なんのために死ぬのかを知るまでは、
人は、なぜ生きているのかを本当に知ることはない。
~マーティン・ルーサー・キング Jr.
【解説】 キリスト者的に言うなら、「誰のために死ぬのか」ということですね。彼は心の中に、いつもこの“死”を秘めていました。彼には、「このお方のために、死ななければならないのなら死にます」(エステル4:16)という覚悟がいつも備わっていたのです。それが、彼をあのように、“黒人の権利のために武器なしで闘う”という、途方もなくはるかな希望を見据えた激しい“生”を可能にしたのでした。けれども静まって考えれば、これは、神に特別に選ばれた彼だからできたことではなく、死ぬべき身をキリストによって生かされた私たち一人一人が、しかと身に着けておかなければならない聖書の死生観ですよね。
(Ⅱコリント 5:15) 「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」
(ローマ 14:8) 「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」
No one really knows why they are alive until they know what they’d die for. – Martin Luther King Jr.
(by Be Positive Be Real)
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