―キリストの謙卑を想う―
み子は、ご自身がお創りになった母の中で、
かたちづくられた。
み子は、ご自身がかたちづくった人間の手に
引かれて歩んだ。
み子は、言葉を知らぬ幼子として、
飼い葉おけの中で泣き声を上げた。
み子、この“ことば”なる神――。
このお方なくしては、
人間の全ての雄弁はただ黙(もだ)すのみ。
― アウグスティヌス
【解説】この4世紀の偉大な教父の深遠な言葉に、しばし思いを馳せ、天の栄光を捨てて、人として地にくだりたもうた神のみ子をひれ伏して仰ぎましょう。主よ、感謝します。
(ヨハネの福音書1:1-5,14) 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。…ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
(ピリピ 2:6-8) 「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」
He was created of a mother whom he created He was carried by hands that he formed. He cried in the manger in wordless infancy. He, The Word, without whom all human eloquence is mute.
~Augustine~
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