◆信仰生活3つのチェックポイント◆

《罪》

罪は、あなたの涙や行いによって除き去ることはできない。

【解説】 言うまでもありませんが、この“涙”は後悔の涙です。そしてこの“行い”は、善き行いです。いずれも、これによって、犯した罪をなかったこととして帳消しにしようとする試みですが、決して成功することはありません。罪は、”悔い改める”ことによってしか、赦されることはないのです。

(Ⅰヨハネ 1:9) 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

Sin cannot be removed by thy tears or by thy deeds.

 

《聖書の無謬性》

もし私が、聖書の無謬性-始めから終わりまで全編を通しての絶対的な不可謬性(誤りがないこと)を信じなかったら、私はこの説教壇に立つことは決してなかったであろう!

【解説】 19世紀イギリスのスポルジョンも、20世紀アメリカのビリー・グラハムも、あれほどに神様に用いられ、あれほど多くの人々を回心に導けたのは、神の言葉、聖書に対する100パーセントの信頼があったからでした。人が救われ、生きる力を与えられるのは、語る人の力ではなく、語られるみ言葉の力なのです。

(Ⅱテモテ 3:16) 「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」

If I did not believe in the infallibility of Scripture – the absolute infallibility of it from cover to cover, I would never enter this pulpit again!

 

《舌を制する》

自分の舌を、頭脳を飛び超えて勝手にしゃべりださせないよう気をつけなさい。

【解説】 “舌”が独立した人格のように言っているところが面白いですが、実際のところ、そんな気がすることがありますよね。「舌が勝手にしゃべりだして、気がついたら言ってはいけないことを言っちゃってた。」…こんな苦い経験は、誰にもありそうですが、でもこれは半分の真理でしかありません。舌が、勝手にしゃべることは現実にはないわけで、頭脳からの指令によってモノを言うのですから、やはりこれば、究極的には脳のコントロール力の問題なのです。舌がむずむずしてきたら、ぐっと唇をかみしめて、“自分が相手の立場だったら?”ととっさに考えましょう。頭脳のコントロール力は、ひっきょう、あなたの内なる聖霊のコントロール力に比例するのです。

(ヤコブ 3:9,10) 「私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。」

Beware of letting our tongue outrun our brains.