2020年

1月

04日

◆新年の”選択宣言”◆

私は【包括】を選びます。

私は【感情移入(共感)】を、【あわれみ】を、【平等】を、【尊厳(品格)】を、【多様性】を選びます。

私は【コミュニティー(共同生活体)】を、【親切】を、【清廉(誠実)】を、【正直(誠意)】を、【尊敬(敬意、尊重)】を選びます。

私は【正義(公正)】を選びます。

私は【事実】を、【平和】を、この【地球】を選びます。

私は【人類(人間性)】を選びます。

私は【“愛”】を選びます。

 

【解説】 これを読んだ時、いわゆる“鳥肌が立つ”思いがしました。私が人として生きるとき、これまで、またこれからも、どんなことがあっても選び取り、守っていきたいものが、見事に網羅されていたからです。この世界は、おぞましき罪によって、これらの多くが汚され、そこから多くの痛み、悲しみと苦しみが生まれていますが、私たちは、これらのご自身の性質をもって私たちを創られたお方のもとに、信仰によって帰ることができました。創造主は、新しい主の年2020の初めに、まず私たちが改めて心の奥深くに、これらの選択をすることを望んでおられる気がします。あなたはいかがですか?

 

I choose LOVE.

I choose Inclusion. I choose Empathy. Compassion. Equality. Dignity. Diversity. I choose Community. Kindness. Integrity. Honesty. Respect. I choose Justice. I choose Facts. Peace. The Planet. I choose Humanity. I choose LOVE. 

 

【FBギャラリー】No.112 「天よりの日の出」

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2019年

11月

13日

◆祝された信仰生活のために考えるべき3つのこと◆

1.《真実》

“真実”が靴を履いている間に、

”ウソ”は地球を半周している。

~マーク・トウェイン~

私が、暗い真実に“糖衣”をかけることを拒み、今何が行われているかを話すことに己の進退を懸けることは、

私を厳しい“皮肉屋”にはしない。それは私を“正直者”にするのだ。

【解説】 人間生活に付きものの“ウソ”と“真実”。日本人的には”建前と本音”。“嘘も方便”。そして、ウソ情報((フェイクニュース)の広まることの速いこと! マーク・トウェインの時代から1世紀、インターネットの力を借りて、今や半周どころか一瞬にして1周です。それに対して“真実”は重く、その歩みはともすれば滞ります。それによって誰かが傷つくからです。時には自分も含めて犠牲者が出るからです。だからつい私たちは、“暗い真実”に口触りのいい、飲み込みやすい糖衣をかけ、“聞きやすい真実”に加工して伝えてしまうのです。でもそれでは、闇はいつまでもなくなりません。それを語るには、時として進退を懸けた勇気が要ります。でも、私たちは、いつも“正直”でなければなりません。それは、よく言われるように“自分に正直である”ことではなく、私たちにどんなときも真実であられる“神に正直”であることです。

(Ⅱテモテ 2:13) 「私たちは真実でなくても、彼(イエス・キリスト)は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」

A lie can travel halfway around the world while the truth is putting on its shoes. – Mark Twain (attributed)

My refusal to sugarcoat dark truths, and my dedication to speaking up about what’s been going on doesn’t make me “bitter”- it it makes me honest.

 

2.《リーダーシップ》

リーダーであることは、小さな檻(おり)の中の最も図体の大きい、最も意地悪な犬であることではない。

それは、いつ座るべきか、口を閉ざすべきかを知り、フィードバック(反応・意見・感想)に耳を傾けることだ。

人はリーダーシップを持つことに魅了される。それは、実のところ、たいして難しいことではない。ただ“聴いて”、“愛して”、それを繰り返すだけのことなのだ。

【解説】 1行目の例えの痛烈なこと! “小さな檻”は教会です。“犬”は…言わずもがなでしょう。2行目からは、現代のリーダーへの箴言が生まれます。いわく「立つに時あり、座るに時あり。話すに時あり、黙るに時あり。語るに時あり、聴くに時あり」。リーダーシップの最大の問題は、それが職場であれ、教会であれ、前者のみが幅を利かせ、後者が著しく欠けていることです。そして3行目。これはもう、そらんじましょう!「聴いて、愛する」。ここでリーダーとは、職場の上司や教会の役員、牧師、神父だけだと考えないでください。家庭の親もまた、子どもに対してそうなのですよ。この理想的なリーダーシップは、”サーバント・リーダー(しもべの指導者)“と呼ばれます。そして私たちが見倣うべきその模範は、聖書に描かれた、イエス様です。

(マルコ 10:45) 「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

Being a leader doesn’t mean being the biggest, meanest dog in the cage, it means knowing when to sit down, shut up, and listen to the feedback.

People seem fascinated by leadership. It's really not a big deal. You simply listen, love, and repeat.

 

3.《祈りで失うものこそ恵み》

あるとき、一人の人が質問されました。「いつも神に祈ることによって、あなたは何を得ましたか?」 その人は答えました。「なんにも。でも私が失ったものは、いろいろありますよ。怒り、エゴ(利己心)、むさぼり、落ち込み(鬱)、不安感、死への恐れです」。

時として、私たちの祈りへの答えは、“得る”ことではなく“失う”ことです。それが究極的には“得る”ことなのです。

【解説】 これは新たな気づきですが、まさに“至言”ですね。

Once a man was asked, “what did you gain by regularly praying to God?” The man replied, “Nothing...but let me tell you what I lost: anger, ego, greed, depression, insecurity, and fear of death.” Sometimes the answer to our prayers is not gaining but losing; which ultimately is the gain.

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2019年

10月

24日

◆こんな人でありたい◆

1.《ともしび》

暗闇の中の灯(ともしび)でありなさい。

どんなに深い暗闇の中にいるとしても

光でありなさい。

それを輝かせるのです、内側から――。

Be a lamp in the darkness...whatever darkness you are in...be a light... shine it out... from within...

 

2.《柔らかな心》

残酷で悲惨な世界の中で、柔らかな心でいることは、

“弱さ”ではありません。

――それは“勇気”です。

Having a soft heart in a cruel world is not a weaknes… It’s courage.

 

3.《深く感じる心》

今、分かりました。私はイカれた人間ではなく、このイカれた世界の中で、物事を深く感じる人間なのだということを――。

それを今、こんなふうに説明できます。誰かに、「なぜあなたは、何かというと泣くの?」と聞かれたら、「おんなじ理由で、私、何かというと笑うのよ。私って、物事を注意して見聞きするから」と――。

I understand now that I’m not a mess but a deeply feeling person in a messy world. I explain that now when someone asks me why I cry so often, “For the same reason I laugh so often – because I’m paying attention.”

 

【まとめ解説】 こういう心を持ったお方が、イエス様だったのだと気づきました。彼は“世界の光”であり(ヨハネ8・12)、“あわれみ深い人”であり(マルコ1:41他)、“悲しみの人で病を知っていた”人でした(イザヤ53:3)。ひと言で言えば、彼の心は、いつも他者に対する深い関心と人間愛で満たされていたのです。この自己中心で周囲に無関心な世界で、今最も必要なのは、この心です。「こんな人でありたい」と思ったら、徹頭徹尾、「キリストに倣う」(イミタチオ・クリスティ)ことですね。

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2019年

9月

06日

◆愛なくば◆

1 《説教が力を失うとき》

信仰が教条に取って代わられ、、

礼拝が鍛錬に取って代わられ、

愛が習慣に取って代わられるとき…

 

信仰が“生ける泉”というより“世襲財産”になり、

キリストの教えが、“あわれみ”に満ちた声でというより

“権威”の名においてのみ語られるとき…

 

そのメッセージは無意味なものになります。

~エイブラハム・ヘッシェル~

【解説】これは、昨日のサミュエル・リー牧師の「本当の福音伝道とは」の姉妹編です。人はこれを“信仰の形骸化”“教会の世俗化”と呼びますが、教職者も、信徒も、一人の罪赦された罪びととして、神様のみ前に出て、「主よ、私はどうでしょうか?」と探られなければなりません。そして示されるままに、聖霊のみ力によって、新しい心を与えていただかなければならないのです。

(ローマ12:1,2) 「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

When faith is replaced by creed, worship by discipline, love by habit; …when faith becomes an heirloom rather than a living fountain…when religion speaks only in the name of authority rather than with the voice of compassion - its message becomes meaningless. – Abraham Heschel

 

2 《深い悲しみの意味》

深い悲しみは、決して消えることはありませんが、変化します。

それは“通過地点”であり、とどまる場所ではありません。

深い悲しみは、弱さのしるしでもなければ、

信仰の欠如でもありません。

――それは、“愛が払うべき代価”なのです。

【解説】 “悲しみ”を現す英語は幾つかあります。今回始めたこのシリーズの原文タイトルSad Jesusのsadサッドや、sorrowソロー、聖書の「哀歌」の英語名でもある、悲嘆を表すlamentationラメンテーション、そして今日のgriefグリーフですが、これは愛する者の死などのときに味わう“深い悲しみ”を表します。今年の2月に、妻の突然の死を経験した私や、皆さんの中にも、このgriefを体験された方がおられると思います。このわずか5行の言葉は、そんな私たちには、とりわけ慰めと励ましになるのではないでしょうか。また、幸いにしてまだ経験していない方も、この言葉を忘れずにいてください。最初の2行は、神様のお与えくださる“時”という配剤の恵み、次の2行は、信仰者なのに余りに悲嘆に暮れてしまい悩むあなたへの力強い励まし、そして最後の1行は、この深い悲しみの意味を、見事に解き明かしています。そう、愛には払うべき代価が伴うのです。“深い悲しみ”は、かくも深く愛することのできる人をお与えくださり、生涯をかけて愛することをさせてくださった神様への、感謝のいけにえなのですね。

Grief never ends…But it changes. It’s a passage, not a place to stay. Grief is not a sign of weakness, nor a lack of faith…It is the price of love.

 

3《愛が“道”となる時》

“愛”が道となるとき、貧困は過去のものとなるでしょう。

“愛”が道となるとき、この地上は“祭壇”となります。

“愛”が道となるとき、もはや戦(いくさ)について研究しないよう、

人は剣(つるぎ)や盾を川べりに捨てるでしょう。

“愛”が道となるとき、地上には全ての神の子らに十分な場所が備えられるのです。

【解説】 “道”と聞くと、私たちは真っ先に、イエス様の言葉を思い出します。

(ヨハネ 14:6) 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

この格言の道も、まさにその道、The Way唯一の道、キリストの道です。そしてその道の名は「愛」でなければならないと作者は言います。それは聖書の使信そのものです。この「道」にはもう一つの意味があります。それは、私たちの行動を律する方法、手段、端的に言えば“生き方の指針”という意味です。けれど世界の現実は、そして私たちの周りは、なんとこの作者の理想には程遠いことでしょう。それでも私たちは、忍耐をもって、まず私の周りから、「愛」をこの二つの意味を持つ“道”とするために、自分にできることをしていかなければなりません。イエス様は、十字架の前夜、同じヨハネ14章で、私たちのために天に場所を用意しに行くと言われましたが(14:2,3)、その前に、この地上において、“愛”の支配する場所を少しでも広げておくのは、私たち一人一人の聖なる務めなのです。主はそのために、命を捨てられたのですから――。

When love is the way, poverty would become history. When love is the way, the earth will be a sanctuary. When love is the way, we will lay our swords and shields down by the riverside to study war no more. When love is the way, there's plenty of room for all of God's children.

 

【FBギャラリー】No.81 ネイサン・グリーン「君を見捨てない」

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