◆人生を考える(3)◆

1.《外出の時は“愛のしるし”を》

外に出るときは、

キスや、ハグや、“愛してる”の言葉なしに

家をあとにしてはなりません。

【解説】 ハハハ、頭から「日本人にはムリ!」と言って無視しないでください。大切なのは愛を表す動作ではなく、その気持ちを、見送る人にきちんと伝えておくということです。人の命は、神のみぞ知る、”ちょっと出てくる”つもりが、永遠の別れにならないとは、誰も言えないのです。現実に「あの時、ひと言感謝の気持ちを伝えておけば…」とか、もっと悲しいのは、「ケンカしたまま出てきてしまった…」と悔いの涙を流す人が、多くいるのです。ハグは、最初こそ抵抗はあっても、慣れれば、これほどいい愛情表現はありません。ムリなら両手での優しい握手を。あるいは「ありがとう」のひと言を!(「何が?」とけげんな顔をされたら、「みんなだよ」と答えればよろしい。)。

同じように、愛する人が帰ってきたら、おざなりでなく、神様と相手への感謝の心を込めて「お帰りなさい」と言ってあげてください。(妻が天に帰って、その一言が聞けないことがどれほど寂しいことか、身をもって知りました…。)

Never leave home without a kiss, a hug and an I love you. (by The Joy Page)

2.《最高の家庭教育》

私は、ビル管理人の方を、CEO(経営最高責任者)と同じ尊敬を持って扱うようにと育てられました。

【解説】このように子どもを育てた両親は、他に何ができなくても、”最高の親”であり、親としての“再重要な責任”を果たしたのだと言えるでしょう。このようなしつけを受けた人が、優れた教育者、政治家、社会運動家になるのです。いえ、その人は、何よりも、神の前に、本当に神のみ姿に創られた人間として、受け入れられるでしょう。

I was raised to treat the janitor with the same respect as the CEO. (by The Joy Page)

3.《喜びはどこから?》

喜びは、“モノ”の中にはありません。

喜びは、“私”のただなかにあるのです。

【解説】①“喜び”は、“祈り”、“感謝”と共に、神様からの“24時間体制”のご命令です。

(Ⅰテサロニケ5:16) 「いつも喜んでいなさい。」

②”喜び”は、み霊の実です。

(ガラテヤ 5:22,23) 「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」

③“喜び”は、み霊が生み出すからこそ、“私”の内にあり、そこにとどまらずあふれ出て、良き業を促すのです。

(Ⅱコリント8:2)「苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。」

Joy is not in things, it’s in us. (by The Joy Page)

4.《“赦し”は“愛”の完成です》

“赦し”は、“愛”の至上のかたちです。

「ごめんなさい」を言うには、強い人にならねばなりません。

でも、より強い人でなければ、「赦します」とは言えないのです。

【解説】 「至上の」(=この上ない)と訳した原文The best form of loveは、愛の「最も善い(最善の)かたち、最も好ましいかたち、ベストのかたち」とも言えます。なぜ「ごめんなさい」や「赦します」を言うのに強い人でなければならないか、それは、勇気が要るからです。でも聖書の言う“強い人”というのは、この世の”強い人”の定義とは、次元が違います。それは、主イエス・キリストの十字架のもとにおける強さです。“身体”の強さには鍛錬が、“精神”の強さには思索が必要ですが、“霊的”強さには、主の赦しの十字架の前での、“自我の磔殺(たくさつ)”がマストです。これには、とてつもない勇気がいるのです。

Forgiveness is the best from of love. It takes a strong person to say sorry and an even stronger person to forgive. (by The Joy Page)

5.《介護者のために祈りを!》

養護者・介護者の方々は、言葉で伝えられる以上のところを通らされています。

この人々は、多くのことを諦め、社会的な生活も、ほとんどできずにいます。

彼らは、時には自らも病み、気持ちの上でも、疲労困憊の状態です。

一人の人には負担が多すぎるのです。

それは、この方々が歩いている道を、自分自身の足で歩いてみるまでは、

決して知りえないことです。

【解説】 今日の記事は、5つとも「喜びのページ」というサイトからのシェアですが、その中に、この見過ごしてはならない記事がありました。caregiverケアギヴァーとは、“ケアを与える人”、すなわち障がい者や高齢者、児童の世話をする人、面倒を見る人のことで、職業としてなさっている人も、個人としてご家族にそうなさっている人もいます。きっとこれを読む人の中にも、そんな方々がいらっしゃる。そして高齢化社会の中で、その重荷を負う人は、年とともに増加の一途をたどっています。行政が、その必要に追いついていないのが現状で、介護者の共倒れということも現実に起きています。

これらの方々のために、私たちにできることはあまりにわずかです。みんな、自分の家族の課題に向き合うだけで精一杯なのです。それでも、私たちは、できることをしなければならない。まず、この現実を知るということです。そして、このFBでだけでも、友の中にその重荷を抱えている人がいたら、毎日覚えて祈り、できる限りの慰めと、励ましと、痛みや苦しみの分かち合いをして差し上げることです。私自身、FB友と知り合うにつれて、いろいろな方の、さまざまな重荷を知らされました。でも何もできません。それでも、強く心を動かされて、祈りのリストを作り、毎日、お祈りをさせていただいています。あわれみに満ちた神様は、そのような祈りを求め、聴き、お一人お一人のために最善をしてくださると信じるからです。

Caregivers go through more than they will tell you. They give up a lot and rarely have a social life. They can get sick and emotionally worn out. It's a lot for one person. We never really know until we walk the path of a caregiver ourselves. (by The Joy Page)

(解説・聖書引用・訳 小川政弘)

【FBギャラリー】No.120 「懐かしの一日」