2019年

6月

18日

◆考えさせる4つの知恵の言葉◆

1.《金の友、ダイヤの友》

古き友は“金”。新しい友は“ダイヤモンド”です。

ダイヤを手にしたときには、金を忘れないようになさい。

ダイヤを支えるには、常に金の台座が要るのですから。

Old friends are gold. New friends are diamonds. If you get a diamond, don’t forget the gold. To hold a diamond, you always need a gold base.

 

2. 《人の信頼、神の信頼》

神様があなたの問題を解決されるとき、

あなたは“神様の能力”に信頼します。

神様があなたの問題を解決なさらないとき、

神様は、“あなたの能力”を信頼しているのです。

When God solves your problems, you have faith in His abilities. When God doesn’t solve your problems, He has faith in your abilities.

 

3. 《肉眼の視力、霊の視野》

一人の盲人が、聖アントニオに尋ねました。

「“視力”を失うこと以上に悪いことはありますか?」

聖アントニアは答えました。

「あるとも。“視野”(ヴィジョン)を失うことだ。」

【解説】聖アントニオは、“バドヴァのアントニオ“と呼ばれた12世紀のカトリックの聖人です。さすが彼の答えは、含蓄に富んでいますね。彼は、肉眼の視力は正常で、それなりの視野を持っていたとしても、心の視野、すなわち物事を広く見渡す力、将来への展望を失ってしまったら、それは“心の盲目“と同じことだと言いたかったのです。さらに、肉(この世)の全てを見られたとしても、霊の世界が見えないとしたら、それは滅びにつながる”魂の盲目“と言わなければなりません。臨終の時、「もっと光を!」と叫んだのはゲーテですが、私たちには、心の闇を照らし出す、“光なるキリスト”がぜひとも必要なのです。

(ヨハネ8:12) 「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

A blind person asked St. Anthony if there was anything worse than losing one’s eye sight. He replied “Yes, losing one’s vision!”

 

4. 《イエス 論争の終結者》

およそ2000年前、

イエスは、命に関わる論争に終止符を打たれた。

彼は、全ての人のために死なれたのだ。

【解説】 深いですね。この“命に関わる論争”の最たるものは、あの金持ちの青年の問いに代表される、「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか」(マタイ 19:16)という問題です。律法学者、パリサイ派の指導者は、「神の律法をことごとく守れ。それによって永遠の命に入れ」と人々に善き行いを強要しました。しかしキリストは、それに真っ向から異を唱えました。そして、十字架の上で、全ての人の罪を身代わりに負って死なれ、三日目によみがえり、昔も今も、再び来られる日まで、「この私をただ信じよ。そして永遠の命を得よ」と私たちに呼びかけておられるのです。イエス・キリストの十字架は、不毛な人間の論争の“終止符”の証しでもあるのですね。

Over two thousand years ago, Jesus ended the debate on which lives matter. He died for all.

 

【FBギャラリー】No.56 アルバート・リンチ 「夏の散歩」

0 コメント

2019年

5月

24日

◆人生についてのミニ瞑想◆

1.《人生は過ぎゆくもの…》

人生に起こる全てのことは、“一時的”なものです。

もし物事がうまくいったら、それを楽しみなさい。

もしうまくいかなかったら、思い煩わないことです。

【解説】 これ、人生哲学の“要諦”ですね!

All things in life are temporary. If it goes well, enjoy it. If it goes poorly,don’t worry.

 

2.《車の窓から学ぶこと》

なぜ車のフロントガラスはあんなに大きくて、

バックミラーはあんなに小さいのでしょうか?

それは、私たちの“過去”は“将来”ほどには重要でないからです。

さあ、前を向いて、進みましょう。

【解説】 これは、考えたこともなかった“車の哲学”ですね。でも…言えてます!

Why is a car’s windshield so big and its rear view mirror so small? It’sbecause our past is not as important as our future. Look ahead and move on.

 

3.《人それぞれに、神の最高傑作》

人は、一人一人が、自分なりの生き方で、すばらしいのです。

なぜなら神様には決して“失敗作”はないからです。

【解説】 これも、忘れてならないことですね。よく「自分のことは自分が一番よく知ってる」と言いますが、それは半分しか当たっていません。“一番よく”知っているのは、あなたを創った神様です。人は誰でも、どんなによくできる人でも、何かしらコンプレックスを持っています。中には、自分では何一つ取り柄がない、あれもダメ、これもダメ、とコンプレックスの塊になっている人もいます。私たちに何より大切なのは、どんなときにも、自分を“創り主の視点”から見るということです。「私はあなたを、失敗作に創った覚えはないよ。あなたは私の美しい(英語では、上記で“すばらしい”と訳したbeautiful)傑作だ」というみ声を聴くことです。落ち込んだ時は、「神に失敗作はない!」と心に叫んでください。

Everyone is beautiful in their own way because God makes no mistakes.

 

4.《友情のもろさと大切さ》

友情は本のようなもの。

燃やすには数分あれば済むが、

書くには何年もかかるのだ。

【解説】 これは“友情哲学”です。一度燃やした本は、元には戻りません。何年もかけて書き加えてきた貴重な言葉の全てが、一瞬にして失われるのです。”友情”という名の本に、生涯かけて美しい言葉を書き加えてください。そして、決して汚したり、水浸しにしたり、燃やしたりしないでください。その本は、きっといまわの際まで、あなたのベッドのそばにいてくれます。

Friendship is like a book: It takes a few minutes to burn, but years to write.

 

5.《終わりじゃない、曲がり角です》

しばしば、私たちが希望をなくし、“もうおしまいだ”と思うとき、

神は天からニッコリ笑って、こう言われます。

「リラックス 楽になさい。

これは“おしまい”じゃない。 (endエンド)

ただの“曲がり角”だよ“」と――。(bendベンド)

【解説】 いいですね、こういうアメリカ流言葉遊びのユーモアって。長い人生の中には、もうにっちもさっちもいかなくなって、暗い絶望の淵に立たされることがあります。私にとっても、80年近く生きてくるうちには、何度かそういうことがありました。最近では愛する妻の突然の死です。もう目の前が真っ暗。前方は行き止まりです。でも、それは終わりじゃない。人生の曲がり角なのです。先が見えないという点では、行き止まりと同じですが、曲がり角は、勇気をもってそこを曲がったときに、思っても見なかった新しい世界が開けるのです。あなたはどうでしょうか? もし今がそうなら、あるいは将来そういう局面に立たされたら、叫んでください。「これはベンドだ。エンドじゃない!」と。そして上を見上げてひと言、「そうですよね、神様?」と――。

Often, when we lose hope and think this is the end, God smiles from above andsays, “Relax. It’s just a bend, not the end.”

 

【FBギャラリー】No.46 オマー・ポラス・マーリン 「深緑」(“コスタリカの東山魁夷”!)

0 コメント

2019年

4月

29日

◆人生の知恵に満ちた7つの言葉◆

1.かつて私たちを世話してくれた方をお世話できることは、最も大いなる誉れの一つです。

【解説】 人にはいろいろな光栄や栄誉がありますが、それは自分の功績に対するものであってはなりません。私たちにとっての光栄は、長年にわたって受けたご恩に報いることです。お世話をするのではなく、させていただくのです。そしてそれは、神様の尽きせぬ恵みに対する私たちの献身の“型”でもあることをしかと覚えましょう。

To care for those who once cared for us is one of the highest honors.

 

2.罪びとは、自分と違うやり方で罪を犯すと言って、他の罪びとを裁くのです。

【解説】 ハハハ、これ、まじめな真実であると共に、笑えるユーモアですよ。シーンで想像するなら、泥棒が、もう一人の泥棒に、「お前、なんで盗みに入るのに、いちいち靴を脱ぐんだよ。土足でいいんだ。寸暇を惜しんで盗らなきゃダメだろうが!」と文句を言うようなものです。ダメな盗み方にケチをつけて、同じ窃盗罪を犯していることは棚に上げています。ことほどさように、私たちは、神様の前では同じ自己中心の罪びとであることを忘れて、自分と同じようにしない人を無意識に裁いているということを、いつも自戒したいものですね。

Sinners judge sinners for sinning differently.

3.

難題は、人生を面白いものにし、それに打ち勝つことは、人生を意味あるものにします。

Challenges are what make life interesting and overcoming them is what makes life meaningful.

 

4.私たちが、やるのを最も恐れることは、たいてい私たちが最もやる必要のあることです。

【解説】 痛いところを衝かれますね。しなければならないと分かっていること、それをするには時間的、労力的、経済的負担と犠牲が伴うと知っていることだから、やるのが怖いのですね。そんなときは、成し終えたときの喜び、すがすがしさ、そのあとの生活の快適さを目いっぱいイメージして…やるっきゃありません!

What we fear doing most is usually what we most need to do.

 

5.神様が「水の上に足を踏み出しなさい」と言われるときは、舟にとどまっていてはいけません。

【解説】 これは、もう言わずもがな、マタイ14:22-34のペテロのモチーフですね。ここで求められる勇気は、上記3、4にも通じます。この5で大切なのは、「踏み出せ」と言われるお方は、前方でみ手を広げて待っておられることを忘れない、ということです。倒れたり、おぼれたりしかかったら、とっさに手を差し伸べてくださるのです。それを信じ、ゆだねて一歩を踏み出すことです。

Don’t stay in the boat when God’s calling you to step out on the water.

 

6.精神的に、身体的に、霊的に成長した人は、“成長は安寧の中には見いだせない”ということをよく知っています。

【解説】 これは真理ですね。あなたはご自分の信仰は成長していると思いますか? “う~ん、そんなには…”と思う人は、特に大きな問題も課題や重荷もなく、かなり安楽な信仰生活を送っているのではありませんか? 人は生みの苦しみと、失った悲しみを通して、一歩上に登れるのです。信仰の高嶺に近づけるのです。聖書の中には、アブラハム、モーセ、エリヤ、ヨブ、ペテロ、パウロ、…誰一人として、安寧の中で信仰の成長を遂げた人はいません。3、4、5そしてこの6と読み進めて、何か心の中で促すものがあったら、それを神様に打ち明けて、新たな成長への一歩を踏み出されますように。身体的成長はさておき、主に在る私たちが精神的、霊的成長を遂げるのに年齢制限は一切ありません。上に登れないときは、深く深く道の奥を探ればいいのです。キリストの光を求めて――。

Anyone who has grown mentally, physically or spriritually knows that growth is not found in comfort.

 

7.私は幸運とか魔力とかは信じません。私は神様と、そのお恵みを信じます。

【解説】 これが、今日の7つの言葉の結論です。これはある意味、次の伝道者の書(コヘレテの言葉)の結びの言葉にも通じます。

(伝道者の書12:13) 「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」

今日の後半3-6では、上を目指してチャレンジしよう、一歩踏み出そうと勧められましたが、私たちの全てを知り、最善にコントロールしてくださるのは神様です。それを忘れてなされる努力には、己の力に頼ろうとする律法主義への危険性がいつも潜んでいます。私たちが信仰によってなす全てのことの上には、常に神様がおられる。この「神を信じ、神を畏れ、その命令を守る」こと。そして全ての業は、「神様の恵みと祝福」があってこそ行うことができるのだということを、私たちは、片時も忘れてはならないのですね。栄光神のみにあれ。ソリ・デオ・グロリアです。

I don’t believe in luck or magic. I believe in God and His blessings.

0 コメント

2019年

2月

10日

◆”祈り”について心に留めたい3か条◆

1.《心配も祈りも“会話”なのです》

“心配事”は、あなたが変えることのできないことについて、自分自身と語る会話です。

“祈り”は、神様が変えることのできることについて、神様と交わす会話です。

【解説】 心配事が“会話”だなんて、ちょっと意外でしたね。でも同じ会話でも、これはかなり違います。“心配事”の会話の相手は自分自身。その実態は“堂々巡りの繰り言”で、何の解決ももたらしません。いつまでたっても、前には進めないのです。でも“祈り”は、全能なる神様との会話です。祈りを通してのみ、私たちは神様に自分を変えていただき、上よりの力を授かって、前に進んでいけるのです。

Worry is a conversation you have with yourself about things you cannot change.

Prayer is a conversation you have with God about things He can change.

 

2.《祈りは、パンクしたときの予備タイヤですか?》

“祈り”は、あなたが困ったときに引っ張り出す“予備タイヤ”(spare wheelスペアホイール)ではありません。“祈り”は、あなたの人生の旅路で、正しい道にまっすぐ連れていってくれる“ハンドル”(steerring wheelスティアリングホイール)なのです。

【解説】 これは、英文ならではの、似た言葉を用いた言葉遊びによる、うまい例えです。“祈り”を、“苦しい時の神頼み”よろしく、心のトランクにしまい込んでいてはいけません。車輪があっても、燃料満タンでも、ハンドルなしに車は動けないように、私たちも、“祈り”なしには人生道路を目的地目指して走ることは不可能なのです。”祈り”こそ、我がライフカー(人生車!)を動かすハンドルであることを、しかと心に刻みましょう。

Prayer is not a spare wheel that you pull out when in trouble. It’s a steering wheel that directs you down the right path through your journey.

 

3.《誰かが祈ってくれてるのを忘れないで》

あなたが誰かのために祈るとき、神様はそれをお聴きになり、その人を祝福されます。だからあなたが“無事で幸せだ”と感じたときは、誰かがあなたのために祈ってくれたのだということを、忘れないようになさい。

【解説】 これが“とりなし”の祈りの真髄です。ある人が、「私たちが、とりなしに身が入らないのは、自分がとりなしの祈りをした人が祝されても、それを自分の“功績”にできないからだ」と言いました。まさしくそれは、人間の自己中心性を如実に示す鋭い分析ですが、そんな私たちは、一つ大きな思い違いをしています。それは、誰に知られなくても、私たちのとりなしの祈りは、“神様に聴かれている”ということを忘れていることです。あるいは、頭で分かっていても、それを心から信じられないことです。今、それをもう一度心から信じて、愛する人のために、とりなす者に変えていただきましょう。そして一方、様々な危機から免れたとき、心に平安と喜びが沸き上がったとき、思いがかなって幸せに満ちあふれたときには、「祈られてる!」と思い出して、感謝をささげましょう。あなたの人生に、“当たり前に起こること”は、何一つありません。全ては、大きなことも小さなことも、誰かのとりなしを聴きあげてくださる神様の愛のみ手の中で起こるのですから――。

When you pray for others, God listens to you and blesses them. Sometimes, when you are safe and happy, remember that someone has prayed for you.

0 コメント

2019年

1月

19日

◆兄弟愛: 最も難しいわざ◆

私たちは、物質的に豊かになればなるほど、

道徳的、霊的には貧しくなった。

私たちは、空中を鳥のように飛び、

水中を魚のように泳ぐことを学んだ。

だが、“同胞(はらから)として共に生きる”という

最も単純なわざをいまだに学んでいないのだ。

~マーティン・ルーサー・キング Jr. (1929-1968)~

 

【解説】 今年は、キング牧師生誕90周年で、この1月15日が誕生日でした。来週の1月第3月曜、21日が、アメリカの多くの州でそのことを祝い、彼の業績をしのぶ国民の休日です。生きていれば90歳、でも彼が凶弾に倒れたのは、39歳の、惜しんで余りある若さでした。

黒人の人権の確立のために生涯闘い、そのために命をささげた彼が残した多くの言葉の中で、今日はこの言葉に耳を傾けましょう。彼の死から半世紀を経ても、彼が最も心を痛めたこの事実は、いまだに変わっていないのです。けれども彼は、その厳しい現実の中で、I have a dream – one day…と叫びました。彼の”夢”(信念)の根拠は、聖書に、そしてそれを可能にするイエス・キリストの再臨の日にありました。その夢は、かの日を望みつつ、私たちが実現していくべきものとして、一人一人に託されているのです。私が、あなたが、自分の置かれた場所で、お互いのあらゆる違いを超えて、”兄弟姉妹”として愛し合うことを通して――。

 

The richer we have become materially, the poorer we have become morally and spiritually. We have learned to fly the air like birds and swim the sea like fish, but we have not learned the simple art of living together as brothers. – Martin Luther King Jr.

0 コメント

2018年

12月

31日

◆恵みの回顧と新年への期待の5か条◆

1.《ラッキーじゃない。グレイスです》 

あなたの持っているものは、どれ一つ、ツイてたから、あるいは、たまたま手に入ったから得られたものではありません。全ては神様の恵みと愛顧によるものです。

(Ⅰコリント 4:7) 「いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」

(詩篇 103:2) 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

Nothing you have is because of luck or chance. It’s all due to God’s

grace and favor.

 

2.《ここにも避けるべき人が》 自分のやったことに責任を持てない人、あるいは自分が悪いことをしておいて、それに腹を立てるあなたに“怒った私が悪いのかな”と思わせるような人――。こんな人からは離れていなさい。

【解説】 “クリスチャンはすべからく、いつでも聖人君子でいなければいけない”。―この悪しき律法主義に縛られる必要はありません。イエス様は、まさにこのような自己義認者たちに怒られたのです!

Stay away from people who can’t take responsibility for their actions and who make you feel bad for being angry at them when they do you wrong.

 

3.《一番でなければいけないの? ノー!》 

人生は、あなたが“ベスト(最高)”であることを求めてはいません。“ベスト(最善)を尽くすこと”を求めているだけです。-H・ジャクソン・ブラウンJr.

【解説】 “人生は”を“神様は”と読み替えて読んでください。“一番”でなくていい。主は、どんなに困難な状況の中でも(時として絶望的な状況であっても)、“最善”を尽くす人の涙と労苦を、決して無駄にはなさいません。

(Ⅰコリント 15:58) 「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」

Life doesn’t require that we be the best, only that we try our best.

– H. Jackson Brown, Jr.

 

4.《必ず目的地に着く人》 

神と共に歩む人は、

どんなことがあっても

目的地に到達します!

【解説】 なぜでしょうか? 神様が“目的地”を握っておられるからです。あなたが、目的・目標を定め、それに向かって主と共に歩む一歩一歩、一日一日の中に、神様の“目的地”はあります。その“歩み”が、ある意味、神様の“目的”なのです。そして気がつけば…、あなたは神と共に目的地に到達している自分を発見して、驚き、感謝するでしょう。私は、何度もそれを体験しました。

The man who walks with God always reaches his destination!

 

5.《神様は最高のプロミスキーパー》 

神様の私たちへの最も大切な約束はこれです。

「私は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(訳注:へブル13:5)

神様は“プロミスキーパー(約束を守る人)”です。

【解説】 来る新しい主の年、2019年がどんな年になるか、私たちには分かりません。でも、“インマニュエル(我らと共にいます)”主の、このお約束がある限り、私たちは、人生のどんな修羅場の中をも生きていけるのです。そう信じることが、“信仰”です。それは、この“プロミスキーパー”なるお方を、一瞬一瞬、“信じ”、“仰いで”生きていくことなのです。あなたの上に、主の祝福がありますように――。

His most precious promise to us: I will never leave you nor forsake you. God is a promise keeper.

0 コメント