◆イエス・キリストを瞑想する(2)◆

1.《神を信じたければイエスを見よ》

イエスを知るまでは、神はある概念にすぎず、私たちは神を信ずることはできません。

しかし、ひとたびイエスが、「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と言われるのを聞いたら、私たちは直ちに、“これは本物だ”と思えるものに触れ、私たちの信仰は、無限のものとなるのです。

~オズワルド・チェンバーズ~

Until we know Jesus, God is merely a concept, and we can’t have faith in Him. But once we hear Jesus say, “He who has seen Me has seen the Father”(John 14:9) we immediately have something that is real, and our faith is limitless.

-Oswald Chambers-

 

2.《キリストの十字架 ①つまずくほどの力》

もし私の語る”十字架”が、普通の人々につまずきとならないなら、

私の伝え方が誤っているのだ。

~マーティン・ロイドジョーンズ~

【解説】 あなたが語る十字架で、人はつまずくのが当たり前なのです。もしつまずかないとしたら、その人が全く分かっていないか、あなたの伝え方が、相手をつまずかせまいとして手を抜いているか、あるいは聖書の使信を曲げているかのどちらかです。それは、「キリストの十字架は、あなたの“罪”の身代わりだった」という事実を、まっすぐに語らなかったということです。これは日曜の講壇にも言えることです。“十字架はあなたの罪のためです”というメッセージがストレートに語られないところに、救われる魂は起きません。人は、つまずかせなければ、罪の泥沼から引き起こしてあげることはできないのです。

If my preaching of this cross is not an offense to the natural man, I am misrepresenting it. —Martin Lloyd-Jones

 

3.《キリストの十字架 ②心地よき重荷》

キリストの十字架は、私が負ったことのある最も心地よい重荷です。それは、私を我が安息の港に運んでくれる、鳥にとっての羽、船にとっての帆のような、いとも甘美なる重荷なのです。

(マタイ 11:30) 「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

~サミュエル・ラザフォード~

The cross of Christ is the sweetest burden I ever bore: It is such a burden as wings are to a bird, or sails to a ship, to carry me forward to my harbor.

"For My yoke is easy and My burden is light” (Mt. 11:30).

-Samuel Rutherford-

 

4.《イエス、期待と想像を超えた方》

イエスは、いつでも私たちの期待を超えます。

彼は私たちが求めることのできる以上のお方、

あるいは、その時その時に想像する以上のお方なのです。

~ティム(ティモシー)・ケラー~

【解説】 このティム・ケラーの言葉を、あなたは日々の生活の中で、実感していますか? 「ほんとにそう!」と言えますか? もし言えたら、あなたのイエス様はホンモノです。あなたの信仰もホンモノです! そしてそこから生まれてくるのは、「♬ハレルヤ! 主を褒めよ!」の賛美しかありません。

Jesus will always exceed our expectations. He will be more than what we can ask for or even imagine every time.-Tim Keller