◆神の人たるの資格◆

1.《無条件に神に愛される人》

キリストは、あなたの良き行いのゆえに、あなたを愛したのではない。良き行いは、神があなたを愛するきっかけとなった理由ではない。

それゆえ、現在でも彼は、あなたの良き行いのゆえに、あなたを愛するのではない。良き行いは、神があなたを愛し続ける理由ではない。

キリストは、あなたを愛する意志のゆえに、あなたを愛するのだ。

【解説】 あなたのために命を捨てた十字架のキリストに現された神の愛は、天地の創られる前にあなたを救いに選ばれた時も(エペソ1:4)、現在も、そしてあなたをご自身と同じ栄光の姿に変えてくださる未来も、あなたの良き業によるのではありません。「私はあなたを愛すると決めた。故にあなたを極みまで愛するのだ」という神様の絶対的ご意志と主権によるのです。このような愛は、地上には存在しません。これは神様の“絶対愛”です。この愛を知ったら、私たちは、自らの汚れと、そのあわれみのかたじけなさに、ただ恐れおののきます。そして、あの詩篇の記者のように、「あなたはなぜこのような者を顧みられるのですか?」と叫ばざるを得ません(詩篇8:4)。そして、この愛にほんの少しでも報いるために、ひたすら良き業に励むのです。それが、神があなたを愛する理由ではなく、神へのあなたの感謝の応答であることを、神にも人にも示すために――。

(エレミヤ31:3) 「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」

Christ did not love you for your good works,--they were not the cause of His beginning to love you;--so He does not love you for your good works even now; they are not the cause of His continuing to love you. He loves you because He will love you.

 

2.《神によって教会に遣わされた人》

熱心で、疲れをいとわず、神(聖霊)の油注ぎを受け、“魂の漁(すなど)り人”となるべく主の教えを受けた人。

このような人が、教会に遣わされることに勝る大いなる祝福を、私はついぞ知らない。

【解説】 日本の教会の働き人が減っています。高齢化して第一線を退かれる人が増えているのに、新しい献身者が少ないのです。スポルジョンが“最大の神の祝福”と呼ぶ神の人が一人でも多く与えられるよう、私たちは膝をかがめて祈らなければなりません。それと共に、私たちは、あのイエスに香油を注いだマリアにならなければなりません。キリストの体なる教会に遣わされた者の一人として、私たちにも、「自分にできること」があるのです(マルコ14:8)。キリスト者は、例外なく、主に仕える小さな“神の人”なのですから――。

(マタイ 9:37,38) 「そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

I scarcely know of any greater blessing to the church than the sending forth of earnest, indefatigable, anointed men of God, taught of the Lord to be winners of souls.

 

3.《み霊の導きに従順な人》

もし私たちがキリストに従順でないなら、ご安心あれ、私たちはキリストのみ霊を持っていないのだ。そして私たちは、キリストのものではなくなる。

(ローマ8:9) 「けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」

(エゼキエル 36:27) 「わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。」

(ルカ 9:23) 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」

【解説】 「ご安心あれ」と言われて、「?」と思うのはいいですが、素直に安心しないでください! これは「間違いなくそうなる」という、スポルジョン流の痛烈な皮肉なのです。イエス・キリストを主、救い主として告白した者は、即、“神の人”です。キリストのみ霊が、その瞬間から、あなたの心の奥深くに内住されます。そして、み霊のコントロールのもと、私たちはキリストに服従する者になります。そこには、主に従わず、安楽な道を行かせようと誘惑するこの世との闘いも生まれます。それでも、本当にキリストのみ霊を持っている人は、キリストに従うのです。前者があって後者がない人は、うわべだけの信仰者であり、“キリストのもの”ではありません。罪と弱さのゆえに、キリストに従いきれなかったときは、内住のみ霊が、必ず認罪と悔い改めに導かれます。これが真に“キリストのもの”とされた動かしがたい証拠です。それがほんとの“ご安心あれ”ですね。

If we are not obedient unto Christ we may rest assured that we have not the Spirit of Christ - and are none of His [Romans 8:9]."

Charles Spurgeon (Joshua's Obedience)

"I will put My Spirit within you and cause you to walk in My statutes, and you will be careful

to observe My ordinances." - Ezekiel 36:27 ".FOLLOW ME” - Christ (Luke 9:23] -