◆スポルジョンが語る信仰生活6つの要諦(かなめ)◆

1.《宣教―永遠につながる神の業》

宣教は子どもの遊びではない。それは労力と気遣いなしにできることではない。それは神聖かつ厳粛な業である。しかしてそれが永遠にまで関わることに目を留めるならば、大いなる方への畏敬の思いを込めてなされるべきものなのだ。

Preaching is not child’s play, it is not a thing to be done without labor and anxiety it is solemn work, it is awful work if you view it in its relation to eternity.

 

2.《魂の漁り人に》

“魂の漁り人(すなどりびと)”になることは、この世で最も幸せなことである。

【解説】 この幸せを、あなたは今、感じていますか? この前 感じたのはいつのことでしょうか? 長い間、この幸せから遠ざかっているのではありませんか? “魂の漁り人”と訳した原語の soul winnerソールウィナーは、直訳すれば“魂を勝ち取る人”です。滅びに向かっていた自分が、神様のあわれみによって救われ、永遠の命を与えられている――この恵みは、他の人々を救いに導くことによって神様にお返ししなければなりません。「救わんがために救われたり」と言ったのは救世軍の創始者ウィリアム・ブース大将ですが、これはクリスチャンが、片時も忘れてはならないことです。ここで心すべきは、魂を救うのは私たちではなく、神様の主権的なみ業であるということです。私たちにできるのは、愛する魂のために祈り続けること、そして神様の“時”を逃さずにその魂に証しすることです。私の亡き妻は、死の床から十字架のイエス様に救われてから、家族や友のために祈り始めました。そしてその“時”を心に感じた時、本当は身内への伝道は一番難しいと言われるのに、30年間祈り続けていた母に証しをして、救いに導いたのです。あとの家族のことは私に託し、妻は今

天国で、その母と楽しく語り合っていることと思います。この世の幸せは、つかの間に過ぎ去ります。魂の漁りだけが、永遠に失われることのない、まことの幸せなのです。

To be a soul winner is the happiest thing in the world.

 

3.《家庭の中の自分をありのままに見せよ》

家族の中にいるときの自分の性格によく気をつけなさい。

そこでのあなたの立ち居振る舞いが、

本当のあなただからだ。

【解説】 さすがスポルジョン、一方では上記1のような宣教の神学の真髄を説きながら、一方で彼の目は、限りなくリアルに人間そのものの上に注がれているのです。今日の6つの言葉のうち、ひょっとしてあなたは、他のどれよりも、この3に「言えてる!」と思ったのではありませんか? クリスチャンになったからと言って、決して背伸びして、“自分以上の自分”をご家族に見せようとしないでください。相変わらず欠点だらけの、“ありのままの自分”でいいのです。ただ、こんな私が、イエス様に愛されて、救われて、生かされている。―その喜びと感謝を、素直に表すことです。その姿をご家族は見ているのですから。「何がこの人を(この子を)こんなにしたんだろう」と内心驚き、いぶかりながら――。それが、家族の救いへの小さな第一歩です。

Take care of your character in the home. For what we are there, we really are.

 

4.《結婚の祝福》

夫と妻がよく“くびき”を共にするとき、二人の重荷は、いかに軽くなることであろうか!

【解説】 “くびき”とは、“首に架けられる木”が原意で、ご存じのように二頭の馬や牛の首に木の棒を横に渡して固定することによって、二頭を同じ方向に動かす道具ですね。これを付けることによって、二頭の力はまさに二倍以上に用いられます。イエス様も、「私のくびきを負いなさい。私の荷は軽いからです」とおっしゃいました(マタイ11:29,30)。また妻の話で恐縮ですが、彼女は教会のあるカップルの結婚の席の祝辞で、「二人で手を取り合えば、祝福は二倍になり、重荷は半分になります」と言って、そのハンデを負った者同士のカップルの門出を祝いました。スポルジョンの妻スザナも、病弱で、40歳まで生きられなかったのですが、生涯夫を支え、夫のために自分にできることを精いっぱいにしたのです。その妻への感謝を込めて、彼はこの言葉を口にしたに違いありません。(下の写真は、今に残るその二人です。)

When husbands and wives are well yoked, how light their load becomes!

 

5.《柔和さはどこから?》

まことの強さは、

柔和さの“背骨”である。

【解説】 真の強さを内に秘めない柔和さは、“軟弱”につながります。“背骨”と訳したbackboneは、今ではそのまま“バックボーン”とも言いますね。物事の背後にあって支える“中枢”“基幹”を成す力です。その強さは、真理はどんな困難にも負けずに守り通し、虐げられ、苦しめられている人々にはとことん寄り添う勇気の中に秘められています。そこから生まれる柔和さこそが、人間関係の軋轢を解きほぐし、あなたを“平和をつくり出す人”にし、“神の子”と呼んでいただけるのです(マタイ5:9)。

Real strength is the backbone of meekness.

 

6.《隠れた祈りこそ天国と地獄を隔てる》

隠れたひそかなる祈りは、

天を開くカギであると同時に、

地獄の門を閉じるカギでもある。

【解説】 古今、祈りの効用、祈りの大切さは、あらゆる言葉で言い表されてきましたが、これがスポルジョンの言葉です。”天を開くカギ”は、イエス様によってペテロにも与えられましたが(マタイ16:19)、私たちが神のみ前に祈る祈りの力は、それだけではなく、“地獄の門を閉じる”力も持っているというのです! すなわち、祈りがサタンの暗躍を封じ込め、今まさに地獄の滅びに入っていこうとする愛する者を、その門の手前でつなぎ留めるのです。神様がお与えくださった恵みの数々の中で、私たちは今、改めて“祈り”の恵みと力に刮目すべきではありませんか? そしてあまりに貧しい自らの祈りに心刺され、ひざまずいて、「主よ、私に祈ることを教えてください」と懇願すべきではないでしょうか?(ルカ11:1)

As private prayer is the key to open heaven, so it is the key to shut the gates of hell.