◆良きクリスチャン魂を育てる5つの栄養素◆

1. 《神の約束を信頼する》

神は、私たちが求める全てを与えてはくださらないが、

最善でまっすぐな道に沿ってご自身に導かれながら、

お約束を確かに果たされるのだ。

~ディートリッヒ・ボンヘッファー~

【解説】 彼は獄中で、幾たび我が身の解放を祈ったことでしょう。だが神は、その願いには応えられませんでした。パウロが肉体のとげを取り去ってくださるよう、三度(=数え切れぬほど)祈ってもかなえられなかったように。でも彼は、あの獄中での深い思索を通して、この地上の誰よりもまっすぐに、最善を成したもう神のみ懐に導かれたのです。「恐れるな。私は最期まであなたと共にいる。そして時が来たら、直ちに天に迎えよう」とのお約束を信じながら――。

God does not give us everything we want, but he does fulfil his promises, leading us along the best and straightest paths to himself. —Dietrich Bonhoeffer

 

2. 《聖書を愛する》

聖書を愛すれば愛するほど、あなたの信仰は強められる。

聖書を愛する者に、“落伍者”はいない。

~D.L. ムーディー~

The more you love the Scriptures, the firmer will be your faith. There is little backsliding when people love the Scriptures.”

-D. L. Moody-

 

3.《自分自身を慈しむ》

私たちのただ一つの喜びは、

主に在って

自分自身を愛し、喜ぶことです。

~ブラザー・ローレンス~

【解説】 “勝ち組”志向の今の時代に生きていたら、“無学のただ人”であった彼は、到底自分を愛し、喜ぶことなどできなかったはずです。しかし彼にとっては、台所が全世界でした。彼は、台所でいつも主と交わり、神に仕える人々に台所から仕えることを無上の喜びとしたのです。

私たち一人一人は、主の永遠の目的により、主によってこの世に生を受けた者です。世界でただ一人の、かけがえのない存在なのです。そして今日も生かされている。その“主に在って”こそ、私たちは自分自身をいとおしみ、己の命を喜ぶことができるのです。

Our only delight is to love and delight ourselves in God.

-Brother Lawrence

 

4. 《主に在る友が命を救う》

しばしば忘れがちですが、

親しき友との“交わり”は、

あなたの魂の暗い夜に

あなたの命*を救うかもしれない霊的な訓練なのです。(*life 命、人生)

~デイヴィッド・マシス~

【解説】 あなたには主に在る親しい友がいますか?(いることを願っています!) その友との交わりをはぐくむことは、実は神様の霊的な訓練の場なのだと考えたことがありますか? 私はありませんでしたが、この言葉は大きな気づきでした。私はそれを、先日の妻の召天の時に、多くの皆様からの温かい慰めと励ましのお言葉、祈りの中で、ひしひしと感じたのです。妻の突然の死は、あの時の私には、まさに悪夢でした。私は紛れもなく、この77年の人生の中で、最も恐ろしい“魂の暗い夜”を通らされたのです。でも私は、皆様が惜しみなく差し出してくださった愛の手のぬくもりの中で、本当に“命”を救われました。“人生”を投げ出さずに済んだのです。

どうぞ、あなたの友を大事になさってください。そして誰かの大切な友になってください。友との交わりによる主の霊的な訓練は、あなたの、そして誰かの人生を、命をも救うのです。

Fellowship is the often forgotten spiritual discipline that may save your life in the dark night of your soul.-David Mathis-

 

5. 《体を他者(ひと)のために使う》

クリスチャンにとって、訓練は、“体”から始まります。

体は、誰かのために犠牲を払うように与えられた第一の“道具”です。

私たちは、体は自分のために取っておきながら、

心を神にささげることなどできないのです。

~エリザべス・エリオット~

【解説】 彼女の夫は、南米エクアドルのアウカに住む未開人に福音を伝えるため、文字どおり体を差し出すようにして恐れず彼らに近づき、命を落としました。この言葉を書いた彼女の脳裏には、その夫の姿が焼き付いていたに違いありません。この世の人々は、自らを鍛え、その健康美を保つために、“体の訓練”に余念がありませんが、神様は、「その体は他者のためにあるのだ」と言われます。ここで彼女が言いたいのは、二つのことです。一つは、“頭の中の理屈や言葉だけで人に愛を語るな”ということです。体を使い、行いをもってそれを示さなければ、人を変えることはできません。夫の遺志を継いだ彼女自身がそれを実行して彼らに伝道を続け、やがて彼らはクリスチャンに変えられました。人はそれを“アウカの奇跡”と呼びました。もう一つは、この“体”には、文字どおりの身体だけではなく、あなたが神様から与えられた“時”、“才能”、“財”など全ての“たまもの”が含まれるということです。神様は、それを端的に“命”と呼ばれます。“命”は、優れて“愛”のために使わなければならないのです。あの十字架のイエス・キリストのように――。

(Ⅰヨハネ 3:16) 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」

Discipline, for the Christian, begins with the body. It is this body that is the primary material given to us for sacrifice. We cannot give our hearts to God and keep our bodies for ourselves.

—Elisabeth Elliot