◆”祈り”について心に留めたい3か条◆

1.《心配も祈りも“会話”なのです》

“心配事”は、あなたが変えることのできないことについて、自分自身と語る会話です。

“祈り”は、神様が変えることのできることについて、神様と交わす会話です。

【解説】 心配事が“会話”だなんて、ちょっと意外でしたね。でも同じ会話でも、これはかなり違います。“心配事”の会話の相手は自分自身。その実態は“堂々巡りの繰り言”で、何の解決ももたらしません。いつまでたっても、前には進めないのです。でも“祈り”は、全能なる神様との会話です。祈りを通してのみ、私たちは神様に自分を変えていただき、上よりの力を授かって、前に進んでいけるのです。

Worry is a conversation you have with yourself about things you cannot change.

Prayer is a conversation you have with God about things He can change.

 

2.《祈りは、パンクしたときの予備タイヤですか?》

“祈り”は、あなたが困ったときに引っ張り出す“予備タイヤ”(spare wheelスペアホイール)ではありません。“祈り”は、あなたの人生の旅路で、正しい道にまっすぐ連れていってくれる“ハンドル”(steerring wheelスティアリングホイール)なのです。

【解説】 これは、英文ならではの、似た言葉を用いた言葉遊びによる、うまい例えです。“祈り”を、“苦しい時の神頼み”よろしく、心のトランクにしまい込んでいてはいけません。車輪があっても、燃料満タンでも、ハンドルなしに車は動けないように、私たちも、“祈り”なしには人生道路を目的地目指して走ることは不可能なのです。”祈り”こそ、我がライフカー(人生車!)を動かすハンドルであることを、しかと心に刻みましょう。

Prayer is not a spare wheel that you pull out when in trouble. It’s a steering wheel that directs you down the right path through your journey.

 

3.《誰かが祈ってくれてるのを忘れないで》

あなたが誰かのために祈るとき、神様はそれをお聴きになり、その人を祝福されます。だからあなたが“無事で幸せだ”と感じたときは、誰かがあなたのために祈ってくれたのだということを、忘れないようになさい。

【解説】 これが“とりなし”の祈りの真髄です。ある人が、「私たちが、とりなしに身が入らないのは、自分がとりなしの祈りをした人が祝されても、それを自分の“功績”にできないからだ」と言いました。まさしくそれは、人間の自己中心性を如実に示す鋭い分析ですが、そんな私たちは、一つ大きな思い違いをしています。それは、誰に知られなくても、私たちのとりなしの祈りは、“神様に聴かれている”ということを忘れていることです。あるいは、頭で分かっていても、それを心から信じられないことです。今、それをもう一度心から信じて、愛する人のために、とりなす者に変えていただきましょう。そして一方、様々な危機から免れたとき、心に平安と喜びが沸き上がったとき、思いがかなって幸せに満ちあふれたときには、「祈られてる!」と思い出して、感謝をささげましょう。あなたの人生に、“当たり前に起こること”は、何一つありません。全ては、大きなことも小さなことも、誰かのとりなしを聴きあげてくださる神様の愛のみ手の中で起こるのですから――。

When you pray for others, God listens to you and blesses them. Sometimes, when you are safe and happy, remember that someone has prayed for you.