諦めることと、
もう十分に満ち足りたと知ることには、
違いがあります。
【解説】 なるほど。では、どう違うのでしょう? “諦める”ことは、それが自分にはふさわしくないこと、自分の力では実現はかなわないことを認めて、なおも求め続けることを、潔く放棄することです。
“十分得たと知る”ことは、与えられたものに心から満足し、これ以上は要らないと判断して、求めないことです。
望みを放棄することと、最初から望まないことには、確かに違いがあります。けれども、それぞれに良いこともあります。
前者は、これ以上無駄な労力も、財も、時間も費やすことなく、新たな目標の達成を目指して再スタートすることができます。
後者は、与えられたものに感謝し、日々満ち足りた心で平安に過ごすことができます。
どちらにも共通していることは、”己をよく知り、己の分に応じて堅実に生きる“という人生への姿勢です。この生き方を、主は祝福してくださるのです。
(Ⅰテモテ6:6-8) 「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。」
There is a difference between giving up and knowing when you have had enough. (by Learning in Life)
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