◆スポルジョンの語る子育てと死への備え◆

1.《子は父のどこを見て育つか?》

子どもたちは、父の“悪”をまねる。

父の“悔い改め”をまねることは、ほとんどない。

【解説】 これが現実です。“悪”と訳したviceヴァイスには、「悪徳、悪癖、悪習、性格の欠点、弱点、堕落行為」など、父親の持ちうる“悪”が網羅されています! 子はそれをまねるのです。考えてみたら、家庭教育で、これほど恐ろしいことはありません。だからこそ、父親は、子どもの前で、妻に、子どもに、心から謝るべきなのです。それは父親が己のプライドに打ち勝って示す最大の“勇気”であり、その勇気は、子どもの心を打たずにはおきません。その最大の報酬は、子どもからの“尊敬”です。

Children will imitate their fathers in their vices, seldom in their repentance.

 

2.《叱る時に叱って“頭痛の種”を摘み取れ》

もし私たちが、小さな子どもたちを叱ることで頭を痛めないなら、

彼らが成長した時に、絶えない頭痛に悩まされるだろう。

【解説】 はい、子どもは、叱るべき時に、しっかり叱るのです。それは頭も心も痛むことです。でも、子どもを甘やかし、過保護にし、人として絶対にしてはならないこと、言ってはならないことを教えず、「誰も見ていなくても、神様は見ているのよ」と、見えざるお方を畏れることを教えないなら、子どもが成長してから、その何十倍もの苦労をすることになります。子どもが大きくなった分、ゆがめられたままの性質もゆがみを増し、親は毎日泣きながら、頭を抱えることになるのです。少子化の現代、その可能性は、ますます増しています。大人社会のあまたの悲劇は、子育ての”頭痛”を恐れて手を抜いたことに原因があることを、親だけでなく、私たち全ての大人が心に刻まなければなりません。

If we never have headaches through rebuking our little children, we shall have plenty of heartaches when they grow up.

 

3.《スポルジョン流”メメント・モリ”(死を覚えよ)》

“死”に備えない人間は、並のバカではない。

その人は正気を失っているのだ。

【解説】 2行目のmadman、“穏やかに”訳しましたが、直訳すると、「気違いだ」となります! 神のメッセンジャー、スポルジョン、人の頭でなく心の愚かさには、ハンパなく手厳しいのです。また私事になりますが、この2月に妻が突然、一夜にして召天した時は、本当に衝撃でした。妻の体を抱きしめて、「主よ! なぜですか?!」と絶叫したのが、昨日のようです。その時から、”死”は、私の最も身近なものになりました。クリスチャンも死ぬ。しかも、何の前触れもなく、想像もしなかったときにも、”神の時”が来れば、死ぬのです。この私も、それまでは、「あと10年は大丈夫。いや、主許したまわばあと15年は…」と思っていたのが、今、この瞬間にも召されるかもしれないという現実を、愛する者の亡骸は、冷然と教えてくれました。

年を経た者だけでなく、まだまだこれからの人たちも、毎日、“死”と隣り合わせて生きています。ただ気がつかないだけ、考えようとしないだけです。でも、死の瞬間には、もう私たちは生きてはいない。この当然の事実を、私も、あなたも、もっと真剣に考えなければいけません。しなければならないのに、「今忙しいから、もう少し時間の余裕ができたら」と思っていることはありませんか? 「あの人に、どうしても謝らなければ…。この感謝を伝えておかなければ…」と思っていることはありませんか?――それが、“死に備える”ということです。財産の処分方法を遺言に書き記すだけが、死への備えではありません。これは“生き方”の問題です。「たとえ明日、世界が滅びると知っても、私は今日、リンゴの木を植える」と言ったのはルターだと言われていますが、私たちも、明日は来ないつもりで、今日の一日を後悔なく生きることです。

He who does not prepare for death is more than an ordinary fool. He is a madman.

 

(写真)2枚ともスポルジョン。右は34歳、妻と。