◆まことの知恵を身に着けるために◆

1. 《主の教えの真の実践者を知る知恵》

私は、こんなクリスチャンのために憂いを募らせている。

日曜日には、「これらの最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(訳注 マタイ25:40)と言われたお方への愛を告白しながら、週日には、“これらの最も小さい者たち”を踏みつける政治家や、その応援演説者を支持する人たちのことだ。~マーク・サンディン(アメリカ長老派教会牧師)

【解説】 クリスチャンも、この世の市民として、選挙の時には、その人の公約、主張の内容、過去の業績などを可能な限り調べて、真に“最も小さい者”のために仕える政治家に一票を投じなければなりません。それもまた、“わたし(主イエス)にした”ことなのです。

I Grow weary of Christian who, on Sunday, profess their love for the one who said, “When you do it to the least of these you did it to me,” but spend the rest of the week supporting politicians and political platforms that step on “the least of these”

– Rev. Mark Sandin

 

2. 《真の賢さを知る知恵》

昨日の私は、才気ばしっていた。それで私は、この世界を変えようと思った。

今日の私は、分別を身に着けた。それで私は、自分自身を変えようとしている。

~ルーミー

【解説】 含蓄のある言葉だと思いませんか? でもこれは、翻訳者には頭を使う言葉です。“才気ばしった”と訳した原語はcleverクレヴァ―、“分別”と訳したほうはwiseワイズ、直訳すればどちらも「賢い」ですが、そのままやっては禅問答になってしまいます。前者は“頭の回転が早い”という意味で、その分“深さ”に欠け、アメリカ英語では“ずる賢い”という意味にもなります。後者は“思慮深い、分別のある”という意味で、経験に裏打ちされた賢さをいうのに使います。そこで上記の訳文になりましたが、ルーミーの言わんとするニュアンスは伝わったでしょうか? 人生のいろいろな経験は、人を賢くしますが、私たちは、霊的にも成熟していかなければなりません。それは“キリストのかたち”に似ていくということです(ガラテヤ4:19)。自分をそのままにしておいて周囲(人間関係・環境)を変えようとしても、決して変わりません。まず自分が変わることです。そのとき初めて、主の“奇跡”は始まるのです。

Yesterday I was clever, so I wanted to change the world.

Today I am wise, so I am changing myself. – Rumi

 

3. 《神様の本質を知る知恵》

私たちは皆、自分の“神学”で誤りを犯します。あなたも、私もです。

そこで私が提唱したいのは、“愛”の側に立って間違おうということです。

どうしてか?

それは、神は教義ではないからです。

神は教派でもない。

戦争でもない。

法律でもない。

憎悪でもない。

地獄でもない。

神は“愛”だからです。

~ブライアン・ザーンド

【解説】 この提唱者は、まず自分がクリスチャン生活で築き上げてきた神学の完全性を端(はな)から否定して、自分は誤る者であることを謙虚に認めています。これが成熟したキリスト者の在り方です。そのうえで、同じ誤るなら、「愛の側に立って間違おう」と呼びかけています。“愛の側に立って間違う”、この言葉、新鮮ですね。そして彼は、「〇ではない」として挙げた一つ一つの中に、今の世界のキリスト教の悲しい、おぞましい、主のみ心から遠く離れた現実を見ているのです。

教義・教派: 自分たちの教え、群れだけを絶対に正しいとし、他を受け容れない。

戦争: キリストの旗を掲げて、自国の権益を武力で拡大する。

法律: 法の名のもとに、事の背景には目をつぶり、行為そのものを罪と断じて罰する。

憎悪: “目には目を”で、自分や家族に損失・被害を与えた者を憎み、報復しようとする。

地獄: 信じない者に待つ地獄の恐ろしさを強調し、回心を迫る。

これらはいずれも、神様の“愛”のご本質とは相容れないものです。あなたの“神学”はいかがですか? 自分が何かをする前に、その大小に関わらず、「愛がなければ」という1コリント13章の言葉を自らに問いかけましょう。そしてこの世の“正しさ”の履行を求められたら、“愛”の側に立って間違いましょう!

We all make errors in our theology: you and me both. So my recommendation is to err on the side of love. Why? Because…God is not doctrine. God is not denomination. God is not war. God is not Law. God is not hate. God is not hell…God is Love. – Brian Zahnd

 

【FBギャラリー】No.43 アレグザンダー・エイヴリン 「花摘み」