◆信仰生活3つの局面-新生、教会、忍耐◆

1.

《神から生まれる》

人は、自分自身をかなり変えることはできるかもしれない。

多くの悪習を追い出し、多くの肉欲にふけることを捨て、

悪しき習慣に打ち勝つこともできよう。

だが、この世で誰一人、自分自身を神から生まれさせることはできない。

人は、自分の力を超えたことを成し遂げることは、決してできないのだ。

【解説】 “神から生まれる”とは、“新しく生まれる=新生”するということです。人は、努力によって、ある程度まで自分の人格を変えることはできます。世の宗教は、その自己完成の道を求めますが、自分の力で新しく生まれ変わることはできません。どんな人格者でも、内に潜む“罪”の問題を根本的に解決しない限り、それは不可能ですが、生来の罪びとである私たちは、他人の罪はおろか自分の罪さえ解決することはできないのです。それがお出来になるのは、私たちの罪の身代わりに、十字架にかかり、三日目によみがえられた神のみ子イエス・キリストだけです。その恵みのゆえに、私たちは新しく神から生まれ変わることができるのです。”福音”が、全ての人に必要なわけは、まさにこの一点にあるのです。

(ヨハネ 3:3)「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

A man may reform himself very much, he may cast away many vice, forsake many lusts in which he indulged, and conquer evil habits; but no man in the world can make himself to be born of

God; he could never accomplish what is beyond his power.

 

2.《聖書に従わぬ教会から去れ》

もしあなたの属する教会に、

霊感されたみ言葉に反することがあるなら、

その教会を去りなさい。

【解説】 “そんな教会があるのか?”と思いますが、現実にはあるのです。まず第一に異端です。私の属する教会に、半年ほど前から一人の男性が出席されて、熱心に求道されています。しばらく、エホバの証人(ものみの塔)の教会に出ておられて、彼らの聖書に加えて正統的な聖書も購入され、両者を比較して、何かが違うと感じて、うちの教会に来られたそうです。次に、聖書の権威に100パーセント従わず、恣意的に解釈して、人間の権威が支配している教会もそうです。ただし、その見極めは、とても難しいことで、各々が“自分は正しい”と思っているうちは、争いや分裂が起こるだけです。聖職者も、信徒も、互いに教会の頭である主イエス・キリストの前にひざまずいて、謙遜に主のみ声に耳を傾けることが必要です。“風は思いのままに吹く”(ヨハネ3:8)。聖霊は、教会の中で、ご自身の書かれた聖書の権威と共に働かれます。イエスのみ霊が、いつも教会の中を吹き抜けているような教会、聖職者も信徒も、その風を感じながら、互いにみ言葉に仕え合っていく教会となるよう、祈らねばなりません。不幸にして、明らかにこれに反する事実がなくならないとき、どうすべきかも自分で決めてはなりません。そのときは聖霊が、み言葉による確信をもって「この教会を去れ」と導かれるはずです。(スポルジョンの真意はそこにあり、安易な教会離れを進めているわけではありません。)

If there is anything in the church to which you belong which is contrary to the inspired Word, leave that church.

 

3.《一に忍耐、二に忍耐》

忍耐! 忍耐!

あなたは、いつも急ぎすぎる。

だが、神はそうではないのだ。

【解説】 全くそのとおりですね。私たちの“聖徒養成学校”で、一番難しいのはこれかもしれません。「もう3か月もたつのに」「これほど祈ってお願いしてるのに」「これはゼッタイ神様のみ心にかなうことなのに」…まだ神様はかなえてくださらない。でも、神様の”時”の長さは、人間が考えるのとは違うのです。神様はいつも、“永遠”の視点から物事を進められます。「神は急がない」。心がはやるたびに、これを唱えませんか? そして、どんなときにも“時にかなって美しい”(伝道者(コヘレテ)の書3:11)神の時を、忍耐をもって待ちましょう。

(ヘブル 10:36) 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」

Patience! Patience! You are always in a hurry, but God is not.