2020年

1月

01日

◆新年の願い: ”悪しき輪”を破る人に◆

“悪しき循環”を破る人におなりなさい。

もし裁かれたなら、理解するほうを選びなさい。

もし拒まれたなら、受容するほうを選びなさい。

もし辱められたなら、あわれみのほうを選びなさい。

もし傷つけられたなら、あなたも傷つける人になるのではなく、

必要とされる人におなりなさい。

あなたを打ち壊したものよりも、もっと良いものになるとお誓いなさい。

―悔しさと怒りに震える代わりに、人を癒やす者になるのです。

そうすれば、あなたは、痛みへの反動ではなく、愛の心から行動できます。

 

【解説】 新しい主の年、2020年が明けました。けれど悲しいことに、私たちの生きる現実は、家庭でも、隣近所でも、職場でも、そして国家間でも、“憎しみの循環”の中に閉じ込められて、抜け出せずにいます。それを破るのは、十字架によって敵意を取り除かれた、イエス・キリストの愛の力による以外にありません。この年頭の勧めは、キリストに在ってのみ可能なのです。私は、昨年の想像もつかないような出来事を経験して、この勧めの一つ一つに、心から「アーメン、そうならせてください」と祈る者にされました。どうぞあなたも、そんな人になってください。どんなに小さな行為でも、愛だけが勝利の奇跡を起こすのですから――。

 

(コロサイ 3:14) 「そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」

(Ⅰペテロ4:8) 「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」

 

Be the person who breaks the cycle. If you were judged, choose understanding. If you were rejected, choose acceptance. If you were shamed, choose compassion. Be the person you needed when you were hurting, not the person who hurt you. Vow to be better than what broke you—to heal instead of becoming bitter so you can act from your heart, not your pain.

Be the person who breaks the cycle. If you were judged, choose understanding. If you were rejected, choose acceptance. If you were shamed, choose compassion. Be the person you needed when you were hurting, not the person who hurt you. Vow to be better than what broke you—to heal instead of becoming bitter so you can act from your heart, not your pain.

 

【FBギャラリー】No.111 レスリー・ハリソン「愛の挨拶」

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2019年

12月

11日

◆ああ恵み!◆

“堕落”は私たちの心に染みこんでおり、我々自身の性質と織り交ぜられており、私たちの魂の奥深くに沈んでいる。

それは、“恵み”の奇跡による以外には、決して癒やされることがないのである。

~トマス・ボストン~

(マルコ7:21-23) 「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」

(エペソ2:4-9) 「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」

Surely corruption is ingrained in our hearts, interwoven with our very natures, has sunk deep into our souls, and will never be cured but by a miracle of grace. -Thomas Boston

Further reading: Mark 7:21-23; Ephesians 2:4–9

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2019年

11月

06日

◆今日の日は感謝のために創られた◆

今日、この日、感謝なさい。

そして“私はどんなに富んでいるか”を考えなさい。

あなたの家族は、お金では買えない“宝物”。

あなたの時間は、“金”のように貴いもの。

あなたの健康は、豊かな“財産”なのです。

 

Today be thankful and think of how rich you are. Your family is priceless, your time is gold, and your health is wealth.

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2019年

10月

21日

◆イエス、ユーキャン!◆

“ユーキャン(あなたにはできる)“が、あなたのすぐ前にあるのに、

“アイ・キャント”(私、できません)と決して言ってはいけません!

【解説】 タイトルはちょっと古いですが、この言葉にはピッタリですね。1行目は、分かりやすく言うと、“神様が「お前にはできる」と言っているのに”という意味です。ですから、私たちは、「イエス、アイ・キャン!(はい、できます)」と言いましょう。これに続けて、「私、失敗しないので」と言いたいところですが(!)、それはドラマの話、あなたは、「神様ができると言ってるので」と忘れずに加えましょうか。

(マルコ 9:23) 「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」

Never say “I can’t” when “You can” is right in front of you!

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2019年

10月

21日

◆落下の時は飛翔の時◆

あなたが“今にも落ちる”と感じるときは、

本当は“今にも飛び立つ”ところかもしれません。

【解説】このイラストが全てを語っています。芋虫が孵化するとき、これが垂直の茎にくっついていると、さなぎのお尻から出て、まさに落ちてしまいそうになるのですが、そこで踏ん張り、力を蓄え、美しい蝶になって、一気に大空に向かって飛び立つのです! 私たちの人生に、必ず何度かは訪れる“落下の危機”―スランプ、落ち込み、堕落などのときは、「ここから私は、もう一度飛び立つのだ」と心に誓ってください。かく言う私は、この世の悪のからくりに巻き込まれ、完全に奈落の底まで落ちてしましました。でもそれは、もうこれ以上は落ちようがない、あとは上を目指すだけ、ということです! なぜ私たちは、霊的に落ちてしまうことがないのか? 私たちを下から支えてくださる“永遠の腕”があるからです。

(申命記 33:27)【新共同訳】「いにしえの神は難を避ける場所/とこしえの御腕がそれを支える。」

When you feel that you are about to fall, it might actually be that you are about to fly.

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2019年

9月

26日

◆クリスチャン的人生の要諦◆

1.《幸せを選択する》

たとえ何が起ころうとも、“幸せである”ことを選びなさい。

悪いことに焦点を合わせてはいけません。

あなたの人生に、なんであれ“前向き”なものを見いだすのです。

No matter what’s happening, choose to be happy. Don’t focus on what’s wrong. Find something positive in your life.

 

2.《生きることで幸せになる》

人々があなたについて感じることを、変えることはできないのです。

だから、“変えさせよう”などとは思わないこと。

ただ“あなたの人生を生きる”ことで、幸せでいなさい。

You cannot change how people feel about you, so don’t try. Just live your life and be happy.

 

3.《天の聖さに生きる》

“聖さ”は天的な徳です。

誰であれ聖さを堅く保とうとしたら、

“天志向”でこの世を生きなければなりません。

~聖ジョン・ボスコ―~

Purity is a heavenly virtue. Whoever wishes to safeguard it must raise himself heavenward. – St. John Bosco

 

4.《祈りをゼッタイ捨てない》

決して祈りを捨ててはいけません。

たとえ祈りが無意味に思えるときでさえも――。

~ローマ教皇フランシスコ~

Never abandon prayer, even when it seems pointless to pray. – Pope Francis

 

【解説】 「人生の要諦」とは、人生の最も大切なところ、肝心かなめな点です。一度限りの人生、その要諦はと言えば、“幸せ”であることでしょう。その意味で、1と2は、信仰のあるなしにかかわらず、人間として目指すべきこと、そして努力次第で、かなりのところまでは可能なことです。しかし、そのままではどこかで行き詰まる。挫折を味わうのです。それは、人間が幸せに生きることを妨げる“罪”の問題に直面するからです。そこに“信仰”の大切さがあります。良き人生の要諦を、”クリスチャン的”に考えるとき、私たちは後半の2つに深く心を致さなければなりません。1つは、このおどろおどろしい罪の世から自分自身をしっかりとガードするため、罪のただなかで、絶えす目を聖い天に向けること。そこには地上のあなたの汚れがどれほどのものであっても、主イエスの十字架の血潮が備えられているのです。そしてもう1つは、どんなピンチに陥っても、万策尽きても、神様に話すことを決してやめないこと。あなたの人生がどんな修羅場と化しても、天の窓は開いているのですから――。

 

【FBギャラリー】No.87 ロバート・ダンカン「庭のむつみ」

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2019年

8月

30日

◆他者と共に生きる祝福◆

《“他者への祝福”を習慣に》

“他者を祝福する”ことを、

あなたの日々の仕事の一部になさい。

【解説】 “祝福する”blessing ブレッシングという言葉は、聖書では、創世記1:22で、神様がご自分の創られた被造物を祝福されたところから始まり、イエス様も5つのパンと2匹の魚を手に取って祝福され、ペテロの「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(Iペテロ3:9)の言葉で終わっています。“祝福”は、聖書全体に満ちあふれているのです。その後、“祝福”は、聖職者が信徒に対して行う儀式の一つとなりましたが、決して特別の人が特別の場合にするものではありません。上記のペテロの言葉のように、神様を信じている人は、誰もが、誰に対してもできるのです。それは、相手の人に、神様の恵み(恩寵)があるように、霊肉共に聖められて、この世の悪から守られるように、その人を通して神のみ名があがめられるように、心から祈ることです。”祝福”は、とりなしの祈りのハイライトと言ってもいいでしょう。それを、あなたの一日の仕事の一部に加えてください。特別なことではありません。仕事は日常的に、当たり前のようになすべきもの。“他者への祝福”がその一部になったとき、あなたの仕事も聖められ、守られ、それを通して神様の栄光が現されます。他者への祝福は、あなたに返ってくるのです。神様の祝福のみ手によって――。

Make blessing others part of your work day.

 

《他者のために寄り添う1分を》

あなたの一日の中から、

“誰かのために寄り添う1分”を取り出しなさい。

まじめな話ですが、その“1分”は、

その人のうちに“永遠”にとどまるかもしれません。

【解説】 「あの人の、あの一言で救われた」「あの時、あの人がしてくれた親切、死ぬまで忘れない。だって、それで死なずに済んだんだもの。」 こんな経験をお持ちの人もいるのではないでしょうか? もちろんこの“1分”は、“永遠”の最も対極にある時間としての象徴的表現で、物理的な長さではありません。同じように、寄り添うことも、身体的にそばにいてあげることだけではありません。手紙、メール、電話、贈り物などを通し、“心で”寄り添うこともできるのです。私の話で恐縮ですが、この日々の言葉を半日かけて選び出し、翻訳し、解説を加え、祈りつつ投稿し、皆様のレスポンスにお応えするとき、私は、皆様一人一人に“心で”寄り添っているのです。

Take one minute out of your day to be there for someone. Seriously, that one minute may stay with that person forever.

 

《最高の親切とは?》

人が、人に対してできる最も大いなる親切とは、

その人を“真理”に導くことである。

~聖アウグスティヌス~

【解説】 この見出しを読むと、「さてなんだろう? 困ってるときに援助することかな。」「その人が一番してほしいことをしてあげることだろう」…と、具体的な親切の行為をいろいろ思い巡らしますが、この偉大な信仰の先達は、「最も大いなる親切とは、その人に最高にして唯一の真理であるイエス・キリストを伝え、主への信仰告白に導くことである」と宣言したのです。それを身をもって示してくださったのは、ほかならぬイエス様ご自身でした。主を信じたユダヤ人たちには、「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:31,32)と言われ、総督ピラトに対しては、「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」と臆せずに言われました。数時間後に迫った十字架の死を前に、救い主イエスは、“今、目の前にいる私が真理なのだ”と、彼に最後の救いのチャンスを与えたのですが、ピラトは、「真理とは何か」とうそぶいて、そのチャンスを永遠に逃したのでした。

親切とは、その人を慰め、励まし、再び立ち上がる助けを与えるもの。だとするなら、その人がまことの真理を知り、心に受け入れ、主と共に生きる者に変えられることこそ、まさに永遠に至る“最高の親切”ではないでしょうか。私たちも主に倣って、「真理はあなたを自由にします。今あなたが抱えている人生の重荷や恐れから、この真理なるお方が自由にしてくださるんですよ」とお伝えして、この“最も大いなる親切”ができる者にさせていただきたいですね。

The greatest kindness one can render to any man, is leading him to truth. -St. Augustine

 

【FBギャラリー】No.77 ジョン・ガナム 「ママと一緒」

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2019年

8月

06日

◆神様が私に望まれること◆

1.      《痛み、問題、祈り》

“痛み”は、あなたが生きている証し。

”問題”は、あなたが強い証し。

”祈り”は、あなたが独りではない証しです。

【解説】 死者は、もはや痛みを感じません。地上で苦しまれた人には、それは神様のあわれみと祝福です。では“痛み”は生きている者への神様からの罰なのか? いいえ! それを通して私たちは、健康の有り難さを知り、痛みを抱えた人を心から思いやり、それでも生かされていることを感謝し、私のために苦しまれたイエス・キリストの十字架を仰ぐことができるのです。生きていればこそ。痛むからこそ――。

しかしまた、生きている限り“問題”が起こることは避けられません。それは罪を犯した人間が払わなければならない“値”なのです。でも神様は、一人一人に、耐えられない問題や苦しみは決してお与えにならないばかりか、脱出の道をも備えてくださいます(Ⅰコリント10:13)。神様が、訓練として、私たちが耐えられるだけの強さを持っていることを確認されたうえでお与えになる問題や苦難。それもまた、神様の恵みのたまものなのです。

(ピリピ 1:29) 「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」

そして“祈り”。私事になりますが、私は2月に妻を天に送って、ただ一人の話し相手を失いました。同じような境遇に陥った方が、日本にも、世界にも、何万、何十万とおられることでしょう。その果てに待つ孤独死…。でも私には神様がおられます。一日、電話すらなく、人と話す機会が全くない日もあります。でも独りではない。私はどんなことも主にお話しします。祈りについての定義はあまたありますが、この身になって、「祈りは独りではないことの証し」という言葉が、本当に腑に落ちました。感謝。

Pain is a sign that you’re alive. Problem is a sign that you’re strong. Prayer is a sign that you’re not alone.

 

2.      《感謝―祈りの事始め》

”感謝”を、その日にささげる最初の祈りになさい。

Let gratitude be the first prayer of the day.

 

3.      《謙虚さ》

謙虚さのあるところ、知恵あり。

~聖トマス・アクイナス~

【解説】知恵はどうやって得るのか? どのように増やせのか? 最高学府で学ぶことでしょうか? 時には危ない橋を渡りながら、生き抜く力を養うことでしょうか? いいえ、そのようなことではない。またお金をかける必要もない。それは、“謙虚”であること。いつ、どんな場合も、上記のように高い学識を手に入れたあとでさえ、己を低くし、へりくだっていることです。他者の誰からも、たとえ子供からでも、謙遜に学ぼうとすれば、知恵はあふれるばかりに入ってきます。あなたの頭にではなく、心に――。そしてその知恵の源は、謙虚さの源でもあられるイエス様であることをお忘れなく。

(マタイ11:29) 「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」

Where there is humility there is wisdom. – St. Thomas Aquinas

 

4.      《世を動かす教会に》

私たちは、この世と共に動く教会を望んではいない。

この世を動かす教会を望んでいるのだ。

~G.K.チェスタートン

【解説】 前者は、いわゆる“世俗的”教会ですね。この世にない何かを求めて教会を訪れる多くの人が、この世と何も変わらない“社交の場”、人間的権力で支配された“組織”である教会に失望して去っていきます。ペンテコステの日に誕生した初代教会が、爆発的に増え広がっていったのは、そこに、生きて働かれる“聖霊”の息吹と、喜んで持てるものを分け合う、行いと真実の伴った“愛”があったからです(Ⅰヨハネ3:18)。

私たちは、聖書に帰り、あの初代教会に帰らなければなりません。その必要性に目覚めた、まずあなたから――。

We do not want a church that will move with the world. We want a church that will move the world.-G.K. Chesterton

 

【FBギャラリー】No.67 グレブ・ゴルーベツキー「郷愁の田舎道」

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2019年

7月

02日

◆サウイウモノニ ワタシハナリタイ◆

1. 《こんな人を想い見よ》
人生における最高の思索とは、“考え”ではない。
それは、“私は愛され、配慮されている“と
あなたに感じさせる“人”のことなのだ”
The best thinkings in life are not thinkings, It’s the people who make you feel loved and cared for.

2. 《嵐のあとにも輝ける人に》
嵐を潜り抜けてきたあともなお、
“輝く”ことを選択する人に、
私は賞賛を惜しまない。
~カレン・サルマンソン~
【解説】 “人間の真の品格とは”、と考えさせる言葉ですね。さらには、今、嵐の渦中にあっても、鏡のような平静さと、ほほ笑みを絶やさない人がいるとしたら、その人は限りなく神に近い人です。
I admire people who choose to shine even after all the storms they’ve been through.
– Karen Salmansohn

3. 《謙遜とは、己を知ること》
もしあなたが謙遜なら、
誰もあなたに干渉はしないし、
褒めそやすことも、
辱めることもありません。
“自分は何ほどの者か”を
よく知っているからです。
~マザー・テレサ~
If you are humble nothing will touch you, neither praise nor disgrace, because you know what you are. -Mother Teresa

 

【FBギャラリー】No.60 「紫陽花」
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2019年

6月

03日

◆自分を正しくコントロールする生き方4つのカギ◆

1. 《体にも信号機を》

赤: 止まれ そして神に聴きなさい。

黄: 一時停止 ペースを緩めて、神様との時をつくりなさい。

青: 進め 日々、神様の道を行きなさい。

Stop and listen to God. Slow make time for God. Go God’s way everyday.

 

2. 《良き今日ありて、良き明日あり》

明日に備える最善の方法は、

今日の一日を、あなたの最高最善の日にすることです!

The best way to get ready for tomorrow is to be your very very best today!

 

3. 《たとえ目は見えても…》

心が盲目だったら、

目は役に立ちません。

【解説】 “心の盲目”とは、心が見ようとしないことです。弱い人、苦しんでいる人、痛みや悩みを抱えている人に、心が無関心なことです。マザー・テレサが言ったように、

“愛”の反対は“憎しみ”ではありません。それは“無関心”なのです。私の心の目は、開いているでしょうか?

The eyes are useless when the mind is blind.

 

4. 《真の勇者とは?》

私は、敵を征服する人よりも、

己の欲望を制する人のほうを、“勇者”とみなす。

最も困難な勝利は、

己に打ち勝つことだからである。

~アリストテレス~

I count him braver who overcomes his desires than him who conquers his enemies; for the hardest victory is over self. – Aristotle

 

【FBギャラリー】No.49 ジョージ・コヴァッチ 「花咲く河辺」

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2019年

5月

08日

◆信従と祈りに導く6つの道◆

1. 《“十字架”という梯子を登る》

十字架の他には

私たちが天国に登れる梯子(はしご)は

どこにもありません。

~リマの聖ローズ(16世紀、ペルー生まれのアメリカ大陸初のカトリック聖人)~

Apart from the cross, there is no other ladder by which we may get to heaven.

-St. Rose of Lima

 

2. 《“イエス”という名の道を行く》

ではもしあなたが、行くべき道を探し求めているなら、

キリストを取ることだ。

彼自身が“道”だからだ。

~聖トマス・アクイナス~

(ヨハネ 14:6)

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」

If, then you are looking for the way by which you should go, take Christ, because He himself is the way. – St Thomas Aquinas

 

3. 《イエスの言葉に信従する》

イエスを信じるということは、

彼の言うことを受け容れることです。

たとえそれが、世の人が言うことと正反対だとしても。

~教皇ヨハネ・パウロ二世~

【解説】 Unconditional surrenderアンコンディショナル・サレンダー“無条件降伏”という言葉があります。戦争用語で、太平洋戦争の終結に向けた連合軍のポツダム宣言に対し、国体護持を条件にした日本軍が厳しく受理を迫られたのが、これでした。クリスチャンに対して神が求められるのは、Unconditional obedienceアンコンディショナル・オビーディエンス“無条件服従”です。これをお求めになれるのは、人間ではありません。ただ一人、神のみ子イエス・キリストだけです。

To believe in Jesus is to accept what He says, even when it runs contrary to what others are saying. – Pope St. John Paul II

 

4. 《祈りの底力を信じる》

時として、全てを変えるのに必要なのは、ただ一つの祈りです。

【解説】 神様は、ご自身のお言葉一つでこの世界をお創りになりました。この私たちをも。だとしたら、神様は私たちの祈り一つで全てをお変えになることもできるはずです。「得たり」と信じて祈るならば――。

Sometimes, all it takes is just one prayer to change everything.

 

5. 《心の聴力を鍛錬する》

神のささやきを聴き逃さず、

敵(サタン)のわめきに耳を貸さぬよう、

あなたの心を鍛錬なさい。

【解説】 高齢化の波は教会にも押し寄せ、講壇からの説教の声はか細くなり、会衆の聴力は衰えて、文字どおり耳をそばだてて聴かないと話していることが聞こえないのが、多くの教会の現実かもしれません。私の教会では、それでもマイクとアンプの調整で、なんとかカバーしていますが、祈祷会で隣の人に消え入るような声で祈られると、思わず一歩身を寄せて、聴き耳を立ててしまいます。神様のみ声も、いつでも強く大きく響いてくれたらどんなにいいかと思いますが、ほとんどの場合、神様は細く静かにささやかれるので、がんがん響いてくるサタンの誘惑の声に気を取られていると、かき消されてしまいます。祈り心で神のみ言葉を読み、そのみ心を瞑想する日頃の“心の鍛錬”が、いよいよ求められているのですね。

Satan tries to limit your praying because he knows your praying will limit him.

 

6. 《神との交わりの時を“捻出”する》

あらゆる責務やプレッシャーに直面しているとしても、

私たちは、神との交わりの時をつくり出す必要があるのです。

~ホセ・H・ゴメス大司教~

【解説】 原文ではシンプルに祈る時間をmakeメイク「つくる」と言っていますが、私の訳はあえて「捻出する(ひねり出す)」です。これを再英訳したらsqueezeスクィーズ「絞り出す」になります! それほどに祈りの時間をつくるのは、今や至難の業なのです。 “「私は、あまりに忙しいので、神との交わりの時を持たねばならないのだ」と言ったのは、かの宗教改革を成し遂げたマルティン・ルターですが、いよいよ生活のペースが加速度的に早くなり、処理すべき情報量が増え続ける現代に生きている私たちにとって、ともすれば犠牲にしがちなのが神との交わりの時です。そしてその時間が少なくなった分、私たちの霊性は枯れていくのです。そこからじわじわ染み出てくるのは、“肉”の性質、代わりにあなたからも教会からも消えうせていくのは“み霊の実”です。そのような私たちが、どうしてこの世の真っただ中で、“地の塩”“世の光”として、キリストの証人になれるのでしょうか?

「面倒だから、しよう」と言ったのは渡辺和子さんですが、私たちも、主の前に霊の襟を正して、「忙しいから、祈ろう」を生活のモットーにしませんか?

Even with all the duties and pressures we face, we need to make time for our relationship wth God. – Most Rev. Jose H. Gomez

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2019年

3月

26日

◆喧騒の世を天を目指して生きるための7か条◆

1. 《一日を赦しで始める》 私はこの一日を、心の中の“赦し”で始めます。平安のうちに前に進むことができるために。

I will start this day with forgiveness in my heart, so that I may move forward with peace.

【解説】 ”赦し”のない心に、“平安”は絶対に宿りません。朝起きて、誰かに、何かにわだかまりがあったら、それを主に明け渡して、「私は赦します」とご自分の心に宣言なさい。たちどころに主の平安が訪れ、あなたの一日を導いてくれます。それは十字架からあふれ流れる“主の平安”だからです。

 

2. 《世の喧騒に乱されない平安》 決してあくせくしないこと。全てのことを平静に、穏やかな心で行いなさい。たとえどんなことがあっても―あなたにとっての全世界がひっくり返るようなことがあっても、内なる平安を決して失ってはなりません。

Never be in a hurry; Do everything quietly and in a calm spirit. Do not lose your inner peace for anything whatsoever, even if your whole world seems upset.

 

3. 《愛を計算しない》 “愛”の基準は、計算しないで愛することです。~フランシスコ・サレジオ(16-17世紀スイスのカトリック聖人)

The measure of love is to love without measure.-St Francis de Sales

【解説】 原文には、ウィットにとんだ修辞がなされています。「基準」「計算」と訳した語は、いずれもmeasureメジャーという同じ言葉です。つまり、私たちの愛がどれほどのものかを測る物差しは、一切の損得計算をしないで、純粋に相手の人のために愛しているかどうかで値を示すというのです。私たちの人生の終わりには、この計算しないで与えた愛(無償の愛)が、どれほど豊かだったか、貧しかったかが、主によって明らかにされます。それは、計算しないのですから、私たちには分かりません。もし「これをしたらどれほどの益が…」などと考えたら、神様の目にそれは“愛”としては一切カウントされないのです。だから、そのために払った値(時間・お金・労力)の大きさは一切考えずに、私たちはただ愛さなければなりません。報いは全て、天の主のみ手の中にあるのですから――。

 

4. 《愛を広げる》 あなたが行くところ、どこででも、愛を広げなさい。~マザー・テレサ

Spread love everywhere you go. – Mother Teresa

【解説】 愛は、計算してはいけないと同時に、ひとところにとどめてもいけないのです。自分が愛するのは伴侶たった一人、自分の家族、親戚や一握りの友人だけ…のように。神様の愛の対象は、全時代の全ての人間です。だからあなたも私も、その愛によって救われたのです。私たちの愛には、もちろん能力的、時間的、経済的限界がありますが、神様はちゃんとそれをご存じの上で、あなたに愛すべき人を示してくださいます。また愛は、物理的・地理的にあなたの近くにいる人だけが対象なのではありません。SNSの発達した現代では、例えばこのように、FBのツールを使って神の愛をお分かちすることもできます。「広げる」と訳した原語spreadスプレッドには、「枝を広げる、枝を伸ばす」という意味もあります。そのイメージで、神様の愛の枝を広げ伸ばすとき、私たちはマタイ28:19,20の、イエス様の大宣教命令に従っているのだと心に銘記しましょう。あのマザー・テレサのように――。

 

5. 《苦しみを通して神の愛を知る》 人が神のみ心を見いだすのは、あの十字架を愛することの中においてです。神の聖なる愛は、苦しむことなしには存在しないからです。~ベルナデッタ・スビルー(19世紀フランスのカトリック聖女)

It is in loving the Cross that one discovers His heart, for Divine love does not exist without suffering. – St. Bernadette

【解説】 神様の愛の本質は、ご自身の独り子をさえ、私たちのために十字架の死に渡した“苦しみの愛”です。神の苦しみなしに、私たちの救いはなかったのです。

 妻が2月16日の深夜、我が家の2階の寝室の外の廊下に倒れているのを発見した時、私は一瞬、「ああ、1階のトイレからここまで上ってきて、寝てしまったのか」と思いました。でも、何度か呼んでも目を覚まさず、手に脈がなく、呼吸をしていないのを知った時、何か、恐ろしい悪夢を見ているのかと思いました。長い結婚生活で、妻が死ぬことなどは一度も、夢にさえ出てこなかったのです。私は妻を抱き抱え、思わず「神様! 助けてください! なぜですか?!」と絶叫しました。あの奈落の底に真っ逆さまに突き落とされたような絶望感は、終生忘れることがありません。

 けれども今、私は静かに思います。あの時の私の苦悩さえ及びもつかないような、“罪びと”となった我が子との父なる神の断絶の苦しみ、そしてみ父との愛を断ち切られるみ子キリストの苦しみのゆえに、私は罪から贖われ、永遠の命を与えられたのだと。そして亡き妻も、そのゆえに罪を赦され、今は天に国籍を移されて、主のみ懐に安んじているのだと――。

 私たちの人生には、時として、夢想だにしなかった苦しみが襲うときがあります。その時には、あの十字架の主と、父なる神のお苦しみを想いましょう。そこにしか、私たちが神のみ心を知る道はないのですから――。

 

6. 《残すものは少なく、天には多く》 

私たちが地上に持つものが少なければ少ないほど、

私たちは天に多くを持つのです。~アヴィラのテレサ(16世紀スペインのカトリック聖女)

The less we have here, the more we shall have in heaven.

– St. Teresa of Avila

 

7. 《いつまでも残るものは愛です》 

人生の終わりを迎えるとき、本当に大切なのは、

私たちが買い求めたものではなく、私たちが建て上げたものです。

私たちがこの手に得たものではなく、分かち与えたものです。

私たちの能力ではなく、私たちの人柄(性格)です。

私たちの成功ではなく、この一生に意味があったかということなのです。

価値ある人生を送りなさい。

愛ある人生を生きなさい。

At the end of life, what really matters is not what we bought but what we

built; not what we got but what we shared; not competence but our character;

and not our success but our significance. Live a life that matters. Live a life

of love.

(Ⅰコリント13:13)

「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」

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2019年

1月

28日

◆祝福の人生を生きるための現代の箴言◆

1. 《誘惑を避けよ》

”誘惑”を除けば、私はどんなものにも抵抗できる。

~オスカー・ワイルド~

【解説】 言わずもがな、この可能形は否定形に言い直しましょう。「私は、”誘惑”にだけは抵抗できない。」それほどに、世の誘惑は、“魅惑的”なのです。お金、地位、性、業績…。それもそのはず、人間の罪は、アダムとエバが、「まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするという、いかにも好ましい」(創世記3:6)“善悪を知る木”の誘惑に勝てず、「それを食べると必ず死ぬ」と言われた厳しい神の掟さえ破った結果、もたらされたものだからです。全ての”誘惑”の根源は、人間が神のように賢くなり、この世の楽しみを極限まで享受しようという欲望です。あなたが誘惑に会うとき、その背後では、サタンが、それに負けたあなたへの“ご褒美”に、その“悲惨な結果”を手にしながら、目を細めていることをお忘れなく――。

I can resist everything except temptation. – Oscar Wilde

 

2. 《目に見えぬ宝を求めよ》

人生の最も大いなる”真珠”は、手に取ることはできないもの――“愛”と“知恵”と“信仰”である。

【解説】 人を本当に幸せにするものは、決してモノではありません。モノは、増えれば増えるほど、さらに欲しくなります。それが、上記1.の罪の結果です。本当に私たちの心を満たし、人生を豊かにするものは、目には見えず、あなたの“心”の中にあるのです。

The greatest pearls in life are not tangible…Love, Wisdom & Faith.

 

3. 《心を開き、ソフトにせよ》

最悪の牢獄は、“閉ざされた心”である。~ヨハネ・パウロ二世

この狂気の世界に在って、柔和で優しい心を持っていることは、“勇気”であって、“弱さ”ではありません。~キャサリン・ヘンソン~

【解説】 世界平和のために、最も“開かれた心”をお持ちのローマ法王の言葉には、鋭く心を探られますね。牢獄の扉は、重く、何重にも鍵がかけられ、外界との一切の交流を冷たく閉ざされていますが、その最たるものは、固く閉ざされた人間の“心の扉”だというのです。その扉は、外の世界に向かって開かなければなりません。それも、最も“柔和な”心を持って――。それは“弱さ”ではなく真の“勇気”だとおっしゃったのは、他ならぬ、それを身をもって実行されたイエス様です。主は、そのときにのみ、罪の世の狂気は和らげられ、人間関係に平和がもたらされることを知っておられたのです。

(マタイ5:5)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」

The worst prison would be a closed heart. -St. Hon Paul II

Having a soft heart in a cruel world is courage, not weakness.

– Katherine Henson

 

4. 《勇気、信仰、希望を持って現実に立ち向かえ》

あなたは、今起こっていることの全貌を、あるいはそれが具体的にどうなっていくのかについて、知る必要はない。あなたに必要なのは、その起こっている“現実”が突き付けていることを、どう乗り越え(可能性)、どう立ち向かうべきか(挑戦)を知ること、そして、“勇気”と“信仰”と“希望”を持って、その機会を生かし、前向きに取り組んでいくことなのだ。~トマス・マートン~

【解説】これは、上記2と並んで、いうなれば“もうひとつのIコリント13:13:現実版”ですね。(厳しい現実に対しては、“愛”の代わりに”勇気”が必要です!) なぜ事の全貌、その行く末を心配する必要がないのか? それは、全てを神様がご存じだからです。神は、事の始まりも、ゴールも、全てコントロールしたうえで、あなたがそれにどう向き合っていくかをご覧になります。神の賜物である勇気、信仰、希望を働かせて、あなたが目の前の課題を一つ、また一つとクリアしていくことの中に、あなたの霊的な成長を心から期待なさりながら――。その期待に応えるのは、あなたです。

You do not need to know precisely what is happening, or exactly where it is all going. What you need is to recognize the possibilities and challenges offered by the present moment, and to embrace them with courage, faith and hope. – Thomas Merton

 

5. 《やがて来る日に備えて善をせよ》

あなたが若いときには、年老いた人を敬いなさい。

あなたが強いときには、弱い人を助けなさい。

自分が悪いときには、過ちを告白なさい。

 

やがて人生のある日、

あなたも年老い、弱くなり、道を誤ることもあるのですから――。

【解説】 仏教にも、“因果応報”という言葉がありますが、聖書もたくさんの用例で同じ真理を説いています。人は、良きにつけ、悪しきにつけ、蒔いたものを刈り取ることになります。人は、その時になって初めて気づくものですが、でも、一度限りの人生、その時になって悔やまないように、あらかじめ備える“知恵”を神様から頂いています。どんなに小さなことでも、今自分がすることが、何十年後かの自分を決めるのだということを、忘れてはいけませんね。

(伝道者(コヘレト)の書 11:1)

「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」

(詩篇126:5)

「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」

(ガラテヤ 6:7,10) 「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。…ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。」

Respect the old, when you are young. Help the weak, when you are strong. Confess the foult when you are wrong. Because one day in life, you will be old, weak and wrong.

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2019年

1月

10日

◆成熟の人生を目指す6か条◆

1. 《“傷心”から学ぶ》 

過去にあなたを傷つけた出来事は、忘れることです。

でも、そこから“教わったこと”は忘れないようになさい。

Forget what hurt you in the past, but never forget what it taught you.

 

2. 《“満ち足りた心”を育てる》 

“満ち足りている”という感覚は、

一年を通して、常に養い、育てるべきたまものなのです。

~ジーン・チティスター~

A sense of enoughness is a gift to be cultivated all year round.

– Jean Chittister

 

3. 《“閉じられたドア”は こじ開けない》

神様が、なぜそのドアを閉じられたか、

あなたに分かる日が来ます。

その時、そのドアとあなた自身は、

そのことのゆえに神に感謝するでしょう。

One day you will understand why God closed that door. Then, that door and you will thank Him for it.

 

4. 《“優しさ”の遺産を残す》

人に良くしてあげなさい。

あなたは、

やがて手にするどんなに大きな成功よりも、

その親切のゆえに、人々の心に残るのですから。

~マンディー・ヘイル~

Be good to people. You will be remembered more for your kindness than any level of success you could possibly attain. -Mandy Hale

 

5. 《“物”ではなく“魂”を与える》

あなたは、自分の持ち物を与える限り、

少ししか与えることはないでしょう。

あなたが本当に与えることができるのは、

“自分自身”を与えるときなのです。

~カーリル・ギブラン~

【解説】 それを可能にするのは、“愛の力”です。私の人生のモットーは、“他者のために生きる”です。“他者”の中には、教会の兄弟姉妹、フェイスブックで知り合えた信仰の友、友人、家族、最も身近な妻がいます。そのために、私は自分の与えられたたまもの(才能、時間、財、エネルギー)全てを用いようと努めていますが、まだまだ足りません。そして自分の愛のなさに失望落胆するとき、いつも仰ぐのは、十字架の主、イエス・キリストであり、心に刻み直すのは、このみ言葉です。

(Ⅰヨハネ3:16)「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」

十字架の主こそ、私たち一人一人のために“自分自身”をお与えになったお方、私たちにもそれを可能にする“愛の力”の原点なのです。

You give but little when you give of your possessions. It is when you give of yourself that you truly give. – Kahlil Gibran

 

6. 《人生を真の美しさで彩る》

人が年を重ねると、

本当の美しさは顔立ちから心へと移りゆき、

魅力は、もはや訴えずとも内からにじみ出し、

受けた心の傷からは知恵を増し、

己の輝ける成功の日々への追憶は、

人の幸せの思い出を共に分かち合う喜びに変わる

人生の本当の美しさは、

あなたが今、いかに幸せかではなく、

あなたのゆえに、

人々がいかに幸せかにあるのだ。

As we grow older, real beauty travels from the face to the heart, appeal turns to charm, hurt to wisdom, and great moments to shared memories. The true beauty of life is not how happy you are now, but how happy others are because of you.

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2018年

12月

19日

◆神と私の不可思議な関わりの三相◆

《私の不可思議な祈り》

主よ、

私をお用いください。

そして あなたご自身でいてください!

【解説】 これは、最短とも言うべき短い祈りですが、私の覚えている限り、長い信仰生活で初めて聞いた祈りです。それは3行目。そしてこの1行は、最初の1・2行目との関係をいやおうなしに考えさせ、改めて新しい霊の気づきを与えてくれました。この1・2行目と3行目をつなぐ「そして」は、原語andの様々な意味合いのうち、これによって前者と後者を”対等”に結び付けること、そして“前者であるゆえに後者である”という因果関係を表します。ひと言で言えば、“神は、私があるゆえに、神であられる”ということです! 神様は人間の目には見えませんが、ご自身をさやかにお示しになることができます。それは、私たちを通してです。神様の愛、あわれみ、善、忍耐…というご性質は、私たちが人々に示す言葉や行いによって、表されます。そのゆえに、私たち自身は欠けだらけの者ですが、「主よ、あなたがどんなにすばらしいお方であるかを示すために、この私をお用いください」と、自らをみ前に差し出すのです。それを通して(畏れ多いことですが)、見えざる神は確かに“神ご自身”であることを明らかになさいます。「人間の“献身”を通して、神はご自身の“存在”を顕示される。」――これは奥義(ミステリー)です。そしてこの短い祈りは、「この身を通して、その奥義を私たちのささやかな日常の中にもたらしたまえ」と切願する祈りなのです。

Use me, Lord and be yourself!

 

《神の不可思議な抱擁》

神は、あなたをハグしておられる。

あなたは、神のみ腕の

不可思議な輪の中にいるのだ。

【解説】 これが、神様と私たちの“聖なる相関関係”です! 人間のハグは、お互いの親愛の情の表れですが、神様のハグは、ご自身の一方的な“愛の主権”によって、あなたのその時の神への愛の状態を一切問わず(時には、かなり冷え込んでいても!)、いつも大きくあなたを包み込み、しかも決してそのハグの輪を外してしまわれることはないのです、永遠に――。これが、人の世にはどこにも存在しない、あなたへの神様のいとも不可思議な“愛の抱擁”です。

(申命記 33:27) 「昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。」

God hugs you. You are encircled by the arms of the mystery of God.

 

《魂の不可思議な置きどころ》

あなたの魂を、栄光の輝きの中に置きなさい!

【解説】 この命令は、本質的に神様からのものです。「栄光の輝き」と訳した原文the Brilliance of Gloryの、定冠詞theは、「私の」Myと読み替えましょう。人間は、目に見える体(肉体)と目に見えない心とから成り立っていますが、この心の中で、霊なる神の存在を知り、神を信じる最も深い部分を”魂・霊“と呼びます。この神様のご命令は、その一番大切な魂の置きどころを、どんなときにも(霊に燃えているときだけでなく、心身共に疲れ果て、生きる気力さえうせそうになるときでも)、”神の栄光の輝き”の中と定めよ、というのです。それは、私たちになじみのある言葉で言えば、「どんなときでも、あなたの魂の奥深くに住みたもう栄光の主のみ座のもとから、迷い出てはならない」ということです。そこにとどまる限り、神様は、あなたの現実の悲しみ、苦しみ、怒りをかき消して余りある圧倒的なみ力で、あなたを照らし出し、癒やし、力づけ、遂にはあなた自身の魂を、神の栄光の輝きに染まらせてくださいます。これが、私たちが自らの魂を主の栄光の輝きの中に置き続けるときにのみ、内なるキリストがなしてくださる、不可思議な”聖化”の恵みなのです。

(Ⅱコリント 3:17,18) 「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

Place your soul in the Brilliance of Glory!

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2018年

11月

28日

◆一歩成長させる現代の箴言◆

1. 《成功より失敗がいい》 あなたを謙遜にさせる失敗は、あなたを傲慢にする成功よりも良い。

A mistake which makes you humble is much better than an achievement that makes you arrogant.

2. 《ちょっと上を行く親切がいい》 どんなときも、必要とされているより少しだけ多く親切にせよ。

Always be a little kinder than necessary.

3. 《成長させる試練がいい》 あなたの信仰が試されるとき、あなたの忍耐力は“成長するチャンス”をつかんだのだ。

When your faith is tested, your endurance has a chance to grow.

 

【解説】 「ものは考えよう」という日本のことわざや、「Paradigm shift パラダイムシフト 視点転換」などという言葉もあります。読んで字のごとく、少し視点を変えると、物事は全く別の面が見えてきて、マイナスと思えたものが、プラスへのスタートにつながるということです。およそ人類のために良きことを成した人々は、共通してこのプラス思考を実践した人々です。あなたもこれを読んで、1.「失敗結構!」3.「試練結構!」とご自分に言ってみたらいかがですか? そして3つのうち2だけは、マイナスのないプラスですが、これも言ってみれば、「同じ良いことするなら、goodより better!」ということです。このほんの少しだけ上を行く親切が、いつしかあなたをbest kind person“最高に親切な人”にするのです!

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2018年

11月

09日

◆福音のチカラ: 失われた者への神の愛◆

【テキスト】 ルカの福音書15:1-10

(ルカ15:7) 「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」

 

私たち全ては、満たされなければならない“心の空洞”を持っています。それごと私たちをお創りになったお方の他は、誰も、また何ものも、その空洞を満たすことはできません。自分が罪びとであることを認めるのは、実は“恵み”なのです。というのは、人は自らの内なる空洞に気づき、み子を通してなされる神の満たしの業に、それを明け渡すことができるからです。そうする代わりに、自分が”聖い”と錯覚すること、すなわち自分には欠けがなく完全であると思い込むことは、この内なる空洞を否定することです。

今日の聖書の登場人物の、自分に対する皮肉な曲解は、見過ごしてはなりません。取税人や罪びとたちは、イエス様が、彼らが抱えていた内なる空洞を満たすことができると知って、そのそば近くに近づきました。ところがパリサイ人や律法学者たちは、自分たちこそ罪びとだという事実が目に入らず、イエス様が罪びとたちと食卓に着いているのを非難したのです。

たった一人でも、罪びとが悔い改めるとき、天には大きな喜びがあります。なぜなら、その人のうちに、神のみ子の宣教の使命は成就したからです。

 

主イエス様、私が、あまりにたやすく他の人の傷や欠点に気づきながら、自分自身の欠けに気づかないとき、私のゆがんだ視野を治してください。アーメン。

 

“There will be more joy in heaven ove one sinner who repents than

ove ninety-nine righteous people who have no need of repentance.”

There is a void inside all of us that needs to be filed up. No one

and nothing can fill that up except the One who created us with that void. To admit being a sinner is actually a grace, for it means that one is in touch with that interior void and can open up to the action of God through his Son. Instead, the illusion of being “holy” that is, of being whole and complete, is a denial of tha interior void. The ironic twist in today’s Gospel cannot be missed. The tax collectors and sinners draw close to Jesus because they recognize in him the

One who can fill up their interior void. Istead, the Pharisees and scribes complain about Jesus’ table-fellowship with sinners because they are blind to the fact that they themselves are sinners. Even a single repentant sinner causes heaven to rejoice, for in that person the mission of God’s Son is fulfilled.

 

Lord Jesus, correct our vison when we too easily identify the flaws of others and do not recognize our own. _Amen.

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2018年

10月

10日

◆それでも笑って生きられる2つのキモ◆

《涙よりも ほほ笑みを数えて》 どんなときも、人生の明るい面を見るようになさい。あなたの人生に、泣きたいような100の理由があったとしても、あなたをほほ笑ませる100の理由もあることを、人生に見せてやるのです。

Always look on the bright side of life. When life gives you a

hundred reasons to cry, show life that you have a thousand reasons to smile.

 

《主は与え、我は受く》 “感謝の人生”というのは、全てのことを神様からの贈り物として見、私たちの人生は、このお方のものなのだと理解することに応答した人生です。神様は“与え主”であり、私たちは“受け取り手”なのです。感謝をもって、このお方を喜ばせる人生を生きましょう。

A thankful life is a response to seeing everything as a gift from God and realizing that our life belongs to Him. God is the giver, we are the receiver. In gratitude, let us live a life which pleases Him.

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2018年

9月

24日

◆神は削られる◆

神は、折あるごとに、私たちを“削られる”。このお方と共に、自分の人生の物語を美しく書き綴ることができるために――。

 

【解説】 この絵で分かるように、神様は、様々な出来事を通して、”私”という鉛筆の芯を削られます。鉛筆と違って生身の人間である私たちは、削られるごとに、大きな痛みを感じます。でもそのたびに、私たちの魂(人格の芯!) は研ぎ澄まされ、形を整えられて、美しい、しっかりとした筆跡で、”我が人生の物語”の一ページを書き綴っていくのです。そこには、神様への“感謝”の言葉が満ちあふれていることでしょう。

 

(詩篇 119:71) 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」

 

God

sharpens us from time to time, that together with Him, we can write beautifully the story of our life.

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2018年

9月

03日

◆より良き人間関係を築くための3か条◆

1. 《真の友を得る奇跡を!》 100人の友達をつくるのは奇跡ではありません。100人全てがあなたに敵対しても、あなたの味方になってくれる、ただ1人の友を見つけるのが奇跡なのです。

Making a hundred friends is not a miracle. The miracle is to make a single friend who will stand by your side even when hundreds are against you.

2. 《時には、沈黙は金!》“沈黙”は、誤解されるかもしれませんが、決して誤用(間違った、悪い引用)されることはありません。

~ジョナサン・ウェルズ~

Silence can be misunderstood but it can never be misquoted. – Jonathan Wells

3. 《他者の評価は知ってることだけを!》 誰かについて意見を述べるときは、あなたは多分その人の人生の、ほんのわずかな部分しか知らないのだということを、心に留めておきなさい。

Before you form an opinion about somebody else keep in mind that you probably only know a very small part of their story!

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2018年

8月

17日

◆望みつつ喜べ、耐えよ、祈れ◆

良き時の一つ一つは、良き思い出となります。

悪しき時の一つ一つは、良き教訓となります。

望みを持って喜びなさい。

艱難の中を耐え忍びなさい。

絶えず祈りなさい。

 

【解説】 人生には、良き時も、悪しき時もあります。良き時は、その時その時を楽しむだけでなく、良き思い出となって残ります。でも、悪しき時も、悪しき思い出として残るだけかというと、さにあらず。それもまた良きに変えられる。同じような悪しきことに出会わないように、そして出会った時も、より賢く切る抜けるための良い教訓として残るというのです。悪い思い出のままか、良い教訓にできるかどうかは、私たちの心の持ちよう一つです。

後段は、あのⅠテサロニケ5:16-18の現代版みたいですが、ここに入っていく前に、心の中で、「だから」を補いましょう。良き時も、悪しき時も、神を見上げて望み、喜び、忍耐し、祈る――。そのときに、私たちの人生は、神様に在って、全ては良きに変えられるのです。

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2018年

7月

02日

◆心を豊かにする二つのこと◆

1. 信仰が告げるもの

 

“信仰”は、

私の前に何が待ち受けていようとも、

神様はすでにそこにおられることを

告げてくれる。

 

2.ほほえみと喜びの相関関係

 

時として、あなたの“喜び”は、

あなたの“ほほえみ”のもとになります。

でも時には、

あなたの“ほほえみ”が、

あなたの“喜び”のもとになりうるのです。

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2018年

6月

14日

◆祝福の人生 最終章◆

いつの日か、私たちは、

心が傷ついたことも、泣いたわけも、自分を悲しませた人のことも忘れます。

私たちは、最後に気づくのです。

自由でいられる秘けつは、復讐することではなく、

物事が、それ自身の方法で、それ自身の時に、明らかになるに任せることだと――。

結局のところ、大切なのは、私たちの人生の第1章ではなく、

自分がいかに人生レースを走り終えたかを示す“最終章”なのです。

だから、もう一度、最初から繰り返して、

ほほ笑み、笑い、赦し、信じ、愛しなさい。

~作者不詳~

 

【解説】 これ、現代版「伝道者の書」(コヘレテの書)12章ですね。日本のことわざ、「終わりよければ全てよし」も心をよぎります。この祝福の最終章は、そこだけ書き換えることは決してできません。人生の一章一章、一日一日を誠実に生きていくことによって、そう、もう一度、今日から、「ほほ笑み、笑い、赦し、信じ、愛し」直すことによって、神様からの“ご褒美”として、書いていただけるものです。願わくは、この最終章を地上に残して、主イエス様の待つ天に凱旋することができますように――。

 

(Ⅱテモテ 4:7,8) 「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」

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2018年

5月

29日

◆意味ある人生を送るための5か条◆

(1) 人生を、“目的”を持って生きなさい。不幸にではなく、“祝福”にスポットを当て、弱さにではなく、“強さ”にピントを合わせるのです。あなたの問題をではなく、あなたの“恵み”を数えてみなさい。

(2) “自分自身”であること。他人(ひと)の是認を待つことはありません。

(3) どんな状況の中に置かれようと、“前向きに”、しかも“謙遜に”生きようと心を決めなさい。

(4) 人生が厳しいと思えるときにも、“自分が強いからでなく、神様がいつも共にいてくださるから、私は立ち向かっていける”と信じなさい。

(5) 私たちの誰もが大いなることができるわけではない。でも小さなことを、大いなる愛を込めてすることはできるのです。

 

これらを心して生きれば、人生がどれほどすばらしいものか、あなたにもきっと分かります。

 

(1) Live your life with purpose, focus on your blessings, not your misfortunes, focus on your strengths, not your weaknesses. Count your blessings, not your problems.

(2) Be yourself and don’t wait for the approval of others.

(3) Have a positive and humble mindset no matter what situation you’re in.

(4) Even when life seems to hard, believe that you can face it not because you’re strong, but God is with you all along…

(5) Not all of us can do great things, but we can do small things with great love.

And you will realize how beautiful

your life truly is.

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2018年

5月

10日

◆成功への鍵3か条◆

  1. “成功”を測る本当の物差しは、あなたが幾たび“失敗”から跳ね返ったかである。

  2. “成功”とは、あなたがついにゴールを手にするまでの長い道のり、正しいことをし続けることである。
    ~ビリー・コックス~

  3. “成功”に秘けつなどというものはない。それは、“よき備え”と、”勤勉”と、“失敗から学んだ”ことの結果である。
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2018年

4月

27日

◆エネルギーを消耗させる12の方法◆

1. なんでも自分の責任と受け止めて悩む。

2. 過去にこだわる。

3. 絶えずフェイスブックをチェックする。

4. ストレスを抱え込む。

5. 朝寝坊をする。

6. 栄養を考えずに食事をとる。

7. なんでも大げさに騒ぎ立てる。

8. いつも不平不満を言う。
9. 考えすぎる。

10. 人のうわさ話をする。

11. 人生のその時その時を楽しまない。

12. 人を喜ばせようと気を遣う。

 

【解説】 いかがです? 思い当たるふしはありますか? 半分以上あったら要注意ですね。今日のタイトルは、もちろん“反面教師”的言葉のあやで、オリジナルタイトルは、「~毎日の習慣」です。言わんとしているのは、これと反対のことを意識して志向するということです。No.3は「あ、私だ」と苦笑しましたが、皆さん、これで私のページへのお立ちよりもやめないでくださいね。要は、よく記事の内容を吟味して、「これは」と思う良いページを選べばいいのです。今日の記事をはじめ、私が皆さんにシェアしている幾つかのオリジナルページも、数年間の試行錯誤を経て、厳選したものばかりです。

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2018年

4月

05日

◆幸せは友で決まる◆

(1)時に悪しき友からの去り方を学び…

 

私は今、私の心の平安と、自尊心(自分を大切にし、自分の存在をいとおしむ心)を脅かすような人や状況から、離れていくすべを学んでいます。

 

(2)時に良き友を選んで共にいる

 

君の“かけがえのなさ”を知ってる人と一緒にいるんだ。

幸せでいるにはね、多くの友なんか要らないよ。

君が君でいることを心から喜んでくれる、

ほんのわずかの“ホンモノの”友だけでいいんだ。

~くまのプーさん~

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2018年

3月

23日

◆知識より知恵を◆

「知識」とは、“自分は何ができるか”にいつも気づいていること。

「知恵」とは、“いつそれをしてはいけないか”を知っていることです。

 

【解説】 考えさせられますね。知識はともすると、「私はこれを知ってる」「私はこれができる」と、“私”を誇りますが、世の中には、「それを言ったら(やったら)おしまいよ」という言葉や行為があるのです。その一言で、その行為で、相手の人は深く傷つき、時には一生かけても修復できないような痛みを与えてしまうことが――。私など、認知症が進んでなかなか私の言うことをのみ込めず、言ったことを守れない妻につい声を荒げてしまっては、「また言ってしまった! ごめん!」と悔い改める日々です。「知識」は自分で身に着けることはできますが、この「知恵」は、祈りとみ言葉を通して、神様から与えていただく他はありません。徹底して自己中心な私たちは、つい自分を高めるために「知識」を用いてしまいます。けれども神からの「知恵」は、いつも他者に寄り添い、その人の幸せと、喜びと、生きる力を生み出すために用いられます。そしてそれを妨げるものは、強い自制心をもって、きっぱりと自ら退けます。たとえそれがどんなに正当なものであっても――。「知恵」もまた、み霊の実、神様の「愛」の一つのかたちなのです。

 

(Ⅰコリント8:1) 「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」

 

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2018年

2月

27日

◆嵐雲よりも高く◆

嵐が来ると、全ての鳥は隠れ場を探します。ひとり鷲だけは、嵐の上空まで飛翔して、それを避けるのです。

だから“人生の嵐”の中では、あなたの魂が鷲のように高く舞い上がれますように。

 

【解説】 地上のどんな暴風雨の時でも、その上空は雲一つない快晴なのです。私たちの人生にも時として嵐が襲ってきますが、その時は、嵐の渦中にあって必死に地上の人的な避けどころを求めるのではなく、天の高みにおられる神様のもとまで、聖霊の風に委ねて舞い上がることです。そして、全能にして、どんなときにも、あなたの“最善”しか選択肢をお持ちにならない神の大いなるみ翼の陰に憩うのす。最近、私自身もそのことを体験しました。ある大きなプロジェクトが行き詰まって万策尽きた時、地上で解決の道を探し求めることをやめました。そこに、思いがけない大いなる“脱出の道”(Ⅰコリント10:13)が備えられていたのです。

 

(イザヤ40:31)「 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」

(詩篇 17:8) 「私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。」

(申命記 33:27) 「昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。」

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2018年

2月

09日

◆心の傷と痛みの中にある神の栄光◆

(1) 我が深き傷より

私の深い傷の中で、

私はあなたの栄光を見ました。

私は目がくらむほどに圧倒されています。

~聖アウグスティヌス~

 

(2) 低さの極みから呼びまつる祈り

痛みと、悲嘆と、辱めのさなかで

自分自身に言うのです。

「いとも聖なる心のイエスよ、

私は、ただあなたを信じます」と――。

 

During pain, affliction, or

mortification say to yourself: “Most Sacred Heart of Jesus, I trust in Thee.”

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2018年

1月

22日

◆確実に恵みを失う二つの方法◆

(1)思い煩い

思い煩い(心配事。取り越し苦労)は、“何か悪いことが起こる”のを止めるのではありません。

それはただ、あなたが“良きものを楽しむ”ことを止めるだけです。

~作者不詳~

 

(2)過去へのこだわり

“幸福”の一つのドアが閉じられるときは、反対側のドアが開きます。

でも、私たちは、しばしばその閉じられたドアをいつまでも見つめているので、

自分のために開かれている、もう一方のドアが見えないのです。

~ヘレン・ケラー~

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2018年

1月

05日

◆神様ファースト◆

意味のある、幸せな人生の秘けつは、

神様に、その一日で“最高の時を差し上げる”こと。

何かを決断するたび、“神様のご意思を最優先”すること。

あなたの心の中で、“神様を第一に”することです。

 

(マタイ 6:33) 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

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2017年

12月

21日

◆自分を信じ、自分のやるべきことをやる◆

(1) 自分自身を信じなさい。

 

【解説】 この絵は、「俺はほんとは、とんでもなくデカくて強いんだぞ」という“誇大妄想”を表すものと取ってはいけません。これは、“人は本当の自分のすばらしさを知らない”ことを示しているのです。私たちは、自分が欠けだらけで、弱い存在であることは、自分自身が一番よく知っていますが、それでも根本的に、それも全て含めて、自分自身を“肯定”すべきです。なぜそうできるのか? それは、神様があなたを創られたからです。有名なクラーク博士の「少年よ、大志を抱け Boys, be

ambicious」という言葉がありますが、あの言葉の末尾には、非キリスト教国の日本で、より普遍化させるために削られてしまった、in Christ

Jesus「キリストに在って」という一語があったと言われています。その一語が大切なのです。“私”の創造者であり、主であるお方のうちに在って、自分の全存在を受け入れる。全てはそこから始まります。今日の言葉にも、その意味で、「キリストに在って、自分自身を信じなさい」と読み取ったらいかがでしょうか?

 

(2) あなたにとって正しいこと(良いこと、ふさわしいこと)を行わなければなりません。

誰一人として、あなたの靴を履いて歩く人はいないのですから。

 

【解説】 どんなに正しい、高潔な意見を持っていても、それを誰かが実行してくれるわけではありません。「ちょっとお前の靴を貸せ。かっこいいから、俺が代わりに履いて歩いてやる」とは誰も言わないのです。自らが主の前に静まって、「これはなすべきこと、言うべきこと」と示されたら、まさに“自分を信じて”、一歩行動に踏み出すのです。次の一歩は主が導いてくださいます。

 

《一言》 この二つの言葉をどうしてコラボしてご紹介したのでしょう? それはこの二つに、間もなく新しい年を迎えるあなたが、心に銘ずべき生き方の一貫性があると思えたからです。決して二つともネコちゃんが主人公だったからでは…ありますね、半分は。

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2017年

12月

11日

◆頂上は見えずとも まず一歩を◆

“信仰”は、階段の全ては見えなくても、

最初の一歩を踏み出します。

 

【解説】 ”階段の全て”というのは、神様があなたに備えられたご計画の全体図と考えることができますね。信仰の世界は、決して肉眼には見えない世界です。見えたら、もはやそれは信仰とは言えません。見えないからこそ、神様に全幅の信頼を置いて、一歩を踏み出すのです。私の教会の牧師から、もう半世紀も前に教えられ、今も座右の銘にしている言葉も、書き添えておきますね。

「信仰をもって、最初の一歩を踏み出しなさい。次の一歩は、主が導かれる。」

 

(ヘブル11:1) 「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」

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2017年

11月

28日

◆ドアを閉ざされる恵み◆

神様があなたに“新たな始まり”を与えるときは、

“終わり”から始められます。

 

“閉じられたドア”に感謝なさい。

それは、しばしば私たちを

“正しいドア”に導いてくれるのですから――。

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2017年

11月

18日

◆”感謝健忘症”の私から…◆

時々、忘れてしまうんです。

いろんなやり方で、

私の人生を幸せにしてくれた人に感謝することを。

 

時々、忘れてしまうんです。

私の人生の大切なところにいてくれたことに、

どれほど心から感謝しているか 伝えることを。

 

だから今、一人一人のあなたに、ありがとう。

私のために、ただここにいてくれて――。

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2017年

11月

08日

◆優しさは こだまする◆

優しい言葉は

短いかもしれませんが、

その余韻は

果てしなく こだまするのです。

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2017年

10月

27日

◆聖書が嫌われるワケ◆

しかと覚えておきなさい。

人々は、聖書が分からないから、それを拒むのでは決してありません。

彼らは、あまりにもよく分かってしまうのです。

―聖書が、彼ら自身のふるまいをとがめていることを。

―聖書が、彼ら自身の罪について、明らかに証言し、

裁きの座に彼らを呼び出していることを。

彼らは、それが真実であると認めたくないので、

聖書は間違いで、役に立たないと信じようとしているのです。

~J.C. ライル~

 

(ヘブル 4:12) 「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」

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2017年

9月

23日

◆雨雲の上を見るのです◆

陰鬱な雨の日は、

陽光が無性に欲しいです。

でも雨は日がな降り続け、

やむ気配はありません。

 

けれど、あの雨雲の上には、

日差しがあることを私は知っています。

そこは光り輝く太陽で、いつも晴れ渡っています。

いかなるときも、それは変わりません。

 

だから私は、ゼッタイの確信を持っています。

全ては、ちゃんと、うまくいくのだと――。

だって、雨はいずれやむんだし、

そのとき太陽は、再び輝くのですから…。

 

~サンシャイン・スウィートパイ~

(アーティスト) ドニー・フィンリー

 

LOOKING for some sunshine

On a dark and rainy day.

But it just keeps on raining,

And will not go away.

 

But I know that there is sunshine,

Above the clouds of rain.

It's always bright and sunny

there,

It's always just the same.

 

And I am sure as sure can be

That all will be just fine.

Cause it won't be long at all, and

then,

I know the sun will shine...

Love By, Linda...

Sunshine & Sweetie Pies

 

Artist, Donny Finley

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2017年

9月

12日

◆正しい”あなたと私”の関係◆

あなたの“忠節さ”を“隷属”にしてしまってはいけません。

“離れていくべき時”を知り、

“自尊心”を妥協させないことです。

 

【解説】 厳しいようですが、これ、恋人同士、夫婦、友達、全てに通じる人間関係の“鉄則”です。この根底にあるのは、正しい意味でのセルフ・リスペクト“自尊心”です。“自尊心”と、人間関係を破壊する“自己中心”とは違います。神様に似せて創られた自分自身を尊び、愛することは、聖書の勧めるところですが(エペソ5:29他)、罪が、それを“自己中心”に変え、正しい自尊心をゆがめてしまったのです。

 私たちは、一生の間に、実にいろいろな人々と出会い、関係が生じますが、その中の何人かは、とても親しい関係に進んでいきます。私たちは、愛する人に対しては、自分の全てをささげて、忠節さを示そうとします。けれども、相手を思うあまりに自分を見失ってしまったら、あなたの“忠節さ”は、自分を殺して相手にひたすら仕える“精神的奴隷”の姿に変貌してしまっているのです。そこからは、神の前に対等な“あなたと私”の関係は決して生まれません。人生のどんな局面に立たされても、この“神にある己”をしっかりと保ちつつ、人と親しい関係をお結びなさい。けれど、相手がそれを尊重せずに、人間的に“支配”しようとするときは、あなたが勇気をもって離れてゆくことです。一度限りの短く貴重な人生、その“離れる時”を逃してはなりません。

 最後に、私たちが正しい意味で“隷属”すべきお方のことを考えましょう。私たちが“しもべ”として仕えるべきお方は、この地上でただ一人、主イエス・キリストだけです。なぜならこのお方は、私たちを決してしもべとは思わず、“友”と呼び(ヨハネ15:15)、それどころか、汚れた私たちの足を、“しもべ”として洗うことによってその愛を余すところなく示してくださり(ヨハネ13:1-5)、最後にあの十字架の上で完成させてくださったのですから――。

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2017年

8月

31日

◆まことの強さ◆

温和さほど強いものはない。

本当の強さほど温和なものはない。

 

フランチェスコ・サレジオ

(カトリック教会・聖公会の聖人。17世紀、スイスのカトリック司教、聖人。作家、貧者の友。)

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2017年

8月

19日

◆置かれたところに愛を込めなさい◆

神様があなたを置かれた場所は

どこであれ

あなたへの“召し”なのです。

 

そこで私たちが何をするかではありません。

その中に、私たちがどれほどの愛を込めるかが

大切なのです。

 

~マザー・テレサ~

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2017年

8月

11日

◆永井博士の言葉◆

全ての人を愛し、神の摂理に信頼しなさい。

そうすれば、あなたは平安を見いだします。

私は自ら試してみて、

それが間違いないことをあなたに保証できます。

 

~永井隆~

(カトリック信者で長崎原爆からの生存者)

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2017年

8月

02日

◆人生の2つの誤解を解く!◆

《強さ》

“強さ”とは、あなたが“できる”ことから生まれるのではありません。

それは、あなたが かつては“できない”と思っていたことを、

乗り越えたときに生まれるのです。

~リッキー・ロジャーズ~

 

《手に入らないもの》

時として、人生は、あなたの欲しいものを与えてくれません。

それは、あなたにその資格がないからではなく、

あなたが それ以上のものに値するからです。

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2017年

7月

23日

◆土塊(つちくれ)の祈り◆

父よ、

あなたが私の混じり物を調べ、こね、形作られるために、

我が心をみ前に差し出します。

人生がつらく厳しくなった時には、

全てのことに、

陶器師(すえつくり)なるあなたのみ手を見ることができるよう

助けてください。

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2017年

7月

11日

◆変えうるもの、変えられないもの◆

あなたの人生で、あなたが変えられるものがあります。

“より良きこと”のために、それを変えなさい。

あなたに変えられないものもあります。

そのままにしておきなさい!

変えるのは、あなたのためではなく、神様のためなのです。

このお方を信頼なさい!

神様は、“最善”のために、それをどうすべきか、

知っておられますから――。

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2017年

6月

29日

◆”臆病な人生”で終わりたいですか?◆

罪は人を臆病にします。

しかし、キリストの真理の中にある人生は、

その人を大胆にします。

 

~聖クリュソストモス

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2017年

6月

20日

◆泣きたい時に、笑えますか?◆

最もつらい時というのは、

あなたの目から涙が流れる時ではありません。

それは、

あなたの目にある涙を、

微笑みで隠さなければならない時です。

 

【解説】 それができるのは、あなたの涙を拭ってくださるお方がいるからですね。その人知れぬ涙が、祈りとなってみ前に届くとき、それは喜びに変わるのです。「このお方は、私の涙の意味をご存じだ。そして、今の苦しみも、やがてきっと良きに変わるのだ」と信じられるからです。今はどうしようもなく悲しく、心が痛むかもしれない。でも信じる者には、やがてこの日が訪れるのです――

「また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21:3,4)

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2017年

6月

11日

◆”忍耐”の意味するもの◆

◆敬宗庵 恵信(だより)◆

―忍耐の意味するもの―

 

“忍耐”とは、

状況が何も変わらなくても、

“神に信頼する”ことを

選び取ることです。

 

【解説】 私自身、今まさにその渦中にいます。成すべきことを全てやって、膨大な費用をかけて、1年半待ち続けて、まだ解決の見通しが立ちません。“本当にこれが神のみ心だったのか?”という思いが、何度もよぎります。それでも、私は最善以下のことをなさらない神に信頼します。たとえそれが私の計画とは違っていても――。

ある意味、私たちの人生、あなたの一生は、神様からの“忍耐の訓練”の場ではないでしょうか?

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2017年

6月

02日

◆どんな子どもに育てますか?◆

残酷で非情な世界に直面できるように、

我が子を情け容赦のない人間に仕上げるのは、

私たちの仕事ではありません。

今よりも少しばかり優しく、温かさを持った世界にできる子を

育て上げるのが、私たちの仕事なのです。

 

~L.R. ノスト~

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