◆喧騒の世を天を目指して生きるための7か条◆

1. 《一日を赦しで始める》 私はこの一日を、心の中の“赦し”で始めます。平安のうちに前に進むことができるために。

I will start this day with forgiveness in my heart, so that I may move forward with peace.

【解説】 ”赦し”のない心に、“平安”は絶対に宿りません。朝起きて、誰かに、何かにわだかまりがあったら、それを主に明け渡して、「私は赦します」とご自分の心に宣言なさい。たちどころに主の平安が訪れ、あなたの一日を導いてくれます。それは十字架からあふれ流れる“主の平安”だからです。

 

2. 《世の喧騒に乱されない平安》 決してあくせくしないこと。全てのことを平静に、穏やかな心で行いなさい。たとえどんなことがあっても―あなたにとっての全世界がひっくり返るようなことがあっても、内なる平安を決して失ってはなりません。

Never be in a hurry; Do everything quietly and in a calm spirit. Do not lose your inner peace for anything whatsoever, even if your whole world seems upset.

 

3. 《愛を計算しない》 “愛”の基準は、計算しないで愛することです。~フランシスコ・サレジオ(16-17世紀スイスのカトリック聖人)

The measure of love is to love without measure.-St Francis de Sales

【解説】 原文には、ウィットにとんだ修辞がなされています。「基準」「計算」と訳した語は、いずれもmeasureメジャーという同じ言葉です。つまり、私たちの愛がどれほどのものかを測る物差しは、一切の損得計算をしないで、純粋に相手の人のために愛しているかどうかで値を示すというのです。私たちの人生の終わりには、この計算しないで与えた愛(無償の愛)が、どれほど豊かだったか、貧しかったかが、主によって明らかにされます。それは、計算しないのですから、私たちには分かりません。もし「これをしたらどれほどの益が…」などと考えたら、神様の目にそれは“愛”としては一切カウントされないのです。だから、そのために払った値(時間・お金・労力)の大きさは一切考えずに、私たちはただ愛さなければなりません。報いは全て、天の主のみ手の中にあるのですから――。

 

4. 《愛を広げる》 あなたが行くところ、どこででも、愛を広げなさい。~マザー・テレサ

Spread love everywhere you go. – Mother Teresa

【解説】 愛は、計算してはいけないと同時に、ひとところにとどめてもいけないのです。自分が愛するのは伴侶たった一人、自分の家族、親戚や一握りの友人だけ…のように。神様の愛の対象は、全時代の全ての人間です。だからあなたも私も、その愛によって救われたのです。私たちの愛には、もちろん能力的、時間的、経済的限界がありますが、神様はちゃんとそれをご存じの上で、あなたに愛すべき人を示してくださいます。また愛は、物理的・地理的にあなたの近くにいる人だけが対象なのではありません。SNSの発達した現代では、例えばこのように、FBのツールを使って神の愛をお分かちすることもできます。「広げる」と訳した原語spreadスプレッドには、「枝を広げる、枝を伸ばす」という意味もあります。そのイメージで、神様の愛の枝を広げ伸ばすとき、私たちはマタイ28:19,20の、イエス様の大宣教命令に従っているのだと心に銘記しましょう。あのマザー・テレサのように――。

 

5. 《苦しみを通して神の愛を知る》 人が神のみ心を見いだすのは、あの十字架を愛することの中においてです。神の聖なる愛は、苦しむことなしには存在しないからです。~ベルナデッタ・スビルー(19世紀フランスのカトリック聖女)

It is in loving the Cross that one discovers His heart, for Divine love does not exist without suffering. – St. Bernadette

【解説】 神様の愛の本質は、ご自身の独り子をさえ、私たちのために十字架の死に渡した“苦しみの愛”です。神の苦しみなしに、私たちの救いはなかったのです。

 妻が2月16日の深夜、我が家の2階の寝室の外の廊下に倒れているのを発見した時、私は一瞬、「ああ、1階のトイレからここまで上ってきて、寝てしまったのか」と思いました。でも、何度か呼んでも目を覚まさず、手に脈がなく、呼吸をしていないのを知った時、何か、恐ろしい悪夢を見ているのかと思いました。長い結婚生活で、妻が死ぬことなどは一度も、夢にさえ出てこなかったのです。私は妻を抱き抱え、思わず「神様! 助けてください! なぜですか?!」と絶叫しました。あの奈落の底に真っ逆さまに突き落とされたような絶望感は、終生忘れることがありません。

 けれども今、私は静かに思います。あの時の私の苦悩さえ及びもつかないような、“罪びと”となった我が子との父なる神の断絶の苦しみ、そしてみ父との愛を断ち切られるみ子キリストの苦しみのゆえに、私は罪から贖われ、永遠の命を与えられたのだと。そして亡き妻も、そのゆえに罪を赦され、今は天に国籍を移されて、主のみ懐に安んじているのだと――。

 私たちの人生には、時として、夢想だにしなかった苦しみが襲うときがあります。その時には、あの十字架の主と、父なる神のお苦しみを想いましょう。そこにしか、私たちが神のみ心を知る道はないのですから――。

 

6. 《残すものは少なく、天には多く》 

私たちが地上に持つものが少なければ少ないほど、

私たちは天に多くを持つのです。~アヴィラのテレサ(16世紀スペインのカトリック聖女)

The less we have here, the more we shall have in heaven.

– St. Teresa of Avila

 

7. 《いつまでも残るものは愛です》 

人生の終わりを迎えるとき、本当に大切なのは、

私たちが買い求めたものではなく、私たちが建て上げたものです。

私たちがこの手に得たものではなく、分かち与えたものです。

私たちの能力ではなく、私たちの人柄(性格)です。

私たちの成功ではなく、この一生に意味があったかということなのです。

価値ある人生を送りなさい。

愛ある人生を生きなさい。

At the end of life, what really matters is not what we bought but what we

built; not what we got but what we shared; not competence but our character;

and not our success but our significance. Live a life that matters. Live a life

of love.

(Ⅰコリント13:13)

「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」