◆この世に召されて生きるとき◆

《世とキリストの要求を峻別する》

この世は言います。「自分自身を愛し、欲しいものが何であれ、手に入れられるだけ自分のものにし、自分の欲求に従え」と。

キリストは言います。「自分自身を捨て、十字架を負い、私に従いなさい」と。

~フランシス・チャン~

(マタイ 16:24) 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」

The world says, 'love yourself, grab all you can and follow your desires–whatever you want.

Jesus says, 'deny yourself, grab a cross, and follow me. –Francis Chan

 

《“多忙症”に陥るなかれ》

私たちは、あまりに多忙なので、しばしば精神的に、霊的に、“不毛”になる。

~フランクリン・グラハム~

【解説】 “不毛”と訳したbarrenバレンは、子を産む力を失った“不妊”、実を結ぶ力を失った“心の荒れ地”をも意味します。現代に生きる私たち一人一人に対する神様からの警鐘ですね。

We often become mentally and spiritually barren because we’re so busy.

-Franklin Graham-

 

《召しの背後には磐石の備えが》

神様がある働きに召されるとき、

その召しの背後には、

創造者なる神の全ての力と権威が備わっている。

~ジーン・ガーガナス~

【解説】だから、自分の弱さや力のなさを恐れ、成すべき責任の重さに震える必要はないのです。「我に創造者の備えあり。」 召されたお方の“アドナイ・イルエ“を信じましょう。

(創世記 22:14,15) 「そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、『主の山の上には備えがある』と言い伝えられている。」

(Ⅰテサロニケ 5:24) 「あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。」

When God calls to a ministry, all of the power and authority of God the Creator stands behind that call.-Gene Gurganus

 

【FBギャラリー】No.76 ボクの釣り仲間