◆親切:できることをするのは当たり前◆

親切って、そんなものでしょう?

誰かができないから、その人のために何かをやってあげるんじゃない。

自分ができるからやる、それだけのことよ。

【解説】 誰かに代わって、何かを“やってあげる”と考えた途端に、親切は、何か大ごとで、ちょっぴり勇気が要って、周りの目が気になります。一方では、そのために要する負担(時間、労力、時にはお金)がちらりと心をかすめ、それをしたあとは、“いいことをしてあげた”という傲慢な思いが頭をもたげます。そんな親切ならしないほうがいい。

親切は、目の前のその人がもし自分なら、当然のようにやることです。つまり、自分にできることだから、自分がその人のつもりで、やる。そう考えて、“自然体”でやってみましょう。そして、クリスチャン的には、どんな小さな親切も、そのお相手は、イエス様であることを忘れずに、敬愛を込めて、“下から目線”でやることですね。

(マタイ25:40) 「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」

Because that’s what kindness is. It’s not doing something for someone else because they can’t, but because you can.