◆より人間らしく生きるための5か条◆

1. 《パートナーの“沈黙”は要注意》

あなたが心配しなければならないのは、

私が声を荒げている時ではありません。

心配してほしいのは、

私がこれ以上言うことがなくなったときです。

【夫訳】

君が心配しなきゃならないのは、

僕がわめきたてている時じゃない。

“要注意”と気づいてほしいのは、

僕がだんまりを決め込んだときだよ。

【妻訳】

あなたが気をつけなきゃいけないのは、

私がぎゃあぎゃあ言ってる時じゃないの。

二人にとってアブないのは、

私がなんにも言わなくなったときだからね。

~J. アイアン~

【解説】 はい、この恐ろしい“時”は、お互い相手を“諦めた時”(もう何を言ってもムダ。限界ね)です! もちろん私たちは、そうなる前に、神様を仲介人にして、「絶対に声を荒げない。絶対に自分は正しいと言わない。絶対に相手を非難しない。」と固く決意してから、穏やかに話し合いましょうね。あとは神様の出番です。It’s not when my

voice is raised that you should worry. It’s when I have nothing more to say.

-J. Iron

 

2. 《“イカれた女性”、万歳!》

私たちは、女性が“イカれ女”とレッテルを貼られる時代に生きている。

なんとなれば、彼女が、男が自分を邪険に扱うのを許さないからだ。

【解説】 もちろん、このような真に自立したすばらしい女性を“イカれ女”などと呼ぶのは、長い間、男性優位の中で女性をいじめながら男のメンツを保ってきた、前時代生き残りの男です。自分がいかに時代錯誤で、真の男女平等とは遠く隔たった世界に生きているかに気づかない“イカれ男”です。でも、このような女性なら、こんな男の悔し紛れの暴言は、笑って聞き流し、胸を張って世の中を生きていけるはずです。世の男性は、とりわけ神の創造の摂理を知っているクリスチャン男性は、そのような女性を尊敬し、大切にし、そのたまものを最大限に生かすために喜んで労すべきです。私たちは、やっと今、そのような時代に生きているのです。

We live in a generation where a woman is labeled as “crazy” because she won’t allow a man to mistreat her.

 

3. 《“真実”は最後に姿を現す》

時として、

あなたにできるベストの道は、

口を閉じ、目を見開いていることです。

”真実”は、いつのときも、

最後に明らかになるのですから。

【解説】 これが、あらゆる問題に対する、“ベスト(最高・最善)の解決策”だ、と言っても決して過言ではありません。逆に言うと、自己中心の罪に縛られた私たちは、しばしば、相手の非を洗いざらい口に出して事態を悪化させ、凝視すべき真実に目をつぶって真の解決には程遠い妥協の道を選ぼうとします。忘れないでください。唯一の“真実”は、どんな場合でも、神のみ手の中にあるのだということを。そしてその真実は、人間が愚かな他者攻撃と、自己保身を放棄して、このお方に全てお任せしたときに、初めて姿を見せるのだということを――。

Sometimes the best thing you can do is keep your mouth shut and your eyes open. The truth always comes out in the end.

 

4. 《清廉であること》 

正しいことをなさい。たとえ誰も見ていないときでも。人はそれを“清廉”と呼びます。

【解説】 原語はintegrityインテグリティー。“清廉”の他に、“高潔、誠実、健全、正直”とも訳しますが、私の最も好きな言葉の一つであり、そんな生き方を生涯貫きたいと思います。でもこの生き方は、独り私だけではなく、地上でこの生き方を十字架の最期まで貫かれたイエス・キリストを主と信じる人なら、誰もが目指すべきものなのです。

Do the right thing, even when no one is looking. It’s called integrity.

 

5.《孤独な“幸せ配達人”》

みんなを幸せにしようとし、いつも他者に心を砕いている人は、たいていの場合、最も孤独な人です。

不思議なことですが、本当です。

【解説】 この世には、他者の幸せのために、特別に神様から選ばれた人がいるのです。例えばマザー・テレサとか、日本では渡辺和子さんとか…。本当に不思議ですが、やはり二人とも、ご自身はお独りでした。たぶん、人間は完璧ではないので、自分が多くの家族や仲間に囲まれて、幸せ過ぎると、他者の幸せを考える余裕がなくなるからかもしれません。私自身のことで恐縮ですが、このFB翻訳シェアも含め、私のミニストリーの根幹には、いつも“他者のために生きる”というモットーがあります。そんな私が、この度、愛する妻を主のもとに送って、本当に独りぼっちになりました。私は自分自身のことを語るのが昔から一番苦手なのですが、今度ばかりは、あまりに寂しくて、悲しくて、皆さんにお話しせざるを得ませんでした。主に在る友お一人お一人の祈りと慰めと励ましがなければ、生きていくのが本当につらかったのです。そんな中で、この言葉に出会い、一瞬、“自分もそうかも”と思ったのです。でも、それを厳しいとも苦しいとも思いません。孤独な“幸せ配達人”は、いつの時代も、どの国の人でも、神様が最もそば近くにいてくださること、そして祈り支えてくださる友がいることが分かったのですから――。

The person who tries to keep everyone happy and always cares for everyone is always the most lonely person. Strange but true.