2019年

10月

25日

◆今、マジで考えるべきこと3つ◆

1.《大事なのは知識か、愛か?》

人の最も役に立つ資産は、

“知識の詰まった頭脳”ではなく、

聴くために開かれた耳と、進んで助ける手を持った

“愛でいっぱいの心”なのです。

The most useful asset of a person is not a head full of knowledge but a heart full of love, with ears open to listen, and hands willing to help.

 

2.《憎しみの種から愛を刈り取れるか?》

人は、蒔かないものを刈り取ることはできない。

もし私たちが、置かれた共同体の中で、

“憎しみ”の種しか蒔かないとしたら、

どうやって“愛”の実を刈り取ることができるだろうか?

~オスカル・ロメロ司祭~

You cannot reap what you have not sown. How are we going to reap love in our community, if we only sow hate? -Mons. Oscar Romero

 

3.《人が求めるのは流暢なトークか、静かな傾聴か?》

優しくあることは、正しくあることより大切です。

多くの場合、人が求めているのは、

話をする“際立った知性”ではなく、

話を聴く“特別の心”なのです。

To be kind is more important than to be right. Many times what people need is not a brilliant mind that speaks but a special heart that listens.

0 コメント

2019年

9月

05日

◆本当の福音伝道とは◆

伝道とは、組織やプログラムのことではありません。

講壇から語られる説教や使信だけでもありません。

路上で人々に手渡すチラシでもありません。

伝道とは、キリストにある私たちの生活(いのち)の香り―全ての人に、最も謙遜に、分かりやすく、神の愛を現すことです。

伝道とは、私たちが話す言葉だけではなく、愛のゆえに、私たちのなす行いと、キリスト・イエスのうちに、このお方を通して生きる生活なのです。

~サミュエル・リー~

【解説】これが、主の大宣教命令に従ってなすべき福音伝道のまことの内実、世の終わり、また自らの人生の終わりまで目指すべき目標、そしていつも帰っていくべき原点ですね。
(マタイ28:19,20) 「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

Evangelism is not a system or a program. Evangelism is not only a sermon or a message preached from the pulpit. Evangelism is not our flyers handed out in the streets. Evangelism is the fragrance of our lives in Christ, that in most humility and simplicity manifests the love of God to all humanity. Evangelism is not only our words spoken, but our deeds done and our lives lived in and through Christ Jesus for the sake of love. -Samuel Lee

0 コメント

2019年

8月

14日

◆愛の”共有空間”を◆

人生の行路に、私たちは、批判の目で判断されることなく、迫害されることもなく、安心して自らのありのままの意見を共有し合える場を打ち建てなければなりません。

宗教的な環境の中では、そのような関わりを見いだすことは困難です。だから、信仰や、教会や、宗教活動を基盤にした交誼の中のあるものは、たやすく揺れ動き、ぐらついてしまうのです。

真の友情は、正直さ、清廉さ、誠実さに基づいているべきもので、それらを成り立たせることができるのは、ただ一つ、“愛”しかないのです!

~サミュエル・リー~

In the path of life, we have to create space for one another where we can feel safe to share our sincere opinions, without being judged or persecuted. In the religious settings such relationships are hard to be found. This is why some friendships that are based on religion, church or ministry can easily be shaken. Friendship should be based on honesty, integrity and sincerity, against such things there is no religion but only love!

-Samuel Lee

【解説】 私は、このFBでの皆様とのお交わりこそ、サミュエル・リー師の主張を実現すべき真の“共有空間”だと信じています。そして私がこのFBで、主にある友、主を求める友と共に築きあげたいと願っている「ヴァーチャルチャーチ」ミニストリーの理念は、まさにここにあります。そのカギとなるみ言葉はこれです。

(エペソ 4:14-16) 「それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」

(コロサイ 3:14) 「そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」

 

【FBギャラリー】No.70 ロバート・ダンカン「朝のハグ」

0 コメント

2019年

7月

18日

◆人と共に生きるときに考えるべきこと3つ◆

《平等権》

他者との平等権とは、それによってあなたの権利が減少することではない。

全体数の決まっているパイとは違うのだ。

【解説】“平等権”とは、アメリカ合衆国憲法に定められた「男女平等権」を指しますが、ありていに数字で言えば、今まで男70、女30だったものを、男女とも50にすることではない。女性も男性と同じく70まで引き上げることだということです。男女の逆もまた真です。看護師の男女比が10:90だったものを、50:50の平等にして、女性看護師の数を減らすことではなく、男性看護師の数を、90:90まで増やすべきだということです。他者の権利を引き上げることが、自分の権利の侵害や喪失につながることは、決して真の平等権にはならないのですね。そこには、基本的人権や、福祉の面で、人類の向上は望むべくもありませんから。真の平等は、常に、“すでに達し得たところ”を起点として上を目指すべきものなのです。

Equal rights for others does not mean less rights for you. It’s not pie.

 

《幼子に学ぶ》

時として、あなたは3歳児と話す必要があります。

それによって、“人生”をもう一度学ぶことができるからです。

【解説】3歳の幼子が持っていて、大人の自分がいつの間にか失っている大切なもの、いっぱいあります。幼子の汚れを知らないピュアな心に学ぶということも必要ですが、それ以上に大切なのは、幼子が、自分では何一つできず、100パーセント親に頼り、信じ、委ね切って生きている姿です。幼子の中に私たちが学ぶべきは、この“信仰”の極意なのですね。イエス様がこう言われた由縁です。

(マタイ18:3,4)「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」

Sometimes you need to talk to a three-year- old so you can understand life again.

 

《最高の信仰 最低の信仰》

信仰は、それが自らに、“私は何ほどのものか”を厳しく問わせるときに、最高に輝くものになる。

信仰は、それが自らに“私は誰に対しても全ての答えを持っている”と考えるように欺き惑わすとき、最低のものに堕するのだ。

~アーチボルド・マクリーシュ~

【解説】 これは、20世紀アメリカの詩人にして行政官だったマクルーシュの鋭い逆説です。まことの信仰は、どんなに栄光の座を手にしたときでも、絶えず己の自己中心の罪性に目を向けます。そこにしか、神の赦しの恵みはないからです。信仰の堕落は、自分自身の知性、業績、名声を心に誇った瞬間から始まります。“傲慢”こそは、神のように賢くなろうとした堕天使サタンの本性だからです。

Religion is at its best when it makes us ask hard questions of our selves. It is at its worst when it deludes us into thinking we have all the answers for every body else.-archibald Macleish

0 コメント

2019年

6月

10日

◆祈りと詩◆

●フランシスコ会の祝祷

神が、不法・抑圧・人々からの搾取に対する怒りを持って

あなたを祝福されますように。

それによって、あなたは

正義と、自由と、平和のために働くことができます。

神が、痛み・拒絶・飢え・戦争に苦しむ人のために流す涙によって

あなたを祝福されますように。

それによって、あなたは

彼らを慰め、その痛みを喜びに変えるために

手を差し伸べることができます。

神が、あなたはこの世に良き違いをもたらすことができると信じるほどの愚かさをもって

あなたを祝福されますように。

それによって、あなたは

私たちの全ての子どもたちと貧しい人々に、

”そんなこと、できはしない“と人々が言った

正義と親切をもたらす働きをすることができます。

アーメン。

May God bless you with anger

At injustice, oppression,

And exploitation of people,

So that you may work for Justice, freedom and peace.

May God bless you with tears,

To shed for those who suffer pain,

Rejection, hunger and war,

So that you may reach out your hand

To comfort them and To turn their pain to joy

And may God bless you with enough foolishness

To believe that you can Make a difference in the world,

So that you can do What others claim cannot be done

To bring justice and kindness To all our children and the poor.

a franciscan blessing

Amen

 

●《詩》 母なる教会

教会は女性。

初めから“母”として世にある。

それゆえ教会は

“母なる教会”と呼ばれるのだ。

教会は新たに創り出す。

神の息子、娘たちを産むのだ。

だが、教会は何世紀にもわたって

自分の腹を痛めた子どもたちによって

沈黙を強いられてきた。

その存在を否定され、

彼らに、服従と沈黙を要求されてきたのだ!

~サミュエル・リー~

【解説】 やや難解な詩ですね。サミュエル・リー牧師は、世界中の弱い人々に対する様々な差別と不法に、教会として抗議の声を上げ、連帯を呼びかけてきました。この詩には、戦前の宗教弾圧の遠い記憶の中で、政府や社会への抵抗の姿勢が希薄になりつつある現在の日本の教会とは違って、難民問題や流血の宗教対立などの中にあるヨーロッパの教会の切実な状況が背景にあります。けれども、本質的な部分では、この教会への危機感は同じなのです。すなわち、“母なる教会”は、新しい命を絶えず生み出す力を持っていますが、その力を外の世界の不正や抑圧に対する抵抗に注ごうとするとき、教会の産んだ子供たち=教会員クリスチャンたちの中に、無意識のうちに、“教会”としての社会活動に躊躇し、それを避けようとする自己抑止感情が支配するという現実です。それは、“内なる平安”さえあればよしとする、誤った福音理解から来ます。”母なる教会”は、時代を超え、国を超えて、罪の赦しと内なる魂の自由を与えられた神の子たちを産みだすとともに、彼ら(=私たち!)が、この世界に対しては、神のもとに人権と正義と福祉の擁護と実践を求めて声を上げてゆく、“包括的福音”を堅持しなければいけません。それは単に福音主義キリスト者の目標ではなく、教会の創造者なる神のみ心なのです。ここにおいて、リー牧師の詩におけるこの叫びと、フランシスコ会の祝祷は、一つになります。願わくは、この私の内にも、一つとなりますように――。

 

(Ⅱテモテ 1:7) 「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」

 

- Mother Church

Church is female A mother by nature, Thus, is she called; The Mother Church

She creates, She gives birth to sons and daughters of God

Yet, for centuries she has been silenced by her own sons: denying her existence requiring her to be submissive and quiet!

Samuel Lee

0 コメント

2019年

5月

15日

◆まことの知恵を身に着けるために◆

1. 《主の教えの真の実践者を知る知恵》

私は、こんなクリスチャンのために憂いを募らせている。

日曜日には、「これらの最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(訳注 マタイ25:40)と言われたお方への愛を告白しながら、週日には、“これらの最も小さい者たち”を踏みつける政治家や、その応援演説者を支持する人たちのことだ。~マーク・サンディン(アメリカ長老派教会牧師)

【解説】 クリスチャンも、この世の市民として、選挙の時には、その人の公約、主張の内容、過去の業績などを可能な限り調べて、真に“最も小さい者”のために仕える政治家に一票を投じなければなりません。それもまた、“わたし(主イエス)にした”ことなのです。

I Grow weary of Christian who, on Sunday, profess their love for the one who said, “When you do it to the least of these you did it to me,” but spend the rest of the week supporting politicians and political platforms that step on “the least of these”

– Rev. Mark Sandin

 

2. 《真の賢さを知る知恵》

昨日の私は、才気ばしっていた。それで私は、この世界を変えようと思った。

今日の私は、分別を身に着けた。それで私は、自分自身を変えようとしている。

~ルーミー

【解説】 含蓄のある言葉だと思いませんか? でもこれは、翻訳者には頭を使う言葉です。“才気ばしった”と訳した原語はcleverクレヴァ―、“分別”と訳したほうはwiseワイズ、直訳すればどちらも「賢い」ですが、そのままやっては禅問答になってしまいます。前者は“頭の回転が早い”という意味で、その分“深さ”に欠け、アメリカ英語では“ずる賢い”という意味にもなります。後者は“思慮深い、分別のある”という意味で、経験に裏打ちされた賢さをいうのに使います。そこで上記の訳文になりましたが、ルーミーの言わんとするニュアンスは伝わったでしょうか? 人生のいろいろな経験は、人を賢くしますが、私たちは、霊的にも成熟していかなければなりません。それは“キリストのかたち”に似ていくということです(ガラテヤ4:19)。自分をそのままにしておいて周囲(人間関係・環境)を変えようとしても、決して変わりません。まず自分が変わることです。そのとき初めて、主の“奇跡”は始まるのです。

Yesterday I was clever, so I wanted to change the world.

Today I am wise, so I am changing myself. – Rumi

 

3. 《神様の本質を知る知恵》

私たちは皆、自分の“神学”で誤りを犯します。あなたも、私もです。

そこで私が提唱したいのは、“愛”の側に立って間違おうということです。

どうしてか?

それは、神は教義ではないからです。

神は教派でもない。

戦争でもない。

法律でもない。

憎悪でもない。

地獄でもない。

神は“愛”だからです。

~ブライアン・ザーンド

【解説】 この提唱者は、まず自分がクリスチャン生活で築き上げてきた神学の完全性を端(はな)から否定して、自分は誤る者であることを謙虚に認めています。これが成熟したキリスト者の在り方です。そのうえで、同じ誤るなら、「愛の側に立って間違おう」と呼びかけています。“愛の側に立って間違う”、この言葉、新鮮ですね。そして彼は、「〇ではない」として挙げた一つ一つの中に、今の世界のキリスト教の悲しい、おぞましい、主のみ心から遠く離れた現実を見ているのです。

教義・教派: 自分たちの教え、群れだけを絶対に正しいとし、他を受け容れない。

戦争: キリストの旗を掲げて、自国の権益を武力で拡大する。

法律: 法の名のもとに、事の背景には目をつぶり、行為そのものを罪と断じて罰する。

憎悪: “目には目を”で、自分や家族に損失・被害を与えた者を憎み、報復しようとする。

地獄: 信じない者に待つ地獄の恐ろしさを強調し、回心を迫る。

これらはいずれも、神様の“愛”のご本質とは相容れないものです。あなたの“神学”はいかがですか? 自分が何かをする前に、その大小に関わらず、「愛がなければ」という1コリント13章の言葉を自らに問いかけましょう。そしてこの世の“正しさ”の履行を求められたら、“愛”の側に立って間違いましょう!

We all make errors in our theology: you and me both. So my recommendation is to err on the side of love. Why? Because…God is not doctrine. God is not denomination. God is not war. God is not Law. God is not hate. God is not hell…God is Love. – Brian Zahnd

 

【FBギャラリー】No.43 アレグザンダー・エイヴリン 「花摘み」

0 コメント

2019年

4月

19日

◆真に人間らしく生きるための4つのキモ◆

1.      《“裁く”ことは心の盲目》 人を裁くことは、私たちを盲目にしますが、愛は、心を明るく輝かせます。他者を裁くことによって、私たちは自らの悪に目をつぶり、神が私たちと全く同じにようにその人にも与えられた恵みにも、目を閉ざしてしまうのです。

~ディートリッヒ・ボンヘッファー~

【解説】 このような短い文章を読んだだけで、あのナチスの牢獄で、わずか38年の生涯を終えた彼が、いかに深い思索をしていたかに改めて驚かされます。それは単に神をより深く知る“神学”だけではなく、この一文にいみじくも示されているように、十字架の前に明るみに出される人の心についての、いつの時代にも光を放つ深い洞察に基づいた“人間学”でもありました。きっと神様が、そのあまりに早い強いられた死を惜しんで、彼の思索を深め、後代の私たちに残されたのでしょう。

罪ある人間は、まさに“裁き”の中で生きています。あたかも裁き、裁かれて、孤独と痛みに耐えながら生きていくのが人生であるかのように――。けれど、人を裁くことは、自らの悪だけでなく、他者にも等しく与えられた神の恵みをも、見えなくしてしまう―この慧眼に、私たちは襟を正さなければなりません。実に裁くことは、己を誰よりも正しい者とし、他者を神の恵みに値しない落伍者とする、“自己中心”の罪の本質なのです。

(マタイ 7:1) 「さばいてはいけません。さばかれないためです。」

Judging others makes us blind, whereas love is illuminating. By judging others we blind our selves to our own evil and to the grace which others are just as entitled to as we are.

-Dietrich Bonhoeffer

2.      《人生には“思考”を止めるべきときが》

“頭脳”は、ずば抜けて優れた器官です。

一日24時間働き、

一年365日、休みなし。

それが誕生の瞬間から、続くのです――

あなたが恋に陥るまでは…。

【解説】 はい、最後の1行で笑えました? これはかなりエスプリの利いたユーモアですね。ここからあなたの心に浮かぶことわざは? そう、“恋は盲目”です。古来、あまたの人が恋に身を焦がし、一生を棒に振った人も、王位を捨てた人もいたわけですが、恋はいっとき、炎のように燃え上がっても、それを長続きさせることは至難の業ですね。でも、この面白い一節に対しては、私は同じ文脈でも、“愛は理性を超える”と言いたいです。健康、財産、学歴、家柄…、それら全てがあなたの理性に「やめといたら?」とささやいても、その人が神様を信じ、あなたを信じ、心から愛してくれたら、人としての常識は守りつつも、一生に一度、頭脳の産物である“理性”を超えて、愛を実らせたらどうだろうと思います。かく言う私は、神様のあわれみとみ言葉による召しによって、今は天にある妻にそうさせていただいたことを、この世のどんな成功よりも感謝しています。

The brain is the most outstanding organ. It works 24 hours a day, 365 days a year from birth until the day you fall in love.

3.      《誤解が趣味な人からは離れよう》

あなたを誤解しようと固く心に決めている人に

自分自身を分からせようと、

無駄な時間と労力を使うことは断じておやめなさい。

あなたの周りを、

”学び、成長する“ことに心を開かれている人で囲ませるのです。

~ディ・ライズボロー~

【解説】 人には、”自分を分かってほしい“という強烈な願望があります。でも問題は、それを求める相手をしばしば間違えて、一度限りの人生、かなりの無駄遣いをするだけでなく、時には心のバランスさえ崩してしまうことです。この勧めの1行目、ちょっと笑えました? 自分では気づかなくても、確かにそう決意しているに違いないと思わせるような人が、実は圧倒的に多いのです! 開かれた、柔らかい心を持った人は、少し話せばすぐ分かります。知ったかぶりをせず謙遜で、あなたの話に興味と関心を持ってくれる人――。そういう人を見つけたら、こちらから進んで友になることです。良き友を持つことが、人生でいかに貴重な財産であるかを、あなたは身をもって知るようになるでしょう。

'Never waste your time & energy trying to explain yourself to someone who is committed to misunderstanding you. Surround yourself with people who are open to learning & growing

—Di Riseborough

4.      《愛に条件を付けない》

主は、このようなことは決して言われなかった――

「身分証を持ってさえいたら、飢えた人を養いなさい。」

「同国人でありさえしたら、裸の人に着せてやりなさい。」

「危険性さえなければ、旅人をもてなしなさい。」

「特に都合の悪いことがない限り、貧しい人を助けなさい。」

「自分と“同類”の人でさえあったら、あなたの隣人を愛しなさい。」

~ジェイムズ・マーティン S.J.~

【解説】 これは、明らかにマタイ25:35-40のイエス様の教えをモチーフにしていますね。この5つの主が言われなかったこと、行われなかったことは、ひと言で言えば、“愛に条件を付けなかった”ということです。現実には多くの心の闘いがあると思います。勇気も要ると思います。でも、イエス様が、そして主の心を我が心としたマザー・テレサをはじめ世界のあらゆるところで良き業をしている心あるキリスト者たちは、愛によってこの恐れを乗り越えた人々です。私たちはまず、「主がなされなかったことは、決してすまい」と心して、いろいろなハンディを負った人々に接するべきですね。

(Ⅰヨハネ4:18) 「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」

What Jesus never said: “Feed the hungry only if they have papers.””Clothe the naked only if they’re from your country.””Welcome the stranger only if there’s zero risk.””Help the poor only if it’s convenient.””Love your neighbor only if they look like you.” – James Martin, S.J.

 

【FB金曜ギャラリー】 ボニー・クック 「お花畑のある家」

0 コメント

2019年

2月

02日

◆この世にあるキリスト者の生き方を問う6つの言葉◆

1.      《真実の重み》

全世界的に“欺瞞”が蔓延しているこの時代に在って、

”真実”を語るということは、今や“革命的行為”である。

~ジョージ・オーウェル~

(20世紀イギリスの作家、ジャーナリスト。著書「1984年」で知られる。)

In a time of universal deceit, telling the truth is a revolutionary act. – George Orwell

2.      《抑圧されて分かる痛み》

人間というのは、抑圧している人間は、何も感じないようにつくられてるのよ。何が起こっているのかを感じ取れるのは、抑圧された人間なの。人は、彼らと共に痛みを感じたければ、虐げられる側に身を置いてみない限り、到底分かるわけないわ。

~シモーヌ・ヴェイユ~

(フランスの哲学者。1943年、34歳の若さで死に、戦後、残された遺稿から、その思索の深さで有名になる。)

Human beings are so made that the ones who do the crushing feel nothing; it is the person crushed who feels what is happening. Unless one has placed oneself on the side of the oppressed, to feel with them, one cannot understand. – Simone Weil

3.      《“宗教”という名の非情さ》

”宗教”は、この世界には飢えた人々がいるという事実を確かめようとはしない。彼らは、“飢えた人々”を、“我らが飢えることを許した兄弟たち”と解釈するのだ。

【解説】 なんという現実錯誤! なんという愛のなさ! いやしくも”宗教者”の名を冠しながら、どこの世界に、他者に飢えることを許せる人がいますか。しかも口先では親しく“兄弟”と呼びながら。主語の“宗教”が、”キリスト教・キリスト者“とならないよう、自らの心を探るばかりです。

Religion does not confirm that there are hungry people in the world; it interprets the hungry to be our brethren whom we allow to starve.

4.      《搾取を礎にした繁栄》

我々は、資本主義が、“勤勉”と“犠牲”というプロテスタント倫理の中から成長し、繁栄してきたという”神話”を信じるように、自分自身を欺いてきた。事実はこうだ。――資本主義は、黒人奴隷の搾取と苦しみの上に建て上げられたものであり、今も、黒人と白人、そしてこのアメリカや世界の”貧困者”からの搾取によって、繁栄を続けているのだ。

~マーティン・ルーサー・キング Jr. ~ -1967年の演説「3つの社会悪」より

We have deluded ourselves into believing the myth that Capitalism grew and prospered out of the Protestant ethic of hard work and sacrifice. The fact is that capitalism was buit on the exploitation and suffering of black slaves and continues to thrive on the exploitation of the poor – both black and white, both here and abroad. – Martin Luther King Jr., The Three Evils of Society, 1967

5.      《“愛”は“愛して”初めて愛なのだ》

イエスを信じるということと、イエスに倣った人生を生きるということは別のことです。「神は愛です」と言うことと、神の愛を実践するということもまた、別のことです。人々は、私たちが口で言うことには興味を示しませんが、私たちが語ることをどう実践するかを見て、劇的に変わるのです。そのときに初めて、彼らは、私たちが分かち合いたいと願っている福音に対し、心を開いてくれるでしょう。

~サミュエル・リー~

(Ⅰヨハネ 3:18) 「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」

To believe in Jesus is one thing and to live a life after the His heart is another thing. To say our God is love, is one thing and to practice His love is something else. People are not intrigued by what we say, they are radically changed by how we practice what we preach. Only then, they will be receptive to the Gospel we intent to share with them.— Samuel Lee

6.      《真に聖書が分かる鍵とは?》

(次のイラストでご覧ください。)

【解説】 これはなかなか奥の深いイエス様の言葉です。確かにⅠコリント13章などを読むと、ズバリ“愛”の定義はできますが、そこで終わっては、本当に愛が分かったとは言えません。翻って、聖書の真髄は、あのイエス・キリストの十字架に表された“神の愛”です。ですから、その愛が、全身全霊で分かって初めて、私たちは聖書が分かったと言えるのです。このイラストでイエス様が言っているのは、旧約律法です。そのコアは、決して律法学者たちが理解していたような、命のない表面的律法遵守ではなく、心から“神を愛し、人を愛する”ことでした(マタイ22:37-40)。主は、この律法の真髄を、自ら人々を愛することによって人々に示し、その愛を、十字架の上で完成されたのです。私たちもまた、本当に聖書の奥義を知るためには、このイエス様の愛を実践しなければなりません。イエス様にとっては、「愛」は“言葉で定義づける”ものではなく、“聖書を解くために実行する”ものだったのです。

(マタイ22:37-40)「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

The difference between me and you is you use scriptire to determine what love means and I use love to determine what scripture means. - Jesus

0 コメント

2018年

12月

15日

◆ある祈り: あなたの証しのために◆

あなたの生活が、

あなたの口の言葉よりも

より声高く福音を説くものでありますように。

 

【解説】 訳者にとっても、とても新鮮で、自らの生き方を探られる祈りでした。「生活」と訳した原語lifeは、ご存じのように、「人生」「命」の意味も持っています。その意味も込めてこの祈りを味わいましょう。

私たちが救われた神の“福音”―救いの良き知らせ―は、今度は私たちが宣べ伝えなければなりません。それが私たちの“証し”ですが、それは、言葉だけではなく、日々の生き方によってもなされるものです。あなたのご家族、ご近所、学校、職場など、私たちの周りにいる100人のうち99人の人々は、まだこのすばらしい福音を知りません。そして、あなたがクリスチャンであると知ると、“クリスチャンとはどういう人なのか”と、あなたの一挙手一投足を見ています。そのとき、あなたの語る証しが行いを伴っていないと、「言ってることとやってることが違うね」と思われ、その人々の信仰への道は、遠ざかってしまいます。逆に、語る言葉はつたなくても、いいえ、何も言わなくても、その行いが、本当に“喜びと感謝と愛”に満ちていると、それは千の言葉よりも雄弁な、“福音の宣教”になるのです。

なぜこの祈りのオリジナルの画像が、2羽の小鳥なのかと考えながらイラストを見ているうち、イエス様の山上の教えを思い出しました。

(マタイ 6:26) 「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」 

私たちの“生活”は、この小鳥たちのように、労せずして、日々の必要を備えられ、天のみ父に養われ、“生かされている” 日々の積み重ねの“人生”です。かく言う私は、3年間の国際詐欺の被害で、今もその日その日を妻と共にかろうじて生きているのですが、不思議に守られています。そこから、口をついて出るのは、ただ「感謝、感謝」です。明日どうなるか分からなくても、今日を生かされている“命”の喜びがあふれてくるのです。これが“福音”でなくて何でしょうか?

この短い祈り、愛する同労者のために祈ると共に、まず自分自身のために、「あなた」を「私」に代えて、日々祈る者でありたいですね。

 

May your life preach more loudly than your lips.

0 コメント

2018年

12月

04日

◆写真は語る◆

《貧困がなくならない本当のワケ》

“貧困”は、

私たちが貧しい人々に食糧を供給できないからではなく、

金持ちたちを満足させられないから存在するのです。

Poverty exists not because we cannot feed the poor, but because we cannot satisfy the rich.

 

【解説】 “金持ちたちを満足させられない”のは、本質的に富める者が自分自身の富に満足しないからです。彼らの目は絶えず己の預金通帳に注がれ、この写真が告げる現実には一瞥もしません。自分の一夜の豪華な食事代で、100人の子供たちのおなかを満たせるという現実に…。

 

《強いられた笑い》

一人のジャーナリストが、

このシリアの少女に言いました。

「さぁ笑って!」

A journalist asked this Syrian girl to smile..

0 コメント

2018年

11月

15日

◆モーガン・フリーマン流”生き方 指南”◆

”自制心”とは、“強さ”である。

“冷静さ”とは、“統御力”である。

人は、誰かの取るに足らない行動によって

自分の情緒が揺れ動くことのないところまで達しなければならない。

あなたの人生の方向を、他人(ひと)が操るのを許してはならない。

あなたの感情が、あなたの知性を支配するのも許してはならない。

~モーガン・フリーマン~

 

Self-control is strength. Calmness is mastery. You have to get to a point where your mood doesn’t shift based on the insignificant actions of someone else. Don’t allow others to control the direction of your life. Don’t allow your emotions to overpower your intelligence. – Morgan Freeman

0 コメント

2018年

9月

27日

◆難民: 声なき声が聞こえますか?◆

故郷を離れ、

引き裂かれ、

人生半ばで、

全うしないまま、

思い出も打ち砕かれ、

波間に消えていった人々よ…。

 

~サミュエル・リー 「難民を想いて」~

 

Left home,

Torn apart,

Half,

Unfinished,

Broken memories, …

Gone with the waves, …

-Samuel C. Lee for the refugees-

 

【解説】 (Wikipediaより)  難民(なんみん、英: refugee)は、対外戦争、民族紛争、人種差別、宗教的迫害、思想的弾圧、政治的迫害、経済的困窮、自然災害、飢餓、伝染病などの理由によって居住区域(自国)を離れた、あるいは強制的に追われた人々を指す。その多くは自身の生命を守るため、陸路、海路、河路、空路のいずれかで国外に脱出し、他国の庇護と援助を求める。

現在の国際法では、狭義の「政治難民 (せいじなんみん、Political

Refugee)」を一般に難民と呼び、弾圧や迫害を受けて難民化した者に対する救済・支援が国際社会に義務付けられている。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)による2010年6月公表の統計では、2009年12月31日時点で世界における難民と庇護申請者の合計は1,138万人に上る。 地域別では、中東を含めたアジアが最大の難民(54.1%)を有しており、次いでアフリカ(22.1%)、ヨーロッパ(15.7%)の順だが、庇護申請者ではアフリカ(44.3%)が最も多く、次いでヨーロッパ(28.7%)、アジア(6.7%)の順となる。

0 コメント

2018年

9月

06日

◆人類とは?◆ ◆本当に大切なこと◆

◆人類とは?◆

 

「人類とは?」、と聞かれて、「地球破壊人」なんて答えが返ってこないように、一人一人が環境保護に心しなければなりませんね。

そこでこの皮肉たっぷりのボードを日本語版で。もとは以下の英語です。

 

Humans are the only creatures in this world who cut the trees, make

paper from it and then write “Save the trees” on it. 

 

◆本当に大切なこと◆

 

それに対し、私たちが真に目指すべき方向は、2番目のイラストです。元の英語は以下のとおり。

 

Father: Son, one day you will appreciate the truly important things

in life.

Son(adult):

Thanks, Dad!

0 コメント

2018年

8月

22日

◆現代に5000人のパンの奇跡は可能か?◆

問い: 現代に5000人のパンの奇跡は可能か? 答え: イエス様も、かなり苦労されると思われます。

0 コメント

2018年

8月

05日

◆人生は道◆

人生は“道”のようなもの、驚きに満ちています。

上り下りの連続です! 

今日のあなたは沈み込んでいるかもしれない。

でも明日はまた、上り道を歩みます。

道は険しいかもしれない。

でもあなたは、乗り越えて進むのです。

主に信頼し、最善を望みなさい。

~サミュエル・リー~

 

Life is like a road, full of surprises: ups and downs! Today you may

feel down, but you will be up again. It may be tough but you will overcome. Trust in the Lord and hope for the best—Samuel Lee

0 コメント

2018年

7月

12日

◆主よ、この矛盾に気づかせてください◆

◆サミュエルの書斎から◆

―主よ この矛盾に気づかせてください―

 

私が、自分の“信仰”についてい抱いている問題意識はこうです。

多くの人は、「イエスは人間を愛しており、神は愛です」と説きます。ところが、自分と“異なる”人々への私たちの接し方は、私たちが宣べ伝える愛とは全く相反するものです。

私たちは、まだ胎児である子どもたちの命は、異常なまでの熱心さで“守り”ますが、ひとたびこの世に生まれた人は、“憎む”のです!

私たちは、戦闘を支持し、戦争を鼓舞します。あたかもそれによって、今がいわゆる“終末の時”だという解釈を、たとえ人間の武力をもってしても実現しようとするかのように――。

~サミュエル・リー~

 

The challenge I have in my “religion” is that many of us preach that

Jesus loves people, and God is love. Yet the way we treat others who are different than us is totally contrary to the love we preach. We fanatically defend the lives of unborn children, and yet we hate those who are already born! We support battles and encourage wars so that our so-called interpretations of the end time will come true—even if by our human force.

--Samuel

0 コメント

2018年

6月

19日

◆何よりも“人間”であること◆

“人間らしさ”は、全ての宗教を超えるものです。

もし私たちが愛するすべを知らなかったら、

もし私たちが、他者(ひと)の苦しみや感情に配慮しないとしたら――

聖書の言葉を引用することなど全く無益ですし、

「私は神を愛する」と公言することさえ、明らかなウソになります。

~サミュエル・リー~

 

【解説】 この“宗教者の偽善”こそは、イエス・キリストが最も激しく糾弾したものでした。そして彼自身は、神のみ子でありながら、この地上で、最も“人間らしく”生きた人でした。それは、言葉の真の意味において、神のかたちに創られた人間として生きられたということです。キリスト者が、生涯の課題として目指すべき“聖化”は、決して己を聖句と瞑想の世界に閉じ込め、人間らしさから離脱していくことではありません。聖化とは、一日、一日を、神様が“かくあれかし”と創られた、愛とあわれみと優しさと思いやりにあふれ、それらを否定する罪と不正を憎み、断固として闘う勇気を持った“人間”にかたちづくられていく歩みです。自己中心の罪によって損なわれた真の人間性を、内なる聖霊のお力によって、少しずつ、少しずつ、取り戻していく生涯プロセスです。それこそは、キリストに従い、自らのうちに“キリストのかたち“が成ることをひたむきに求めていく歩みなのです。

 

(創世記1:27) 「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」

 

(ガラテヤ4:19) 「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」

 

Humanity is above any religion... if we don’t know how to love, if we don’t care about the suffering and the feelings of others—then quoting our bible verses are simply useless, even our claims

of loving God is simply a lie.

-Samuel Lee

0 コメント

2018年

6月

02日

◆イエスのようにイスラエルを愛する◆

 ある日、私たちキリスト者の目が開かれ、私たちのシオニズム(イスラエル支持運動)に対する盲目的な愛と支持が、多くの命を奪ってしまったということに気づく日が来るのではないかと、私は本当に恐れています。まさにあのナチスが権力を握る前夜、キリスト者や教会があの時代の社会的、政治的ヒステリー(集団興奮状態)に陥って、その結果、多くのユダヤ人の組織的計画殺人を引き起こした時のように、今日、私たちは”シオニズム”と呼ばれる理論・政治的信念を支持していますが、それは聖書的ではなく、イエスの教えに基づくものでもありません。多くのキリスト者がシオニズムを信奉し、その盲目的な愛は、それを批判する個々の人々の声を封じてしまっています。キリスト者として、私たちは、パレスチナ人とユダヤ人の間に立つ“ピースメイカー”(平和をつくる者)であるべきです。イエスが「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」(マタイ5:9)と言われたからです。このような時にあって、私たちには、イスラエルに向かって「正義に帰れ」と建設的に呼びかけた、エレミヤ、イザヤ、アモス、ミカのような預言者が必要です。

 もし私のメッセージが、シオニストの友に失望や不満を抱かせ、私の言葉があなたを動揺させるなら、ご心配なく、この投稿をブロックしてください。けれど、はっきりさせておきたいのは、私は反イスラエルの立場ではなく、私のイスラエルへの愛と熱い心が、このように公に語らせているのだということです。私はパレスチナ人を愛し、ユダヤ人を愛しており、私の夢は、彼らが平和のうちに共に住む日が来ることですが、この平和は、シオニズムや、ヒズボラ(イスラム教シーア派の過激派組織)や、過激派思想によっては、決してもたらされるものではありません。

~サミュエル・リー~

 

I am really afraid that one day, we as Christians will open our eyes and realize that our blind love and support for Zionism have destroyed many lives. Just like before Nazi’s came to power,

Christians and churches followed the social and political hysteria of their time which resulted to the systematic killing of many Jews., today we are supporting a system, a political belief called Zionism, which is not biblical, not Jesus-driven. Many Christians worship Zionism, and this blind love silences every person who criticizes it. As Christians, we should be “peace-makers” between Palestinians and Jews, for Jesus said: “blessed are the peace-makers, for they will be called children of God.” In times like this, we need prophets

like Jeremiah, Isaiah, Amos, Mica who constructively called Israel to come back to justice.

If my massage frustrates my Zionist friends, or if my words make you agitated, no worries—feel free to block me. But be assured that I am not anti-Israel, but my love and heart for Israel makes me speak openly. I love Palestine and I love Israel and my dream is that they will live together in peace, but this peace will never be achieved either by Zionism nor by Hezbollah

or radicals. (Samuel C. Lee)

0 コメント

2018年

5月

14日

◆死: このゼッタイ的な現実を前に◆

ちょっと立ち止まって、考えてください!

 

“人生”とは何でしょう? 私たち全ての人は、この世に生まれ、ある日、死んでいきます。“死”は、この点では差別しません。死は、あなたが何者であるか、どこの出身か、貧しいか金持ちか、移民かネイティブか、高学歴かなど一切 気にしません。私がこの目で人間を見て思うに、私たちは自分が思い込んでいるのとは裏腹に、この世界で最も進歩していない動物です。私たち人類を見てください。私たちは、破壊的な戦争を生み出す唯一の生き物です。他人(ひと)を憎み、赦すことができず、もっと欲しがり、心には怒りを蓄積させ、貪欲で、嫉妬深い者ですが、最後にはみんな死に、そこで全ては終わってしまうのです。

 人生とは、あえて生きにくくするに値するものでしょうか? 私たちが追い求め、探し求めたり憧れたりするもの、便利な道具や装置、富や所有物などの一切は、やがてある日、終わりを迎え、私たちはそのうちのどれ一つ、墓まで持ち込むことはできません。けれども一つだけ、いつまでも残るものがあります。それは私たちがこの世に名前と共に残す“自分”という遺産です。この世に何か“違い”をもたらすために、お生きなさい。

 

~サミュエル・リー~

 

Pause and Think for A While!

 

What is life about? We are all born and we all die one day. Death does not discriminate in this. Death doesn’t care who you are, were you come from, poor rich, migrant, native, or highly educated.

When I look at humans, I think, unlike what we believe, we are the least advanced creatures in the world. Look at us humans: we are the only creatures that creates destructive wars: we hate, we cannot forgive, we want to have more, we store anger in our hearts, we have greed, we are jealous, but in the end we all die and everything will be over.

Is life worth making it difficult? All the things we are chasing, looking after or longing, tools and gadgets, wealth and possessions, will finish one day, we cannot take them to our graves, but one thing will always remain and that is the legacy and the name we leave

behind. Live to make a difference!

 

—Samuel Lee

0 コメント

2018年

5月

01日

◆人生は”選択”◆

 私たちは、自分のすることに責任がありますので、人生は、かなりの部分が、私たちのなす“選択”にかかっています。

 牧師も、教師も、教導者も、友人でさえも、あるところまで私たちを助け、忠告し、案内することはできますが、そこまでであって、そのあとは、私たち自身が“選択”し、自分の人生を生きることになるのです。

 けれども、くれぐれも私たちの選択は、他者を傷つけることなく、その人を“高め”、持てるものを増し加えるものとなるように心しなければなりません。

~サミュエル・リー~

 

Life is for a large part about

choices we make as we are responsible for the things we do. A pastor, a

teacher, a guide and even a friend can only help us, advise us or guide us

until a certain point, for the rest we have to make our choices and live our

lives. However, we have to make sure that the choices we make do not damage

others but build them up.

—Samuel

Lee

0 コメント

2018年

4月

08日

◆私にとって、M・L・キングJr.博士とは誰か?◆

毎朝、オランダ、アムステルダムのファウンデーション・アカデミーにある私のオフィスに入るたびに、マーティン・ルーサー・キングJr. の写真が、彼の最も有名な言葉 「私には夢がある」と共に、私を迎えてくれる。この言葉は、私がここアムステルダムで、私が持っているささやかな力をもって行っている、私の黒人の兄弟姉妹たち、またこの社会のさまざまな少数グループの人たちの“声”になろうと努める仕事を続けることを、内から奮い立たせてくれる。過去500年間、私の黒人の兄弟姉妹たちは、組織的な人種差別、奴隷制度、人種売買を味わってきたし、現代においても、彼らは隠された偏見と人種差別に直面しているのである。

 もうすでに24年間にわたって、私はアムステルダムにおいて黒人の方々と関わってきた。幾度となく私は、差別され、拒否されたために、涙ながらに私のオフィスを訪れた私の学生たち、友人たち、教会の家族たちに会ってきた。ほんの数週間前も、そんな私の学生の一人で3人の子供の母親である女性が、こんな経験をした。クラスに向かう地下鉄の電車の中で、彼女が神学書を読んでいると、隣に座っていた2人の大人が、冷やかすようにこう言った。「あんた、何をやろうとしてんだ? 白人と同じように振る舞おうとでも考えてんのか? 本てのは白人のものなんだよ!」 彼らはそんなことを言ったのだ! 私は、ほとんど毎週のように聞いている多くの似たような事例を、いくらでも挙げることができる。私の西欧人の友人たちの中には、こんな反応をする人がいる。「今まで、うまくやってきたろ?」「忘れろ。500年前の話だ」彼らはそう言うのだ。それに対する私の答えは、さしずめこうだ。 「ああ、たぶん君はうまくやってきたかもしれない。でも私が毎日関わっている人たちは、500年前に起こったことのゆえにではなく、今も起こっていることのせいで、いまだに苦闘し、精神的に苦しんでいるんだ。」 法的に言えば、黒人の人々に対する人種差別や偏見は、法律上は禁じられているが、それは多くの人々の心の中ではひそかに生きていて、人々の毎日の振る舞いの中に、蛇のように忍び込んでいる。―目には見えず、隠され、巧妙に、そして容易には突き止められないような形でではあるが、それは紛れもなく生きているのだ!

 キング博士の残した遺産は、継承されなければならない。誰も、キング博士のようにはなれないが、私たちが影響を及ぼせる小さな領域で、私たちは彼の足跡を追って歩き、行動できるのである。
~サミュエル・リー~
----------------------------------------------------------------------------
◆1968年4月4日 キング牧師暗殺50周年に寄せて◆
―キング牧師は、今も叫ぶ―

“不法”は、どこであろうとも、“正義”に対する脅迫である。

~マーティン・ルーサー・キング Jr.~

(訳 小川政弘)

Who is Dr. Martin Luther King Jr. to me?
Every morning as I enter my office at Foundation Academy of Amsterdam, the picture of Martin Luther King Jr. welcomes me with his most profound words: “I have a dream...”. These words give me inspiration to continue with the work I am doing here in Amsterdam---trying with my little strength that I have---to be a voice for my black brothers and sisters, as well as for any marginalised groups in the society. In the past five hundred years, my black brothers and sisters have experienced systematic racism, slavery, human trafficking, even currently they are confronted with hidden prejudices and racism.
Already for 24 years I have been involved with the African community in Amsterdam. Many times, I have had students, friends, church families coming to my office full of tears, because they have been discriminated or rejected. Just few weeks ago a black student of mine, a mother of three kids, while she was reading her theology books in the metro on her way to the class, two adults who sat next to her asked her sarcastically: “What are you trying to do? Are you trying to act like white folks? Books are for whites!” they said! I can go on with many examples that I hear almost every week. Some of my western friends, often react like: “have we not dealt with this?” Or “Get over it, it was 500 years ago” they say. My answer to them would be; “yes, perhaps you have dealt with it, but those with whom I am involved every day, are still struggling, internally suffering not only because of what happened five hundred years ago, but also because of what is happening today.” Technically, racism and prejudices against the black people are forbidden in the lawbooks but they are secretly alive in many people’s hearts and like a snake they slip into people’s daily conducts: unseen, hidden, tricky and not easily traceable--- but they are there!
Dr. King’s legacy must continue, none of us can be Dr. King, but in our little spheres of influence we can walk and operate in his footsteps.

Samuel Lee

0 コメント

2018年

2月

16日

◆あらゆる差別は”罪”なのです◆

今なお、多くの信仰者たちは忘れています。人種主義、偏見、自民族中心主義、差別、無視、不法への無関心、他者の排斥、偏狭、そして文化的尊大主義が、重大な“道徳的違反”であるということを――。不幸にも、私たちの宗教用語では、それを“罪”とは呼ばないのです。

~サミュエル・リー~

 

Yet, most religious folks forget

that racism, prejudices, ethnocentrism, discrimination, ignorance, apathy towards injustice, exclusion of others, narrowmindedness, and cultural arrogance are serious offenses. Unfortunately, in our religious language, we do not address them as "sin".

- Samuel Lee

0 コメント

2018年

1月

26日

◆我が望み◆

私は望みます。

ある日

美しい花々が

世界中の銃器と

入れ替わることを。

 

そして――

 

音楽が

全ての戦いの阿鼻叫喚と

入れ替わることを。

 

全ての戦闘は

終息を迎え、

 

私たちが

殺し合う代わりに

互いにダンスに興じる道を学ぶことを。

 

私は望みます。

ある日、どこか

この地平線のかなたで

私たち全てが

愛し、愛されるすべを

学ぶことを――。

 

~サミュエル・リー~

 

I wish

that

one day

beautiful flowers

will replace

all the guns in the world,

 

And

 

music will replace

all the horrible sounds of war,

 

that every battle

will end,

 

that we learn

to dance

instead of killing one another,

 

I wish

that one day

somewhere over the horizon,

we all learn

to love

and be loved,

 

-Samuel Lee

0 コメント

2018年

1月

09日

◆ビジョンを掲げて◆

あなたが、そのために労苦するに値するビジョンを持っているならば、人々があなたをどう思おうと気にすることはありません。状況が、そのビジョンに対してどれほど厳しいものであろうと、どうってことはない。人々が、あなたのビジョンをバカにしたり、けなしたりしても、構うことはないのです。

勇気を持ち、大胆でありなさい。あなたのビジョンがその細部に至るまでも実現するときまで、前進し続けなさい。歴史は、そのようにして、トマス・エディソン、マンデラ、マザー・テレサ、ツツ司教、マーティン・ルーサー・キング、そして“夢を見た”数々の男性、女性たちを生んだのです。

諦めず、希望を持ち、夢を見ましょう。ハッピー・ニュー・イヤー!

~サミュエル・リー~

 

When you have a good vision worth

suffering for, it doesn't matter what people think of you, it doesn't matter

how hard the circumstances are against your vision, it doesn't matter if people

ridicule your vision or discourage you. Take courage and be bold, move further

until every comma, every sentence and every point of your vision will come to

pass. That is why history has known people like Thomas Edison, Mandela, Mother

Theresa, Bishop Tutu, Martin Luther King and every man and women who dreams.

Let us not give up, let us hope, let us dream. HAPPY NEW YEAR!

--Samuel Lee --

0 コメント

2017年

12月

26日

◆処女マリアとエバ◆

《一枚の絵が語るクリスマス前夜(イブ)物語》

 

【天上のエデンの園で】

エバ 「マリア、あなたは結婚前に身ごもったのね。ああ、なんて言ったらいいの? あなたのいいなずけヨセフは、私の夫アダムの血が流れる遠い子孫よ。そしてアダムと私は神様に最初に創られた人間。でも、私が、この足に絡みついている蛇に姿を変えたサタンの誘惑に負けてしまって、この実を食べてしまったの。神様に決して食べてはいけないと言われた善悪を知る木の実を…。それで私たち夫婦の心に罪が入り、全ての人が罪を犯すようになってしまった。せっかく神様の時が満ちて、あなたが救い主を身ごもったというのに、私がこの禁断の実を食べてしまったばかりに(赤い実を握りしめて)、あなたもまた罪の子を産んでしまうのかしら。」

マリア 「(エバのほほを優しくなでて) そんなに悲しまないで。安心して、エバ。生まれてくるこの子に罪は宿らないわ。(一方の手を臨月間近いおなかに置いて)ヨセフが天使ガブリエルのお告げを受けたの。『ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。』って。そう、今このおなかの中にいる子は、聖霊の子。私は罪びとの一人にしかすぎないけれど、この子はきっと罪を持たないで生まれてくるわ。だってこの子は、神様が先祖たち、そう、あなたにも約束された世界の救い主なのよ。」

エバ 「…そう? そうなのね? うれしい!(マリアがおなかに置いた手をしっかり握って) マリア、私が食べてしまったこの実は、罪で呪われてしまった。でも、あなたの胎の実は、すばらしい救いを人々に与えるのね。」

マリア 「エバ! 私、同じ言葉を親族のエリサベツからも聞いたわ。私、エリサベツも年老いてもう子供を産める体ではないのに、神様に子供を授かったってみ使いガブリエルから聞いて、もううれしくて彼女の家を訪ねたの。そしたら、彼女はそれは喜んで、 『あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。』って叫んだのよ!」

エバ「そうだったの…。(足元に目をやって)あ、マリア、あなた、蛇の頭を踏んでるわ! これって…。」

マリア 「あら、ほんとね。いつの間に…。なあに、エバ、『これって』って?」

エバ 「思い出したのよ。アダムと私が、神様にこのエデンの園を追われる時、神様はサタンの化身の蛇にもこんな裁きを下されたの。『わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。』って。『お前の子孫と女の子孫』って、つまりサタンと人間の子孫ってことでしょ?」

マリア 「そうよ。そしてね、この子孫というのは、天使の言うには、人として生まれる“一人の特別の人”のことなんですって。」

エバ 「じゃぁ、そのお方って…イエス、イエス様ね!」

マリア 「そう。だから、母の私が、まるでその前触れみたいに、いつの間にか踏みつけてしまったのかしらね。」(マリア、ほほ笑む。) エバ 「イエス様はやがてサタンの頭を踏み砕く。でも彼は、イエス様のかかとにかみつく…。これって、イエス様もサタンに苦しめられるってことでしょう? イエス様はどうなるのかしら。」

マリア 「それは、私にも分からないわ。でも、先祖イザヤが預言したように、この子は世の人々を救うために、苦しまなければならないの。それがこの子の定めなのです。エバ、私は今夜、この子を産みます。この子のこれからの歩みを、どうか見守っていてね。あなたは天上で、私は地上で、この子と共に――。」

ナレーション (その夜、マリアはベツレヘムの家畜小屋で、イエスを産みました。羊飼いたちに見守られ、東方の博士たちに拝されながら――。その出来事は、聖書に記されています。でもこれは、聖書には記されなかった、天上でのクリスマス前夜(イブ)物語。マリアは、我が子イエスがどのように生涯を終えるのか、その時には知る由もありませんでした。でも、彼女はいつもそのことに思いを巡らしていました。そしてやがて十字架のイエス様のもとにたたずみ、太い釘で打ち抜かれた主の足を見た時、エバが聞いたサタンへの神の裁きの意味を全て理解したのです。そしてまるで自分が槍で胸を刺し通されたような悲しみの中にも、ひそかに確信したのでした。「今ここから、この子の“救い主”の歩みが始まるんだわ」と――。

 

(脚本) 小川政弘 (聖書参考箇所: 創世記3章、イザヤ書53章、マタイ1:20,21、ルカ1:42、2:35、3:23-38)

《ライターから一言》 この絵、初めて見る、ある意味不思議な、でもなぜか心に残る絵ですよね? シスター・グレイスが、深い瞑想のうちに、示されて描いたものなのでしょう。私もなぜかこの絵の前から立ち去りかねて、”天上のクリスマス前夜”に思いを馳せていたら、こんなシナリオが書き上がりました。 (アーティスト) 「処女マリアとエバ」 (クレヨンと鉛筆画)シスター・グレイス・レミントン(厳律シトー修道会)

 

Virgin Mary and Eve Crayon & pencil drawing by Sr Grace Remington, OCSO © 2005, Sisters of the Mississippi Abbey

0 コメント

2017年

12月

14日

◆語れ 黙っているな◆

―語るのです―

 

「真実を語りたまえ

たとえ あなたの声が震えるとしても――。」

 

―黙っていないで―

 

いや! 私は、

それが起こるのを見た人が

口をつぐむさまに抱く恐れほどには、

悪を恐れたりはしない!

 

【解説】 今日は、サミュエルのシェアした記事2つが、同じテーマだったので、コラボしてみました。最初のは、家の壁に書かれた一種の落書きですが、なんという訴求力を持った言葉でしょう。私たちの声は、本当に震えるのです。とりわけ、真実を語りづらい状況の中で語るときは! 心の中で、「言おうか、言うまいか」と迷います。「これは言うべきだ。言わなきゃならない。」でも、それを語ったあとに起こることを考えたら、何度も「やめとこう」と思います。でも意を決して話し始めるとき、私の声はもう上ずり、どもり、震えるのを感じます。…でも、真理は語らなければならないのですね。

 2つ目は、“沈黙の罪”についてです。この罪は、決して刑法にも民法にも触れる心配はありません。懲役や罰金の心配もありません。でも、“神法”に触れるのです! 天の法廷の裁きの座にいますお方の前で、「見たこと、聞いたこと」について、正直に語らなかった“良心の不作為罪”に問われるのです。著者は、もちろん悪を恐れています。その仕掛け人であるサタンの怖さを知っていますから、私たちは誰でも悪を恐れます。それでも、この“真実に対して沈黙する”ことの恐ろしさに比べたら、物の数ではないというのです。なぜなら、その沈黙から、ありとあらゆる悪と腐敗が、国家大にまで蔓延していくからです。

 最後に、この「真実」と訳した言葉、truthトゥルースは、「真理」とも訳せますので、それに置き換えてみてください。それこそは、私たちが、時が良くても悪くても、語らなければならない「福音」です。聖書から、3つのみ言葉を引用して、同じような状況に直面しながら、殉教の死に至るまで“語り続けた”私たちの“生き方モデル”に聞いておきましょう。

① ペテロはイエス様の十字架刑の前に、三度も主を否定した臆病者でした。その彼が、復活の主に出会って全く変えられ、大祭司や民のリーダーたちの前で言い放った言葉です。

(使徒4:20) 「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」

少し前の7節には、「ペテロは聖霊に満たされて」とあります。これが私たちの“語る力”の源です。

② 性的に乱れに乱れた退廃の町コリントで、さしものパウロも福音を語ることに恐れと無力感を感じていました。その彼に、ある夜、復活のイエス様が幻の中でこう語りかけました。

(使徒18:9,10) 「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。」

私たちにも、祈りの中で、この主のみ声を聞くことが必要です。真実・真理を語るとき、私たちは決して独りではない。このお方が、どんな状況の中でも、あなたの“同伴者”なのです。

③ そのパウロが、同労者に絶えず言った言葉は、「私は主が一緒だから大丈夫」ではありませんでした。彼は事あるごとに、彼らにこの願い事をしたのです。

(エペソ 6:20) 「私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」

弱い私たちは、信仰の友のために祈り、自らも祈られて、“語る勇気”を与えていただきましょう。

0 コメント

2017年

12月

08日

◆内村鑑三:戦争の不道徳性◆

「我ら勝てり。」「我ら敵を撃破せり。」 かかる報道は、我らが同胞たる市民の苦しみを完全に忘却させてしまうものである。戦争は、人々の理性を奪うだけではなく、人間性をも奪ってしまう。人々は対戦国に敵がい心を燃やし、己の同胞に思いを致さなくなる。およそ戦争ほど、人々の共同体に対して非人間的かつ破壊的なものはないのである。戦争は実に、人間を野獣と化すものである。

~内村鑑三~

 

【解説】 内村鑑三の「非戦論」は、“戦争”そのものの持つ罪性と非人間性を徹底して糾弾しました。日清・日露両戦争の大勝利に沸く日本人にとって、彼は、あの有名な「不敬事件」も重なって、明らかに“非国民”でしたが、彼はひるみませんでした。彼の信念の根底にあったのは、「聖書」に対する揺るぎなき確信です。

  一方で彼は、当時の教会の様々な人間的腐敗に失望して“無教会主義”を唱えました。結果的に新約聖書の大きなテーマの一つである、パウロたち初代使徒による“教会形成”の苦しみを放棄したという点では、彼の聖書理解は、聖書信仰+教会形成+社会的責任という“包括的福音主義”の中核を欠いていたとも言えますが、上記の短いコメントを見ても、日本人はもちろん、一般市民に対する彼の同胞愛は、紛れもなく神の人類に対する愛を根幹にしています。その意味で、彼の心の中では、愛する同胞が、彼の“教会”だったのかもしれません。

 いずれにせよ、今私たちが刮目すべきは、この“不戦”のメッセージの時代を超えた普遍性です。訳は、あえて約1世紀前、1920年代当時の語調でやってみましたが、そのメッセージはいささかも色あせることなく、まるで現代のこの日本に向けて、いえ、世界に向けて発せられたような緊迫性と真実性を持って迫ってきますね。彼はあの時代に神が日本と世界に送られた“預言者”でしたが、私たちキリスト者も、神様に平和のメッセージを託された“小預言者”です。このメッセージを、言うべき時に、言うべき場所で、私もまた言えるかどうかを神様に問われていることを、忘れてはなりませんね。

 

IMMORALITY OF WAR “We have won. We have beaten our foes.” The news made us completely forget about our fellows’ sufferings. War makes people not only irrational but also inhuman. People become hostile to their enemy and ignore their fellow citizens. Nothing is so inhuman and destructive to a community as war. War makes people animal. Uchimura Kanzo

0 コメント

2017年

11月

21日

◆友へ: ありがとう。愛しています。◆

愛するFBの友へ。今日を目いっぱい楽しんでください。

たとえ多くはなくても、あなたの周りのよき友たち一人一人の存在のありがたさに思いを馳せてください。

彼らがあなたに与えてくれた愛、配慮、思いやりに感謝してください。

時として、人生は多忙を極め、ストレスに満ちていて、そのために私たちは、自分の周りのよき人々一人一人に感謝できずにいます。ともすれば考え方がネガティブ(否定的)になり、言葉も辛らつな嫌みになってしまい、周りのこんなにもすてきな人々のことを忘れてしまうのです。

私はただ、「ありがとう」を言いたい。全ての私の友、妻、家族、チームメンバー、私の教会の兄弟姉妹など、私を気遣い、支えてくれる人たち、私を信じてくれる人たちに――。私はあなたを愛しています。

~サミュエル・リー~

 

【訳者ひと言】この言葉は、私の、あなたの言葉ではないでしょうか? 私たちも、愛する人々に贈りませんか?

 

Dear friends, try to enjoy today.

Appreciate all the good people around you, even if they are not too many.

Appreciate the love, the care and attention they give to you. Sometimes in

life, we are bussy and stressed and because of that we do not appreciate all

the good people around us, we tend to be negative and sarcastic, we forget all

these nice people around us. I just want to thank you all who are my friends

and care for me, my wife, my family, my team, my church family, those who

believe in me... I LOVE YOU

—Samuel Lee

0 コメント

2017年

11月

11日

◆痛みに国境なし◆

人間の痛みと苦しみの物語は、まさに万人共通の普遍的なもので、文化や、肌の色や、宗教や、地理的な環境に縛られるものではありません。したがって、その文化的、地理的、宗教的違いによって、ある苦しみは別の苦しみよりもひどい、などということはないのです。それが広島であれソウルであれ、エルサレムであれベツレヘムであれ、がんで我が子を失ったイスラム教徒の母親、パリの爆発事件で兄弟を亡くした無神論者、カバンいっぱいに悲しみとトラウマを詰め込んで地中海の岸辺に乗り上げたシリア難民であれ、あるいは組織的に差別されているバハーイー教徒であれ宗教的ファンダメンタリスト(原理主義者)に嫌悪されている性的少数者であれ…、まだまだ挙げられますが、ある苦しみは他の苦しみよりも上をいくということはあり得ません。

 人間の痛みと苦しみは、全ての人に共通であるからこそ、普遍的で、文化を超え、宗教を超えた愛が強く求められます。その愛が、それぞれの傷を包み、感じ取り、触れ、そして結果的に癒やすことになるのです――。

 

~サミュエル・リー~

 

The story of human pain and

suffering is so universal, it is not bound to culture, color of skin, religion

or a geographical setting. Therefore, one suffering can not be placed above

another suffering because of its cultural, geographical or religious settings.

Whether Hiroshima or Seoul, whether Jerusalem or Bethlehem, whether a Muslim

mother who lost her child because of cancer or an atheist who lost his brother

in a bomb attack in Paris, or a Syrian refugee with a full bagage of sorrow and

trauma landed at shores of Mediterranean Sea, whether a Baha’i who is being

systematically discriminated, or a LGBT who is being hated by religious

fundamentalists, yes I can go on and on—� no

suffering should be placed above another suffering.

Human pain and suffering is so

universal, and thus it demands a universal, transcultural, trans-religious

unconditional love to grasp, feel, touch and eventually heal its wounds.

Samuel Lee

0 コメント

2017年

10月

31日

◆”常識”に働きの場を!◆

 牧師として*1、また社会正義の活動家として、私は同信の友らに*2、“常識”を用い始めるように強く勧めます。多くの”霊的な”クリスチャンにとって、”常識”という言葉はタブー(禁句)になっています。彼らは、山をも動かす信仰については大いに強調しますが、人に対して、愛と尊敬をもって接するにはどうすればいいのかを知りません。あるいは、天の隠された奥義を示してくれる聖霊には焦点を当てますが、この地上における、彼ら自身の日常生活の実態については知らないのです。

 “常識”の欠如は、多くの人々に、牧師やリーダーを“神”として崇拝させます。彼らが、私たちを自由に操り、私たちの経済状態や、結婚や、仕事などに介入することを許します。それらの全てを、彼らは“神のみ名によって”するのです!

 “常識”は、ともすれば“信仰一筋”の中で忘れてしまいがちな“人間性”を、私たちに思い出させてくれます。私たちは、物事を“霊”の世界から見ます。未来を予言し、過去について解釈を施し、今の世界を霊的に分析し、国々を霊において征服し、迫りくるリバイバルを高らかに喧伝しますが、実生活の中で、ごく小さなことから、より深刻なことに至るまでの問題を抱え、闘いのさなかにある妻や、夫や、子供たちのことはないがしろにしています。私たちは、自らが“父”であり、”母”、“姉妹”、“兄弟”、“息子”、“娘”、そして“友”であることを忘れてしまったのです。

 

 私たちは心から神を愛しますが、居住外国人や、社会的弱者に対する愛の心を持たない為政者*3に投票します。我々には“常識”が必要なのです! 

私たちは、性的少数者に対しては激しく敵意を表しますが、一方新聞などでは、毎日のように、聖職者、説教者、さらには信徒までが、権威を濫用して数えきれないほどの子どもたち(女子も男子も)に性的虐待をしたこと、そして今も虐待を繰り返し、ひそかな闇の生活を続けていることを目にします。我々には“常識”が必要なのです! 

私たちはイエス様を愛し、愛についてのメッセージをしますが、多くの人々はイスラム教徒を憎み、第二次大戦前のヨーロッパで、あるキリスト教徒たちが、ユダヤ人を迫害することによって果たしたのと同じ役割を演じています。我々には“常識”が必要なのです!

 私の言葉が、お読みの方のうち、どなたかを不快にさせ、私の書いたことが、どなたかを“威嚇されてる”と思わせたなら、謝ります。でも私は、あなたに今こそ“常識”を用いていただくために、語ることを心に決めたのです。

~サミュエル・リー~

 

【解説】 キリスト教の世界には、いわゆる福音派と社会派の対立ということが、しばしば話題になりますが、この文章は、一見、”霊の世界”と”現実の世界”の対比という点で、同じように思えますが、それとは違います。著者が言いたいことは、神の福音の中に、“人間性”を、またその具体的な指標としての”常識”を受肉させよ、ということだと思います。現実に罪の中に生きる闘いをしている人々に、人間として当たり前の、愛の行動ができないキリスト教は、もはや福音ではない。人間としてやってはならない搾取や虐待や差別をしている者を目の前にして、人間の常識として、“否(いな)”の声を上げられないキリスト教は、講壇からいかに霊の世界の奥深さを語ろうが、生きた人間を救う力にはなりえない――。

 罪によってゆがめられているとはいえ、誰しもの心の内にある“人間性”、そしてしばしば直感的に悪を見抜き、なすべき善を促す“常識”もまた、人をご自身のかたちに創られた神様からの大いなるたまものであり、神志向の世界で生きるうちに、いつの間にか失ってしまいがちな大切なものなのだということに、気づかせられますね。

 なお訳注として、*1、*2の原文には、著者の属する「ペンテコステ派の」という言葉がありましたが、これは一教派の問題ではなく、キリスト者全体の問題ですので、訳では省きました。また*3「為政者」の原語は「大統領」ですが、これも、首相を含め、広く全ての政治リーダーに当てはまりますので、このように訳しました。

 最後に、このイラストは、著者の主張点をよく表しています。真ん中の標識の意味は、この訳文のタイトルとして出しました。左上は“偽”の説教者に、だまされて自らはがりがりに痩せながら、せっせと食べ物を貢いで太らせている教会員。右上は、本文の悪しき為政者の代表として、メキシコとの国境に壁を造ろうとしているT大統領、左下は、弱者の女性(イスラム人でしょうか)に高いところから「謝れ!」「お前が悪い!」と次々に重荷を負わせている特権階級の人々、そして右下は、…説明もはばかられます(日本も例外ではありませんでしたね)。

 

Common Sense

 

As a Pentecostal pastor, and a

social justice activist, I am urging my fellow Pentecostals to start using

their common sense. “Common Sense” is a taboo word for many spiritual

Christians who put lots of emphasis on faith that can move mountains but don't

know how to treat others with love and respect, or they focus on the Spirit who

can show them the invisible secrets of heaven, yet they don't see the very

reality of their own daily lives, here on earth.

The lack of “Common Sense” makes

many of us worship our pastors and leaders as gods: we permit them to

manipulate us, intervene with our finances, marriages, and jobs—all this in the

name of God! “Common Sense” reminds us of our humanity because we as religious

folks often forget our humanity. We see things in the “Spirit” – prophesy about

future, we offer interpretations about the past, we analyze the world by the

Spirit, we conquer nations in the “Spirit” we proclaim “revivals” that are

about to come, but we neglect our wives, husbands or our children who are

battling in life from simple things to more serious problems. We have forgotten

to be “fathers”, “mothers”, “sisters”, “brothers”, “sons”, “daughters”,

“neighbors” and “friends”.

 

We love “God” so much but we vote

for presidents who have no heart for the strangers, and the fragile. We need

Common Sense! We love Jesus so much, and we stand up for the unborn, and pray

against abortion clinics but ignore those who are already born: the refugees,

the undocumented immigrants. We need Common Sense! We hate LGBTs with a

consuming passion, and yet we read daily in the newspapers about our priests,

clergies, preachers and even laymen who have abused and still abusing thousands

of children; girls and boys and go on with their secret lives. We need Common

Sense! We love Jesus and preach about love, but many of us hate Muslims and

playing the same role as some Christians did in Pre-World War Europe by hating

the Jews. We need Common Sense! I am sorry if my words offend some of you or if

my writings intimidate you, but I have decided to speak for “Common Sense.”

 

--Samuel Lee

0 コメント

2017年

8月

15日

◆現代の”偶像神”を拝するなかれ◆

良き“市場開発力”と“広告戦略”を一つに取り入れた“大物”伝道者たちの成功物語が、新たな“聖い名士たち”ともいう言うべき、クリスチャンリーダーのエリートグループをつくり上げています。彼らの足元には、過剰な注目と、栄誉と、気遣いと富が“かしずいて”おり、しばしば巧みな市場操作とメディアによって、彼らを、金や富の扱い方を知らない“スター”に変えます。彼らは名声と、誇りと、金に翻弄され、道を見失ってしまいます。次第に彼らは、“権力臭”を放ち始め、肉欲に身を任せ、結果的に、金銭と性における“高潔性”を失ってしまうのです。多くのリーダーたちは、キリストを人生の絶対的な尺度にする代わりに、これらの“大物”伝道者をマネます! けれども、彼らの多くはしょせん“大物”伝道者にはなれないので、行き着くところは、フラストレーションに陥り、自分の会衆たちを操ろうとし始めます。しまいには、“燃え尽きる”のです!

“神の人”(男女を問わず)を模倣するのはおやめなさい。著名な伝道者を“崇拝”してはいけません。むしろ、彼らに代わり、イエスを礼拝するのです!

 

~サミュエル・C・リー~

 

The “success” stories of the

superstar evangelists combined with a good marketing and advertising strategy

have created an elite group of Christian leaders – the new “holy” celebrities.

The extra attention, honor, care, and wealth which are being laid at their

feet, (often through manipulation and media) turns them into stars who do not

know how to deal with money and wealth. They are lost in fame, pride and money.

Gradually, they begin to smell power and give in to lust which results in

losing their financial/sexual integrity. In place of taking Christ as the

absolute measurement of life, many leaders imitate these superstars! Since many

cannot be superstars, they end up in frustration and start manipulating their

congregation. In the end, they burn out! Stop idolizing the “Man / Woman” of

God. Stop worshiping famous preachers, rather worship Jesus instead!

-- Samuel Lee

0 コメント

2017年

8月

12日

《詩》◆ 愛 ◆

愛は どこにでもあります。

もし私たちが、

“感じる心”と、

“想像する知力”さえ持ち合わせているなら――。

 

混じりけのない愛は、

小さなことの中に見いだされます。

愛はそんな遠くにはない。

愛は近くにある。

愛は あなたの内にあるのです。

 

~サミュエル・C・リー~

 

Love is everywhere
If only we have eyes to see
Hearts to feel
Minds to imagine

...

Pure Love can be found
in little signs,
Love is not too far
Love near
Love is within you.

--Samuel Lee

0 コメント

2017年

7月

28日

◆私は橋になりたい◆

もし私が、自分の人生と結び合う一つの物になることを選ぶとしたら、私は“橋”を選ぶ。

橋は頑丈で強い。それは人々や、思想や、文化を結び付ける! 

橋は“他者”がその上を歩くことを可能にする。

時には優しい足取りで、時には荒々しく踏みつけながら――。

それでも橋は決して崩れ落ちることはない。

私は、”壁”になるよりは、むしろ“橋”になることを選ぶ。

 

~サミュエル・C・リー~

 

If I may choose an object that

associates with my life, I choose “Bridge”. The bridge is firm and strong; it

connects peoples, ideas, and cultures! It allows the “other” to walk on

them—sometimes; gently and sometimes harshly trampling, yet the bridge never

breaks down. I rather choose to be a bridge than a wall.

-- Samuel Lee

0 コメント

2017年

7月

16日

◆シャイン 輝いて!◆

あなたの人生が、

あなたをどんなところに連れていこうと、

シャイン 輝いて!

それは、

あなたが あなた自身であるときにだけ、

できるんです!

 

~サミュエル・C・リー~

 

Shine no matter

where life brings you! You can only do this when you are yourself! -- Samuel

Lee

0 コメント

2017年

7月

03日

◆愛の裏側にご注意を◆

あなたの信仰を愛しなさい。あなたの教会を愛しなさい。

それはいいことです! 

でもその愛が、あなたをこんな人に変えてしまわないように気をつけてください。

すぐ人を裁きたがり、

いつも自分が正しいとし、

人を支配するのが好きで、

心が狭く、

鼻もちならないクリスチャンにならないように――。

 

Love your religion, love your

church,-that's fine! But be careful that this love will not turn you into a

judgmental, self righteous, control-oriented, narrow minded, freaking

Christian.

-Samuel Lee

0 コメント

2017年

6月

24日

◆キリストが来られた本当の意味◆

イエス・キリストは、新しい宗教を創ろうとしたのでもなければ、”神と、財宝と、銃のキリスト教“を創ろうとしたのでもなかった。彼は“人間性”というものを、本来のかたちに回復するために来られたのだ。“愛”と“あわれみ”の姿に――。彼は、私たちが自分自身を愛するように、他者(自然も含む)を愛することができ、進んで愛するときにのみ、神を愛することができるのだということを思い出させるために、来られたのである。―たとえ彼らが、自分とは違っているとしても。“神の栄光”とは、“完全な姿で生きている人間性”のことなのだ。

 

~サミュエル・C・リー~

 

Jesus Christ did not intend to create a new religion, nor did He want to create a Christianity of God, Gold and Guns! He came to restore humanity back to its origin: back to love and compassion. He came to remind us that we can only love God when we are able and willing to love others (including nature) as we love ourselves,--even when they are different than us. The Glory of God is humanity fully alive. ---Samuel Lee

0 コメント

2017年

6月

15日

《詩》◆カゴ一杯の星◆

夜ごとに、

私は梯子(はしご)を使って空に昇り、

月を突っつき、

あなたのもとに携えます。

―カゴ一杯の星と、

―光にあふれた心と、

―“愛”で味付けした一編の詩を!

 

この詩は私、サムから

傷心を抱えたあなたへ

“最も暗い夜々にも、

いつだって希望はあるのだ!”ということを

知っていただくための

“言葉の贈り物”です。

 

~サミュエル・C・リー~

 

<(A Basket Full of Stars)>

 

With my ladder

every night,

I climb up the skies,

and pick the moon

and I bring you

a basket full of stars

a heart filled with light

and a poem seasoned with love!

 

A gift of words is this poem

from Sam to those

with broken hearts

to let them know;

there is always hope

even in the darkest nights!

 

Samuel Lee

0 コメント

2017年

6月

10日

◆祈りと詩◆

●フランシスコ会の祝祷

神が、不法・抑圧・人々からの搾取に対する怒りを持って

あなたを祝福されますように。

それによって、あなたは

正義と、自由と、平和のために働くことができます。

神が、痛み・拒絶・飢え・戦争に苦しむ人のために流す涙によって

あなたを祝福されますように。

それによって、あなたは

彼らを慰め、その痛みを喜びに変えるために

手を差し伸べることができます。

神が、あなたはこの世に良き違いをもたらすことができると信じるほどの愚かさをもって

あなたを祝福されますように。

それによって、あなたは

私たちの全ての子どもたちと貧しい人々に、

”そんなこと、できはしない“と人々が言った

正義と親切をもたらす働きをすることができます。

アーメン。

May God bless you with anger

At injustice, oppression,

And exploitation of people,

So that you may work for Justice, freedom and peace.

May God bless you with tears,

To shed for those who suffer pain,

Rejection, hunger and war,

So that you may reach out your hand

To comfort them and To turn their pain to joy

And may God bless you with enough foolishness

To believe that you can Make a difference in the world,

So that you can do What others claim cannot be done

To bring justice and kindness To all our children and the poor.

a franciscan blessing

Amen

 

●《詩》 母なる教会

教会は女性。

初めから“母”として世にある。

それゆえ教会は

“母なる教会”と呼ばれるのだ。

教会は新たに創り出す。

神の息子、娘たちを産むのだ。

だが、教会は何世紀にもわたって

自分の腹を痛めた子どもたちによって

沈黙を強いられてきた。

その存在を否定され、

彼らに、服従と沈黙を要求されてきたのだ!

~サミュエル・リー~

【解説】 やや難解な詩ですね。サミュエル・リー牧師は、世界中の弱い人々に対する様々な差別と不法に、教会として抗議の声を上げ、連帯を呼びかけてきました。この詩には、戦前の宗教弾圧の遠い記憶の中で、政府や社会への抵抗の姿勢が希薄になりつつある現在の日本の教会とは違って、難民問題や流血の宗教対立などの中にあるヨーロッパの教会の切実な状況が背景にあります。けれども、本質的な部分では、この教会への危機感は同じなのです。すなわち、“母なる教会”は、新しい命を絶えず生み出す力を持っていますが、その力を外の世界の不正や抑圧に対する抵抗に注ごうとするとき、教会の産んだ子供たち=教会員クリスチャンたちの中に、無意識のうちに、“教会”としての社会活動に躊躇し、それを避けようとする自己抑止感情が支配するという現実です。それは、“内なる平安”さえあればよしとする、誤った福音理解から来ます。”母なる教会”は、時代を超え、国を超えて、罪の赦しと内なる魂の自由を与えられた神の子たちを産みだすとともに、彼ら(=私たち!)が、この世界に対しては、神のもとに人権と正義と福祉の擁護と実践を求めて声を上げてゆく、“包括的福音”を堅持しなければいけません。それは単に福音主義キリスト者の目標ではなく、教会の創造者なる神のみ心なのです。ここにおいて、リー牧師の詩におけるこの叫びと、フランシスコ会の祝祷は、一つになります。願わくは、この私の内にも、一つとなりますように――。

 

(Ⅱテモテ 1:7) 「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」

 

- Mother Church

Church is female A mother by nature, Thus, is she called; The Mother Church

She creates, She gives birth to sons and daughters of God

Yet, for centuries she has been silenced by her own sons: denying her existence requiring her to be submissive and quiet!

Samuel Lee

0 コメント

2017年

6月

07日

◆”無用の教会”にならないために◆

個人のことでも、地域社会のことでも、人々の幸せと福祉のために進んで役立とうとしていない教会は、“無用の教会”です。

口では死後の天国を説きながら、今生きていて、愛の触れ合いを求めている人々のために、今日、今この時に、ほんのささやかな善きわざもできないとしたら、私たちもまた役に立たない“無用の存在”なのです!

~サミュエル・C・リー~

 

【訳者ひとこと】この写真は、教会のドアと共に、「天国の鍵」は、地上にいる私たちが、今、この時に、天の恵みが必要な人々のために、開くべきことを示しているようです。

 

A church that is not willing to contribute to the wellbeing of humanity both on individual and community level, is a useless church. It is useless for us to preach paradise after death, when we cannot even make a little difference for those who are now alive and need a touch of love, right now, today!

 

--Samuel Lee

0 コメント

2017年

5月

29日

◆私が信奉するのはキリストか、キリスト教か◆

25年間、牧師であり教育者である者として、私はこれまでにも増して、イエス・キリストと、世が“キリスト教”と呼ぶものとの間には、極めて大きな違いがあるということを確信している。それは私が“キリスト教”を尊敬しないということではない! キリスト教は、歴史的、また教会政治的な不十分さを全て考慮に入れてもなお、良きものである。しかし、ナザレのイエスは、“完全な”お方なのだ! 私は、人間がつくった組織や制度よりも、むしろこのお方に従う。それが、私が自らをイエス・キリストの“フォロワー(追従者)”と呼ぶゆえんであり、私はこのお方をもっとよく知る旅の途上にあるのだ! 同時にまた私は、この世の人々の目には“クリスチャン(キリストに属する者)”というレッテルを貼られているが、それも大いに結構なことだ。

~サミュエル・C・リー~

 

After 25 years of being a pastor and educator, I am more than ever convinced that there is a huge difference between Jesus Christ and what the world calls "Christianity". Not that I'm disrespecting "Christianity"! "Christianity" with all its historic and political shortcomings, is still good, but Jesus of Nazareth is perfect! I rather follow Him than a man made system. That is why I always call myself, a "follower" of Jesus Christ, who is on journey to know Him more! At the same time in the eyes of the world I am labeled as "Christian" and that fine.

 

Samuel C. Lee

0 コメント

2017年

5月

13日

◆神が見るのは信仰深さか?◆

神の目には、私たちは全て裸なのです! 私たちには、神から隠しおおせるものは何もないのですが、私たちが信仰深く、自信に満ち、正しい自分を“演じる”まさにその時、私たちは偽っており、自分自身を欺いているのです! 私たちがイエスを信じているからというだけで、他者を見下す権利を持っているということにはなりません。

 

神は、私たちの自己義認や信仰深さなどには目もくれません。神に対して正直になり、私たちの周りの人々に対して正直になりましょう。

 

神を信じるというのはすばらしいことですが、それが“慣習”に堕し、“宗教”と化してしまうとき、私たちは“偽善者”となってしまうかもしれません。

 

~サミュエル・C・リー~

 

In the eyes of God, we are all naked! There is nothing we can hide from God, but the moment we play religious, confident and righteous we are lying, deceiving ourselves! Just because we believe in Jesus doesn't mean we have the right to look down on others.

 

God is not looking at our self-righteousness and religiosity. Let us be honest towards God and honest towards people around us.

 

Believing in God is a beautiful thing, but when it becomes a formula, and religious, it can turn us into hypocrites.

 

- Samuel C. Lee

0 コメント

2017年

5月

08日

《詩》自由

自由よ、

お前はハチミツのように甘い。

しかしお前の代償は、死のように苦い!

 

自由よ、

お前は海のように美しい。

しかしお前は、かくも多くの命を求めた。

お前の青い海の底に溺れさせ、

お前の波によって、

私の心の岸辺に運び去った!

 

自由よ、

愛する女性を失った恋人

忘れられた兵士

お前を探し求める難民がいるにもかかわらず、

死んだ子を前に途方に暮れる母親がいるにもかかわらず、

全てのものにもかかわらず、

お前はかくも愛されるに値するのだ!

 

~サミュエル・C・リー~

 

Freedom

you are sweet as the honey,

yet your price is as bitter as the death!

 

Freedom

you are so beautiful like the sea

yet so many lives you have demanded,

drowned to your blue bottom,

carried away by your waves

to the shores of my heart!

 

Freedom

despite the lover who lost his beloved,

the forgotten soldier,

and the lost refugee in search for you,

despite the confused mother with her dead

child,

despite everything,

you are so worth it to be loved!

 

Samuel Lee

0 コメント

2017年

4月

06日

◆粗野さの正体◆

今日、私はショッピングセンターで、ある女性に助けを求めたのですが、その人の態度は粗野で、とても後味の悪いものでした。嫌味たっぷりで皮肉に満ちた言葉が、彼女の口をついて出たのです。

そんな経験をした今日になって初めて、私は粗野であることは“弱さ”のしるしだと気づきました。粗野で無礼な態度をとることは、その人に力や権威があるということではありません。それは、善良な心からは決して出てくるものではなく、憎しみと辛らつさに満ちた心からあふれるものなのです。他の人々に親切にしましょう。他の人々には、尊敬の心をもって接しましょう。たとえ私たちが、その人を好きになれなかったり、考え方が違っていたとしても――。

 

粗野さは、強さを装った弱さである。
~エリック・ホッファー~

 

Today at the shopping center I experienced rudeness by someone whom I asked help...it was a bad experience. Sarcastic and bitter words came out of her mouth...

 It is only today that I realized being rude is a sign of weakness. To be rude doesn't mean you have power or authority. Rudeness never flows from a good heart but a heart full of bitterness. Let us be kind to others, let us treat others with respect, even when we don't like them or agree with them.

0 コメント

2017年

4月

04日

◆本当にあなたを量るもの◆

体重で自分を量るのはやめて、
“親切な行為”の多寡で おはかりなさい。
~エル・ソマー~

0 コメント

2017年

4月

03日

◆お金で買えるもの、買えないもの◆

お金で“家”は買えますが、“家庭”は買えません。
お金で“ベッド”は買えますが、“よき眠り”は買えません。
お金で“時計”は買えますが、“時”は買えません。
お金で“本”は買えますが、“知識”は買えません。
お金で“食べ物”は買えますが、“食欲”は買えません。
お金で“友達”は買えますが、“愛”は買えません。

 

【解説】 はい、人は“お金さえあれば”と考え、そのためにしゃにむに働きますが、それで得た物質的な豊かさでは、人は決して幸せにはなれません。「大切なものは目に見えないんだ」と星の王子様が言ったように、“本当に大切なものは、お金では決して買えない“のです。

 

Money can buy a house, but not a home.
Money can buy a bed, but not sleep.
Money can buy a clock, but not time.
Money can buy a book, but not knowledge.
Money can buy food, but not an appetite.
Money can buy you friends, but not love.

0 コメント

2017年

4月

03日

◆ゼッタイ人に嫌われるコツ7か条◆

―“人の振り見て我が振り直せ”(海外版)―

1. その人は、あなたがご自分の人生で何かいい仕事をすると、面白くありません。
2. その人は「自分はゼッタイに悪くないし、ゼッタイに自分のミスではありません」。そして、他人(ひと)を非難するのが大好きなのです。
3. その人は、議論をすることより、論争が好きです。そして、何が何でも論争に勝たなければなりません。
4. その人は、あなたから取り上げるのは大得意ですが、あなたに何かをあげることは最も苦手です。
5. その人はうわさ話が何より大好きで、相手がいないところでその人をこき下ろすことを好みます。
6. その人の人生は、人をうならせるドラマ満載です。そしてあなたをそのドラマに引きずり込むのです。
7. その人は、あなたを支配し続けるために、あなたをけなして“自分はダメ”と思わせようとします。その人は“支配中毒”なのです。

 

【解説】 これを読んでのあなたの反応はどうですか? 「いるいる、あの人そう!」ですか? 正直言って、私の知人にもそんな人がいます。それも身近に! でも、より大切なリアクションは、この7つの一つ一つの基準で、自分を計り直してみることです。1つでも思い当たる節があったら、それは間違いなく誰かを傷つけ、かなりの人に煙たがられている証拠です。そのイヤな心の部分を主の前に携えて、ご聖霊のお取り扱いを受ける必要がありますね。これは自分では変えられません。聖霊による“心の一新”によらなければ――。(ローマ12:2)

 

7 Signs of Negative People
1. They are not happy for you when you achieve something good in your life.
2. They are never wrong and it’s never their fault. They love to blame others.
3. They prefer arguments to discussions and they must win the argument.
4. They love to take from you but find it hard to give you anything.
5. They love gossip and they like to talk down on people behind their backs.
6. Their life is full of drama and they drag you into their drama.
7. They belittle you to keep you under their control. They are control freaks.

0 コメント

2017年

3月

31日

◆無知の沈黙◆

法律家が、お金だけのためではなく、人間の尊厳のために法を執行するとき、
医師が、病人を心から気遣うゆえに治療し、保険会社の規定に聞く代わりに、自分の患者の声に耳を傾けるとき、
牧師が、あわれみの心をもって福音を語るとき、
教会員が、単なる出席統計の数ではなく、神の家族の一員であるとき、
会社の最高経営者が、自分の賞与よりも社員のことを心にかけるとき、
多国籍企業が、会社の現金収支よりも、環境や原住民のことに配慮するとき、
…とき、…とき、…とき、まだまだ続きます。

そうです、我が友よ!
あなたと私が“無知の沈黙”を破ろうと決心するとき、
あなたと私が望みをもって信じ、愛のうちに行動するとき、
――そのときにのみ、私たちはより良き世界を夢見ることができるのです!

無知と無関心は、あなたが考え、想像する以上に、“破壊的”です。

~サミュエル・C・リー~

 

When a lawyer practices law for the sake of human dignity, and not per-se for the cash,
when a doctor cures others because he compassionately cares and listens to his patients instead of listening to what the insurance companies dictate,
when a preacher shares the Good News with compassion,
when people in the church are not simply statistics but members of the family,
when a CEO cares for his employees more than his bonuses,
when multinationals care more about the environment and indigenous people than the cash flow of their companies,
when... when... when... I can go on and on

Yes, my friends!
When you and I decide to break the silence of ignorance,
when you and I believe in hope and act in love,
only then we may dream of a better world!

Ignorance and apathy can be more destructive than you can think or imagine.

 Samuel C. Lee

0 コメント

2017年

3月

30日

《詩》◆奪われざる力◆

あなたの心の中には、
神から与えられた、ある力があります。
誰もあなたから取り去ることができず、
盗むことも、禁じることもできない源泉(みなもと)が…。
それは、夢を見る力、想像する力です!
たとえ牢獄の中にいても、飛ぶことができ、
暗闇に閉じ込められていても、虹と踊りたわむれる力です!

いかなる存在も、法も、政府も、国も、権力も、
あなたの待ち望む力と、夢を見る権利を

取り去ることはできないのです。
あなたが諦め、
敗北の旗を上げない限りは――。
諦めてはいけない、我が友よ。
夢を見なさい!
想像するのです!
これは一巻の終わりではない。
新しい一日の始まりなのです!

~サミュエル・C・リー~

 

Within your heart,
 there is a God-given power,
 a source that no one can take away from you
 no one is able to steal it or forbid it:
 the power to dream! The power to imagine!
 The capacity to fly, even when you are imprisoned
 to dance with the rainbow, even you are surrounded by darkness!

 No entity, no law, no government, no principality or power
 is able to take away your capacity to hope and
 your rights to dream,
 unless you give up,
 unless you give in to defeat!
 Don't give up my friend!
 Dream!
 Imagine!
 This is not the end!
 It is the beginning of a new day!

 --Samuel C. Lee

0 コメント

2017年

3月

29日

◆比べたいならご自分と◆

私は、誰とも比べようとはしていません。
誰かと“背(せい)比べ”をする気なんか さらさらありません。
私はただ、“昨日の自分”より良くなろうとしているだけです。

【解説】 2行目の生き方は”競争心”モードです。3行目の生き方は”向上心”モードです。どちらも、“上を目指す”という点では、一見似ているように思えますが、それは似て非なるもの。前者は、自分が上に立つためには、どんな手段をも使って、ライバルを蹴落とそうとする自己中心性が根底にありますが、後者は、絶えず自分自身を厳しく見つめ、誤りを正し、欠けを満たして己を磨こうとする間断なき自己との闘いが動機となっています。それは、キリストの似姿に少しでも近づこうとする生みの苦しみであり(ガラテヤ4:19)、自分の一つの到達点の上に、さらにもう一つ上の人格の到達点を目指す、聖書の勧めるキリスト者精神でもあるのです。

(Ⅱペテロ1:5-7) 「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」

 

 I am in competition with no one. I have no desire to play the game of being better than aonyone. I am simply trying to b ebetter than the person I was yesterday.

0 コメント

2017年

3月

28日

◆墓地の看板は訴える◆

【解説】 はい、これは読む人によって、ジョークにも、真面目にも取れますね。これにユーモアを感じる人は、「やれやれ、やっと心が平安になれるのは、冷たい土の下(墓の中)かよ。もっと生きてるうちに心のラクをしたかったよ。」という、多くの亡くなった方の思いを代弁しているような口ぶりに、共感の笑いを漏らすのでしょう。
 私は大まじめに訳したのですが、それは、「家族のために、あくせく汗水流して働いて、この世の人間関係のしがらみの中で、さんざ心をかき回され、病気やら、不景気やら、思いがけない災難やらで、いっときも心のゆとりを持てないまま、これから何年も、何十年も生きていく…。一度限りの人生、これじゃあまりにもったいないじゃないか。」という人々の声が、聞こえてきたからでした。その声を聞きつつ、私が訳した2行目の言葉のニュアンスは、「いいえ、生きていっていいはずです!」という反意の応答を伴ったものでした。より正確に訳しますと、これは、「なら安らぎのうちに生きることだってできるでしょう?」⇒「生きているときも、心の平安を持って生きましょうよ!」というポジティブ(積極的・肯定的)なニュアンスを持った、“最高の人生の生き方”の勧めなのです。
そんな生き方は、神への信仰によってのみ可能になります。かくいう私も、神の恵みにより、信仰によって救われ、こうして生きている今からすでに、”心の平安”を与えられました。外はどんな大嵐でも、心の中には、「我なり。恐るな」(マタイ14:27)と言われるお方、神のみ子キリストが、いつも共にいてくださるからです。このお方に在って、私たちは、この世を去る時だけでなく、生きている一日一日を、内なる平安をもって生きることができるのです。
この看板の、ウイットに富んだ問いに、あなたはどうお応えになりますか?

0 コメント

2017年

3月

27日

◆”愛”の序章◆

愛”の始まりは、あなたが愛する人を、完全にその人自身にさせてあげることです。
あなた自身のイメージに合わせるため、その人をねじ曲げてしまうことではありません。
さもないと、それは単に、その人のうちに見つけたあなた自身の“似姿”を愛しているにすぎないことになります。
~トマス・マートン「人は独りでは生きていけない」~

【解説】 これは、人を愛するということの本質を、見事に言いえていますね。あらゆる愛の破たん―いさかい、別離は、この2節目の失敗によると言っても過言ではないでしょう。その意味で、まことの愛は、純粋に相手の人の“その人らしさ”を愛します。そしていつまでも、それを失わせることのないように、喜んで労し、犠牲をもいといません。そこにのみ、愛することの喜びがあることを知っているからです。お互いが、そのような愛をもって愛し合うとき、二人は、完全に自分自身でありながら、愛する相手のうちに本当の安らぎを覚える自分を見いだすのです。それは、優れて三位一体の神―父、子、み霊のうちに見いだされるものであり、「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」(ヨハネ15:9)と言われ、私たち一人一人を、かけがえのない“個”として愛された主イエスの愛そのものでもあります。私たちの不完全な愛は、この神様の愛の“型”としてあろうとするときに、生涯をかけて、限りなく完成に近づくものとなるでしょう。その意味で、このマートンの言葉は、“愛”の序章(プロローグ)であり、終章(エピローグ)なのです。

 

The beginning of love is to let those we love be perfectly themselves, and not to twist them to fit our own image. Otherwise we love only the reflection of ourselves we find in them.
-Thomas Merton: No Man Is an Island-

0 コメント

2017年

3月

27日

◆同じ明日を考えるなら◆

悪い結果になりそうなことを心配するのは
およしなさい。
うまくいきそうなことに心を躍らせることを
始めるのです。

0 コメント

2017年

3月

25日

◆憎悪(憎しみ 敵意 ヘイト…)◆

それは、この世界に、
多くの問題を引き起こした。

だが それは、
いまだに一つも解決してはいない。

~マヤ・アンジェロウ~
(アメリカの女流黒人小説家、詩人、劇作家、歌手、女優、公民権運動家 1928~2014)

0 コメント

2017年

3月

23日

◆《詩》 雪 玉◆

ちょっとの間、雪が降った。
私は夢見ていた――
  そこでは、雪玉が弾丸に取って代わり、
  戦士たちは、遊びに夢中の子どもたちに変わっていた。
  そして人間の心の暗闇は、
  ゆっくりと消えていったんだ…。

~サミュエル・C・リー~

(Snowballs)
 It has been snowing for a while
 and I dreamed of a world
 in which the bullets
 were replaced with
 snowballs,
 and the fighting men
 turned into playing children
 and the darkness in our hearts
 slowly faded away...
 -Samuel C. Lee

0 コメント

2017年

3月

21日

◆私たち、同じ”人間”でしょう?◆

◆サミュエルの書斎から◆
―私たち、同じ“人間”でしょう?―

私たちは、みんな同じ“人間”です。
息をし、食べ、飲みます。
みんな、人を愛したいと願っています。
みんな、幸せを求めています。
みんな、意識を持ち、
心を持ち、
善いことをしたがっているのです。
私たちの“人間性”を引き裂くことがないようにしましょう。
憎しみや、差別や、人種主義によって、
心を奪われることのないようにしましょう。
全ての人間は、ほんとうに かよわく、“壊れやすい”ものであることに
気づこうではありませんか。
~~サミュエル・C・リー~

【解説】 下の動画もぜひご覧ください。これは“やらせ”でもフィクションでもありません。科学的事実なのです。今、地上で、無益で残虐な戦いをしている者同士の多くが、たった数世代さかのぼれば、”人類”という大きな血筋でつながっているという厳粛な、驚くべき事実に、私たちは刮目すべきです。遠い親戚同士が憎悪に燃えて殺し合う、このような悲しい愚行をやめる英知を、人間は神様から授かっているのです。神様に立ち返り、その知恵を用いるべきです。全人類が、本当に“壊れて”しまう前に――。

We are all human beings
 We breathe, we eat, drink,
 We all desire for love,
 We all look for happiness,
 We all have consciousness
 We all have hearts
 We all love to do good
 Let us not divide our humanity
 Let us not be carried away by
 hate, discrimination and racism
 Let us realize that all humanity
 Is so fragile.
 Sam Lee

0 コメント

2017年

3月

18日

◆現代版”イエスを信じる者の誓約”◆

私はキリスト者です。
それは、私がイエス・キリストのみ足の跡に従うために、最善を尽くすということを意味します。
*イエスは他国人を愛しました。
*イエスは“難民”でした。(訳注:マタイ2:13-15)
*イエスは権力や特権を拒否しました。
*イエスは、「互いに愛し合うべきです」と言われました。
*イエスは国家によって激しい苦痛を味わわれました。
*イエスは国家によって処刑されました。
*イエスは、暴力では事は成らないことを示されました。
*イエスは「謙遜でありなさい」と教えられました。
*イエスは「平和をつくる人でありなさい」と教えられました。
*イエスは「正義を愛しなさい」と教えられました。
*イエスは、神は誇り高ぶる者に抗(あらが)われると語られました。
*イエスは、尊大な者、暴力、その時代の権力構造を糾弾されました。

0 コメント

2017年

3月

14日

◆全ての命に”生存権”を◆

私のクリスチャンの友人の何人かは、妊娠中絶合法化に反対です。彼らは出生前の命に思いを寄せますが、すでにこの世に生まれた移民や難民は受け入れを拒むのです。問題なのは、彼らが、まだ生まれていない命をこの世に生まれさせるためには闘うのに、ひとたび彼らが生まれ、成長して難民になると、とたんに“招かれざる民”にしてしまうことです。私も妊娠中絶反対であり、いまだ生まれざる子どもたちの権利のために立ち上がります。それは間違いないことですが、同時に私は、すでにこの世に生を受けながら、招かれざる人々、拒まれた人々のためにも立ち上がる者です。
~サミュエル・C・リー~

 

Some of my fellow Christians claim they are ProLife: they care about the unborn, but they reject migrants and refugees who are already born. The problem is that they fight for the unborn to be born, and after these are born and grow up to become refugees, then suddenly they are unwanted. I am ProLife, and I too stand for the rights of the unborn children, no doubt about it, but at the same time, I am standing for the unwanted and rejected ones who are already born.
--Samuel C. Lee

0 コメント

2017年

3月

12日

◆あらゆる壁は”心の壁”が始まりです◆

私は“壁”よりも“橋”が好きです。”壁”は隔てますが、“橋”はつなぎます。ヒトラーは壁を作り、ユダヤ人その他の人々(訳注: ジプシー、障がい者、同性愛者たち)を残りの人々から隔てました。それは全て“壁”から始まったのです(訳注: ワルシャワ・ゲットー、大量虐殺の行われたアウシュビッツを始めとする強制収容所の壁)。
私たちは今、再び“壁”隔離主義者たちの時代に生きています。“橋”友和主義者たちは、非難され、迫害され、禁止されるでしょうが、彼らは決して諦めはしません。
~サミュエル・C・リー~

 

I love bridges more than walls. Walls separate, but bridges connect. Hitler built walls and separated the Jews and others from the rest... It all started with walls... We are now living again in the times of wall-builders and bridge builders will be accused, persecuted and banned, but they will never give up. -- Samuel C. Lee

0 コメント

2017年

3月

09日

◆イエスのように愛していますか?◆

◆サミュエルの書斎から◆
―イエスのように人を愛していますか?―

この21世紀、イエス・キリストのみ名は、一つの“産物”に成り下がってしまった。自己中心で、危機感のとりこになった人間たちのエゴを満足させる、宗教的、政治的、霊的な“産物”に――。「神は、ご自身のかたちに人を創られた」と言われるが、今や私たちは、神を自分たちのかたちに、つくり変えたのだ。“イエス”の名は、“コカ・コーラ”や“ペプシ”と同じ、商品名になった。私たちは、イエス・キリストのメッセージ(使信)を、政党や、他者をひどく恐れる憎しみの組織の生産品に引き下げてしまった。イエス・キリストのみ名は、「我々は主に従う」と公言する人々にハイジャックされてしまったのだ。彼らは「イエスを愛する」と主張するが、その実、外国人を憎み、自分の国家を他国より高めようとし、自分と違う考え方をする人間は、誰かれとなく憎んでいる。イエスを愛すると主張しながら、み父が愛されたように“この世”を愛することを拒んでいるのだ!(訳注:ヨハネ3:16) 彼らは、壁を造り上げ、人々を憎みながら、なおも自分たちは愛の伝達人であり、キリスト教的価値観の再興者だと公言してはばからない。
しかり、イエス・キリストのみ名は、このお方の名を自分たち自身の益のために商品として売った男たち、女たちによって乗っ取られてしまった。だが、彼らは忘れている。「『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではない」(マタイ7:21)ということを――。
(サミュエル・C・リー牧師)

In the twenty-first century, the name of Jesus Christ has been turned into a product, a religious, political and spiritual product that is satisfying the egos of self-centered, crisis-stricken humanity. We use to say that God made man in His own image, but these days we have turned God in our own image. The name "Jesus" has become a brand, just like Coca-Cola or Pepsi. We have reduced Jesus Christ’s message into a brand of a political party or a system of hate that fears so much the other.
 The name of Jesus Christ is being high-jacked by people who say that they follow Him. They claim to love Jesus, but they hate the strangers, they want their nation to be above others, they hate everyone who thinks different than them. They claim to love Jesus, but reject to love “the world” as the Father loves! They build walls, they hate others and yet they claim to be the messengers of love and the restorers of Christian values.
 Yes, the name of Jesus Christ is being high-jacked by men and women who sell His name for the sake of their own but they have forgotten that “Not everyone who calls Lord, Lord will enter the Kingdom of Heaven” (Matthew 7: 21).
 (Pastor Samuel C. Lee)

0 コメント

2017年

3月

08日

◆目指すは”口先の人”? ”行いの人”?

イエスを信じることと、彼のみ心に従った人生を生きることとは、別のことです。「私たちの神は愛です」と“口で言う”ことと、その愛を“実行する”こととは、また別の話なのです。人々は、私たちが話すことにはさほど興味をそそられません。彼らは、私たちが自分の述べ伝えることをどのように実行しているかによって、徹底的に変えられます。そのときにのみ、彼らの心は、私たちが分かち合いたいと願っている福音に対し、“受け入れモード”になるのです。
―サミュエル・リー ―

 

(Ⅰヨハ 3:18) 「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」

 

To believe in Jesus is one thing and to live a life after the His heart is another thing. To say our God is love, is one thing and to practice His love is something else. People are not intrigued by what we say, they are radically changed by how we practice what we preach. Only then, they will be receptive to the Gospel we intent to share with them.
 -Samuel Lee

0 コメント

2017年

1月

18日

◆考えの違う人は敵ですか?◆

キリスト者として、私たちは、他の人々、私たちとは考え方の違う人々にどう接するかに注意しなければなりません。私たちの大部分は、群れの中の兄弟や姉妹の一人が、質問しだしたり、異なった考え方をしたり、疑ったりしだすと、まるで魔女狩りのような目に遭わせたり、迫害したり、村八分にしたり、ひどい扱いをしてしまうことが、またそのため、信仰者の私たちより、特に宗教を持たない人を、はるかによく見てしまう傾向があるのです! 今こそ目を覚まして、日頃 宣べ伝えていることを(訳注:「互いに愛し合いなさい」との教え)、心底から実践すべき時です! 見せかけの微笑みとか、形ばかりのハグなどは要らないのです。
~サミュエル・C・リー~

 

As Christians, we have to be careful how to treat other people, those who think different than us. Most of us have the tendency that when one of our own brothers or sisters begin to question, think differently or doubt--they get witch hunted, persecuted, isolated, and treated so badly, that even those who have no religion look too far better than some of us who believe! It is time to wake up and genuinely practice what we preach! We don't need fake smiles, superficial hugs. --Samuel C. Lee

0 コメント

2017年

1月

17日

◆現代のYukichi Fukuzawaに聴く◆

自分は誰かより上だとか、下だとか、
ゆめゆめ信じてはならない。
謙遜の精神を保ち続けなさい。

 

(女子訳)
「あたしって、あの人よりかマシ」とか、
「あの人には かなわヘン」とかいうの、
頭ン中からキレイに消しちゃいなさい!
いつも“へりくだりの心”を大切にするのよ。
~ブレンダン・バーチャード~

 

(ピリピ2:3) 「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」

 

天は、人の上に人を造らず。
人の下に人を造らず。
~福沢諭吉「学問のすすめ」~

0 コメント

2017年

1月

16日

◆”人間”を目指そう!◆

もし神が人となることを選ばれたのなら、私たちもまた、どれほど人間であろうと努めなければならないことだろう! “ことば”が肉体を取られた! イエスは、私たちの内に、“アダム”を回復しようとして来られたのだ! あのエデンの園の中で、私たちは信仰を失ったのではなく、自らの“人間性”を失ってしまった。信仰は人間がつくり出したものだが、人間性は、神が創られたものなのだ! キリスト・イエスの内にある人間性――これが、私の目指すゴールである。
~サミュエル・C・リー~

 

《石碑の文字》 「私には、人間は見える。だが、人間性が見えないのだ。」

 

(ヨハネ1:14) 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
(ガラテヤ4:19) 「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」

 

If God chose to become a human, how much more human we would have to be as well! The Word became flesh! Jesus came to restore us to Adamhood! In the garden of eden we did n't loose a religion, we lost our humanity. Religion is man-made but Humanity is God-made! Humanity in Christ Jesus is my Goal.
 -Samuel Lee

0 コメント

2017年

1月

11日

《詩》◆たとえ私が…◆

たとえ私がどこにいようと、
たとえ私が何をされようと、
たとえどんなにひどく打ちのめされようと、
たとえどんなに落胆させられようと、
たとえどんなに長く獄に入れられようと…

私は一つのことを知っています。
私は持っているのです。
―立ち上がる能力を。
―難関を突き破る力を。
―壁を打ち崩す強さを。

全能者なる方の
似姿に創られた
私の名は“人間”です!

~サミュエル・C・リー~

(追申)私はこの詩を、心が傷つき、打ちひしがれている方のために書きました。この詩はあなたのための詩です。諦めないでください!

-No Matter-

No matter where I am
 No matter what is done to me
 No matter how hard I have been broken
 No matter how discouraged I have been
 No matter how long I have been imprisoned

 One thing I know:
 I have the capacity to rise
 the power to break through
 the strength to crack down the walls

 My name is Human!
 Made in the image
 of the Almighty

 --Samuel C. Lee

 PS. I wrote this poem to those who are brokenhearted, who are discouraged This poem is for you: Do not give up!

0 コメント

2017年

1月

06日

◆聖霊がなさらないこと、なさること◆

聖霊は、私たちを傲岸なクリスチャン・スーパースターに仕立て上げるようなことはしません。まことの聖霊は、私たちが“地の塩、世の光”となるために、私たちの生き方を変容させてくださるのです。弱き人々には謙遜に、そして不法不正に対しては大胆に――。
~サミュエル・C・リー~

 

Holy Spirit does not turn us into an arrogant Christian superstar, the real Holy Spirit transforms our lives in order to become Salt & Light of the world,: humble towards the weak and bold when it comes to injustice. -- Samuel C. Lee

0 コメント

2017年

1月

05日

◆《詩》桜の葉よ、さようなら◆

 

桜の葉よ、さようなら
来年の ある春の日に、
富士山の あのすそ野で
再びお前と会おう!

 

その日、夜になると、
タイル張りの池に浮かぶお前を、
月と赤い鯉が訪れるだろう。
そして夜明けまで
共に踊り戯れるだろう。

 

桜の葉よ、さようなら
来年の ある春の日に、
富士山の あのすそ野で
再びお前と会おう!

 

その日、
お前は私に新しい詩をささやくだろう。
そして私はお前に新しい歌を書こう!

 

~サミュエル・C・リー~

(この詩を、大切な人と離れ離れになっている方々にささげます。)

 

--Goodbye Sakura Leaf--

Goodbye sakura leaf
 On a new spring day
 By the hills of mount Fuji
 We shall meet again!

 On that day
 The moon and the redfish
 Will visit you
 in the tiled pool at night
 and together you will dance
 until daybreak

 Goodbye sakura leaf
 On a new spring day
 By the hills of mount Fuji
 We shall meet again!

 On that day
 you will whisper to me a new poem
 And I will write you a new song!

 Samuel C. Lee

 (I dedicate this poem to those who are missing a precious person)

0 コメント

2017年

1月

03日

◆雨降って、地 固まる◆

「雨降って、地固まる」。日本のことわざで、”雨が降ったあとは、土壌は堅固になる“という意味です。言葉を変えれば、”全ての困難のあとには、回復の時と、平穏の期間が訪れる。苦しみは、あなたをより打たれ強く、不屈な者にしてくれるのだ“ということです。もしあなたが、このところ、厳しい状況の中を通っておられるなら、勇気をお持ちなさい。しっかり踏ん張るのです。神様がきっと助け出してくださいます。私の友よ、勇気を出して!
~サミュエル・C・リー~

 

あめふってじかたまる "ame futte ji katamaru" a Japanese saying which means: "after rain, the soil will become solid." In other words "after every difficulty, there will be a time of restoration and a period of calmness. Hardship will make you even stronger and tougher." If you go through hard times these days, be encouraged, hang on, God will help you through. Be encouraged my friends!
 --Samuel C. Lee

0 コメント

2017年

1月

02日

◆去年学んだ2つのこと◆

私は、2016年に2つの大きなことを学びましたので、皆さんにもお分かちしたいと思います。

 

1. “誇張”したがる人にお気をつけなさい。とりわけ、自分の霊性、信仰、信条などについて大げさに言う人。しゃべりすぎる人。現実に対しては、しばしばゆがんだ見方をしながら、自分の信仰に関しては、いつも心地よく甘美な話をする人々からは遠ざかることです。彼らの言葉は、耳にはすばらしく聞こえるかもしれませんが、彼らの現実の生活ぶりは、逆のことを語っているのです。

 

2. 他の人々について、いつも悪く、否定的なことばかり言う人にお気をつけなさい! 彼らはいつでも、自分を“被害者”として演ずることによって、周りの全ての人を悪者にするのです。ですから、あなたは誰かと二度以上会って、彼らが同じように他人を悪く言っているようなら、私のご忠告はこれです。「彼らをお避けなさい。」

 

この一年、あなたが学ばれたのは、どんなことですか? よければどうぞご自由にご投稿なさって、皆さんでその恵みにあずかりたいと思います。

~サミュエル・C・リー~

 

Two big lessons I have learned in 2016, and I would like to share them with you.
 1 Be careful with people who exaggerate; especially run away from those who exaggerate with their spirituality, faith or religion. Those who talk too much. Those who always give you a sweet and sugary talk about their faith, have often a distorted view of reality. Their words may sound great to the ears, but the reality of their lives tells the contrary.
 2 Be careful of those who constantly talk bad and negative about other people! They often portray themselves as victims, whereby everyone else is wrong. Therefore, when you see someone more than twice, and they still talk negative about others, my advice would be: avoid them.
 -- Samuel C. Lee
 What lessons did you learn? Feel free (if possible) to share them with us so that we will all benefit.

0 コメント

2016年

12月

26日

◆自分をではなく、人をどう思うかです◆

自分がいかに教養があり、才能もあり、裕福で、冷静な人物であるかを信じていても、究極的に全ての決め手になるのは、あなたが人をどのように遇するかです。
清廉で誠実であることが全てなのです。


0 コメント

2016年

12月

18日

◆ネオ律法主義の時代に◆

 

私たちは今や、人間の生活それ自体よりも、規律や規則がより価値を持つようになった時代を生きている。そこには、不信や、悪についての妄想的な脅迫感が、人々の心の中に、恐怖の影を落としている。だが、それでもまだ希望がある。お互いに、何か違ったことを始めるのだ。とりわけ、虐げられている人々、声を上げることもできず、か弱い人々のために。“変化”は、どのようなときも、“個人”から始まる。それは、“私たち”から始まるのだ――。
~サミュエル・リー~

 

We are now living a world where rules and regulations have become more precious than human life itself, where distrust, and paranoia about evil is casting the shadows of fear in the hearts of men. Yet, there is still hope: start making a difference for each other, particularly for the oppressed, the voiceless and the fragile. Change always begin with individuals, it begins with us. (Samuel Lee)

0 コメント

2016年

12月

17日

◆言えてる言葉:最大のコミュニケーションネック◆

コミュニケーションにおける最大の問題は、
私たちが、“理解するために”聴いてはいないということです。
私たちは、“答える”ために聴いているのです。

 

【解説】 あ、今、耳がちょっと痛かったですか? 先日、「聴くミニストリーこそ」という記事を取り上げましたが、今日の記事は、「聴き方」にも二つあり、その後者のほうが大きな問題なのだということを、ピリリと指摘していますね。理解しようとして聴いているとき、私たちの心は“相手モード”です。でも答えるために聞くとき、それは完璧に“自分モード”。下手をすると、自分の意見を主張し、通すために、相手の言葉を聞いているのではなく、利用しようとしている自分がいます。ある人が、日本はもはや高齢化社会ではなく、高齢社会になっていると言っていましたが、現代の目まぐるしいテンポから取り残されて、聴いてもらえない高齢者の方々が、加速度的に増えている今、“自分モード”スイッチはしっかり切り、とことん“相手モード”で、ひたすら”理解する”ために聴いてあげることが、ますます大切になってきています。まずあなたの身近にいるあの方から、“傾聴”を実践してみましょう。そしてあなたが、時に疲れ、弱さを覚え、あるいは分かってもらえないつらさを味わったときは、神様に話すのです。どんなささいなことでも、神様は、時と場所を選ばず、いつでも“あなたを理解するために”聴いてくださるのですから――。

 

Today’s Quote:
The biggest communication problem is we don’t listen to understand. We listen to reply.

0 コメント

2016年

12月

15日

◆主よ、まさか私ではないでしょう?◆

◆サミュエルの書斎から◆
―主よ、まさか私ではないでしょう?―

あるクリスチャンたちが、互いに心を開けないのは不幸なことです。彼らは、相手に向かって、自分が本当に考えていること、感じていることを話すのを恐れています。ほとんどの場合、人が誰かと自分の心を分かち合うと、その後、互いの態度が変わり、うわさ話が広まり、互いに避け合うようになってしまうからです。

それ以上に私が驚かされるのは、クリスチャンが病気になったり、試練の時を通り過ぎるとき、それを兄弟姉妹たちに敢えて話そうとしないということです。というのも、自分は人並み優れて“霊的”だと言っている人が、あなたの苦しみの理由を見つけ出そうと、心の中まで根掘り葉掘り入り込んでくるからです。そしてある人は「それは罪を犯したからだ」と言い、ある人は「それは什一献金を怠っているからだ」と言い、「もっと祈らないから、もっと十分に断食しないからだ」と言うのです。最悪なのは、彼らはそれをあなたに面と向かっては言わないで、背後でうわさ話として流すことです。そのような人間関係が、果たして健康で真実なものかは疑わしいものです。時として私は、”信仰的”でない人々のほうが、「私はイエス・キリストを信じています」と公言する人々よりも、より正直であると思うことがあります。
~サミュエル・リー~

 

It is so unfortunate that some Christians cannot be open with each other: they fear to tell each other what they really think or feel. In most cases when people share their hearts, afterward the attitudes change, gossips circulate, and the avoiding begins.

What saddens me even more is that when you are ill, or you go through a period of turmoil, you don't even dare to share it with your brothers and sisters; because those who claim to be super-spiritual dig into things to find reason for your suffering; some suggests that you have sinned, some accuse you of not having paid your tithes, or you did not pray harder and did not fast enough. The worst thing is that they won’t tell you in your face, but gossip behind you. I wonder if such relationships are healthy and real. Sometimes I think people who are not religious are more honest with each other than those who claim to believe in Jesus Christ.
–Samuel Lee

0 コメント

2016年

12月

14日

◆”聴く”ミニストリーこそ◆

キリスト者として、他の人の質問を決して軽々しく受け取らないようにしましょう。かれらの質問や、疑いや、葛藤などは、私たちの目にはごくありふれたことに見えるかもしれませんが、その人にとっては、自分の肩に全世界がのしかかっているのです。それらの課題を聖書的に分析して、簡単に答えようとする代わりに、ただ共にいて、その人の話を聴き、その人のために祈ってあげることです。
~サミュエル・リー~

 

(ローマ 12:15) 「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」

 

As Christians, let us never take other people's questions lightly. Their questions, doubts, struggles may look simple in our eyes, but for them is a whole world loaded on their shoulders. Instead of trying to biblically analyze them and give them simple answers, just be there and listen to them and pray for them. --Samuel Lee

0 コメント

2016年

12月

13日

◆《詩》爆風◆

爆風! 爆風…
折れた鉛筆、
破れた紙、愛し合う者たちの血に彩られて。

 

爆風! 爆風…
切り刻まれた心、失われた夢、語られずじまいの言葉、
愛する者の唇の上で永遠に凍ってしまった歌!

 

爆風! 爆風…
ああ、我らが人道の上を吹き抜ける何という爆風よ!

 

【著者ひと言】私はこの詩を、場所や国籍や宗教に関わりなく、爆撃で命を失った全ての人のために書きました。これは人間の命の問題なのです。(サミュエル・リー)

 

Blast! Blast...
Broken pencils,
torn papers, colored with the blood of the lovers.

Blast! Blast…
Shredded hearts, lost dreams, unspoken words,
songs forever frozen on the lips of the beloved!

Blast! Blast...
Oh what a blast on our humanity!

Note! I wrote this poem for all those who have lost their lives in a bombing, regardless location, country or region... Human life matters. (Samuel Lee)

0 コメント

2016年

12月

09日

◆常に”対話”を選ぶのです!◆


“対話”とは、お互いの間でなされる会話であり、知識と情報の交換です。
それは自分の意見を相手と分かち合うことであり、自己同一性(自分自身であること)を失うことなく、相手を尊敬することです。
“対話”とは、相手を不快にするあらゆる言動は脇へ押しやり、注意深く聴き入り、しとやかに批判するすべを学ぶことです。
“対話”とは、人間同士、宗教や文化の間で、お互いを高め合い、豊かにするために交わされるものです。
“対話”を選ぶのです!

 

【解説】 一つ一つ、“対話”の持つまことの意味を、自分自身のこととして味わいたい言葉ですね。
2016年も間もなく終わり、新しい年を迎えようとしていますが、この年はどんな年だったでしょうか? 対話よりも、暴力や武力に訴えて、自分の権利、自社の利益、自国の権力を拡大しようとする人間のエゴが、私たちの周囲にも、国内にも、世界にもむき出しにされた現実を、深い悲しみと共に思い起こすことです。このエゴがまかり通るところ、その陰には、愛する家族を失い、住むところを失い、飢えと死の恐怖におびえながら、安住の地を求めて地上をさまよう数え切れないほどの犠牲者が出ます。そして、彼らを迎え入れるべき国の人道上の決断にも、自国優先のエゴが頭をもたげてしまうのです。
そのような現実のただなかで、著者が最後に、Choose「選ぶ」ことを提唱しているところに、大きな意味があります。話し合いか、武力による対決か――。前者のうちにしか、人間同士の、そして人類の平和共存の道はないのです。それを正しく選び取る英知を、私たちは神様から与えられているはずです。だから、「選ぶ」のです。どんなときでも、どんな苦渋の選択を迫られるときでも、暴力・武力ではなく、“対話”の道を!


Dialogue is a mutual conversation, an exchange of knowledge and information; sharing of one’s opinion and respecting the other without loosing one’s self-identity. Dialogue means to put aside any offence and learn to listen carefully and to criticize gracefully. Dialogue is an enriching exchange between peoples, religions and cultures. Choose for dialogue!

0 コメント

2016年

12月

08日

◆夢追い人たれ◆

 

もしあなたが、そのために苦しむに足るヴィジョンを持っているならば、人があなたをなんと言おうと構うことはない。
環境がいかに厳しくそのヴィジョンに逆らっていようと気にしない。
人があなたのヴィシオンをどんなにあざけろうと、くじけさせようと、それがなんであろう。
勇気を持ち、大胆でいなさい!
あなたのヴィジョンの全ての言葉、全ての区切り点、全ての文が形(かたち)を成すまで、前に進んでいくのだ。
トマス・エディソン、ガンディー、マンデラ、マザー・テレサ、ツツ司教、マーティン・ルーサー・キング…。歴史に彼らを加えたのは、このヴィジョンだった。
諦めずにいよう。
望みを持とう。
夢を追おう。
~サミュエル・リー~

 

BE A DREAMER

 When you have a good vision worth suffering for, it doesn't matter what people think of you, or how hard the circumstances are against your vision, it doesn't matter if people ridicule your vision or discourage you. Take courage and be bold! Move further until every word, every comma, every sentence of your vision will come to pass. That is why history has known people like, Thomas Edison, Grandi, Mandela, Mother Theresa, bishop Tutu, Martin Luther King, ....Let us not give up, let us hope, let us dream...--Samuel Lee

0 コメント

2016年

11月

29日

《詩》私は、なおも立ち上がる

◆サミュエルの書斎から◆
なんと心を揺さぶるマヤ・アンジェロウの詩だろう。…美しい。
What an inspiring poem by Maya Angelou... beautiful

 

《詩》 ―私は、なおも立ち上がる―

あなたは、その苦々しい、ねじ曲げたウソで
私を歴史に書き残すかもしれない。
あなたは汚れた泥土の中で、私を踏みつけるかもしれない。
でも、この泥土のように、私は、なおも立ち上がるわ。

 

私の厚かましさに、あなたは腹を立てているの?
なぜあなたは、憂鬱に付きまとわれているの?
あたかも私が油田を探し当て
居間でそれを汲み上げているかのように歩くからって。

 

まるで月のように、太陽のように
確かな潮の高まりをもって
まるで高く湧き上がる希望のように
私は、なおも立ち上がるわ。

 

あなたは打ちしおれる私を見たかったの?
うなだれた頭と、伏せた目を?
肩を涙の滴のように落として。
私の魂の泣き叫びで弱り果てて…。

 

私の傲慢さが、あなたの癪(しゃく)に障るの?
そんなにえらく難しく考えないでよ。
私が、あたかも我が家の裏庭を掘ってて
金鉱を探し当てたみたいに笑うからって。

 

あなたは、その言葉で私を撃つかもしれない。
あなたは、その目で私を斬るかもしれない。
あなたは、その憎しみで私を殺すかもしれない。
でも私は、空気のように、なおも立ち上(のぼ)るわよ。

 

私の色っぽさが、あなたをイライラさせるの?
そんなにショックなこと?
この太ももにダイヤモンドをしのばせたみたいに
私が、あでやかに踊るのが?

 

歴史の恥辱の掘っ建て小屋の中から
私は立ち上がる。
悲嘆に根付いた過去の中から
私は立ち上がる。
私は黒い大洋。跳びはねるように広がり
湧き出し、膨らみながら、潮の中を押し進んでゆく。
恐怖と不安の幾夜をあとにし
私は立ち上がる。
驚くほど澄みやかな真昼のただなかへ
私は立ち上がる。


私の祖先たちがくれた賜物を携えて
私は奴隷の夢、そして希望なの。
立ち上がる。
立ち上がる。
私は立ち上がるわ。

~マヤ・アンジェロウ~
(アメリカの女流黒人小説家、詩人、劇作家、歌手、女優、公民権運動家 1928~2014)

 

Still I Rise
You may write me down in history
With your bitter, twisted lies,
You may tread me in the very dirt
But still, like dust, I'll rise.

Does my sassiness upset you?
Why are you beset with gloom?
'Cause I walk like I've got oil wells
Pumping in my living room.

Just like moons and like suns,
With the certainty of tides,
Just like hopes springing high,
Still I'll rise.

Did you want to see me broken?
Bowed head and lowered eyes?
Shoulders falling down like teardrops.
Weakened by my soulful cries.

Does my haughtiness offend you?
Don't you take it awful hard
'Cause I laugh like I've got gold mines
Diggin' in my own back yard.

You may shoot me with your words,
You may cut me with your eyes,
You may kill me with your hatefulness,
But still, like air, I'll rise.

Does my sexiness upset you?
Does it come as a surprise
That I dance like I've got diamonds
At the meeting of my thighs?

Out of the huts of history's shame
I rise
Up from a past that's rooted in pain
I rise
I'm a black ocean, leaping and wide,
Welling and swelling I bear in the tide.
Leaving behind nights of terror and fear
I rise
Into a daybreak that's wondrously clear
I rise
Bringing the gifts that my ancestors gave,
I am the dream and the hope of the slave.
I rise
I rise
I rise.
 
Maya Angelou

0 コメント

2016年

11月

25日

◆満ち足りた心こそ◆

“幸せ”とは、裸足の人にとっては、一足の靴です。
古い靴しかない人にとっては、それは一足の新しい靴です。
新しい靴を持っている人にとっては、それはより格好いい靴です。
そしてもちろん、足のない人にとっては、裸足であることで十分幸せなのです。
あなたの人生を、持っていないものではなく、
あなたの持っているもので評価なさい。
~マイケル・ジョセフソン~

(Ⅰテモテ 6:6) 「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」

【解説】 このメッセージの大切さもさることながら、この一枚の写真が私にはショッキングでした。世界には、一足100万円を超える靴を何足もそろえている人もいれば、このような廃品を靴代わりにしている人、それ以上に多くの裸足の人、そして戦禍の中で足を失った人もいるのだという現実を、この写真は思い出させてくれます。これは決して忘れてはならないこと、”私は幸せ”と思うときにこそ、思い出さねばならないことですね。キリスト者にとっては、「持っているもので満足する」ことは、いわば初歩、「持っていない人を満足させる」道を日常的に模索することが、主に求められている、さらなる一歩ではないでしょうか?

0 コメント

2016年

11月

15日

《詩》同胞なる君へ

同胞なる君、
誰が君の夢を盗んだのか。
誰が君の理想を取り去ったのか。
君の空想はどこへ行ってしまったのか?

 

同胞なる君、
君の勇気は、いつ萎(な)えてしまったのか。
どんな恐れの背後に
君の微笑みを隠してしまったのか?

 

同胞なる君、
もう一度、君の絵筆を取れ!
起き上がり、君の世界を新たに描け。
君の空想に、もう一度、色付けするのだ。
立ち上がり、新しい歌を歌うのだ。
“愛”に、君とダンスをしてもらえ!

 

同胞なる君、
君の折れた鉛筆を手に取れ。
そして新しい詩を書くのだ!

今日は、“新しい一日”なんだよ!

 

~サム~

0 コメント

2016年

11月

08日

◆日本のキリスト教:小さし、されど深し!◆

日本は、わずか1.5%以下のクリスチャン人口だが、何世紀にもわたるキリスト教との関わりの歴史を持っている。私は個人的に、キリスト教は、多くの西欧人が考えるよりも深く、日本人の意識の中に浸透していると考えている。もしそうでなければ、これほど多くのクリスチャン小説家や作家はいなかったであろう。彼らの本は、クリスチャンにもノンクリスチャンにも、広く読まれている。日本のキリスト教は、確かに西欧人が考えるよりも実に深いものを持っているのだ。

 

キリスト教や他の国の福音化ということを考えた場合、“成功”とはどのようなことだろうか? 数か、影響力か? 量か、質か? もちろん理論的には、両方が大切であろう。信仰者としては、クリスチャンが多数を占め、キリスト教知識や影響力が深い社会を歓迎する。だが我々は、今日に至るまで、本当にそのいずれも併せ持つ国家は見たことがないことを、誰もが知っている。

 

不幸なことに、総体的にキリスト教は、全く商業化してしまい、宣教活動における成功とは、教会の会員数と、回心者の数を発表することに縮小されてしまった。貧困国における商業化されたキリスト教は、自家用ジェット機を持ち、すし詰めのスタジアムで説教し、ぜいたくな暮らしをし、時にはアーチストや映画スターよりも豪華に暮らすエリート牧師を生み出したが、他方これらの国々の”並”の人々は、あらゆるかたちの貧困に苦しんでいるのだ。これらの国では、キリスト教は成長している―少なくとも“数”の上では。だが一方でその同じ国で、貧困と、腐敗と、犯罪と、あらゆる種類のかたちを変えた社会的不安もまた、増大している。実際のところ、かつて植民地化され、キリスト教化された国々の大半は、いまだに経済的に、政治的に、もがき苦しんでいるのである。

 

もし私たちが、”成長”というものを、単に数字や、大きな教会建築物や、野外集会への参加という面から見るなら、キリスト教は、日本では特に成功しているとは言えない。しかし、日本のキリスト教が我々の目にどんなに小さく見えても、それは“深い”と私は言える。日本におけるキリスト教は、世界のために、とりわけキリスト教世界のために、次のような偉大な人物を輩出した。内村鑑三(1861-1930)、植村正久(1861-1925)、遠藤周作(1923-1996)、海老名弾正(1866-1937)、古屋安雄(1926-)、小山幸助(Ⅰ929-2009)、北森嘉蔵(Ⅰ916-1998)、賀川豊彦(1888-1960)、そしてさらに多くの思想家や作家たちを――。クリスチャンの音楽家や画家たちも、世界に影響を与えたし、今も与え続けている。昨年、日本のクラシックのクリスチャン音楽家、鈴木雅明氏が、オランダのカンペン神学大学で、名誉博士号を授与されたことを私は覚えている。日本の牧師たちや聖職者たち、クリスチャン音楽家や歌手たちは、会衆の数の多少にかかわらず、よく務めを果たすことを知っている。彼らは少数の会衆のために説教し、歌うが、あくまでも忠実であり、謙遜なのだ。

 

日本のキリスト教は、その小ささにもかかわらず、芸術や、教育や、哲学の分野で貢献してきた。日本の多くの大学は、キリスト教に建学の基を置いている。男女平等や、労働者の権利運動の幾つかも、同じようにキリスト教の跡をたどることができる。日本におけるキリスト教は、“静かなるキリスト教”である。それは派手さもなければ、巨大なスケールも持ってはいないが、“深い”のだ。私は、日本とキリスト教の組み合わせは、人類全体にとって、とりわけ世界の教会全体にとって、途方もない“たまもの”であると考える。

 

どうぞ日本にある私たちの兄弟姉妹のために祈ってください。そして彼らから学び、彼らから霊の力を受けようではありませんか。そしてまた、日本のキリスト教が、数の上でも成長するように、併せて祈りましょう。

 

~サミュエル・C・リー~

 

Christianity in Japan, Small But Deep!

Japan with less than 1.5% Christians has a centuries-long history of engagement with Christianity. I personally believe that Christianity has penetrated the Japanese consciousness more deeply than many of that Western people might think. If this were not so, Japan would not have had so many Christian novelists, writers whose books are read widely — by both Christians and non-Christians. Japanese Christianity may indeed have greater depths than we in the west might think.

What is success when it comes to Christianity and evangelizing other nations? Numbers, or influence? Quantity or quality? Of course theoretically we all go for both. As Christians we prefer a society with a Christian majority and deep Christian knowledge and influence. We all know that until today we have not seen a nation who have genuinely achieved both.

Unfortunately, global Christianity have become thoroughly commercialized, and success in mission work has been reduced to announcing church membership figures and the numbers of converts. Commercialized Christianity in the poor countries have produced elite pastors who own private jets and preach in fully packed stadiums, living luxurious lives, sometimes even much more extravagant than artists and movie stars, while average population in their countries are suffering from various forms of poverty. Certainly, Christianity is growing in those parts of the world — at least numerically. At the same time in these same parts of the world, poverty, corruption, crime, and all kinds of other forms of societal malaise are also expanding. In fact, the majority of the nations which were formerly colonized and Christianized by the west are still struggling economically and politically.

If we look at growth merely in terms of numbers, large buildings, and multitudes attending open air conferences, we can say that Christianity has not been particularly successful in Japan. However, how small Japanese Christianity looks in our eyes, I can say that it is deep. Christianity in Japan has produced for the world, especially for the Christian world, great personalities like Kanzo Uchimura (1861– 1930), Masahisa Uemura (1861–1925), Shusaku Endo (1923– 1996), Danjo Ebina (1866–1937), Yasuo Furuya (1926–), Kosuke Koyama (1929–2009), Kazoh Kitamori (1916–1998), Toyohiko Kagawa (1888-1960) and many more Christian thinkers and writers. Christian musicians and painters, impacted and are still impacting the world. I remember last year Masaaki Suzuki a Japanese Christian classical musician was awarded honorary doctorate at Kampen Theological University in the Netherlands.  Japanese pastors, ministers, Christian musicians and singers have learned to minister regardless the size of their crowds. They preach and sing for small crowds and yet they remain faithful and humble.

Japanese Christianity in all her smallness, has contributed to art, education, and philosophy; many universities in Japan have their roots in Christianity; gender equality and labor rights movements trace some of their roots to it as well.  Christianity in Japan is a Christianity of silence, it is not a big show, it is not vast or great but it is deep. I consider the combination of Japan and Christianity to be a tremendous gift to humanity as a whole and to the universal church in particular.

Please pray for our Japanese brothers and sisters and let us also learn from them and be inspired by them. Let us also pray that Christianity will number-wise grow as well.

0 コメント

2016年

11月

07日

◆イエスも”難民”だったのです◆

イエスは、難民の移住者として生まれました。権力者たちによって拒否され、迫害され、貧しい家畜小屋に隠れ、しまいには”エジプト”と呼ばれる外国の地に逃れました。イエスは望まれざる移住者でしたが、この世界を全く変えてしまったのです。
私たちは、難民やホームレスの方々を覚えましょう。か弱く、打ちひしがれた者の目から、キリストの涙が流れるのを、私たちは見いだすからです。
~サミュエル・C・リー~

 

Jesus was born as a refugee migrant; rejected & persecuted by authorities, hiding in a humble barn, and eventually fleeing to a foreign land called Egypt. Jesus was the unwanted migrant, who changed the world entirely. Let us remember the refugees and the homeless, for from the eyes of the fragile and the broken we find the tears of Christ flowing.
 -- Samuel Lee (www.blessedmigrants.com)

0 コメント

2016年

11月

05日

◆小さな炎でいいのです◆

あなたががどこにいても、灯(ともしび)になって、全ての傷ついた心を通して輝き、その光を、暗闇を突き抜けるように広げなさい。あなたの輝きがどんなに小さくても、ほんの小さな炎であったとしても、それは暗闇を追い払い、希望の翼が再び飛ぶのを助けることができるのです。
(マタイ 5:14) 「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。」
~サミュエル・C・リー~

 

Wherever you are, be the light and shine through every broken heart, spread out your light and pierce through darkness. No matter how little you shine, even one small flame of yours can chase away darkness and help the wings of hope to fly again. (Remember Matthew 5:14)
Samuel C. Lee

0 コメント

2016年

11月

04日

◆信仰を生きてますか?◆

よい説教をし、異言で祈り、自分の聖職ぶりを見せ、自分の関わる会合やキャンペーン活動を自慢する。――これらのことは、もし私が、自分の人格を聖霊によって変えていただくことを許さないなら、意味のないことです。

もし私が「聖霊なら知っている」と主張しても、自分の周りの人々に、尊厳と、尊敬と、思いやりを持って接しておらず、へりくだることをを知らないとしたら、私の説教の全てはむなしく、私は自分自身を欺いていることになります。

“人格”というものは、あまたの示威的行為と同じように、いえ、たぶんそれ以上に大切なものです。世の人々は、私たちが福音宣教と教会成長のために配布するステキなトラクトやチラシよりも、私たちの“生き方”を読むのです。

~サミュエル・C・リー~

 

Preaching a nice sermon, praying in tongues, showing off my ministry, bragging about my conferences and campaigns are all meaningless when I have not allowed the Holy Spirit to change my character.
 When I proudly claim to know the Holy Spirit, but know not how treat those around me with dignity, respect and compassion, when I know not humility, then all my sermons are in vain and I have deceived myself. Character matters even as much as manifestations do and perhaps even more. People in the world read rather our lives than our nice tracts and flyers we distribute for evangelism purposes and church growth.
 --- Samuel C. Lee

0 コメント

2016年

11月

03日

◆凍れる魂◆

私は自分の目を封じました。
ただあなたがたを見たくないために。

 

私は自分の心を凍らせました。
ただあなたがたを感じたくないために。

 

私はあなたに背を向けました。
ただあなたがたを無視したいために。

 

私は自分の人間性を殺しました。
ただあなたがたを知りたくないために。

 

私はあなたがたを知らないふりをしました。
ただ自分自身の安楽のために。

 

ああ、我が魂よ。ああ、我が魂よ。
お前は、自分自身の偽りの中で、そんなにも凍りついているのか!

 

~サミュエル・C・リー~
(私はこの詩を、難民の方々への連帯の中で、そして彼らをひどく恐れている人々のために書きました。)

 

【訳者ひと言】 これは、著者の住むヨーロッパだけのことではありません。私の周りにも、あなたの周りにも、慰めと励ましのひと言を、そして具体的な助けの手を必要としている、“難民”の方がいるのではないでしょうか?

 

(Frozen Soul)

I have locked my eyes,
 just for the sake of not seeing you,

I have frozen my heart,
 just for the sake of not feeling you

I have turned my back to you,
 just for the sake of ignoring you

I have killed my humanity,
 just for the sake of not knowing you

I have ignored you,
 just for the sake of my own comfort,

Oh my soul, Oh my soul
 you are so frozen in your own lies!

--- Samuel Lee
 (I have written this in solidarity with refugees, and for those who are so afraid of them...)

0 コメント

2016年

11月

02日

《詩》より大きく、深く、多く

全世界を包み込むために、
心はどれほど大きくなれるだろう?

 

傷ついた魂を慰め、
望まれぬ人々を歓迎するために、
目はどれほど深く見通せるだろう?

 

キリストに従うために、
人はどれほど多くの愛を持てるだろう?

 

“聖者”と呼ばれていようといまいと、
私にとってあなたは、本当にその確かな見本なのです。

 

~サミュエル・C・リー~

 

【解説】 この詩から私が教えられたのは、次の2つのことでした。
① この心も、目も、愛も、神様の賜物であるなら、本来、限界はないはず。それを妨げているのは、己の自己中心の罪なのだということ。だから、「主よ、私にそれをもっとお与えください」と祈るときに、それはもっと大きく、深く、多く、自分が思っていたことをはるかに超えて、上から与えられるのだということ。
② 他者のうちに、これらの賜物を見いだして、己が鑑(かがみ)とするのは、聖書が勧める真に砕かれた謙遜の心であり、キリストご自身が身をもって示されたものだということ。
(ピリピ 2:3) 「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」
あなたは、どう感じましたか?

 

How great can a heart be
 to contain the whole world?

 How deep can the eyes be
 to comfort the broken souls
 to welcome the unwanted?

 How much love one can have
 To follow Christ?

 Whether called a saint or not
 for me you are a true example indeed.

 ---Samuel Lee

0 コメント

2016年

11月

01日

◆人生の”大いなるわざ”◆

暗い夜空に星の数を数え、
あえて再び望みを抱(いだ)くのは、
“信仰”のなせるわざです!

 

この世のあらゆる悲しみで、
あなたの喉元が詰まりそうになるとき、
それでも微笑んでいるのは、
さらなる“勇気”のなせるわざです!

 

あなたが傷心の魂を抱えているのに、
進んで人をハグしようとするのは、
“愛”のなせるわざです!

 

傷ついた翼で空を飛ぶのは、
“命”と呼ばれる巧みのわざです!

 

起き上がりなさい、我が友よ。
あなたの人生そのものが、大いなるわざの一部なのですから!

 

起き上がりなさい、我が友よ。
今日は新しい一日です!

~《詩・写真》 サミュエル・C・リー~

 

【解説】 読む人に文字どおり希望と、勇気と、愛を与える詩ですね。原文の深いニュアンスを日本語に訳出するのは私の力の及ぶところではありませんが、act(最初の3連)、art(4連)、Art(5連)と使い分けているところは、それぞれ“わざ”(直訳“行為”)、“巧みのわざ”(直訳“芸術”)、“大いなるわざ”と訳してみました。また、4連、5連に出てくるLife、lifeには、”命”、“人生”というこの語の2つの意味を出してみました。これらの背後には、神様によって与えられた命を、信仰と希望と愛において精一杯に生かすことの大切さと、私たちの人生、生き方を通して“神様の栄光を現す”という創造の大いなるみわざの一部となりなさいというメッセージが読み取れるような気がします。

 

--THE ART OF LIFE--

Counting the stars in a darkest night,
 and daring to hope again,
 is an act of faith!

 Smiling
 despite all the sorrows of the world
 choked up in your throat,
 is yet an act of courage!

 Despite your broken soul,
 willing to hug,
 is an act of love!

 Flying with broken wings,
 is an art called Life!

 Arise my friend,
 for your life itself is a piece of Art!

 Arise my friend,
 it's a new Day!

 (Samuel C. Lee)
 Photo (Samuel C. Lee)

0 コメント

2016年

10月

30日

◆本当に変わりたいのですか?◆

昨今は、まじない師や呪術師たちの役割は、私たちクリスチャンの中の、ある牧師たちや預言者たちに取って代わられました。あるクリスチャンたちは、これらの教職者たちに、どんなに小さなことについても、即座に預言や神からの言葉を聞かせてくれるよう要求します。それでいて、これらのクリスチャンのほとんどは、自分自身で神を見いだそうという意志はなく、いつでも間に立つ“媒体”が欲しいのです。これは危険であり、破壊的です。もし私たちが変わることを望まないなら、もし変わるための努力を何もしなければ、誰であろうと、牧師であれ、説教者であれ、伝道者であれ、あるいは神ご自身でさえ、あなたを変えることはできないのだという事実を、私たちは理解しなければなりません。
~サミュエル・C・リー~

 

These days the role of shaman/ fetish priests has been replaced by some pastors and prophets within us Christians. Some Christians demand from them an instant prophesy or a word from God for every little thing. Yet, most of these Christians are not willing to find God for themselves, they always need a medium... This is dangerous and destructive... We have to understand this fact that nobody, no pastor, preacher, evangelist, or even God Himself can change us if we don't want to change, if we don't make any effort to change. (Samuel Lee)

0 コメント

2016年

10月

29日

◆”常識”という名の信仰◆

あるクリスチャンのグループでは、”常識”は霊的ではなく、何か信仰を欠いたもののように見なされています。常識が不在のところでは、私たちは、巧妙な人為操作や、欺きや、失望させる事柄に対して、無防備に陥ります。ある伝道者が、あなたに自分の家や車を売り、そのお金を彼の活動のためにささげなさいと言うとしたら、あなたは霊的である必要はありません。常識があれば十分です! ある牧師が、あなたに夫や妻を愛する以上に教会を愛しなさいと言うとしたら、聖霊にそれを確信させてもらう必要はありません。あなたに必要なのは常識です。
あなたの常識を用いなさい。決して誰にも、神や教会や聖霊の名において、あなたを操らせてはなりません。
~サミュエル・C・リー~

 

【解説】このコメントは、信仰生活で陥りがちな、聖性を求めるあまりの”常識欠如”という危険性と、常識の中に働く真の聖性という大切なポイントを突いています。

 

-Common sense-
In some Christian circles, common sense is considered as unspiritual, something that lacks faith. When common sense is absent, we are vulnerable to manipulation, deception and disappointments. When a preacher asks you to sell your house or car and give the money to his ministry--you do not need spirituality, but common sense! When a preacher demands you to love the church more than your husband or your wife, you don't need the Holy Spirit to convince you; you need common sense. Use your common sense and don't allow anybody to manipulate you in the name of God, Church or the Holy Spirit. ---Samuel C. Lee

0 コメント

2016年

10月

28日

◆「ノー!」と言うのです◆

ダメ、いけない! 私は、それが起こるのを見ても何も言わずいる人の沈黙ほどには、悪を恐れない!
~サミュエル・C・リー~

 

 

0 コメント

2016年

10月

24日

◆あなたの”信仰”の中身は何ですか?◆

 私たちが、”神の愛”それ自体よりも、

自らの“信仰”を愛するなら、

私たちがどれほど神を愛していようと、

他の人をひどく傷つけ、

その人の生涯にわたって

それに従うよう要求し続けることになるかもしれません。

ただ自らの信条と伝統を守りたいがために――。

 

私たちはイエス・キリストに従います。

それは、キリスト教信仰のためではなく、

教派のためでもなく、

礼典にあずかるためでもなく、

自らの聖書解釈のためでもありません。

 

私たちはキリストに従います。

”キリストのような愛”、ただそのことのためです。

“キリストのような愛”を持たなければ、

全てのことは無意味なのです。

 

~サミュエル・C・リー~

0 コメント

2016年

10月

19日

◆隣人愛、してますか?◆

“糖衣錠”タイプの(訳注:見かけのよい、不快要素を隠した)福音の提示は、麻薬以上に病みつきになり、毒のように致命的なものです。行動に移すことなしに何時間も哲学的な神学をとうとうと語ったり、何時間も異言で祈ったりしながら、同胞の苦しみは見て見ないふりをする。――これらは、全て空虚で生命のないものです。それは、”敬虔”を装ってはいますが、神の戒めの真髄である“隣人を愛しなさい”のご命令を否定しているのです。

sugar-coated presentation of the gospel is more addictive than drug and as deadly as poison. Talking philosophical theology for hours without action or, praying in tongues for hours, but neglecting the suffering of fellow man --are all empty and Spiritless. They may have the form of godliness, but deny the very essence of God's command: NEIGHBOURLY LOVE.

0 コメント

2016年

10月

18日

◆”善きこと”を選びましょう◆

―ガラテヤ6:7-10に寄せて―

 

“善きことをする”というのは、
私たちを面倒なことや誤解や不愉快なことに
巻き込むかもしれない“選択”です。
でも最後には、私たちに大きな実りをもたらすのです。

“善きことをする”道をお選びなさい。
たとえそれで傷つくことがあっても!
私たちは、植えたものを刈り取ることになるからです。
~サミュエル・C・リー~

0 コメント

2016年

10月

18日

◆”義”のメッセージを発信していますか?◆

キリスト者のメッセージ(使信)は、たとえ相手が私たちとは異なる人々であっても、全ての人にとって公平な“正義”であるべきです。人々が助けを必要としているときには、私たちは立ち上がって、一つの声を発しなければなりません。今のときは、不法・不正に対して、私たちが、アッシジのフランチェスコのように、ジョン・ウェスリーのように、マザー・テレサのように、キング牧師のように、声を一つにして話さなければならない時なのです。
今、私たちが歌っている「アメイジング・グレイス」のような歌も、キリスト者たちの、正義への追求と積極的な行動に端を発していることを忘れないでください。
~サミュエル・C・リー~

 

Christian message should be the one of justice for all, even for those who are different than us. When people are in need, we have to rise and become one voice. These are the days, we need Francis of Assisi-like, John Wesley-like, Mom-Theresa-like, dr. King-like to speak as a voice against injustice. Remember the songs like Amazing Grace we sing today are rooted in the activism and pursue of believers for justice.

Samuel C. Lee

0 コメント

2016年

9月

19日

◆神の国における成功◆

神の国における“成功”とはどういうものか、人間の規準では定義できません。まことの成功とは、“神様の心”に従って生きることです。たとえ私たちの行動が、他の人には、どんなに小さく、取るに足らず、バカげたものに見えても――。大切なのは、私たちが、あえて“イエスの道”を愛したかどうかなのです。
~サミュエル・C・リー~

 

Success in the Kingdom of God is not defined by human standards. Real success is living after the heart of God; no matter how small, how insignificant, or ridiculous our actions seem to others. What matters is that we dared to love Jesus' Way.
 --Samuel C. Lee

0 コメント

2016年

9月

18日

◆私の考える自由◆

“自由”というのは全体的に考えるべき事柄です。ある人が、たとえ私と同じように信じ、考えていないとしても、自由であることを否定されているとしたら、私は自由を楽しむことはできません。同時にまた、“自由”というのは、お互いの尊敬と、愛と、人間性の尊厳の境界を踏み越えることによって、それぞれの人の人生を、荒々しく足蹴にして歩み去ることでもありません。
~サミュエル・C・リー~

 

Freedom is a matter of wholeness. I cannot enjoy freedom, when to another fellow human being freedom is denied--even when that fellow human being doesn't believe or think like me. At the same time freedom doesn't mean to brutally walk over each others' lives, by breaking the boundaries of mutual respect, love and human dignity. - Samuel C Lee

0 コメント

2016年

8月

29日

◆帰らざる今日の日をいとおしんで◆

人生はあまりに早く過ぎてゆきます。まるでタブレットやスマートホンのスライドショーのようです。私たちの愛する人々の一枚一枚の写真は、ただ思い出だけになって、人生がいかに早く過ぎ去るかを思い起こさせるのです。そこにいるのは、昨日あなたと一緒にいた人、先月、あるいは去年一緒だったのに、もう今は会えない人たちです。
そう、人生はスライドショーです。それは、私たちが、周りの人々を心から、忍耐をもって愛すべきこと、そして彼らのために時間をつくるべきことに気づかせてくれます。なぜなら、それらの機会は、二度と訪れないからです。
神様があなたの人生に配された、これらの人々と共に、毎日をお楽しみなさい。これ以上に大切なことはありません。神の奉仕、成功、教会、仕事…、これらのことも、私たちの人生に訪れるあらゆる時、全ての人々を喜び、感謝することができなければ、“無”に等しいのです。

 

Life passes by so fast, just like a slideshow on the screen of a tablet or a smart phone. Each photo of our loved ones, are only memories, reminding us that life goes so fast. They remind us of those who were with us yesterday, last month or last year but are no more with us today.
 Yes, life is like a slideshow, reminding us to love those around us genuinely, patiently and make time for them, for these moments can never return twice.
 Enjoy everyday with those God has placed your life. Nothing matters; ministry, success, church, job, --nothing matters when we are not able to appreciate every moment and every person in our lives.

0 コメント

2016年

8月

28日

◆故郷をはるか離れて◆

故郷(ふるさと)から遠く離れて
思い出だけが私の魂に映し出される。
バビロンの川のほとりで
シオンを思い起こしながら…。

 

《作者ひと言》 少し前、この小さな葉が私の車のフロントガラスに落ちているのを見ました。窓ガラスの上に静かに横たわっているその風情は、何かいっぱいの感情を秘めているように、少なくとも私には思えました。落ちた一枚の葉。他の葉っぱから切り離されて…。それは私に、愛する人から、そして祖国から切り離された難民の人々を思い出させました。私はまた、捕囚の時代の聖書のイスラエルの民に思いを馳せました。実のところ、それは私自身の物語でもあるのです。私が母国のペルシャ(現イラン)を離れてからもう35年になります。以来一度も故郷を見たことはありませんが、いつの日か、この目で見るつもりです。

 

-Far Away-

Far away from home,
 Only memories mirror in my soul
 by the rivers of Babylon
 Remembering Zion

(A while ago I saw this little leaf fallen on my car's front window --- somehow the way it was resting on the window was full of emotion - at least to me-, a fallen leaf, separated from other leaves ... It reminded me of refugees who are separated from their loved ones, and their country... I remembered Israelites in the holy bible during the captivity. Actually this is also my story. It is now 35 years ago that left my motherland and never saw it again, may be one day I will )

0 コメント

2016年

8月

27日

◆愛は聖霊の力◆

愛は、善と、光のうちにあることを追い求める人々にとっては、蜂蜜のように甘いものです。けれども、愛は、暗闇を楽しみ、悪を実行する人々にとっては、苦々しく、大いなる破壊力を持つものとなります。ペンテコステ派である私にとっては、無条件の愛は、聖霊のしるしです。人が、イエス様のために、また愛する人々のために自らの命を危険にさらし、世界の最も危険なところに出ていき、貧しい人々や抑圧されている人々のために薬を提供するとき、その人は、裕福な西欧社会の空調完備の教会で、異言によって祈る人よりも、もっと聖霊に満たされているのです!
愛は力であり、広大で、ほとんど御することができないほどの力です。私は、イエス様が「使徒の働き」1章で言われた力は、まさにその愛だと考えています。無条件の愛を経験することは、私たちに、なしえないことをさせます。愛は、私たちを、愛することのできなかった人に仕えさせます。行くことのできなかったところに行かせ、最も困難な仕事をさせます。愛は決して絶えることがありません。そして愛は、聖霊によって与えられるのです。この愛は、“力”です。
~サミュエル・C・リー~

 

Love is as sweet as honey for those who pursue goodness and belong to light, but love is bitter and has great destructive force for to those who enjoy darkness and practice evil. For me as a Pentecostal, unconditional Love is the sign of the Holy Spirit. When a person risks his or her life for the sake of Jesus and for the love of his or her fellow humans and chooses to go to the most dangerous areas in the world and distribute medicine for the poor and oppressed, he or she is as much filled with Holy Spirit as the one who is praying in tongues in a fully air-conditioned church in the affluent West!
 Love is a force, a vast and almost untamable power. I realize that the power Jesus spoke about in Acts chapter one is that of love. The experience of unconditional love makes us do things that we were incapable of doing. Love moves us to serve people that we were unable to love, to go places we were unable to go and do the hardest jobs. Love never fails, and this love is given to by the Holy Spirit. This love is Power.
 --Samuel C. Lee

0 コメント

2016年

8月

26日

《詩》終わりなき愛

時の断片の中に、
ひと息の終わりなき微風の中に、
ひとつの瞳の美しさの中に、
私は花を見た。
一本のバラ、
一つの命、
一つの物語、一つの言葉を。

永遠の愛が
花開いた
ほほえんだ!

ああ 愛なる方よ、あなたは何者ですか?
子どもさえ、
旅路を終わろうとする老いた人でさえ、
あなたの内に花開くとは。
あなたは何者なのですか?
終わりなき物語の一つ一つでさえ
あなたの内に結びを迎えるとは。

私は花を見た。
一本のバラ、
一つの命、
一つの物語、一つの言葉を。

永遠の愛が
花開いた
ほほえんだ!

~サミュエル・C・リー~

(私は、私たちの主の愛がどんなに深いかに気づいて強く心を動かされたので、この詩を書きました。主の愛は、もうすでに私たちを取り囲んでおり、とりわけ、私たちの周りの小さな事どもの中に示されているのです。)

 (Eternal Love)

In a fraction of a moment
 In an endless breeze of a breath
 In the beauty of an eye
 I have seen a flower
 A rose
 A life
 A story, a word

An eternal love
 Blossomed
 Smiled!

Oh Love, what are you
 That even a child
 Or an old ending journey
 Will bloom in you
 What are you that even
 Every endless story
 ends in You

I have seen a flower
 A rose
 A life
 A story, a word

An eternal Love
 Blossomed
 Smiled!

---Samuel Lee

(I wrote this poem because I was so touched by realizing how deep is the love of our Lord...And His love is already surrounding us, especially in little the things around us )

0 コメント