに、いつも気づかされています。真に親しい交わりには、なんにも身構えないで、互いに言葉を交わし合うことが必要なのです。

Prayer may not be easy for you. I struggle with it too. There are days where I'm focused on everything, but praying. But I'm always reminded that God wants us to long for an authentic friendship with Himself. A friendship requires vulnerability and conversation.

2.《祈りは会話です》

祈りは“会話”だとお考えください。あなたは祈りにおいて、まず神様に話します。それからあなたは、聖書を読むときに神様がお語りになるのを、心を集中して聴きます。私はイエス様が言われたこの言葉が好きです。

(ヨハネ 15:7) 「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」

Think of prayer as conversation. You speak to God in prayer; then you listen attentively as He speaks to you as you read your Bible. I love what Jesus said,

Jesus said, “If you abide in Me, and My words abide in you, you will ask what you desire, and it shall be done for you” (John 15:7).

3.《祈りは何でもかなう魔法ではありません》

祈りは、瓶の中に、すごい力のある精霊を持っていて、それを念じながらこすると聖霊がぴょんと飛び出してきて、あなたの入念に考えた願い事をかなえるのを望むようなことではありません。

祈りは、神様にあなたの望むことをやってもらうことでもありません。祈りは、神様が望まれることに、あなたの心と、意志と、思いを合わせることです。祈りは、神様のみ心(ご意志)に合わせることなのです。

Prayer is not like having a cosmic genie in a bottle and then rubbing the bottle by faith, hoping the genie will pop out and grant your elaborate wishes.

Prayer is not getting God to do what you want. However, prayer is lining up your heart, will, and thoughts with what God wants. Prayer is lining up with God’s will.

4.《神様のみ心を知るには?》

神様のみ心は何かを、あなたはどうやって知りますか? 神様にとどまり、神様を信頼し、神様に従うことによってです。

信仰をもって一歩踏み出し、神様に話し、どれほどの変化がもたらされたかをよく見守ってください。あなたの周りが変わらなければ、あなた自身の中で――。

~ラズホーン・コープランド~

And how do you know what His will is? By abiding in and trusting and obeying God. Take a step in faith, speak to God, and watch how much things will change - if not around you, inside of you.

-Rashawn Copeland

(All 1-4 by I’m so blessed daily)

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2020年

3月

19日

◆静かなる魂のささやき③了 祈り◆

-A quiet soul whispers 3. Prayer-

 

時として、祈りは、

あなたが自分は祈っていたとさえ気づかないのに、

応えられます。

 

【解説】これは、ひとえに神様のあわれみと恵みですね。私たちは、時には、願いや望みを祈りの声に出さず、心の中だけで思っていることがあります。そして時には、祈ったという意識さえないことも。そんな祈りをも、神様は全てお聴きになり、受け止め、ご自身のみ心の時にかなえてくださるのです。なんという神様のスゴさ! まさに神ワザです。だから私たちは、思いがけない恵みを頂いたときは、それによって、心の中を探り、それが実は自分が望んでいたことだったと気づいたら、忘れずに声に出して(!)感謝の祈りをささげることです。

(マタイ 6:8) 「なたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」

Sometimes a prayer gets answered that you didn’t even know you were praying.

 

(写真)ガーデンシリーズ3

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2020年

3月

09日

◆激動の中にある友への祈り◆

あなたが、

人生の“乱気流”をくぐり抜けて成長し、

平安の“虹”を見いだすことができますように。

【解説】人生には、時として思いもしない激動の乱気流が待ち受けています。私も40回近い海外旅行で、ジャンボジェットが木の葉のごとく揺れ、ジェットコースターのように急降下する恐怖を何度か経験しました。そしてあろうことか、この人生の晩年に、もう墜落かと思うような“大荒れ”に突入したのです。今もその真っただ中をくぐっています。でも最善以下を決してなさらない神様を見上げ、この暗雲の向こうに、輝く七色の虹を見る時が来ることを、私は固く信じています。どうぞ、今そのような困難の中にあるあなたも、それに耐えて、一回りも二回りも成長し、ノアが見たあの神様の約束の虹を見ることができますように――。

(創世記9:13-15) 「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。」

May you grow through the turbulence of life and find your rain

bow of peace (by A Peaceful Place)

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2020年

2月

13日

◆恵みは信仰に比例する◆

良きものは、“待つ”人に訪れます。

さらに良きものは、“諦めない”人に訪れます。

そして最善のものは、“信じる”人に訪れるのです。

【解説】 はい、これも中学英語の三段活用、good<better<bestを用いた格言です。”良きものは必ず与えられる”という思いが強まるほど、神様のお与えくださるものもすばらしくなるのです。時には、人が求めたものを超えるほどに――。ふと思い出しましたが、初めてのトーキー映画は、ご存じ、アル・ジョルスンの「ジャズ・シンガー」で、この映画で初めて人々がスクリーンで耳にした英語のセリフは、「Wait a minute! Wait a minute! You ain't heard nothin' yet!(待ってくれ!待ってくれ!お楽しみはこれからだ!)」でした。信仰の世界でこれを言うなら、さしずめこうなるでしょう。「Wait a minute! Wait a minute! You ain't obtained nothin' BEST yet!(待ってくれ!待ってくれ!最善のものはこれからだ!)」 GoodやBetterで満足しないでください。The Best は、これから。それはあなたの“信仰”にかかっているのです。

Good things come to those who wait… Better things come to those who don’t give up… and the best things come to those who believe. (by Still Moments)

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2020年

2月

12日

◆祈りを諦めないで!◆

ネヴァー・ギヴアップ・オン・プレアー

祈りを決して諦めないで。

神様は、時として、思いがけない方法で応えてくださるのです。

いつの日か、あなたは、決して諦めなかったことで、

自分自身に感謝するでしょう。

【解説】 何やら預言めいていますが、これは聖書が語る真実です。ただ祈り続けることです。そして、神様の“思いがけない応え”を見逃すことのないよう、いつも霊の眼(まなこ)を開いておくことです。そのタイミングも、“思いがけない時”かもしれません。その応えを確信できたら、ただ心から感謝しましょう。

Never give up on prayer. God sometimes answer in unexpected ways. Amen(by Inspire Positive Soul Sensations)

One day you will thank yourself for never giving up. (by Love Wide Open)

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2020年

1月

31日

◆祈り:ひざまずいて…立つ!◆

あなたが神の前にひざまずくと、

神があなたのために立ち上がります。

そしてひとたび神が立ち上がると、

誰もあなたの前に立てる者はありません。

また、神の前にひざまずく者は、

誰の前にも立てるのです!

【解説】 これは英語のkneel (down)「膝をかがめて座る」と、stands (up) 「立ち上がる」の対比を用いた、“祈り”の極意/奥義です。どんな場合でも、私たちがすべきことは、自分の力で立ち向かっていくことではありません。私たちがすべきことは、いつであれどこであれ、まず“ひざまずく”ことです! そのときに、すかさず神が立ち上がられ(イニシアディブを取られ)、そのお力で、私たちも恐れず障害や敵に立ち向かうことができるのです。

When you kneel down to God, He stands up for you. And when He stands up for you, no one can stand against you. Also, a person who kneels before God can stand before anyone!

(by Godly Woman Daily)

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2020年

1月

27日

◆祈り:この不可思議な世界◆

私の膝が地を打つとき、

私は天に触れているのです。

【解説】これは、私たちの“特権”である祈りの世界の、時空を超えた不可思議さを見事に言い得ていますね。私の肉の身体(からだ)は、大いなるお方の前にひざまずいて、床に着きます。でもそのとき、私の魂は天翔(あまが)けて、祈りを聴かれるお方のいます天のみ座に触れているのです。これを書いている時、もう45年も前、ロンドンのジョン・ウェスリーの家を訪問した時のことを思い出しました。彼は祈るとき、椅子を降りて文字どおりひざまずき、その椅子上で手を組み、こうべを垂れて祈ったのです。その床にくぼみができているのを見た時の感動を、今も思い出します。祈るほどに膝に込めた力で、堅い木の床がくぼむほどの長い年月、彼の魂は天のみ座におられる方と一つになっていたのですね。

I touch the sky when my knees hit the ground.

(by Christian Life of Peace)

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2020年

1月

24日

◆”祈り”が習慣になると…◆

“祈り”が習慣になるとき、

“奇跡”があなたのライフスタイル(生活様式)になります。

【解説】 これ、スゴい言葉です。私が国際詐欺師たちの術中にはまって、泥沼の中をもがいていた時、どんなに祈っても願いはかないませんでした。でも過ちに気づき、悔い改め、自分自身と兄弟姉妹のために、ミニストリーのために、そして経済的回復のために祈り始めた時、大きなこと、小さなこと、本当に奇跡の日々が始まりました。どうぞあなたも、何よりも“祈り”を最優先させて、一日の何分かを祈る時間に充てるだけではなく、呼吸のような当たり前の習慣になさってください。声に出すだけでなく、心でも、いつも神様と語るのです。それは、霊の世界と目に見える世界、神様とあなたの“直結”作業です。祈りによって霊の世界が現実になるとき、今まで見えなかった、気づかなかった奇跡が、あなたの生活を彩るようになります。「神様、あなたの奇跡が、私のライフスタイルになりました!」――そう感謝できる日が、あなたにも訪れますように。

When prayer becomes a habit, miracles become your lifestyle.

(by Lilac & Lavender)

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2020年

1月

17日

◆祈りと黙想のちから◆

“祈り”とは、神の答えと、人生の進む方向を見つけることです。

“黙想”とは、“高みにある力”である方からの答えに耳を澄ませ、自分のうちに、答えを受け入れる力を養うことです。

Prayer is seeing answers and direction in life. Meditation is listening for answers from a Higher Power and developing the ability within ourselves to accept the answers.

 

(Princess Rothschild Crowned) 

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2019年

11月

28日

◆”神から目線”の信仰◆

1.《私は神に愛されている》

私たちは、み父の愛を体験するために創られました。私たち一人一人は、この世で追い求める一時的なもの(たとえそれが、最も情熱的な恋愛や、スリルに満ちた冒険であっても)によっては決して満たされることのない、ただ一つの切なる願いを内に持って創造されたのです。

神様、私たちの心を、あなたの愛の深さをもってつくり変えてください!

【解説】 「神の愛を知る」――これが、私という存在が、この世に生まれた唯一の目的であり、意味です。この格言は、「私に対する創造者としての神の愛を知りたい」という私たちの切なる願いを、神様は、あらかじめ私たちの情緒細胞の中に組み込んで、命を与えてくださったという、驚くべき真実を告げてくれます。アウグスティヌスは、著書「告白」の中で、「神よ、あなたが私を創られました。ですから、あなたのもとに憩うまでは、私の心は安きを得ません」と祈りました。また彼は、「「愛に満たされる者は神ご自身に満たされる」とも言っています。私たちは、「神は私をこれほどに愛しておられる」ということを、あのみ子イエス・キリストの十字架のうちに知ったとき、始めて神のみ懐に憩い、魂に深い安らぎを得るのです。

We were made to experience the Father's love. We are each created with a unique longing that can never be filled by the temporal things we chase after in this life—even the most passionate romance or thrilling adventure. God, transform our hearts with the depth of Your love!

 

2.《私は神に喜ばれている》

全ての人間にとって、最も大きな情緒的必要は、たとえ弱さの中にあっても、“自分が神に喜ばれている”という確信です。私たち全ては、“神は私たちの存在に大きな満足を覚え、喜んでおられる”ことを知りたいという願望を内に持って、創られたのです。

【解説】 これは、1.と不可分の格言です。信仰の世界は、“私が神をどう愛し、喜ぶか”について思索する世界です。けれど本当に信仰が深められ、昇華されるのは、“神は私をどう愛し、この存在をどう喜んでおられるか”を知ることなのです。私たちは、理性的欲求を満足させるために知識を蓄えますが、それよりもはるかに大きな欲求は、「私は神に愛され、喜ばれている」ということを、頭ではなく、心で確かめたいという欲求です。信仰の世界は、その真実を、み言葉と祈りの中で、教えられ、感謝し、新たな明日に向かっていく一日一日で成り立っています。

The greatest emotional need for all humans is the assurance that they are enjoyed by God, even in their weakness. We were all created with a longing to know that God delights in us and enjoys us.

 

3.《私は神に赦されている》

神は、あわれみを大いに喜ばれます。神は、“あなたを赦す”という一事に対する喜びに、圧倒されておられます。しばし、この真実に思いを深めてみましょう。あなたが、正直に、心からの悔い改めをもって、神のみ前に出るとき、神様は直ちにこう決められるのです。「私は、我が子を赦す。私は、我が子をこの胸に抱く。私は、この愛をもって我が子を洗い清めよう。」

~スティーヴン・ビューチャンプ~

【解説】 神様が、悔い改めた罪びとの私たちを、これほどの大きな喜びをもって赦されるとは、正直、考えたこともありませんでした。お読みになった皆さんも、きっと砂のでは、と思います。私の目には、あのルカ19章の、大きな手を広げて放蕩息子を抱き抱える父の姿が彷彿してきました。これを知った私たちは、善き業だけではなく、悔い改めることにおいても、神様を大いに喜ばせなければなりませんね。

(Ⅰヨハネ 1:9) 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

God delights in mercy. He gets overwhelmed with delight at the very thought of forgiving you. Let that sink in for a while. When you come to Him in honest, sincere repentance, His reaction is, 'I get to forgive My child. I get to hold him. I get to wash him in My love.'

—Stephen Beauchamp

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2019年

11月

27日

◆今日も神と共に◆

1.《一番感謝なこと》

私の人生のあらゆる状況の中で、

神様はいつも善くしてくださり、

決して私のそばを離れることがないことを感謝します!

I’m grateful because in every situation of my life, God is still so good and He has never left my side!

 

2.《神に全てをお任せする》

神は今日、「静まれ」と言われます。

今起こっていることで、ストレスに陥ることをやめなさい。

自分自身の力で分かろうとするのも、やめなさい。

それはもうあなたのものなのですから、得ようと もがくのもやめなさい。

神は言われます。「それをどうするかは、私に任せなさい」と――。

God is telling you today to be still.

Stop stressing yourself of what is going on.

Stop figuring it out with your own understanding.

Stop fighting for it because it's yours' already.

God is saying, "Leave that to me to handle.

【詩篇46:10】

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(口語訳)

「力を捨てよ、知れ。わたしは神。」(新共同訳)

「やめよ。私が神であることを知れ。」(新改訳)

 

3.《祈りを最前線に》

私たちは、ともすると、「祈り」を“最後の手段”として用いる。

しかし神は、「祈り」を“守りの最前線”にすることを望まれるのだ。

~オズワルド・チェンバーズ~

【解説】 最後の最後まで自分の力に頼ろうとする過ちは、洋の東西を問いません。それは日本のことわざも証明していますね。いわく「苦しい時の神頼み」。一方、戦場では、防衛の最前線には、最強の兵士を置いて、損害を最小に食い止めます。霊の世界も同じです。それは、“闇の主権者”サタンとの闘いですから、熾烈を極めます。しかもこの敵は、武力ではなく、この世の肉の力と悪しき知恵を用いて、“善”を装いながら、狡猾に、しつこく、攻めてきます。私たちは、ただ祈りに祈って、神のみ力を頂かなければなりません。祈りを怠り、己の力に頼って破れたら、再び立ち上がれないほどの傷を負うことになるのです。

We tend to use prayer as a last resort. But God wants it to be our first line of defense. – Oswald Chambers

 

【FBギャラリー】No.105 「秋の屋根橋」

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2019年

11月

12日

◆祈りの小箱◆

《今日を愛することができますように》

愛する主よ、

”将来、もしも…“にピントを合わせることをやめて、

“今日の日を極みまで愛する”ことに

ピントを合わせることを始められるよう、どうぞお助け下さい。

イエスのみ名によって。アーメン。

【解説】”将来、もしも…”は、”思い煩い”指向です。「今は良くても、もし明日こうなったどうしよう…。」そこからは、何の解決も生まれません。今日、生かされていることに感謝しましょう。そして、二度と繰り返しのきかない今日という日に与えられる恵みの一つ一つを、十分に味わってフルに生きましょう。そのことを、一日の初めに祈るのです。この主の言葉を、心に反芻しながら――。

(マタイ 6:34) 「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

(マタイ 6:34) 「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

Dear Lord, help me to stop focusing on the what if’s of the future and to start focusing on loving to the fullest today. In Jesus’ name, Amen

 

《あなたなしに、私は無です》

愛するイエス様。

あなたのご栄光と、あなたの希望で私を満たしてください。

あなたなしでは私は何もできず、

あなたがいれば、私はあなたのご計画の一部となれることを

覚えていられるようお助けください。

アーメン!

【訳者ひと言】 私が教えられたことは2つです。1つは、この汚れた心が、祈りによって、自分の何かではなく、“主の栄光と希望”で満たしていただくことができること。畏れ多いことですが、これは、信じる者には内住のキリストのみ霊がおられるゆえにできることです。2つ目は、「あなたなしでは何もできず」の対句は、普通は「あなたがいれば何でもできる」となるところを、「あなたの計画の一部となれる」と言っていることです。主は、私たち一人一人を通して、ご自身の栄光のために、大いなる救いのご計画を進められます。私たちは、主がどんなときも共にいてくださるので、そのご計画のほんの一部として、貴く用いていただけるのです。そして、私たちはあまりのも早く忘れてしまいますので(とりわけ加齢と共に!)、それを“覚えていられるよう”にもお助けを求める必要があるのですね。

Dear Jesus, please fill me with your glory and your hope. Help me to remember that without you I can do nothing, but with you I can be a part of your plan. Amen!

 

《恵みのみ座に近づかせてください》

愛する主よ、

今日 私は、恐れおののく心をもって、

あなたは聖く、私は汚れていることをしかと知りつつ、

畏敬と謙虚さのうちに、

あなたの恵みのみ座に近づきます。

あなたの栄光のすばらしさのゆえに、

私の打ちひしがれた心を回復させてください。

私の今日も、これからの日々も、

あなたに委ねることができるよう、どうかお助けください。

アーメン。

【解説】 祈りにおいて求められるのは、「神の聖さ」と「己の汚れ(罪)」の深い認識です。そのままでは、到底み前に出ることのできない者が、み子イエス・キリストのとりなしのゆえに、栄光のみ座に近づくことができるのです。

その時に、栄光の主のみ前に徹底してへりくだる者の破れた心を、神様はご自身の栄光のゆえに、癒やしてくださいます。そんな神様だからこそ、私たちは全幅の信頼をもって、私の今日も、明日もお任せできるのですね。

(ルカ 18:13,14) 「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

Dear Lord, with a trembling heart, I approach your throne of grace today in reverence and humility, fully aware that you are holy and I am not. May my brokenness be restored for the beauty of your glory. Please help me to trust you with my today and my tomorrows.

Amen.

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2019年

11月

05日

◆祈り 2題◆

《やすむ前にささげたい祈り》

主よ、私が眠っている間、息を吹きかけてください。

私が癒やされ、祝され、力を与えられて目覚めるように――。

【解説】 就寝前の祈りというのは、今日一日の感謝と、安らかな眠りをお願いするのがオーソドックスですが、いかがですか、このユニークな祈りは? 聖書のモチーフを思い出しましたか? そうです、これは最初の人間、アダムが創られた時をイメージしているのです。

(創世記2:7) 「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」

人間のかたちにはつくられたものの、まだ死んだように眠っていたアダムは、神から“命の息”を吹き込まれて、生きた者となりました。私たちは、夜眠っている間、聖霊(言語のヘブル語では“息”と同じ)のお力を頂いて、翌朝、新しい霊の命に目覚めるのです! 現実には、よく眠れない方も、悪夢にうなされる方もいると思います。だからこそ、単なる安眠ではなくて、眠っている間に聖霊の癒やしと祝福とパワーの充てんを求めるこの祈り、ささげる価値があるとは思いませんか?

Breathe on me while I sleep tonight Lord! That I may wake up healed, blessed, and empowered.

 

《子のために祈る母の有り難さ》

“母”とは、

子どものために祈るのに忙しすぎて、

自分のための祈りを忘れてしまうただ一人の人です。

【解説】クリスチャンのお母様を持つ人は、そのことを考えたことがありましたか? この母のゆえに今の自分があるのだと思われましたか? 今、クリスチャンのお母様である方はどうですか? “確かにそうかも”と思われましたか? うちの教会で、「母の日」によく賛美する讃美歌の一節を思い出します。

♬汝がために祈る母の いつまで世にあらん

永遠(とわ)に悔ゆる日の来ぬまに 疾(と)く神に帰れ

   春は軒の雨 秋は庭の露

   母は涙乾く間もなく 祈ると知らずや

A mother is the only person that forgets to pray for herself because she’s too busy praying for her children.

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2019年

10月

14日

◆神から目線で人生を考える(4了)◆

1.《知識でなく知恵を求めよ》

もしあなたに知識が不足しているなら、学校に行きなさい。

知恵が欠けているなら、ひざまずきなさい!

知識は、知恵とは違います。

知恵とは、知識を適切に用いることなのです。

~ヴァンス・ハヴナー~

【解説】 はい、この金言で一番大切なのは、2行目です。「知恵が欠けているなら、良書をできるだけ多く読みなさい」でもなければ、「その道の良き師に私淑しなさい」でもない。「ひざまずきなさい」! 知恵は、知識の多さを誇る己のおごりを悔い改め、知恵のないことを素直に認め、へりくだって乞い求める者に、上から、神様から与えられるのですね。

(ヤコブ 1:5) 「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」

If you lack knowledge, go to school. If you lack wisdom, get on your knees! Knowledge is not wisdom. Wisdom is the proper use of knowledge.

-Vance Havner-

 

2.《欲しいものをゲットする3つの方法》

ものと付き合って生きる3つのレベル(水準)があります。

(1) それを得るために盗むことができます。

(2) それを得るために働くことができます。

(3) 与えるためにそれを得ようと働くことができます。

~ジョン・パイパー~

【解説】 これはある意味、その人の人間性そのもの(品格)のレベルとも言えますね。一番低いのはもちろん(1)、これは論外。ほとんどの人は(2)で、これが平均レベルと言えますが、パイパーは、キリスト者たるもの、ここにとどまっていてはいけないと言うのです。そこに(3)“他者のために”という高次の目的が加わったとき、私たちの“ものとの付き合い方”は、優れて“神から目線”になります。

There are three levels of how to live with things: (1) you can steal to get; (2) or you can work to get; (3) or you can work to get in order to give.

-John Piper-

 

3.《満ちあふれることの祝福》

なぜ神は、“満ちあふれること”を祝福なさるのでしょうか? そうなれば、私たちが生きていくには十分であり、残りのものは、あらゆる良き働きのために用いることができ、霊的・身体的な苦痛や惨めさを解消できるからです。

”十分”は己(おの)がため、“盈満(えいまん)”は他者のためです。

~ジョン・パイパー~

【解説】再びパイパーですが、これは2.の結論とも言うべきものです。私たちから満ちあふれるものは、物や財だけではありません。私たちの内なる善きもの―み霊の実―(ガラテヤ5:22,23)もまた、満ちあふれて他者を潤すのです。最後の1行、ぜひ心にインプットして、座右の銘になさってください。(満ちあふれるという意味の“盈満”という言葉、大好きで、何十年もの間(!)、使う機会を狙っていました。でも読む方には難しいだろうと思って遠慮していたのですが、パイパーのこの言葉に出会って、”時は今!“と決心しました。そらんじるには、簡潔をもって多とすべしですから。)                                                                                                                                                                                                                               

Why does God bless us with abundance? So we can have enough to live on, and then use the rest for all manner of good works that alleviate spiritual and physical misery. Enough for us; abundance for others.

-John Piper-

 

【FBフォトギャラリー】「秋深し」(6)

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2019年

10月

13日

◆神から目線で人生を考える(3)◆

1.《不平不満はサタンの武器》

不平不満は、“敵”からの告発を表しています。

~マイク・ビックル~

【解説】 原文で定冠詞theの付いた“敵”は、言うまでもなくサタン、闇の世界の主権者である悪魔です。私たちが不平不満を漏らすとき、それはサタンに人間の過ちを告発させていることになるというのです。私たちは、つい赦す代わりに文句を言いそうになりますが、そのたびに、あなたの背後で歯をむき出して責め立てるサタン(!)を思い出して、自分の口に「待った!」をかけましょう。そして「この一言の不平不満で、サタンの手先になるものか」と、心に言い聞かせましょう。そこにサタンに打ち勝つ聖霊が働かれて、あなたの心に冷静(霊性!)と相手の立場に立って考え直す優しさを取り戻させてくれるはずです。

Complaining expresses the accusations of the enemy.-Mike Bickle

 

2.《あらゆる計画から罪を締め出す》

罪が入り込んでくるドアを開くような計画は、

どんなものであれ立ててはいけません。

~ジョン・パイパー~

【解説】 見栄えの良い計画ほど、罪が入り込む可能性も高くなります。その罪とは、自分だけが利益を享受すること、それを実行することによって、誰かに不利益をもたらし、困難な立場に追いやることです。私たちが立てる計画は、そのスケールの大小にかかわらず、ただ神のみ名があがめられ、関わる全ての人が恵みにあずかるものであるべきです。少しでもそうならない可能性のある“罪のドア”を見つけたら、直ちに閉め、計画を練り直さなければなりません。

Don’t make any plans that open the door for sin’s entry.-John Piper

 

3.《聖書が最もあなたを促すもの》

あなたの耳を聖書に当てなさい。

そして、「出ていって、罪ある人々を罪の炎から引き出せ」という神のみ声を聞くのです。

~ウィリアム・ブース~

【解説】 この面白い勧めをしたのは、救世軍の創始者、ブース大将です。聖書はいろいろなスタイルで読むことができます。人生の糧として、あるいは学的興味や研究のために。けれども、どんなスタイルで聖書を読んでも、そこに、罪を持ったまま失われていく魂に対する神の悲しみの叫びを聴かない読み方は、聖書の本当の読み方ではありません。なんとなれば、聖書の本質は、創造者にして愛なる神が、罪によって隔てられた人間を、もう一度ご自身のもとに引き寄せるために書かれた“救いの書”だからです。今日、今から、あなたの霊の耳を、聖書にぴたりと当てながら、耳を澄まして聖書を読み直しましょう。そして神の細い静かなみ声を聴きましょう。かつてあなたを神の愛の深さに涙させたみ声、そしてまだ救われていないあの人にどうしても聴かせたいキリストの十字架のみ声を――。

(イザヤ 43:4) 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

(ルカ23:34)「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

Put your ear down to the bible, and hear Him bid you go & pull sinners out of the fire of sin.

-William Booth-

【FBギャラリー】「秋深し」(5)

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2019年

10月

12日

◆神から目線で人生を考える(2)◆

1.《カイザルのものはカイザルに返すべき理由》

お金には、カイザル(ローマ皇帝)か大統領(首相・有名人)の顔が書かれています。

私たちに、その価値は、せいぜい地上の支配者か、国家の盛衰ほどの、一時的なものでしかないということを思い出させるためです。

だから、カイザルのものはカイザルにお返しなさい。

~トニー・ラインク~

【解説】 なるほど、こういう視点から考えてみたことがありませんでした。この地上にある間は、この地上だけしか続かない為政者の権威に従う証しとして、税を納めるのだと、イエス様はおっしゃり、自ら見本を示されたのですね。これは、地上の権威と、天上の権威の両方に仕えるキリスト者にとって、大切な原則です。そして大切なのは、このあとの言葉、「神のものは神に返しなさい」です。私たちは、小さく、貧しい人々の必要のために用い、あるいは様々なご用にお用いいただくために神様にささげることによって、永遠の天国に宝を積むのです。

(マタイ 22:21)「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」

(マタイ6:20,21) 「自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」

Money carries the face of a Caesar or a president to remind us its value is as temporary as world rulers and the rise and fall of nations. So give back to Caesar what is Caesar’s.

-Tony Reinke-

 

2.《リバイバルが起こらないワケ》

私はリバイバル(信仰復興)が遅れている理由を知っています。

「なぜリバイバルが遅れているのか」について、多くの本や説教で語られているからです。

~ラインハード・ボンク~

【解説】 これは痛烈な皮肉を込めたユーモアですね。物事がうまくいかないとき、原因分析をいろいろやってはみるものの、忍耐と勇気をもって何度でもトライしない限り、事態は改善しません。霊の世界でも同じことです。どんなに正確に霊的沈滞の理由を挙げ連ねても、そこに涙して祈る小さな群れがいなかったら、決してリバイバルは起こらない。あのペンテコステ―最初のリバイバルの出来事を、私たちはいつも心に刻んで、祈り続けなければならないのですね。キーワードは、「祈っていた時に、聖霊が下った」というリバイバルの大原則です。

(使徒 1:14,2:1-4) 「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。…五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、…みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」

I know why revival tarries: because there's so many books and sermons that tell us why!

-Reinhard Bonnke-

 

3.《神から目線のビジョンとは?》

“ビジョン”とは、神のご臨在、ご計画、障害を乗り越えるみ力を見ることのできる能力です。

【解説】 いかがですか、この「ビジョン」の定義は? 私はこれほどすばらしい定義を聞いたことがありません。“究極のビジョン”と言っていい。ビジョンvisionには、身体的な「視覚、視力、視野」という意味の他に、精神的に「透視力、想像力、洞察力、未来像、展望」などの意味にも使いますね。ここに紹介した“ビジョン”は、見えない霊である神様を見ることのできるたまもののことです。たまものですから、自分本来のものではなく、上から与えられたものです。そのたまものをもって、神のご存在を生き生きと目の当たりに感じ、示された神のご計画に自分自身を投入し、当然予想されるさまざまな困難を克服する神様の超自然的なみ力を、すでに得たりと信じて一歩を踏み出すのです。これ、まさしく、“神の国”を先取りして生きる私たちの、“神から目線のビジョン”ではないでしょうか?

Vision is the ability to see God’s presence, plan, & power over obstacles.

【FBギャラリー】 「秋深し」(4)

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2019年

10月

11日

◆神から目線で人生を考える(1)◆

1.《人の賞賛は要注意》

人からの賞賛は受けないようになさい。

そうすれば、彼らの批判によってつぶされずに済みます。

~ラインハード・ボンク~

【解説】 はい、賞賛の裏には批判がある。賞賛を受けようと思ったら、批判も覚悟せよということですね。ただし、人の評価に一喜一憂する生き方は、かなり非生産的で、精神衛生上も健康的とは言えません。「人を相手にせず、天を相手にせよ」と言ったのは西郷隆盛ですが、彼の言う“天”は、全世界を、そして人の心をもご支配なさる神様です。ただ神様に喜ばれる生き方をしたいと心から思います。

Don’t accept the applause of men, and you won’t be destroyed by their criticism. -Reinhard Bonnke-

 

2.《置かれたところは神の指定席》

あなたを今いるところに置かれた神の理由が何であれ、それを軽蔑したり嫌悪したりしてはなりません。

それを神様からの“贈り物”として、喜んで受け、そこでなすべきことに取り組みなさい。

~スティーヴン・ミラー~

【解説】 現代人は忍耐力が減退していると言われます。それは職業や仕事にしろ、結婚相手にしろ、教会にしろ、選択肢が増えたことの裏返しでもあるわけですが、一度アプローチして、自分の意に添わなければ、すぐに諦め、やめてしまうのです。もっとも欧米流は、自分の能力を最大の武器に、自分を強力に売り込んで職場を変え、上に登っていくのが成功者とされるのですが、そこから生み出されるのは、他を蹴落としても生き延び、出世しようとする能力・実績至上主義と、一方では、激しい競争社会のもたらす闘いに疲れ、心を病んでいく人々の増大です。その中で、人は自分自身を見失い、むなしさと孤独の中で、愛も喜びも生きる意味も知らないまま生きていくのです。

 私たちは、イエス・キリストの招きによって、そんな明日のない人生から救い出された者です。そして、そのような人々に寄り添って、信仰と希望と愛のある人生に導く務めを授かった者です。だとすれば、今あなたがいるところには、またそこでの人との出会いには、神様のご計画があるのです。あなたの意に沿うかどうかではなく、“ここは神からの特別指定席だ”と捉え直して、ここでなければできないことをやってみてはいかがですか?

Whatever the reason God has you where you are right now, do not despise it. Embrace it as a gift from Him.--Stephen Miller-

 

3.《人生の損失は永遠の尺度で計る》

キリストに在る者にとっては、この世のつかの間の人生で遭遇した一つ一つの危機や損失は、“永遠”が全て埋め合わせてくれます。天国に関する聖書の教理が、それを証明しているのです。

~トニー・ラインク~

【解説】 あなたの人生にも、ここまで生きてきた中で、つらかったこと、悲しかったこと、失ったものがきっとあるはずです。思い返すだけで、涙が出る出来事も…。私にも、人生の晩年に、大きな損失を続けて体験しました。でも、このやがて矢のように過ぎ去る人生のかなたには、愛する者と再会し、主と共にある永遠の世界が待っている。“永遠”は、地上の損失を全て埋め合わせて余りある世界です。キリストに在る者には、この宝が約束されているのです。ああ主よ、感謝します。

(Ⅰペテロ5:10) 「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」

For those in Christ, eternity will make up for every other pinch and loss that you ever suffered in this momentary life. The biblical doctrine of heaven proves it. -Tony Reinke-

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2019年

10月

10日

◆神を想う(3)◆

1.《抵抗による神への愛の表し方》

私たちは、神のみ心に反する感情に抵抗することによって、

神への愛を表します。

~ミスティー・エドワーズ~

【解説】 タイトルだけを読むと、「え?」と思うでしょう? 「イヤだイヤだも好きのうち」のあれ?と――。さにあらず、これは言うなれば、“悪を制して善を立てる”という、一見間接的でさほど直接的効果はないやり方のように見えますが、実は大切な神様への忠節の証しなのです。神のみ心に反する感情とは、ひと言で言えばガラテヤ5:19-21にある“肉の思い”です。「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、酩酊、遊興。」―これらの思いがよぎった時に、あるいは時として激しく心を揺さぶるときに、きっぱり「ノー!」と言い、「主よ、これはあなたを悲しませる罪です。この思いに打ち勝たせてください。イエス様の十字架に釘づけにしてください。」と祈るとき、神様の耳には、「神様、私はあなたを愛します」と聞こえているのです。

We express our love to God by resisting emotions contrary to His will. - Misty Edwards,

 

2.《神との交わりには代価が伴う》

“関わり”には代価が伴います。

神と共にあることが、どれほどの代価を払わなければならないとしても、

神があなたと共にあるために払われた値の大きさには、比ぶべくもないのです。

~ティム(ティモシー)・ケラー~

【解説】この値は、もちろん金銭だけとは限りません。神を第一にするために負わなければならない時間や労力も含みます。言葉を変えれば、この“代価”は“犠牲”です。そう言いかえたときに、あなたの心に思い浮かぶものは何ですか? 天地万物の創造者であられる神様が、どんなときもあなたと共にいたいと望まれ、それを阻む罪の障壁を取り除くために、十字架の上でお捨てくださったみ子イエス・キリストの命――。これが神様があなたのために支払われた代価―犠牲です。そのかたじけなさの前に、私たちはどんな犠牲を払うことができるのでしょうか? このお方と共にあるためには、この生涯を、この身の全てをささげても、到底足らないのではありませんか?

Relationships are costly. Whatever it will cost you to be with God is nothing compared to what it cost Him to be with you. -Tim Keller-

 

3.《神の愛は、人の痛みよりも強し》

神の愛は、私が感じる痛みよりも深く流れきます。

神の愛は、人の抑うつ(落ち込み)や恐れよりも強いのです。

~ローラ・ハケット・パーク「私は神の愛を感じる」より~

His love goes deeper than the pain that I feel. His love is stronger than depression or fear,

-Laura Hackett Park-“I feel His love”

 

4.《“癒やし主”―それは神の名》

”癒やし”は神のなさること。

そして神は、ご自身を現すために、癒やすことが何よりお好きなのです。

神は、私たちを癒やされる主です。

(出エジプト 15:26)「わたしは主、あなたをいやす者である。」

~ステュアート・グリーヴズ~

【解説】 「神様が癒やされた!」という体験をお持ちの方は、数えきれないと思います。ここにコメントいただいたら、命に関わる大病から小さな傷に至るまで、軽く何百となることでしょう。かく言う私は、昨日の朝、鼻水が止まらなくなり、「しまった! 風邪だ。昨夜まで何の兆候もなかったのに…」と落ち込みました。私事ですが、詐欺被害で生じた借金返済で要らざる出費を防ぐために、私の身には、向こう5年間、一切の病気が起こってほしくないのです! それが、午後になったらウソのように鼻水が止まり、スケジュールどおりのミニストリーができました。ひとえに癒やし主のあわれみのゆえです。

“癒やし”は神様の本来のみ心です。私たちが“全きもの”になるのが主のお望みですから、それは神様にとっては当然のことです。私たちはそのことをまず信じましょう。しかし現実には、癒やされない病もあります。それは、私たちには分からずとも、神様に癒やし以上のご計画があるときです。そのことをも、信じてまいりましょう。癒やされたら感謝、癒やされなくても感謝、全てを、最善をなさる神のみ手に委ねて生きることですね。

Healing is what God does, and what He loves to do, as an expression of Himself.

He is the Lord who heals us. (Ex. 15:26)

-Stuart Greaves-

 

【FBギャラリー】 「秋深し」(2)

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2019年

10月

09日

◆神のみわざへの感謝の祈り◆

父よ、あなたのみ言葉により、私はキリスト・イエスを通して、神の義とされました。

聖霊をお送りくださり、このお方によって私が、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制というみ霊の実(ガラテヤ5:22,23)を結ぶのを助けてくださり、感謝します。アーメン。

 

(Ⅱコリント 5:21) 「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」

Father, according to your Word I have been made the righteousness of God through Christ Jesus. Thank you for sending the Holy Spirit who helps me bring forth good fruit: love, joy, peace, patience, kindness, goodness, faithfulness, gentleness and self-control. Amen.

📖 2 Corinthians 5:21;

📖 Galatians 5:22

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2019年

10月

09日

◆神を想う(2)◆

1.《弱き者が強くなる時》

もし神のみ霊と神のみ言葉に“はい”というなら、

最も弱い人が、霊において強く、力あるものとなるのです。

~マイク・ビックル~

【解説】 「はい」ということは、①肯定し、②受け入れ、③従うということです。聖霊の内住と聖書の権威に対して、あなたは心から「はい」と言えますか? そのときに、あなたの弱さは、霊において不動の強さに変えられるのです。

(Ⅱコリント 4:16) 「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」

The weakest will be strong and mighty in the spirit if they say yes to God's Spirit and His Word.

—Mike Bickle

 

2.《聖霊: あらゆる問題に応える方》

神は、私たち一人一人が今、何と向き合っているか、ご存じです。

私たちのプレッシャー(重圧)もご存じです。

私たちの葛藤と闘いもご存じです。

そして、それら一つ一つ、全てのために、備えてくださいました。

その備えとは、“聖霊”というご人格の神ご自身です。私たちが問題にふさわしく対応できるように、このお方が内に住まわれ、力を与えてくださるのです。

~ケイ・アーサー~

God knows what each one of us is dealing with. He knows our pressures. He knows our conflicts. And He has made a provision for each and every one of them. That provision is Himself in the person of the Holy Spirit, indwelling us & empowering us to respond rightly.

-Kay Arthur-

 

3.《神の軽視は罪の軽視》

神を軽視することは、罪の軽視をもたらします。

私たちの心の視界に、神のみ姿が大きく映し出され、賛美されますように。

~ステュアート・グリーヴズ~

A low view of God produces a low view of sin. May God be ever magnified in our sight.-Stuart Greaves

 

4.《神をより愛するための祈り》

神様。あなたを愛することをとどめる全てのものから、私は自由でいたいのです。

~ミスティー・エドワーズ~

God, I want to be free of everything that keeps me from loving you.-Misty Edwards-

 

【FBギャラリー】No.93 ネイサン・グリーン「聖書を読むリンカーン」

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2019年

10月

08日

◆イエス・キリストを瞑想する(2)◆

1.《神を信じたければイエスを見よ》

イエスを知るまでは、神はある概念にすぎず、私たちは神を信ずることはできません。

しかし、ひとたびイエスが、「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と言われるのを聞いたら、私たちは直ちに、“これは本物だ”と思えるものに触れ、私たちの信仰は、無限のものとなるのです。

~オズワルド・チェンバーズ~

Until we know Jesus, God is merely a concept, and we can’t have faith in Him. But once we hear Jesus say, “He who has seen Me has seen the Father”(John 14:9) we immediately have something that is real, and our faith is limitless.

-Oswald Chambers-

 

2.《キリストの十字架 ①つまずくほどの力》

もし私の語る”十字架”が、普通の人々につまずきとならないなら、

私の伝え方が誤っているのだ。

~マーティン・ロイドジョーンズ~

【解説】 あなたが語る十字架で、人はつまずくのが当たり前なのです。もしつまずかないとしたら、その人が全く分かっていないか、あなたの伝え方が、相手をつまずかせまいとして手を抜いているか、あるいは聖書の使信を曲げているかのどちらかです。それは、「キリストの十字架は、あなたの“罪”の身代わりだった」という事実を、まっすぐに語らなかったということです。これは日曜の講壇にも言えることです。“十字架はあなたの罪のためです”というメッセージがストレートに語られないところに、救われる魂は起きません。人は、つまずかせなければ、罪の泥沼から引き起こしてあげることはできないのです。

If my preaching of this cross is not an offense to the natural man, I am misrepresenting it. —Martin Lloyd-Jones

 

3.《キリストの十字架 ②心地よき重荷》

キリストの十字架は、私が負ったことのある最も心地よい重荷です。それは、私を我が安息の港に運んでくれる、鳥にとっての羽、船にとっての帆のような、いとも甘美なる重荷なのです。

(マタイ 11:30) 「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

~サミュエル・ラザフォード~

The cross of Christ is the sweetest burden I ever bore: It is such a burden as wings are to a bird, or sails to a ship, to carry me forward to my harbor.

"For My yoke is easy and My burden is light” (Mt. 11:30).

-Samuel Rutherford-

 

4.《イエス、期待と想像を超えた方》

イエスは、いつでも私たちの期待を超えます。

彼は私たちが求めることのできる以上のお方、

あるいは、その時その時に想像する以上のお方なのです。

~ティム(ティモシー)・ケラー~

【解説】 このティム・ケラーの言葉を、あなたは日々の生活の中で、実感していますか? 「ほんとにそう!」と言えますか? もし言えたら、あなたのイエス様はホンモノです。あなたの信仰もホンモノです! そしてそこから生まれてくるのは、「♬ハレルヤ! 主を褒めよ!」の賛美しかありません。

Jesus will always exceed our expectations. He will be more than what we can ask for or even imagine every time.-Tim Keller

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2019年

10月

07日

◆祈ることを教えてください(ルカ11:1)◆

1.《祈り: 魂の最大の仕事》

祈りは、いかなる疑いをも差し挟む余地なく、

人間の魂の最高最大の行動である。

【解説】 人間の魂(心)は、もちろん目には見えませんが、ありとあらゆる精神的な働きをしています。その中で、神様と関わる働きが“祈り”です。祈りは、私たち人間と神様を結ぶ、唯一の絆なのです。その意味で、祈りは人間の精神活動の中で最高最大の行動と言えるのですが、現実に、この私の魂の中で、最高最大のものになっているか、深く探られるところです。祈りが本当に最高最大の行動になっていないとき、私たちは“霊的貧困”に陥ります。そして神様の約束された、あらゆるみ霊の実を結ぶ祝福を逃しているのです(ガラテヤ5:22、23)。

Prayer is beyond any question the highest activity of the human soul.

 

2.《安寧は祈りの最大の敵》

人生がスムーズにいき、

私たちの心の中で本当に大切なものが安全なとき、

私たちに“祈り”は生まれない。

【解説】 この世的に言えば、まさしく“苦しい時の神頼み”、聖書的に言えば“旧約の民”状態です。安寧なときに感謝を忘れると、私たちは“霊的傲慢”に陥ります。”安寧は祈りの最大の敵”と覚えて、聖書の“祈り”の教えを心に刻み、実践しましょう。それは、“〇〇のときは”ではなく、“絶えず”です!

(Ⅰテサロニケ 5:16-18) 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」

When life is going smoothly, and our truest heart treasures seem safe, it does not occur to us to pray.

3.《祈り: 主よ、恵みを数えさせてください》

人生のどんな良き時にも、

主よ、あなたを想い起こせるよう、

そしてあなたが何をしてくださったかを忘れぬようお助けください。

どんなときも祈れるよう、お力をください。

~ティモシー・ケラー~

(詩篇 103:2) 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

In every season of the soul, help us to remember You, Lord, and remember what You have done. Help us to always pray. -Timothy Keller

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2019年

10月

06日

◆喜び◆

1.《“喜び”は選択》

喜びは、なにげなく私たちに起こるものではありません。

私たちは喜びを“選び取り”、毎日、選び続けなければならないのです。

~ヘンリ・ナウエン~

Joy does not simply happen to us. We have to choose joy and keep choosing it every day.

—Henry Nouwen

 

2.《喜びは罪の対極にある》

福音を通して与えられるまことの喜びは、罪が生む毒の果実から、あなたを守ってくれます。

~マーシャル・シーガル~

Real joy in Jesus, through the gospel, will free you from the poisonous fruit of sin.

-Marshall Segal-

 

3.《喜びは愛に燃える心から》

喜びにあふれた心は、

愛に燃える心が生み出さずにはおかないものです。

~マザー・テレサ~

A joyful heart is the inevitable result of a heart burning with love.

-Mother Teresa-

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2019年

10月

04日

◆イエス・キリストを瞑想する◆

1.《キリストが来られた目的》

イエスは、“悪人”に良いことをさせるために来られたのではない。

彼は、“死人”を生かすために来られたのだ。

~レナード・レイヴンヒル~

Jesus didn’t come to make bad men do good things. He came to make dead men live.

-Leonard Ravenhill-

 

2.《キリストが人となられた目的》

神のみ子は、人間の子らが神の子となるために、人となられたのだ。

~マーティン・ロイドジョーンズ~

The Son of God became man that the children of men might become children of God. 

—Martyn Lloyd-Jones

 

3.《“人の子”の意味するもの》

“人の子”という称号は、イエスが完全に神であり、完全に人間であること、すなわち“神人(しんじん)”であることを際立たせている。イエスはこう言っているのだ。「私は神です。しかも私はあなた方の一人なのです」と――。

The Son of Man title emphasizes that Jesus is fully God and fully human, the God-man. Jesus is saying, “I am a God, yet I am also one of you.”

 

4.《神の国の始まり》

イエスはまず“心”を征服され、ついで“国家”を征服された。

“神の国”は、内側から始まるのだ。

~ミスティー・エドワーズ~

(ルカ 17:21)「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

The first thing Jesus conquers is the heart, then the nations. The kingdom of heaven starts on the inside.—Misty Edwards

 

【FBギャラリー】No.91 モーガン・ウェイストリング「クリスマス—神のみ顔に口づけを」

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2019年

10月

03日

◆恵みに生かされる◆

《ああ 恵み!》

人生の意味。

無駄に過ごしてしまった歳月。

貧しくも悪しき人生の選択。

この人生の失態に、神は1つの言葉で答えられます。

――“恵み”と。

~マックス・ルケード~

【解説】 ご自分の人生を振り返って、それが余人の想像もできないような苦しみと悲しみと後悔に満ちたものであればあるほど、このルケードの言葉は心に染みるのではないでしょうか? “恵み”―それは、受けるに値しない者、功(いさお)の一つだにない者への分不相応の主の愛顧です。それはまた、そのような苦難と失敗続きの人生を、神様が丸ごと肯定し、受け止めてくださることです。主に在っては、無駄なことは一つもなかった。主の目には、間違った選択などもなかった。主が全てを相働かせてくださり、あなたは今日まで生かされてきました。そしてこの身が地上を離れ、天がけるその日まで、主の恵みは変わることがないのです。♬ああ恵み。計り知れぬ恵み。ああ恵み。我にさえ及べり。♬(旧聖歌593)―今、私と一緒に心から賛美しませんか?

(Ⅱコリント 12:9) 「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」

The meaning of life. The wasted years of life. The poor choices of life. God answers the mess of life with one word: 'grace.'

—Max Lucado

 

《恵みはチカラ》

”恵み”とは、“受けるに値しない者への愛顧”だけではありません。

恵みはまた“力”です。

恵みは、私たちが神を喜ばせる生き方ができるように与えられた、

“神の力”なのです。

~ヒース・ランバート~

【解説】これは、「恵み」に関する新しい気づきを与えてくれますね。「神の力」、それは、神ご自身の力であるだけでなく、神様から恵みによって私たちに与えられた“天与の力”、そして私たちが神様に“おささげする力”です。恵みは値なき者に、値なしに与えられるものですが、それだけに、受ける一方ではダメなのです。私たちがなすべきことは、その恵みを感謝し、どんな状況の中でも、進んで“神を喜ばせる生き方”をすることです。その力をも、神様は恵みとして与えてくださるのです。

Grace is not merely “unmerited favor”; Grace is also power. Grace is divine strength given to us so we can live in ways that please God.

-Heath Lambert-

 

【FBギャラリー】No.90 「夜のカップル」

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2019年

10月

02日

◆結婚についての先達の教え◆

1.《良き結婚は つくるもの》

良き結婚は、あなたが“見つける”ものではありません。

それは、あなたが“つくる”ものです。

【解説】 たまたま見つけた結婚は、見飽きたら簡単に捨てますね。でももしつくらねばならないとしたら、それは死が二人を分かつまで、生涯をかけての作業になります。完成はしないかもしれない。でもその過程の悲喜こもごもの共通の思い出が、二人の美しい財産になるのですね。

A good marriage isn't something you find; it's something you make.

 

2.《神様の結婚の意図は?》

もし神様が、結婚を、私たちが“幸せ”になるためでなく、

”聖い”ものとなるために定められたとしたら、どうでしょうか?

~ゲアリー・トマス~

【解説】 この仮定形は、既定形の裏返し、つまり、「この事実をあなたはどう考えますか?」ということです。その事実とは、次のみ言葉です。

(エペソ 5:22-32) 「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。 私たちはキリストのからだの部分だからです。 『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。』この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」

 結婚は、花婿なるキリストと、花嫁なる教会の“型”です。キリストは、教会を“聖なるもの”とするために、愛しておられるのです。私たちは、この“結婚の制定”の聖書個所を、ともすると結婚式の時に聞いて、あとは日々の忙しさに紛れてそれきり…となりがちですが、少なくとも結婚記念日などには、この結婚に召してくださった主のみ前に、二人で読み返したらいかがでしょう。そして静かに結婚生活を振り返り、感謝と聖なる誓いを新たにすべきではないでしょうか?

What if God designed marriage to make us holy instead of happy?

-Gary Thomas-

 

3.《まずイエスの良き花嫁たれ》

男たちよ、あなたは、まず始めにイエスの良き花嫁でなければ、

決して妻に対する良き花婿にはなれません。

(エペソ5:25) 「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」

~ティム・ケラー~

【解説】 これは、2.の聖書個所の、特に25節を取り上げて、結婚生活の良きイニシアティヴをとるべき夫の心構えを教えたものですが、これは言わずもがな、結婚する女性も、「妻たちよ、~決して夫に対する良き花嫁にはなれません」と読まなければいけませんね。

Men, you’ll never be a good groom to your wife unless you’re first a good bride to Jesus.

"Husbands, love your wives, just as Christ also loved the church and gave Himself for her" (Eph. 5:25).-Tim Keller

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2019年

10月

01日

◆家族: 聖書の教会観◆

キリストは、まるで本当の“家族”のように、調和の内に愛し合う教会を創ることができるし、お創りになると私は信じます。

~フランシス・チャン~

I believe Jesus can and will create a church that looks like true family, loving in unity.

-Francis Chan-

 

クリスチャンがどこにいようと、彼らは自分の“家族”だという態度を、私はとっているだろうか?

~ジョン・パイパー~

Do we have an attitude that wherever Christians are they are family to us? – John Piper

 

“父”は、神の最も個人的な呼び名です。なぜなら、“家族”が、神の究極のゴールだからです。

~アイザック・ベネット~

‘Father’ is God’s most personal title, because family is His highest goal. —Isaac Bennett

 

(エペソ 1:23) 「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」

(エペソ 2:19-22) 「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」

【解説】 これが聖書の掲げる教会観であり、それに基づいて、「神の家族」という名前を冠している教会もあります。そしてジョン・パイパーが言っているように、この家族は地上のある場所に建てられた教会に限定されません。私もまた、このFB上で“神の家族”を打ち立てるというビジョンを示され、時と労力をささげて誠にささやかな試みを続けています。この教会観は、ある意味“理想”像ですが、現実には、様々な問題があります。人間関係の破れもあります。しかしそれは、人間の罪がなせることであって、私たちはその痛みをも共に負いながら、この聖書の理想のもとにいつも立ち返り、やがて神様が完成してくださる日まで、その実現を目指して努力しなければなりません。それが、ご自身のみ体なる教会の主、イエス・キリストのみ心だからです。

 

【FBギャラリー】No.89 アンドルー・ルーミス「戦時下の教会」

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2019年

9月

26日

◆ある祈り: 主よ、教えてください◆

神様、忍耐することを教えてください。

ゆっくり進むことを教えてください。

自分の道が分からないとき、どのようにあなたを待つかを教えてください。

物事が正しく運ばないとき、おおらかに堪え忍ぶことを教えてください。

そうすれば、人々が怒り出すとき、冷静でいることができます。

私の はやり高ぶる心を鎮める道を教えてください。

そうすれば、あなたが与えようとしておられる答えを聞くことができます。

愛する神様、握ったものを手放し、

私の心が内なる平安で満たされ、私があなたのみ心を学ぶまで、

妨げられることなく祈ることを教えてください。

~ヘレン・スタイナー・ライス~

(シェア マデレン・ワー)

【解説】 美しい、心に残る祈りですね。私たちも、一日に一度は、み前に静まり、全てを明け渡して、この祈りをささげる必要があるのではありませんか?

God, teach me to be patient, teach me to go slow, Teach me how to wait on You when my way I do not know. Teach me sweet forbearance when things do not go right. So I remain unruffled when others grow uptight. Teach me how to quiet my racing, rising heart. So I might hear the answer You are trying to impart. Teach me to let go, dear God, and pray undisturbed until My heart is filled with inner peace and I learn to know your will.

🌸Helen Steiner Rice🌸

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2019年

9月

23日

◆3人の先達から学ぶ宣教(証し)の真髄◆

1.《宣教はキリストの心で》

キリストの魂は、“宣教魂”です。

彼に近づけば近づくほど、

私たちはより激しく宣教熱心になります。

~ヘンリー・マーティン~

(マルコ16:15) 「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」

【解説】 彼の言葉は、私たちに託された宣教・証しの“原点”を教えてくれます。宣教・証しは、自分の思い、自分の力でやるのではありません。それがどれほど“気分的”なもので、状況に支配されやすく、長続きしないものであるかは、自分自身が一番よく分かっていますよね? そうではない。私たちは、魂のことを考えるときは、いつも“キリストの魂”に帰らなければならないのです。失われゆく魂を深くあわれみ、そのために涙された主のみ心に――。その意味で、私たちが一人の魂に寄り添っていく近さは、キリストの魂に近づいていく深さに比例していかなければならないのですね。

(マルコ 6:34) 「イエスは、…彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。」

(マタイ23:37) 「ああ、エルサレム、エルサレム。…わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。」

The spirit of Christ is the spirit of missions. The nearer we get to Him, the more itensely missional We become.

-Henry Martyn-

 

2.《置かれた場所は魂の勝ち取りの場》

この世界は収穫の畑であり、畑は世界である。

そして今からのち、あの国は、

私がキリストのために魂を勝ち取るのに

最もよく用いられる我が家となるのだ。

~ニコラウス・ルードヴィヒ・フォン・ツィンツェンドルフ伯爵~(写真左)

(マタイ 28:19) 「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」

(ヨハネ 4:35) 「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」

【解説】 このように言い放ったのは、18世紀ドイツの、宣教団体「モラヴィア兄弟団」の創設者です。裕福な貴族だった彼は、イエス・キリストの磔刑画に書いてあった「我これを全て汝のためになせり。汝我がために何をなせしや」の言葉に文字どおり釘づけにされて献身し、私財を全て投げ打って兄弟団を創設し、ドイツのリバイバル(信仰復興)に導きました(旧讃美歌332「主は命を」2節「♪かくも我がために栄えを捨つ 我は主のために何を捨てし」のモチーフ)。“宣教魂、ここに極まれり”とも言うべき熱い気概がひしひしと伝わってきますが、私たちの誰もが宣教師になれるわけではありません。ツィンツェンドルフやマザー・テレサのように、大きな救済の働きができるわけでもありません。でも忘れてならないのは、私たちの“収穫の畑”は、今、主に置かれた場だということです。そこを私の“世界”、神の家族を生み出す“我が家”として、一人の魂の救いのために労すること――そうです、私が、あなたが、小さな小さなツィンツェンドルフやマザー・テレサになることを、主は望んでおられるのです。

The world is the field and the field is the world; and henceforth that country shall be my home where I can be most used in winning souls for Christ.

-Count Nicolaus Ludwig Von Zinzendorf-

"Go therefore and make disciples of all the nations" (Mt. 28:19).

 

3.《宣教・証しはただ神と共に》

私が中国に着いたら、必要な人材や環境などにつぃて一切要求はしない。私の要求は、“ただ一人、神にある”ことだけだ。

~ハドソン・テイラー~(写真左)

【解説】 こちらは、あのチャイナ・インランド・ミッション(現OMFインターナショナル)の創設者の言葉です。これもまた心を探られる言葉ですね。彼は広大な中国内地に宣教師として踏み入れることになった時、どれほど心細かったことでしょう。仲間や資金、建物など、物的支援がどんなに必要だったことでしょう。でも彼は、ただ神だけを頼りに、自力で宣教地を開拓することを求めたのです。心に刻まれたイエスの山上の教えを、今まさに実践しようという彼の決意が伝わってくる思いです。どんな困難な状況でも、ただ神を見上げ、神を第一にするとき、必要は全て備えられます。これは、実践して初めて分かる神の真理なのです。

(マタイ 6:33,34) 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

When I get to China, I will have no claim on anyone for anything. My claim will be alone in God. 

-Hudson Taylor-stolen

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2019年

8月

28日

◆この世に召されて生きるとき◆

《世とキリストの要求を峻別する》

この世は言います。「自分自身を愛し、欲しいものが何であれ、手に入れられるだけ自分のものにし、自分の欲求に従え」と。

キリストは言います。「自分自身を捨て、十字架を負い、私に従いなさい」と。

~フランシス・チャン~

(マタイ 16:24) 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」

The world says, 'love yourself, grab all you can and follow your desires–whatever you want.

Jesus says, 'deny yourself, grab a cross, and follow me. –Francis Chan

 

《“多忙症”に陥るなかれ》

私たちは、あまりに多忙なので、しばしば精神的に、霊的に、“不毛”になる。

~フランクリン・グラハム~

【解説】 “不毛”と訳したbarrenバレンは、子を産む力を失った“不妊”、実を結ぶ力を失った“心の荒れ地”をも意味します。現代に生きる私たち一人一人に対する神様からの警鐘ですね。

We often become mentally and spiritually barren because we’re so busy.

-Franklin Graham-

 

《召しの背後には磐石の備えが》

神様がある働きに召されるとき、

その召しの背後には、

創造者なる神の全ての力と権威が備わっている。

~ジーン・ガーガナス~

【解説】だから、自分の弱さや力のなさを恐れ、成すべき責任の重さに震える必要はないのです。「我に創造者の備えあり。」 召されたお方の“アドナイ・イルエ“を信じましょう。

(創世記 22:14,15) 「そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、『主の山の上には備えがある』と言い伝えられている。」

(Ⅰテサロニケ 5:24) 「あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。」

When God calls to a ministry, all of the power and authority of God the Creator stands behind that call.-Gene Gurganus

 

【FBギャラリー】No.76 ボクの釣り仲間

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2019年

8月

03日

◆心に銘じて今日を生きる3か条◆

①《永遠の愛、永遠のみ腕》

永遠の愛で、私は愛されています。

私の下には、永遠のみ腕があります。

~エリザベス・エリオット~

【解説】 これが、明日からのあなたの朝一番のアイデンティティーチェック、自己宣言です。

(申命記33:27)「昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。。

“You are loved with an everlasting love. And underneath are the everlasting arms.”—Elisabeth Elliot

 

②《初めを間違えたら、その日はアウト!》

朝にまず考えることが「神」、力を注ぐことが「神のため」でなかったら、

その日は最後まで、「神」は“しんがり”のままだろう。

~E.M.バウンズ~

【解説】そのためには、やはり、どんなに忙しくても、朝のデヴォーション(静思の時)を確保する子tでしょうね。「ノーバイブル、ノーブレックファースト(聖書なくして朝食なし」です。

If God is not first in our thoughts and efforts in the morning, He will be in the last place the remainder of the day.-E.M. Bounds

 

③《謙遜こそ恵みのもと》

神様は、謙遜な人のために戦われます。

神様は、心のへりくだった人の上に、

ご自身の恵みを降り注がれるのです。

God fights for the humble. He pours out His grace upon the humble.

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2019年

6月

30日

◆自分の信仰をチェックする3つの言葉◆

1. 《罪<赦し》
罪を糾弾する声は大きい。
だが赦しを宣言する声はもっと大きい。
(Ⅰヨハネ 1:9) 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」
(ローマ5:20) 「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」
The voice of sin is loud, but the voice of forgiveness is louder.
"If we confess our sins, He is faithful and just to forgive us our sins and to cleanse us from all unrighteousness" (1 Jn. 1:9).

2. 《善き業に大小ナシ》
主のために大いなることをしようと意気込む者は多いが、
小さなことを進んでしようとする者は、ほとんどいない。
~D.L. ムーディー~
There are many of us that are willing to do great things for the Lord, but few of us are willing to do little things.” —D. L. Moody

3. 《信仰と疑問》
信仰は、疑問を取り除くことはない。
けれど信仰は、それをどこに携えればいいかを知っている。
~エリザベス・エリオット~
(エレミヤ 33:3) 「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」
Faith does not eliminate questions. But faith knows where to take them. —Elisabeth Elliot

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2019年

6月

28日

◆祈りと感謝で一日を終えるための3つのカギ◆

1.《祈り: 武器、薬、贈り物》

祈り、それは――

試練に対する最も力ある武器。

病に対する最も効力ある薬。

あなたの愛する人への最も価値ある贈り物です。

【解説】 “祈り”は目に見えないものです。でも確かにすごい力を持っています。ここで、3つのうち最初の2つは、あなた自身がその「祈りのチカラ」を実感できます。けれども最後3つ目は、愛する人への贈り物なのに、残念ながら、あなたはもちろん、相手の人にも見えません。でもやはり、それは見えるもの以上に力のある愛の贈り物なのです。ひと言、心を込めて、「祈っています」と伝え、それを実行なさってください。その人が、健やかなときも試みのときも、いつも神様と共に歩んでいる姿を見られたら、それはあなたの祈りの贈り物が、神様を通して確かに届けられた印、そしてその人が、その贈り物を心から喜び、感謝している何よりの証しなのですから――。

PRAYER The most powerful weapon against trials.

The most effective medicine against sickness.

and the most valuable gift to someone you love.

 

2.《共なる神の足あとを振り返る》

私は自分が旅した人生路を振り返る。

そして知るのだ――

私がここまで来られた唯一の理由(わけ)

私が今ここに立つことのできる唯一の理由(わけ)は、

ここまでの道の一歩一歩を

神が私と共に歩んでくれたからなのだと――。

【解説】 これ、まさにもう一つの「あしあと」(マーガレット・パワーズの詩)ですね。そして私は、♬旧聖歌590「救い主イエスと」のメロディーが思わず口をついて出ました。①救い主イエスと共にゆく身は~ ②坂道に強きみ手を差し伸べ~ そして3節 いかに満ち満てる 恵みなるかや 約束しませる 家に帰らば わが魂(たま)は歌わん 力の限り 「君に守られて今日まで来(き)ぬ」と 「君に守られて今日まで来(き)ぬ」と。これは亡き妻や妻の母と三人、毎週の家庭集会で歌い、母の覚えた愛唱歌でした。私の主、あなたの主イエスは、み国に帰りゆくまで、日々、一歩一歩、共に歩んでくださるのですね。

I look back on the road I have traveled and I know that the only reason I was able to make it this far, the only reason I am still here today, is the fact that God was walking the road with me every step of the way.

 

3.《今宵の祈り-この日の終わりに》

天の父なる神様、今日の日も終わりに近づき、休む備えもできました。

でもその前に、今日のあなたの誠実さに、感謝しなければなりません。

私が計画したとおりに事が運ばなくても、

世の中が混とんとしているように見えても、

今日という日は“善き日”なのです。

あなたがコントロールなさっているのですから。

今日、あなたのみ助けに気づいていた、その時々のゆえに、

あなたの目に見えないご臨在がとても近くに感じられた、

その時々のゆえに、神様、感謝します。

でもまた、私の気づかない背後で、

あなたがお働きくださった事どものゆえに、

天より送られたみ使いが、私の全く知らない方法で、

私の代わりに動いてくれたその瞬間瞬間のゆえにも、主よ、感謝します。

今日、私の側でやってしまった愚かな行動や、

まずあなたの祝福や知恵を求めずにやってしまった事どものゆえに、

どうぞお赦しください。

神様、今宵、一夜の良き眠りをお与えください。

それにより、私は身も心も新たに目覚め、

あなたへの愛ある一日を始める備えができます。

全く受けるに値しない者に、数えきれないほどの恵みをお与えくださり、改めて感謝いたします。

あなたの見守りとご臨在が、

この場所を平安と敵からの守りの中に沈め浸してくださいますように。

主よ、おやすみなさい。 イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

【解説】 どうぞ、お休みの前に、あなたの祈りとして、声に出して祈ってみてください。一日を、感謝と悔い改めの祈りで終えることのできる恵み――。これが、主にあがなわれた者だけに与えられた、祝福の特権なのですね。

Tonight's prayer

Heavenly father, my day is drawing to an end, and I'm ready to turn in. But before I do, I have to thank you for your faithfulness today. It's always a good day, even when things may not go the way I plan, or when the world seems in chaos, because you are in control. For all the times when I was aware of your help today, all the times when your unseen presence seemed so near, thank you, God. But for all the ways you worked behind the scenes, unknown to me, moments when heaven-sent angels moved on my behalf in ways I'll never know, thank you for those also, Lord. Forgive me for any foolish actions on my part today or things I did without first asking your blessing or wisdom. Grant me a good night's sleep tonight, God, so that I can awake refreshed and ready to begin another

day loving you. Thank you again for blessings so undeserved and too numerous to count. May your protection and your presence bathe this place with peace and safety against the enemy. Good night, Lord. In Jesus's name, Amen.

 

【FBギャラリー】No.59 「祈りの園生を」

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2019年

5月

31日

◆行いと真実をもって◆

1.《一日は小さな善行の積み重ね》

言葉や思いは十分ではない。

善きことをするのには、日々の生活の全てのことが関わるのだ。

~ディートリッヒ・ボンヘッファー~

(Ⅰヨハネ 3:18) 「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」

【解説】 “善き行い”には、まず“そうしてあげたい”という思いと、”よし、しよう“という小さな決断が伴います。そして実行するには、私たちの時間と、労力と、時にはお金がかかります。善きことをするには、あなたの“命“そのものを使わなければなりません。その日々の積み重ねが、生きること、人生です。“人生”とは、“人を生かす”ことによって、自らも生きることなのです。

Words and thoughts are not enough. Doing good involves all the things of daily life. —Dietrich Bonhoeffer

 

2.《100の教訓より1つの手本で》

1つの良き手本は、

1つの良き教えよりはるかに勝ります。

~D.L. ムーディー~

(マタイ 5:16) 「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」

A good example is far better than a good precept.

"Let your light shine before men in such a way that they may see your good works" (Matt. 5:16, NASB). -D. L. Moody-

 

3.《善き業に不可能なし》

モーセと葦の海(紅海)のように、

主は幾度も示されました。

神の前に、

“不可能”は膝をかがめて屈服することを――。

~バニング・リーブシャー~

Like with Moses and the Red Sea, the Lord has shown many times that, with Him, impossibilities will bow their knee.

—Banning Liebscher

 

【FBギャラリー】No.47 ロバート・ダンカン「木陰に涼む女(ひと)」

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2019年

5月

06日

◆良きクリスチャン魂を育てる5つの栄養素◆

1. 《神の約束を信頼する》

神は、私たちが求める全てを与えてはくださらないが、

最善でまっすぐな道に沿ってご自身に導かれながら、

お約束を確かに果たされるのだ。

~ディートリッヒ・ボンヘッファー~

【解説】 彼は獄中で、幾たび我が身の解放を祈ったことでしょう。だが神は、その願いには応えられませんでした。パウロが肉体のとげを取り去ってくださるよう、三度(=数え切れぬほど)祈ってもかなえられなかったように。でも彼は、あの獄中での深い思索を通して、この地上の誰よりもまっすぐに、最善を成したもう神のみ懐に導かれたのです。「恐れるな。私は最期まであなたと共にいる。そして時が来たら、直ちに天に迎えよう」とのお約束を信じながら――。

God does not give us everything we want, but he does fulfil his promises, leading us along the best and straightest paths to himself. —Dietrich Bonhoeffer

 

2. 《聖書を愛する》

聖書を愛すれば愛するほど、あなたの信仰は強められる。

聖書を愛する者に、“落伍者”はいない。

~D.L. ムーディー~

The more you love the Scriptures, the firmer will be your faith. There is little backsliding when people love the Scriptures.”

-D. L. Moody-

 

3.《自分自身を慈しむ》

私たちのただ一つの喜びは、

主に在って

自分自身を愛し、喜ぶことです。

~ブラザー・ローレンス~

【解説】 “勝ち組”志向の今の時代に生きていたら、“無学のただ人”であった彼は、到底自分を愛し、喜ぶことなどできなかったはずです。しかし彼にとっては、台所が全世界でした。彼は、台所でいつも主と交わり、神に仕える人々に台所から仕えることを無上の喜びとしたのです。

私たち一人一人は、主の永遠の目的により、主によってこの世に生を受けた者です。世界でただ一人の、かけがえのない存在なのです。そして今日も生かされている。その“主に在って”こそ、私たちは自分自身をいとおしみ、己の命を喜ぶことができるのです。

Our only delight is to love and delight ourselves in God.

-Brother Lawrence

 

4. 《主に在る友が命を救う》

しばしば忘れがちですが、

親しき友との“交わり”は、

あなたの魂の暗い夜に

あなたの命*を救うかもしれない霊的な訓練なのです。(*life 命、人生)

~デイヴィッド・マシス~

【解説】 あなたには主に在る親しい友がいますか?(いることを願っています!) その友との交わりをはぐくむことは、実は神様の霊的な訓練の場なのだと考えたことがありますか? 私はありませんでしたが、この言葉は大きな気づきでした。私はそれを、先日の妻の召天の時に、多くの皆様からの温かい慰めと励ましのお言葉、祈りの中で、ひしひしと感じたのです。妻の突然の死は、あの時の私には、まさに悪夢でした。私は紛れもなく、この77年の人生の中で、最も恐ろしい“魂の暗い夜”を通らされたのです。でも私は、皆様が惜しみなく差し出してくださった愛の手のぬくもりの中で、本当に“命”を救われました。“人生”を投げ出さずに済んだのです。

どうぞ、あなたの友を大事になさってください。そして誰かの大切な友になってください。友との交わりによる主の霊的な訓練は、あなたの、そして誰かの人生を、命をも救うのです。

Fellowship is the often forgotten spiritual discipline that may save your life in the dark night of your soul.-David Mathis-

 

5. 《体を他者(ひと)のために使う》

クリスチャンにとって、訓練は、“体”から始まります。

体は、誰かのために犠牲を払うように与えられた第一の“道具”です。

私たちは、体は自分のために取っておきながら、

心を神にささげることなどできないのです。

~エリザべス・エリオット~

【解説】 彼女の夫は、南米エクアドルのアウカに住む未開人に福音を伝えるため、文字どおり体を差し出すようにして恐れず彼らに近づき、命を落としました。この言葉を書いた彼女の脳裏には、その夫の姿が焼き付いていたに違いありません。この世の人々は、自らを鍛え、その健康美を保つために、“体の訓練”に余念がありませんが、神様は、「その体は他者のためにあるのだ」と言われます。ここで彼女が言いたいのは、二つのことです。一つは、“頭の中の理屈や言葉だけで人に愛を語るな”ということです。体を使い、行いをもってそれを示さなければ、人を変えることはできません。夫の遺志を継いだ彼女自身がそれを実行して彼らに伝道を続け、やがて彼らはクリスチャンに変えられました。人はそれを“アウカの奇跡”と呼びました。もう一つは、この“体”には、文字どおりの身体だけではなく、あなたが神様から与えられた“時”、“才能”、“財”など全ての“たまもの”が含まれるということです。神様は、それを端的に“命”と呼ばれます。“命”は、優れて“愛”のために使わなければならないのです。あの十字架のイエス・キリストのように――。

(Ⅰヨハネ 3:16) 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」

Discipline, for the Christian, begins with the body. It is this body that is the primary material given to us for sacrifice. We cannot give our hearts to God and keep our bodies for ourselves.

—Elisabeth Elliot

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2019年

5月

04日

◆祈り: よりみそばに近づくために◆

《♬世には良き友も数あれど…》

あなたの心が“友”を求めているときは

主と共に歩きなさい。

全くの独りぼっちと感じるときは

主に手を取ってもらいなさい。

誰か寄りかかる人が必要なときは

主のほうを向きなさい。

主イエスだけが

あなたがどんなときにも寄りすがれる

ただ一人のお方なのです。

Walk with the Lord when your heart needs company. Take His hand when you feel all alone. Turn to Him when you need someone to lean on. He’s the only one you can always rely on.

【解説】 1行目、引用符付きで「友」と訳した原文のcompanyカンパニーは、「親しい友達、仲間、話し相手」です。私にとっては、誰をおいても49年間を共に生きた「妻」でした。この言葉に出会ったのは、妻が召天する前でしたが、妻を失って独りで過ごしたこの2か月余り、これは私のための言葉になりました。心の底からの「アーメン」と共に、お分かちします。

 

《主の自由を与えてください》

愛する主よ、

どんな恨みも、苦々しさも、ふさぎ込みも、拒む思いも、赦さない心も、怒りも、

忘れ去ることができるように助けてください。

私は全き心、自由が欲しいのです。

私が、み子のお姿に少しずつでも似た者になるまで

悪しきものを取り除き、洗い続けてください。

み子が自由にしてくださった者だけが、本当に自由なのです。

―イエスのみ名によって祈ります。アーメン。

Dear Lord, Help us to let go of any resentment, bitterness, depression, rejection, unforgiveness and anger. We desire to be whole and free. Continue to purge and wash us until we look more and more like your Son. For whom the Son sets free is free indeed. In the name of Jesus we pray. Amen

 

《あなたの働きのために祈ります》

あなたが、ご自分のプロジェクトを成し終え

あなたのアイデアに命を吹き込み

あなたのゴールを達成するために、

上からの力と強さを受けられますように。

あなたの進む道が整えられ

全ての障害が取り除かれますように。

良き変化をもたらすために

あなたの創造性が増し加えられ、

あなたの想像力が天よりのひらめきで満たされますように――。

【解説】 私はこの祈りを、「あなた」を「私」に代えて、自らの祈りとして主にささげています。私には、主のために、愛する主に在る皆様のために、まだなすべきことが残されています。折節に、この弱き者のために、この祈りでお支えいただけたら、まことにありがたいことです。

May you receive the energy and strength to finish your projects, bring your idea to life, and accomplish your goals. May your path be cleared and all blocks be removed. May your creativity be multiplied and your imagination be filled with inspiration to make a difference.

 

《永遠に残るものを》

私たちの人生は一度だけ。

それは、つかの間に過ぎ去ります。

あなたが神様のためにしたことだけが

永続するのです。

~チャールズ・スタッド~

【解説】 また妻の話で恐縮ですが、全く予想だにしなかった妻の召天で、人の命は、神のみ心ひとつで、一瞬のうちに終わるのだということを、身をもって知りました。まだまだ丈夫で頑張れると思っていた私にも、明日は来ないのかもしれない―そう思ったときに、私が世を去ったのちも残るものは何かと、いやおうなしに考えさせられました。その時に得た答えがこれだったのです。「神様のためにしたこと」。ほんのささやかな親切も、大きな弱者救済のプロジェクトも、神の前にはいささかの違いもありません。主はひと言、こう問われるのです、「それは、私のためにしたのか?」と。願わくは、私も、あなたも、イエス様からのどの問いに対しても、「はい、主よ、私がこれをあなたのためにしたことは、あなたがご存じです」と答えられますように――。

We have one life; it soon will be past; what we do for God is all that will last. – Charles Studd

 

【FBギャラリー】No.40 チャールズ・ワイソッキー「教会の見える風景」

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2019年

3月

25日

◆ある祈り キリストの心を求めて◆

ああ神様、お与えください――

純粋で、泉のように澄み切った幼子の心を。

決して悲しみをとどめたままにしない単純な心を。

自らを与えることを主の誉れとし、あわれみあふれる柔らかな心を。

決して受けた良きことを忘れず、

悪しきことに恨みを抱かない誠実で寛大な心を。

いかなる見返りも求めずに人を愛し、

いかなる恩知らずにも心を損なわれず、

いかなる無関心にも疲れを覚えない

おおらかで不屈の心を。

イエスの愛に貫かれた心を。

この願いは、天においてのみ満たされることを信じつつ…

ああ主なる神よ、あなたの愛するみ子の思いと心をお与えください。

―フランスのある祈り—

 

【解説】 世に何十、何百という優れた祈りがありますが、高きに過ぎず、深きに過ぎず、“自らの祈り”として繰り返し口に唱えたい祈りは、それほど多くはありません。私にとっては、この祈りはその一つですが、あなたにはいかがですか? これは、あのアッシジのフランチェスコの平和の祈りにも、マザー・テレサの祈りにも通じることですが、そこに相通ずるのは、“イエス様の心を私の心とさせてください”という切なる願いでしょう。この一つ一つの求めは、主イエス・キリストが、その地上の生涯において、そして今も天で、言葉と行いにおいてお現しになっておられることだからです。

 

Grant me, O God,

The heart of a child, pure and transparent as a spring;

A simple heart, which never harbors sorrows;

a heart glorious in self-giving, Tender in compassion;

A heart faithful and generous, which will never forget any good, or bear a grudge for any evil.

Make me a heart gentle and humble, Loving without asking any returns, Large-hearted and undauntable, which no ingratitude

can sour; and no indifference can weary.

A heart penetrated by the love of Jesus.

Whose desire will only be satisfied in Heaven.

Grant me, O Lord, the mind and heart of thy dear Son.

A French Prayer

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2019年

2月

10日

◆”祈り”について心に留めたい3か条◆

1.《心配も祈りも“会話”なのです》

“心配事”は、あなたが変えることのできないことについて、自分自身と語る会話です。

“祈り”は、神様が変えることのできることについて、神様と交わす会話です。

【解説】 心配事が“会話”だなんて、ちょっと意外でしたね。でも同じ会話でも、これはかなり違います。“心配事”の会話の相手は自分自身。その実態は“堂々巡りの繰り言”で、何の解決ももたらしません。いつまでたっても、前には進めないのです。でも“祈り”は、全能なる神様との会話です。祈りを通してのみ、私たちは神様に自分を変えていただき、上よりの力を授かって、前に進んでいけるのです。

Worry is a conversation you have with yourself about things you cannot change.

Prayer is a conversation you have with God about things He can change.

 

2.《祈りは、パンクしたときの予備タイヤですか?》

“祈り”は、あなたが困ったときに引っ張り出す“予備タイヤ”(spare wheelスペアホイール)ではありません。“祈り”は、あなたの人生の旅路で、正しい道にまっすぐ連れていってくれる“ハンドル”(steerring wheelスティアリングホイール)なのです。

【解説】 これは、英文ならではの、似た言葉を用いた言葉遊びによる、うまい例えです。“祈り”を、“苦しい時の神頼み”よろしく、心のトランクにしまい込んでいてはいけません。車輪があっても、燃料満タンでも、ハンドルなしに車は動けないように、私たちも、“祈り”なしには人生道路を目的地目指して走ることは不可能なのです。”祈り”こそ、我がライフカー(人生車!)を動かすハンドルであることを、しかと心に刻みましょう。

Prayer is not a spare wheel that you pull out when in trouble. It’s a steering wheel that directs you down the right path through your journey.

 

3.《誰かが祈ってくれてるのを忘れないで》

あなたが誰かのために祈るとき、神様はそれをお聴きになり、その人を祝福されます。だからあなたが“無事で幸せだ”と感じたときは、誰かがあなたのために祈ってくれたのだということを、忘れないようになさい。

【解説】 これが“とりなし”の祈りの真髄です。ある人が、「私たちが、とりなしに身が入らないのは、自分がとりなしの祈りをした人が祝されても、それを自分の“功績”にできないからだ」と言いました。まさしくそれは、人間の自己中心性を如実に示す鋭い分析ですが、そんな私たちは、一つ大きな思い違いをしています。それは、誰に知られなくても、私たちのとりなしの祈りは、“神様に聴かれている”ということを忘れていることです。あるいは、頭で分かっていても、それを心から信じられないことです。今、それをもう一度心から信じて、愛する人のために、とりなす者に変えていただきましょう。そして一方、様々な危機から免れたとき、心に平安と喜びが沸き上がったとき、思いがかなって幸せに満ちあふれたときには、「祈られてる!」と思い出して、感謝をささげましょう。あなたの人生に、“当たり前に起こること”は、何一つありません。全ては、大きなことも小さなことも、誰かのとりなしを聴きあげてくださる神様の愛のみ手の中で起こるのですから――。

When you pray for others, God listens to you and blesses them. Sometimes, when you are safe and happy, remember that someone has prayed for you.

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2019年

1月

25日

◆よりよく神を知るための5か条◆

1.《神がしてくださったこと: 贖い》

神様は、私たちをみもとに引き寄せるために、驚くべきわざ、そして高い代価を伴うわざをしてくださいました。

そのことを説明するのには、この、幾たびも繰り返された言葉を用いる以上の良きすべを私は知りません。「それは、あたかも、イエスの杯に、“地獄”が注がれたようであった。彼はその杯を取り、すさまじいほどの“愛のひと飲み”をもって、”地獄の責め苦”を飲み干したのである。」

(それゆえ)“どのように敵を愛せるか”という命題に応えるカギとなる道は、私たちが、“神の敵”の身で愛された”ということを体験するところにあります。

God has done astonishing and costly things to draw us near.

I can never express that thought better than by using those oft-repeated words: it seemed as if Hell were put into His cup; He seized it, and, 'At one tremendous draught of love, He drank damnation dry.'"

(Therefore,) The route origin of how to love our enemies is to experience being

loved as an enemy of God.

 

2.《神が求められること: 忠節》

神様は、ご自身のみ名の誉れのために、永遠に“ねたむ神”であられるので、何ものも、また何人(なんぴと)も、ご自身の忠節な“花嫁”(直訳:“妻”)の善良さを脅かすものは、全能なる神に逆らうものとなります。“神のねたみ”は、遊女と戯れ、この世に心を売り、神を締め出す者にとっては、大いなる脅威です。けれども神のねたみは、忠節の誓いを守り、この世に対して進んで“異邦人”また“追放者”となる人にとっては、大いなる慰めと力になるのです。

(出エジプト 34:14) 「あなたはほかの神を拝んではならないからである。その名がねたみである主は、ねたむ神であるから。」

Since God is infinitely jealous for the honor of His name, anything and anybody who threatens the good of His faithful wife will be opposed with divine omnipotence. God’s jealousy is a great threat to those who play the harlot and sell their heart to the world and make a cuckold out of God. But His jealousy is a great comfort to those who keep their covenant vows and become strangers and exiles

in the world.

"You shall worship no other god, for the Lord, whose name is Jealous, is a jealous God" (Ex. 34:14).

 

3. 《神の驚くべき恵み》

神様は、“そこそこの恵みの神”ではありません―例えば“過去限定の恵み”のような。神様は、“全ての恵みの神”です。―そこには、無限で、無尽蔵な、“未来の恵み”も含まれているのです。

全能の神様は、あなたの人生を通して、一日一日、普段のときも、異例なことが起こったときも、あなたの“避けどころ”であられるという真実ほど、私たちの心を解放させ、わくわくさせ、強めてくれるものがあるでしょうか?

時として、私たちは、神の“自己感情のコントロール“には一切の制限がないということを、神様ご自身から思い出させていただく必要があります。神様は、決して絶望的になることも、フラストレーションを抱えることも、途方に暮れることもないのだということを、私たちは直々(じきじき)に教えていただかなければなりません。

God is not the God of some grace—like bygone grace. He is the God of “all grace”—including the infinite, inexhaustible store of future grace.

Is there anything more freeing, more thrilling, or more strengthening than the truth that God Almighty is your refuge-all day, every day, in all the ordinary and extraordinary experiences of life?

Sometimes we need to be reminded by God Himself that there are no limits to His rule. We need His own reminder that He is never helpless, never frustrated, never at a loss.

 

4.《神の驚くべき力》

もし私が牢獄にいて、イエス様がそこに近づいてきて、「今夜、ここから出なさい」と言われたら、私は「え?!」と驚きますが、もし私がこのお方の善意と力に信頼しているなら、次の瞬間には「私はきっと自由になる」という希望に圧倒されるでしょう。

神様は、あなたの人生の中で、どんなときでも、10,000ものことをしてくださいますが、あなたが気づくのは、その中でせいぜい3つぐらいのものです。

もし“祈り”が、あなたにとっては何か“生産性”からの逸脱のように感じられるなら、忘れないでください。神様は、あなたが5時間かけてやることを、ものの5秒でやってくださるのだということを――。

If I were in prison and Jesus walked into my cell and said, ‘Leave this place tonight’, I might be stunned, but if I trusted His goodness and power, I would feel a rush of hope that freedom is possible.

God is always doing 10,000 things in your life, and you may be aware of three of them.

If prayer seems to you a diversion from productivity, remember God does me in five seconds than we can five hours.

 

5.《神の“究極の”栄光》

神様の栄光の”絶頂”は、“キリストの再臨”です。そこには、“太陽が永遠に輝く”ことでしょう。

The high noon of God’s glory will be the second coming of Christ. And that is where the sun will stay forever.

 

~ジョン・パイパー John Piper~

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2019年

1月

15日

◆ある祈り: あなたの証しのために◆

あなたの生活が、

あなたの口の言葉よりも

より声高く福音を説くものでありますように。

 

【解説】 訳者にとっても、とても新鮮で、自らの生き方を探られる祈りでした。「生活」と訳した原語lifeは、ご存じのように、「人生」「命」の意味も持っています。その意味も込めてこの祈りを味わいましょう。

私たちが救われた神の“福音”―救いの良き知らせ―は、今度は私たちが宣べ伝えなければなりません。それが私たちの“証し”ですが、それは、言葉だけではなく、日々の生き方によってもなされるものです。あなたのご家族、ご近所、学校、職場など、私たちの周りにいる100人のうち99人の人々は、まだこのすばらしい福音を知りません。そして、あなたがクリスチャンであると知ると、“クリスチャンとはどういう人なのか”と、あなたの一挙手一投足を見ています。そのとき、あなたの語る証しが行いを伴っていないと、「言ってることとやってることが違うね」と思われ、その人々の信仰への道は、遠ざかってしまいます。逆に、語る言葉はつたなくても、いいえ、何も言わなくても、その行いが、本当に“喜びと感謝と愛”に満ちていると、それは千の言葉よりも雄弁な、“福音の宣教”になるのです。

なぜこの祈りのオリジナルの画像が、2羽の小鳥なのかと考えながらイラストを見ているうち、イエス様の山上の教えを思い出しました。

(マタイ 6:26) 「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」 

私たちの“生活”は、この小鳥たちのように、労せずして、日々の必要を備えられ、天のみ父に養われ、“生かされている”日々の積み重ねの“人生”です。かく言う私は、3年間の国際詐欺の被害で、今もその日その日を妻と共にかろうじて生きているのですが、不思議に守られています。そこから、口をついて出るのは、ただ「感謝、感謝」です。明日どうなるか分からなくても、今日を生かされている“命”の喜びがあふれてくるのです。これが“福音”でなくて何でしょうか?

この短い祈り、愛する同労者のために祈ると共に、まず自分自身のために、「あなた」を「私」に代えて、日々祈る者でありたいですね。

 

May your life preach more loudly than your lips.

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2019年

1月

08日

◆オンリーワンを求める生き方4か条◆

1.《主ひとりを求める》 初めにコンサートを開いて、それから楽器のチューニングを始めるようなことをしてはいけない。一日をみ言葉と祈りで始め、何を差し置いても、まずあのお方との“魂の音合わせ”をなさい。

~ハドソン・テイラー~

【解説】 このコンサートとチューニングの例えは、言い得て妙ですね。(これに触発されて、後半の原語harmony“調和”は、“魂の音合わせ”と訳してみました。) 昔読んだハドソン・テイラーの伝記の一節、「彼が祈る前に、中国に太陽が昇ることはなかった」を、今でも思い出します。一日の始まり、まず求めるべきものは、ただ一人、“主”ご自身です。

Do not have your concert first, and then tune your instrument afterwards. Begin the day with the Word of God and prayer, and get first of all into harmony with Him. - Hudson Taylor

 

2.《霊的リーダーを求める》 私たちの最大の危機は、堅実な“政治的リーダーシップ”の欠如ではない。“霊的な師父たち”への飢餓なのだ。~デイヴィッド・シルカー~

【解説】 もちろん清廉な政治家の存在は誰しも求めています。でもそれは最も必要なことではありません。私たちが、この混とんとした社会と、煩わしい人間関係の中で、“自分”をしっかり保って、ブレずに生きていくために最も必要なのは、上記1に続いて、“人”、霊的な指導者の存在なのです。今、多くのキリスト者は、霊的に飢え渇いています。あなたの教会の牧師先生からの直接の牧会指導だけでなく、世界・国内で広く知られた方々の著書、あるいはSNSの発達した現代では、このフェイスブックを通してでも、「この人の言うことには何かがある」と思える人に出会ったら、しっかり焦点を据えて、その薫陶を求めることです。

“Our greatest crisis is not our lack of sound political leadership; it is our famine of spiritual fathers.” —David Silker

 

3.《一人の魂を求める》 神様は、どんなことでも、“数”や“広さ”で計ることはなさいません。神は、そのものの価値を測る、別の物差しを持っておられます。それによれば、イエス様ご自身が語られたように(訳注: マタイ16:26)、“一人の魂”には、全宇宙よりも大切な価値があるのです。~デレク・プリンス~

【解説】 あなたには、“この人”の救いのために、祈り続けた人が、あるいは今も祈っている人がいるでしょうか? 私がワーナー時代の46年半、祈って主に導いた人は、ただ一人でした。その人は、中国への宣教師になって、天に凱旋しました。私の妻は、祈ってはいたものの「誰が救われても、理論武装をしているこの人だけは無理」と信じていた(!)弟に、クリスチャンの親友を伴侶として紹介し、彼女の祈りの助けを得て信仰に導きました。、さらに、風邪で新年礼拝を休んだ時、み霊に促されて、同居していた彼女の母に証ししました。死の床の中からクリスチャンになることができ、今まで生かされてきた恵みを涙ながらに語る彼女の言葉に、母はその場でイエス様を受け入れました。妻が救われて以来30年間の祈りが聞かれた瞬間でした。

クリスチャンの価値観の根底は、“一人の魂の重さ”です。その価値観はどこから来るのでしょう? それは、神様が、ご自身のかけがえのない独り子を十字架につけられるほど、この世を愛されたこと。そして、あなたが、私が、その愛する“一人の魂”にしていただいたことです。

God does not measure everything by numbers or dimensions. He has another scale of values, according to which-as Jesus Himself told us -one human soul is worth more than the entire universe.-Derek Prince-

 

4.《一つの善き業を求める》 

この世が求める必要に

圧倒されてしまいましたか?

なら、数えきれないほど多くの人々にしてあげたいことを

一人の人のためになさい。

~ボブ・ソージ~

【解説】 これは、マザー・テレサが「私たちの誰もが大いなることができるわけではない。でも小さなことを、大いなる愛を込めてすることはできるのです。」と言った言葉に通じますね。“善き業”は、救われた私たちに求められていることですが、その必要の多さを考えると、思わず「私には無理!」と引いてしまいます。その時には、この4の言葉を思い出してください。“数えきれないほど多くの人”と訳した原語の直訳は、「数百万の人々」です。そこでまず、心にこう念じましょう。「思いは数百万の人に。業は一人に。」 神様は、「それでいいのだよ」とおっしゃいます。あのイエスの足に香油を塗った女に、こう言われたように――。

(マルコ14:6,8)「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。…この女は、自分にできることをしたのです。」

“Overwhelmed by the needs in the world? Do for one what you want to do for millions.” -Bob Sorge-

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2018年

12月

25日

◆キリスト者が、ともかく祈る3つの理由(わけ)◆

1.《諦めないで祈るワケ》 根気強く(しつこく!)祈ることが大切なのは、そうすれば神様が聴いてくださるからではなく、あなたが、ついには神様のみ声を聴けるからです。

The value of persistent prayer is not that He will hear us, but that we finally hear Him.

 

2.《過ちを犯しても祈るワケ》 あなたが犯してしまったどんな“過ち”よりも、神様の“あわれみ”は常に大きいのです。God’s mercy is bigger than any mistake that you’ve made.

 

3.《欲しいものがなくても祈るワケ》 祈りなさい。あなたが何かが“必要”だからだけではなく、あなたには、“感謝”すべきことが山ほどあるからです。

Pray, not only because you need something, but because you have a lot to be thankful for.

 

(Ⅰテサロニケ 5:16-18) 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

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2018年

12月

17日

◆クリスマスに想い見ること3つ◆

1. 《神の払いし犠牲を想い見よ》 もしイエス・キリストが神であり、私のために死んでくださったとすれば、私がこのお方のために払う犠牲で、“大きすぎる”ものなど断じてないのだ。~C.S. スタッド

【解説】 クリスマスは、神のみ子が、あなたのため、私のために命を捨てるという大いなる犠牲の目的を持って、人となられた日です。だとすれば、私たちもまた、ただ感謝し、喜ぶだけではなく、自分の払うべき犠牲(それは、犠牲と呼ぶほどのものではないのです!)について、考えてみるべきです。クリスマス――この日は、「主よ、私はあなたのために、何を捨てればいいのでしょうか?」と、ひざまずいて問う日でもなければならないのではないでしょうか?

(ルカ 9:23) 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」

If Jesus Christ be God and died for me, then no sacrifice can be too great for me to make for Him. -C.T. Studd- “If anyone desires to come after Me, let him deny himself, and take up his cross daily, and follow Me" (Lk. 9:23).

 

2. 《神の我が選びの日を想い見よ》 まだ神を憎んでいたあなたを、あの日、救いに選んでくださったほどの神の“寵愛”を、あなたが新生した日から死ぬ日までの間に受けることは、二度とありはしない。~デイヴィッド・シルカー~【

解説】 ”あの日”とは、私たちが地上で知りうる日ではありません。永遠の天で、誰も知らないところで、しかし確かに神様があなたの救いを定められた“特別の日”なのです。クリスマス――それは、神様が、こんな無きに等しい者を選ばれたご自身の愛を、時満ちて、この地上であなたにお示しになるために独り子を遣わされた日として、想いを馳せるべき日なのです。

(エペソ 1:4) 「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」

"From the day you're born again to the day you die, you will never receive more favor than the day He chose you even though you hated Him."—David Sliker

 

3. 《日々、神の臨在を想い見よ》 “神への飢え渇き”は、“神の不在”のしるしではない。それは“神の臨在”の証明なのだ。~ダナ・キャンドラー~【解説】 クリスマスは、天使の声も高らかに、「インマヌエル 神我らと共にいます!」と宣言します。その声を聞きながら、私たちは、この一年を振り返って、この世との闘いの中で、いかにしばしば神様を見失いかけたかを、痛みと共に思い出します。そんな中でも、神=主イエス様は、いっときも離れることなく、あなたと共におられたのです。そんな徹頭徹尾自己中心な私たちに、神様は、鹿が谷川を慕いあえぐように(詩篇42:1)、ご自身を渇き求める思いを与えてくださいました。私たちは、姿を消した神、いなくなった神を求めるのではない。目には見えずとも、確かにそこにおられるからこそ、叫び求めるのです。クリスマス――それは、私たちが「インマヌエル」の主をしかと心の王座に迎え直し、”私の主、私の神”の臨在を人々に示すために、“神への飢え渇き”の思いを新たにする日なのです。

(マタイ1:23) 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

"Hunger for God is not a sign of His absence, but proof of His presence."—Dana Candler

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2018年

12月

03日

◆単純で大胆な祈りこそ◆

“神への信仰”が、全てを変えるのです。

Faith in God changes everything.

 

私には、“大きな奇跡”を起こす

“大きな神様”がいます。

I have a big God that can do big miracles.

 

あなたの祈りが

たとえどんなに小さく囁くようなものでも、

神様は確かに聴き、お分かりになり、

あなたが心にしまっている望みや恐れを

知ってくださいます。

そしてあなたが“このお方に信頼する”とき、

奇跡は起こるのです。

No matter how softly you whisper a prayer, God surely listens, understands and knows the hopes and fears you keep in your hearts… And when you trust Him, miracles happen.

 

【解説】はいこれ、奇跡を目の当たりにできる、単純で大胆な信仰の祈りの三段論法ですね。

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2018年

11月

27日

◆共に待ちたもう神◆

私たちが神を待ち望むとき、

私たちは神と共に待っているのです。

~ルーイ・ギグリオ~

 

このことを知ってください――

時として、神様は、

“解決”や“新しい状況”というかたちでは、

祈りにお応えにはなりません。

でも、“ご自身をお与えになる”ことによって…

“そこにおられる”ことによって、

お応えになるのです。

 

【解説】 “神の沈黙”というテーマは、小説にも映画にもなるほど、大きな信仰のテーマです。とりわけキリスト者にとっては、祈っても応えがないという状況は、苦しいものです。でも、それは、神様の応え方が、私たちの期待とは違っているということであって、神様が応えることなしに沈黙なさるということではありません。神様の最大、最善の答えは、祈るあなたに寄り添っておられる、どんな状況の中でも、あなたから離れず、あなたと共におられるということです。あのヘブル書13:5のみ言葉は、祈りにおいても真実です。時として四面楚歌のような状況に置かれる私たちにとって、これ以上の慰めと励ましがあるでしょうか? それを信じられるかどうかに、あなたの信仰の全てがかかっているのです。

 

(ヘブル人への手紙 13:5) 「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」

 

"While we are waiting on God, we are waiting with God"

~ Louie Giglio

Know that sometimes God answers prayers not with solutions, or new situations, but by giving Himself—by being there.

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2018年

11月

26日

◆”信仰” ただ1つなるもの◆

1.

《あなたを変えるものは、1つだけ》 あなたを最も変える言葉は、この講壇から語られる説教者の語る言葉ではありません。それは、あなた自身の口から出る言葉です。

~コーリー・ラッセル~

"The words that will change you the most are not from speakers on this stage, but the words of your own mouth." —Corey Russell

【解説】 これは、語られた神の言葉をあなたがよく受け入れ、理解し、あなた自身の信仰告白、証し、宣教のメッセージとして、また人を生かし、建て上げる愛と赦しのメッセージとして、あなたの口から語られるとき、初めてホンモノになるいうことです。それは、あなたの内に起こる“み言葉の受肉”です。それゆえにこそ、あなたは自ら語るその言葉によって、整えられ、新たな気づきを与えられ、変えられていくのです。あのエゼキエルのように――(エゼキエル書3:1-3)。

2.

《あなたに必要なお方は、1人だけ》 

あなたは、

“私はキリストしか持っていない”と気づくまで、

自分にとっては“キリストが全て”だということに

決して気づくことはありません。

~コーリー・テン・ブーム~

You can never learn that Christ is all you need, until Christ is all you have.—Corrie Ten Boom

【解説】 原文には、巧みな言葉の修辞があります。それを生かして直訳すると、「人は、キリストが”自分の持っている全て”となるまでは、キリストが”必要の全て”とは決して悟りません。」となります。彼女は、この真実を、あのアウシュビッツの牢獄の中で体験しました。死を待つばかりの極限の状況の中で、彼女が持っていたのは、自分自身のやせ衰えた体と、キリストというお方だけだったのです。「キリストが全て」とは、美しい言葉ですが、軽々には言えない言葉です。生存をかけたギリギリのところで、本当に”このお方なしには死んでしまう”という魂の飢餓を体験して、初めて語れる言葉なのです。

《私の居場所も、1つだけ》 

私は、遂に、

自分の“居場所”を見つけました。

それは、主よ、“あなたと居る場所”です。

~コーリー・アズベリー~

I’ve finally found where I belong, it’s to be with You. -Cory Asbury

【解説】 “居場所”と訳した原語は、where I belong、“私がそこに属し、いるべき、ふさわしい場所”という意味です。そこは、あなたが行きたいところ、いたい場所ではありません。あなたが神様を信じたときに、神様によって定められ、そこの“住人”とされ、そこにいるのが最もあなたらしい、あなたにぴったりの場所ということです。その場所は、固定されていません。a place to be with you、“主イエスと共にいるところ”、あなたがどこに行こうと、主と共にある限り、そこがあなたの“居場所”です。そしてその場所は、この地上だけでなく、天にも確保されています。イエス様が、一足先にそこに行かれて、ちゃんとあなたのために備えておられるからです(ヨハネ14:1-3)。

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2018年

11月

14日

◆主よ、忍耐を与えてください◆

愛する主よ、

あなたのご計画を、私の人生の中で

ことごとく成し遂げてくださるまで、

私に忍耐することを教えてください。

それは、あなたなしにはできないことです。

 

【解説】 全知全能の神様は、私たち一人一人に対するご計画を、私たちが形づくられる前から、“永遠の今”において、全て立て終えておられます。それを、目の前のスクリーンに、一目で分かるようにプレゼンしてくださったら、どんなにいいでしょう! でもそれは神様の方法ではありません。そもそもそんな人生は、恐ろしく退屈で、つまらないものに違いありません。私たちは、明日が分からないからこそ、不安がある半面、“きっといいことがある”と期待して毎日を歩めるのです。でも時として私たちは、それまでにない新しい局面を迎えることがあります。あなたの人生への神様の設計図には、山もあれば谷もあるのです。とりわけ“暗い谷間”に下っていくとき、私たちは不安と恐れに駆られます。「どこまで続くんだろう?」「これは本当に神様のご計画なんだろうか?」「もっと別の道があるんじゃないのかしら?」 そして、待ちきれずに、自分で良しと決めた別の道に突き進んでしまうこともあります。私自身が、その体験をしました。「これは主のご計画だ」と早合点して、み言葉からの確信や、信仰の友や師の助けを仰ぐことなく、いえ、その助言を無視さえして、暗闇の中を模索し続け、とうとう“これは神様のご計画ではなかった”とはっきり分かるまで、3年もかかりました! でも神様は、あわれみ深いお方です。”脱出の道”を備えていてくださったのです。

私たちに最善の道を歩ませるための神様のご計画は、神様のお助けと導きなしには、絶対に実現することはできません。このことを通して私が教えられたのは、次のことでした。

① 人生の新しい局面に立たされたときは、まず静まって祈ること。み言葉をよく読み、信頼できる師や友に相談し、祈っていただくこと。

② そして内なる確信が与えられるまで、静かに待つこと。決して焦ってはいけません。それは時には長くかかるかもしれません。でも忍耐して待ちましょう。ここで「さぁ、これこそ神のみ心だ。今すぐやってみなさい」とささやくのは、これでイエス様をさえ陥れようとしたサタンの、“とっておきテクニック”です。

③ やがて神様のみ心が、はっきりと示される時が来ます。それは、しばしば、あなたの思い描いたものとは違う場合があるかもしれません。でも、そこに平安と、内よりの揺るがない静かな“促し”があるとき、あなたは全てを委ねて一歩を踏み出すことができます。次の一歩は主ご自身が導かれます。あなたの前に、“主のご計画の道”は、間違いなく開かれるのです。

 

(ヘブル 10:36)

「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」

 

Dear Lord, help me to be patient as you bring your plan in my life

to its fullness. I can’t do this without you.

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2018年

11月

08日

◆涙と ため息だけの祈りでも◆

 「見よ、彼は祈っている」(使徒9:11)―

 “祈り”は、直ちに天に知られます。サウロ(パウロ)が祈り始めた瞬間、主はそれを聴かれました。ここに、打ちひしがれながらも祈る魂への慰めがあります。しばしば、哀れな、傷心の心を携えて、人は祈るために膝をかがめますが、その口から出るのは、“ため息”と“涙”という言葉でつづられた悲嘆の叫びだけです。それでもその“うめき”は、全ての“天のハープ”を用いた音楽を奏でるのです。その涙は、神様によって受け止められ、“天の涙壺”の中に大切に入れられます。「あなたは、私の涙をあなたの壺の中に入れてくださいます。」 (訳者注: 参照詩篇56:8) これは、その涙が、流れ落ちるままに、しかと受け止められていることを意味します。恐れで言葉も出ないこの嘆願者を、いと高きところに住まわれるお方は、よく理解しておられるのです。その人は、涙にかすむ目で上を見上げるだけかもしれない。けれども、“祈りは流れ落ちる涙”なのです。“涙”は“天のダイヤモンド”、”ため息”は、“天の神の宮の音楽”の一節であり、この至高なるお方のもとに届く最も崇高なメロディーの一部と見なされるのです。

 

 あなたの祈りがどんなに弱々しく、震え声のようなものだとしても、無視され、顧みられないなどと考えてはなりません。ヤコブの梯子はそびえるほど高いですが、私たちの祈りは、“契約の天使”の身に委ねられ、星に届くように伸びた梯子を上っていくのです。私たちの神様は、祈りを聴いてくださるだけでなく、聴くことを愛しておられます。「神は、へりくだった者の叫びをお忘れにならない。」 (訳注: 詩篇9:12) そうです、神様は、聞こえが立派で高尚な言葉を良しとはされません。王たちのきらびやかな虚飾も意に介されません。軍歌の高まりにも耳をお貸しになりません。人の大成功やうぬぼれを気にも留めません。けれど、悲しみにくずおれた心や、もだえ苦しみ、うめき、悔悟のため息で震える唇があるところ、神様の心は開かれます。神はそれを、ご自身の“記憶簿”にしかと書き留められます。神は私たちの“祈り”を、あたかもバラの花びらのように、その記憶簿の間に挟まれるのです。そして最後にそれが開かれる時、そこからいとも貴い香りが広がりゆくことでしょう。

 

“信仰”は、

祈りが受け入れられたことを知らせる天からのしるしを

求めたりはしない。

我らの“大祭司”は高きところにおられ、

“恵のみ座”から応えられるのだ。

 

【解説】 私たちの祈りも、時として、このような言葉にならないうめきと涙と溜め息だけの時があります。私もつい最近それを体験しました。でもそんな”祈り”の名に値しないような涙と

ため息が、天でどのように受け止められているか、神様はどれほどそんな祈りを愛し、喜ばれるか、この美しい文章によって知った今、私の心は感謝であふれました。あまりに美しく、すばらしすぎて、“本当だろうか?”と思ってしまいます。聖書にも、このような祈りの描写は出てきません。でも私たちは、これが見えない霊の世界の真実なのだと、“信仰”によって受け入れることができます。そして、涙と

ため息のままで、主の前に魂を注ぎだしたいと思います。そこから、気っと再び立ち上がる力を、主がお与えくださることを信じて――。

 

"Behold, he prayeth." — Acts 9:11

Prayers are instantly noticed in heaven. The moment Saul began to pray the Lord heard him. Here is comfort for the distressed but praying soul. Oftentimes a poor broken-hearted one bends his knee, but can only utter his wailing in the language of sighs and tears; yet that groan has made all the harps of heaven thrill with music; that tear has been caught by God and treasured in the lachrymatory of heaven. "Thou puttest my tears into thy bottle," implies that they are caught as they flow. The suppliant, whose fears prevent his

words, will be well understood by the Most High. He may only look up with misty eye; but "prayer is the falling of a tear." Tears are the diamonds of

heaven; sighs are a part of the music of Jehovah's court, and are numbered with "the sublimest strains that reach the majesty on high." Think not that your prayer, however weak or trembling, will be unregarded. Jacob's ladder is lofty, but our prayers shall lean upon the Angel of the covenant and so climb its starry rounds. Our God not only hears prayer but also loves to hear it. "He forgetteth not the cry of the humble." True, he regards not high looks and lofty words; he cares not for the pomp and pageantry of kings; he listens not to the swell of martial music; he regards not the triumph and pride of man; but wherever there is a heart big with sorrow, or a lip quivering with agony, or a deep groan, or a penitential sigh, the heart of Jehovah is open; he marks it down in the registry of his memory; he puts our prayers, like rose leaves, between the pages of his book of remembrance, and when the volume is opened at last, there shall be a precious fragrance springing up therefrom.

"Faith asks no signal from the skies,

To show that prayers accepted rise,

Our Priest is in his holy place,

And answers from the throne of grace."

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2018年

11月

07日

◆神様の業は、いつも小さなものから◆

信仰によってまかれた種は、

たとえ小さな1粒でも、

神様がそのためにあなたを召された業を成し遂げる

始まりになるのです。

 

神様は、ご自身のみ子に栄光を与えるために、

最もあり得ないもの、ありえない人々をお用いになります。

~ダニエル・コレンダ~

 

【解説】 私が、そしてあなたが、その“小さなからしだねの1粒”、“最もあり得ない(ふさわしくない)人々“の一人かもしれません。でもひとたび神様が召されたとき、それはあなたの能力や才能の問題ではなくなります。あなたを用いて事をなされるのは、神様の主権的な意志であり、そのために必要なものは、全て神様が備えられるのです。“恥は我がもの、栄光は主のもの”。私たちに必要なのは、ひとすじの”信仰“だけ。信仰をもって、神様に全てを委ね、イザヤのようにこう言うだけです――。

(イザヤ6:8)「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

 

Even a small seed planted in faith can become the inception of

fulfilling what God has called you to do. God uses the most unlikely thing and people to give glory to His Son.

-Daniel Kolenda-

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2018年

10月

29日

◆”祈り”のキモ 3か条◆

1. 《何をおいてもまず感謝》 祈りなさい。何かが必要だからだけでなく、多くの感謝すべきことがあるからです。

Pray not only because you need something but because you have a lot to be thankful for.

(詩篇 103:2) 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

2.《何事も祈りで始めよ》 私たちは、祈りなしには、何もすることができません。~E. M. バウンズ~

We can do nothing without prayer. – E.M. Bounds

(Ⅰテサロニケ5:16-18) 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

3. 《真に人を生かす力》 あなたが得ることのできる、4つの力強い“内なる力”を決して忘れないように。それは、”愛”、”祈り”、”希望”、そして“前向きな態度”です。

Never forget the four powerful resources available to you. Love, Prayer, Hope and Positive attitude.

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2018年

10月

20日

◆祈るときに起こる3つのこと◆

1. 《祈りを習慣にするとき》 「祈り」があなたの“習慣”になるとき、「奇跡」があなたの“ライフスタイル(生活様式)”になります。あなたの行く手に何が待ち受けようとも、決して祈ることを諦めてはなりません。

When prayer becomes your habit, miracles become your lifestyle. Never give up on prayer no matter what comes your way.

 

2. 《問題を神のみ手に委ねるとき》 私たちが、自分の“問題”を神様のみ手にお委ねするとき、神様は、私たちの心に“平安”をお委ねになります。

(ヨハネ 16:33)

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

When we put our problems in God’s hands, He puts His peace in our hearts. (John 16:33)

 

3. 《感謝を第一にするとき》 私たちの生活の中で、“感謝”が最も大切な土台になるとき、“奇跡”が至るところで起こり始めます。

When gratitude becomes an essential foundation in our lives, miracles start to appear everywhere.

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2018年

10月

06日

◆魂の成長のバロメーター◆

全てのものの中に“神”を見る心の状態は、

恵みと感謝の心のうちに成長している しるしである。

~チャールズ・フィニー~

 

【解説】 なぜそう言えるのでしょうか? それは、その人が、全ての良きものは神様から与えられる事を知っているからであり、その恵みを一つ一つ数えて、日々感謝しているからです。クリスチャンの成長は、全てのことに恵みを感じ、感謝する心の成長です。そんなとき、その人は見えない神様を“心の目”でさやかに見ており、その心は、神様と一つになっているのです。

 

(ヤコブ 1:17) 「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。」

 

"A state of mind that sees God in everything is evidence of growth in grace and a thankful heart."

—Charles Finney

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2018年

9月

22日

◆信仰の高嶺を目指すために◆

教育や、芸術や、金融や、スポーツの分野で、身を粉にした努力と忍耐なしに、成功の頂点を極めることを期待する者は、誰一人としていない。私たちは、よく“君は心底それを求めなきゃダメだ”と言う。私たちの信仰を成長させるためにも、同じことが求められるのだ。

~ウィリアム・ウィルバーフォース~(映画「アメイジング・グレイス」の主人公。18世紀イギリスの政治家)

 

No one expects to reach the heights of success in education, the

arts, finance or athletics without a great deal of hard work and perseverance. We often use the expression, “You have to really want it!” Growing in our faith requires the same.

-William Wilberforce-

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2018年

8月

15日

◆真に謙遜であるということ◆

“謙遜をもって”人に応答することは、ただ“謙遜について”説教することよりも良い。

~アレン・フッド~

 

もしあなたが、「私はどんなときも、神のみ手とそのなさり方を理解することができる」と言い張るなら、あなたは神を求めているのではなく、召し使いを求めているのだ。

~ボブ・ソージ~

 

【解説】 最初の文章を読んだ時、あのルカの福音書の“よきサマリア人の例え”(ルカ10:25-37)についての、ウィリアム・バークレーの聖書講解の一節を思い出しました。いわく、「強盗に襲われた人のそばをそそくさと通り抜けた律法学者は、その夜、人々に講演するため道を急いでいた。テーマは『愛について』」。

2つ目の文章は、“霊的傲慢”についての戒めです。私たちは、神のなさることを期待し、祈ることはできても、予知することはできません。それは人間の領分ではないからです。神のなさることは、どんなときでも、人の思いをはるかに超えています。私たちは、そのみ業を見たときに、初めて、「神様のみ業は、折にかなって美しい(伝道者の書3:11)。主は最善以下のことは決してなさらない」と、ただみ名を褒めたたえることが許されているだけです。

 

Responding in humility is much better than simply preaching on

humility.—Allen Hood

“If you insist on understanding God’s hand and ways in your life at

all times, you don’t want a God, you want a servant.”-Bob Sorge

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2018年

8月

01日

◆祈りについて知っておきたいこと2つ◆

誰かが、あなたの知らないところで、あなたのために祈るということは、本当に美しい、すばらしいことです。それは、その人に対する最も気高い“尊敬と心遣い”のかたちなのです。

 

It is really beautiful when someone prays for you without your

knowing. It’s the highest form of respect and care.

 

(2) 神様は決して祈りに疲れない

 

神様は、私たちの願いに“聞き疲れ”することはありません。私たちのほうが、“祈り疲れ”してしまうのです。祈り続けなさい。神様が、聴くのをやめたことは一度もないのですから――。

 

God doesn’t grow tired of hearing our petitions. We are the ones

that grow tired of petitioning. Keep praying. God hasn’t stopped listening.

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2018年

7月

31日

◆私の決断と神の計画◆

★私の決断のキモ: “神第一”

“神様”を第一にすれば、決断するのは容易になります。

 

(マタイ 6:33) 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

 

When you put God first, decisions become easier.

 

★神様の計画のキモ: “失わせ、もっと良きもので満たす”

神様は、決してあなたを”空っぽ”のままにはしておきません。

あなたが失ったものには、全て“代わり”をご用意くださいます。

時に神様が、あなたに何かを「捨てなさい」とお命じになるのは、あなたに、もっともっと良いものを拾わせたいと願っておられるからなのです。

 

(エレミヤ29:11) 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

 

God will never leave you empty. He will replace everything you lost.

If He asks you to put something down, it’s because He wants you to pick up something greater.

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2018年

7月

25日

◆キリストの魂への祈り◆

キリストの魂よ、私を聖(きよ)めてください。

キリストのみ体よ、私の救いになってください。

キリストの血潮よ、あなたの盃を飲ませてください。

キリストの脇腹から流れる水よ、私を洗い清めてください。

キリストの受難よ、私を強めてください。

優しきイエスよ、

私の祈りを聴いてください。

あなたのみ傷のうちに私を隠し、

いつも あなたのみそばに

おらせてください。

悪(あ)しき敵から私を守り、

私のみまかる時には

あなたの聖徒たちの交わりに招いてください。

とこしえからとこしえにわたり、

私が彼らと共に、あなたを賛美することができるために――。

アーメン。

 

【解説】 Anima Christi アニマ・クリスティ(キリストの魂よ)は、中世に生まれたと言われるカトリックの祈祷文の一つです。新旧両教派の違いを超えて、キリスト者が心からささげるべき祈りではないでしょうか。

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2018年

7月

23日

◆祈りのキモ2つ◆

《祈りの栄光》

祈りの生活における栄光とは、あなたがこれまでにご自身と交わした全ての会話を永遠に心にとどめ、誉れと思ってくださるお方とお話しできるという、途方もない恵みである。

~ベンジー・ヌニェス~

 

《祈りの忍耐》

忍耐をもって祈り続ける唯一の道は、他の橋を全て焼き払うことである。

~コーリー・ラッセル~

 

【解説】 1つ目の言葉には、意表を突かれた思いでした。“祈りの栄光”ということについて、考えたことがなかったからです。3度読み返し、心を静めて訳しているうちに、心を揺さぶるものがありました。神様は、祈りの会話の中で、ご自身が語られたことは言うまでもなく、私たちの言葉も決してお忘れにならない。私の場合で言えば、半世紀以上も前に、独り、「主よ、信じます」と思わず祈ったひと言の祈り、信仰を持ったばかりの頃のたどたどしい祈りから今日まで、そしてやがては、もう言葉も出ずに、ただ天を仰ぐ地上最後の祈りまで、一つ一つ、つぶさに覚えておられるだけでなく(こちらは祈った先から忘れていくのに!)、それを受けることを栄誉と思ってくださるとは、なんというかたじけなさ、なんという恩寵! ”祈りとは、何にもまして、途方もない恵みなのだ“と心に銘じたことでした。

2つ目の言葉は、”祈り”が、私たちに必ず訪れる人生の危機の、究極のよりどころであることを改めて教えてくれます。「橋を焼く」とは、後ろの橋を焼き払って自らの退路を断ち、決死の覚悟で敵に立ち向かうことです。私たちは困難に出会ったときに、できるだけ“橋”を残しておこうとします。何とかしてそこを渡って危機を脱したいのです。家族、親戚、友人という“ヒトの橋”、お金、貴金属、不動産という“モノの橋”、しかしその橋が多い分、私たちの祈りは“必死さ”を欠きます。祈りながら“まだあの橋がある”と考えるからです。そのような中途半端な祈りに、神様はなかなか答えてはくださいません。あなたは、全ての人間的退路を断たれて、うめきながら、泣きながら神に祈ったことがありますか? そして、「もう祈りしかない!」と心に思い定めて、一日24時間、何をしていても、ひたすら祈り続けたことが――。このような”祈りの忍耐”こそ、あなたの信仰生活の、最大の財産です。それは、「我に求めよ」と、あなたが祈りを通してただご自身に向き合うことを求めておられる神様からの、大いなる恵みだからです。

 

"The glory of a prayer life is the tremendous grace of talking to a Man who remembers and honors every conversation you've ever had with Him forever."

—Benji Nuñez

"The only way to persevere in prayer is to burn every other

bridge."

—Corey Russell

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2018年

6月

29日

◆C.S.ルイスが語る 神様と私の密接な関係◆

(1) 信じる前も

神様は、あなたには望みがないとはお考えにならない。もしそう考えられたなら、神はご自身を求めるように、あなたを動かすことはなさらなかった。

 

(2) 信じてからも

私たちが、自らを神様のご支配に任せれば任せるほど、私たちは、より本当の自分自身になっていく。なぜなら、神が私たちを創られたからである。

 

God does not consider you hopeless. If He did, He would not be moving you to seek Him.

The more we let God take us over, the more truly ourselves we become,because he made us.

-C. S. Lewis-

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2018年

6月

12日

◆とりなしの祈りが大切なワケ◆

1. 私は、ステージに立って説教をすることよりも、舞台裏でひそかにとりなしをする奉仕に進んで関わりたいと願う世代を、この目で見たいと切に願っている。 ~コーリー・ラッセル~

【解説】 原文は、直訳すると「舞台の上で説教するより、舞台の下でとりなしをする」と対照を際立たせています。(欧米の舞台は、いわゆる“奈落”で、文字どおり舞台の下で裏方さんが働くのです。)この表舞台と裏舞台の働きは、どちらも大切です。(現に、牧師の説教のために、同時進行で信徒が祈祷室でとりなしの祈りをする教会もあり、その教会は祝されています。)問題は、裏舞台のミニストリーに進んで当たる人が少ないことです。著者は、ステージで大いに用いられている説教者ですが、その彼が最も願っているのは、自分の背後で、祈りによって支えてくれる同労者なのです。これは、日本でも、今最も求められていることではないでしょうか?

2. ”とりなしの霊”とは、神のみ心に全面降伏した人生のことです。その人の祈りは天上と地獄をも揺るがし、厳しい現状の打破をもたらすのです。~コーリー・ラッセル~

 

【解説】 人のためにとりなすには、まず自分自身が、100パーセント神の意思を自分の意思として受け入れなければなりません。なぜなら、”とりなす”とは、その人のために、神の最善のみ心が成るようにと祈ることだからです。それには、自分の思いではなく、神様の思いに全く従ったときに、初めて、心からその人の最善を願うことが可能になるのです。

3. “神の人”であるかどうかが分かるのは、その人が “とりなしの祈り”に召されているかどうかであって、決して、他人(ひと)の“あら探し”にではありません。~コーリー・テン・ブーム~

 

【解説】 コーリーは、“あら探し”と“とりなし”を、私たちの霊的成熟度を測る何よりの物差しとしています。“あら探しに召される”なんて、コーリーのユーモア精神躍如ですが、ついその誘惑に負けてしまう私たちに、実は彼女は「神様は、そんなことは決してなさらない」と警告を発しているのです。“とりなし”は、相手の人の“あら”(落ち度、欠点、過ち)も、全て受け入れて、そこにスポットを当てることを一切しないで、その人の良きところを神様に訴え、その人に代わって赦しを請い、その人への神様の祝福を心から願うこと――。はっきり言って、難しい! とても無理です! でも、召されたお方は真実ですから、内住のみ霊の力によって、そのような人に、少しずつ変えてくださるのです。

 

いかがでしょうか? “とりなしの祈り”に、私のクリスチャン人生の全てがかかっていると言っても過言ではないほどの、「とりなしの祈りが大切なワケ」、お分かりになったでしょうか?

 

 

1. I’m longing to see a generation that wants to get “under the

stage” in the hidden ministry of intercession instead of “on the

stage” and preach. —Corey Russell

2. The “Spirit of intercession” is a life surrendered to the will

of God, whose prayers shake heaven and hell, bringing forth breakthrough. —Corey Russell

3. "Discernment is God’s call to intercession, never to faultfinding.”

—Corrie Ten Boom

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2018年

5月

26日

◆先達の語る「罪」の深淵と「贖い」の恵み◆

① “罪”の持つ一つの大いなる力は、人の目をくらまして、その真の性質が分からないようにすることである。

~アンドルー・マーレイ~

 

One great power of sin is that it blinds men so that they do not

recognize its true character.

-Andrew Murray-

 

【解説】 なぜなら、”罪”は、闇の世の主権者、サタンの最高の産物だからです。(ビジネスで言うなら“目玉商品”です!)「これは罪だ」と分かるには、日頃から聖書と祈りによって、「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知る」(ローマ12:2)ことと、自らの言動について、それが信仰から出ているか、周りのどんな声の中でも、確信と平安があるかを確かめることです。そこに一点でも“曇り”があれば、それは“罪”です。(ローマ14:23)

 

② 罪は、それがどんなに小さいかなどは問題ではない。それが積もり積もった力というのは、あなたの道をじわじわと“光”から遠のかせ、神なき“無”の世界へ落とし込むのだ。

~C.S. ルイス~

 

It does not matter how small the sins are provided that their

cumulative effect is to edge one away from the Light and out into the Nothing.

-C.S. Lewis

 

【解説】 さすが文学者ルイスの語る罪は、マジで恐ろしいですね。サタンが人間を破滅に追い込む手練手管の最たるものは、上記①で仮に私たちが「これは罪だ」と気づいたとしても、「大丈夫、これぐらい誰だってやってるよ。こんなの小さい小さい。誰にも分からないし、まずいと思ったらすぐやめりゃいいんだよ。どうってことないって!」と、その“小ささ”と“普遍性”に注意を向けさせ、良心を少しずつ麻痺させる緩和剤を投入して、次第に積み重ねさせて大きなものにしていくことです。“はっ”と気づいたら、もう私たちは取り返しのつかない罪の深みにはまっているのです。原文でルイスは、Light「光」、 Nothing「無」と大文字にして、その大切さを読者に喚起させています。この「光」は言わずもがな、神様、神のみ子イエス・キリストを指します。(ヨハネ1:4,5)一方の「無」は、聖書で「光」と対峙されている「闇」と考えてもいいと思いますが、この「無」の本当の恐ろしさは、この英語Nothingの意味にもあるように、そこに“神”がおられないということです。それが究極の“闇・無”の恐怖の深淵なのです。

 

③ イエス・キリストの血潮による贖いは、完全なものである。そこに加えられうるものは何もない。キリストの贖いは、一点のしみもなく、非の打ちどころもなく、傷もない。それは、神が完全であられるように、“完全”なのだ。

~A.W. トーザー~

 

The atonement in Jesus Christ’s blood is perfect; there isn’t anything that can be added to it. It is spotless, impeccable, flawless. It is perfect as God is perfect.

-A. W. Tozer

 

【解説】 ①②で終わっては、私たちは一人の例外もなく、滅びの道を行くしかありませんが、私たちには、あわれみ深い神様の、「贖いの道」が備えられています。神のみ子が、自ら全世界の人々の罪を十字架に負って歩まれた、「ゴルゴタの道」です。この贖いの恵みのゆえに、私たちは生かされているのです。この恵みに、決して慣れてしまってはなりません。

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2018年

5月

08日

◆ビリー・グラハム 今も語る◆

●説教について:

私は、自分のメッセージ(使信)を変えたことは決してありません。私は“聖書を”語り、権威を持って“聖書を”説教するのです。

 

【解説】 在りし日、日本の伝道集会でも、聖書を手にかざして、「The Bible says.. 聖書は言っています!」と力強く語られた姿が、まざまざとよみがえってきます。彼が神に用いられ、多くの迷える人々を神様のもとに立ち返らせることのできた秘けつは、神のみ言葉に対する、100パーセントの揺るぎない絶対的な信頼でした。彼が唯一畏れたのは、神の言葉の権威だったのです。

 

(Ⅱテモテ 3:16) 「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」

 

I have never changed my message. I preach the bible and I preach it

with authority.

 

●祈りについて:

最も雄弁で神を動かす力のある祈りは、他者への癒やしと祝福の手をもってなされる祈りです。

 

【解説】 「雄弁で、神を動かす力のある」とやや詳しく訳したeloquentエロクァントという言葉は、まさにビリー・グラハムのためにあるような言葉です。でも彼は知っていました。たとえどんなに言葉巧みに神に訴えても、それが「言葉や口先だけ」で、人々に対する愛の「行いと真実」が伴っていなければ、神様は決してお聴きにならないということを――。

 

(Ⅰヨハネ3:18) 「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」

 

The most eloquent prayer is the prayer through hands that heal and

bless.

 

●助けの必要な人への態度について:

私たちは、周りにいる人々の必要を、その人の心になって、あわれみを持って見るようにしたいです。

主よ、この人々を、あなたがご覧になるように見ることができるよう、助けてください。アーメン

 

【解説】 「その人の心になって」と訳した原語empathyエンパシーという言葉は、心理学用語で、その方面では「感情移入」と訳します。本当に相手の人を理解するには、sympathyシンパシー「同情」だけではダメで、その人になったつもりで、想像力を働かせ、その人の心の中の痛み、苦しみ、怒り、飢えを敏感に感じ取らなければなりません。そのときに大切なのは、助けが必要な人々の心に“感情移入”する前に、「主イエス・キリストの心になって」、主のあわれみの心に“感情移入”しなければいけないということです。

 

(マタイ 9:36) 「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」

 

We want to see the needs of those around us with empathy and

compassion. Lord, help us see them as You do. Amen.

-Billy Graham-

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2018年

4月

19日

◆”愛”に思いを馳せて◆

(1) 失楽園の教えるもの

 

全ての男と女の心には、真実の愛を取り戻すことへのあこがれがあるのです。それは、はるか昔に、あの”園”で失われてしまった、深く親しい交わりの場所に帰ることへの切なる望みです。

~アレン・フッド~

 

【解説】 これは、今世紀に最も用いられている伝道者の一人であるアレンの深い洞察から生まれた、人間の全ての愛の原点と、人類のDNAにインプットされたそこへの回帰願望の提示です。その原点とは、アダムとエヴァが毎日、いえ、刻々に味わっていた、創り主、父なる神との“深く親しい、霊的な交わり”です。この回帰願望を、かのアウグスティヌスは『告白』の中で、「父よ、私たちは、あなたのみもとに帰るまでは、魂に安きを得ません」と文字どおり赤裸々に告白しました。堕罪によって生まれた失楽園は、まことの愛を失った“失愛園”です。そしてこの園への道は、あの“十字架”の下から始まっているのです。ああ、帰りなん、いざ。

 

In the heart of every man and woman is a yearning for the return of

true love…the place of intimacy lost in a garden long ago.

-Allen Hood

 

(2) 愛があふれたとき

 

あなたが神様の愛にあふれてしまうまで、あなたの人生に愛を満たしてくださるよう、神様にお求めなさい。

―あまりにあふれて、あなたの嫌いな人をも覆うほどに!

~アン・グレイアム・ロッツ~

 

【解説】 著者は故ビリー・グラハム博士の次女です。これは、ある意味、(1)で“愛の原点”に回帰した人の全てが体験する、当然の結果です。なぜなら、イエス様の十字架の血潮によって、神様との愛の交わり意を回復し、日々神の愛に満たされて生きるということは、泉の水のふき出口をふさいでいた“罪”という自我の硬い塊が取り除かれて、あなたの内から“愛”の泉がこんこんとあふれ出るようなものだからです。―これは現実には不可能でしょうか? 私には無理とお思いでしょうか? はい、そうです。私たちが“自分の力で”と思っているうちは、絶対に無理です! だからイエス様は、進んで命を捨ててくださったのです。私たちが、このお方の愛の力で、憎しみと、恐れに打ち勝つために。そして本当に神の愛のすばらしさを、この身に味わうために――。

 

Ask Him to fill your life until you overflow with His love – even for

those you don’t like!

-Anne Graham Lotz

 

(3) 礼拝も聖餐も、これなくば…

 

あなた方は、宗教的な礼式を守るとか、信仰上の義務を果たすために創られたのではありません。

この宇宙の創り主との、愛ある交わりのために創られたのです。

~アレン・フッド~

 

【解説】 再びアレンですが、彼の目は、今度は私たちの教会生活、信仰生活に注がれます。毎日曜日には礼拝やミサがなされ、月に少なくとも1度は聖餐式が持たれます。また私たちは、キリスト者として、静思の時を持ち、家庭礼拝を守り、教会の様々な奉仕をします。全て私たちのなすべき必要なことであり、全て、私たちの目に見える二次元の世界でのことです。でもそこで、私たちが次元を超えた“上”を見上げることを忘れ、見えない高みから見ておられるお方との深い霊の交わりをおろそかにしたら、私たちが“信仰”の名のもとになす全てのことは、外面的・形式的になり、みずみずしい命の息吹と、深い愛の喜びを失ってしまします。それは、私たちがこの世に生を受けた、神の創造の意図に背くことになるというのです。この厳粛さに、私たちは襟を正さなければなりません。私たちが、どこで何をしていても、いつも“私の主、私の神”(ヨハネ20:28)に心を開いて、このお方との“愛ある交わり“を第一にすべきことを、アレンを通して神様ご自身が、あなたに求めておられます。

 

“You weren’t created for religious forms and duty but for loving

communion with the Maker of the universe.”

-Allen Hood

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2018年

4月

03日

◆キリスト教は”キリスト”なのです◆

(1) 神のみ子が人になられたワケ

 

人間が神の子となることができるように、神のみ子が人間になられたのです。

~C.S. ルイス~

 

【解説】 ここには、“主客転倒”の修辞が用いられていますね。でもこれは真実です。人が努力して、修行を積んで、神(仏)になると説く世のあまたの宗教の中で、ひとり、キリスト教だけが、「神は人間になられた」と宣言します。進化論とも呼応して、“上へ、上へ”とひたすら救いを求めるこの世界で、聖書の神様だけが、「私は下に、人間の世界に我が子を下す」と言われたのです。それは、私たちが、この限りなく低くなられた神を信じて、“神の子”となるためです。この神のみ子、イエス・キリストなしに、当然のことながら、キリスト教は成立しません。神の子とされた私たちも存在しません。この“驚くべき恵み アメイジング・グレイス”を、私たちは、決して当たり前のことと思ってはいけないのです。

 

The Son of God became a man to enable men to become sons of God.

-C.S. Lewis

 

(2) あなたの神はカルバリにおられますか?

 

“カルバリ”(十字架)なしに神を描くことは、

それがどんなものであれ、神への“背信”です。

~ラインハード・ボンク~

 

【解説】 後半生をベッドに伏したままインド宣教に生涯をささげたエイミー・カーマイケルは、その著書「カルバリの愛を知っていますか?」で、十字架の主の自己犠牲に基づかない信仰者に、たとえその言動がどんなに人々の賞賛を受けたとしても、「あなたはカルバリの愛を知らない」と言い放ちました。私たちの語る神は、いつもあのカルバリにおられるでしょうか? 主の日の講壇や私たちの証しで、人に幸福をもたらす神の力と、信じる者の祝福のみが強調されることはないでしょうか? もしそこで、私たちを救ってくださるためのカルバリの主のお苦しみと、この主に従っていくための犠牲と喜びが語られなかったならば、それは“信仰”の衣をかぶった神への背信となるのです。そこにあるのは大いなることをなされる偉大なる神と、その神に在って大いなる業をなす人間の肉の誇りだけで、私たちが神の子と呼ばれるために払われた、神の愛の原点、“カルバリ”が欠落しているからです。“背信”――この言葉の厳しさに、私たちは襟を正さなければなりません。(なお原文では、“描写(描く)portrayalポートレイヤル”と“背信betrayalベトレイヤル”で、韻を踏む修辞がなされています。)

 

“Any portrayal of God without Calvary is betrayal.”

—Reinhard Bonnke

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2018年

2月

23日

◆未来のあなたを見られる主◆

神様は、今のあなた自身より、

あなたの将来と、

あなたの人とのつながりに

興味を持っておられます。

 

【解説】 一昨日99歳の長寿を全うして、奥様の待つ天に帰られた、ビリー・グラハム師をしのんでのご紹介です。

神様は、失敗と不信仰と欠けだらけの私たちを、いつでもそのままで受け入れてくださいますが(だから私たちは生きていけるのです!)、“永遠の今”の中にある神様の目は、その私たちを超えて、いつでも私たちの未来を見つめ、私たちのより良き人間関係に興味をお持ちだというのです。すなわち、神様は、私たちの人としての霊的成熟を、何よりも望んでおられるということです。そこに決して私たちを諦めない神様の途方もない忍耐があります。(だから私たちは、自分自身を諦めてはいけないのです!)

 

“God is more

interested in your future and your relationships than you are.”

—Billy Graham

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2018年

2月

07日

◆神の祝福と聖霊の満たし◆

(1) 神の祝福

神が、ひとたびあなたを祝福すると決められたとき、

神は状況の全てを働かせて、あなたの益となるようにされる。

――たとえ他人が何をしようとしても。

~クリスティー・ジョイナー~

 

(ローマ 8:28)

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

 

When God decides to bless you, He will cause situations to come

together in your favor…no matter what others try to do.

-Christie Joyner-

 

(2) 聖霊の満たし

神は人に、ご自身の聖霊を満たすことがお出来になる。

それによって人は、山積みの困難に直面しても、

笑い、信じることができるのだ。

~スミス・ウィグルズウァース~

 

God can so fill a man with His spirit that he can laugh and believe in

the face of a thousand difficulties.

-Smith Wigglesworth-

 

【解説】 この二つの言葉から、二つのことを学ぶことができます。

一つは、神様の祝福と聖霊の満たしは、コインの両面のように表裏一体だということです。神様が私たちを聖霊で満たしたいと切に願っておられる理由は、私たちを祝福で満たしたいからなのです。それが神様の愛の本質です。

もう一つは、神様の祝福も聖霊の満たしも、この世の妨害や困難には関わりなく実現するということです。それらの背後には、見えざるサタンの手が絶えずうごめいています(Ⅰペテロ5:8)。けれども私たちが信じる神様のみ力は、サタンをも足元に踏み砕く絶対的なものです。ひとたび神様がお決めになったことは、人間のあらゆる事情を自由にコントロールされて、いいえ、宇宙の理(ことわり)をさえみ心のままに用いられて、実現なさるのです。それはひとえに、ご自身が“神”であり、ただ一人、一切の栄光をお受けになる存在であることを、私たちにお示しになるためです。

この二つの真理をしっかりと心に刻むとき、私たちのなすべきことも二つであることが、明らかになります。それは、この神様を、どんな状況の中でも“信じ抜く”こと、そして、いつもこの世の雑念から心を空っぽにして、“聖霊に明け渡す”ことです。この祝福を、ぜひあなたのものとなさいますように――。

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2018年

1月

20日

◆祈りについて心すべきこと二つ◆

(1) 祈りは ひそやかに

 

祈りの秘けつは、ひそかに祈ることです。

~レナード・レイヴンヒル~

 

【解説】 この短い原文は、一種の“言葉遊び”で、「秘けつ」「ひそかに」と訳した語はいずれもsecret。そのまま訳せば、「祈りのシークレットは、シークレットの祈り」となります。これを実行するには、もちろん現実に、静かな祈りの場所を確保して、そこで独りで祈ることも大切な要素ですが、ここではもう一つの霊的な真理は、祈っているときも、祈り終えたときも、その祈りの内容を“ひそかに”(秘密に=人に知られないように)しなければならないということです。これは、とりわけ“とりなしの祈り”において大切です。祈っている相手の人を慰め、励ますために、「祈ってますよ」と声をかけたり手紙に書いたりすることは、愛と思いやりの行為ですが、心しなければならないことは、自らの祈りを、“善行”として誇らないように気をつけること。この誘惑に負けたら、あのイエス様が厳しく戒められた、“偽善者の祈り”と同じになってしまいます。ある本に「人がとりなしの祈りに身が入らないのは、祈っていたことがかなっても、自分を誇ることができないからである。」とありました。私の内には、潜在的に、「私の祈りが聞かれたんだ」と誇りたくなる“偽善者”が潜んでいます。“ひそかな祈り”とは、この強力な己の自我と闘いつつ、主のみ前に魂を注ぎだして愛する人のために祈り、かなえられたら、ただその人のために心から喜び、主のみ名のみをあがめる者に変えられるための、大いなる主の訓練なのです。

 

(マタイ6:5,6)

「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」

 

“The secret of praying is praying

in secret.”

—Leonard Ravenhill

 

(2) 言葉よりも、心で

私は、祈りのない言葉よりも、むしろ言葉のない祈りのほうを選ぶ。

~E.M. バウンズ~

 

【解説】 19世紀アメリカで、終生“祈り”と格闘したバウンズの、最終選択の言葉です。この”祈りのない言葉”というのは、まず第一に、イエス様が言われた“異邦人”の祈りです。これは、神様よりも“人に聞かせる”祈りで、人の心に印象づけるために、きれいな言葉を並べ立て、繰り返します。でもそこには、“言葉”はあっても真の“祈り”はありません。神様が聴かれるのは、独りのときも、共に祈るときも、ただご自身に向けて心を開き、魂を注ぎだして祈る祈りです。言葉はたどたどしくてもいい、いいえ、言葉にならなくてもいいのです。神様は、あなたの口に出した言葉は聞かなくとも、あなたの心の中の全ての思いをご存じなのですから。

このバウンズの深い洞察は、さらに霊の視野を広げて、私たちの人間関係にも適用することができます。私たちはしばしば、“言葉”によって相手の誤りを正し、自分の正しさを主張しようとします。その言っている言葉は、あるいは100パーセント正しいかもしれない。でもそこに真の相手への思いやりがなかったら、“祈り心”がなかったら、それは正しくはあっても、神様の“愛”の標準には、遠く達しません。人間関係における“祈り”とは、相手の人への“愛”と同義語です。そのことに思いを致したら、私たちには、時には一言も相手を責めることなく、まさに“ひそかに”その人のために祈ることも大切ではないでしょうか。その祈りをも、神様は確かに聴いておられるのですから――。

 

(マタイ6:7,8)

「また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」

 

“I would rather have prayer without

words than words without prayer.”

—E. M. Bounds

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2017年

12月

19日

◆アドベントに主の再臨を思う◆

天の王座の真ん中におられる“小羊”なるお方は、教会のただなかに帰ってこようとしておられる。

~コーリー・ラッセル~

 

【解説】 今週の日曜日に、「アドベント -愛に満たされる時-」というタイトルで、月に1度の講壇のご用を務めさせていただきました。その時の話の中で、「アドベント」は、待降節(降臨節)であると共に、主の再臨を待ち望む思いを新たにする季節でもあると説明しました。この言葉には、そのような意味もあるのです。

今日の記事は、次のことを教えてくれます。

① 原文では、前半にmidst(真ん中)、後半にcenter(ただなか)という意味の似通った言葉を配して、“小羊”なるお方、イエス・キリストが、今、天においても、やがて地においても、“中心”であられることを表しています。やがて再臨なさる主は、全世界の王の王となられますが、まず何よりも、“教会の主”となられるのです。これは、エペソ人への手紙1:20-23の完成です。

② 原文の後半、is coming backはご存じ、現在進行形です。will come back (some day)「(いつか)帰ってこられるだろう」ではなく、「(今、この時に)帰ってこようとしておられる」のです。

アドベントのこの季節に、主の再臨を、今か、今かと待ち望む(待再降臨!)思いを募らせることは、まことにみ心にかなったことであり、忘れてはならないことなのですね。

 

(エペソ 1:20-23) 「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」

 

“The Lamb who is in the midst of

the throne is coming back to the center of the Church.”

—Corey Russell

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2017年

12月

07日

◆主よ、私をあなたの”声”にしてください◆

私は一人の王が欲しい。

私は一人の師が欲しい。

私は一人の指導者が欲しい。

そして私は、このお方の“声”になりたい。

~アレン・フッド~

 

【解説】 私たちには、心から仰ぎ従うべき王も、師も、指導者も、ただ一人で十分です。そして私たちの主は、この全ての資格を満たしたお方です。したがって、この短い詩は、人間の根源的な欲求の強さを吐露したものですが、誰でもキリストを信じ、この方のうちに生きている者は、この詩をこのように読み替えることができます。

私には一人の王がいる。

私には一人の師がいる。

私には一人の指導者がいる。

 そして、最後の1行に続くのです。この詩の優れているのは、この1行があるからです。これがなければ、単なる願望です。「我、太平洋の橋とならん」と言ったのは新渡戸稲造です。「我、荒野で叫ぶ者の声たらん」としたのはバプテスマのヨハネです。今、この世の真っただ中に生きる私たちはどうでしょう。キリストの福音を伝える“声”となっているでしょうか? 「私だ。恐れることはない。」「私のもとに来なさい。あなたを休ませてあげる。」「私は、世の終わりまであなたと共にいる。」「あなたは高価で貴い。」――今も生きて、こう言っておられる主の、臨在と、約束と、慰めと、励ましと、受容の言葉を、最もそれを必要としている人に伝える“声”になっているでしょうか?

 この最後の1行は、著者アレン・フッドだけではない。私の、あなたのコミットメント(主への献身を伴う約束)でなければならないのです。静かに、声に出して言ってみてください。「私は、このお方の“声”になりたい」と――。きっとそのあとには、「主よ、私はふさわしくない者です。か細い声しか出せない者です。どうぞ私のうちに生きておられるあなたのお力によって、こんな私でも、あなたの”声”にしてください」という祈りが、湧き出てくるはずです。

 

I want one King.

I want one master.

I want one leader,

And I want to be His voice.

-Allen Hood-

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2017年

11月

20日

◆あなたの祈り 二つ◆

《感謝》

私の悪しき日々には、あなたを探し求めます。

私のよき日々には、あなたに感謝します。

私の最良の日々には、あなたを賛美します。

私には、一日一日、あなたが必要なのです。

神様、私のために、いつもそばにいてくださって、ありがとうございます。

 

On my bad

day, I seek You. On my good days, I thank You. On my great days, I praise You.

I need

You every day. Thank You God for always being here for me.

 

《献身》

愛する神様、

私が呼吸する息の一つ一つと、

あなたのみ心をあがめるためにお与えくださった

一日一日を感謝します。

どうぞ私が“時”を賢く用い、

私の人生に対するあなたのご計画を生き抜くことができますように。

アーメン。

 

Dear God,

I thank you for every breath that I take and every day You give me to honor

Your will. I pray that I use my time wisely and live out Your plan for my life.

Amen

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2017年

11月

07日

◆私の祈りの中のあなたへ◆

あなたが涙の霧の中を通り抜けているとき、

心の痛みの地滑りと、入り混じる恐れの中にあるとき、

私は祈りの中であなたを覚えています。

 

神様があなたをご自身の手のひらに安全に支えておられるとき、

そして天使を送り、あなたが立つのを助けられるとき、

私は祈りの中であなたを覚えています。

 

あなたが悪意ある試みと勇敢に闘いながら

平安と休息を切に願うたびごとに、

私は祈りの中であなたを覚えています。

 

希望の光が夜の闇を引き裂き、

天をかいま見たあなたの信仰が新たにされるとき、

私はひざまずき、

この祈りのたまものと、あなたの回復された魂のゆえに、

主に感謝します。

 

"In My Prayers"

As you make your way through a fog of tears,

a landslide of heartache and multiple fears,

I'll remember you in my prayers.

While God holds you safe in the palm of His hand

and sends His angels to help you stand,

I'll remember you in my prayers.

Each minute you long for peace and rest,

courageously fighting this willful test,

I'll remember you in my prayers.

When a ray of hope pierces the night

and your faith is renewed by the heavenly sight,

I'll drop to my knees and thank the Lord

for

the gift of prayer and your spirit restored.

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2017年

10月

28日

◆奇跡:祈りが生み出すもの◆

“祈り”があなたの習慣になるとき、

“奇跡”があなたのライフスタイル(普通の生き方)になる。

 

【解説】 ”祈り”と”奇跡”は、私たちの信仰生活の表裏一体です。これは、次々に不思議なことが起こるということでは必ずしもありません。超自然的なことだけを祈りに期待するなら、私たちは早晩失望することになります。この言葉の真の意味は、祈りによって私たちの心がより神様に近くなり、神のみ心が分かるようになると、それまで気づかなかった、神様の驚くべきご配慮が、ほんの小さなことに至るまで、よく見えてくるということです。その恵みを一つ一つ数えて感謝し、神に栄光を帰するときに、神様は、より大きなことを現実に、“あなたを通して”成してくださいます。その時に、私たちは、神様の大小の“奇跡”の中で、「あ、神様、今日はこんなすばらしいことをしてくださいましたね」と、主を褒めたたえながら毎日を送るようになります。これが、神が期待されるキリスト者のライフスタイル、信仰生活の醍醐味です。

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2017年

10月

20日

◆祈りが必要なワケ◆

神様は、あなたにいてほしいところに導いてくださいます。

でも神様が自分をどこへ行かせたいのかを知るために、

あなたは神様と毎日お話ししなければなりません。

そのカギが“祈り”なのです。

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2017年

9月

09日

◆祈り: 究極の保霊剤◆

鳥にとっては翼が、

船にとっては帆が欠かせないように、

魂にとってなくてならないのは、“祈り”なのよ。

~コーリー・テン・ブーム~

 

【解説】 あの冷たく最悪のナチス収容所の数年間を、ただ“祈り”によって、上よりの力を頂き、耐え抜いた彼女の言葉は、単にクリスチャンには聞き慣れた“信仰生活の基本”以上の重みがありますね。人は、全く他に頼るべきものがない窮状に陥ったら、もう祈ることしかできないのです。朝起きて祈り、目覚めている時も絶えず神と語り、夜も祈りの中で床に就く。コーリーは、あの地上の地獄の中で、本当に生きて彼女のそばにいてくださる主イエスの臨在を、彼女のそれまでの人生のどの時よりも、まさに肌で感じていたのでした。そして、その時以来、“祈り”は”呼吸”のように、自分と切り離すことのできない彼女の“存在の一部“となったのです。

 “呼吸のような祈り”。――これは、何も彼女の味わった最悪の状況でなければできないことではありません。呼吸はいつ、どんな時でも私たちが生きるのに欠かせないように、祈りもまた、私たちの魂が死なないためには、絶対不可欠のものです。私たちの外なる人はやがて衰えますが、“祈り”によって、内なる霊をいつも活性化させて、イエス様との交わりの中に置くことを習慣化するとき、いつしか、どんな地上の試練の中でも、平安と確信をもって耐え抜いていける力が養われます。“祈り”は、必ずしも場所を定め、言葉に出して言う必要はありません。大切なのは、どんなときも、あなたの魂が、イエス様に開かれていることです。“心の声”で主と会話し、その静かな細いみ声を聴き取れる状態にしておくことです。そのときに神様が注いでくださる豊かな霊の祝福を、ぜひ、あなたのものとなさいますように――。

 

What wings are to a bird and sails to a ship, so is prayer to the soul.

-Corrie Ten Boom-

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2017年

8月

30日

◆とても安らかになれる祈り◆

神様。

もしこれがあなたのみ心でないなら、

握りしめた手から滑り落としてください。

そして、それを思い煩うことのない平安を与えてください。

アーメン。

 

God, if it’s not Your will, let it

slip through my grasp and give me the peace not to worry about it. Amen

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2017年

8月

25日

◆ひざまずいて…立つ!◆

神の前にひざまずく者は、

いかなる者の前にも立つことができる。

 

全ての闘いを、あなたの“膝”で闘いなさい。そうすれば、いつも勝利が訪れます。

トラブルとその解決との”最短距離”は、あなたの膝と床の距離と同じです。

 

【解説】昔、イギリスの大伝道者、ジョン・ウェスレーの家を訪れたことがあります。彼がいつもひざまずいて祈っていた床は、擦り減ってくぼみができていました。自分の力に頼る道を一切放棄し、全能者の前に、己を限りなく低く、床に額を付けんばかりにひざまずくとき、あれほど遠くに見えた解決への道は、すぐ目の前に開かれるのです。

 

WHEN WE BOW BEFORE GOD WE CAN STAND BEFORE ANY MAN OR WOMAN.

FIGHT all your BATTLES on your knees and YOU WIN every time.

The shortest distance between a PROBLEM and a SOLUTION, is the same distance between YOUR KNEES and the FLOOR. 

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2017年

8月

25日

◆我を呼べ◆

雨空でも、厚い雲がある朝でも、

私の名を声高く呼ぶがよい。

私は、雲の上から聞いているよ。

 

皆さん。新しい朝、おはようございます!

 

Whether it may rainy sky or a morning in

thick cloud,

call my name right out loud. I can hear above

the clouds. Very Good – morning.

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2017年

8月

25日

◆祈りは、こんな心で◆

いつでも、こんな願いを込めて祈りましょう。

―出会う人の、最善のものを見る目を持てますように。

―正直さを十分に理解する心を持てますように。

―真実を言い表す理性を持てますように。

―価値あるものと結びついた魂を持てますように。

 

Always pray to have eyes that see

the Best in people,

A heart that realizes the honesty,

A mind that expresses the truth,

A soul that belongs to worth

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2017年

8月

25日

◆祈りに対する神の3つの応え方◆

神様は3つのやり方で、あなたに応えられます。

「分かった」と言われるとき、神様はあなたの望みのものをお与えになります。

「ダメだ」と言われるとき、神様は何かもっと良いものを与えられます。

「待て」と言われるとき、神様は最良のものを与えられます。

 

【解説】 祈りにおける神の応えの3段階を単純化して表した原文には、中学英語の3変化、good-better-bestが使われています。もちろんこれら3つは、いずれも“神のみ心にかなった祈り”という大前提が付きます。(もし出来心でとか、“ダメもとで”などといういいかげんな思いで祈るなら、たちどころに“却下”です! 余談ですが、字幕翻訳学校でアメリカの裁判制度について教えていますが、法廷での原告・被告側からのクレームに対する裁判長の答えは2つ、Sustainedサステインドか Overruledオーヴァールールドかです。前者は「認める」、後者は「却下する」で、その却下ですね。神様は、”天の法廷”の裁判長でもありますから!) ) “この祈りは、神のみ心にかなっている“という内なる確信があるなら、安心して、大胆に、主の最良最善のお応えを待ちながら、祈り続けることです。

 

(ヘブル 10:36) 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」

 

私自身は、この第3段階の神様のお応えを待って、もう2年になる大いなる忍耐のただなかにいます。正直、本当に苦しい試みの中を通らされていますが、“これが約束のもの”と信じて、なおも祈り続けます。

あなたは、いかがですか?

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2017年

8月

19日

◆祈りは、こうやって自分のものに◆

≪キッチン・メモ≫

【ピリピ4:6】 何も(⇒請求書。⇒食べ物。⇒仕事。⇒着るもの。)思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

 

【解説】ハハハ、こうやって、祈りを自分で書いて、具体的に、個人的に注釈を入れて、キッチンに貼り、…自分のものしていくのです!

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2017年

8月

19日

◆幼子の祈り◆

愛する神様、

どうぞ、あたしの家族と、

あたしの友達を

祝福してください。

アーメン

 

イエス様、あたしの魂のミュージック…❤

 

【解説】はい、なぜこの訳す必要もない素直な祈りをご紹介したかというと、目的は写真。この、どこかで見たかわいい子、オールド・ムービーファンなら“一目で”でしょう? そう、往年の天才子役、シャーリー・テンプルです。

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2017年

8月

19日

◆ノックは、まずあなたから◆

もしあなたが神様に、

あなたのドアをノックしてもらいたいと思ったら、

あなたが行って、神様のドアをノックしなさい。

あなた自身をまず神様に“与える”のです。

そうすれば、あなたは“受ける”でしょう。

 

<神様の祝福がありますように。

恵みのうちにとどまりなさい。>

 

"When you want God to knock on your door, you go and knock on God's door. Give of yourself and you shall receiv." God bless you. Stay blessed.

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2017年

8月

19日

◆せっかちな祈りは禁物です!◆

時として、私たちの祈りはあまりにせっかちなので、

神様がドアを開いてくださる前に、

最後の「アーメン」を言ってしまいます。

そして、私たちの服従は、あまりに不徹底なので、

神様がお命じになる前に、逃げ去ってしまうのです。

(クリムズン・ウー)

 

(上記へのコメント)

その点で、私たちは罪を犯してますね。神様の愛すべき優しさと忍耐に感謝します。私たちの父なる神様は、私たちに必要なものを、求める先にご存じだということを、思い出すことができますように。でも神様は、神の子どもたちである私たちの祈りを聞くことと、私たちと交わりを持つことを望んでいらっしゃいます。ですから、私たちが祈りの中で神様のもとに行くときには、私たちは急(せ)いてはなりません。このお方に聴くための時間を取り、そのお声を待たなくてはなりません。(マデレン・ワー)

 

【解説】はい、ウーさんの言葉のユーモアと痛烈な皮肉、分かりましたか? 苦笑しながらも、自らの祈りを真面目にチェックしましょうね。

 

Sometimes, our prayer is so hurried that we say amen even before God opens the door, and our obedience is so incomplete that we rn away even before God commands.

-Crimson Woo-

 

We are guilty of that sometimes. Thank God for His loving kindness and patience. May we be reminded that our Father knows our needs even before we ask. But he longs to hear and have fellowship with His children. Therefore, when we come to Him in prayer, we must not rush, but take time to hear from Him and wait upon Him.

-Madeleine Wah-

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2017年

8月

19日

◆この絵を見れば、こんな祈りが…◆

私がこの手で働ける仕事が、いつもありますように。

私の財布に、いつも100円玉の1,2枚がありますように。

私の窓辺に、いつも太陽が輝きますように。

雨が降ったあとには、必ず虹が現れますように。

いつも友の助けの手が、私の近くにありますように。

神様が、いつも私を喜ばすうれしさで、私の心を満たしてくださいますように。

 

May there always be work for your hands to do.

 May your purse always hold a coin or two.

 May the sun always shine on your windowpane.

 May a rainbow be certain to follow each rain.

 May the hand of a friend always be near you.

 May God fill your heart with gladness to cheer you

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2017年

8月

19日

◆み国が来ますように…◆

「王国」(“み国”の原意)という言葉を聞くと、私たちは中世のお城、王たち、騎士たち…などを想像します。しかし、マタイ6:10で「王国」(み国)と訳された元のギリシャ語の意味は、「支配」や「統治」を意味します。ですから、ここは「あなたの統治が来ますように」とも訳せるのです。そのほうが、キリストが言おうとされた意味をよりはっきりさせます。主は、「神様の支配が、天上でと同じように、地上でも明らかになりますように」と祈られたのです。

 

あなたが「み国が来ますように」と祈るとき、あなたは、“キリストが今すでに天においてなさっておられるように、この地上でも統べ治めてくださいますように”と祈っているわけです。

 

 

"Thy kingdom come" (Matt. 6:10)

When we hear the word kingdom, we tend to think of medieval castles, kings, knights, and the like. But "kingdom" in Matthew 6:10 translates a Greek word that means "rule or "reign." We could translate the phrase, "Thy reign come." That gives a clearer sense of what Christ meant. He prayed that God's rule would be as apparent on earth as it is in Heaven.

When you pray, "Thy kingdom come," you are praying for Christ to reign on earth as He already does in Heaven.

 

 

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2017年

8月

19日

◆今日の祈り◆

主イエス様、私たちの内に働かれるあなたが、この私個人の主であり、救い主でいてくださることを感謝します。あなたの愛と忍耐のゆえに、感謝します。どうぞこれからも、私たちを導き、守り、祝福してくださいますように。❤

 

神様は、毎日、私を愛してくださいます!

 

Lord Jesus, thank You for being my personal Lord and Saviour who works in our lives. Thank You for Your love and patience. Please continue to guide us, protect us and bless us.

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2017年

8月

16日

◆誇る者は主を誇れ◆

私は、“自分の弱さ”を高らかに触れ回るために、召されたのではありません。

私が召されたのは、“主の強さ(力)”を宣言するためです。

 

~ボブ・ソージ~

 

【解説】 これこそは、キリスト者が持つべき、まことの矜持です。現実には、しばしば、「自分は弱い者です。何もできません」と、さも謙遜に、そして内心“誇らしげ”に、語る人がいます。そして、この身を愛し、ご自身の命をさえ捨ててくださったお方のために、何ひとつ犠牲を払おうとしません。ある人はそれを、クリスチャンの“謙遜傲慢”と呼びました。そのような福音理解は、明らかに“ゆがんで”います。私たちは、「私は弱いゆえに強い。主が強いゆえに、この私も強くしていただけるのです。」と、機会あるごとに証ししなければなりません。そのために私たちは主に召されたのです。主を誇るために、主のみ名のみがあがめられるために――。そして、この生き方を可能にする唯一の道が“祈り”であることを、どうぞ忘れないでください。

 

(Ⅱコリント 12:9,10)

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

 

“I’m not called to go around

declaring my weakness, but His strength.”

—Bob Sorge

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2017年

8月

08日

◆祈れば神が分かります◆

人に神を知ってほしいと望みながら、彼らに祈ることを教えないというのは、ありえないことです。

~アイザック・ベネット~

(訳 小川政弘)

“It is impossible to want people to know God and not teach them how to pray.” 

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2017年

8月

02日

◆FBフレンドの祈り◆

(祈りも時代と共に変わりゆく…)

 

神様が、私の人生から、全ての病を【デリート(消去)】してくださいますように。

神様が、私を成功に【タグ付け】してくださいますように。

神様は、私の人生に、よきことを【ポスト(投稿)】してくださいます。

神様が、私を攻撃してくる敵を【ブロック】してくださいますように。

神様が、性根の悪い人たちによって、私に対して仕組まれた全ての不具合を、【キャンセル】してくださいますように。

私を嫌いだった人たちも、私に【いいね!】をする他はなくなるでしょう。

 

●祈りなさい。祈りは、奇跡をもたらします。

 

(まさか、この女の子が、こんなススんだお祈りをしているわけじゃないでしょうが…)

 

May God DELETE all sickness from your life..

May God TAG you to success.. God will POST

good things to your life..

May God BLOCK your enemies from attacking

you..

May God CANCEL all accident kept for you by

the wicked ones.. Your haters will have no other

option than to LIKE you..

 

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2017年

8月

02日

◆今日の祈り◆

主イエス様、私の愛する人々に、彼らが必要としている“喜び”を与えてください。あなたがお与えくださる喜びは、あなたのみ言葉が言っているように、とても言葉で言い表すことができない、そして栄光に富んだ喜びです。あなたが私たちのためにしてくださる全てのことのゆえに、感謝します。❤

 

私たちが、“自分の問題”を神様のみ手に乗せる(put)と、

神様は、“ご自身の平安”を、私たちの心に入れて(put)くださる。

 

Lord Jesus, please give my loved ones the joy

that they need. I know that the joy You give is indescribable and full of

glory, as Your Word says. Thank You for all that You do for us.

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2017年

7月

25日

◆絶えず、このことを祈りなさい◆

神様、私にお与えください――

その人の中の、“最良”のものを見る目を。

“最悪”のことを赦す心を。

悪しきことを忘れる理性を。

そして…

決して神への信仰を失わない魂を。

 

(マザー・テレサの祈りを思い出させますね。)

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2017年

7月

25日

◆今日の祈り◆

主イエス様、信仰をもってあなたに従う私たちに、あなたが与えてくださる恵みと、私たちをきよめてくださるみ力に感謝します。私の人生で、私を変えてくださった全てのことにも感謝いたします。今日も、どうぞ私のうちに働き続けてください。❤

 

Lord Jesus, thank You for Your wonderful grace and Your power to cleanse us, as we follow You by faith. Thank You for making all of the difference in my life. Please continue to work in me today.

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2017年

7月

24日

◆今日の祈り◆

主イエス様、私がやってしまった悪いことのゆえに、どうぞ私をお赦しください。私が変われるように、私の心にお働きください。よりあなたに似た者にしてください。へりくだった心で、あなたにこの身を差し出します。み心のとおりに、私をつくり変えてください。あなたのあわれみと恵みのゆえに、感謝します。❤

 

今日、

あなたの過去を忘れ、

あなた自身を赦し、

再びスタートしましょう。

 

Lord

Jesus, please forgive me for the things that I have done that are wrong. Work

on my heart to change me. Make me more like You. I submit to You today, in

humility. Make of me what You will. Thank You for Your mercy and Your grace.

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2017年

6月

26日

◆ある真実な祈り◆

主よ、心の乱れや迷いのないデボーション(静思の時)、

ひたむきな礼拝の思いが、

私の心から湧き出るようにと願い求めます。

 

まるであなたがこの部屋におられないかのように、

“あなたについて”語りたくはないのです。

 

~ミスティー・エドワーズ 「鳩の目」より~

 

Lord, we ask for undistracted devotion and undistracted worship to come from our hearts.

I don’t want to talk about You like You’re not in the room.

-Misty Edwards- Dove’s Eyes

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2017年

6月

25日

◆イエスのみ手の中で祈る◆

私たちの祈りや努力は、

私たちの心を正しく変えてくださるイエスのみ手を離れては、

天国に入るにふさわしい者とはしてくれない。

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2017年

6月

18日

◆ある朝の祈り◆

◆信仰と希望と愛の庭で◆

―ある朝の祈り―

 

主よ、私の人生を、

あなたの光が隅々まで入り込むための

窓にしてください。

そして、出会う全ての人への

あなたの愛を映し出す鏡にしてください。

 

(アーティスト) ティム・コックス

 

“Lord, make my life a window for your light

to shine through and a mirror to reflect

Your love to all I meet. Amen”

- Unknown

Artist: Tim Cox

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2017年

6月

17日

◆こんな祈りも、神はきっと喜ばれます◆

お父様、

私が、何度も何度もあなたのみ助けを感じ、

あなたが私の地上の人生を

天のもので満すことがおできになると知って、

感謝いたします。

 

Father, we thank you that again and again we feel Your help and know

that You can fill our earthly life with what is of heaven.

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2017年

6月

08日

◆黙想: 祈りの真髄◆

内省と黙想的な祈りは、

それによって私たちが、心の内に神を見始めるための

古代(いにしえ)からの訓練です。

~ヘンリ・ナウエン~

 

"Introspection and contemplative prayer is the ancient discipline

by which we begin to see God in our heart." —Henri Nouwen

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