◆信従と祈りに導く6つの道◆

1. 《“十字架”という梯子を登る》

十字架の他には

私たちが天国に登れる梯子(はしご)は

どこにもありません。

~リマの聖ローズ(16世紀、ペルー生まれのアメリカ大陸初のカトリック聖人)~

Apart from the cross, there is no other ladder by which we may get to heaven.

-St. Rose of Lima

 

2. 《“イエス”という名の道を行く》

ではもしあなたが、行くべき道を探し求めているなら、

キリストを取ることだ。

彼自身が“道”だからだ。

~聖トマス・アクイナス~

(ヨハネ 14:6)

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」

If, then you are looking for the way by which you should go, take Christ, because He himself is the way. – St Thomas Aquinas

 

3. 《イエスの言葉に信従する》

イエスを信じるということは、

彼の言うことを受け容れることです。

たとえそれが、世の人が言うことと正反対だとしても。

~教皇ヨハネ・パウロ二世~

【解説】 Unconditional surrenderアンコンディショナル・サレンダー“無条件降伏”という言葉があります。戦争用語で、太平洋戦争の終結に向けた連合軍のポツダム宣言に対し、国体護持を条件にした日本軍が厳しく受理を迫られたのが、これでした。クリスチャンに対して神が求められるのは、Unconditional obedienceアンコンディショナル・オビーディエンス“無条件服従”です。これをお求めになれるのは、人間ではありません。ただ一人、神のみ子イエス・キリストだけです。

To believe in Jesus is to accept what He says, even when it runs contrary to what others are saying. – Pope St. John Paul II

 

4. 《祈りの底力を信じる》

時として、全てを変えるのに必要なのは、ただ一つの祈りです。

【解説】 神様は、ご自身のお言葉一つでこの世界をお創りになりました。この私たちをも。だとしたら、神様は私たちの祈り一つで全てをお変えになることもできるはずです。「得たり」と信じて祈るならば――。

Sometimes, all it takes is just one prayer to change everything.

 

5. 《心の聴力を鍛錬する》

神のささやきを聴き逃さず、

敵(サタン)のわめきに耳を貸さぬよう、

あなたの心を鍛錬なさい。

【解説】 高齢化の波は教会にも押し寄せ、講壇からの説教の声はか細くなり、会衆の聴力は衰えて、文字どおり耳をそばだてて聴かないと話していることが聞こえないのが、多くの教会の現実かもしれません。私の教会では、それでもマイクとアンプの調整で、なんとかカバーしていますが、祈祷会で隣の人に消え入るような声で祈られると、思わず一歩身を寄せて、聴き耳を立ててしまいます。神様のみ声も、いつでも強く大きく響いてくれたらどんなにいいかと思いますが、ほとんどの場合、神様は細く静かにささやかれるので、がんがん響いてくるサタンの誘惑の声に気を取られていると、かき消されてしまいます。祈り心で神のみ言葉を読み、そのみ心を瞑想する日頃の“心の鍛錬”が、いよいよ求められているのですね。

Satan tries to limit your praying because he knows your praying will limit him.

 

6. 《神との交わりの時を“捻出”する》

あらゆる責務やプレッシャーに直面しているとしても、

私たちは、神との交わりの時をつくり出す必要があるのです。

~ホセ・H・ゴメス大司教~

【解説】 原文ではシンプルに祈る時間をmakeメイク「つくる」と言っていますが、私の訳はあえて「捻出する(ひねり出す)」です。これを再英訳したらsqueezeスクィーズ「絞り出す」になります! それほどに祈りの時間をつくるのは、今や至難の業なのです。 “「私は、あまりに忙しいので、神との交わりの時を持たねばならないのだ」と言ったのは、かの宗教改革を成し遂げたマルティン・ルターですが、いよいよ生活のペースが加速度的に早くなり、処理すべき情報量が増え続ける現代に生きている私たちにとって、ともすれば犠牲にしがちなのが神との交わりの時です。そしてその時間が少なくなった分、私たちの霊性は枯れていくのです。そこからじわじわ染み出てくるのは、“肉”の性質、代わりにあなたからも教会からも消えうせていくのは“み霊の実”です。そのような私たちが、どうしてこの世の真っただ中で、“地の塩”“世の光”として、キリストの証人になれるのでしょうか?

「面倒だから、しよう」と言ったのは渡辺和子さんですが、私たちも、主の前に霊の襟を正して、「忙しいから、祈ろう」を生活のモットーにしませんか?

Even with all the duties and pressures we face, we need to make time for our relationship wth God. – Most Rev. Jose H. Gomez