◆神様が私に望まれること◆

1.      《痛み、問題、祈り》

“痛み”は、あなたが生きている証し。

”問題”は、あなたが強い証し。

”祈り”は、あなたが独りではない証しです。

【解説】 死者は、もはや痛みを感じません。地上で苦しまれた人には、それは神様のあわれみと祝福です。では“痛み”は生きている者への神様からの罰なのか? いいえ! それを通して私たちは、健康の有り難さを知り、痛みを抱えた人を心から思いやり、それでも生かされていることを感謝し、私のために苦しまれたイエス・キリストの十字架を仰ぐことができるのです。生きていればこそ。痛むからこそ――。

しかしまた、生きている限り“問題”が起こることは避けられません。それは罪を犯した人間が払わなければならない“値”なのです。でも神様は、一人一人に、耐えられない問題や苦しみは決してお与えにならないばかりか、脱出の道をも備えてくださいます(Ⅰコリント10:13)。神様が、訓練として、私たちが耐えられるだけの強さを持っていることを確認されたうえでお与えになる問題や苦難。それもまた、神様の恵みのたまものなのです。

(ピリピ 1:29) 「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」

そして“祈り”。私事になりますが、私は2月に妻を天に送って、ただ一人の話し相手を失いました。同じような境遇に陥った方が、日本にも、世界にも、何万、何十万とおられることでしょう。その果てに待つ孤独死…。でも私には神様がおられます。一日、電話すらなく、人と話す機会が全くない日もあります。でも独りではない。私はどんなことも主にお話しします。祈りについての定義はあまたありますが、この身になって、「祈りは独りではないことの証し」という言葉が、本当に腑に落ちました。感謝。

Pain is a sign that you’re alive. Problem is a sign that you’re strong. Prayer is a sign that you’re not alone.

 

2.      《感謝―祈りの事始め》

”感謝”を、その日にささげる最初の祈りになさい。

Let gratitude be the first prayer of the day.

 

3.      《謙虚さ》

謙虚さのあるところ、知恵あり。

~聖トマス・アクイナス~

【解説】知恵はどうやって得るのか? どのように増やせのか? 最高学府で学ぶことでしょうか? 時には危ない橋を渡りながら、生き抜く力を養うことでしょうか? いいえ、そのようなことではない。またお金をかける必要もない。それは、“謙虚”であること。いつ、どんな場合も、上記のように高い学識を手に入れたあとでさえ、己を低くし、へりくだっていることです。他者の誰からも、たとえ子供からでも、謙遜に学ぼうとすれば、知恵はあふれるばかりに入ってきます。あなたの頭にではなく、心に――。そしてその知恵の源は、謙虚さの源でもあられるイエス様であることをお忘れなく。

(マタイ11:29) 「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」

Where there is humility there is wisdom. – St. Thomas Aquinas

 

4.      《世を動かす教会に》

私たちは、この世と共に動く教会を望んではいない。

この世を動かす教会を望んでいるのだ。

~G.K.チェスタートン

【解説】 前者は、いわゆる“世俗的”教会ですね。この世にない何かを求めて教会を訪れる多くの人が、この世と何も変わらない“社交の場”、人間的権力で支配された“組織”である教会に失望して去っていきます。ペンテコステの日に誕生した初代教会が、爆発的に増え広がっていったのは、そこに、生きて働かれる“聖霊”の息吹と、喜んで持てるものを分け合う、行いと真実の伴った“愛”があったからです(Ⅰヨハネ3:18)。

私たちは、聖書に帰り、あの初代教会に帰らなければなりません。その必要性に目覚めた、まずあなたから――。

We do not want a church that will move with the world. We want a church that will move the world.-G.K. Chesterton

 

【FBギャラリー】No.67 グレブ・ゴルーベツキー「郷愁の田舎道」