◆キリストの死は天国のゼッタイ保証◆

キリストがその身代わりに命を捨てたほどの人が、

天国に入れないなどということは、ただの一人もあり得ないのだ。

~A.W. トーザー

 

【解説】 トーザーの言葉の、最も具体的な聖書の例証は、イエス様と共に十字架につけられた強盗です。彼はまさしく地上の生涯が終わる瞬間にイエス・キリストを信じ、その場で、主から“天国入り”のゼッタイ保証を取り付けたのです! イエス様への信仰告白によって、主の身代わりの死を自分のものとした人には、「遅すぎた。天の門は閉じられてしまった…」などという悲嘆の叫びは、決してありません。

(ルカ23:43) 「イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

 

そして天国は、イエス様が一足先に入られ、あなたや私のために場所を備えて、やがて自らお迎えに来てくださる場所です。そこで私たちは、とこしえに主と共に住むことができます。地上の住まいは、土地も家も、人が増えればたちまち手狭になりますが、天の住まいは、想像もつかないほど広いのです。ここに入るのに、遅すぎることはないだけでなく、狭すぎることも決してありません。

(ヨハネ14:2,3) 「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」

 

まことに、神のみ子がご自身の命と引き換えにお与えくださった“天国=永遠の命”の保証は、かくも確かなものなのです。それを無代価で受け取ることのできる“信仰”の大切さ、かたじけなさを、改めてかみしめねばならないのではないでしょうか?

(エペソ 2:8,9) 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」

 

Not one for whom He died can possibly miss heaven. -A.W. Tozer