◆傾聴: 先達3人の語る”主の弟子”像◆

1.《“利用可能”な自分でありなさい》

神は、“進んで仕える心”を探し求めておられます。

神に、えこひいきはありません。

あなたは“特別”でなくていい。

だが、いつでも“利用可能”でなければなりません。

~ウィンキー・プラットニー~ 1944年

【解説】 “利用可能”。原語のavailableアヴェイラブルは「求めに応じることができる。手が空いている」という意味ですが、この一文を読んだ時に、私の心にひらめいた祈りは、「主よ、私はいつでもあなたの利用可能です!」でした。そしてそれは、私がいつも思っていることです。あなたも特別な人でなくていいのです。ただ、いつでも、どんなに忙しくても、主のお呼びがかかったときに、あの一頭のロバになる心を、どうぞ忘れないでください。

(ルカ 19:33,34) 「彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、『なぜ、このろばの子をほどくのか』と彼らに言った。弟子たちは、『主がお入用なのです』と言った。」

God is looking for willing hearts…God has no favorites. You do not have to be special, but you have to be available.-Winky Pratney 1944

 

2.《主と共に死ぬ覚悟がありますか?》

私たちが弟子の道を歩み出すとき、私たちはキリストの死と一つになり、自分自身を彼に明け渡す。

キリストが人を召されるとき、彼は「私のもとに来て、命を捨てよ」と言われるのだ。

~ディートリッヒ・ボンヘッファー 「弟子たるの値」~

【解説】 厳しい言葉ですね。でも、真にキリストの弟子になるということは、キリストが私たちの救いのために十字架で払われた値を、私たちも主のために払う覚悟をするということなのです。それは必ずしも身体的な命とは限りません。主のために、喜んで犠牲を払うということです。モラヴィア兄弟団の創設者、ツィンツェンドルフは、キリストの磔刑(たっけい)の絵の解説、「私はあなたのために命を捨てました。あなたは私のために何を捨てましたか?」の一文に衝撃を受け、しばし釘付けのまま滂沱の涙を流し、全財産投げ打ってこの救霊団体をつくったと言われています。ボンヘッファーもまた、あのヒトラー率いるナチスドイツの迫害の中で、死をもってキリストの弟子たるの道を全うしたのでした。私たちは、どうでしょうか?

As we embark upon discipleship we surrender ourselves to Christ in union with his death…When Christ calls a man, He bids him come and die.-Dietrich Bonhoeffer, The Cost of Discipleship

 

3.《上げられたければ、限りなく下るのです!》

あなたは上りたいですか? では下ることから始めなさい。

あなたは雲をも裂くような塔を建てようと計画していますか?

ではまず始めに、“謙遜”の土台を据えなさい。

~聖アウグスティヌス (354-430年)~

【解説】 「神の国」「告白」を書いた4世紀初代教会の偉大な信仰の先達の言葉です。私も、半世紀を超える信仰生活の中で、最も難しい訓練はこれです。特にこの3年、国際詐欺被害の中で、多くの皆さんにお祈りとお支えをいただき、ご迷惑をおかけしながら、改めて気づいたことは、自分がいかに自己中心で、傲慢で、へりくだることを知らない者であるかということでした。ちょっとしたことで、すぐ自己弁護をしたくなります。他者を責めたくなるのです。

若い頃、F.B.マイヤーの「信仰の高嶺めざして」という霊想書を愛読しました。”信仰の高嶺”を目指して登るのは、キリスト者の生涯の課題ですが、私が今、心して歩みつつあるのは、“下に登る道”です。天に召されるその瞬間まで、下へ、下へと登っていきたいと思っています。

Do you wish to rise? Begin by descending. You plan a tower that will pierce the clouds? Lay first the foundation of humility.-Augustine of Hippo 354-430