◆神を想う: 警鐘◆

1.《多忙で“霊の雇用主”を忘れる》

私たちは、しばしば、働くことに あまりに忙しすぎて、

働く目的のご当人であるお方を礼拝することを忘れてしまいます。

~トム・ファレル~

【解説】 これは鋭い! これ、まさしく霊的“本末転倒”ですね。このような自分をそのままにしておいたら、私たちは早晩、バーンアウト(燃え尽き症候群)してしまいます。私たちを救い、この世であれ、教会であれ、働きに召してくださったお方は神ご自身です。そのお方との霊的交わりである礼拝を、教会でも、家庭でも、個人でも、何よりも大切にし、その中から働くための力を頂いてこそ、その生き方を通して主のみ名があがめられるのですね。

(ローマ 14:8) 「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」

(ピリピ 1:20) 「どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。」

We often get so busy working that we forget to worship the one for whom we are working.

-Tom Farrell-

 

2.《“神”不在の実践神学》

私たちは、たいていの場合、格好の主題について教えます。例えば、良きリーダーシップの原則、良き人間関係のノウハウ(実践的知識)、経済生活の原則、牧会のノウハウ、どうしたらより幸せになれるか、等々。

神の国において、最も無視されるテーマは“神”ご自身です。

~ミスティー・エドワーズ~

【解説】 これも…鋭い! “神の国で最も無視されるのが神”というのは、最もハッとさせられる皮肉ですが、この“神の国”とは、教会、クリスチャンサークル、クリスチャンホーム、神学校など、神によって救われた人々の全ての集まりを指します。そこにおいて、私たちは、人と人との関わり、人をどのように育て、用いるかについて教え、学ぶわけですが、その根底にあるのは、人と神との関係、ブーバー流に言えば、“我となんじ”の関係です。「私は神様をどれほど知っているだろうか。神様にどれほど知られているだろうか。その関わりを深めるために、私はどれほど神様と交わっているだろうか。」――今私たちが、最も求めなければならない信仰のテーマは、最も無視されている“神ご自身”なのです。

The most neglected subject in the kingdom of God is God Himself. We mostly teach about good topics, such as leadership principles, relationship skills, economic principles, ministry skills, and how to be happier, etc. -Misty Edwards-

 

3.《“神へのホームシック”伝達人たれ》

あなたは何人の人を、

神へのホームシックに罹らせましたか?

~オズワルド・チェンバーズ~

【解説】 これは…面白い! 「神へのホームシック」、初めて聞きました。おなじみの言葉“ホームシック”は、言うなれば“帰宅願望症”。旅をしたり、家を離れて暮らす人が、無性に我が家に帰りたくなる衝動的な願望を指しますが、チェンバーズはそれを、“天のふるさと”への郷愁、そこに待つ父なる神と、主キリストと、愛する人々への再会の願望に昇華させました。私は今も時々、そのホームシックに襲われます。「よっ子(妻佳子の愛称)、イエス様と一緒の天国はすばらしいだろ? 待ってて。地上の務めを終えたら、すぐに行くからね」と。

救われたクリスチャンの最大の務めとは、神様のすばらしさと、み子を遣わされ、十字架で身代わりに死なせるほどの愛を、あなたの愛する家族や友人に伝えること。それは、パラダイムシフト(視点転換)すれば、「ああ、神様と一緒に生きたい!」「たとえ死んでも、イエス様やあの人に会いたい!」という“神へのホームシック”に罹らせることだとチェンバーズは言うのです。この言葉、どうぞ忘れないでください。そして、心に覚えてください。“そのために大切なのは、私がいつも神様へのホームシックの中で生きることだ”と――。

How many people have you made homesick for God? -Oswald Chambers-

 

【FBギャラリー】No.92 ローザン・ポマルー 「秋深し」