◆人と共に生きるときに考えるべきこと3つ◆

《平等権》

他者との平等権とは、それによってあなたの権利が減少することではない。

全体数の決まっているパイとは違うのだ。

【解説】“平等権”とは、アメリカ合衆国憲法に定められた「男女平等権」を指しますが、ありていに数字で言えば、今まで男70、女30だったものを、男女とも50にすることではない。女性も男性と同じく70まで引き上げることだということです。男女の逆もまた真です。看護師の男女比が10:90だったものを、50:50の平等にして、女性看護師の数を減らすことではなく、男性看護師の数を、90:90まで増やすべきだということです。他者の権利を引き上げることが、自分の権利の侵害や喪失につながることは、決して真の平等権にはならないのですね。そこには、基本的人権や、福祉の面で、人類の向上は望むべくもありませんから。真の平等は、常に、“すでに達し得たところ”を起点として上を目指すべきものなのです。

Equal rights for others does not mean less rights for you. It’s not pie.

 

《幼子に学ぶ》

時として、あなたは3歳児と話す必要があります。

それによって、“人生”をもう一度学ぶことができるからです。

【解説】3歳の幼子が持っていて、大人の自分がいつの間にか失っている大切なもの、いっぱいあります。幼子の汚れを知らないピュアな心に学ぶということも必要ですが、それ以上に大切なのは、幼子が、自分では何一つできず、100パーセント親に頼り、信じ、委ね切って生きている姿です。幼子の中に私たちが学ぶべきは、この“信仰”の極意なのですね。イエス様がこう言われた由縁です。

(マタイ18:3,4)「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」

Sometimes you need to talk to a three-year- old so you can understand life again.

 

《最高の信仰 最低の信仰》

信仰は、それが自らに、“私は何ほどのものか”を厳しく問わせるときに、最高に輝くものになる。

信仰は、それが自らに“私は誰に対しても全ての答えを持っている”と考えるように欺き惑わすとき、最低のものに堕するのだ。

~アーチボルド・マクリーシュ~

【解説】 これは、20世紀アメリカの詩人にして行政官だったマクルーシュの鋭い逆説です。まことの信仰は、どんなに栄光の座を手にしたときでも、絶えず己の自己中心の罪性に目を向けます。そこにしか、神の赦しの恵みはないからです。信仰の堕落は、自分自身の知性、業績、名声を心に誇った瞬間から始まります。“傲慢”こそは、神のように賢くなろうとした堕天使サタンの本性だからです。

Religion is at its best when it makes us ask hard questions of our selves. It is at its worst when it deludes us into thinking we have all the answers for every body else.-archibald Macleish