◆祝福の人生を生きるための現代の箴言◆

1. 《誘惑を避けよ》

”誘惑”を除けば、私はどんなものにも抵抗できる。

~オスカー・ワイルド~

【解説】 言わずもがな、この可能形は否定形に言い直しましょう。「私は、”誘惑”にだけは抵抗できない。」それほどに、世の誘惑は、“魅惑的”なのです。お金、地位、性、業績…。それもそのはず、人間の罪は、アダムとエバが、「まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするという、いかにも好ましい」(創世記3:6)“善悪を知る木”の誘惑に勝てず、「それを食べると必ず死ぬ」と言われた厳しい神の掟さえ破った結果、もたらされたものだからです。全ての”誘惑”の根源は、人間が神のように賢くなり、この世の楽しみを極限まで享受しようという欲望です。あなたが誘惑に会うとき、その背後では、サタンが、それに負けたあなたへの“ご褒美”に、その“悲惨な結果”を手にしながら、目を細めていることをお忘れなく――。

I can resist everything except temptation. – Oscar Wilde

 

2. 《目に見えぬ宝を求めよ》

人生の最も大いなる”真珠”は、手に取ることはできないもの――“愛”と“知恵”と“信仰”である。

【解説】 人を本当に幸せにするものは、決してモノではありません。モノは、増えれば増えるほど、さらに欲しくなります。それが、上記1.の罪の結果です。本当に私たちの心を満たし、人生を豊かにするものは、目には見えず、あなたの“心”の中にあるのです。

The greatest pearls in life are not tangible…Love, Wisdom & Faith.

 

3. 《心を開き、ソフトにせよ》

最悪の牢獄は、“閉ざされた心”である。~ヨハネ・パウロ二世

この狂気の世界に在って、柔和で優しい心を持っていることは、“勇気”であって、“弱さ”ではありません。~キャサリン・ヘンソン~

【解説】 世界平和のために、最も“開かれた心”をお持ちのローマ法王の言葉には、鋭く心を探られますね。牢獄の扉は、重く、何重にも鍵がかけられ、外界との一切の交流を冷たく閉ざされていますが、その最たるものは、固く閉ざされた人間の“心の扉”だというのです。その扉は、外の世界に向かって開かなければなりません。それも、最も“柔和な”心を持って――。それは“弱さ”ではなく真の“勇気”だとおっしゃったのは、他ならぬ、それを身をもって実行されたイエス様です。主は、そのときにのみ、罪の世の狂気は和らげられ、人間関係に平和がもたらされることを知っておられたのです。

(マタイ5:5)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」

The worst prison would be a closed heart. -St. Hon Paul II

Having a soft heart in a cruel world is courage, not weakness.

– Katherine Henson

 

4. 《勇気、信仰、希望を持って現実に立ち向かえ》

あなたは、今起こっていることの全貌を、あるいはそれが具体的にどうなっていくのかについて、知る必要はない。あなたに必要なのは、その起こっている“現実”が突き付けていることを、どう乗り越え(可能性)、どう立ち向かうべきか(挑戦)を知ること、そして、“勇気”と“信仰”と“希望”を持って、その機会を生かし、前向きに取り組んでいくことなのだ。~トマス・マートン~

【解説】これは、上記2と並んで、いうなれば“もうひとつのIコリント13:13:現実版”ですね。(厳しい現実に対しては、“愛”の代わりに”勇気”が必要です!) なぜ事の全貌、その行く末を心配する必要がないのか? それは、全てを神様がご存じだからです。神は、事の始まりも、ゴールも、全てコントロールしたうえで、あなたがそれにどう向き合っていくかをご覧になります。神の賜物である勇気、信仰、希望を働かせて、あなたが目の前の課題を一つ、また一つとクリアしていくことの中に、あなたの霊的な成長を心から期待なさりながら――。その期待に応えるのは、あなたです。

You do not need to know precisely what is happening, or exactly where it is all going. What you need is to recognize the possibilities and challenges offered by the present moment, and to embrace them with courage, faith and hope. – Thomas Merton

 

5. 《やがて来る日に備えて善をせよ》

あなたが若いときには、年老いた人を敬いなさい。

あなたが強いときには、弱い人を助けなさい。

自分が悪いときには、過ちを告白なさい。

 

やがて人生のある日、

あなたも年老い、弱くなり、道を誤ることもあるのですから――。

【解説】 仏教にも、“因果応報”という言葉がありますが、聖書もたくさんの用例で同じ真理を説いています。人は、良きにつけ、悪しきにつけ、蒔いたものを刈り取ることになります。人は、その時になって初めて気づくものですが、でも、一度限りの人生、その時になって悔やまないように、あらかじめ備える“知恵”を神様から頂いています。どんなに小さなことでも、今自分がすることが、何十年後かの自分を決めるのだということを、忘れてはいけませんね。

(伝道者(コヘレト)の書 11:1)

「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」

(詩篇126:5)

「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」

(ガラテヤ 6:7,10) 「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。…ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。」

Respect the old, when you are young. Help the weak, when you are strong. Confess the foult when you are wrong. Because one day in life, you will be old, weak and wrong.