《本当の問題と向き合う》
問題は、
人が“ホンモノ”であるときには人々に憎まれ、
“ニセモノ”であるときに愛されることだ。
~ボブ・マーリー~
【解説】 これが罪の世の実相です。3つの立場から考えましょう。“ホンモノを憎む人”。クリスチャン同士であっても、ある人が真実であろうとしてもがき苦しんでいるときに、本当にその人に寄り添えるか、自分の身の安全をまず考えて、さりげなく距離を置くかで、ほかならぬ自分自身が主の前に“ホンモノ”かどうかを試されます。人間の自己中心性は、キリストの十字架を骨の髄まで体験しない限り、いつも頭をもたげるのです。次に“ホンモノであろうとして憎まれる人”。今もし、この苦しみを味わっている人がいたら、あなたより先に、人々の前に真実を通されたゆえに憎まれたこのお方、イエス・キリストを思い出してください。
(ヨハネ 15:18) 「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。」
最後に“ニセモノを愛する人”。ニセモノは本当の自分を隠します。良いところしか見せません。相手の望むことだけを言います。だまされてはいけません。偽りを愛してはなりません。それを見分ける知恵を主から頂けるよう、いつも主に祈ることです。これはまず、私への自戒の言葉です。
The problem is people are being hated when they are real, and are being loved when they are fake.
– Bob Marley
《いつまでも変わらぬ美しさを》
美しい顔は、やがて老いていきます。
完璧な体も、やがて変わっていきます。
けれど、美しい魂は、
どんなときも、美しい魂のままなのです。
●文語訳
花の顔(かんばせ)は、やがて老いゆき、
壮健無比なる身体(しんたい)も、いつか変わるべし。
されど、ひとり美しき魂は、
いかなるときも、美しきままにてあらん
A beautiful face will age and a perfect body will change, but a beautiful soul will always be a beautiful soul.
《最高に幸せな人になる》
最も幸せな人は、
“与える人”です。
“受ける人”ではありません。
【解説】 これはまさに、イエス様がおっしゃったことです。でもこれを訳しながら、正直に言いますと、私の心は忸怩たるものがあります。今の私は、文字どおり一文無しになってしまったので、100パーセント”受ける人、もらう人、情けにすがる人“だからです。皆様から頂く有形無形のご親切が、どれほど有り難いか、骨身に刻みながら、一日一日を生かされています。日記にあふれているのは「感謝」の言葉です。それまでは、「我こそは与える人なり」と、与えられた財、時間、たまものを主にささげ、人々にお分かちしてきました。でも今思うのは、私が本当に”最も幸せな人”になるためには、この“受ける人”の立場、気持ちを身をもって知ることが必要だったのだということです。決して上から目線で、有り余る中から恵んであげる“サイテーの与え人”にならないように。受ける人の前にひざまずいて、「受け取ってくださってありがとう」と言い、共に手を取って喜び合える人になるために――。
(使徒の働き20:35) 「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
The happiest people are the givers, not the takers.
【FBギャラリー】No.77 ドナルド・ゾーラン 「友は分け合う」
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