◆人間関係の勘どころ◆

1.《別れて見えてくる相手の“正体”》

誰かとの関係に終止符を打ったとき、あなたが気づくことは、

どれほどその人が本当に大事で、愛しているか、

あるいは、その人がいなくてどれほど平安かのいずれかです。

【解説】 ハハハ、二択のあとのほうは、「せいせいした!」という言葉が聞こえてきそうで思わず笑ってしまいますが、現実には、笑って済ませる話ではないのですね。別れて初めて気づくのが人間の愚かさなのですが、この事実が意味するところは、別れる前のあなたが、その人の良さ、かけがえのなさにあまり気づかず、我がままだったり、冷たかったり、感謝が足りなかったりしていたこと、あるいは逆に、どれほど相手のひどい仕打ちに耐え、人生をムダにしていたかということなのですから。だから親しい人との関わりには、いつも間に神様にいていただくことが必要なのです。祈りの中で、自分にとってのその人の存在の価値を、主に教えていただくことです。(問題は、近すぎて自分にはよく見えないことなのですから。) そして前者だったら、決して別れてはいけません。後者なら、一刻も早く別れるべきです。そうすることによって、どちらの場合も、心安らかに日々を送ることができるでしょう。

A break from someone will either make you realize how much you truly miss/love them or how much peace you have without them.

 

2.《別れても罪じゃない!》

”毒”のある人をあなたの人生から遠ざけることは、実際には、それほど難しいことではありません。

それでも罪意識を感じないでいられることが難しいのです。

【解説】 これも人間の愚かさですね。あれほど相手の“毒気”に当てられ、心身ともに、経済的にも精神的にも苦汁をなめさせられたのに、その人から逃れると、安心する前に、「やっぱりいけなかったかなぁ。私、悪いことしちゃった」と、自分を“加害者”にしてしまうのです。人間関係を肉の支配力で縛り付け、ボロボロになるまで苦しめるのがエゴの罪なら、人としての社会常識や倫理性を無視したこの過剰な“罪意識”も、その投影であり、背後では、もう一度悪しき関係に引き戻そうとするサタンが働いているのです。。間違えてはなりません。それは、本当に罪を犯したときに内なるご聖霊が示される罪の自覚とは似て非なるものです。そんなものはきれいさっぱり捨て去りなさい! そして、別れる勇気を与えてくださった神様に、心から感謝して、新しい明日を生きていくことです。

Removing toxic people from your life is actually not the difficult part. Not feeling guilty about it is.

 

3.《心の傷は優しさに変えられる》

私が傷ついたときは、より優しく親切であるように、心がけています。

【解説】 これ、私が今やっていることです。というより、労せずして心がそのように変えられるのです。本当に不思議なのですが、愛する者を失ったり、大きな損失をこうむったりすると、自分がいかに愛の足りない、傲慢な者であったかが分かりますし、他者(ひと)の優しさ、親切が、どれほど有り難いものか、骨身に染みてきて、へりくだらされ、心が砕かれていくのです。心の傷は、いっとき激しく痛みます。でも、十字架の主の愛を知る者は、そこで終わることはありません。同じ傷を負った人々に、同じ心になって、寄り添える者に変えていただけます。神様が理由のない傷を負わせることは、決してないのです。

I’m working on being kinder when I’m hurt.

 

【FBギャラリー】No.103 「くすぐったい?」