◆シンプルな信仰で日々を生きるための6か条◆

1. 《杞憂は捨てよ》 

問題が起こることを“期待”してはいけない。

決して起こらないかもしれないことを心配するのもやめなさい。

いつも自分を“陽光”の中に置くのです。

~ベンジャミン・フランクリン~

【解説】18世紀アメリカの著名な政治家であり科学者であったフランクリンの言葉です。1行目、“予想”と言ってもいいところをあえて“期待”と訳したのは、私たちが陥りがちな過ちを少し皮肉ったものです。考えれば愚かで無益なことですが、私たちはしばしば「何か悪いことが起こりそう。⇒いや、たぶん起こるな。⇒ダメだ、きっと起こる。どうしよう…」と勝手に思い込んでしまうのです。まるでそうなることを“期待”しているかのように。最後の1行が、著述家でもあった彼の文才が光るところです。ネコは、いつも陽光を捉えて、その中に入るように移動します。私たちの人生も、すべからくネコを見倣うのです! 私たちの陽光とは…そう、言うまでもなく、光なるキリストですね。

(ヨハネ 8:12) 「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

(ヤコブ1:17) 「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。」

Do not anticipate trouble, or worry about what may never happen. Keep in the sunlight. ~Benjamin Franklin

 

2. 《時には孤独でいよ》 

孤独は“魂の休日”です。

それは他者のために何かをすることを休み、

代わりに自分自身を驚かせ、喜ばせるための良き時なのです。

~カトリーナ・ケニスン~

Solitude is the soul's holiday, an opportunity to stop doing for others and to surprise and delight ourselves instead.~Katrina Kenison

 

3. 《いつも上天気》 

朗らかさとは、まさに“健康”という名の花である。(ことわざ)

【解説】英語ではcheerfulチアフル。“機嫌がいい。元気がいい。陽気な”という心の状態。これを“いそいそとした”と訳せば、恋人とデートに出かけるときの、あの気分のことです。美しい花々を見ると、私たちの心は晴れやかになりますね。いつも(苦しく、悲しいときでさえ)神様を見上げて、明るく、朗らかにしている人は、自分で気がつかなくても、見る人の目には生き生きと健やかに咲く“花”なのです。そう、“いつも上天気”で。(これ、古い映画のタイトルです。“脳天気”ではありませんのでお間違えなきよう。) でも、いつもそうあることは、実はほとんど不可能と言ってもいいほど至難の業。上からの、恵みの雨を毎日たっぷりいただく必要があるのですね。

Cheerfulness is the very flower of health. ~Proverb

 

4. 《親切であれ》

”親切な“人々とは、“最高の品格”を持った人々です。

【解説】 原語の英文は、たくみに言葉遊びを使っています。”親切な”、”品格”と訳した言葉は、どちらも同じkindカインドなのです。後者のkindは、“種類、性質、質”というのが文字どおりの訳ですが、あえて“品格”と訳してみました。人に親切に、優しくすることは、あなたを最高の品格の持ち主にすることを知っていただきたかったのです。これをもう少し砕いて言うと、こうなります。“極上の人種”! ほんの小さな親切、ひと言の優しい言葉の積み重ねで、「最高の品格を持った人々」の一人に。なんだか、うれしくなりませんか? 

Kind people are the best kind of people.

 

5. 《主の山に備えあり》

神の導かれるところ、

神の備えもまたあり。

【解説】 この短い文章にも、英語の韻が踏まれています。guideガイド(導く)、provideプロヴァイド(備える)です。アブラハムは行く先を知らないで、神の導きに従って生まれ故郷を旅立ちました。でも彼の行く先々には、神様の備えがあったのです。あわや愛する我が子の命をささげねばならなくなったときでさえ。私たちも、時として、思いもよらなかったところに連れ出されることがありますが、恐れたり、不安になったりすることはありません。そこには、神様が全てを備えて待っておられるのですから。

(創世記22:14) 「そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。」

Where God guides, He provides.

 

6. 《今日を生きる信仰を持て》

ある日々には、

“最も大きな信仰の行為”とは、

ただ起き上がって、

“今日”にまっすぐ向き合うことなのです。

~エイミー・カトリフ~

【解説】 時として、最も簡単、単純なことをするのに、最も大きな決断が要求される。――これが人生です。妻を突然に失ってしばらくの間、私は夜が明けるのが怖かった。隣のベッドに、49年間、共に朝を迎えた妻はもはやいない。起きるのがつらかった。今日をどう生きていっていいのか分からなかった。まだ悪夢を見ているようでした。でも、なんとかそうさせてくれたのは、“神は最善以下のことはなさらない”というひとすじの信仰でした。もうバカみたいに、その言葉を繰り返しながら、力を振り絞って起き上がったのです。同じように愛する人を失った方、事業に失敗して多額の負債を抱えた方、人間関係のもつれの中で、このまま消えてしまいたいと思った方、体が病みに病んで、文字どおり起きる力がなくなった方……。いずれも、今日に向き合い、今日を生きるのが怖いのです。それをさせてくれる力は、”神の最善”に対する、からし種ほどの信仰と祈りしかないことを、私は身をもって教えていただきました。その祈りの中には、皆様の熱いとりなしの祈りもあったことを、心から感謝しています。ありがとうございました。

The greatest act of faith some days is to simply get up and face another day. –Amy Catliff